TINAMIX REVIEW
TINAMIX

多重人格探偵サイコ オウム真理教的、宮崎的

■『サイコ』、暴走する悪意

告白してしまうと、俺は長いあいだタイトルだけを見て、『多重人格探偵サイコ』は低年齢層向けの作品なのだと思いこんでいた。『名探偵コナン』みたいなもんだと思いこんでいたのだ。「TINAMIXの暗黒番長」を自認する俺としたことが、全くもって不覚の極みである。もし同じように思っている人がいたら、是非一度手に取ってみて欲しい。この作品は、大人が読んでも十分楽しめる作品に仕上がっている。というより、「子供にこんなん読ませて良いのか?」という域にまで踏み込んでいる(もちろんだからこそ子供にも読んで欲しいのだけど)。ある意味、「21世紀の『デビルマン』」とさえ言えるかもしれない。凄いのである。

では、どこがどう凄いのか。この作品中では猟奇的な殺人事件が次々に起こる。しかも、単なる猟奇殺人ではない。明らかに神戸の酒鬼薔薇事件を思わせる殺害方法が冒頭から登場し、先だっての池田市の児童殺傷事件もびっくりの大量殺人が発生する。作中の犯罪にこめられる悪意は次第にエスカレートし、加速していく。実際の事件を想起させる殺人を冒頭に書き込んでしまった以上、それより凡庸な犯罪を描くわけにはいかないからだ。ここに描かれるのは、果てしない悪意のスパイラルなのである。

この作品を読んでいると、「実際の犯罪なぞプロの作家の想像力の前では実に凡庸なもんでしかないんだな」、と痛感させられる。しかもはじめに出てきた犯罪者は次の犯罪者によっていとも簡単に殺害され、その犯罪者もまた後から来た者によって凡庸さを嘲笑されてしまう。『サイコ』のストーリーは今もなお暴走・迷走を重ね、エスカレートを続けている。読者によってはあまりの迷走ぶりに、逆ギレして投げ出してしまう者さえいる。「21世紀のデビルマン」と俺が思う所以である。

それだけではない。ふつう犯罪とは、なんらかの特殊な欲望なり心理なりに支えられている、と俺たちは考えがちだ。ところがこの作品では、どんなに異常で「個性的」な犯罪であろうとも、犯罪者は単に犯罪行為を「させられている」だけに過ぎないことが喝破されてしまう。要するに彼らは「個性的」な犯罪を犯すよう強いられただけで、実は凡庸な人々に過ぎないのだ。そして彼らの背後には、鉄壁のごとき「ゲームの規則」があることが次第に明らかになっていく。このあたり、単なるサイコサスペンスの域を超えて、この作品の射程は深い。

図1【図1】
『サイコ』に描かれる殺人の現場。大塚の身体表現に関する主張を反映し、死体はかなりリアルに描かれている。

『多重人格探偵サイコ』より
(c) 田島昭宇/大塚英志

■ゲームの規則、その系譜

ある人間が突出した存在であろうとして行動するが、実はその行動自体が「ゲームの規則」に従ったものでしかない、というパラドックス。大塚が原作を担当した作品には、こうしたパラドックスが再三描かれている。例えば『東京ミカエル』を振り返ってみよう。巨大な壁によって隔絶された東京が、この作品の舞台である。そこには17歳の少年・少女だけが集められ、定期的に「ティーチャー」の襲撃を受けて殺害されている。この「ティーチャー」の襲撃から逃れて18歳になると、今度はその子供が「ティーチャー」になるらしい。登場人物は互いに殺し合ったり庇護しあったりしてサバイバルしている。つまり、誰もがこの閉鎖都市の中で「突出した存在」であろうとしているのだ。

ところが、登場人物はさまざまに合従連衡を繰り返すが、なぜか「サバイバルゲームの規則」そのものを変えようとはしない。「大人になって閉じこめられている子供たちを解放しよう」とか、「大人たちの社会を内側から変えよう」などとは微塵も思わないのである。終盤、唯一例外的に数名のキャラクターが「17歳の叛乱」を企て、ゲームの規則を変えようとするものの、いずれも挫折に終わって物語は終わる。「ゲームの規則」は鉄壁のごとき堅牢さを見せつけるのである。

『東京ミカエル』の姉妹編にあたる『JAPAN』では、さらに強固な「ゲームの規則」を見ることができる。「JAPAN」とは地図から消された幻の国。主人公は「JAPAN」の皇帝・ミカドの血を引くとされ、突然拉致されてその位に就くことを強要される。ふつう平凡に生活していてこんなことを強要されたらかなり悩むと思うのだが、主人公の葛藤は何故かほとんど描かれることがない。そしてこの作品は、主人公が「JAPANへ行こう」と決意するところで唐突に終わってしまう。なぜミカドがJAPANの支配者なのか、なぜミカドの血筋が大事なのか、そしてなぜ主人公はミカドになろうと決意したのか。これらは一切不問に付されたまま、物語は終わってしまうのである。

初期の大塚作品では常にこの「鉄壁のごときゲームの規則」が描かれ、登場人物はそれを逸脱しようとしない。このため、さまざまな起伏を孕むストーリーが展開するにもかかわらず、いずれも奇妙に平板な印象を与える作品になっている。『多重人格探偵サイコ』もまた、こうした作品の延長線上にあるが、ただひとつ、それまでの作品とは大きく異なるポイントがある。『サイコ』の登場人物はいずれも「ゲームの規則」の存在を意識しており、懸命にそこから出ようとするのである。そのもがき方は一種異様で、ときとして「暴発」としか呼びようのない行動を取ることすらある。この一点で、『サイコ』は従来の大塚作品とは、大きく趣を異にしているのである。

『多重人格探偵サイコ』
田島昭宇×大塚英志(大塚英志事務所)。角川書店刊、1〜6巻既刊。『少年エース』連載中。
(c)田島昭宇
大塚英志
『デビルマン』
永井豪&ダイナミックプロ。連載当時のままにまとめられた「完全復刻版」(全5巻)と、大幅な加筆・修正を施された「講談社漫画文庫版」(全5巻)がある。いずれも講談社刊、写真は講談社漫画文庫版。
(c)永井豪
ダイナミックプロ
『東京ミカエル』
連載打ち切りのあと長らく単行本化もされずに放置されていたが、2000年に完結編を集中連載、現在は単行本化されている。大塚英志+堤芳貞、角川書店刊。上下巻(完結)。
(c)大塚英志
堤芳貞
ゲームの規則を変えようとする
まさにコントローラを握っての「叛乱」。この「十代の叛乱」は、2000年に再開された完結編で描かれている。
『東京ミカエル』より
(c)大塚英志/堤芳貞
『JAPAN』
大塚英志×伊藤真美、角川書店刊、全3巻。
(c)大塚英志
伊藤真美
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