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Revolter's Blood Vol'08 第一章 ~出来損ないの英雄~

C89発表のオリジナルファンタジー小説「Revolter's Blood Vol'08」のうち、 第一章を全文公開いたします。

2015-12-14 19:25:25 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:968   閲覧ユーザー数:968

 

 <1>

 

 水音が、少女の聴覚を支配する。

 フード越しに伝わるぽつぽつとした音。

 そして、少女の歩む崖淵の道の右手、幾重もの虹輪に彩られし瀑布の下、滝壺より響き渡る音。

 少女は一人、滝の近くを通る山道を歩いていた。

 水を多く含んだ外套は彼女の肩に重々しく圧し掛かり、その裾からは水滴が絶えず滴り落ちる。

 身体は冷え切っていた。吐く息は白く、時折、身震いを起こす。

 数多の飛沫が水流と化し、少女の足元を洗う。泥濘と化した険しい山道は体力を著しく消耗させていく。

 しかし、少女は歩みを止めることはなかった。むしろ、その所作は堂々たるもの。

 過酷な登山道。誰もが疲れ果て、肩を落とすであろうこの地点においても、その足取りは軽く、そして力強い。

 背は真っ直ぐ伸び、フードの奥にこそ隠れてはいるものの、その視線は常におのれの向かう真正面を見据え続けていた。

 

 やがて少女は滝の道を抜け、なだらかな坂道へと差し掛かった。

 辺りに高山特有の寒風が吹き荒ぶ。だが、足元の土には霜一つ降りる事なく、まるでそこが春の平原であるかのような青々とした草花が生い茂っている。

 それはあまりにも矛盾した──この世の自然法則に逆らうかのような光景。

 しかし、この歪んだ自然こそが、この山の日常。

 大陸最西端の鉱山地帯に位置する『霊峰』。この国では聖なる獣として崇められているグリフォンの魂が祀られている山。この歪められた自然環境は祀られし聖獣の影響によるものだと信じられている。

 だが、聖獣の力が絶大であろうとも『霊峰』は西の高山地帯のうち最も高き山。その頂上付近ともなれば、上空にて吹き荒れる風は苛烈にして複雑、山道を一人歩くか細き少女など、いとも簡単に掻き攫う事も容易かろう。

 そして、厳しくも歪められた自然は、そんな少女へと向けて、無慈悲な突風を叩きつける。

 猛然と襲い掛かる空気の塊は、先刻まで少女が身に纏っていた外套を──滝の水を多分に含み、重くなってしまった布地を煽り飛ばし、一度上空に舞わせたのちに谷底へと叩き落とした。

 少女には、自分を襲った突風の威力に驚く余裕すらなかった。

『霊峰』山頂付近は、このような猛然たる突風が常時吹き荒び続ける地帯。一度耐えても、すぐに第二、第三の風が登山者を襲うのである。

 まるで聖獣が祀られし聖地への侵入者を拒むかの如く。

 炎の如き赤く長き髪が、外套を吹き飛ばされ、その下より露わとなった僧衣が、風に靡き、その時々で様々な形に変じていく。

 だが、それでも少女は怯まぬ。

 右手を眼前に翳しながらも、前に進まんとする彼女の眼差しは真剣そのもの。喩えるならば、戦地に赴かんとする騎士の如し。

 少女とはイデアだった。騎士ウェルトの実妹にして、西の最果ての街である宗教都市グリフォン・テイルの大聖堂に勤める僧。

 かつては長兄ゼクスの片腕として、住民同士の対立激化により崩壊しかけた大陸西方の治安を回復へと至らせた功労者である。

 西の平定を完遂させたイデアは現在、聖都大聖堂の聖堂長ナーディンの命により、極めて限られた聖職者らにしか許されぬ霊峰の管理の任務についていた。

 そう。この過酷な山道こそが彼女にとって通い慣れた道。

 霊峰の日常を知るがゆえに、このような過酷な環境の只中であっても、大きく心は揺らぐことはない。

 滝の道を通り、寒風と春の草原の道を通り、イデアはやがて、山頂付近へと辿り着いた。

 眼下に雲海を望むほどの高さであれども、足元の地面には青々とした草花が生い茂る。雲の白と、草の深緑との対照的な明暗が鮮やかに映える。

 白と緑の世界の只中に浮かぶは──陽光に反し、周囲に鮮やかな光を放ち輝く石英の碑。

 聖獣の魂が眠る碑。『霊峰』の自然法則を歪めている強力にして混沌たる力の源泉、その姿であった。

 そんな幻想的な光景の中、騎士の妹は見た。

 銀製であろうか? 七色に輝く碑の前にある半ば苔むした簡素な祭壇。その上に腰かけ、訪れたイデアの方を向き笑顔で手を振る一人の女の姿を。

 ──細身の妙齢の女。

 身を包むは胸と腰を覆う布地のみ。喩えるならば、まるで砂漠の国の貴婦人の如き衣装。

 それは過酷な『霊峰』の環境にそぐわぬ風貌をしていた。にも関わらず、女は吹きすさぶ寒風、強風に顔色一つ変えることなく、髪一つ靡くことなく、肩で息をしている少女を出迎えている。

 女の名はリリア。過去の内戦の折、『霊峰』を守護する異能者──霊術師として、聖都グリフォン・テイルを奪還するため、イデアの祖父母にあたる二人の聖騎士、司教セティを筆頭にした名だたる武人と肩を並べて戦った英雄の一人であり、その死後、この石英碑を守護する『聖霊』として転生し、今もなお、こうして現世に留まり続けている。

 この過酷な環境が彼女を傷つけぬのは、既に肉体を持たぬ霊体であると同時に、その本質が『霊峰』と半ば同化しているがゆえ。

 イデアは立ち止まる。柔和な笑みを浮かべる聖霊との最後の距離が縮められぬ。

「──おかしな子ですね」

 少女に向け、聖霊は言った。

 その表情は、まるで聖母の如き穏やかな──悲愴めいたイデアの心情を察し、それを汲み取るかのような笑みであった。

「今更、何を畏まる事があるのでしょう? 貴女は私にとって孫娘も同然の存在。遠慮など無用ではありませんか」

 リリアは祭壇より降り立ち、頑として最後の距離を詰めようとはせぬ少女のもとへと静かに歩み寄りはじめる。

 少女の顔は強張っていた。

 悲愴感めいた表情が、聖霊の視界に留まる。

 近づくにつれ、イデアの顔が視界に入るにつれ、表情に刻まれし苦々しき感情が露わとなる。

 その感情とは──『畏怖』と『罪悪感』

 リリアは、過去の内戦を平定させた立役者の一人である。それに引き換え、イデアは──イデアの世代は、その平定を維持することができぬばかりか、この惨憺たる現状を解決すらできぬ有様。

 偉業の達成者と非達成者の差はあまりにも大きい。

 聖騎士の血を引くイデアであれども──いや、武人の血を引くが故に、彼女の成し遂げた功績の大きさを直感的に理解していた。

 そして、その偉大さを理解するがゆえ、その恩恵を維持する事すらできなかった自分達の不甲斐なさを思い知らされている。

 ──彼女は委縮しているのだ。いまだ何も成し遂げられぬ我が身を恥じるあまりに。自分の存在の矮小さを自覚するあまりに。

 これ以上の距離を縮めるのはあまりにも畏れ多い。そのような感情がイデアの胸中を支配しており、これ以上、足を進められずにいたのだった。

 リリアはそんな少女の気持ちを悟った。いまだ強張る表情をしたままの少女の身体を──優しく抱きしめる。

 霊体ゆえ、リリアはイデアに触れる事は叶わぬ。その行為は少女の肉体、その輪郭に触れるほどの接近に過ぎぬ。

 しかし、接触はなくとも意志の疎通は可能であった。

「貴女一人の所為ではないではありませんか」

 リリアの慈愛に満ちた表情が、投げかける言葉が、質量なき抱擁が、悲嘆に暮れるイデアの心を慰める。

「気負うことはありません。どうか教えて下さい。下界で何があったのか──ウェルトは、アリシアは、そしてセリアは今、どんな戦いをしているのかを」

 聖霊の慈愛に触れ、イデアは静かに涙を流していた。

 泣いている事を悟られぬよう、声を殺して。

 リリアは、そんな気丈な少女の背中を優しく撫でた。

 

 <2>

 

 イデアの口を介してもたらされたのは、王都に程近い都市グリフォン・フェザーにおける戦についての報であった。

 騎士団より正式に発表された勝利の報。

 然程の被害もなく、アリシア、ウェルト、セリアといった中心人物の無事も確認されており、制圧後の事後処理も比較的順調であるとの事。

 まさに完全勝利の様相であった。

「──そう。そんな事が……」

 しかし、聖霊リリアは表情を曇らせた。

 戦いの勝利。ウェルトらの無事。

 リリアにとって、それらはいずれも喜ばしい事であろう。

 だが、涙に咽ぶイデアの口より伝えられた──ある女性の死の報が『霊峰』を守護する聖霊を悲しみの底へと叩き落としていた。

 その女性とはシェイリ・クラウザー。ウェルトとイデアの母。

 三年前、王都で起こった政権簒奪劇の折、王位継承権を有するアリシアを逃がすため、そして僧侶として王都の混乱を収めるために、危険が及ぶ我が身を顧みずに王都へ残留し──やがて政権の手によって虜囚の身となり、その獄中にて最期を遂げた。

