No.1010218

甘い回憶

カカオ99さん

カウントとフーシェンが偶然10代のころに出会って、おたがいになにかしら影響を与えていたらという話。時間軸や視点はいろいろと飛びます。ZEROの脇キャラが登場します。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。一応キスはした→http://www.tinami.com/view/998008  仲が少し進展した→http://www.tinami.com/view/1055880  サイファー詐欺事件→http://www.tinami.com/view/928680

2019-11-15 00:16:12 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:884   閲覧ユーザー数:883

   あの日の狐

 

「ワイズマンが見所あるって言った新人は君か。よろしくな」

 ストライダー隊隊長はあっけらかんとした態度で、サイクロプス隊の新入隊員フーシェンに握手を求めた。

 最初から軽く、おおよそ軍人とは思えない。フーシェンは一瞬空気にのまれたが、すぐに持ち直し、「よろしくお願いします」と握手をした。

 サイクロプス隊隊長ワイズマンの頼れる仲間、ストライダー(ワン)は口調が軽く、ああ言えばこう言う。

 しかしムードメーカーのような存在でもあり、ベテランのイェーガーがうしろにいることで、ストライダー隊は軽さと重さの絶妙なバランスを保っていた。

 なんとなくフーシェンは、ストライダー1のように軽い口調で無茶をする少年に出会ったことを思い出す。

 フーシェンが生まれ育ったのはスラム街。さまざまな犯罪が空気のように満ちていた。まだ子供のうちから酒、煙草をたしなむのが当たり前の世界。

 まずは軽犯罪グループの子分として周囲を見張り、窃盗をする相手の気を引いたりと、そういう下働きをして仲間から信用を勝ち取ったあと、いよいよ初陣となる。

 フーシェンの場合は、特殊詐欺事件の受け子だった。直接現金を受け取る役回り。最初は心臓が跳ね上がるほど緊張したが、何件かこなすうち、度胸がついてきた。

 当時流行っていたのはサイファー詐欺事件というもの。きっかけは二〇〇六年にOBCが放送したベルカ戦争のドキュメンタリー番組。

 当時世界最強の誉れ高かったベルカ空軍のエースたちを、僚機とともに次々と破ったウスティオの傭兵パイロット。TAC(タック)ネームはサイファーだという。彼はベルカ戦争後に起きたクーデター鎮圧後、綺麗さっぱり消えた。

 いまだに行方が分からない。当時のデータは紛失、あるいは機密扱いというウスティオ政府の回答が、さらなる憶測を呼んだ。天才パイロットの正体は誰かという考察は、ちょっとしたブームになったほど。

 その上、実は自分はあのサイファーで、ベルカから追われているので金を貸してほしいという詐欺事件が流行した。

 その後は元ベルカ軍将校を狙う流れが起きたが、将校を狙ってどうするのかというのは、末端にいるフーシェンにはさっぱり分からなかった。

 だが、サイファーというエースパイロットはベルカ軍にとって強烈だったらしく、このパイロットを激しく憎んでいるベルカ人もいれば、おびえるベルカ人もいた。

 戦後に逃げ延び、身分や名前を変え、社会に潜むベルカ軍将校を釣り上げる餌になっているのか。正体という情報を売り買いすることで稼いでいるのか。

 とにかくフーシェンは、現金を受け取る役目を果たし続けた。

 下手な憶測を言うと真実をかすめることがあるため、グループの年長者に殴られることもある。黙って仕事をこなしていれば、それなりの手間賃はもらえた。

 その頃、フーシェンはまだフーシェンではなく、フーと呼ばれることがあった。外見が狐のように似ていると。それで、彼女のルーツの国の言葉で『(フー)』。

 それに、オーシアに最初に移民してきた血族の名字が、もともとフーと発音するらしく、言葉遊びのようなものだった。

 フーシェンはそのことに関して、特に好ましいとも嫌いとも思わず、ただ受け入れた。あだ名をもらえるのは、グループに仲間として認められた証し。それに、そんなあだ名は嫌だと冗談でも拒否すると、相手の機嫌が悪ければ半殺しに()う。

 弱者が一人でスラム街を生きていくのは死を意味する。誰かの庇護下に入らないと安全が保障されない。強者でも群れていたほうが安全。暴力と欲望がむき出しの街で生きるとはそういうこと。

 グループに入るのはたいていが曖昧なもので、仲のいい友達が先に入っていたから、家族の知り合いだったからというのが多い。能力があれば誘われ、知恵の回る者はのし上がれるグループを選ぶ。

 富、名声、なんでもいい。力を手に入れさえすれば、あだ名はいつだって変えられる。待遇は良くなる。

 この街に生まれた時点で、揺りかごから墓場までの運命は決まっている。学校に行っても無駄と思っている子供は、早々にサボッている。

 スラム街でのし上がる人間は、頭が良かった。学校の勉強というよりは、生きる上での頭の回転の速さ。

 フーシェンはせめて義務教育だけはと、親がちゃんと(かよ)わせていた。熱心ではないが、そこそこの成績を取っている。読み書きはできる。最低限の計算もできる。自然の現象は科学的理由があるのだと、なんとなく分かる。

 とにかく生き延びるために、知識は身につけなければならない。フーシェンは子供心にそう思っていた。

 

   あの日の伯爵

 

 懲罰部隊に入れられると同時に没収されたカウントの私物は、サイクロプス隊隊長のワイズマンに引き抜かれ、長距離戦略打撃群に異動が決定したら、貴重品も含めてすべて戻ってきた。

 いつのまにか灯台戦争と名付けられた今回の戦争で、保管先が爆撃を受けてなくなっているか。それとも当の昔に処分されたか。

 そう覚悟していたが、きちんとルールにのっとって保管されていたことに、カウントは妙な関心をする。

 真っ先に確認したのは、持ち運びができる小さな裸石(ルース)ケース。その中には一粒の透明な石が入っていたが、誰かに盗まれることなく、確かにあった。

 それらしく保管しているが、まだ子供だったカウントにこれをくれた人物は、「ベルカカットで加工したガラスですよ」と言った。一見するとダイヤモンドみたいなので、いろいろな意味でなにかと重宝した。

 カウントは子供時代、爵位のほうの意味で、自然発生的に伯爵(カウント)と呼ばれたことがあった。学校の劇で演じた脇役、伯爵家の末裔の子供役が、思いのほかハマッたからだった。

 劇をやる時、こういう役を演じるんだと父親に喋ったら、「うちの先祖は貴族だって」と言われた。「マジ!?」と前のめりで詳細を聞いたが、参考にはならなかった。

 貴族の一員といっても名ばかり。平民に近い、一族の隅にいる人間が一旗揚げるため、オーシアに移住したという。それなので、堂々と貴族の血筋といえるほどでもない云々。

 父親は嘘を混ぜるのがうまいため、カウントは「はいはい」と、大人が酒の席で喋る与太話のたぐいとして処理した。

 幸い、父親は病的な嘘つきではない。ちゃんと最後に、「…という話を今思いついたんだけど」や「…っていう作り話でね」と付け加えるので、まだ良心はあるほうだった。

 その貴族はベルカ貴族だそうだが、ベルカ戦争のこともあり、ベルカは自国で核を使った敗戦国。表立って言えないものがある。やはり参考にならない。

 とはいえ、先祖は自称貴族かもしれないが、ネタとしては面白い。子供なりに映画やドラマを研究し、劇では仰々しく演じてみせた。

 キラキラした癖毛の金髪は肩まで伸びている。一見すると女の子のようだが、体つきは男の子のもの。かといって完全に大人の男性ではない。まさに王子様。

 もともと口がうまくて成績も良く、運動もできたため、女子生徒からの人気は上がった。

 だが、いろいろな子と付き合って人間関係を乱す、ということはしなかったので、悪評は立たなかった。

 劇が終わったあとも「僕は伯爵家の末裔なんだぞ!」と言っては、周囲にコントネタのようなものを提供していた。

 本人も周囲も、本気で信じてはいない。日常と異なる空気を楽しむ者もいれば、またやっているよと受け流す者もいた。授業を大きく阻害しないので、教師たちも軽く注意する程度。

