TINAMIX REVIEW
TINAMIX
2000年の学術的漫画研究の動き

●「漫画は読まれていない」

つまり、「研究」という行為を通じて、漫画を「読まない」、あるいは、普段から漫画に積極的に親しんでいる私たちと同じようには読んでいない人々と「漫画について」コミュニケーションを持つことが可能なのである。また、そうした「外」の人との接点は、近年、ひじょうに増えてきている。具体的には外国人であり、教育や行政の関係者である。たとえば、平成10年12月に出された、中学校学習指導要領の美術の項には、「表したい内容を漫画やイラストレーション、写真・ビデオ・コンピュータ等映像メディアなどで表現すること」という一文が盛り込まれている(施行は平成14年4月1日)。

こうした状況を前提に考えると、11月の「絵本学会+日本アニメーション学会+日本まんが学会設立準備会 三学会合同シンポジウム」は、いささか散漫なものに終わったのが残念だったが、漫画を「読まない」人々に向けたアピールとして意味のあるものだったのではないだろうか。

TVなどで報道されたことだけでなく、絵本学会、アニメーション学会との合同シンポジウムであったことが重要だ。なぜならば、これまで、子供の本に熱心に関わる人ほど、ともすれば漫画(やアニメ)は「思考力を失わせる麻薬的視覚像である」と決まり文句のように唱え、退けてきたからである。その絵本学会からシンポジウムに参加した中川素子氏(文教大学教授)は、上記のような漫画を退ける姿勢を「視覚それ自体が表現する思考や認識に気づかないのだろうか」と批判している。(「週刊読書人」2000年11月10日号 合同シンポジウムに寄せて)

また、このシンポジウムにパネラーとして参加した漫画家のモンキー・パンチ氏が、席上で「漫画について研究がされるのは、解剖されるようで、複雑な気持ちだ」と率直な感想を述べたのを受け、中川氏が「先生は、漫画を描くうえで他のいろいろなものを”目で”解剖してきたじゃないですか。おたがいさまですよ」と和やかに返したことが印象に残った。

これらのシンポジウムには、いささかセレモニー的な意味がある(具体的には、まんが学会の発足に向けた動きという側面がある)と思うのだが、ここ数年の漫画研究・評論を取りまく状況の変化を象徴するものであることは間違いない。

こうした動きのことは、よく「世間から漫画が“認知された”」といわれる。しかし、もう少しよく見ると、その変化と対応した「漫画関係者に漫画研究が“認知される”」という変化があったのではないだろうか。

たとえば、近年の米沢嘉博氏の文章にも、ここ数年の意識の変化があらわれているように思う。少し長くなるが、総括的なものなので、以下に引用する。

(前略)なかでも現代アートとマンガをからめ、マンガの歴史を一堂に集めた「マンガの時代」展は、美術館主催ということで注目を集めた。マンガが歴史を持ち、重要な現代の表現として認知されたと同時に、同時代表現、大衆娯楽としてのマンガの衰退をそれは意味しているのかもしれない。
「現代用語の基礎知識」’99 (自由国民社) マンガ文化用語の解説 「マンガ展」の項 1125p
(前略・マンガは)さまざまな形で大衆文化、表現としての認知は高まりつつある。アカデミズム側からのマンガ研究への取り組み、公共施設におけるマンガイベントの増加も新しい動きだろう。(中略)だが、こうした文化的定着は、産業としての停滞と同時に進行しており、商品の氾濫の前で保守的になっている読者だけでなく、送り手側も定番の旧作に頼っているのが現状だ。(中略)過去の遺産をくいつくしたら、その後はない。時代とわたりあうメディアとしてのマンガ誌と、時代を超えて読み返されるような作品をつくりだしていかなければ、マンガは衰退していくことになるだろう。
「現代用語の基礎知識」’01 (自由国民社) マンガ文化用語の解説 「21世紀への視点 マンガ文化のグローバル化とマンガ産業の停滞」の項 1256p

’99年の文章で米澤氏は、美術館主催による「マンガ展」を、因果関係こそ示していないものの、同時代表現、大衆娯楽としての「マンガの衰退」の象徴としている。

一方、’01年の文章では「(マンガの)文化的定着は、産業としての停滞と同時に進行して」いるとし、「停滞」と「文化的定着」は、それぞれ別個のものとされている。

’99年の段階ではわずかがらあった、「マンガの認知」を「大衆娯楽としてのマンガの衰退」と結びつけるようなネガティヴな視線は、’00年ではみられない。

しかもここで、漫画が今後も進展していくためには「時代を超えて読み返される作品をつくりだ」していくことが重要だとしている。つまり、現在、作られている漫画作品が未来において、きちんと読み返されるということが考えられているわけだ。

一方、漫画に対する「読み」の感覚は、時代によって大きく変わっている。未来の人々が、現在の私たちと同じように「自然に」いまの漫画を読むことができるという保証はどこにもない。「未来の読者」が漫画をどのように読むか、その予測はつけようがないわけだ。 もちろん、優れた作品でなければ時代を超越することなどできはしない。しかし、作品が「優れている」というだけで、そのまま未来の読者の手元に届くと考えるのは、少々、楽天的に過ぎるだろう。そうであれば、私たちと同じようには「漫画を読まない人」=「未来の読者」に向けて、作品の素晴しさを伝えるような言葉も必要なのではないか。漫画の「ジャーナリズム」「批評」「研究」は、そうした機能を担うものなのではないだろうか。◆

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