No.1084761

Handmade Lovers

薄荷芋さん

G庵真、バレンタイン前に手作りお菓子の練習をする話。

2022-02-13 17:31:12 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:409   閲覧ユーザー数:409

夜の台所から、甘いような香ばしいような……少し焦げ臭いようなにおいが漂ってくる。

寝る前に温かいものでも飲もうかとやってきた京は、廊下にすら立ち込めているそのにおいに眉をひそめてそっと台所を覗いた。

「あ、草薙さん!まだ起きてたんスね」

「お前……何やってんだ?」

立っていたのは台所の主たるゆかりではなく真吾で、一丁前にエプロンをつけてゴムベラ片手に笑っている。エプロンやよく見れば彼の頬には汚れが多々あって、充満する甘い匂いからも察するにどうやら菓子作りをしているらしい。しかし、どう考えても上手くいっている様子は無く、現に背後のオーブンは扉の隙間からもうもうと煙を吐いている。京は一体この光景を何処から指摘してやるべきかと考え、0.5秒後に兎に角煙はヤバいだろうという結論に至りそれを指摘した。

「つうかさ、お前、オーブン……」

「えっ……うわ!うわやっべ!!またやっちゃっあぢぢぢぢぢ!!!!」

「素手でいくヤツがあるかバカ!!」

背後を振り返った真吾はヘラもボウルも放り出してオーブンを開け、あろうことか素手で鉄板を抜こうとする。案の定大騒ぎになった彼の代わりに、冷静に取っ手を引っ掛けまな板の上に鉄板を置くと、そこには黒い煙をプスプスと吐き出す黒い何かが敷き詰められていた。

甘苦い煙にうわ、と小声で眉間に皺を寄せた京は、まさしくこの物体を長方形に切り出したらしい黒い何かが堆く皿の上に積み上がっていることに気が付いてしまい、今度は結構な大きさの声がうわんと飛び出してしまった。

「何だコレ!?」

「ブラウニーです!」

「焼け跡から拾ったジェンガじゃなくてか!?」

「焼け跡から拾ったジェンガ!?」

散々な言われようにショックを受けた真吾は、すっかり気落ちして背を丸めると、粉とチョコに塗れた指先を合わせて「ブラウニーになるはずだったんです……」と消え入りそうな声を漏らした。こうもわかりやすくヘコまれては罪悪感で胃がムカムカしてくる、京は頭を掻きつつ「悪かった」と一言ごちるとその皿の上の物体を摘まんで一口齧った。

「やっぱ焼けジェンガじゃねーか!!」

「そんなあ!!」

 

***

 

居間に場所を移し、口直しにと真吾が持ってきたゆかり謹製ゆず茶を啜った京は、さっき嚙みついた物体が存外に硬かったことや焦げ臭いというより煙臭かったことを反芻して大きな溜息を吐く。当の真吾はといえば、ゆかりに教えて貰った通りに作ったのに上手くいかないことや師匠に迷惑を掛けたこと、何よりバレンタインデーにこれを渡すつもりの人に面目ないと肩を落とす。しょげている真吾を一瞥した京は、皿の焼けジェンガを崩して比較的食べられる部分を選り分けながら口に放り込んだ。

「三連休道場で練習するっつったのはこの為かよ」

呆れているのではない、寧ろ感心すらしているのだ。

今年は去年と違ってイベントの仕事も無くチームの予定は完全オフだ、だから京はそもそも真吾はこの三連休を恋人と過ごすのだろうと思っていたし、恐らく真吾本人も月初辺りはそう考えていたのだと思う。しかし何がどうしたのか、今週になって真吾は「週末の三連休は道場に泊まり込みます、だから稽古お願いします!」なんて言い出した。多少面倒に思えど今更だ、昨日今日とみっちり組手の相手をしてやったら、真吾はボロボロになりながらも満足そうにしていた……その上でコレである。

京にしてみれば、格闘技よりも菓子作りのほうが数百倍は面倒に見える。それをあのハードなトレーニングをこなした後でやろうっていうんだから大した根性だ。根性だけは人一倍あるな、と焦げたくるみを齧った苦さに顔をしかめた。

「草薙さんに稽古付けてもらいたかったのは本当です、ただ、夜はマネージャーさんとお菓子作りの練習をするつもりだっただけで」

「どっちの理由が先だかなあ」

「意地悪なこと言わないでくださいよ~」

真吾は自分の言い訳など聞いてはくれない師匠を嘆いてはみたが、言い訳なんかするほうが格好悪いのだということも重々承知している。手作りのお菓子を彼に送りたいと思ったのは自分だし決めたのも自分だ、それは草薙流の修行だって同じことで、決めたことならどちらも中途半端にはしたくない。しかし今結果として菓子作りは難航を極め、師匠には不出来を見咎められている。もしかしたら彼も、どっちつかずになっている自分を責めるのかもしれない。嫌な想像はどんどん真吾の表情を曇らせていくから、京は話題を変えようとわざとらしく辺りを見回した。

「で、肝心のマネージャーは」

「あれ?さっき離れのほうに行きましたけど……会いませんでした?」

「いや……」

ゆかりとは丁度入れ違いになってしまったようだ。真吾ならもう大丈夫と一人で台所を任せたのだろうがちょっと時期尚早だった感は否めない、このままではきっとゆかりにすら見放されたのはないかと益々落ち込むのではないだろうか。探してみるか、と京はそれと気づかれぬように席を立って真吾に告げた。