 そんな学校生活は楽しかったが、少々刺激が足りなかった。

 外への好奇心が強くなる。実年齢より上に見られたくて、背伸びをしたくなる。頑張って背伸びをすることで、自分は周囲よりも早く大人になったと錯覚して、胸の高鳴りを覚える。

 一歳年上が五歳くらい年上に思える感覚で、先輩に憧れをいだく。少しずつ親から離れ始め、友人と過ごす時間のほうが多くなる。両親に内緒で仲間と遊ぶことが、結束を意味する。

 本格的に外を冒険をする。そんな年頃になりつつあった。

 カウントは両親から肉体的、精神的、金銭的に虐待されたことはない。周囲にもそういう子はいなかった。

 いたとしても、カウントには見えなかった。さらに普通の住宅街に住んでいたので、犯罪とは無縁。

 薄皮一枚をへだてた外の世界では、カウントが知っているものとは別種の、理不尽過ぎる暴力と残酷な欲望が満ちていることを知らない。

 知らない大人に付いていってはいけない。そんなふうに口を酸っぱくして言われても、そこまで警戒心が高まらない。好奇心が買ってしまう。押し切られてしまう。そういう時期。

 退屈な日常を抜け出す。放課後にちょっとした冒険をする。翌日には同級生に自慢する。

 どんな危険も自分たちでコントロールできる。カウントは子供心にそう思っていた。

 

   下流の狩場

 

 うちのグループが最初に相手していたのは、その手の陰謀論や自分だけが知ってる秘密ってやつが好きな、人のよさそうな一般人だった。

 おたくのお子さんやお孫さんがサイファーって奴と知り合いで、事件に巻き込まれたって電話をかけるところから始まる。

 ——フー。親から金をせびるみたいにやれ。それくらいの演技はできるだろ。

 金を受け取る役は、サイファーが年を取ったらこうって感じの中年を使うんじゃなくて、あたしみたいな子供が使われた。サイファーの子供って設定だった。

 当然、受け子のあたしを見るとすぐに警戒されるけど、お父さんって一言を出すと、コロッとだまされるやつが多い。お父さんと娘の逃避行ってのは、いい具合にお涙ちょうだいのロードムービーになるらしい。

 あの戦争でお母さんの治療費を稼ぐために頑張ったけど、お母さんは死んじゃったし、ベルカから追われるし…と泣きそうな顔でたたみかければ、色をつけてくれる相手もいた。

 気前よくだまされてくれる奴が多かったから、リーダーがそのうち違うことをやり始めた。

 多分、サイファーって名前にかこつけた、ベルカ人相手のゆすり。どうせ実はオーシアのスパイでしたとか、そういう設定にしてるんだろ。くそったれ。

 その名前に反応して、のこのこ出てくるベルカ人はうしろ暗くて、追い詰めたらなにをするか分からないから用心してたのに。

「手! 離すなよ!」

 なんで自分より年下っぽいガキに、手を引っ張られて走っているんだ。

 ごく普通の服を着た、ごく普通のガキどもが、廃工場に度胸試しに来やがった。街の悪い奴を近くで見て、学校で武勇伝みたいに喋るんだろ。あほらしい。

 けど、そういう普通の一般人が被害者ってやつの中にいると、面倒なことになる。警察がどこまでもしつこく追ってくる。ああクソ。

 観客席な廊下にいたガキどもが、音を立てやがった。お陰で取引はなし。やばい状況になったら逃げろっていうのはしつこく言われてたから、音が聞こえた瞬間にすぐ逃げた。それはいい。問題はガキどものほうだ。

 相手は銃を出して撃ちやがった。それでガキどもはパニくって、逃げ遅れた奴を助けたガキが、当たり前のように逃げ遅れた。

 仕方ないからあたしが助けた。普通に清潔そうな身なりで、その日の食べ物に困らないくらいには、まともな生活を送っていそうなガキ。スラムに住むあたしらを冷やかす、腹が立つ奴ら。

 でもこいつは金ヅルになりそうな奴じゃないし、助けても得にならないと分かっても、見捨てられなかった。あたしはまだそこまで大馬鹿野郎じゃなかった。

 投げられそうな物は手あたり次第、全部ベルカ人に投げた。ガキはその間に逃げるかと思ったら、あたしの手を引っ張って一緒に逃げやがった。

 二人で隠れることができそうな、大きな機材を見つけると滑り込む。荒い呼吸の合間に、「ねえ」と話しかけてきたガキの口を抑える。走り去る足音を聞いて、そっと手を放す。

 廃工場には人が住んでることがある。そういう気配はなんとなく分かった。住んでる跡みたいなのもある。人が来るとああいう奴らは逃げて、遠くから侵入者をうかがうけど、ここにはいないらしい。

 もうしばらくここにいて、やり過ごそう。外で念のために待機してる仲間も、多分様子をうかがってる。クソッ。護身用のナイフは最後の手段だ。

 問題は受け取りだ。失敗した。初めてだ。殴られるだけで済めばいいが……。

 呼吸が落ち着いたガキが、「ねえ」とまた話しかけてくる。

「あいつ、行ったかな」

 女かと思ったけど、そうじゃなかった。こいつ、男だ。まだ声変わりもしてないお子様。

 怒ろうと思ったら、お子様は手が震えていた。そりゃそうだ。普通のガキなんだから。

「……まだウロついてるかもしれねえ。もう少しここにいる」

「うん」

 ガキが膝をかかえると、こいつよりも年下の、繁華街で一丁前にスリをしようとしてる奴よりも小さく見えて、正直困った。普通ってこういうことなのか。

「あ、電話」

 ガキがジーパンのポケットから携帯電話を取り出す。多分ガキの仲間にかけようとして、「え? あれ?」と何度も言う。

「建物の中は電波が悪くて、圏外になるんだ。下手に連絡を取れない」

「そっか…」

 だから現金の受け渡しには都合が良かった。それが今は裏目に出た。ガキは分かりやすく気を落として、携帯を元に戻す。

「……ほら」

 ポケットから、棒が横に連なった形のチョコを取り出す。口寂しい時の非常食みたいなものだった。手持ちは一袋だけなので半分に割って、片方は自分が手に取って、残りは包装紙ごとガキに渡す。

「大丈夫。普通のチョコだ」

「ありがと」

 笑うと結構かわいい。月明かりに照らされたガキをよく見ると、金髪で、ちょっと癖毛だけど肩まで伸びていて、パッと見て女の子みたいで、まだ男って体つきじゃなかった。

 こりゃアッチの気のある奴らに狙われるなっていう外見。仲間が来る前に、さっさとこいつを逃がしたほうがいい。目をつけられたら商品にされる。

 どうしようと考えていたら、ガキがキラキラした目でこっちを見ていた。そりゃそうだ。あたしがガキをずっと見ていたなら、ガキもあたしを見るに決まってる。

「なんだよ」

「君、狐みたいだ」

「はあ?」

「前に家族と一緒に森に行った時、綺麗な狐を見たんだ。君はそれにそっくりだ」

 あたしより背は低くて、声変わりもしていないガキなのに、いっぱしのくどき文句を言いやがる。

「だったら、あたしはただの野良狐だよ」

 チョコを口の中に放り込んでゴリゴリかじって、甘さが広がる前に飲み込む。

「この前読んだファンタジーに書いてた。修業した狐は、フーシェンっていうのになるんだってさ」

「フーシェン?」

「魔法使い…みたいな? 友達の家族が外国の本をたくさん持っていて、ちょっとだけ読んだんだけどさ」

 へへっと笑ってから、ガキはチョコを食べた。

 少しだけいい空気になったが、ここで仲良くなっちゃいけない。

「そろそろ出よう。あたしかお前のどっちかの仲間が、警察を呼んでるかもしれない」

 あたしにとっちゃ警察は敵だけど、普通サイドにいるガキは警察という言葉を聞くと、顔が明るくなった。

「行こう」

 手をつかむと、ガキがぎゅっと強く握り返してきた。廃工場に、今は仲間と思える奴と二人きり。

 音を立てないように、一緒に出口を目指す。建物の外に出たら、ベルカ人が乗ってきた車があった。

 スラムじゃ無免許で車を乗り回す奴らは多いけど、残念ながらあたしにはまだ運転技術がないし、配線をいじってエンジンをかける知識もない。ちきしょう。こういうところで差が出やがる。

