No.1010503

恋姫†夢想 李傕伝 9

華雄さんが大変お強い小説。
北宮伯玉回までもう少し。

不幸な馬岱さん政務の鬼編も、もう少し先。

2019-11-18 06:33:21 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1170   閲覧ユーザー数:1118

『於夫羅』

 

 

 

 閻行は李傕が想像していた以上の人物であった。

 今目の前では馬超と閻行の手合わせが行われていた。

 閻行の得物は一見して普通の槍に似ていたが、その穂先には大きな返しが一つついており、槍というよりは川魚を獲るときに用いる銛に似ていた。

 馬超の十文字槍と相対する彼女は、その圧倒的な速さでもって馬超を終始圧倒していた。すれ違いざまの彼女の一突きは正確無比。頭、首、心臓、肝臓。あらゆる急所を素早く射止めんが如く繰り出される。

 万が一彼女の槍に貫かれ様ものなら、引き抜きざまにその大きな返しによって内蔵ごと引きずり出され、命は無いだろう。そんな状況下でも全てを撃ち躱しているのは、流石馬超と言うべきか。

 李傕は自分なら一撃であの世逝きだと思った。

 そして馬超、閻行共に攻めに転じた。

 どちらかが攻撃を行い、どちらかが防御をする。本来ならばそうなる所であるが、二人同時に攻勢に転じた。馬超は頭を。閻行は心臓を狙い、互いに槍を突き出そうとした瞬間、間には華雄が現れその二つの槍を弾いた。

 

「そこまで!」

 

 華雄の言葉に二人は馬の動きを止めた。

 もしも今華雄が止めなければ、二人の命は無かったかもしれない。それほどのやり取りであった。

 互角。それほどの力を閻行は持っていた。

 

「ぐぬぬ……本当に強いのかよこいつ」

 

「こいつ嫌い」

 

「何だとー!」

 

 閻行が馬超を指さして言うと、馬超が吼える。

 閻行は何かにつけて馬超を敵対視していた。

 朝の調練の為に演習場へと赴けば、後から来た馬超に向けて遅いと言い。

 移動の為に馬に乗ればその速さをもって、後から来た馬超に遅いと言い。

 こうして戦って互角になればこいつ嫌いと言う。

 何がどうして敵対視しているのかはわからないが、三国志における馬超と閻行の因縁が関係でもしているのだろうか。

 

「なぁ底! こいつやっぱ解雇しないか!」

 

「うるさい」

 

「むきー!」

 

 閻行の顔は常に不機嫌に見える。半目開きのへの字口。しかしそれは元来の彼女の表情であるようで、決して怒っているわけでも不機嫌であるわけでもないようだ。

 寧ろ馬超と一緒に居る時の彼女は楽しげにさえ見える。

 好きな相手に憎まれ口を叩く、というものなのかもしれない。いや、李傕が勝手にそう思いたいだけなのかもしれないが。

 彼女の武は示された。しかし問題が一つあった。それは指揮能力である。

 閻行は強く、そして速い。そんな彼女は背後の騎兵を置き去りにして一人前へと進んでいってしまう。本人曰く遅い、とのこと。協調性の欠如とでもいうのだろうか。

 さてどうしたものかと李傕は悩んだ。

 彼女はおそらく兵を指揮するのに向いていない。いや、本人曰く指揮をしており味方が遅いとのことなので、彼女に追いつけるほどの速い騎兵が居れば良いのかもしれない。もっとも、それをどうやって用意するのかなど李傕には思いつかないのだが。

 

「御館様」

 

 悩んでいる李傕に声を掛けてきたのは馬騰であった。

 

「彼女、燈ちゃんと翆を一緒に行動させた方が良いかもしれません」

 

「一緒に?」

 

「ええ。翆は―――こういうことをいうと親馬鹿と言われるかもしれませんが兵の指揮は上手いのです。問題はいつも一人で突撃してしまう、という所なのですが……。燈ちゃんが傍にいると、人の振り見て我が振り直せとでも言いますか、その、少し大人になるというか、燈ちゃんがいるときだけなんとなく大人になっているような気がするのです。もしかすると二人一緒なら、うまく噛みあうのではないかと」

 

