No.1061815

唐柿に付いた虫 28

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2021-05-14 21:12:54 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:519   閲覧ユーザー数:512

 空では熾烈な闘争が続いていた。

 鞍馬の技の冴えを見て取った大蝙蝠の分身は慎重な間合いを取りつつ彼女を牽制する戦い方に切り替え、一方の戦乙女と対するもう一体の分身もまた、ほぼ互角の攻防を繰り広げている。

 鞍馬にしても、大見得を切って見せたにせよ、得物も無しにこんな難敵相手に空で殴り合いをする趣味は無い。

 油断を誘い繰り出した必殺の一撃で仕留める予定が狂い、結果これだけ警戒されてしまっては、いかに鞍馬とて流石にそうそう有効打を狙えるものではない。

(状況を打開する為にも、何とか戦乙女と連携したいものだが)

 とはいえ、相手の大蝙蝠も戦巧者である、警戒して鞍馬と組みあう事はしないが、彼女が術を放ったり、策を巡らす余裕は与えないようにして、執拗な牽制を仕掛けて来る。

 これだけの力を持ちつつ、更に状況に応じた戦い方の幅も広い、この大蝙蝠、歴戦の大妖であろうに、不思議と鞍馬はこのような妖の存在を、これまで聞いた事も無かった。

(それも、日の本の国の妖ならば……か)

 やはり、そういう事なのだろう。

 風圧すら伴う突進から、ぎりぎり鞍馬の間合いを外して旋回して間合いを外す。

 どうせ来ないと油断するのは危険、さりとてここで一歩踏み込んで一撃を狙うには、素手では少々危険が伴う。

 逃げる所を追撃しようとすれば、恐らく奴は鞍馬との鬼ごっこに方針を切り替えるだけだろう。

 鞍馬が最もして欲しくない行動を的確に選択する辺りは、敵ながら天晴だが……。

 忌々しそうに奴の動きを追っていた鞍馬の目が、鋭く細められた。

 最前までは鞍馬の周囲で遊弋しつつ、隙を伺っていた奴が、離脱した勢いを殺さず、戦乙女に向かって飛翔する。

「つ、そう来たか!」

 二体で戦乙女を挟撃するつもりか。

 慌てて追う態勢に移った鞍馬だが、動き出しに後れた分、その距離が僅かに遠い。

「戦乙女、すまん、そちらに行った、初撃だけ何とか躱してくれ!」

「承知!」

 鞍馬の声にも戦乙女は振り向かない、だが一瞬、ほんの一瞬だが、その注意が背後から迫る敵に向いた。

 無論、それで目の前の相手に付け入る隙を見せるような戦乙女では無い。

 だが。

「何?!」

 そのほんの一瞬の隙をついて、相手は戦乙女の槍と足を打ち合わせた拍子に距離を大きく外し、彼女に背を向けた。

「逃げる……いや」

 誘いの手という恐れも多分にある、戦乙女は相手の動きを見極めようとその場で槍を構え直し、挟撃されぬように背後に注意を向けた。

 だが、そんな戦乙女をあざ笑うかのように、背を向けた蝙蝠が大きく羽ばたいた。

 風を巻き、その身が全力の飛翔に移る。

「本当に逃げる気か?!」

 追撃に掛かろうかと思ったが、彼女の背後に迫る蝙蝠の存在は無視できない、それに対すべく体を向けた戦乙女の眼前で、奴は彼女の間合いギリギリで大きくその身を旋回させた。

 速度を殆ど落とさぬままに、その身を翻した蝙蝠が、もう一体の分身と並んだかと見る間に融合し、大蝙蝠の姿に戻る。

 巨大な翼が空を叩く、それが不気味な唸りとなって夜気を震わせながら、その巨体を加速させる。

「本気で逃走に掛かったか……しかし速いな」

「ええ、ああなると小回りは効きませんが、単純な速度では私たちを凌駕します」

 少し遅れて大蝙蝠を追う形になった戦乙女と鞍馬が並ぶ。

「軍師殿、奴の意図をどう見ます、私にはとても奴が逃げるとは思えないのですが?」

「ああ、どうにも掴み所の無い相手ではあるが、少なくともこの程度で逃げるような奴では無い」

 こちらの知り得ぬ弱点や継戦能力の問題があるのかもしれないが、どうもそうは考えづらい。

 敗走ではない以上、他の要因があるのだろう。

 たとえば、ここでの用、式姫二人を足止めするという役目が終わった、とか。

 では、敵方は目的を達してしまったのか?