 シェイリはウェルトの実母であり、アリシアにとっても義理の叔母。そして、セリアにとっても──短期間であれども──迫害からの保護を担ってくれた恩人でもある。

 政権はそんな反逆者に死の安楽すら許しはしなかったのだ。

 邪な術によって、その死骸を強制的に蘇生。不死者として、アリシアらの侵攻よりグリフォン・フェザーの街を守るための最後の砦として利用されたのである。

 実の親子、義理の親類、恩人──当事者たちの密接な関係性を熟知するがゆえの牽制であった。

 リリアは悲嘆に暮れる。

 これほどに残酷な話などあろうか──と。

 騎士とは自分が信じた正義の為に邁進する事を至上とする。

 それはウェルトとて変わらぬ。無辜の民に害を成すラムイエ政権を打倒し、権力者に媚びる事しか能のない貴族どもを寒空の下に放り出すために。

 これらを信奉する愚かにして無力な東の民に猛省を促すために。

 アリシアを王位に据え、王国再建の礎を築くために。

 その理想を果たすためならば、立ち塞がる障害を除くためならば、騎士は決して戦いを厭うことはない──たとえ、敵に肉親がいたとしても。

 ウェルトは、あの戦で騎士としての意思を貫き、全うしたのだ。

 不死者として、不本意な生を受けた母を斃す事によって。

 だが、騎士とて人間である。ウェルトとて、いまだ齢二十の未熟な若者に過ぎぬ。

 母との戦い──いや『殺し合い』を演じてしまった彼の心に圧し掛かる重圧たるや筆舌に尽くし難く、それは、この凄惨なる戦いについて語るイデアの悲愴めいた姿から、容易に察する事ができた。

 聖霊リリアは、霊峰の空を見上げた。

 群青の空。おのれの死を経て霊峰の守護者となった日より、常に眺め続けてきた空。

 その空が今、哭いていた。

 霊術師にして聖霊であるリリアにしか聞き届けることのできぬ空の悲鳴。

 まるで、クラルラット家を襲った悲劇を嘆いているかのように。

「これが、戦いの現実なのでしょう──」

 リリアはおのれの生前、かつて地上にて経験した、かつての内戦を思い出していた。

 勢力同士の派手にして華やかな衝突など、数えるほどに過ぎぬ。

 むしろ、戦いの大半は、人と人による醜くも陰鬱な陰謀劇の連続によって占められていたと言えよう。

 誘惑と懐柔。脅迫。そして、様々な──非人道的なる手法による洗脳、強制的な造反、裏切り。

 その、どす黒き渦にウェルトら、クラルラット家の者達は巻き込まれてしまったのだ。

 ウェルトと、その母シェイリを筆頭にして──

「ウェルト──可哀想に」

 聖霊は涙を落とした。

 頬より流れ落ちた物理的な力のなき熱き滴は、山頂の強風に一切煽られる事なく、まっすぐ霊峰の地面へと落ち、やがて消失する。

「母の死体は、灰と化してグリフォン・フェザーの空へと消え、母に仮初の命を与え、操っていた宰相ダリウスもまた、アリシア殿下の手によって倒されました。これによりグリフォン・フェザー制圧は実現。また、他方面からの別働隊も順調に周辺地域の制圧を完了させており、王都攻略は最終局面。最早、王都陥落は時間の問題かと──」

 目に涙を溜めながら、イデアは気丈に声を振り絞る。

 母を失い、兄が悲運に遭い、本当は泣き叫びたいほど辛いはずなのに──

 これもまた、騎士の家に産まれた宿命ゆえなのだろうか。イデアは涙を堪え、私情を捨て、おのれに課せられた任務を勤め上げんとしている。

 ──その姿が、堪らなく悲しかった。

 リリアは、そんな悲壮めいた少女より視線を外し、再び天を仰ぐ。

 目を閉じ、まるで何かに思いを馳せ、或いは祈るかのように。

 どれだけの時間が経ったであろうか。思考を終えた聖霊は目を開き、眼前にて涙を流す少女に向かい、不意にこう言った。

「確かに──騎士団の発表通り、そう遠くない日に王都陥落は完遂することでしょう」

 しかし、聖霊はこう付け加えた。

「ですが、アリシアの狙いが──騎士団の狙いが王都に渦巻く『悪意』の打倒だと言うのならば、王都を標的とした行動は既に的を外しているのかも知れません」

「──え?」

 イデアは思わず声を上げた。

 王都を奪還さえすれば全てが解決するとまでは言わずとも、少なくとも、この国を蝕み続けている毒を取り除く事はできる。

 それはイデアのみならず、この国の──東方に住まう一部の、現政権の妄信する者以外、全ての者に共通している認識である。

 リリアのこの発言は、まさにこの共通認識を真っ向から否定するものであった。

 当然、イデアは言葉の真意が掴めぬ。

 故に尼僧は思わず尋ね返した。

「確かにアリシア殿下を支持しているのは騎士団と西方地域に拠点を置く田舎貴族たちに過ぎず、この戦が終わった後の混乱を収め、統治し続けるほどの力があるかどうかは甚だ疑問ではあります。ですが、騎士団が王都を陥落させない限り、この国を蝕み続ける現政権を放逐する事はできないのもまた事実。王都を攻め落とすという行動自体は間違っていないとは思いますが……」

「その点に関しては一切、否定を致しません」

 リリアの視線はイデアにではなく、紫色に染まりつつある空へと向けられていた。

 その様たるや、まるで天に問いかけているかのようでもあり、天啓を受け、眼前の尼僧へ語り掛けているかのようでもあった。

「肝要なのは王都を制圧しただけで『終わり』ではないということ。この国を蝕み続けている元凶、病巣は既に王都にはなく、別のところへと転移しております。それを除かぬ限り、この国は再び災いに巻き込まれる事でしょう」

 そう言うと、リリアはとある方向を指さした。

 東の方向を──

「遥か遠く──大きく、禍々しき邪気めいた力の渦のようなものを感じます。王都より放たれた『悪意』は周囲に破壊と殺戮を繰り返しながら、その渦へと近づきつつあります。この二つを出会わせてはなりません。もし、出会ってしまったのなら──」

「出会ってしまったら──どうなるのですか?」

「……五十五年前の悪夢の再来、或いはそれよりも恐ろしいことが起こりうるでしょう」

 天を仰ぐ聖霊の表情は、どこか思いつめたかのような色彩を帯び、そして、その目つきは真剣そのもの。

 嘘や冗談を言っている雰囲気など、どこにもない。

 そして、何よりも彼女の発した『五十五年前の悪夢』という言葉。それがより、彼女の言葉に真実味を付与させていた。

 リリア自身がかつて、その悪夢の現場にいた当事者であるがゆえに。そして、彼女の言葉がこの国が今、抱えている問題と大きく重なる点を有していたがゆえに。

「それは、あの『血族』が関連しているということですか?」

 聖霊リリアは首肯する。

「どうやら、五十五年前に私たちが滅ぼしたはずの『あの女』は性懲りもなくこの地、この国の覇権にいまだ執心しているようですね。そして、その野望実現の機が熟したのでしょう──『あの女』の計画もまた最終段階へと入ったものかと」

 視線を空より外し、俯く。

 その姿はまるで、イデアに対して──いや、イデアを代表とした『今の世代の者達』に対する謝罪をしているかのようであった。

 イデアは瞬時に察し、気付いた。

 その謝意めいた態度が指し示す真意を。

 そして、ようやく理解した。

 聖霊が発した言葉の意味を。

 王都制圧をもって終戦と見做している騎士団の──その認識の誤謬、失策を。

「申し訳ありませんが、貴女に協力をお願いしたいのです」

「──はい」

 尼僧の表情が引き締まる。

「……何なりとお申し付け下さい。私の祖父母の親友たる、リリア様の御意志であるのならば、私にそれを厭う理由などございません」

「あれから五十五年──時代は貴女達のものへと移っております。過去の人間に過ぎぬ私ごときが出張ってはならないとは思うのですが──」

 過去の英雄にして、死後、霊峰の守護者となったリリアの存在は、古来の霊峰信仰の内に取り込まれている。

 ただの死霊にすぎぬ現在の彼女を人々は『聖霊』として崇奉し、その言葉や意志は、まさに神の言葉と同然として扱われる。

 一度、彼女が言葉を発すれば、意志を示せば、程なくして信仰篤き者、或いは狂信者の類が、その言葉を実現せんとするだろう。

 秩序や道義を無視し、様々な混乱を招いてでも──

 それゆえ、リリアはおのれの言葉や意志を直接下界の者達に表すことは稀なことであり、その『稀な時』の際においても極めて慎重に行ってきた。

「ですが『あれ』もまた過去の時代の産物──負の遺産です。同じ時代を生きた者として、しっかりとその清算を──過去の時代の者としての落とし前をつけさせてください」

 そんな彼女が、熟考に熟考を重ねて言葉を、意志を示さんとしている。

 その決断は何よりも重い。

 尼僧には、聖霊より下される任について粗方の予測がついていた。

 早馬を走らせ、到着する頃には王都を陥落させているであろう騎士団に、聖霊リリアの言葉を伝えること。

 戦いは終わりではない──その事実を伝えることであろうと。

 嫌な役目ではあった。

 これよりイデアが行うことは、勝利に酔いしれ、終戦を祝う騎士達の歓喜に水を差す行為に他ならぬのだから。

 だが、イデアはウェルトと同じ聖騎士の血を引き、西方勢力の盟主アリシアとの縁も深いクラルラット家の人間である。

 更に言えば、兄ゼクスの片腕として、西方地域の治安回復に多大なる貢献をし、東で戦線を展開する騎士団の後顧の憂いを取り除いた功績もある。

 そんな人間が、聖霊リリアより言葉を授かり、それを伝えに来ているのだ。

 騎士団は決して無視することはできぬ。

 そう。この任務において、イデアほど適任な人間など存在していなかったのだ。

 ──嫌われ者になる、というのはクラルラット家の宿命なのかしらね?