 少々曖昧で、要領を得ない。馬騰本人も言い表しがたいというような感じであったが、何となく意味は理解できた。

 馬騰のいう様に、馬超はどちらかというと短絡的で突撃していく事が多い。ただそれは決して命令を無視して勝手な行動を取るという事ではない。指示があればしっかりとその通りに動くのだが、本人一人になると突然短絡的になるのだ。そのため常日頃から、頭の回る副官が彼女に付けばさらに軍としての質は上がるだろうとは思っていたが、問題児を付けることで馬超が自らが考える側に回るかもしれないと、馬騰は言っているのだ。

 

「……試しに演習をしてみるか」

 

「是非。翆もそろそろ大人になる時が来たのかもしれません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 治無戴と副官に華雄の騎兵一万。馬超と副官に閻行の騎兵一万。

 演習としては少々華雄側に力が寄っているような気がしたが、試すには強い相手に越したことは無い。

 四人による二万の演習は進軍銅鑼の音によって開始された。

 全員武器は木製。とはいえ殴り飛ばされて落馬しようものなら踏み殺される危険性がある為、騎兵の演習は常に命がけである。

 死んでも手綱を離すな、とは治無戴の言葉である。昔から彼女には良く言われたものだ、と李傕は目の前の演習を見ながら懐かしんだ。

 騎兵と騎兵の戦いは、いずれにしてもまず突撃から始まる。寧ろそれしか手段を持たないと言って良い。地形を利用して強襲というようなこともあるが、この場は平面。いずれ来る匈奴との戦いの為には丁度良い。

 治無戴と華雄は一瞬視線を合わせ、兵を動かした。

 語るに及ばず。

 二人は左右に分かれて斜めに移動し始める。

 

「迎え撃つぞ! 燈は左、私は右だ!」

 

 馬超が閻行にそう伝え、馬超は右へ動いた。進行方向は治無戴が移動してきている。

 しかし閻行はあろうことかただ一人突出した。

 

「うぇっ! おい! 戻れ!」

 

 その声が聞こえないのか無視しているのか。彼女は一直線に治無戴の方へと向かっていく。

 

「ああもう! 全員私に続け!」

 

 本来なら閻行が率いる一万の騎兵が、閻行についていこうとして馬超の方へと向かってきてしまう。そして閻行本人は一人治無戴の方へ突出。

 馬超は慌てて全軍を自らが率い、閻行の後を追った。

 李傕はその瞬間思った。終わった、と。

 閻行はすれ違いざまに治無戴に一撃を加えるが、治無戴は容易くそれを防ぎ、目もくれず馬超へと突撃する。

 互いが正面からぶつかり合う瞬間、華雄が馬超が率いる二万の騎兵を、斜めから突撃したことにより寸断した。

 そして正面から治無戴。背後から馬超軍を寸断した華雄が迫る。

 総大将である馬超は、包囲されていた。

 

「おいおい翆のやつ終わったわ……」

 

 韓遂は呟いた。

 必死に指揮をとりながらもうろたえる馬超の表情が良く見え、華雄が馬超の背後から頭を木製の斧で叩き、うぎゃーという乙女にあるまじき叫び声が聞こえた。

 演習は一瞬で終わってしまった。馬超が討ち取られたことで。

 馬騰は笑う。

 

「あの子、今までの自分を見ているって気が付いているのかしらね」

 

「そんなに突撃馬鹿だったか? 翆の奴。昔からちゃんと指揮もしてたし、もっとましだっただろう?」

 

「翆の心の中の事よ。他人よりも自分は強い、だから自分が敵の総大将の元へ行って倒せば勝つ。燈ちゃんがやっているのはまさにそれ。翆だってそう思っていたのよ。それを実行しなかったのは私や紅がしっかり教育したから」

 

「ああ、そういう」

 

 将としての教育を受けた馬超。教育をおそらく受けていない閻行。本質が似ていても絶対的な違いはそこにあった。

 

「お前、何で命令無視して行っちまうんだよ!」

 

「知らない」

 

「知らないじゃすまされないだろ! 戦場だったら死んでるんだぞ! 私が! 私が!!」

 

「弱い」

 

「このー!」

 

 この結果をどう見るべきか。

 私生活における馬超と閻行の相性は良いのかもしれない。閻行は馬超にしか突っかからないし、馬超も本気で怒っているわけでも嫌っているわけでもなさそうである。

 しかし馬超の命令を無視して突撃するというのはまずい。まずいというよりあってはならない。それも本来率いる部隊を置き去りにして。

 

「御館様。今しばらく二人を共に行動させ、様子を見てもらえませんか?」

 