 自分の布石は、あの山にこそ何かがあると見た事は、的外れだったのか。

 ふむ、と難しい顔で一つ唸った鞍馬に、戦乙女は言葉を続けた。

「掴み処が無いといえば……軍師殿がちらと口にされた、私たちの敵は、吸血姫殿と同種の存在、というのは」

 どういう事です?

「それか、まぁ私も吸血姫の話や、彼女の戦いを見ての知見でしかないが」

 夜にしか現れない首領、その配下か同盟者と思しき大蝙蝠、そして奴の持つ、その身を霧や蝙蝠に自在に変化させる力、そして傷を瞬時に癒す再生能力。

 眉宇に憂いを漂わせた鞍馬がため息を吐く。

「何れも、彼女の力や特質に符合する」

 だとすれば、似たような出自の存在だと見るのが自然。

「なるほど、だとすれば、やはり奴のあれは敗走ではありませんね」

 徐々に遠くなる大蝙蝠の背を睨みながら戦乙女は低く呟いた。

 吸血姫、もしくはそれに類する力を持った存在なら、あの程度で逃げる事は無い。

 その戦乙女の判断に賛意を示すように鞍馬が頷いた。

「そう、そしておそらく、君も気が付いていたとは思うが、奴の目的は時間稼……」

 そこで鞍馬は何かに思い当たったように表情を硬くして、大蝙蝠の飛び去る先に目を凝らした。

 夜の中、一際濃い色が稜線を形作る、あの盗賊団が立てこもっていた山。

「そういう事か!」

「軍師殿?」

 いぶかる戦乙女に構わず、鞍馬は何やら口の中で早口に呪を唱えてから声を上げた。

 天狗声が静かな夜を劈く(つんざく)。

「吸血姫! 気を付けてくれ、敵だ!」

 

 白まんじゅうと呼んで欲しい。

 そう聞いた男が、気拙そうな表情でぐい飲みを傍らに置いてから、居ずまいを整えて、軽く頭を下げた。

「どうしたのー?」

「えーとだな、先にそう呼んでいた事を詫びさせてくれ……その名前の意味、承知か?」

 すまなそうな男の顔を見て、白まんじゅうはくすくすと可愛らしい笑い声を上げた。

「もちろん知ってるよー、ふくふくした生地に、あんこっていう、おまめをつぶして作った、あまーいぺーすとを包んで丸めた、おいしーお菓子でしょ」

 可愛い名前よね。

 一部男には理解できない単語が混じっていたが、どういう物が自分の名付けの元なのかを、正確に理解しているのは間違いなさそうである、男はばつの悪そうな顔で頭の後ろを掻いた。