 イデアの口許に微かに、自嘲気味な笑みを浮かべたその時、聖霊リリアより協力の依頼がもたらされた。

 それが下された刹那、赤き髪の尼僧は思わず目を瞠った。

 聖霊の言葉を東の騎士団へと伝える──その内容自体は、イデアの予想と寸分たりとも変わらぬものであった。

 彼女が驚いたのはそこではない。その際に用いる伝達の方法──聖霊リリアが『自ら』東の地に赴いて、直接言葉をもたらすという点にあった。

「貴女には道中の案内と護衛をお願いします。協力して頂けますね?」

「しかし……」

 イデアは逡巡する。

 視線を右へ左へと往復させ、仕草もそわそわと落ち着かぬ。

「この方法を用いれば、貴女の伝言に頼るよりも効果的なはずです」

「それは理解できます。ですが──」

 イデアは戸惑いながらも、反論の言葉を口にする。

 その瞳に、リリアの背後に聳立する石英碑が映る。

 陽光を浴び、燦然とした光を周囲にもたらしているそれは──自然法則を、ひいては生命の法則をも変えてしまうほどの魔力を有しているのだ。

 寒風吹きすさび、雪と氷で覆い尽くされているはずのこの高山に土の温もりを与え、草木を生い茂らせているほどに──

 リリアは生前、石英碑の魔力をおのれの体内に召喚し、奇跡の術として変換し行使する異能者──『霊術師』として三十数年もの間、様々な奇跡をもたらしながら、かつての激動の時代を生き抜いたのだ。

 その間に繰り返された幾度、幾十度にも及ぶ石英碑への干渉は、元は一人の人間に過ぎぬ彼女の魂と精神を、石英碑の魔力と半ば同化させるほどに浸食させていた。

 死後『霊峰』を守護する『聖霊』として転生し、魂のみの存在となってもなお現世に留まり続けていられるのも、こういった特異な特性ゆえ。

 聖霊と石英碑は互いに依存の関係にあると称しても過言ではない。

 碑なくば、リリアは現世に留まり続ける事はできず、守護者たる聖霊なくば碑もまた将来、心なき者の接近を許し、汚染の憂き目に遭うのだから。

「──リリア様はどうなってしまうのですか?」

 そう。イデアの疑問は至極当然なものであった。

 リリアの申し出は、依存関係にある両者を引き離す事を意味しているのだ。

 その結果、リリアに如何なる影響をもたらすか──素人たるイデアは憂慮しているのであった。

 だが、この問いに対する聖霊からの返答はなかった。

 ただ、一言──

「言ったでしょう? 過去の世代の者として、置き忘れてしまった負の遺産の落とし前をつけなければならない、と」

 

 <3>

 

 東の地に怒声と悲鳴が幾重にも幾十重にも木霊する。

 王都グリフォン・ハートを央として、東西南北に向かい、街道が四本伸びている。

 そのうち、西と北の街道上、馬で二日ほどの距離にある丘陵上に築かれた二つの砦があり、今、そこでは一進一退の攻防が同時に繰り広げられていた。

 凄惨なる戦いであった。

 砦を攻めるは銀色に輝く重厚なる甲冑に身を包んだ騎士の軍勢。西の盟主アリシアを総大将とした勢力。

 騎士団──かつては国全土に点在する集落を守衛し、魔物らの脅威より人々を守ることを任務としてきた武装集団である。

 それを迎え撃ち、防衛をしているのは異様な兵団であった。大半は人間であったが、そのうち、黒き甲冑で武装した正規の軍人と思しきものは、その半数にも満たぬ。残るは革鎧と、短剣のみといった簡素な武装の兵。彼らは背後に控える黒き甲冑の者達の号令のもと、遮二無二前線へ突撃を敢行しては、次々と命を散らせていく。

 彼らは王都の住民のなかでも、現政権の熱心な支持者であった。

 騎士団の降伏勧告に従うことを由とせず、西の勢力の軍門に下るくらいならばと剣を手に戦う事を選択したのだ。

 彼らが現政権に──弱者より搾取するばかりのラムイエ政権の何処に魅力を感じていたかはわからぬ。

 この東方地域では、かつて孤島バスクに存在した『施設』と同様のものが存在し、現在も稼働していると真しやかに囁かれているが、当然の事ながら──今、この場で噂の真偽を確認する術はない。

 如何なる理由があるとは言えど、彼らは各々の判断のもとで支持を続け、その判断に忠実である事を選んでいる。

 その名が指し示す通り『懸命』となって。

 しかし、その懸命さも黒き甲冑の騎士たち──ハイディスの騎士団にとっては、体の良い生きた盾程度の扱いでしかなかった。

 それでも革鎧と短剣で武装した王都の住民たちは、自国の騎士団へ向かって躍りかかる事を止めぬ。

 真の意味で、この国を救わんとしている者達に反旗を翻す。

 あわよくば王都への撤退を図らんとする黒騎士らに利用されているとも知らずに。

 そんな哀れな者達に、騎士は無慈悲に刃を振り下ろす。

 鮮血が迸る。地面には裂かれた腹の傷より腸が漏れ落ちる。

 騎士は自らに言い聞かせる。

 彼らは誰かに強要された訳ではない。おのれの意思と責任のもと剣を手にしている以上、矜持に従って走狗と成り下がる事を選んでいるのだと。

 そう。奴らは無力な市民などではない。

 一介の武人なのだ、と。

 ──あまりにも無理がある、こじつけめいた理屈であった。

 自国民を守ること──それこそが元来、騎士の存在意義。騎士団の行為は、その意義を真っ向から否定することに他ならぬ。

 当然、誰もが理解をしていた。そんなもの、ただの子供じみた言い訳に過ぎぬのだと。

 だが、無理矢理にでも心に整理をつけねば、生き残る事はできぬ。

 ここは戦場なのだ。

 そして、今日の戦いは王都奪還を目指した長き戦いの途上に過ぎぬ。その途上で足を止める訳にはいかないのだ。

 だが、騎士とて人間。そう簡単に割り切れぬ。眼前の、敵側前線の者達は本来、自分達が守らねばならぬ者達であったはずなのだ。

 戦意が鈍る。その間隙を突かれ、思わぬ損害を受けた。

 だが、騎士団とて愚かではない。

 撤退のためならば弱者を盾にすることすら厭わぬハイディスの行動は、先のグリフォン・フェザー攻略の際にも用いられている手法である。

 魂胆は灼然であった。

 ならばと騎士団は、勢力の半数を前線同士の衝突に向けると同時に、残りの半数を王都への退路遮断のために向けたのだ。

 その作戦が功を奏した。退路を塞がれた駐留のハイディスの軍勢は、戦場と化した砦内での足止めを余儀なくされたのである。

 砦は十重二十重に包囲されていた。

 その最前線に立つは、銀色の甲冑に身を包んだ騎士団の面々。そして、彼らの更に外側を囲い、まるで、前線の騎士達を後援するかの如く集っているのは、僧衣の下に鎖帷子を仕込んだ装束に身を包み、戦槌や槌鉾、盾で武装した者達。この国の国教である宗教勢力が擁する神官戦士団。

 国内における二大武装集団が一堂に会していた。

 数々の侵略行為を働き、戦慣れしているハイディス教国の騎士団であろうとも、これらの絶対的な数、練度を誇る勢力を前に為す術はなく、民兵によって構成された前線は瞬く間に突破された。

 程なくして白銀の軍勢は、足止めを食らったままの黒の軍勢が犇めく砦中枢深くへと進攻を果たしていた。

 これら前衛の騎兵に続けとばかりに、今もなお破られた門より次々と軍勢がなだれ込んでいく。

 その破られし門が備えられし砦壁の上、声を嗄らさんがばかりに声をあげ続ける女がいた。

 彼女は次々と砦壁の内へと突入していく仲間の誘導、或いは檄を飛ばし続けている。

 騎士の甲冑を身に纏った女であった。兜はつけておらず、風を受け、輝く銀色の髪が靡く。

 右手に携えられ、天に翳されたそれは同じく白銀色に輝く刀身の剣。陽光に反し、それは更なる輝かしき色彩を帯び、放たれる。

 その姿はまさに、地上に降臨せし戦乙女の如し。

 女とはアリシアであった。

 分裂した東西の、西側の将。王と賤民──使用人の女との間に生まれし落胤。

 五年前、今は亡き司教セティによって『聖騎士』の称号を授かるも、その名に実が伴わず、苦悩を続けている。

 その身に流れる王の血がもたらす重圧に押し潰されそうになっている。

 だが、それでも彼女は声をあげる。苦悩と脆さに歪む自分の顔の上に仮面を装う。

 戦場を舞台として、アリシアは王としての演技を続けていた。

「戦え! 正義と名誉の代弁者たちよ! 王都の解放のために! 逆賊ラムイエと、それに与す者達を一人残らず征するのだ! 東西に分かつ国を再度統一し、新たな時代を築くために!」