「根本的に閻行が将として向いていないような気もするんだが」

 

「いえ、あれはまだ子供なだけなのです。翆よりももっと小さい、幼い少女。翆はそれを支えることで大人になり、彼女は翆の姿を見て大人になるべきなのです」

 

「……わかった。とりあえずはこのままにしておこう」

 

 馬騰の勧めもあり、閻行と馬超は基本的に二人一組になった。部隊を動かす馬超と、単独行動をする閻行という図が、ひたすら続けられていた。

 少しは閻行が馬超の言葉に従うようになった頃、治無戴は氐へと戻っていった。

 まもなく戦が始まる。

 治無戴は匈奴と、そして李傕は幷州の高幹と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、連絡もなく突然李傕の元へ訪れたのは劉虞であった。彼女は幽州の人であり、以前李傕の元へお忍びで訪れてきたことのある人だ。

 その劉虞が張世平と、大勢の人を連れてやって来た。

 皇族を相手に謁見の間で対峙する際はどうすれば良いのだろうかと李傕は頭を悩ませた。前回は余りにも不意打ちで頭が回らなかったというのもあったのだが、そもそもにおいてお忍びの会合であったため、ある意味終わってみれば適切であったともいえる。

 しかし今回は人を多く連れ、いわば公式の場。

 

―――どうすればいいんだ……。

 

 そんなことを考えながら謁見の間へ足を踏み入れると、劉虞は張世平や連れてきた者達と共に一斉に玉座へ向けて平伏した。

 こうなっては仕方が無いと、李傕は玉座に座った。

 

「突然の訪問。どうかお許しください」

 

「劉虞殿。私は貴女の医療団にお世話になっている身。どうか頭をお上げください」

 

 李傕が促すと彼女は顔を上げた。

 彼女の背後にいる人数はかなり多かった。

 百人はおそらく越えている。

 

「それで今回はどうしたのですか?」

 

「袁紹殿と公孫瓚殿の戦いが間もなく始まるのです。私達は戦が始まる前に逃げてきました」

 

 ついに動き出した。

 やはり袁家の名は伊達ではなく、どの諸侯よりも一早く反董卓連合での傷を癒したようだった。公孫瓚は三国志にある通り、おそらく負けてしまうだろう。

 

「今回連れてきたのは私と同じ隠れ仏教徒の仲間です。その、教徒が一気に増えてしまい大変申し訳ないのですが、どうか受け入れをお願いしたく」

 

「かまいませんよ。蘇双殿も街で人々に受け入れられ、かなり好意的に受け取ってもらえていますから」

 

 街で発足した病院と、その院長である蘇双。

 彼女は五斗米道のあのうるさい治療とは違い、一般的な治療をする。相手を見てどこが悪いのかを診断し、薬が必要か不要かを判断する。薬はやはりというか漢方で、特効薬となる物は無かった。

 漢方は基本的に人の体に備わっている、病に対する防衛能力を向上させるもの、と言った方が最も簡単であるかもしれない。風を引いたなら体を温める効果のある漢方を呑んで早く治すことができる、というように。

 なので決して全ての病を治せるというわけではないが、従来のやぶ医者に比べると格段に救われた人の数は多い。

 またこの病院は李傕が考案した救急馬車により病人が朝であろうと深夜であろうと運ばれてくる。起き上がれない人であれば病棟に入れて看病をし、完治すれば共に喜び、亡くなれば共に悲しむ。人々はそんな蘇双と医療団を大変好意的に受け入れていた。

 そして彼女が信仰する仏教の説法にも、耳を傾ける者はかなりいるようだった。

 

「天水だけではなく、元涼州の金城の方にも病院を建てる予定です。もしよろしければですが、そちらにも派遣できますか?」

 

「勿論です。布教の場をさらにお与えくださりありがとうございます」

 

 劉虞は再び頭を下げ、しばらくして頭を上げた。

 

「それともう一つ、これはお願い……というより李傕殿にお伝えすることがございます」

 

「それは?」

 

「私が仏教を知るきっかけになった者達の事です」

 

「それは、烏桓ですか?」

 

 烏桓は幽州に面した遊牧民の名である。

 

「ええ。聞けば李傕殿は羌の族長治無戴殿と共に、五胡と漢の統一を目指しているとのこと」

 