 誰かが見張っているかもしれないから、念のため、車からは距離を置く。

「正門は駄目だ。多分見張られてる」

 小声で言うと、ガキが「俺たちが入ってきた穴がある」と小声で返した。

 フェンスが破れているんだと、ガキが指差す。そっちを目指すことにした。幸い空は曇っていて、足元は危ういけど、目立つよりマシ。

 手を繋いだ温もりだけを支えにして、二人で一緒に走る。あと少し。もう少し。

 前方で地面の小石がいくつか跳ねる。銃声とは違う音が響いた。あたしは急停止して、コケそうになったガキを抱いて止める。

 足元を狙われたけど、わざと(はず)されたんだ。普通の銃じゃない。音を消すやつ。サイレンサー付き。

「おや。こんな所に子犬が二匹」

 足音もなく、気配もなく、うしろから粘りのある声が()い寄ってきた。

 

   下流への来訪者

 

「正直に答えな。返答次第ではおうちに帰れる」

 そいつは廃材の影に隠れていて、死神みたいだった。存在が黒くて、ぬめっとしていて、やばいって思った。思わずガキの手を強く握る。

 顔を隠しているから、声で男ってことしか分からねえ。

 でも軽そうな雰囲気で、悪いことは手慣れていそうな奴。

 あたしらは子供だから甘く見られてる。だからまだ生きてる。

「んー! んんーッ!!」

「もう起きたのか。寝てりゃいいのに」

 死神みたいな野郎は、地面に転がってる奴を踏みつけた。ベルカ人が口にボロキレを突っ込まれて、手足を縛られている。

「お前ら、このへんを狩場にしてるチンピラか?」

「そうだ」

「違う!」

 ……しまった。こういう状況を考えていなかったから、あたしとガキで答えがぜんぜん違う。銃口があたしらを狙う。

「それじゃ次の質問だ。こいつの家族か?」

「違う!」

「そっちのガキは」

 銃で脅されたのが初めて…正確には今日で二回目か。ビビッてたガキは銃口を向けられると、「ち、違う!」って裏返った声で返事をした。

「そんじゃ手下か?」

「そんなんじゃねえ! あたしは金の受け取り役だ!」

 正直に答えたからか、ガキがびっくりしてあたしのほうを見た。

「それが、度胸試しに来た普通のガキどものせいで失敗した。あたしはいいだろうが、普通のガキが被害者になったら、あんたでもマズいだろ」

 死神は少し考えてから、「まあな」と言った。

「お前んとこのボスに伝えな。これで終わりにしろ。そう言えば分かる」

 あたしらのグループのボスは、ベルカ人をゆすって金を奪っていた。死神はそれを利用して、なにかをしてる。

 街の小さなチンピラグループの狩場にまで来て、こういうバカな呼び出しに簡単に引っかかっちまう、スネに傷のあるベルカ人を捕まえてる。多分。悪が悪を食う。

「……分かった」

「あと、今日起こったことは秘密だ。これも意味が分かるな」

「だったら金をくれッ」

 自分でもびっくりするくらいの声が出た。ガキがあたしと死神を交互に見てるのが分かる。

「そいつからもらうはずだった金だ。こっちも、もらう物をもらわないと命がない」

 ニヤリと死神が笑った気がした。鳥肌が立つ。

「度胸あるなぁ。で? そっちのガキは?」

「お、俺は! この子と一緒に家に帰れたらなにも言わない! 絶対!」

「はあ!?」

 思わずあたしは変な声を出したけど、ガキの顔は真剣だった。そのやり取りを見た死神には、「いい返事だ」と笑われた。…ったく。

 死神は用意がいいのか。札束を巻いてゴムで止めたやつを、あたしらの足元に放り投げた。死神から視線をそらさないように、気をつけながら、すばやく拾い上げる。ジャンパーのポケットに突っ込んだ。

「そんだけありゃ十分だろ。多いようだったら、お前らの取り(ぶん)だ。もらっとけ」

「金はもらった。ここでのことはなにも言わない。うちのボスには、これで終わりにしろと伝える。これでいいか」

「それでチャラだ」

 死神は手であたしらを追い払うしぐさをして、携帯電話をかけ始める。建物から離れれば、電話は通じる。

 ガキに向かって「行くぞ」と鋭く言ってから、ゆっくりと後ずさりする。

 死神の喋ってる言葉はなんだ? ベルカ語? 電話の向こうから怒鳴り声が聞こえる。ツボフ? ズボフ? 分からないけど、今のあたしらには関係ない。

 もう関心がないって態度を示されても、撃つ撃たないはあっちの気分次第。あたしは「走るぞ」と振り向いてガキの手を引っ張ると、敷地の外を目指した。

 フェンスの外に出ると手を離す。「今日のことは忘れろ」と言うと、「あのッ」とガキが必死そうに言った。

「金か? 待って——」

「また会えるかな」

 ここで金と言わない。普通の子供の、普通の問いかけ。なぜか胸が痛くなった。

「会えない」

「名前聞いていい? 俺は——」

「言うなッ」

 脅すように言うと、ガキはおびえた。

「あたしとお前の関係はここで終わり。たまたま電車で一緒の席になったようなもんだ。それで十分だろ」

 ガキは気圧されたようにうなずく。

 だけど動こうとしない。くそったれ。

 あたしはガキに近づくと、不意打ちで額にキスをした。

「ッ!?」

 ガキは額をさわって百面相をしている。そりゃこういうことも初めてだろう。

「無事に家に帰れるおまじないだ」

 嘘だけど、ガキ相手ならこういうのも効果あるだろ。無理やりうしろを向かせる。

「いいか。息が切れるまで走り続けろ。それで振り返って工場が見えなかったら、てめえの仲間にでも警察にでも電話しろ」

 ガキはこくこくうなずいたあとで、「でも、いつか会おうな」と言ってから、一目散に走っていった。

 あたしはフェンスを伝って走る。仲間の車が待っていた。運転手にはいろいろ聞かれたが、金の受け取りに成功したと実物を見せると、すぐに出発してくれた。

 アジトと言っても、ボロいアパートの一室に金を届ける。死神からの伝言をボスに言うと、苦い物でも食ったような顔で「分かった」と言われた。

 部屋を出たあとで、薄い壁の向こうからボスたちの口喧嘩が聞こえた。ルートヴィヒのはヤバかったんだだのうるせえだの、そんなのが聞こえてもあたしには関係ねえ。

 あたしはその件を境にグループから抜けて、もちろん殴られはした。レイプされなかったのはお情け。

 けどビビッた小心者と思われて、縁は切れた。

 親に勉強していいところに行きたいって言ったら喜んでくれて、学校ではスラムの子を貧乏から脱出させるために、親身になっていた教師が味方になってくれた。

 進路はどうするかなんて、正直分からない。ただ、ここから脱出したい。そっちのほうが先に来る。

 そういえば、サイファーってのはえらく強いパイロットだったらしい。空にはとんでもなく強い奴がいるのは、面白いと思った。空ってのもいいな。

 ——でも、いつか会おうな。

 普通の子供の、普通の別れの言葉。普通の約束。初めて手に入れた普通。これが、どこにでもありふれているやつ。

 世の中の下流みたいな所に偶然来たガキが誰かなんて、捜す気はないし、会うつもりもない。住む世界が違えば、子供は良くても、親のほうが縁を切らせる。

 前に少しだけ仲良くなった女の子がいた。まだバカ正直にものを言う、小さいガキの頃だったから、ママからあそこに住む子とは遊んじゃいけないって言われたのって、ストレートに言われた。それでサヨナラ。

 その子が友達の証しと言ってくれたのは、宝石みたいな形をしたアクリルビーズ。子供向けのままごとみたいなやつだった。思い出の品と言えば、それだけ。それもどこかにいった。

 でもまあ…お前みたいな奴に、また会えたらいいな。

 

   魔法の菓子

 

