No.1060110

唐柿に付いた虫 27

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2021-04-25 18:42:45 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:473   閲覧ユーザー数:465

「つまむ物が無くて悪いな」

「おきづかいなくー」

 白まんじゅうの前に、小ぶりな白磁の猪口を置く。

 それを、よいしょと短い腕で抱え込むように持った白まんじゅうが、不平そうな顔を男に向けた。

「ちいさいー」

「あのな、図体を考えろ図体を、どんだけ斗酒なお辞さぬ酒豪か知らんが、酒を過ごすと碌な事ぁねぇぞ」

「むー」

 男の前に置かれたぐい飲みを、そちらを寄越せと言わんばかりの目で暫し睨んでいた白まんじゅうだが、自分がごちそうに与る側だと思い至ったのか、しぶしぶといった様子で、男に盃を向けた。

「ちょーだーい」

「へいへい、しっかり持ってろよ」

 では、客人に一献献上。

 傾けた片口から零れたのは、紅の酒。

 盃に満ちたそれから立ち上る香に、白まんじゅうが目を細める。

「ひさしぶりー」

 久しぶり、か。やはりな。

 自分のぐい飲みにも同じ酒を注ぎだした男の方に、少し皮肉っぽい目を向けて、白まんじゅうは口を開いた。

「さっしがにいいねー」

「まぁ、外つ国(とつくに)の酒が、葡萄酒しか手元に無かったんで、まぐれ当たりではあるんだけどな」

 日本に攻めて来た元国の馬の乳から作った酒だの、蜂蜜から醸す蜜酒だの、蜜柑から作った酒だのと、世界には未知なる酒がひしめいているとは、聞いた事もあるが、中々その辺に手を出している暇はない。

「何にせよ、口に合わないって事が無さそうで良かったよ、それじゃ……」

 はて、何に乾杯すりゃ良いんだ、この場合。

 

 貴方の健康と繁栄を祈念して

 

「……え?」

 今、綺麗だけど、不思議な程に威厳に満ちた声がしたような。

「かんぱいしないのー?」

 ほれほれと、白まんじゅうが両手に持った盃をこちらに差し出す。

「あ……ああ、それじゃ、そうだな不思議な客人(まれびと)に」

 男が自分のぐい飲みを軽く白まんじゅうの掲げた盃に触れ合せる。

 かんぱい。

 

「んふふ」

 盃をくっと傾けて、白まんじゅうが口に酒を含む。

 暫し味わうように口の中で転がしてから、こくりと喉に流す。

「おーいしー」

 ちょっとあまいのねー、ぶどうはちょっとおちるけど、みずがいいのかなー、のみやすい。

 などと呟く声を聞きながら、男も苦笑した口にぐい飲みを運ぶ。

(こりゃ、呑み慣れてやがる)