 檄を飛ばすたび、割れるような歓声が湧き起こる。

 肌で感じられるほどの士気の高揚。アリシアの声が現状の優勢に更に拍車をかける。

 見れば、味方の先駆け部隊は既に敵軍勢の中枢へと至っていた。妨害せんとする敵兵を悉く血の海に沈め、その勢いたるや苛烈の極み。

 そんな頼もしき味方、猛将たちの背中に視線を、アリシアは内心で彼らに謝罪をする。

 そう。彼らは自分を──王に相応しき人物だと信じている。その信仰心があるからこそ、彼らは自分の声に高揚し、自分の命を顧みることなく敵陣へと突撃を続けるのだ。

 騙しているも同然と言えよう。

 騎士として武功も碌になければ、剣士としての実力に突出しているわけでもない。

 もし、自分というものが彼らの信奉に値する人物だったとしたら──今、まさに自分と相対している者達、最前線に立つ民兵を説得し、無力化させる事だってできたであろう。

 当初、自分は「この戦いに民を巻き込まない」と決意し、公言もした。

 その思いは今も変わらない。

 だが、非情な『現実』を前に、そんな思い、理想論は脆くも崩れ去った。

 今、自分が行っているのは民を──将来、再び同朋となるはずの者達を、強大な武力をもって蹂躙しているに過ぎぬ。

 現実に迎合したと言えば、聞こえは良いかもしれない。

 だが、現実を超越し、理想を叶える事こそが『英雄』と呼ばれるものではないのだろうか?

『王』と呼ばれるべき者が持つ、最低限の素養ではないのだろうか?

 それすら果たせぬ自分は──おのれの無能さを『聖騎士』としての称号と『王の血』という境遇で上塗りしているに過ぎないのではないのか?

 ──ならば、私は演技を続けよう。王の仮面をかぶり続けよう。おのれの一生を費やしてでも。

 彼らの信頼に、信仰に、命を賭した突撃に報いる為に。

 今のこの時代、自分の替わりはいないのだから。

 時代に迎合した都合の良い英雄は、遂に現れなかったのだから。

 アリシアは声をあげ続ける。

 弱き自分を封殺し、将としての役目を全うするために。

 そんなアリシアの声に誰もが戦意を煽られ、突撃の足を、攻撃の手を激しくしていくなか、その声の裏に潜む真意を察している者がいた。

 その者は、最前線にて刃を振るっていた。

 前線は既に敵陣深くまで至っており、現在、そんな彼らが相対しているのは黒き甲冑の武人たち。

 ハイディス教国の騎士団。東の勢力の中核を担う者達である。その個々の戦力は当然の事ながら正規の訓練すら受けてはおらぬ前線の民兵とは比較にならぬ。

 西軍の全身は食い止められ、戦況は再び一進一退の攻防へと切り替わる。

 そんな中、その者が気を吐いた。

 両の手に握られている得物を振り上げる。刃に付着した血飛沫が舞い、刀身が露わとなったかと思うと、それはアリシアの武具と同じ色彩の輝きを放った。

 その輝きは希少金属にして、武具の原材料としては最高品質の金属──純正のエジッド銀によるものであった。

 軽く、鋭く、操るのも容易いそれは、まるで手足の如く縦横に操られ、迎え撃たんとする黒騎士の重厚な甲冑を易々と切り裂き、頭を割り、胴を切断する。

 その様相の一部始終を垣間見た前線の騎士達が気勢を上げる。

「我々には二人の英雄が味方についている」と。

「この二人こそ、先の内戦を終結させた英雄の再来。彼らが味方にいる限り、我々に敗北はない」と。

 士気が高揚する。

 敵の本陣との激突によって止まりかけた、最前線が再び前進する。

 そんな彼らの視線の先にいる者こそが、前線で白銀に輝く刃を振るい、『英雄』と称され、再前進の原動力となった青年騎士。

 ──ウェルトであった。

 彼もまた、足掻いていた。

 アリシアと同じ苦しみを抱いていた。

 戦意を煽る具として、分不相応な──『英雄』というありもしない偶像を押し付けられていることに。

 だが、彼は苦悩を押し殺す。

 おのれの出自を勝手に利用されるのは愉快なものではない。

 それさえ我慢すれば、彼らは──騎士団は協力を惜しまぬのだ。

 東の勢力、民の事を一切顧みず玉座でふんぞり返っている権力者を、それに媚び諂うしか能のない貴族どもを、そして、盲目的にそれを支持する有象無象どもを叩きのめすための力を貸してくれるのだ。

 ──ならば、存分に利用するがいい。

 そう、ウェルトは思う。

 好き勝手に僕を、アリシアを『英雄』視し、士気高揚するがいい。

 それが勝利に寄与するのならば。

 勝たねばならないのだ。

 勝たねば、自分が成し遂げて来た全てが水泡に帰すのだ。

 アリシアを守るために費やした日々も。

 単身、孤島バスクの『施設』に乗り込んだことも。

 騎士団に対する反抗心を封殺し、迎合したことも。

 そして、母の犠牲も──

 もし、自分というものが背後で煽る連中の言う通り『英雄』であったとしたら──このような妥協をする事もなく、犠牲を払う事もなく、事を成し遂げていただろう。

 自分側から騎士団に迎合することなく、騎士団側が自然と意識を改革させ、真の救国の士として生まれ変わったはずだ。

 王都から逃げ出した直後から、母を救うための妙案を思いつき、実行し、完遂し、その犠牲を未然に回避できただろう。

 だが、そんな夢物語めいたことなど現実で起こるはずもない。

 そう。自分は真の意味での『英雄』ではなかったのだ。

 自分の出自を存分に利用し、妥協して、ようやく『英雄』の真似事をする事が許されるのだ。

 戦いの先頭に立ち、自分の信じる正義を貫く事が許されるのだ。

 その残酷な現実を知るが故、アリシアは采配を振るい、ウェルトは刃を振るい続ける。

 木霊するアリシアの声と同調するかのようにウェルトは咆哮した。

 このような悲劇を引き起こした張本人──王都を牛耳る現政権の連中に届けとばかりに。

 その様はまるで悲鳴。

 真の『英雄』になり損ね、時代に翻弄された二人の悲劇役者の嘆き、そして──怒りの悲鳴であった。

 大量の血飛沫が舞う。

 その源泉となったのは、ハイディス軍の中核にて、食人鬼もかくやと思われるほどの巨体を存分に発揮し、その剛力をもってして、数十にも及ぶ騎士の進撃を食い止めてきた一人の黒騎士。

 先陣を駆ける隊より繰り出された無数の剣、槍、鉾槍によって串刺しにされ、頽れたその首をウェルトが一刀のもとに刎ねたのだ。

 血の雨が降り注ぐ。ウェルトを、後続の騎士達を紅に染め上げる。

 騎士は前進を止めぬ。攻撃を止めぬ。進軍を止めぬ。

 その速度こそ遅々としていた。しかし、同時に確実であった。如何なる軍勢、如何なる猛者、如何なる攻撃に晒されようとも、ウェルトを先頭とした騎士団の最前線は、これらを悉く跳ね除け、斬り、斃し、凌ぎ切る。

 退く事を知らぬ騎士たちの前進は山津波の如し、相対する黒騎士の軍勢を諸共、悉く圧殺せんとばかりに迫るかのよう。

 砦敷地内に駐留するハイディス軍の中枢部隊は遂に、中央より真二つに分断された。

 部隊間の連携は失われ、指揮系統は完全に死んだ。

「敵の主力は完全に分断。防衛態勢は完全に崩れた!」

「このまま本陣へ向かえ。目指すは敵将の首だ!」

「──全軍突撃!」

 天より、軍勢の先頭より発せられた二人の──『出来損ないの英雄』の声が同調する。

 ウェルトを先頭とした突撃隊が、そして、これを後援する数多の神官戦士たちが割れんばかりの歓声をあげた。

 突撃は苛烈を極め、最奥に陣取る本陣へと迫っていく。

 アリシアは勝利を確信した。たとえ神の悪戯による介入があったとしても、それは恐らく揺るがぬであろう。

 だが、彼女は安堵することはなかった。

 この戦いは言わば前哨戦。王都を包囲し、戦況を優位に進めるための布石に過ぎぬ。

 同時に、周囲の集落に住まう民衆に、現政権の圧政からの解放者たる自分の存在を知らしめ、統一後の統治を円滑に行うためでもある。

 そう。まだ終わりではないのだ。いまだ道半ばであるのだ。

「安堵など──していられるか」

 アリシアは奥歯を噛んだ。

 眼下に広がる光景を、山と築かれた屍、血塗られた大地に力なく横たわる、民兵の変わり果てた姿を見つめて。

 本来は、救わねばならぬはずの命。自らの采配によって奪ってしまった命。

 その重さに──罪の重圧にアリシアは必死に耐えていた。

 奪ってしまった命に報いねばならぬ。

 大義を成さねばならぬ。

 この国に復讐を誓う隣国の傀儡政権、その中枢と化した王都を解放せねばならぬ。

 そして、国に、街に、人の心に刻み込まれた、深々とした戦の爪跡を癒さねばならぬ。

 それこそが聖騎士として、同時に王の血を継ぐ者としての責務なのだから。

 自分以外の何者にも背負わせる事のできぬ宿命なのだから。

「私は誓おう。その責務と宿命に我が余命の全てを捧げる事を──」

 聖騎士が誓いを新たにした頃、遥か遠くより勝利の鬨があがった。

 