 ——息が切れるまで走り続けろ。

 その言葉に従って走り続けていると、脇道から「カウント!」と呼ばれた。聞き慣れた声だったので慌てて止まると、友達連中が泣き顔で、髪や服に葉をくっつけたり土で汚れた格好で出てきた。

 みんなでわあわあ喜んで抱き合っていると、パトカーのサイレンが近づいてきた。どうしようどうしようってさんざん()めて、警察を呼んだらしい。

 俺はパトカーを見て緊張と恐怖が一気に解けて、自分からパトカーに乗ったところまではいいけど、そこで意識がぷっつり途切れた。

 それから数日、熱を出して寝込んだ。目が覚めたら、過激な冒険の記憶はあやふやになっていた。おそらく怖い体験をしたから、脳と体がそういうふうに処理をしたんだろうって、児童カウンセラーに言われた。

 大人と子供の取引を見ていたのは覚えていた。友達の証言と照らし合わせて、それは正しいって証明されて、大きな記憶が欠けていないことにホッとした。

 多分、足が付かないように違う街の不良たちが遠くまで来て、このへんで稼いでいたんだろうって話だった。

 同い年っぽい子と、廃工場の中を一緒に逃げた記憶はある。その子が誰かっていうのは分からない。俺以外の友達は全員逃げたから、多分不良の子。記憶の中のその子は、顔も声も、会話の内容も曖昧になってる。

 家族からは怒られた。特に父さんのほうのじいちゃん。こっちは親から離れてスリリングな体験をしたと思ったら、手ひどいしっぺ返しをくらった。

 大人たちからは、俺は一人で廃工場から出て、外にいた友達のところまで逃げたんじゃないかって推理された。

 だけどポケットに残っていたのは、どこにでも売ってるチョコの包装紙。

 家族にも友達にも聞いたけど、あの日俺はチョコを持っていなかったし、買っていなかった。

 多分あそこで、俺はチョコを食べた。その記憶がぼんやりしていて、不良の子と分け合ったのかもしれない。

 あの冒険のあと、街(はず)れの工場は解体が始まった。もともと悪い奴らの溜まり場に使われることが多くて苦情が多かったけど、俺たちの一件が後押しになったみたいだった。

 嘘みたいに工場は消えて、あのへんをたむろしていた悪い奴らはいなくなったらしい。あの日の思い出をたぐり寄せるカケラは、綺麗に消えた。

 そうなると、あそこは魔法みたいな場所だった。俺は異世界に迷い込んで怖い目に()ったけど、なんとかこっちの世界に帰ってこられた。

 でもあそこへの道は閉ざされて、もう行くことはできない。

 あと、俺の体も変わった。声が変になって、最初は事件の影響かなにかで病気になったのかと思ったら、声変わりだった。あっというまに低い声になった。背もどんどん伸びた。

 大人からはまだ子供扱いされるけど、体は大人になり始めて、子供の時に行けた場所には、もう行けなくなった気分になる。

 生活の大きな障害にはならないけど、なにか小さなカケラを取りこぼしたまま、でも時間は平和に過ぎていった。

 ……と思ったら、環太平洋戦争ってのが起きた。オーシアとユークが戦いを初めて、この戦争を始めた本当の悪がいるみたいなことを国のトップ同士が言って、戦争を終わらせて、なんかよく分からない戦争。

 オーシアの大統領とユークの首相が握手した会見で、大企業のグランダーの本社があるスーデントールがえらい目に遭ったみたいで、そこは旧ベルカの土地だったから、ベルカがなにかをしたっていう噂で持ち切りだった。

 いいや違う、グランダーは悪用されたんだって話もあって、正直一般人には分からない。二〇二〇年に情報を公開するって話だけど、俺からすれば遠い話だ。

 ただ、先祖がベルカ貴族だったという話は外でしないように、という注意は家族からされた。

 本当だったのか! と驚いたら、真相は貴族と少し関わっただけって話だった。

 労働者階級のオーシアの娘と貴族の男が身分を超えた恋に落ちたけど、当然別れさせられた。その時貴族は、これを私だと思ってくれとカメオのブローチを渡した。オーシアの娘は、彼女に恋をしていた同じ階級の男と結婚した。

 それがひいばあちゃんとひいじいちゃん、らしい。

 もうちょっと詳しい話は、ひいじいちゃんから直接聞いたことがある。話は飛び飛びだったけど。

 ひいばあちゃんは、貴族の結婚を新聞かなにかで知った。再会したり結婚できると思っていなかった。

 けど、やっぱりつらかったからって、もらったブローチを壊そうとしたので、ひいじいちゃんが慌てて止めた。

 これはあなたの心でしょうと言われて、ひいばあちゃんは泣いたらしい。それから、砕かれた私の心をあなたがもう一度繋いでくれたのと、ひいじいちゃんに感謝したらしい。

 失恋の証しみたいになったブローチは、ひいばあちゃんに隠れてひいじいちゃんがこっそり持っていた。

 なんで恋のライバルのブローチを売ったり捨てたりしなかったのか聞いたら、ひいじいちゃんは言った。

 ——これを見ると、俺が勝った証しのような気がしたんだ。

 妻のためを想ってとか、そういう美しい話じゃなかった。ひいじいちゃんにとっては、好きな子の心の奥に住んでるあいつに勝った戦利品ってやつだった。

「さあ行くよ」

 父さんと母さんと俺の三人で車に乗る。ご近所向けには、パパの運転で家族恒例の旅行に行ったことになってるけど、半分はそうじゃない。森みたいな所にある施設に行って、友達に会いにいく。

 その友達はひいじいちゃんだった。

 ひいじいちゃんはいろいろなことを忘れて、俺がひ孫だなんて分からない。ひいじいちゃんの頭の中では、俺は近所に住む小さな友達ってことになっていた。

 ご近所にひいじいちゃんの存在を隠してるのは、まあ、なんとなく分かる。平気でベルカの話をするからな。

 家族のホラ話がうまいのは、このひいじいちゃんに合わせてだった。ひいじいちゃんの話はあちこち飛ぶから、それに合わせて話を組み替える。まるでライブみたいですごかった。

 世話って言っても定期的に会いにいって、会話らしい会話をする程度で、これはまだいいほうらしい。まったく会いにこない家族もいるって話だ。分かる気がする。

 俺にとってひいじいちゃんはとっくに施設にいたから、遠くにいる他人に思える。

 でも父さんにとっては、ひいじいちゃんの頭がはっきりしていた頃の記憶があるから、いろいろと複雑なんだと思う。

 母さんはよく付き合っていると思う。父さんと母さんの結婚は親戚連中、特にじいちゃんからあまり歓迎されなかったらしいけど、ひいじいちゃんが応援してくれたらしい。それの恩返しみたいだった。

 じいちゃんは父親のひいじいちゃんの世話を一切しない。父さんに丸投げ。多分ソリが合わないんだろうけど、このじいちゃんという人がものすごく厄介で、ひいじいちゃんと父さんを嫌いらしい。

 だから父さんが結婚相手として連れてきた母さんも嫌い。そうなると、父さんの子供も嫌いってことになる。会うたびにみんなの前でこき下ろされた。

 俺が街外れの工場で無茶な冒険をして熱を出したら、じいちゃんはこれ幸いとばかりに攻めにきた。

 お前たちの教育が悪い、あいつは駄目だ、いいのは見てくれだけだ、あの女と同じで、外で揉め事を起こす。

 もっと汚い言葉も言われて、さすがの父さんもブチ切れた。護身用の銃を持ち出して、じいちゃんに向かって撃とうとしたので、母さんが必死に止めた。それにビビッたじいちゃんの突撃はひとまずやんで、今は来ない。

 親子でここまでこじれているのはなんでだろうと思うけど、子供の俺には分からないなにかがあるんだろうな。

「ひいじいちゃんには俺が付き合うよ」

 父さんと母さんが施設の人といろいろ話をする間、ひいじいちゃんが散歩をしたがったので、俺が一緒に付いていった。広い庭に出ると、天気も良くて過ごしやすい。なにかの楽園みたいに思えたけど、みんななにかを忘れている。

 俺がここに来ることに抵抗がないのは、あの日の記憶が、なにかが欠けているからだと思った。少しだけ、ここにいる老人たちは俺と似ている。

 ひいじいちゃんは昔のことを喋り始めた。俺は「うん」とか「へえ」とか適当に相槌を打つと、話は勝手に進んでいく。

「話を聞いてるのか?」

「聞いてるよ。フォスフォなんとかってなに?」

 話し相手になるのも慣れてきて、最後に言った単語を聞き返すとまた話が始まるけど、今日はなんだかいつもと違う。施設の人が家族に「最近ちょっと…」と言っていたから、それ?