「ま、今日はもう休めよ、バレンタインに間に合えばいいんだろ?」

「それは、そうなんですけど……」

「明日の朝稽古、少しでも眠そうにしてたらはっ倒すからな」

「わ、わかりましたっ」

脅し文句の後で視線を外した京は、溜息交じりに彼の恋人についてぽつりと漏らす。

「別に上手く出来なかったからって責めやしねーだろ、アイツも」

「……そうかもしれないですけど、それなら尚のこと美味しいものを渡したいです、おれ」

「そうかい」

まあせいぜいやれや、と今度こそ居間を出ていく。全く、あの男は嫌になるくらいに真吾に甘いし、真吾はそんなあの男の好意に真正面から応えようとしている。愚直だ、愚直だし不器用なところは似た者同士なのだと思う。

中庭のほうから物音がした、ややもすると聞こえてきた二人の声に、京は足音を殺して廊下の隅を歩いた。

 

***

 

二人で縁側に腰掛けて、手渡されたパラフィン紙の包みからは夜空に浮かぶ丸い月のようなクッキーが現れる。いただきます、と一つつまんで口に入れれば、ほろほろ崩れて優しい甘さが口いっぱいに広がった。

「わあ、すごい、前に食べさせてもらったときよりも格段に美味しいです」

「フン、造作も無いことだ」

やってみれば簡単だな、と得意げに鼻を鳴らしたこの男も、オーブントースターでも焼けるクッキーのレシピをゆかりから貰って直ぐは、無残にも真っ黒に焦げた何かを量産していた。製菓など全く面倒で且つ縁が無いものと思っていたのだが、いざやってみると奥が深くその深みに嵌る。殊更、渡す相手を思い浮かべたなら自然とジップロックの中の生地を練る手にも力が入った。何度も試作を重ねて味も形も申し分の無いものへと仕上がりつつある。

恋とは都合の良く己を変えてしまうものだと自嘲した庵は、来るべき彼とのバレンタインデーに向けて最終段階の試作に至ったそれを雑に頬張りサクサクと小気味良い音で咀嚼する。ゆかりはリップバームの唇の端についた滓をぺろりと舐め取ると、クッキー名人になりつつある庵に〝免許皆伝〟を言いつける。

「これだけ出来るなら、もう私がお手伝いすることもないと思うんですけど」

「いや、まだだ、これでは足りん」

しかし庵はまだこれが完成形では無いと言いたげにかぶりを振り、ゆかりから授かったお免状を返上するときっと今夜この道場にいるのであろう彼を想う。無邪気で健気に此方を慕う彼だからこそ、本気で応えてやりたい。自分が作ったクッキーで、誰の前でも見せたことがないようなとびきりの笑顔になって欲しい。これが献身では無く我儘であることは解っていた。

「どうせなら、一番美味いと思えるものが良かろう」

「真吾くん、八神さんの手作りなら何でも一番美味しいって言うと思いますよ」

「だからだ……解るだろう、貴様も」

「はい、そうですね」

ゆかりには庵の言い分が良く解る。誰かの為にと願うときの気持ちに果てが無いのは、それが自分自身の我儘であるからだ。けれど庵の我儘は彼の我儘ととても似ている。互いが互いを想い合う優しさにとことんまで付き合いたい、そう思ったのが今の自分の我儘なのだ、とゆかりは思わず「ふふ」と吐息の中に笑みを溢した。

「じゃあもうちょっと工夫してみましょうか、改良したレシピ、後で送ります」

「おい、今笑っただろう、何故笑った」

「さあ?何ででしょうかね~?」

揶揄われたと思ったのか、庵はムッとした表情でゆかりを睨む。ゆかりはそれすら少し楽しくて、踊るように縁側でステップを踏んだ。

「14日、頑張ってくださいね」

「貴様に言われんでもな」

勝手口から出ていく庵を見送って、さて風呂と就寝の支度でもしに部屋に戻ろうかとしたとき、廊下の端からゆらりと人影が現れゆかりの行く手を阻んだ。

「成程ね……」

「わっ……びっくりした、驚かせないでください」

大きな声が出そうになったので慌てて口を押えたゆかりは、人影が京であることを認めるとホッと胸を撫で下ろす。コソ泥か幽霊かのような扱いをされた京は、面白くなさそうな顔をした後で、台所で奮闘する弟子と縁側に佇んでいた宿敵とを交互に思い浮かべてニヤリと笑って見せた。

「あっちもこっちも面倒見て、アンタも大概だな」

「お菓子作りって楽しいじゃないですか」

「楽しいのは菓子作りじゃねーんじゃねーのか」

「ふふ、どうでしょうか」

まるで人を戦で立ち回る武器商人のように宣う京に、ゆかりは大層楽しげに言葉を返す。この状況を楽しんでいないと言ったら噓になるだろう、しかして悪気は全く無いし、心からふたりの幸せを願ってやまない。それは京も同じだったが、京の場合、どちらかと言えばあの三分の一人前があの男の所為で柄にも無くしょげて気落ちする姿を見たくないというところが一番の本音だろう。そしてそれは現在進行形で起きてしまっており、京は腕組みしたままで台所のほうに視線をくれてゆかりを差し向ける。

「アイツ帰ったんなら真吾のこと見てやれよ、相当ヘコんでる」

「え!わかりました、すぐ戻ります」

「おう」

ぱたぱたとスリッパの音が遠くなって、こういう時、案外自分は役に立たないものだと頭を掻いた。

「バレンタインねえ……」

誰も彼もが浮足立つ甘い季節。あのふたりは互いの手で作った甘さを広げてどんな甘い会話をするのだろうかと考えたら口の中が妙に甘酸っぱくなる。きっとさっきのゆず茶の所為だろうと、京は歯を磨きに洗面所へと向かうのだった。


 
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