 楽しそうに葡萄の酒を口にしている白まんじゅうの頬が、夜目にも判る程度に、ほんのりと染まる。

 白まんじゅうの酒の呑み方や、所作の間には卑しさが無い。

 ごく自然に酒を楽しむ様子に、良い呑み友達の姿を見出した男は、嬉しそうに片口を手にした。

「代わりは?」

「ちょうだいするのー」

 酒を受け、口を付けようとした白まんじゅうが、ふと、その手を止め、白い盃に満ちた紅の酒の面に視線を落とす。

 そこにうっすらと映る、自分の姿を暫し見た後、ぽつり呟く。

「……おもしろい人だねー」

「俺が?」

「うん」

 そうかねぇ、気の利いた事も言えん、至ってつまらん奴だと思うんだが、などと呟く男の顔を面白そうに見ながら、白まんじゅうはもう一度頷いた。

「おもしろいよ」

 こんな得体も知れない変な生き物を、なんの衒いも気取りも無く、この国では珍しい葡萄の酒を出して来て、もてなしてくれるなんて。

 こくりと、葡萄の酒を口に運ぶ。

 異国にあって口にする祖国の味は、郷愁という味が付く故だろうか、不思議と常より美味に感じる。

 いや、それだけではないか。

 酒の味は、結局、天地人では無いが、時宜と、そして一緒に呑む人次第で味の大半が決まる。

 それが美味しく感じるという事は……。

 僅かに盃を傾ける。

 酒なら幾らでも呑める、この程度の猪口一つ、くいと傾けてしまえばそれで終わり。

 ただ、呑み切ってしまえば、この時間が終わってしまう。

 それを惜しむように、白まんじゅうはゆっくりと酒を口に含んだ

「ふふ、おーいし」

「そりゃ、何よりだ」

 静かに過ぎて行く夜の中、一時休んでいた蛍が、再びそこかしこで緑の光を瞬かせ出す。

「きれいねー」

「ああ、良い夜だよな」

 さりげなく団扇で風を起こし、白まんじゅうによって来ようとする蚊を追う。

 それを解っているのか居ないのか、白まんじゅうは涼しーと気楽に呟きながら、月を見上げた。

 幾億の月を見上げ、その光を浴びたかはもう覚えても居ないが……この異国の優しい金色の光は素直に美しいと思える。

 望まずして来た異郷ではあるが、今宵、この一刻のみの為としても、ここに来て良かったと思える。

 空になった白まんじゅうの盃に酒を注ぎ終えた片口を、自分のぐい飲みに向けた所で、男の手が止まった。

「そいや、今更だが」

 そう言いながら、男が白まんじゅうに視線を落とす。

「どうしたのー?」

「お前さんの事は何と呼べば良い?」

 その男の問いかけに、白まんじゅうは一瞬その意図を掴みかねたような、きょとんとした顔を男に向けてから、何かに思い当たったようにくすくす笑い出した。

「そういえばー、じこしょうかいもー、まだだったよねー」

 こんな、十年来の知己のような顔で、のんびりお酒を酌み交わしている癖に、お互い何も知らない同士とは。

「いつまでもお前さんじゃ、流石に失礼だからな、何と呼べば良いかだけ教えてくれんか?」

 この人は名前を教えろではなく、何と呼べば良いかを聞くんだ。

 この人は本当に、私たちのような存在との付き合い方を良く知っている。

 下手に力ある者同士が真なる名など知ってしまえば、お互いに退けない仲となる。

 それは終生を添い遂げるか、完全なる隷属か……もしくはどちらかを滅ぼさねば収まらぬ間柄。

 式姫を、その魂に刻まれた名では無く、普段は狛犬や天狗などという出自で呼び、彼女たちも彼をご主人様とか主殿と呼ぶのはその為。

「そうねー」

 何て名乗れば良いんだろ。

 酒を口に含みながら考える。

 名前は一杯あるけど、全部他人が勝手に私に付けた名前。

 名前に仮託して、みんなが勝手にぶら下げていった、私の重荷。

 一番馴染みがあって、そんなに嫌いじゃないあの名前は……ちょっと今の姿には大仰過ぎるかな。

 うーと唸る様を見ながら、男はぐい飲みに口を付けながら呟いた。

「『お前さん』で良けりゃ、別にそれでも良いんだぜ」

 無理に名乗りを捻る事ぁねぇやな。

「それはそれでねー」

 悩みの唸りを上げながら酒を傾けようとして顔を上げた時、薄く微笑みながら庭の蛍に目を向ける男の横顔が見えた。

 

 良い名前、あった。

 

「ねーねー」

 くいくいと男の袖を引く。

「ん、どしたい?」

 顔を向けて来た男に、華やかな笑顔を向けて。

 貴方がくれた、私に何も負わせる事の無かった、初めての軽やかな名前を。

「わたしのことはー、白まんじゅうって呼んで」

 吸血姫、そう名乗った彼女が男たちの方に歩み寄っていく。

「まさかに、この館が異界への門を開く為にしつらえられた儀式の場だったとは、妾にも判らなんだわ」

 ここ日の本の国にあるなどとは想像もしていなかった門、まして、あれだけの術式を施して普段は隠蔽されていては、外から偵察で瞥見しただけでは、何も判らなかったのも無理はない。

 なるほど、自分があの時感じた懐かしい気は、奴らが最初に門を開いて『あちら』とこちらを繋いだ時に、少しこちらに漂い出た物だったという訳か。

 そして、ここが……吸血姫が懐かしいと感じたこの場所こそが、今回の件の中心だと睨んでいた鞍馬。

 あの時、吸血姫の姿を見て恐慌に陥りそうだった兵を宥める為に、彼女を大風で吹き飛ばす振りをしてみせた鞍馬だったが、更にそれを奇貨として、彼女に気配を消して、山頂の館を見張るように頼んできた。

 天狗声の術もそうだが、風は声を運ぶ物、鞍馬が巻き起こしたあの大風の中で、他の誰にも聞こえないように咄嗟になされた相談。

 手荒いやり口だったが、誰が見ていたか知る事も出来ないあの状況では仕方ないやり様ではあった。

 そして、彼女の予見が正鵠を射た物であった事は、眼前の光景が証立ててくれている。

 やれやれだ、自身の感じた違和感を掴み切れなかったとは、妾もまだまだじゃな。

 そう呟く美しい女性の顔を、儀助が睨む。

 あのお方では無い。

 だが、あの身に纏う圧倒的な夜の気配は間違いない、彼女とあのお方は『同じ存在』。

 そして、自分達を阻もうとしている以上、彼女は敵。

 敵わぬまでも手向かおうと、背に隠すように帯に差した小太刀に手を伸ばそうとする。

(……これは!?)