 李傕は彼女にその話をしただろうか、としばし考えた。

 劉虞の後ろにいる張世平がにやりと笑ったので、李傕は納得した。

 なるほど商人の耳に戸は建てられない。彼は先を見る目だけでなく耳も良いようだった。

 

「烏桓は実の所、既に一つなのです。丘力居という族長が取りまとめています」

 

 それは烏桓と好意的である劉虞だからこそ知り得ている情報だった。

 

「その丘力居と私は大変親しくしており、李傕殿や治無戴殿が望むのならば力による支配ではなく、恭順することで羌に合流したいと言っておりました」

 

「烏桓が!?」

 

 李傕は思わず立ち上がってしまった。

 驚くのも無理はない。治無戴が氐を侵攻したときにも、かなりの力を有する阿貴が降伏したことで他の部族が戦わずに降伏し、一気に氐の統一へと動いたと言っていたが、それまでに幾度も、多くの血が流れている。

 それに対し烏桓はまさしく無血で合流したいと言っているのだ。

 

「無論条件を出しておりました。なんでも羌と烏桓は同じ遊牧民でも、生活がかなり違うらしいのです。なので今と同じ生活を送らせて欲しいと」

 

 烏桓は狩をすると李傕は聞いていた。実際に見たことがないのでその真偽は定かではないが、かの公孫瓚が率いる白馬義従は烏桓の弓騎兵に対抗した物であるいうことからも、それとなく狩の印象は見え隠れしていた。

 

「彼女は、我々とは全く異なった価値観を持っています。ですが話し合えば理解してくれる子です。なので是非彼女と話し合いをしていただければ、と」

 

 気づけば李傕は二度、三度、四度と何度も頷いていた。赤べこもかくやといったところである。

 李傕は今すぐにでも治無戴に文を出したい所であった。

 まさか彼女との繋がりが、烏桓の合流に繋がるとは思ってもみなかったのだ。

 

「これはこの場で言うべきことでは無いかもしれません……ですが西涼はこれから東へ勢力を伸ばします。おそらく会う日もそう遠くは無いでしょう」

 

「であれば是非私も同行を。せめて窓口くらいにはなりましょう」

 

「ありがとうございます。劉虞殿」

 

 しばらく会話をして、劉虞達はとりあえずの所天水の居城で保護という形になった。今天水にある病院はそれほど大きくなく、彼女が連れてきた信徒全てを受け入れさせるには難しいからだ。

 また、劉虞は基本天水の病院で働き、李傕の進軍の際には同行してくれるという。他の信徒たちは今の所建設中の、金城の病院に派遣されることが決まった。

 

―――それにしても烏桓が……治無戴も驚くだろうな。

 

 自分の部屋に戻った李傕は急いで文の準備をした。

 そういえば、と李傕は筆を止めてふと思い出す。

 

―――劉虞殿は丘力居の事を彼女、とか、子と言っていたな……。

 

 ということはつまり丘力居は少女なのかもしれない。

 まだ見ぬ烏桓の族長丘力居。

 彼女と出会う日は、かなり近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 袁紹軍と公孫瓚軍の戦いが始まったという報告があってからやや日が経ち、ついに西涼軍にも時が満ちた。

 治無戴率いる十二万の騎兵が西涼へとやって来た。

 今までにない数の、強大な騎兵隊。

 

「さぁ、行くか」

 

 治無戴の言葉に李傕と華雄は頷いた。

 西涼軍八万。内、騎兵五万。歩兵三万。

 羌軍十二万。内、騎兵十二万。

 合計二十万による軍勢が、匈奴の地へと向かった。

 元涼州の守りは韓遂の配下である龐徳が。

 そして元雍州には馬岱が残ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 匈奴で最も多きな部族を率いていた男。於夫羅は、遠くより現れた黒い影に気が付いた。

 元より草原。遠く万里の長城まで一気に見渡せる。

 方角は南。どこかの部族がやって来たのかと彼は思った。

 しかしその影が次第に大きくなっていくにつれて、それが間違いであることに気が付いた。

 

「嘘だろ……」

 

 彼は漢の地より度々行われる匈奴討伐軍であるかと一瞬思った。しかし先頭を進む女や、その背後に続く者達の姿を見て驚愕した。

 

―――羌族? まさか五胡統一って本気なのか!?

