No.1061179

信長殿の献上銭

かやはさん

永禄十一年、上洛を果たした信長が朝廷に「万疋」の銭を献上したときの顛末です。
【参考文献】「戦国大名の経済学」(川戸貴史/講談社現代新書)

2021-05-07 21:57:30 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:120   閲覧ユーザー数:115

 永禄十一年十月八日の深夜のことだ。

 床についていた織田信長はむくりと起き上がった。

 首を回し、肩を回す。

「どうも寝苦しい」

 続きの間に控えている者たちに聞こえるよう、大きな独り言をつぶやいた。変わりないから入ってくるなと言っている。

 信長は夜着を整えるふりをして、両手で顔をおおった。

 顔がほころんでいる。

 自分でもわかる。にやにやがとまらない。

 いいことがあった夜はいつもこうなる。うれしくてうれしくて、気分が高揚して眠れなくなるのだ。

 今朝、朝廷に銭を献上した。

「万疋」の銭だ。

 今頃、京雀どもが噂しているに違いない。

 帝も、公家衆も、みなおよろびになっていることだろう。

 十日後に予定されている足利義昭への将軍職宣下の費用……という名目の銭だった。

 名目はあくまで名目だ。いまの朝廷には銭がない。様々な行事が滞っている。御所もそこかしこが壊れている。日々の生活にさえ事欠くありさまだ。このような窮状をなんとかするために使われるのだろう。必要なところで使われるのなら、それはそれでいい。

 朝廷にとって、信長の「万疋」の銭は干天の慈雨に等しいものだったに違いない。

 進物は相手が真に喜ぶものを贈ってこそ、効果があるものだ。それが今は銭なのだ。

 父の信秀は、かつて朝廷や神宮へ莫大な献金をしたことがある。今だ語り草となっていて、挨拶に来た公家衆はその時の感謝を口にするのが約束事のようになっている。銭の力は偉大だ。父は銭の力で世にその名を知らしめ、心をつなぎ止めている。

 しかし、父の献金は数回しか行われなかった。

 これからは違う。信長は朝廷の歳費をまかない続ける腹づもりだった。こうすることで三好の影響力を朝廷から排除するのと同時に、父のように献金で名をあげる者が出ないようにするのだ。

 信長は確信していた。

 これで吾は父を越えたぞ、と。

 だから相好を崩したまま、気分が高まり、眠れないでいる。

 今日のことはきっと、史書に残るに違いない。

 信長はようやく横になり、布団をかぶった。

 それでもまだうれしくて、今夜は寝付けそうになかった。

          *

 

 ひどくやつれた顔をして、とある公家衆の下人がとぼとぼと都の大路を歩いている。

 気が重かった。

 一睡もできなかった。

 いまでも心の臓がだくだくと脈打ち、変な汗が出て、不安が頭の中で渦を巻いて、ずーんと気持ちが沈み込んでいる。

 昨日、めずらしく主人からお声をかけられた。

 信長から朝廷へと献上された銭のことだった。下人も知っていた。京雀たちが噂している「万疋」の銭。もちろんたった一万疋ではなく、めちゃくちゃな数の銭という意味での「万疋」だ。

 なるほど、御当家にもその銭が巡ってきたのか。きっと延び延びになっていた東宮さまの御元服の件に違いない。下人ですら、「銭がのぅてはなぁ……」という主人の嘆きを直接耳にしたことがある。

 さぞ、喜ばれたに違いない。

 ただ……と、下人は思い至る。

 あの銭にはいわれがある。

 信長は自分の金蔵から銭を出したわけではなかったのだ。上洛と三好との戦に必要な「矢銭」として、都の寺社や商人たちから無理矢理出させたものだった。

 その取り立ては過酷なものだったという。

 堺衆は矢弾と傭兵をそろえて籠城の覚悟を決めたほどだった。

 噂によると、堺は銭一万貫文。本願寺は銭五千貫文。法隆寺も百枚以上の銀を差し出したのだという。さらに法隆寺は蔵の米に目をつけられ、銀に換えてさらに納めろと脅迫されているらしい。

 武家が矢銭を集めるのは珍しいことではない。

 しかし、伝手のある公家が話をつけたり、人を出したり宿舎を提供することで銭をまけてもらったりと、様々な交渉ごとが行われるのが常だった。

 が、不破関の向こうから来た田舎者にはその常識が通じなかった。

 実情を知らず、「名のある寺なのだからこれくらいは出して当然だろう」という思い込みだけで割り当てられた数字を、生真面目な家臣どもが杓子定規に集めるのだからたまらない。

 この噂がどこまで本当のことか下人にはわからなかったが、献上された銭は人の恨みが形になったような、とにかく怖ろしいものだろうと思っていた。

 そんな銭を、なんと主人が持ってきて下人に見せたのだ。

「あっ!」と声が出た。

 悪銭だ。

 しかも、下人のような市井の者どもは普段使いしているが、御公家衆の基準では額面通りに使えないという悪銭だった。

 きっと今の街の実情だけを調べて「この銭でよし」と考えたのだろう。銭の価値は移ろい、使う人の立場によって変わってくるのだという常識が欠けている。

「前の公方の時もひどかったが……」

 主人が明後日の方を向いて、独り言のようにして言った。

「あれは三好も困窮していて、銭を精一杯集めたが悪銭ばかりになってしもうという仕方のないものだった。だが、今回のこれはなんだ。さすが不破関の向こうから来た山出しは、道理というものをしらん」

 主人はそれだけ言うと黙ってしまった。そしてちらちらと平伏している下人を見ている。

 それだけで下人は察した。

 ……おまえ、ちょっと山出しのとこまで行ってきて、一言文句を言うて、まともな銭に換金してきてくれんか?

 下人はすくみ上がった。支度を調えるために一度家に戻り、すぐに出かけようとしたが足が震えて動けなくなった。気がつくとまわりが真っ暗になっていて、まんじりともせず、ついには夜が明けてしまった。

 なんとか外に出て信長の宿所へと向かっているが、頭は重く、足を引きずってしまう。

 悪いのは俺じゃない。もちろん主人でもない。信長が間抜けだったというだけのはなしだ。文句を言われれば、謝るしかないような失態だ。まともな銭は持っているはずだから、こっそりと精銭に替えてなかったことにだってできるだろう。

 しかし、あんな取り立てをした男が、まともな応対をするとは、とても思えない。

 いっそのこと、正面から乗り込んで大声を出して赤っ恥をかかせればいいのか。それとも恥をかかさないようこっそりとすればいいのか。どう言えば理が通じるのかすら、まるでわからない。

 市場にある銭屋に駆け込んで、使える銭に換金してしまうのも手だ。それが一番てっとりばやい……が、三分の二くらいに減ってしまうだろう。それを信長が後から知ればどうなるか……。

 吐きそうになりながらも、下人は信長の宿所近くまでたどり着いた。

 朝から血の混じった小便を出していそうな顔をした男どもが十数人ほどたむろしていた。

 

          *

 

 永禄十二年の二月。

 将軍足利義昭は参内を果たした。その行事の費用をやはり信長が負担したが、献上されたのは銭ではなく米だったという。

 

 

                 おしまい

 


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