 長きに亘り訓練されてきた、その手が動かない。

「妙な気は起こさぬが良いぞ、お主らの体、既にその意のままには動かぬ」

 まぁ、妾が許せば別じゃがな。

 そう呟いた彼女が儀助の後ろ、棺を担いだ男たちに赤く煌めく瞳を向ける。

「左様な物を担いだままでは重かろう」

 丁寧に、ゆっくり地に下ろすが良い。

「ならぬ、下ろすな!」

 我らはこの棺を館に届けるという任務が。

 だが、儀助の声にも関わらず、男たちは何かに操られたかのように、ふらふらとその棺を地に下ろした。

 井桁に組まれた天秤棒がしなり、きつく巻かれた藁縄がぎちりと低く軋む。

「それでよい、夜歩く者の棺など、人が手にするモノでは無い」

 しかし、一体誰の棺なんじゃろうな。

 彼の傍らを通り過ぎる時に聞こえた彼女の呟きに、儀助は肌が粟立つのを感じた。

 知っている。

 この存在は、この棺が何かを、知っている。

 そして、それは主たちの存在を、彼女、恐らく主たちが噂していた式姫に、悟られる事となりかねない事を意味していた。

 せめて……任務には失敗した身だが、せめてこの危機を主に伝えねばならない。

 儀助は、必死に気力を振り絞り、右腕にその意を集中した。

 自分の体が石化でもしたのか、それとも木の棒にでもされたかのように、動かない。

 だが、儀助はそれでも自分の意思を腕に向け続けた。

 自分の腕を、あの恐るべき存在から取り戻す。

 少しで良い、今この一時だけで良い。 

 儀助の悲痛なまでの願いが何かに届いたのか、それともその気力が吸血姫の魔眼に抗い得たのか。

 ギシギシと軋む音が聞こえそうな物だったが、右腕の肘から先が彼の意思に応えて僅かに上がった。

 胸元の着物の中に隠し納めた銀の首飾りの感触を求め、服の上を指が遅々と這う。

 気力を振り絞る儀助の顔に玉のような汗が浮かび、顎先に溜ったそれが滴る。

 ぴしゃり。

 指先に冷たさを感じた。

 その刺激に導かれるように、意識が指先まで通る。

 這わせた指が、硬い物を知覚した。

 あった。

 服の上から爪を立てるように、それに触れる。

(真祖様……真祖様……)

(何、一体?)

 怪訝そうに返事を返した主の存在を、その首飾りから感じる。

 吸血姫の魔眼の力に抗し続けた儀助の意識は既に限界に近かったが、彼は最後の力を振り絞るようにして首飾りを服の上から握りしめ、強く念じた。

(棺の回収に……失敗)

(どういう事、何があったの?)

 真祖の問いに答える力も最早ない、自分より遥かに強大な相手との過酷な精神の戦いに損耗しつくし、意識を失った儀助の体が倒れる、その後ろで棺を調べていた吸血姫が驚愕に声を上げた。

「そんな馬鹿な、これは……」

 彼女には珍しい茫然とした声の後、更に入念に何かを調べた後に、彼女は棺から顔を上げ、珍しく切迫した声を上げた。

「貴様ら、これが何か知っておるのか?!」

 その声が、首飾りを通して真祖にも届いた。

 聞き覚えのある声。

 鋭く険しい声音であっても、美しく優雅な響きを失わない、選ばれた夜の貴族の声。

 だが、その古い馴染みの声を信じかねたように、彼女は頭を振った。

 吸血姫。

(何故、貴女が此処に)

 こんな、東の果て、私達の縁が最も薄き地に、その高貴の身を置いているの。

 

 周囲の男たちに問うように目を向けた吸血姫は、棺を運んでいた四人の困惑した表情を見て取ると、一番何かを知って居そうな儀助の元に駆け寄り、倒れていたその身を起こした。

 だが、冷や汗に濡れ尽くし、硬く歯を食いしばったまま気絶した、その顔を見て、吸血姫は顔をしかめた。

「ええ、妾の魔眼に抗って逃げるか抵抗でもしようとしたか、人に耐えられる物ではないというに馬鹿な事を……ん?」

 儀助の強張った指が服の上から握りしめている何かに気が付いた吸血姫が、それを引っ張り出そうとする。

 その気配、その息遣いが、首飾りを通じて真祖にも感じられた。

 そして、その力も。

 間違いない……吸血姫だ。

 闇の王直系の貴種の一人が、あの棺の存在を確認した。

 

 それはつまり、あの棺の秘密を知られるのも、時間の問題という事……。

 

「最悪」

 吐き捨てるように呟き、真祖は自らも首に掛けていた首飾りを、引き千切るようにして外した。

 あの棺が式姫の手に落ちるにせよ、まだ次の手の打ちようはあったのに、他の誰でも無い、よりによって、何故吸血姫に。

 運の無さと言ってしまえばそれまでか、いや、そもそも、自分の天運は、あの時既に……。

「下らぬ!」

 自分を鼓舞するように鋭くそう口にして、真祖は昂然と目を上げた。

「闇風!」

 現在、彼女が動かせる最強のコマに一つの命令を与えてから、彼女は闇風に繋いでいた意識も遮断した。

 その身を沈めた闇の中で、更なる漆黒を求めるように、彼女は真紅の瞳を閉ざした。

 棺の存在を知られ、彼女が潜むこの家と盗賊団を直接結びつけ得る存在、儀助が捕えられた。

 それは、ここまで、密やかに進めて来た計画の破綻、そして彼女の破滅が迫っている事を意味している。

 ややあって開かれた真祖の瞳に、昏い炎が宿っていた。

「……仕方ないね」


 
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