 

 万里の長城の向こう側の話である。羌族が五胡を統一するためにいずれ匈奴にもやってくるという噂話。彼は全く信用していなかった。

 そもそもにおいて羌族は西に位置し、漢を越えない限り匈奴の土地へはやってこれないのだ。そのはずなのに目の前にはそれが居る。

 そしてさらに気づく。

 漢民族もそこ居ることに。

 

―――徴用されたにしては羌族の数が多すぎる。

 

 匈奴はたびたび漢民族と争っていたが、一部の部族は漢民族の軍に取り入れられても居た。将軍という立場は与えられず、雑兵という形で。

 しかしそれにしては余りにも羌族の数が多い。

 彼は馬を翻し、自分の部族の元へと急いだ。

 

―――手を組んでいるのか……? 羌と漢が? いや、それだけは絶対にない。

 

 その考えの答えが何であれ、今は関係ない。今やらなければならないことは、部族の者達を集め、戦わなければならないということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 李傕にとっても華雄にとっても、草原という世界は実に懐かしいものだった。

 西涼にも、というより漢にも巨大な草原はある。しかしその広大さはその外を取り巻く五胡の土地には遠く及ばない。

 

「懐かしいな。こうして漢から羌の草原に初めて入った時、華雄がはしゃいでな」

 

「やめろ! 昔の話だろう」

 

「ああ、それであの時うろちょろしてたのね」

 

「治無戴! お前も、やめろ!」

 

 治無戴と李傕は華雄をからかっていた。

 何しろ彼女ときたら初めて羌の地を訪れた時、うおおおおと声を上げて突然一人馬を走らせてどこかへと行ってしまったのだ。共に旅をしていた李傕を残して。

 そしてどこかへと行った華雄はただただ平面な草原で迷子になった。李傕の姿が豆粒よりも小さくなり、どこから来たのかわからなくなってしまった。

 そこでたまたま出会ったのが治無戴の部族で、そこに李傕が華雄を探している最中に合流したのだ。

 

「ぷっ。蚩尤ともなると迷子の規模も違うねぇ」

 

「ださい」

 

 そこに馬超と閻行も参加し、からかい始める。

 華雄は珍しく取り乱していた。

 

「私は、子供だったのだ! だからはしゃいでしまうのも仕方がない事だ」

 

「子供ねぇ。そう言えば母様も子供とか大人って言葉にやけにこだわってたけど、何か理由があるのか?」

 

 馬超の何気ない一言。それは一瞬、その場の空気を凍らせた。

 李傕、治無戴、華雄。三人から笑顔が消えた。いや、笑顔ではあった。ただ、先ほどまでの屈託のない笑顔から、苦笑するような表情へと変えた。

 馬超はしまったと思ったが取り返しがつかなかった。

 気になったら口にしてしまうのは母親譲りか。

 

「こいつあほ」

 

「やかましぃ!」

 

 閻行の鋭い指摘に馬超が突っ込みをいれ、笑顔は再び戻った。

 今だけは彼女の口の悪さと馬超への突っかかりに感謝した。

 馬超は心の中で少し考えた。

 子供と大人。大人になったから一騎打ちをしないという華雄。そして北宮伯玉と華雄の名前に誓う、その人物の遺志。

 その名前は実は馬超は多少なり知っていた。羌族で最も強いとされる部族。その部族の族長が北宮伯玉その人であるという事。ただ知っているのはそこまでだった。それ以上の事は知り得ていない。

 遺志というからには亡くなっていることは確定的である。

 軽口を叩き合いながら進む中、馬超は頭の片隅でそのことを考えていた。

 やがて進軍していた西涼と羌の連合は一旦動きを止めた。それは前方に軍が集結しているのが見えたからだ。

 数はかなり多かった。もしかすると五万は軽く超えているだろう。

 その中から一人前に進み出る男が居た。

 男は大きな剣を肩にひっさげ、息を吸い込んだ。

 

「俺の名は於夫羅! この部族の族長―――単于だ!」

 

 族長が進み出たので治無戴も前に出る。

 

「私の名は治無戴。羌の族長だ。於夫羅、我々は五胡の統一の為ここまでやって来たのだ。戦わずに帰順するならこれまでの生活を約束しよう」

 

「俺達匈奴は戦わずに従いはしねぇ! ずっと、ずっと戦って来たんだ!」

 

 於夫羅の言葉に彼の部族は応と声を上げた。彼の言う通り、彼等はずっと戦って来た。時に漢と匈奴が争い、時に漢の雑兵として徴用され戦い、そして時には匈奴同士で。何度も何度も戦って来た。