「……食い物の名前だけど、良いのか?」

「もちろんー、おかしの名前で呼ばれるなんてー、うまれてはじめてー」

 私のみためからしてもー、まとはずれじゃないしねー。

 その言葉に込められた嬉しそうな響きに、嘘や皮肉は感じられない。

「まぁ、そういう事なら……それじゃよろしく、白まんじゅう」

「はい、よろしくー」

 そう言いながら、白まんじゅうは空になった盃を両手で持ち上げた。

 それに酒を注いでから、男は自身も傍らに置いたぐい飲みを手にした。

「それじゃー、わたしの可愛いなまえにー」

 乾杯。

 盃を触れ合せてから、美酒を傾ける。

 お互い、大した量を呑んでいる訳では無いが、心地よい酔いが心を軽くしてくれているのを感じる。

 この存在に関して確認すべき事が山積しているのは間違いない……だが、それを聞くのは今宵では無い、そんな気がする。

 今日はこいつと、良い呑み友達になれそうだという事が判っただけで良しとしよう。

 それに……。

 酒をちびちび楽しむ白まんじゅうの頭に、一瞬だけ視線を落とす。

 間違いなく、こいつの本当の姿は、こんなふくふくと愛らしい物では無いのだろうという事。

 下手に触れれば、恐らく取り返しのつかない事になる、そんな危うさも、心のどこかで感じている。

 とはいえ、それはいつもの事。

 式姫。

 人を軽く凌駕する力を持つ彼女たちとの関わりも同じ。

 陰陽師のように、式神としての彼女たちとの付き合い方の心得が無い自分としては、結局人と人として付き合うしかない。

 卑屈にならず、居丈高にならず、虚飾を纏わず、ただ誠実に向き合う。

 それは、彼女たちの主になってくれと、こうめに頼まれたあの日に決めた事。

(……ま、ゆるりと付き合うさ)

 白まんじゅうが杯を干したのを見て、片口を手にするが、持ち上げたそれが軽い。

「これで終いだな、どうする?」

 代わりを用意するか? という彼の言外の問いが判らない白まんじゅうでは無かろう。

「んー」

 何やら唸りながら、空になった盃に、庭に、そして自分を扇いでくれている男へと、順にゆっくりと視線を巡らせる。

 上げた瞳がひたりと男を捉える。

 その中に、無数の夜を閉じ込めた静かな瞳。

「ちょーだい」

 すっと差し出された盃に、男は無言で残りの酒を注いだ。

 盃を掲げてから、白まんじゅうは、微笑んだ顔を水鏡に映すように酒の面に視線を落とした。

「おさけは、少し、なごりおしいくらいが」

 いいよね、そう盃に語り掛けるように、白まんじゅうが呟く。

 名残惜しいが……そうやって、心を酒や景色や言葉を交わした人に少しだけ残し、そして生じた心の隙間に、人はその時得た何かを畳み込んでいく。

 この白まんじゅうは、どれだけ、そういう時間を過ごして来たんだろう。

 月は中天から下りはじめ、蛍もまたその光を消して葉の裏に身を潜め始めた。

 夜が更けていく、その時間の流れを感じながら、男はその言葉に静かに頷いた。

「……そうだな」

 使用人が眠る長屋とは反対の位置にある裏門で、榎の旦那は儀助が帰ってくるのを待っていた。

 ここは厠からも遠い、太物(木綿や麻の製品)や塩や味噌といった回転の早い日用品を納めた蔵や、それを搬出する為の馬小屋が並ぶ一角、余程の事でも無ければ使用人が夜間に来る事は無い。

 棺を回収したら、使用人に気が付かれないようにあれを真祖の居る場所に納める必要がある、こういう裏稼業の時は彼ですら、旦那でございとふんぞり返っている訳にもいかない。

 その後は、改めてあれを納める場所を用意する為に、どこか適当な無住の寺社なりを押さえ、改修せねばなるまい。

 寺社を押さえるのが不自然に見えぬように、堕落坊主を後援して、自分は表に出ないようにするのが良いか。

(まだまだ、金を稼ぐ必要が……私がやらねばならぬ事は多いな)

 困難は多い、だが、自分がまだ真祖の為に出来る事があるというのは、彼にとってむしろ喜びですらある。

 明日からまた、忙しくなる。

 ふぅと大きく息を吐き、彼は再び周囲に意識を向けた。

 時折馬が嘶き、虫の声が夜気を震わすが、それがむしろ夜の静寂を際立たせる。

 今にも降って来そうな夏の煌めく星々と、それをすら打ち消すほどに煌と輝く月の冴えた光。

「月明らかにして、星の光は稀なり……」

 浮かんだ詩の一節を思わず口にして、彼は苦笑した。

 はて、これはどの詩の一節だったか……昔、呑気に色々な和漢の書籍を渉猟していた時代の記憶など、粗方自分の中から零れ落ちてしまったと思っていたが、まだ幾分かは、その欠片が残ってくれているようだ。

