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No.1160517
新人さん
今日から2月2日までは大寒で(2日というのは124年ぶりらしい)、本来なら1年で1番寒いことになっている日々が続く。3日の立春になる前に豆で鬼を追い払わなくてはならないという。1000年前の平安時代は、鬼や安倍晴明が活躍していた。ここからは僕の個人的妄想だが、鬼というのは日本にやって来たバイキングではないかと思っている。(他にも同様に考えている者たちは大勢いるようだ) そこで検証してみた。赤鬼は日焼けしてして赤ら顔になったバイキングだ。初めは酒に酔って顔が赤いのかと思ったが、北欧4国は歴史的にいわゆる「ウオッカベルト」の一部をなしており、国民は強い蒸留酒を愛飲するほど肝臓が強そうだ。酒で顔が赤くなったりはしないだろう。青白い顔のメラニン色素の薄い北欧人は青鬼だ。皮膚の下にある血管が青く見えて、蒙古斑のお尻は青く見え、黒の刺青は字のごとく青く見える。皮膚の色を決定するのはメラニンと血液中のヘモグロビンである。北欧の人々はメラニンがあまり存在しないので青く見えるのだ。 バイキングの身長は当時の日本人よりも10㎝くらい高かったようだ。というのは、平安時代の日本人の平均身長は 現存する絵画から推測して身長を割り出すと160㎝くらいになり、バイキングの身長は デンマークの研究者によると1000年前は男性が平均で172㎝女性は160㎝だというからだ。やはり体格差は結構あったと思う。 バイキングのヘルメットの角は鬼の角に見える。ただバイキングの兜に角があったのかは賛否両論あるようだが、2022年デンマークのビクスで見つかった2つの角付き兜は青銅器時代のサルデーニャ島にさかのぼるものだと指摘する研究結果が発表され、バイキング時代が起源だとする説には終止符が打たれた。デンマークのオーフス大学の考古学者は、長年ビクスの兜がバイキングと結びつけられてきたが、それよりもっと古く、紀元前900年ごろに沼地に沈殿したことが確認されていて、角付き兜を描いた良く似た青銅器時代の図像も見つかってるという。結局、兜の起源はバイキングではなくても、角が付いた兜をバイキングは使っていたのだろう。 剣は70~80㎝くらいの両刃で 当時の日本人が見たことのない 振り回して叩きつけるタイプだ。長剣は限られた者たちしか持っていなかったようで、ノルウェーの考古学者によると、バイキング時代初期の8世紀末頃は地位の高い人のための武器だったため、剣はすべて非常に貴重なものだったと説明し、大半は、簡素なナイフや斧などを使うしかなかったらしい。両刃の長剣はフィンランドやスウェーデンでも発掘されているが、やはり特別なようだ。物語りの鬼が振り回していた鉄棒は、幅のある鉄の剣を振り回すから鉄棒に見えたのだと思う。 中世の不衛生なヨーロッパではいろいろな伝染病が流行していた。だからバイキングがそれまで日本にはなかったウィルスや細菌を持ち込んだ可能性は大いに考えられる。キャプテンクックがポリネシアに 未知のばい菌を持ち込んだように、平安時代の都に病を流行らせてパニックに陥いらせたことは想像に難くない。病が流行ったということは鬼(バイキング)のせいになり、無知な人々には それがあやかしの証拠とされたのではないだろうか。 最近の考古学的な調査研究によると、バイキングは海賊的掠奪集団ではなく、ビジネスライクな交易集団だった、という証拠が出てきている。彼らは遠くイスラム圏とも交易し、銀や毛皮、装飾品などによって商売をしたそうだ。その交易圏はグリーンランドからロシア内部やトルコにまで及んでいる。英国スコットランドで発見されたバイキングによって集積された10世紀の莫大な財宝群からは、東西ローマ帝国の広大な領域の文化の影響がうかがわれるそうだ。そしてバイキングは閉鎖的ではなく、広く他民族を受け入れる素地があったようだ。バイキングに女性戦士が多く存在したことは古い伝承などではあたりまえで、好戦的な海賊集団ではなく 交易を主体として女性も参加する友好的な集団だったようだ。