 戦い続けてきた者としての、矜持がある。

 目の前の軍勢が自分達よりも遥かに大きくとも、戦わない理由にはならない。

 従わせたいなら勝って従わせよ。

 それが彼らの意志。

 

「ならば戦うしかないな」

 

 治無戴は自陣に戻った。この場には程昱や郭嘉もいるが、平地で騎兵だけの戦い。彼女達が出す策は無かった。

 騎兵による純然たる用兵術のぶつかり合い。それが草原の流儀。

 

「底、華雄、翆、燈、碧、紅。頼んだぞ」

 

「ああ」

 

 李傕は全員を代表して返事をした。

 そして華雄が前に進み出る。

 

「皆、懐かしいな」

 

 華雄の言葉は羌族の兵達に向けられていた。共に漢へと付いてきた者達、共に戦ったが羌に残った者達。そして初めて華雄を見る者達も居たが、華雄―――蚩尤の事は誰もが知っていた。

 

「私は漢へと赴き、一度だけ戦った。戦いはそれで終わってしまったが」

 

 誰も声を発さず静かに彼女の言葉に耳を傾けていた。

 

「あの地にあっても私の心は常にこの広い草原の中にあった。どこまでも駆け抜けて行ける平面な草原。そして私はこの草原で戦う」

 

 華雄は目を閉じた。

 彼女の脳裏に浮かぶ、彼女が最も尊敬した人物が現れる。

 いつだって華雄の心は草原の中にあった。

 いつだって華雄の心は彼女と共にあった。

 大人であった、彼女と共に。

 

「駆け抜けろ! そして私に続け! お前達が蚩尤と呼ぶこの私の背を、真っ直ぐ追いかけてこい!」

 

 歓声が上がった。

 李傕は思わず片目を塞いでしまった。今までにない数の軍勢の大歓声だった。

 

「全軍、進めぇ!」

 

 華雄のその声に角笛が鳴らされた。

 銅鑼は重く、持ち運ぶには大変面倒であったからだ。草原では角笛が合図に用いられるので、こちらの方が軽く採用していた。

 一斉に十七万もの騎兵が、ただただ突撃の為に走り出した。

 対する匈奴五万も、駆け出した。

 三倍もの兵力差にも関わらず真っ向から向かう彼らの勇敢さは、蛮勇と呼ぶべきか。

 華雄の目の前に躍り出たのは於夫羅と名乗った男だった。

 一騎打ちを申し込むわけでもなく、彼は兵を引き連れて先頭を行く華雄へと躍りかかった。

 彼は知らない。羌の地の話を。

 彼は知らない。汜水関での戦いを。

 彼は知らない。蚩尤ここにあり。

 

「良い男だ。お前は」

 

 華雄は微笑んだ。

 目の前の男、於夫羅は恐れを知らず戦いに赴いた。

 相手が誰であろうと、相手がどれだけの兵を従えていようと戦う。

 守るべき『何か』の為に戦う。

 彼が守るは自身の部族でも、友でも、家族でもない。匈奴の矜持。その姿は真の草原の民といえるだろう。

 彼は少し似ていた。彼女と共にある大人の女性に。

 己の信念を信じ進んだ。

 自分ではなく、守るべき『何か』の為に。

 それは決して愚かさではない。

 

「名を覚えておこう。於夫羅」

 

 すれ違いざまの一閃。華雄の戦斧は於夫羅の胴を両断した。

 おびただしい血が爆ぜる様に宙に舞った。

 華雄は止まらず次に迫る匈奴軍の騎兵へと向かった。騎兵の波の中へ、彼女はひたすら前に進む。

 右に、左に斧を振るい草原は朱に染まっていく。

 真っ直ぐ進む華雄の視界には左右から迂回してきた治無戴と李傕が映った。

 二人の距離は近く、共に兵を引き連れ、逃げ出す敵により早く追いつくために先回りしてきたのだ。

 そしてふと、二人と目が合った。

 二人は華雄を見て笑顔を見せた。だから華雄も笑った。

 負けるはずがない。この三人ならば、ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 匈奴での初戦は終わった。

 於夫羅が討ち死にし、兵も降伏した二万を残して三万は死んだか逃げ出していた。

 李傕らが話を聞くに、於夫羅が匈奴で最も巨大な部族を率いていたという。後はそれぞれ小規模、中規模な部族が手を組んで相対するくらいで、そもそもが大規模な部族は無いという。