 話がヒートアップして、何度も「話を聞いてるのか!」と言われた。俺じゃなだめるのが難しい状況になってきたけど、こういう時は意固地になるから、下手に移動もできない。

「ベルカカットで加工された宝石をお持ちなのですか?」

 どうしようと内心オロオロしていると、優しい声が降りそそいできた。本当に、光みたいに。

 

   魔法の石

 

「そうです! 私の宝物なんです」

 物腰が優雅な紳士みたいな人はひいじいちゃんの隣に座って、うんうんと話を聞いてくれた。

 ベルカでカットされた宝石はベルカカットと呼ばれる。石全体のバランスを考えてカットされ、光を反射させることで、石の美しさをさらに引き出すので輝きが増し、市場では倍の値段がつくとかなんとか。

 ひいじいちゃんはベルカカットの宝石を持っていて、いつも持ち歩いている…って初めて聞いた。

 そういえば、小さなポシェットみたいなバッグを肌身離さず持ち歩いていて、それに下手にさわるとめちゃくちゃ怒られた。

 バッグにひいばあちゃんのブローチが入っているのは知ってる。てっきりそれだけかと思ったら、そうじゃなかった。

 機嫌を良くしたひいじいちゃんが、バッグの中から薬を入れるような小さなケースを取り出して、「ほら」と紳士に見せたのは、見た目も形もそろっていない小粒のやつばかり。

 まずい意味で「あっ」て思った。宝石かもしれないけど、値が張る物には見えない。

 でもひいじいちゃんの頭の中では、小粒のやつはすでに加工がされた宝石って認識らしい。

「一粒一粒が美しいですね」

 紳士は柔らかい笑顔のまま、話を合わせてくれた。輝きを閉じ込めて、宝石の魅力を最大限に引き出している。まるで光の粒のようだとベタ褒め。

「これにね。付けようと思うんですよ」

 ひいじいちゃんはあのブローチを取り出して、紳士に見せた。「これは……」って驚くような言い方をしたので、やっぱりこのブローチは本物なんだって思った。

「素晴らしい見立てです。きっと美しいでしょうね」

 また流れるように褒め言葉が次々と出てきて、そのお陰でひいじいちゃんの沸点は低くなった。いつも通りニコニコした顔になったから、どうやら危険な状況は去ったらしい。

 俺は紳士に向かって「ありがとうございます」とお礼を言うと、「中に入りましょうか」と紳士がひいじいちゃんに言ってくれた。

「宝石も十分光を浴びました。部屋で休ませましょう」

 その言葉にひいじいちゃんは素直に従ってくれたので、俺と紳士がひいじいちゃんの両脇をガードするようにして、部屋まで連れていく。ひいじいちゃんは途中で噴火を起こすことなく、なんとか無事にベッドまで連れ帰ることができた。

 まだ父さんと母さんは戻っていないし、ひいじいちゃんのことは見なくちゃいけないし、でも疲れたし、まいった。思わずデカいため息が出る。

「もう少し見ていますか?」

 見ず知らずの他人だけど、「良ければ…」と頼ってしまった。物腰が優雅な紳士は、座る時もまるで貴族みたいだった。

 赤の他人となにを話せばいいんだろうと疲れた頭で考えていたら、「まだ名乗っていませんでしたね」と紳士が喋り始めた。気まずい時間を作らないように、まるで見計らったみたいに。

「私はダニエルと言います」

 俺も慌てて名前を言って握手をする。

「宝石に関する物語を聞くのが好きなので、突然話しかけてしまいました。すみません」

「いえ、助かりました。一度噴火すると大変で……」

「よくお世話をしているのですね」

 どうやら褒められたようで、ちょっと嬉しくなった。

「いつもはあんな感じなんですけど…」

 ひいじいちゃんは小粒の石が入ったケースをベッドの上に出して、ニコニコと見ていた。たまにうとうとしている。

「あの小さな宝石たち、よくあれだけ集めましたね」

「あんなに集めているだなんて、知りませんでした」

「あのブローチに似合う石を集めて、加工しようとしたのでしょう。物は良いと思います」

「そうなんですか?」

「小さいとはいえ、集めるのは大変だったでしょう。ブローチの持ち主は愛されていたようですね」

 「多分、ひいばあちゃんのことだと思います」と言ってから、しまったと思った。こういう時は曾祖母と言うべきだった。

「我が家にもあのブローチと似たようなデザインの物がありましたが、今は行方不明なので、似た物がこういう形で大事にされていると、なんだか嬉しいですね」

「でもひい…曾祖母は身分違いの恋をして、失恋したから壊そうとしたのを曾祖父が止めたって話なので、そう言ってもらえると、こっちも嬉しいです」

 なぜか個人情報がすらすらと出てしまう。多分、疲れてるせいだと思うけど。

「ああ…身分違い……。まるで小説のようですね」

 紳士はなにかを納得したようだった。

「愛の証しとして渡った宝物は、それだけで価値があります。あれは美しいブローチになりました」

 突然詩人みたいなことを言うから、俺はどう答えていいか分からない。

「ある貴族の話として、こういうのを聞いたことがあります。異国の女性と身分違いの恋をして、結婚はできないからと、せめてもの愛の証しとして、家に受け継がれた宝石を渡したという話です」

「えっ」

「本来なら妻となるべき人に渡す物だったらしく、親と()めたそうなのですが、家のために恋は諦めるからと強引に押し切ったそうです」

「ええっ……」

「そういうロマンスはよくあることですし、宝石たちには華を()えます」

 いや、よくあることじゃないし。なんか麗しい話にしようとしてるけど、ちょっと待ってほしい。家の揉め事なのに、華を添えるという言葉はどこから来るんだ。意味が分からない。

 俺が顔をくるくる変え過ぎたせいかもしれない。紳士はこっちを見ながら微笑むので、俺の顔は赤くなっていく。

 そんな俺を気遣ってか、紳士が「ひいおじい様が寝たようです」と視線で示して、話題を変えてくれた。「あ、じゃあ、あとは一人でも大丈夫です」と俺が腰を浮かせると、紳士は座った時と同じように、音もなく優雅に立つ。