 <4>

 

 夜。砦の外──丘陵の裾に張られた天幕群。

 そのうちの一つ、比較的小さな天幕の内に、尼僧セリアの姿はあった。

 辺りを包むは昼間の喧騒が嘘のような静寂。

 砦の内、ここより丘陵の坂と一つの壁を超えた先には、敵味方問わず多くの死体の山があり、今もこれらの片づけ作業が粛々と続けられているであろう。

 同じ天幕群のなか一番大きな天幕では、今もアリシアとウェルトが中心となり、緊急の軍議が開かれている頃だろう。

 だが、これらの物音など、丘を吹き抜ける風に掻き消され、静寂に包まれた夜の戦場を支配する寂寥感を打ち消すほどではなかった。

 不気味な静寂。彼女の心は不安に煽られた。

 戦いの後の夜は、常にこうであったように思う。

 彼女は知っていた。

 この寂寥感の正体が『罪の意識』であるという事を。

 敵とはいえ命を奪ってしまった事に対する罪悪感に苛まれる。

 今日の戦いこそ、神官戦士団の一員として前線の後方支援に回っていたがゆえ、敵兵と刃を交わす事こそなかったものの、当事者として、戦いという『命の奪い合い』に加担していたのは動かぬ事実。

 罪の意識を感じるには、十分すぎる理由であろう。

 これまでセリアも、アリシアの協力者として、共に戦場に立つ事はあった。

 それも一度や二度ではない。

 グリフォン・アイの防衛線に始まり、先日のグリフォン・フェザー攻略。

 これら中規模、大規模の戦の間に発生した小規模の衝突も合わせれば、その数は十を軽く上回る。

 勝利する事もあれば、撤退を余儀なくされたこともある。

 小規模ながらも隊を率いて、敵の小隊と衝突したこともあれば、大隊の一員──『弱者救済の象徴』として参戦し、敵兵と戦いを演じた事もある。

 戦場の経験回数は、既に猛者の領域にあると言えよう。

 だが、それでも──夜毎に訪れる心の重圧だけは、慣れる事はなかった。

 その時だった。セリアは天幕の前に人の気配を感じ、反射的に身を固くする。

 ──誰ですか?

 そう問いかけようと口を開きかける。

 だが、セリアが喉を震わせるよりも早く、気配の主より声が発せられていた。

 聞き覚えのある声。

 セリアが入幕を許すと、その者は幕の内へと現れた。

 そして、恭しく一礼をする。

 現れたのは甲冑を纏いし中年の女騎士。

 幕の外に置いてきているのであろうか、帯剣をしておらず、兜の類も身に着けてはいない。

 それは敵意の無さを示す、貴人に対する作法に沿ったもの。

 これら一連の所作は些かの淀みも惑いもなき威風の極。

 長きにわたり騎士として文武双方における第一線で生き抜いてきた人物特有の雰囲気を漂わせていた。

「確かに、アリシアさんには『軍議が終わりましたら、その結果を教えて下さい』とはお願いしました。その際『多忙ゆえ、替わりの人を寄越す』とも聞いておりましたが──」

 天幕に訪れた女騎士の声を聞き、そして、顔を見たセリアは思わず目を瞠った。

「エリー様──貴女も為すべき役目があるでしょう? こんな雑用を受ける暇などないのではありませんか?」

 驚きの声とともに訪問者の名を口にした。

 数万人で構成される騎士団、序列第二位にあたる『副総帥』の地位に君臨する、偉大なる武人の名を。

 騎士団の代表、武勇の象徴的存在である『総帥』の補佐役である彼女の任務・役目は多岐にわたり、その活躍は組織の骨子を支える重要な基盤となる。

 こんな世間話も同然の場に、軽々に呼び寄せて良い相手ではない。

「それは逆よ。こういう立場だからこそ、たまには会議の喧騒から離れて、ゆるりと言葉を交わす時間を設けなければならないのよ。有事の今ならば、尚更ね」

 そんな尼僧の思いを知ってか知らぬか、女騎士の口調はどこか楽しげであり、困惑するセリアの反応を楽しんでいるかのようでもあった。

 アリシアといい、ウェルトといい──『騎士』というものは、どうしてこう非常識な人間が多いのか?

 セリアは軽い眩暈を感じていた。

 しかし、こう言い張られては追い返す訳にもいかぬ。尼僧はエリーの訪問を受け入れた。

 

「今日の戦い──東が最前線に配置した民兵との斬りあいを演じてしまったのが痛手だった。それを回避できなかった事に、軍内から殿下に対する批判が相次いでいるようね」

 卓上に置かれた二つの杯、満たされた飲み水の水面に、天井より吊り下げられしランプの炎が映り、ゆらゆらと揺れる。

 中年の女騎士は、卓を挟んで向かい合わせの席に座する尼僧の顔を見据えていた。

 その眼差しは鋭く、真剣そのもの。語り口こそ落ち着いてはいるものの、これらの厳しい表情や仕草が事態の深刻さを物語っていた。

「ウェルトが以前、拉致され、収容された孤島バスクの『施設』。それと同様の機能をもつものが、東方地域の数カ所に点在しているという情報が以前から寄せられており、今回動員された民兵も、これらの新しい『施設』より送られたものと考えられる。批判の大半の内容とは──『施設』の情報が存在していたにも関わらず対策が講じてこなかったことに対するものよ」

 そう言うと、エリーは小さく溜息を吐いた。

「──懸念されてきた鉄と資金の不足が響いてきていますね」

 セリアの表情も曇る。

「今でさえ王都攻略に必要な虎の子に手を付け始めていると聞いております。それなのに後々から飛び込んだ『施設』の対策に人や物をかける余裕なんてないくらい、わかると思うのですが……」

「ええ。それはみんな理解しているはず。でも、だからと言って、騎士が民を傷つける事に抵抗がなくなるという訳ではない」

 騎士団の副総帥は語る。

 ──民は国を支える大きな柱。騎士というものは、魔物の脅威から、この柱を守る為に存在するのだから、と。

 だから民は騎士という存在を称え、敬い、尊ぶのだと。

「その柱を犠牲にするという事は、騎士という存在の意義、沽券に関わること。そう簡単に許容はできるはずもないわ。しかし、今の我々に、これら新たな『施設』の実態を調べ、叩くような余裕はない」

 軍資金は底を突きかけ、今まで騎士団の財政を支えてきたエッセル湖の水運事業も事実上の麻痺状態に陥っており、収益の見込みは薄い。

 西方に僅かに存在している鉄鉱山も、東方とハイディスの工作によって汚染されたまま、回復の兆しはないという。

 戦況だけを見ると、確かに騎士団は現政権を追い詰めていた。だが、財政面・資源面においては完全なる窮地。

 そんな敗色、逆転負けの臭いを察したのだろうか。或いは、以後のハイディスからの報復を恐れているのだろうか。最近まで協力的であった周辺諸国も支援を渋っている。

 冷たく、素気ない現実が更に騎士団の──アリシアの危機に拍車をかけていた。

「正直、ハイディスの方が一枚上手だったと認めざるを得ないわね。彼らは徹頭徹尾、我々西方勢力の内部からの破壊を──資源の破壊、西の民同士の潰し合いといった、我が勢力を下支えする『人』と『物』を標的としていた。それが今、このような形で効いてくるとはね」

 迂闊だった──と、騎士団の女幹部は、そう漏らした。

 戦略、戦術、これらより派生していく大局的な見地──先の内戦終結より五十余年。長きにわたる平和な日々は騎士団より、職業戦士の集団として肝要たる要素の全てを鈍らせていた。

「本来、アリシア殿下を支えねばならない我々のしたことが──猛省せねばならないわ。我々がだらしなかったばかりに、殿下やウェルト君に多大なる負担を強いたも同然なのだから」

 セリアは何も言わなかった。

 確かに、アリシア達が王都を去って間もなく、騎士団がクラウザー家の保護に動いていたならば、ウェルトの父アインスは命を落とす事はなかっただろう。母シェイリもまた獄中死する事もなければ、不死者としてグリフォン・フェザー防衛の要として利用される事もなかっただろう。