 先ほどの戦いで逃げ出した者達が、西涼と羌の襲撃を伝える事だろう。匈奴はきっと部族同士で結託し立ち上がる。

 先程の戦いで知った、彼らの矜持。

 華雄は羌ではなく、匈奴という別の草原であっても、やはり草原の民は良いと思った。

 彼等は真っ直ぐだった。己の命をいともたやすく守るべき何かの為に投げ打つ。

 於夫羅という男。華雄は決してその名を忘れないだろう。

 

「ここでまた一旦お別れってわけね」

 

「だな」

 

 二人の声が聞こえて華雄は視線を向けた。

 再びの短い再会であった。

 ここでまた道を分かれ、再び一つになるまでどれ程時間がかかるか。

 

「羌と氐は今、一つになって名を羌に変えたわ。族長代理は阿貴って名前だから、交易の時にはよろしく頼むわね」

 

「ああ。ちゃんと馬岱に文を出して伝えておくよ」

 

 李傕は馬岱にどんな顔を向けて西涼に帰れば良いかわからなかった。

 彼女は優秀だった。だから、置いていかれた。

 

―――すまん馬岱。

 

 李傕は置いてきた馬岱に心の中で謝り、治無戴を見つめた。

 

「じゃ、行ってくるわね」

 

「ああ。俺も行ってくるよ」

 

 珍しく治無戴はこれだけ人の視線が集まっているというのに、傍に寄ってきて李傕と口を重ねた。

 華雄も、珍しく茶化してはこなかった。

 

「えっち」

 

「おま、今良いところだから黙ってろ!」

 

 茶化してきたのは閻行だった。馬超が慌てて口を塞いだが、遅かった。

 そして治無戴と、李傕達は別れた。

 目指す地は幷州。そして幽州を併合した冀州の袁紹。

 戦いは始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幷州の州牧高幹は袁紹の姪っ子にあたる。つまるところ袁紹の妹分である。

 彼女は袁紹の勧めによって幷州を治める地位を貰っている程、袁家との繋がりは太い。

 匈奴の地から西涼軍が接近していると聞き、彼女は袁紹に助けを求めた。そしてなんと、袁紹自らが出陣してくれることになったのだ。

 

「麗羽叔母様! 援軍ありがとうございます!」

 

「おーっほっほっほ! いいってことですのよ艶羽さん。でも叔母様はお止めなさいな! お・ね・え・さ・ま、ですのよ!」

 

「す、すみません、麗羽お姉さま!」

 

 袁紹は今、乗りに乗ってのりのりであった。幷州は彼女の姪っ子である高幹が治めており、その東隣にある冀州は言わずもがな袁紹本人が治め、さらにその北東の幽州は最近彼女の領地となった。

 一大勢力となった彼女の鼻は高らかに伸び、ましてあの憎き李傕を相手にするともなれば彼女のやる気も高まる。

 

「まったく李傕の檄文ときたら……お下品にも程がありましてよ!」

 

 きーっと布を噛んで悔しそうに引っ張る彼女と、そんな彼女を見ておろおろとする高幹。

 

「私と艶羽さんで李傕をぎゃふんと、今度こそけちょんけちょんにして差し上げますのよ!」

 

「はい! 麗羽お姉さま!」

 

 やる気に満ちる袁紹と高幹をしり目に、顔良と文醜の表情は暗い。

 何せ反董卓連合で袁紹は一度死にかけたのだ。文醜が間に入って護りはしたが、その時の威力を文醜は思い出すだけでも身震いしてしまう。

 彼女達の主である袁紹は、その時のことをもう忘れてしまっているようだった。

 戦神華蚩尤。

 あの時は一万の騎兵であったが、今は五万の騎兵と三万の歩兵が居るという。

 

「なぁ斗詩……あたいすっごく逃げ出したいんだけど……」

 

「文ちゃん、私も逃げたいけどそうもいかないでしょ……」

 

 二人の視線の先には袁紹と高幹が映る。

 

「こう! こうですわよ! おーっほっほっほっほ」

 

「こうですか麗羽お姉さま! おっほっほっほっほ」

 

 こんな平和な時が続いけばいいのに。顔良は心から思った。

 しかしそんな思いを踏みにじるように、馬蹄の音はもうそこまで近づいていた。

 


 
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