バイキングの交易圏は広いから、日本にも来ていたことは有り得るのだ。バイキングは友好的に日本で交易をしようとしたが、排他的な日本人はヨーロッパ人を知らなかったので 彼らの見た目で恐れてしまったかも知れない。同時に運悪く日本人が伝染病に感染して、感染者が増えていくと、知識の無い日本人は妖怪の仕業にした。バイキングは交易したいだけなのに、日本人は相手の見た目が異質なだけで拒絶し、勝手に侵略者である鬼のイメージを作り上げてしまい、友好的なバイキングを討伐対照としたのだ。もし、難破して数人がたどり着いただけなら、優しく対応できたかも知れないが、体格が大きく、顔立ちが違う連中に大人数で乗り込まれたら、威圧感があって拒絶してしまうのではないだろうか。 航海術に長けたバイキングならば、ロシアから樺太を通り 苦もなく日本海に到達できるだろう。長旅の果てに 故郷のフィヨルドに似て、大型船の停泊しやすいリアス海岸の若狭湾を見つけた。きっと大喜びで京都に上陸したのではないだろうか。2021年にネイチャー誌に掲載された研究結果には北欧のバイキングが今からちょうど1000年前に、北米で定住していたと発表されたことがある。コロンブスがアメリカ大陸に到達する何世紀も前のことになる。欧州人がアメリカ大陸に渡っていたことはすでに知られていたが、正確な年代が示されたのはこれが初めてだったという。バイキングが北アメリカに長く定着できなかったのは、原住民とのいざこざが原因らしいと云われている。北米のインディアンもエスキモーもアジア系の人種らしいからバイキングとは見た目が大きく異なっていたはずだ。きっと大江山に逃げ込んだバイキング達の酒天童子一味も日本人の排他的な感情により敵視され殺されてしまったかも知れない。多分、桃太郎の鬼ヶ島もそうだろう。 こう想像してみると、気の良いバイキングに申し訳ない気がしてくる。1000年も錆びない刀で切り殺すなんて日本人は恐ろしい。もしかして鬼は日本人の方ではないだろうか。
2025-01-20 17:41:03 投稿 / 550×734ピクセル
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今日から2月2日までは大寒で(2日というのは124年ぶりらしい)、本来なら1年で1番寒いことになっている日々が続く。3日の立春になる前に豆で鬼を追い払わなくてはならないという。1000年前の平安時代は、鬼や安倍晴明が活躍していた。ここからは僕の個人的妄想だが、鬼というのは日本にやって来たバイキングではないかと思っている。(他にも同様に考えている者たちは大勢いるようだ) そこで検証してみた。赤鬼は日焼けしてして赤ら顔になったバイキングだ。初めは酒に酔って顔が赤いのかと思ったが、北欧4国は歴史的にいわゆる「ウオッカベルト」の一部をなしており、国民は強い蒸留酒を愛飲するほど肝臓が強そうだ。酒で顔が赤くなったりはしないだろう。青白い顔のメラニン色素の薄い北欧人は青鬼だ。皮膚の下にある血管が青く見えて、蒙古斑のお尻は青く見え、黒の刺青は字のごとく青く見える。皮膚の色を決定するのはメラニンと血液中のヘモグロビンである。北欧の人々はメラニンがあまり存在しないので青く見えるのだ。 バイキングの身長は当時の日本人よりも10㎝くらい高かったようだ。というのは、平安時代の日本人の平均身長は 現存する絵画から推測して身長を割り出すと160㎝くらいになり、バイキングの身長は デンマークの研究者によると1000年前は男性が平均で172㎝女性は160㎝だというからだ。やはり体格差は結構あったと思う。 バイキングのヘルメットの角は鬼の角に見える。ただバイキングの兜に角があったのかは賛否両論あるようだが、2022年デンマークのビクスで見つかった2つの角付き兜は青銅器時代のサルデーニャ島にさかのぼるものだと指摘する研究結果が発表され、バイキング時代が起源だとする説には終止符が打たれた。