 そして、これを討ったウェルトやアリシアに多大なる心的負担をかける事もなかっただろう。

 ──だが、それは結果論に過ぎぬ。

 今更、騎士団を責めたところで、二人が帰ってくるわけではない。

 だからと言って自責を止めるよう諭しても、それは騎士団の重鎮としての責任放棄を促しているも同然の愚行である。

 そう。肯定の言葉も、或いは否定の言葉も、この場においては何の意味を成さぬのだ。

 過去を振り返る暇など、今の自分達には許されないのだ。

 幼きラムイエを担ぎ上げた王都議会が、国王より政権を簒奪したのが四年前。

 彼らによる悪政、暴政に否を突きつけんとした騎士団に西の民が同調しはじめたのが一年前。

 そして、あの孤島バスクの地にて、アリシアが決断を下したのだ。

 後戻りの許されぬ戦いへの決断を──

 既に賽は振られたのだ。

 そうなった以上、戦いの当事者である自分達に許されているのは『結果を残す』ことのみである。

 勝利し、自らの正義を証明することのみである。

 そして今、自分達が立っているのは、この修羅の道の途上に過ぎない。如何なる言い訳を並べたところで、誰もそれに成否はつけられないのだ。

 如何なる犠牲を払ってでも、戦いを終わらせなければ、それらは一切、評価に値せぬのだ。

 残酷な話だ──そう、セリアは思う。

 それ故に、アリシアは戦に民を巻き込んでしまった事を後悔する暇すら与えられぬ。

 ウェルトも母を失った悲しみに暮れる暇すら与えられぬ。

 二人は今も奔走している。戦いの当事者としての責務を全うするため、この戦いを終結させる為に。

 アリシアは王として。

 ウェルトは過去の英雄の血を継ぐ人間──味方の士気高揚のための、正当性の『象徴』として。

「──あと、どれだけ戦えば、あの二人は楽になるのでしょうか?」

 セリアは問いかける。眼前の女騎士へと向けて。

 絞り出すかのような声に帯びていたのは、苦しみめいた感情。

 それはまるで、二人の友の心情を代弁しているかのよう。

 エリーはそんな尼僧の思いを察した。ウェルトとアリシアは彼女にとって掛け替えのない友。

 この彼女の問いかけは、苦悩する友を少しでも支えんとする優しき心から生まれたものであると。

「別働隊による北の砦の制圧も無事に完遂したとの事。これで王都を守る全ての拠点を我々の手中に収め、残すは王都のみ。暫く休養を取り、指揮体制の再構築を済ませた後、王都攻撃を開始するという段取りだ。まだ最後の調整は為されていないが、一週間以内には行動を起こす事となるでしょう」

 騎士団副総帥の女は正直に答えた。

 無論、これは軍事情報である。他言は法度である。

 いくらセリアがアリシアの友。表面上はアリシア直属の配下となってこそいるが、彼女は僧──聖都大聖堂の一員である。

 騎士団の人間から見れば部外の人間。軽々に情報を漏らす事はできぬ。

 だが、エリーは正直に答えていた。

「密偵の情報によると、王都にはハイディス騎士団の長ガルシアの存在こそ確認できたものの、女王ラムイエと思しき幼子の存在は確認できなかったとのこと。ラムイエは東方勢力の総大将。窮地にある事を察して王城の奥深く、人目のつかぬところに隠しているか、或いは既に城外へと連れ出され、ハイディス教国へ逃がす手段を講じているか──」

「結局は王都を制圧し、それを確認しなければならないという事ですね」

「前者ならば城攻めの際に保護すれば良いだけの話だけど、後者だと厄介ね。ラムイエの存在はハイディスの連中にとって神の子も同然。もし、ラムイエがハイディスの地を踏んだとあっては教条的なあの国のこと、勝戦国の如く勢いづき、再び侵略行為を繰り返していく事だろう。大国でありながらも、それを看過したとあっては、我が国は周辺諸国にとって絶好の笑いものになるでしょう」

「現政権はグリフォン・フェザー防衛の際も、駐留部隊に徴用した民兵を配置するなどして、徹底的な戦力の温存を行っております。恐らく相当数の黒騎士たちが王都に集結しているものかと思われます。苦戦は必至でしょう」

「それは覚悟の上よ」

 騎士団副総帥エリーは毅然とした態度で言った。

「王都の防衛能力は最も堅固よ。広く、深い掘の内側にあるのは同心円状に建てられた四重からなる街の外壁。備えられし門は重く、しかし内部は入り組んでおり波状鎚の類は使用できないわ。力任せに突撃していっても、これら内壁の内側には敵の精鋭部隊が待ち受けているでしょうし、これの対処に手間取っている間に、壁の上に備えられし櫓から絶えず弓矢が雨の如く降り注ぐ。無策で飛び込めば甚大な被害が生じるのは必至」

「そうでしょうね」

 セリアは視線を落とした。

「投石機などの攻城兵器の類を用いれば、これらの外壁を崩壊させ、血路を開くことはできるでしょうが──」

「難しいわね」と、エリー。

「……精度が悪いのよ。この国の主流は対魔物に特化した騎士文化──刀剣類や弓の扱い、馬術を重視し、これらの腕前を昇格の基準にするくらいだからね。だからこそ、使い道が限定される攻城兵器の発達は遅れるし、使い手の成り手も少なく、その技術も成熟しない。こんな状況で投石機を使ってご覧なさいな」

「外壁の更に内側──市街地へと誤射してしまいかねませんね」

「密偵からの情報によると市街地には、いまだ多くの王都市民が避難もできずに立往生しているそうよ。本来ならば市街地が戦場になると予測されるのならば、第一に市民を避難させなければならないところだけど、王都議会は敢えてその行動を取らなかったようね」

「つまり──」セリアの表情が怒りに歪む。

「我々に投石器を使わせない為、敢えて市民を逃がさなかった?」

 その言葉を受け、騎士団幹部の女も、その顔にセリアと同じ怒りの色を浮かべた。

「──ええ。反吐が出る話だけどね」

 それは、まさに悪魔の所業とも言うべき行為であった。

 王都に住まう住民の殆どが、現政権の支持者である。

 だが、それは『施設』の存在を後ろ盾とした権力者に対する媚び諂いに他ならず、その様は付和雷同そのものであり、絶対的な忠誠などとは程遠い有様。

 戦が終わり、アリシア側が勝利を収めれば、彼らは簡単に手の平を返し、新たな王の即位を心より歓迎するであろう。

 学び、働き、納税し、伴侶を見つけ、子を産み、育て、疲弊した新たな国を支える一国民としての役割を果たしていく事だろう。

 ──だが、それは現政権側の視点から見れば単なる背信行為に他ならぬ。

 民を生かし、利敵行為へと走らせるくらいならば、いっそ彼らを、その生命を保身のための盾として利用してやろうと考えたのだろう。

「そんな事、許してなるものですか。正攻法も通じぬ。攻城兵器も使えぬのならば、次なる策を講じ、このような姑息で卑怯な手に打って出た連中に鉄槌を下さねばなりません」

 しかし、現実は非情。

 決定的な名案など、そう簡単に出るはずもない。

 エリーは思わず、苦悩めいた表情を浮かべていた。

「──今も議論は紛糾している事でしょう。恐らく軍議は夜を徹して行われる事でしょう」

「紛糾──ですか?」

 尼僧の顔色が変わった。

 その言葉が、彼女の耳には朗報であるかのように聞こえていた。

『沈黙』ではなく『紛糾』である。

 それは何らかの発案が為された事に他ならぬ。それに対し賛否が二分し、喧々諤々たる有様を見せているだけに過ぎぬ。

 即ち、糸口が存在するのだ。確実な手かどうかはわからないが、何らかの形で。

 だが、そんなセリアの反応とは裏腹、騎士団副総帥の表情は晴れやかなものでなかった。

「期待するだけ無駄よ」

 そう語る彼女の表情は、まるで鼻白んだかのような。冷めたものであった。

「見返りは確かに大きいわ。だけど成功する可能性が低い、あまりにも危険すぎる賭け。まさに狂気の沙汰とも言うべき策だからよ」

 そして最後に、エリーはこう言い添える。

「──だけど、我々はそれに賭ける事となるでしょう」と。

「現実は非情。窮地に立っている我々に画期的で確実な手が浮かぶなんて、そんな都合の良い夢絵空事など起きるはずもないからね。それに……」

「……それに?」

「戦争という行為が、そもそも狂気の沙汰だからね。今更、正気も狂気もあったものではないわ」

 

 <5>

 