「では、良いお話を聞かせてくれたお礼に、これを」

 ポケットから小さいケースを取り出す。蓋の部分には多分カメオってやつだと思うけど、豪華な装飾があった。

 紳士が蓋を開けると、中には色とりどりの透明な粒が並んで入っていた。その中から無色のやつを渡される。ひいじいちゃんが持っていたのとは段違いの、キラキラした石。

「これは宝石、ですか?」

 紳士はふわっと笑うと、「ベルカカットで加工したガラスですよ」と言ったので、俺は「ですよね」と安心して、思わず大きなため息が出た。

「宝石がより一層輝くには、物語が必要です。価値の分からない者に収集されて死蔵されるより、輝くであろう場所へ撒いたほうが、宝石は命を得ます」

 また詩人のようなことを言われる。「はあ」と気の抜けた返事をしたあとで、「これ、本当にいただいていいんですか…?」と念を押すように聞いた。

「ええ、もちろん」

「ベルカカットってすごいんですね。ガラスが本物の宝石みたいだ」

「ガラスのままでも美しいですが、いつかそれをあげたいと思う人が現れたら、宝石に変わるでしょう」

「これがですか?」

 紳士のなぞなぞみたいな言葉も詩のようで、さっぱり分からない。それでも、手の中にある小粒のガラスはキラキラ輝いているのは分かる。

 なんとなくジッと見ていると、空気を読んだ紳士は「それでは」と言って、部屋からするりと出ていった。

 入れ違うようにして父さんと母さんが帰ってきて、母さんに「どうしたの?」と聞かれる。ここに他人がいました、なぜかガラスの粒をもらいましたと言うわけにもいかない。

 手の中にあるガラスの粒を強く握ったり弱く握ったりしながら、「ひいじいちゃん寝たよ。あのバッグどうしよう」と話題を振った。

 父さんと母さんはベッドに近寄って、ケースはバッグにしまおう、毛布をかけようと喋り合っている。

 ……良かった。なにも気づかれていないっぽい。

 ふと廊下を見ると、パタパタとスタッフが世話しなく動いていた。俺がチラチラと廊下を見ているので、母さんが近づいてきて「お金持ちの人が危篤みたいね」と言った。

「高い部屋に入ってる人?」

「うん。さっきから親戚の人とか、出入りが激しいみたい」

 父さんもひそひそと会話に参加する。

「ルートヴィヒって言ったかな。うちのひいじいちゃんとも、そこそこ仲が良かったみたいだけど…」

「へえ」

 それじゃあ、あのダニエルって紳士も親戚の人だったのかな。まさかね……って思ってから、今更だけど、ガラスの粒はそれなりに高いものだろって、ようやく気づいた。

 なんで受け取っちゃったのか。疲れてたし、普段出会わない貴族みたいな人だったし、完璧に空気にのまれた。

 あの紳士、俺とひいじいちゃんに近づいた時も、座る時も、立つ時も、とにかく無駄がない。いつのまにかするりと動いていた。

 父さんと母さんが来る前に、まるで計ったかのようにスムーズに入れ替わって、そういう動きを身につけた人なんだと思う。

 名前は…あれ? 名前しか聞いていない。名字も住所も聞かなかったから、返す当てがない。仕方がないからポケットにしまう。

 この小さな秘密が、どこか曖昧なあの日の記憶を埋めるような、曖昧さへの不安を上書きするような、不思議な出来事だった。

 

   ある日の狐

 

 ワイズマンはオーシア空軍のエースとして知られていた。その人に抜擢されたからとフーシェンは気が張っていたし、スラム出身だからなめられてはいけないと気負い過ぎた面もある。

 所属部隊の隊長であるワイズマンがなにかと相手をしたものの、今度の新入隊員は上昇志向が強く、コミュニケーションに棘があって、少々扱いづらい。そんなふうな印象が固まる前に、ストライダー(ワン)がフーシェンにそれとなく声をかけた。

 ——今度、新しいフレーバーが出たんだ。お金渡すから買ってきてくれよ。

 ——ゼロカロリーとそうでないの、間違えるなよ。メーカーを間違えた時と同じくらいに険悪になる。

 なぜかサイクロプス隊とストライダー隊とでは、飲むコーラのメーカーが綺麗に分かれていた。

 フーシェンはサイクロプス隊に入る前、ワイズマンから好きなコーラはなにかと聞かれたことがあった。素直に答えたら、それはワイズマンが好むメーカーと同じものだった。

 サイクロプス隊とストライダー隊の人選は、コーラのメーカーによって決まる。そんな噂があるが、あくまで冗談の域。

 が、隊長たちは新しいフレーバーが出ると、すぐに買って飲み比べる。あながち嘘ではないのではとフーシェンは思っていた。

「で? ストライダー隊は全員赤ラベルでいいのか」

 カウントは赤ラベル。フーシェンは青ラベル。二人はコーラの五〇〇ミリリットルのペットボトルを、両手に二本ずつ持っている。

「ああ。それでいい」

 任務中のフーシェンとカウントの軽快なやり取りを聞いていたワイズマンが、長距離戦略打撃群、通称ロングレンジ部隊の初任務成功後のデブリーフィングが始まる前に、みんなにコーラを買ってきてほしいと二人を指名した。

「じゃあ戻るか」

 八月五日。第四四四航空基地飛行隊は、自分たちが所属する基地の司令が乗った輸送機の護衛任務中に謎の無人機と遭遇し、これを撃墜。

 その後、所属不明の無人機の説明をするということで、第四四四航空基地の面々は、サイクロプス隊とストライダー隊が所属するニューアローズ航空基地に降り立った。

 ユージア大陸東部の島にある基地で補給と整備を終えると、なぜか第四四四航空基地の司令は急遽前線へ、それ以外の者は当初の予定通り極東部の基地へ異動した。飛行隊のパイロット二人は、調整中として待機になった。

 時を同じくして、サイクロプス隊とストライダー隊は再編されてロングレンジ部隊となり、中隊長としてワイズマンが就任。もともと両隊は本隊とは切り離された長距離任務が多かったが、本格的に長距離に特化した特殊戦略部隊となった。

 エルジア王国軍の無人機による自動邀撃(ようげき)システムの警戒網の穴を探る。その瀬踏み任務をこなしていた部隊のお陰で目途(めど)がつき、ロングレンジ部隊はエルジア領内に深く侵攻し、重要標的を攻撃しつつ、進行ルートを切り開くという。

 そこで欠員となった隊員の補充のため、両隊に新規加入することになったのが、第四四四航空基地飛行隊のトリガーとカウントというパイロット。ワイズマンが無理を承知で希望したらしい。

 二人を調整中として基地に待機させたのは、いわば引き抜きをおこなうため、ワイズマンがいろいろと手を打ったのだろうとフーシェンは理解した。

 補充が必要となった原因はストーンヘンジ。ユリシーズと名付けられた隕石の落下してくる破片を打ち砕くため、開発運用された超巨大な地対空レールガン。

 大陸戦争では旧エルジア共和国軍に軍事転用され、独立国家連合軍(ISAF)によって破壊された。現在では放置され、巨大遺跡と化している。

 そのストーンヘンジの今の状況を偵察するため、サイクロプス隊とストライダー隊が任務を遂行した。

 そこで二人の隊員、ストライダー1とサイクロプス(ツー)が犠牲になった。

 ストライダー1はいつもの明るい口調で大丈夫と言いながら無茶をして、皆を逃がしている間に撃墜された。サイクロプス2はインシー渓谷で、例のエルジア軍の実験飛行隊のミスターXに墜とされた。

 ストライダー隊の新しい隊長にはベテランのイェーガーがなる。フーシェンはそう思っていたが、ワイズマンが指名したのは予想外の人物、渓谷でミスターXと戦って生き残ったトリガーだった。

 腕の良さならフーシェンも納得している。彼のお陰で、無人機とミスターXがいる戦闘空域から離脱し、生き延びることができたからだ。

 八月十日のロングレンジ部隊の初任務、大陸北方のスナイダーズトップ周辺海域にある大型補給基地と、そこに集結している敵主力機動艦隊の殲滅作戦でも、トリガーは腕の良さを披露した。

 隊長としての指揮能力があるかどうかは、未知数な部分が残るが。

 そしてサイクロプス隊には、トリガーと同じ飛行隊に所属していたカウントが二番機になった。

 部隊が違うとはいえ、トリガーは一番機。自分は二番機という状況にカウントは作戦中、「お前がナンバー1で、俺がナンバー2とはな」と言い、「ああ、いいさいいさ。そうしてくれ」とあからさまな不満を示した。

