TINAMIX REVIEW
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日本マンガ学会 第一回総会・大会レポート

大会の参加者は、のべ300人を超えていた(初日171人、二日目171人)。大学に籍を置く人や在野の評論家だけでなく、出版社や印刷会社、コンピュータ・ メーカーの社員といった 人々の姿もあった。また研究者の多くは若手・大学院生で、その専門領域もさまざまだった。それだけ「マンガ学会」に対する関心の広さを感じたのだが、そうした関心(たとえば、 マンガに関連するビジネスの契機を探るような)の幅広さと、今後、マンガ学会で行われるであろう「研究」の内実は、どこまで接点を持ち得るのか? という疑問も同時に生じた。

これはなにも、 マンガ研究の学としての純粋さを主張しようというのではない。また、学会は研究に関係する人だけの場であるべきだというのでもない。そうではなく「マンガ」に ついてのさまざまな関心をひきつけ、それに応えうる機関が他になかったこと、そして現在のところ、その機能を担うのが「マンガ学会」しかないということを指摘したいのだ。たと えば「 マンガと著作権」という問題について考えれてみればよく分かる。特定の企業などの利害から自由で、かつ原理原則まで遡った研究や議論が可能な場が他にないということ だ。

これはむしろ、マンガ学会の可能性でもあり、同時にこの学会が設立と同時に抱えた「困難」のあらわれと考えるべきではないだろうか。つまり、マンガ学会には「やるべきことが多 すぎる」ということなのだ。

7月の設立大会レポートに、 「マンガ学会」というのはオーソライズさ れたアカデミックな研究機関ではなく、む >しろ「マンガの研究・評論」とはどうある べきかを考えるための実験場のようなもの>として 考えるべきなのだろう。 と記されている通り、学会での論議の基調には「マンガ」という対象にどう取り組むのか、どう関わっていくべきか、ということが常にある。それは、そこからはじめなければならな いことを意味するのだが、同時に、これまでのマンガ学会 (あるいは学術的マンガ研究)に関する報道が、どうにも曖昧な、結局のところ「学会発足」が事件であること以上のこと を伝えるでしかないことの要因ともなっている。

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今回の大会も同様で、具体的な対象についての議論よりも、もっと大枠の「マンガ」というジャンル全体を対象にした議論が多くなされた。しかも、方法論についての議論が先行して いたという印象が強い。もちろん、そうせざるを得ないからそうしていると考えたほうがいいのだが、であれば、これもまたマンガ学会が抱えた「困難」であるだろう。さらにいえ ば、ここには、マンガ「研究」という本来はひじょうにクリアに行われる筈の営為を、何か茫漠とした、よく分からないものに見せているものがあるように感じられる。それは「マン ガ」を「研究」する側に立ったとき、私たちが必然的に持たされるアンビヴァレントの存在ではないだろうか。ようはこういうことだ。私たちにはマンガを研究する「方法」の確立が 必要だ。だからそれは模索する。しかし、確固たる「方法」を成立させたならば、それは抑圧的に働き、本来見るべきもが見失われるに違いない。だから「方法」も「対象」も曖昧な ままにしたほうがいい。……という相反するふたつの心理が衝突しているということだ。 マンガ学会は「これまでにない、開かれた学会」という理念を強調し、実際の制度としてもその方向で運営している。そのことはいい(というよりも、その是非を問う段階にはまだな いと思う)。だが、その姿勢は「学会」という器に茫漠としたわかりにくさももたらしてはいないだろうか。

そしてその不定形なとらえどころのなさの背後には、上に記したような内的な「衝突」があるように思う。さらにこの衝突は、一般の(とくにある世代の)マンガ読みにときに見られ る、「マンガは猥雑なもので、アカデミズムやアートの手が触れるとその活力を失う」という言説と、その背景にあると思われる、これもまた漠然とした「怖れ」と表裏一体のもので はないのだろうか。そして、この「衝突」や「怖れ」は、マンガの側にも、マンガをとりまく諸々の制度や社会の側にも存在し、マンガの内外からこれまで「マンガ研究」の成長を妨 げてきたのかもしれない。

今回、夏目房之介氏は講演のなかで自著『夏目房之介の漫画学』に触れ、「かつては漫画”学”は冗談という体裁でしか出すことができなかった」という意味のことを語った。また、 総会のレセプションの挨拶では、30年前、京都精華大学でマンガを教えるクラスを設立した際、当時の文部省から「大学にマンガとはいかがなものか」という呼び出しがかかり、大学 側からの弁明が必要になったというエピソードが紹介された。

京都精華大学にマンガクラスが創設されたのは、1973年のことである(京都精華短大美術科にデザインコース・マンガクラス創設)。また、当時からマンガに関わる人々の間で「マン ガ研究」の必要性がささやかれることはあったという。しかし、それを流通させる回路も、場を保証する制度も、当時は作ることが不可能だったわけだ。

つまり「マンガ研究」は、マンガというジャンルの成長曲線に比べ、あまりにも遅れてあらわれてきたのである。さらに今日、ようやくマンガ研究がアカデミックな場所で可能になっ たことの背景には、「学」の側の自己批判がある。それは学みずからの「方法」の再検討を伴うものだ。このこともまた、マンガ研究というものの姿を見えにくいものにしている。そ れでも、私たちははじめなければならない。それが可能になったことが、逆に「困難」を招き寄せる、そうした逆説的な構図があるのだと思う。 >>次頁

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