デンマークのオーフス大学の考古学者は、長年ビクスの兜がバイキングと結びつけられてきたが、それよりもっと古く、紀元前900年ごろに沼地に沈殿したことが確認されていて、角付き兜を描いた良く似た青銅器時代の図像も見つかってるという。結局、兜の起源はバイキングではなくても、角が付いた兜をバイキングは使っていたのだろう。 剣は70~80㎝くらいの両刃で 当時の日本人が見たことのない 振り回して叩きつけるタイプだ。長剣は限られた者たちしか持っていなかったようで、ノルウェーの考古学者によると、バイキング時代初期の8世紀末頃は地位の高い人のための武器だったため、剣はすべて非常に貴重なものだったと説明し、大半は、簡素なナイフや斧などを使うしかなかったらしい。両刃の長剣はフィンランドやスウェーデンでも発掘されているが、やはり特別なようだ。物語りの鬼が振り回していた鉄棒は、幅のある鉄の剣を振り回すから鉄棒に見えたのだと思う。 中世の不衛生なヨーロッパではいろいろな伝染病が流行していた。だからバイキングがそれまで日本にはなかったウィルスや細菌を持ち込んだ可能性は大いに考えられる。キャプテンクックがポリネシアに 未知のばい菌を持ち込んだように、平安時代の都に病を流行らせてパニックに陥いらせたことは想像に難くない。病が流行ったということは鬼(バイキング)のせいになり、無知な人々には それがあやかしの証拠とされたのではないだろうか。 最近の考古学的な調査研究によると、バイキングは海賊的掠奪集団ではなく、ビジネスライクな交易集団だった、という証拠が出てきている。彼らは遠くイスラム圏とも交易し、銀や毛皮、装飾品などによって商売をしたそうだ。その交易圏はグリーンランドからロシア内部やトルコにまで及んでいる。英国スコットランドで発見されたバイキングによって集積された10世紀の莫大な財宝群からは、東西ローマ帝国の広大な領域の文化の影響がうかがわれるそうだ。そしてバイキングは閉鎖的ではなく、広く他民族を受け入れる素地があったようだ。バイキングに女性戦士が多く存在したことは古い伝承などではあたりまえで、好戦的な海賊集団ではなく 交易を主体として女性も参加する友好的な集団だったようだ。バイキングの交易圏は広いから、日本にも来ていたことは有り得るのだ。バイキングは友好的に日本で交易をしようとしたが、排他的な日本人はヨーロッパ人を知らなかったので 彼らの見た目で恐れてしまったかも知れない。同時に運悪く日本人が伝染病に感染して、感染者が増えていくと、知識の無い日本人は妖怪の仕業にした。バイキングは交易したいだけなのに、日本人は相手の見た目が異質なだけで拒絶し、勝手に侵略者である鬼のイメージを作り上げてしまい、友好的なバイキングを討伐対照としたのだ。もし、難破して数人がたどり着いただけなら、優しく対応できたかも知れないが、体格が大きく、顔立ちが違う連中に大人数で乗り込まれたら、威圧感があって拒絶してしまうのではないだろうか。 航海術に長けたバイキングならば、ロシアから樺太を通り 苦もなく日本海に到達できるだろう。長旅の果てに 故郷のフィヨルドに似て、大型船の停泊しやすいリアス海岸の若狭湾を見つけた。きっと大喜びで京都に上陸したのではないだろうか。2021年にネイチャー誌に掲載された研究結果には北欧のバイキングが今からちょうど1000年前に、北米で定住していたと発表されたことがある。コロンブスがアメリカ大陸に到達する何世紀も前のことになる。欧州人がアメリカ大陸に渡っていたことはすでに知られていたが、正確な年代が示されたのはこれが初めてだったという。バイキングが北アメリカに長く定着できなかったのは、原住民とのいざこざが原因らしいと云われている。北米のインディアンもエスキモーもアジア系の人種らしいからバイキングとは見た目が大きく異なっていたはずだ。きっと大江山に逃げ込んだバイキング達の酒天童子一味も日本人の排他的な感情により敵視され殺されてしまったかも知れない。多分、桃太郎の鬼ヶ島もそうだろう。 こう想像してみると、気の良いバイキングに申し訳ない気がしてくる。1000年も錆びない刀で切り殺すなんて日本人は恐ろしい。もしかして鬼は日本人の方ではないだろうか。