 これは跳ねっ返りが来たかと、フーシェンは内心楽しくなる。

 突っかかるような物言いをしたり、連携して飛ぶことに慣れていないカウントに、ワイズマンは指導的なことを言って手綱を引いた。それが少し楽しそうだったからだ。

「サイクロプス隊が全員青ラベルとは、綺麗に分かれてるな」

「ストライダー隊もコーラは好きだが、うちは青ラベル派だ。向こうは赤ラベル派。覚えとけ」

「はいよ」

 二人が並んで歩いていると、「なあ」とカウントは隣のフーシェンに声をかけた。

「初めてこの基地に降りたあと、ワイズマンにどのコーラが好きか聞かれたんだが、もしかして部隊の振り分けのためか?」

「なんて答えたんだ」

「俺は青、トリガーは赤。そしたらこれだ」

 思わずフーシェンは笑い、「ちゃんと前の部隊の戦果も考えたんだろうよ」と答えた。「へえ、そうかい」とカウントは少しばかり苦そうな顔をする。

「でも、意外と本当かもな。あたしも青って答えたら、サイクロプス隊になった」

「まさかと思うが……」

「なんだ」

「エンブレムの色、サイクロプス隊が青系でストライダー隊が赤系なの、理由はそれか? ストライダー隊は、厳密には紫だろうが」

 そこまではフーシェンも思い到らず、「それは気づかなかった」と素直に感心する。

 「ほんとか?」とカウントがいぶかしんでいる間にブリーフィングルームに到着し、皆にコーラを配った。その間に、フーシェンはちらりとカウントを見る。

 髪が少し長めの癖毛の金髪は、あの日の少年を思い出す。声変わり前で一瞬女の子のように見えた、君は狐みたいだと言ったあの少年。一緒にチョコを食べた子供。

 TAC(タック)ネームをフーシェンにしたのは、なんとなくあの少年の言葉を思い出したから。

 ——修業した狐は、フーシェンっていうのになるんだってさ。

 今思い返すと、少しばかり甘酸っぱい。

 しかし、今近くにいる新入りは普通の男性で、お洒落を気取った無精髭を()やしている。なにより口が達者で、あの少年からは程遠い。どちらかというと、前のストライダー1を思い出す。

 あの少年があのまま成長したのなら、普通に大人になり、普通の人生を歩んでいるはず。こんなふうに、斜に構えた人間にはなっていないだろう。

 あれをきっかけに自分の人生は転機を迎えた。フーシェンはそう思っている。

 で、あるならば。

(あたしのほうが普通になって、あいつみたいな奴のほうが後ろめたくなっているってこと、あるんだろうか)

 そう思いながら、フーシェンはあの日の少年の隣に座ったようにカウントの隣席に座ると、青ラベルのコーラを渡す。それから自分のペットボトルの蓋を開けて飲む。甘かった。

 

   ある日の伯爵

 

「みんなからのお見舞いのフルーツ盛り合わせ、ここに置いとくな。賄賂として病院の人に分けといて」

「あからさまに言うなよ」

 十一月一日。トリガーは縦横無尽に動き回る無人機のフギンとムニンとの戦いに勝利し、空母アドミラル・アンダーセンに無事帰艦したものの、疲労困憊。機体から降りる時は、助けが必要なほどだった。

 体にハーネスの痕が残り、内出血している部分があるのはいつも通りだったが、念のために検査入院をした。結果、異常なしということで退院。

 一方、軌道エレベーターの真下に胴体着陸をしたカウントは救助され、重症ではないが怪我を負っていたので、こちらも入院。緊張の糸が切れたのと疲労が一気に来たらしく、入院中に熱が出たので、退院が少し長引いていた。

 あとはマスコミ対策。海底トンネルに飛び込んで無人機を倒し、一人は軌道エレベーターの風防から脱出、一人は胴体着陸。曲芸飛行もかくやという話題は、マスコミの格好のネタ。そのパイロットたちの正体を探るために、マスコミは躍起になる。

 だが入院している間は、マスコミもさすがに近寄れない。なので、もう少し入院してもらったほうが、軍には都合がいいらしかった。

「では、依頼された調査の件の結果発表をします。その手の裏のコネを持っていそうな親戚に、短期間で頑張ってもらいました。はい、拍手」

 トリガーにうながされ、病床のカウントは適当に拍手をする。

 以前のトリガーだったら、はい拍手などとは言わない。ずいぶんと砕けたような、よく喋るような。この戦争で変わったように思えた。

 元ベルカ公国領のノースオーシア州出身という複雑な立場ゆえに、トリガーは彼以外の誰か、善良なベルカ系オーシア人という役を演じていたように感じた。薄く強固な膜があった。

 それはカウント自身も同じ。詐欺は嘘をつき、相手をだます。自分ではない誰かを演じるということ。

 母方の親族は遠方にいることもあり、たまにしか会えなかったが、母方と比べると比較的近くにいた父方の親族が、ある意味で嵐のようだった。

 父方の曾祖父は海の男で、祖父は反発するように陸の男になった。そんな彼らと距離を置くように、父は違う方面に行った。カウントにとっての進路基準は、彼らのしがらみがない所だった。

 それと、環太平洋戦争で聞いたウォードッグやラーズグリーズという空の部隊の名前が、頭の片隅に残っていたのもあった。きっかけはいつだってぼんやりしたもの。

 学校演劇での伯爵家の末裔役がウケたという理由だけで、カウントは進学先のクラブ活動は、スポーツ以外にも演劇部に入ったりした。

 祖父はスポーツの試合は見にこなかったが、なぜか舞台だけは見にきた。会えば必ずけなす人が、これだけは驚くほど褒めてくれた。

 父方の祖母の話はあまり聞かないが、父からは「国中を回る舞台女優だったんだよ」と聞かされた。外見はいい。()め事を起こす。舞台女優。散りばめられたキーワードで、カウントはいろいろと察した。

 が、いまだに深い部分を聞いていないし、聞く勇気のようなものはない。

 自分以外の誰かを演じると称賛される。特に集団で権威ある人、辛辣な人から評価されるという原体験は根深い。

 だからこそ、カウント自身を真っすぐ見て褒めてくれた、長距離戦略打撃群の中隊長ワイズマンの存在は大きかった。

 最初はこそばゆいものがあったが、ふとした会話の流れで二〇二〇年まで内緒だと言われて、ヒヨッコ時代にあのウォードッグと飛んだことがあるとワイズマン自身から教えられた時は、小さな秘密を共有したようで嬉しかった。

 ワイズマンはトリガーのことも、ハーリング殺しという肩書以外の部分をきちんと見ていた。彼も自分も少しずつ変わっていくきっかけを得たのは、おそらくそれが大きい。カウントはそう感じていた。

 おたがい、今度の戦争で薄くて堅い膜が取れた。だからこうして、ダラダラした友達付き合いのようなことをしている。

「まずは預かった物を返す。はい」

 トリガーはデイバッグから小さな裸石(ルース)ケースを出し、カウントの手に乗せた。カウントが置いてある場所を教え、トリガーがベルカの親戚へ送った品。

 お前は信用できて口が堅そうだからと、カウントは鑑定できる人間を探してくれとトリガーに依頼した。そして例の小粒のガラスをもらった時の経緯を教え、もともとの持ち主が分かるなら知りたい、とも。

 当てはあるかもとトリガーは親戚を頼った。いわく、盗品の可能性があるからと。その言葉を聞いた時、カウントは一笑に()したのだが——。

「それ、本物のダイヤだとさ」

 口をあんぐりと開けてから、カウントは声を抑える努力をしつつ、「ガラスじゃないのか!?」と驚きの声を上げる。

「ダニエルやルートヴィヒって名前を頼りに捜したら、この中に該当するのがあるだろって言われた」

 スマートフォンを取り出したトリガーは、画面をタッチして操作し、カウントに渡す。画面に表示されている記事をカウントは読んだ。

「……ルートヴィヒ・コレクション?」

 ルートヴィヒ・コレクションとは、ベルカ貴族であるルートヴィヒ家が集めた美術品のこと。時の政府に肩入れすることで隆盛を極めたルートヴィヒ家は、ベルカ戦争を機に没落。

 コレクションは生活のために切り売りされ、あるいは一族の誰かが強引に持ち出し、あるいは戦利品として強奪されて、国内外に散った。

 今はベルカが国として交渉し、買い取って集めているが、闇ルートで売りさばかれているのもあるため、収集には苦労しているらしかった。

 トリガーに手を出され、スマートフォンを返すようにうながされたので、カウントは「それで?」と言いながら返す。

「行方不明品として公表されてる中に、お前が話したのと似てるやつがあるかもって話。ほら」

 トリガーはさらにどこかのサイトに行き、お目当てのページを見つけると、カウントに見せる。蓋にカメオの装飾がほどこされたジュエリーケースの画像がいくつかあったが、その中にカウントがあの日見た物があった。

