何をすべきか?
それはそれぞれが考えるべき事だが、まず、自分が予定されている。という事に気付くべきである。
それぞれの人生がある。しかし、それは神によって予定されている事である。
それはスタート地点からあらかじめ、予定されているから、自分の手を引く手に気付くべきである。
次に、すべきは見極める事である。「二重予定説」によれば、その引く手が神であるか、それとも、「偽善者の天使」であるのか?見定めるべきである。
それは人生の指針を決める大切な事である。
道によりけり、たとえば、いきなりまがったりすれば、それは「偽善者の天使」なのである。
順調に歩んでいくなら、神の手であろう。
その道によりけり、ある程度の調和があるのである。
それを見定める事。
しかし、人生に坂道がないとは限らない。
それを登っていくのも自分なのである。
やはり、ある程度、坂道があっても、順調ならば神の手。
ガクッとひっかかるのならば、「偽善者の天使」であろう。
私は思い返してみると、順調であった気がする。
神に仕えて変な文章を書いてみるのは、面白いのだが、しかし、神に手を引かれるのは、温かさのみで分かる。きっと「偽善者の天使」はの手は冷たいであろう。
このまま歩むのは良いのだが、なぜこんな変な文を書いているのだろう?遊びだろうか?実績作りだろうか?
しかし、私は続ける。神に仕える為に。
「二重予定説」とは何か?
救いに至る人と滅びに至る人、二つが分かたれ、二重に予定される。という事である。
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だから何なのか?