No.1056922

めぐりくるはる

薄荷芋さん

G庵真。春にふたりで外を散歩するだけの話。やきもちやきな八神さんのポエムです。

2021-03-16 15:17:09 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:469   閲覧ユーザー数:469

麗らかな陽光が川沿いの遊歩道に降り注ぐ。少し強く風が吹けば息を吹き返した土の匂いが鼻先を掠めた。

「のどかですねえ」

間の抜けた声を出して目を細めている姿こそが周囲の光景の中で一番長閑であるのだが、彼はあまり気にしていないようだった。まるで光合成でもするように両手を広げて陽の光を求め空を仰ぐその横から、前を見て歩け、と口を出したら、はあい、と間延びした返事が返ってくる。

急に部屋に押し掛けてきたと思ったら、外へ散歩に行かないかと誘われた。晴れた休日には多くの飼い犬がそうするのだと、尻尾を振る柴犬か何かが頭に浮かんだが黙っておいた。朝餉を終えた猫がひと眠りし始めた頃合いだったので、駄犬の誘いに乗ることにして陽射しに溢れた街へと出ることにした。

 

河川敷に植えられた桜並木の蕾はまだ固そうだが、こう暖かければ数日の内に咲くかもしれない。さっきから彼の手が此方の掌を何度か掠めている、もどかしくなって此方から手を繋いだら、彼は嬉しそうに笑ったあとで照れくさいのか鼻頭を掻いた。

「で、行く宛ても無くこうしているだけでいいのか、貴様は」

「はい、おれ、今日はこうやって八神さんと外を歩きたかったんです」

散歩に目的らしい目的は無く、川の流れを眺め時折街の音を聞いて足の向くままふたりで歩く。彼はただそうしたかったのだと言って、繋いだ手を大きく振りかぶった。

「だって、春ですよ?あったかくて気持ちいいし」

児戯のように揺らされる腕をそのままにして、春うららとばかりに歌い始めそうな彼を連れて行く。冬と春の境目はいつも曖昧な癖に突然『春である』と声高に宣言する日が来る。今日が多分それで、彼はきっと此方に春を告げに来たのだと莫迦げた妄想に耽った。

「春が好きか」

「はい!」

元気な声は此方に何かしらの期待を込めている。

「春ってスタートの季節じゃないですか、だからやる気も湧いてくるし、あったかくなって体も動かしやすくなるから大好きッス!」

彼には好きなものが多い。良いことだと思うが、その多くの『好き』の中に此方の存在が埋もれそうになることが時折堪らなくなる。この世界で己は己でしかなく、他の万物に嫉妬をするようになったらいよいよ終わりだと思っていたのだが、此方の懐に飛び込んできた彼は呆気なく世界の全てを終わらせてしまった。

「八神さんは春って好きですか?」

「さあな、考えたことも無い」

不格好な嫉妬だ。まさか巡る季節から彼を囲っておきたいと思うのを悟られまいとして、彼を手繰り寄せて腕の中に抱いた。

「ただ、どんな季節でも貴様が隣に居るのであれば悪くないとは思う」

此方の我儘を、幼い彼は愛の言葉だと錯覚して頬を染める。ふたりの間に流れた暫しの沈黙をメジロの声が賑やかす。彼の頬が此方の頬に重なる。血液の巡る健やかな頬は柔らかで燃えるように熱い、擦り寄るように触れたら耳元に福音が溢された。

「ずっと一緒にいます。春も夏も、秋も冬だって、ずっと」

抱き着いた彼の両腕に力が籠る。思っていたよりも強い力だ、彼は強い、きっともっと強くなるだろう。

「……真吾」

面を上げて彼の表情を正面から捕える。此方の意図することを察した彼は、頬を更に赤くしては慌てて顔を背けてしまった。

「こ、ここじゃダメっす……外ですよ?」

「恥ずかしいのか」

「当たり前じゃないですかあ」

頬を撫ぜ、そのまま顎を支えていた指先で彼の唇を撫でる。多少物欲しそうに唇をむずがらせては伏し目がちに睫毛を揺らしたが、結局彼は承諾せずに此方の腕の束縛を離れて川辺の手摺に逃げてしまった。吐息して隣に並び、陽光で温まった彼の栗色の髪を謝罪の代わりに撫でてやる。彼は暫く黙っていたけれど、風が吹いたのを切欠にしてぽつりと呟いた。

「……ほっぺ、なら」

尖らせた唇から、童謡めいた旋律で紡がれる。

「ほっぺなら、いいです」

ちらりと此方を横目に見る彼の頬は、早咲きの桜の色をしている。春が彼を捕らえに来るのではなく、彼が春を捕まえているのだとしたら、それは彼の言う通り『どんな季節でも此方の傍に居る』ことになるのかもしれない。夏は小麦色に焼けた素肌に白い光を、秋は鳶色の瞳に鮮やかな紅葉を、冬は南天の実のような唇に薄雪を乗せて傍に居る彼を想う。

彼は此方の表情を伺いながら待っていたから、慌てて開いた早咲きの花を散らすまいとそっと頬に唇を寄せた。

 

川沿いを離れ住宅街を抜けて、繁華街の喧騒の中へ戻ると彼がビルに設えた大型のビジョンを見上げて流れていくニュースを読み上げた。

「桜、咲いたんですね」

視線をやれば、東京で桜の開花宣言が告げられたことを知らせる文字列が流れていた。例年よりも早い報せに浮かれて、彼の頬にはまた桜が咲く。

「次はお花見しましょうね!絶対!」

「考えておいてやる」

満開の桜の下で、今度こそは彼と唇を重ねたい。散る花と去る季節を嗤いながら、永久など無くても輪廻するふたりの幸せだけを想っていたいのだ。

また強く風が吹いた。何処かからひとひら、薄紅色の花弁が飛んで青い空目掛けて飛んでは消えた。

 


 
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