「こういう時に魏武(魏の武帝、曹操の事)が出て来るのは、育ちかしら」

 傍らから、予期しない声が響き、彼は慌てて声の方を振り向いた。

 降り注ぐ月の光に濡れ、あのお方がそこに立っていた。

 動きやすい異国の着物……あの日、彼と出会った時に彼女が纏っていた衣装を纏い。

 美しい。

 一瞬で心の全てを奪われたあの日から変わらず。

「これは真祖様……いかがなさいましたか」

 彼女はあの戦の折の消耗を回復するために、あの地下室で過ごすのが常になっており、表に出るのは先だって棺の様子を見に、山に赴いた時以来だが。

 慌てて膝を折った彼に、手で立つように示してから、真祖は肩を竦めた。

「残念な知らせよ、棺が式姫の手に落ちたわ」

 儀助も一緒にね……だから、ここで待っても無駄。

 平静に、そして無造作に口にされた真祖の言葉。

 その言葉に、彼の頭が真っ白になる。

 それまで色々と考えていた先々の事の全てが、彼の未来が、ぶちまけられた現実に塗りつぶされる。

 棺が式姫の手にオチタ、ギスケモ、イッショニ。

 その言葉の意味が腑に落ちると同時に、下腹の辺りに急に鉛で満たされたかのような重さと不快を感じ、血の気を喪った頭がふらつく。

 目に痛みを覚え、彼は自分の体を濡らす、不快な冷や汗の存在に気が付いた。

「棺が、そして儀助までも……」

 何と……何という事か。

 彼は、自分でも気が付かぬ内に、大地に膝を付いていた。

「儀助めの不始末……お詫びのしようもございませぬが、何卒、彼の者には真祖様のご寛恕を賜りたく」

 その責は、全て奴を差し向けたる手前が。

 土下座した彼に、思いのほか静かな真祖の声が答える。

「詫びる必要はないわ、式姫が相手では人が抗し得ないのは当然の事よ、寧ろ『あの』吸血姫の魔眼の呪縛を破ってまで、私に任務の失敗を伝達してきただけでも大したものよ」

 もしも幸運に、再び見える事があったら褒めてあげなさいな、並の人間では到底出来ぬ事。

 淡々と紡がれる真祖の言葉を聞いていると、彼もまた、徐々に自分の心が穏やかになっていくのを感じる。

 立ち上がり、膝を軽く払って、彼は冷静さを取り戻した顔を真祖に向けた。

「状況は判りました、お指図を」

「それで良いわ、とはいえ、出来る事はあんまり残っていないのだけど」

 それもまた、迷いが無くなって良いのかも知れないわねー。

 そう苦笑しながら、真祖は彼に、蒼白な手を差し出した。

「真祖様?」

 思わず上げた彼の目に、あでやかに微笑む彼女の顔が映る。

「散歩に行きましょ」

 これまで慎重に進めて来た計画が水泡に帰そうという危機の時だというのに、不思議と彼女は今まで見た事が無い程に上機嫌な様子で、そんな場違いな言葉を口にした。

 だが、彼は不思議と、彼女の様子に違和感を感じなかった。

 私にも、覚えがある。

 家業も、家族も、いや、そもそも人への信頼も……全てを喪ったあの時。

 怒りも悲しみもあった、だが、それと同時に自分が社会における「良き人」である事から解放され、心がとても軽くなったのを感じた事を覚えている。

 そんな卑小な物ではあるまいが、この方も……この超越者も、その生に、何かの重さを感じていたのだろうか。

「承知しました、お供致します」

 こちらに差し出された手を、恭しく取り、歩き出す。

 何処にとも、その意図も聞かない。

 彼女こそが絶対であり、自分はその指図に従うだけ。

「ふふ、それじゃ行こっか」

 磨き上げた珊瑚も及ばぬ、艶やかな唇が、悪戯っぽい笑みを形作る。 

「唐柿を愛でに」


 
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