「これだ! あの箱!」

「いろんな色のダイヤを詰めたやつらしいんだけど、今は行方不明になってる。最後の持ち主の死亡とともに行方不明っていうの、よくある話っぽい」

 最後の持ち主が、父方の曾祖父が入っていた施設に一緒にいたルートヴィヒという人だとしたら。

「それで、今の持ち主はダニエルって人……?」

 譲ったのか、奪ったのか、盗んだのか。カウントには判断がつきかねた。当事者にしか分からない。

「そのダニエルって人。もしルートヴィヒ家の人間なら、該当する人間が一人いる」

 トリガーはまたどこかのサイトに行くと、ある人物の顔をアップにしてからカウントに画面を見せた。

「名前はダニエル・ルートヴィヒ。ベルカ戦争を生き残った元ベルカ空軍のエース」

 カウントの喉の奥から変な音が出る。恵まれた容姿。優美な雰囲気。明らかに上流階級と分かる装い。「ビンゴ?」とトリガーが聞くと、カウントは首を縦に振った。

「それでここからは推理ごっこ。多分その人は、本物と分かっていて、お前に宝石を渡した。ガラスっていうのは嘘」

「でも言われたんだよ。ガラスのままにするか、宝石にするかはお前次第って」

「宝石が輝くには物語が必要、だっけ?」

「詩人みたいなやつな」

「価値の分からない人間には渡したくない。だったら、物語を与えてくれる人間に渡したほうがいい。そこから判断すると、多分お前は選ばれた」

「……貴族の考えることはさっぱり分からん」

「物語っていうオプションが付かない宝石は、その人にはガラスと同じなんだろ」

「でも、ガラスのままでも美しいって言ってた」

「そのへんの価値観が独特でさっぱり分からないから、もしまた会えたなら聞いとけ」

 即座に「会えるのか?」とカウントが聞くと、トリガーは「どうかな」と言いながらスマートフォンをしまった。

「戦犯で捕まって出所したあとは、世界中を旅しているから居所がつかめないってさ。死んだって情報はないらしいけど、実質行方不明」

「宝石バラ撒きながら旅してるなら、分かりそうなもんだけどな」

「貴族には貴族のルートがあるんだろ。あと、お前みたいに言わない奴を選んでいるのかもしれないし」

 その推理を聞いて、カウントは腕組をしてしかめっ面をすると、「貴族ってなんなの」とこぼす。「それは俺も聞きたい」とトリガーは少し笑いながら言った。

 大きなため息をついたあとで、カウントは「ありがとな」と礼を述べる。

「請求書、回しといてくれ。払うのは退院したあとになるけどな」

 トリガーはバッグから「はい、必要経費の請求書はこれ」と封筒を出して渡した。「はいよ」とカウントは答えたあと、「必要経費以外の金はいいのか」と聞く。

「あと、高いエルジアワインが一ダース欲しいってさ」

「現物支給か」

「店で出すらしいよ」

「タダで手に入れて、それで儲ける気か?」

 「そうかもね」とトリガーは笑う。

 カウントは改めて、本物の宝石と言われた小さな粒を見た。この石を使って人をだましたことがある。女性をその気にさせたことがある。そして数奇な縁で、ここにたどり着いた。

「一夜でガラスから宝石に変わったみたいで、魔法の石だな」

「売ると相当高いってさ」

「生活が苦しくなったら考えておく」

「すぐに売りたいから、調べてくれって頼んだんだと思ってた」

 少し驚いた顔でトリガーがそう言うと、カウントは鼻を鳴らして「違う」と答えた。

「誰かにあげるのか」

 「それはまだかな」と意味深な言い方をすると、トリガーも「へえ」と意味深な返しをする。これ以上カウントから情報を引き出せないと察したのか、トリガーは「早く退院しろよ」と席を立った。

「だったら上に言ってくれよ。入院してれば病院が守ってくれるからって、横着し過ぎだ」

「だから賄賂持ってきたんだろ。それ、一応経費で落ちてるからな」

「嘘だろ。だったら俺が食べる」

 その答えにトリガーはハハッと笑い、「また来る」と告げて病室を出ていった。

 静かになった病室で、手の中にあるケースをもてあそぶ。これを使ってグレーゾーンぎりぎりで一儲けできる。以前の自分ならそうしていただろうが、今は静かに手元に置いておこうとカウントは思った。

 ベッドサイドのキャビネットの引き出しを開け、トリガーから受け取った物をまとめて入れると、ちょうどノックする音が聞こえた。

 フーシェンが病室の中をうかがっていたので、「どうぞー」とカウントがうながすと入ってくる。ベッドの横に置かれたフルーツの籠を見て、「トリガー、来てたのか」と言った。

「さっきまでいたぞ。会わなかったか?」

「ぜんぜん。入れ違いだな」

 フーシェンは籠の中を見ると、「これ、みんなで試食しながら選んだんだ」と楽し気に語った。

 暦はまだ十一月。停戦合意には到っていないものの、今のユージアは厭戦ムードと終戦ムードが混ざった、奇妙な状況になっていた。

 敵味方を越えて集まった有志連合が、アーセナルバードの残り一機を墜とした影響が大きかった。これさえ手中にあれば、戦略的優位が保てる。そう思われた駒がなくなったことで、オーシアもエルジアも強制的に今後を立て直すことになった。

 その狭間でまだ戦い続ける兵士、戦後に向けて活動を始める兵士もいたが、入院中のカウントは暇だった。そこを気遣うのは部隊の仲間たちだったが、トリガー以上に気遣ってくれたのはフーシェン。こまめに見舞いに来てくれた。

 カウントは前のストライダー(ワン)と似ているところがあるらしく、それでいろいろと気にかけているようだった。おそらく、無茶をして死なないように。入院中の今は、暇を持て余して暴れたり脱走したりしないように。

 彼自身はそんな気はないが、フーシェンから見るとそんなふうに見えるらしかった。いわく、「トリガーと一緒に海底トンネルに飛び込んだ大馬鹿野郎は、どこのどいつだ」と。

 そういう彼女は、野山を駆け抜ける狐を思わせる容姿で、口が悪く、手も早くて、情に厚く、裏表がなくて、向上心がある。真っすぐで強い人間。

 フーシェンとはよく口喧嘩のような会話をするので、「なんか漫才コンビみたいだな」とトリガーに言われた時は、むしろこいつはそういう冗談を言える奴だったのかと、そっちのほうに驚いた。

 ——いつかそれをあげたいと思う人が現れたら、宝石に変わるでしょう。

 気づかなければ、動こうとしなければ、ガラスはガラスのまま。それはそのままでも美しい。それを是とするか否とするか。

「トリガーから、賄賂として病院の人に分けとけって言われたよ」

「露骨なことを言う奴だな。意外だ」

「でも渡されたのは俺だから、俺が食べる」

 続けて「どれか食べるか?」とカウントが聞くと、フーシェンは戸惑った。

「半分くらい残ってりゃいいのさ」

「……じゃあ、マスカット」

 その答えを聞いたカウントは、さては試食でこれを選んだなと察する。「ほら」とマスカットが入った包装用ネットごと、フーシェンに渡した。

 「さすがに全部はいい」と慌てたフーシェンは、ベッドの脇にマスカットを置く。何粒かつまんで、「これは皮ごと食べられる種なしで、普通のより甘いんだ」とカウントの手のひらに置いた。

 その時カウントの脳内で、あの日、廃工場で一緒に逃げた不良の子からチョコを渡された、霞がかった記憶が呼び覚まされる。

 ——大丈夫。普通のチョコだ。

 渡されたマスカットの粒を一つだけ口に入れる。本当に皮ごと食べることができて、甘かった。

 あの日食べたチョコの味は覚えていないが、これは——。

「本当だ。甘い」

 これから刻まれる記憶の一つ。

 

END

 

   備忘録

 

脇キャラについての解説です。

 

サイファー:ZEROで登場。主人公。

 

ドミニク・ズボフ:ZEROミッション10マーセナリーで登場。アサルトレコードNo.069。TACネームはトート(死)。

 

ダニエル・ルートヴィヒ:ZEROミッション8ベータ方面隊で登場。アサルトレコードNo.060。7代続いた貴族の家柄。

 

ウォードッグ隊:5で登場。主人公が所属する部隊。

 

   後書き

 

ベルカカットのモデルはドイツカットです。『回憶(かいおく)』は中国語で『思い出』を意味するそうです。


 
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