 この地には、セリアの天幕の他、大小数百にも及ぶであろうそれが所狭しと敷き詰められていた。

 夜の静寂に包まれる野営地。多くは既に灯りが消え、中では戦に疲れた騎士や僧たちが眠りについていた。

 外では見張りの者であろうか、甲冑姿の人間が松明を片手に辺りを巡回し、万一に備え警戒を怠らぬ。

 そんな闇と静寂に包まれし天幕群とも言うべき場所の中央。内部からは煌々とした明かりと、喧々とした声が漏れ続けているものが存在していた。

 ウェルトとアリシアの天幕。そこには今、騎士団の重鎮、神官戦士団に属する高僧らが集い、諤々たる議論の場が設けられていた。

 誰も彼もが目を血走らせ、口より泡を吐き、おのれの持論を展開する。

 他者の発言を遮り、或いは無視をしてまで発言に執心する様たるや乱気の極み。

 誰もが必死であった。

 密偵よりもたらされた王都グリフォン・ハートの堅固な防衛力。攻城兵器に対する牽制ともとれる現政権の住民避難の不履行。

 攻略の糸口、勝利の芽は完全に潰されている。

 そんな中であっても彼らは──騎士たちは沈黙する事はなかった。

 もたらされた様々な情報を集約し、敵方の僅かな隙を見つけては、そこを突けるか否かを徹底的に議論する。

 王都西の砦制圧より数時間。今、この場で繰り広げられている議論の中心は密偵よりもたらされた──とある『情報』を発端としたものであった。

 それは差異。王都議会配下の私兵団とハイディス騎士団との間に介在する意識の差異。

 彼らの目的は無論、アリシアら騎士団に対する王都の防衛である。この点に関してのみ言えば、両勢力は完全に一致している。

 差異が発生しているのはその後──仮に王都防衛に成功した場合の、その後の行動に対する双方の考え方にあった。

 防衛成功を皮切りに、攻勢・反撃に打って出んと考える王都議会に対し、ハイディスの黒騎士らは現状維持を主張し、反撃には消極的であるという。

 そう。戦局に対する積極性に大きな格差が発生していた。

 ──理由は明白であった。

 王都議会の貴族たちが目指しているのは、この国における権力の維持にある。

 そのために彼らは、歳を重ね為政者としての自覚に目覚めた前王から、幼く自我が未熟なラムイエの支持へと乗り換え、これによる強引な政権移譲に反発をした騎士団の放逐を円滑に進める事を目的として、国防の代替として隣国ハイディスの軍門に下ったのだ。

 そんな強欲な貴人たちにとって、最も恐れているのが──アリシアの存在である。

 彼らが担ぐラムイエと同じ王家の血を継ぐ、前王の腹違いの妹にして、前王が為政者としての自我に目覚めた契機となった女。

 権力維持のため、彼女の打倒は決して避けては通れぬ。

 その女が今、最大の防衛能力を誇る王都グリフォン・ハート攻略のため、この東の地に足を踏み入れている。アリシア打倒を最大の目的とする者達にとって、この現状は最大の危機であると同時に、最大の好機。

 これを逃さぬ手はなく、反撃の機会を虎視眈々と窺うのは、至極当然と言えよう。

 だが、片や黒騎士たち──ハイディスの騎士団はどうか?

 騎士団は、彼らの目的は幾つか存在しており、それらは『段階的な構造』をとっているものと分析をしていた。

 まず、第一に、彼らの最大の目的は、この国に何らかの形で影響力を発揮できる情況を作り上げることである。直接的な支配。或いは利権への食い込みなどの型は問わぬ。その狙いは、この国より発生する様々な利益の享受。

 しかし、その目的がアリシアを先頭とした騎士団の蜂起によって実現が困難と見るや、ハイディスは見切りをつけ、次なる目的へと切り替えたのだ。

 それこそが第二の目的──『神の子』たるラムイエを手に入れ、ハイディスへと帰還すること。

 敗戦によるハイディス内の求心力低下を最小限に留め、次なる侵略戦争を仕掛けるための準備を円滑にすすめる事が狙いだ。

 これらの目的の違い──アリシアの打倒が唯一の活路とする王都議会と、撤退も視野に入れているハイディスとの間で意識の差を作り上げていた。

 戦争という命の奪い合いの場に置いて、本来味方同士であるはずの両組織間に、このような意識の差が発生しているのは致命的であると言えよう。

 そう。騎士団が狙っているのは、これらによって起こりうる両組織間の齟齬と不和による間隙。これを如何にして利用するか、それが彼らにとっての目下の課題であった。

 誰もが口調荒く、持論の展開と他者の論の否定を繰り返すなか、アリシアだけは沈黙を続け、事の成り行きを見守っていた。

 彼女は思案する。

『ハイディスの士気は決して高くはない。突くとしたらここだろう。黒騎士が集中している門に勢力の大半を集中させ、一気に攻略するか──だが、如何にハイディスの士気が低かろうとも、街を防衛する外壁部分の堅牢さは変わらぬ。そこを攻略するための具体的な案を講じねばならぬ』

 ──外壁による防衛力そのものを無効化するほどの何かを。

「皆で知恵を出し合えば、解決の糸口が見えるだろうと思って召集してはみたけど……」

 アリシアの隣の席に座するウェルトがそっと耳打ちする。

「会議が始まり数時間──紛糾するばかりで、ちっとも話が前に進んではいない。これじゃ、砦の掃除でもしていたほうがよかったんじゃないかな?」

 義従弟からの指摘。しかし、当のアリシアは涼しい顔でそれを聞き流した。

「決定的な情報が何も存在せぬからな。結論が出ぬのは当然のこと」

「──それならこんな会議、続けても意味はない。散会して、あとの時間を静養に充てるべきじゃないか?」

「そう、慌てるな」

 ウェルトの顔を一瞥し、微かに笑みすら浮かべてみせた。

 アリシアが余裕を見せていた。本来、直情径行な性格で、今のような膠着した場面を最も嫌い、最も苛立つであろう──あのアリシアが、である。

「東の勢力の中心であるハイディス騎士団の士気低下と、王都議会私兵団との間の関係悪化──今は、現状の整理さえできていれば良い。それを土台とし、後程もたらされるであろう情報を基に、その後でゆっくりと議論を深めていけばよい」

「もたらされるであろう情報って──あの捕虜からの情報を待っているというのかい?」

『捕虜』とは、今日の戦いの末、騎士団によって生け捕りとされたハイディス騎士団の幹部数名。

 現在、別の天幕で尋問が行われており、アリシアは間もなく口を割るものと見ていた。

「あれだけの大量の、戦闘力に劣る民兵を押し付けられ、こんな前線の辺境の砦に駐留しているのだ。東方勢力の中で最も下層に属する人間か、或いは何らかの理由で上層部に反抗し、厄介払いとされたものと考えるべきだ」

「あのハイディスの騎士が反抗ねえ……」

 ウェルトは眉根を寄せ、怪訝めいた表情を浮かべた。

「あんな狂信的で教条的な連中が、そう簡単に調落されるものかな?」

「狂信的で教条的だからさ」

「──え?」

「ハイディスはここに来て、方針を大きく転換させたのだ。ハイディスの神ソレイアの仇敵たるこの国に対する『復讐と支配』から、撤退を視野に入れた『現実的な方針』へとな。ならば内部で反発が起こって当然だ。神ソレイアに対する信仰心に篤い人間ならば──それこそ、狂信的で教条的ならば尚更な」

 それが起こったのは、アリシアが言い放ったその時だった。

 天幕の外より気配の変化が発せられた。

 数名からなる気配。議論が紛糾する中、冷静であったアリシアとウェルトだけが、その些細なる変化に気付く。

 二人の表情が同時に一変する。

 程なくして、気配のうち一人より声が発せられた。

「アリシア殿下へ火急のご報告──捕虜より情報を引き出す事に成功いたしました」

 慌てているのだろうか? その声は大きく、やや早口。その声が会議場内に響き渡るや、誰もが発言を中断させた。

 白熱した会議場はこの一瞬をもって、外界と同じ静寂に支配されることとなる。

「──入れ」

 静寂ゆえ、アリシアのこの声がいやに大きく響いた。

 その声に応じ、天幕の外より現れたのは両手首に拘束具を嵌められた男。そして、これを左右より腕を取り押さえているのは、二人からなる甲冑に身を包んだ騎士団の者たち。

 男は一切の武具の類を身に着けてはおらず鎧の下に着る綿入れのみを纏っていた。憔悴しているのか、常に顔を下へと向け、両脇を固める騎士に引っ張られてようやく、自ら歩を進める始末。

 一見して、このたび捕虜となったハイディスの黒騎士であると知れた。

「殿下の御前であるぞ! 捕虜とはいえ敵兵を連れて来るなど、どういう事だ!」

 天幕内にいた重鎮の一人が口調荒く、来訪者たる騎士を叱責する。

 責の対象となった騎士たちは一瞬の間、語気に圧されて怯んだものの、すぐに立ち直り、毅然とした態度で弁解を開始した。

「アリシア殿下に直接言いたいことが──『願い』があるとの事。それが我々に情報を提供する交換条件だと」

「願い?」それは予想外の言葉であった。

 敵対者に向けているものとは思えぬ単語を聞き、その場に居合わせた全ての者が、呆気にとられ、まるで急速に毒気が抜かれたかの如く、各々の顔より怒りの色彩が消え失せていった。

「いいだろう。その『願い』とやらを聞こう」

 誰もが言葉を失うなか、アリシアは言った。

「それは──今の我々でも可能な事なのであろうな?」

 アリシアは、項垂れるハイディスの騎士の姿を値踏むかのような視線を向けていた。

 事の善悪は兎も角、流石は祖国のため最前線たる敵国の地で戦い続けた戦士というべきか。無駄な肉のついていない均整の取れた体つきをしていた。

 戦士としては理想の肉体。この国の騎士でも、これほどまで徹底的に鍛え上げた人物など、数える程しか存在してはおるまい。

 ──だが、血色が悪かった。

 この国の風土が身体に合わなかったのか。或いは尋問の方法に少々過激な点があったのか。はたまた長引く遠征の日々に心身ともに疲労困憊であるのか──今の彼の姿が、窮地に追いやられているハイディス騎士団の現状を象徴しているかのよう。

「──ああ。そうでなければ、このような無様な姿を晒してまで、貴殿の前に現れたりはせぬ」

 男は顔をあげる。

 初めて見る黒騎士の素顔を見た瞬間、誰もが目を瞠った。

 その顔は──あまりにも若かったのだ。

 面影に幼少のそれを色濃く残していた。歳の頃は十三、四といったところか。

 この国の制度に照らし合わせると、士官学校に通い、騎士としての基礎を学んでいる最中か、或いは師事する騎士の家に従者として働いている頃。

 戦場、それも敵地の最前線に身を置くにはあまりにも早すぎる年齢であった。

「子供なのに、随分と悲壮なことで」

 ウェルトは苛立ったかのように言葉に皮肉を込める。だが、その言葉の矢は眼前の少年騎士ではなく、このような年端もいかぬ子供を容赦なく戦地に駆り出すハイディスの政治体制へと向けたものであった。

「言いなよ。その『願い』とやらを、さ」

 ウェルトに促され、少年は口を開く。

 恐らく命乞いだろう、この時点では誰もがそう高を括っていた。そして、その程度の願いならば、叶えるつもりであった。

 自分達が求めてやまぬ王都の情報と引き換えならば、取引材料としては十分。そして、何よりも戦場ならば兎も角、このような年端もゆかぬ少年を殺めてしまう事に、誰もが少なからず抵抗を覚え始めていたからだった。

「俺の願いとは──」

「──!」

 だが、現実とは時に人の想像を超える事が起こるものである。

「貴様、正気か?」

 次の瞬間──ハイディスの少年の口より発せられた言葉に、誰もが我が耳を疑っていた。

「王都に駐留するハイディス軍の長、騎士隊長ガルシアを殺してくれ──今、お前はそう言った。しかし敵同士だが、敢えて言わせてもらおう。貴様のその言葉、祖国に弓引く行為に他ならぬのだぞ? それでも良いと言うのか?」

 少年は即座に頷く。

 その余りにも落ち着き払った態度に、騎士団の重鎮たちは互いに顔を見合わせる。

 誰もが困惑し、混乱するなか、少年はその理由を──祖国に対する背信行為へと至った理由を話し始めた。

「──俺達は戦いの意味を失ってしまったんだ」

 これが最初の言葉だった。

「祖国ハイディスは土地が極めて貧しく、碌な農作物すら育たぬ不毛の地。貧困と餓えから逃れるために我々は、他国で繰り広げられている戦争に傭兵として参戦し、戦勝の後、様々な利権の恩恵に与る事によって、なんとか今まで口に糊をすることができた。この度、この国を訪れたのもその一環。東方政権の要請を受け、これらに従ったまでのことだった。しかし──」

「国民皆兵という制度が有する絶大な数と、謀略の力で悉く戦況を支配してきたハイディスによる『常勝の法則』が遂に外れたという訳か?」

 誰かが存分に皮肉のこもった言葉をぶつける。

 だが、黒騎士の少年は反論する事もせず、ただ頷くのみ。

 彼は続けた。

「敗色が濃厚となった今、すぐにでも我々は撤退するべきだったんだ。所詮我々と、この東の政権は利害関係によって結ばれたに過ぎぬ間柄。王都を包囲されつつあるほどにまで攻め込まれ、権力の維持と契約の履行が困難となったのだから」

「しかし、現実はこうして王都議会の連中と肩を並べて、王都防衛に携わっているじゃないか?」

 今度はウェルトが口を開き、そう問いかけた。

「それに、我々が仕入れた情報によると、お前達ハイディスは『肯定の天使』教団を国教と認め、他国への侵略行為を肯定するだけではなく、その教団の神となった女──ソレイアの仇をとるために、この国への攻撃を始めたものとされている。しかし、お前の言葉を聞く限り、その教条的で狂信的なハイディスの国民像と遠くかけ離れており、なかなかに現実的な考えをしているようだ。この差異、説明できるかい?」

「簡単な事」

 少年は即座に答える。

「確かに、我がハイディスは『肯定の天使』教団を国教と認めており、その教義を利用して他国への侵略行為を肯定している。だがそれは、食うために他国を攻撃し、侵略せねばならぬ現状に対する良心の呵責を軽減するための方便に過ぎない。大半の人間にとってはね」

「大半の人間にとっては──か」と、今度はアリシアが口を開く。

「なるほど。その『大半』の範疇に入らぬのが騎士隊長ガルシアであると。教条的で狂信的に教団を信奉するがゆえに、本来、利権を得る為の『手段』に過ぎなかった、この国への攻撃が『目的』へと変じてしまった、と?」

「そうさ。主に我々ハイディスの騎士団は、俺のような『現実派』と、ガルシアのような『教団派』に大きく二分している。そしてこの二派のうち力を持っているのは当然、騎士隊長を擁する『教団派』さ。敗色が濃厚となり、即時撤退を主張する『現実派』と、戦いの継続を主張する『教団派』は対立を初め、その結果、俺達はこうして前線に配置されてしまったという訳さ」

 少年の声に、自虐めいた感情がこもる。

「反意を有する人間を排除するために──」

 そう。アリシアの予測は的中していた。

 確かに、ハイディスの中で方針変更が起こり、軍内で対立が発生していた。

 ただ、一つだけ見誤っていた点がある。

 ガルシアら『教団派』の目的が時間稼ぎのための『現状維持』ではなく、あくまで『継戦』であるということ。

 そして、その目的は利権でも支配でもなく、この国に対する攻撃そのものにあるのだと。

 ──最悪だった。

 利権を目的とした侵攻ならば、当然、その国の政治は破壊されるだろう。しかし、その利権の根底に根差す経済の破壊は最小限に留めるよう努めるもの。

 そして何よりも、これらを構成し成熟させているのは人──その国の人間である以上、彼らもまた保護せねばならぬ。

 だが、攻撃を目的とした侵攻ならば話は別。

 これには『終わり』が存在せぬ。故に歯止めというものが全く効かぬ。憎悪の赴くまま後先を考えず、対象の破壊を最優先する。

 経済も、人すらも徹底的に──

「こんな事を言える立場ではない事は重々承知している。だが、恥を忍んで頼む。俺達に替わってあいつらを──『教団派』を止めてくれ」

 そう声を絞り出すや、少年は再び俯く。

 彼は涙を流していた。

「確かに俺たちは、今まで色々な国に乗り込んでは時には傭兵として、時には自ら侵略者として戦ってきた。戦士や騎士のみならず力なき市民や女子供も殺してきた。『施設』を作り、彼らの尊厳を蹂躙してきた。今更それを正当化するつもりはない。だが、我々には目的があった。そのためにはこれらの行為が必要だった。故に、目的が達せられたのならば、これらの行為を続けるつもりはなかった」

 あまりにも身勝手な言い訳だった。

 聞いた誰もが怒りを覚え、眼前の少年を切り殺してしまいたいという衝動に駆られていた。

 張りつめる空気の中。懇願の言葉は続く。

「だが『教団派』は違う。彼らには必要な破壊と、不必要な破壊の区別がついていない。自軍他軍問わず損害を徒に拡大させるために兵を率いている。このままでは我々も、お前達も甚大な被害を受けるだろう。いや、戦士や騎士だけではない。戦いに生き延び、あちこちに散った『教団派』の残滓が必ずや、力なき市民、女子供に危害を加える事だろう。奴らの目的はあくまで『攻撃』なのだから」

「釈然とせぬな」

 重鎮のうち、誰かが言った。

「もし、貴様の発言が全て事実だとすると一つ矛盾が生じる。ならば何故、グリフォン・フェザーではあのような『時間稼ぎ』でしかない防衛策を講じたのか──だ。あの街に十分な戦力を保持させ、制圧を防ぐことができれば──今のように王都を包囲されるほどにまでに追い詰められることはなかったはず。『継戦』を優先しているのならば、それこそ東方二大都市を維持する方向で戦況を維持させておけば、様々な面において都合がよかったはず」

 別の重鎮が更に問いかける。

「まさか、その時間稼ぎによって得られる結果が、グリフォン・フェザーを捨てたことによる損失を上回るものだと言うのか?」

 しかし、黒騎士の少年は頭を横に振る。

「グリフォン・フェザー防衛の段階で、既に我々『現実派』の人間は全て、作戦立案より外されていた。何故『教団派』がグリフォン・フェザーを捨てるような真似をしたのか、その真意はわからない」

「そこが肝要なところだろうに……」

 質問者が苛立ったかのように言い放ち、頭を抱えた。

「まったく、肝心なところで役に立たぬ──」

「──もうよい」

 悪態をつく重鎮の一人をアリシアが制する。

「現在の危急の事態を、ハイディス側からの視点で語ってくれたのだ。それだけでも十分に傾聴に値する。お陰で我々の調査能力だけでは決して判明できなかったことが次々と明かされたのだ。それだけでも有意義であったと言えよう」

 だが、とアリシアは続けた。

「しかし、これらは戦の背景にある様々な力関係、時代の背景を明らかにしただけに過ぎぬ。それを知っただけでは、この現状を打破する事はできぬ。我々の目的は王都奪還であり、その為に必要なのは、外壁の強固な防衛を突破する策なのだから」

 そして、彼女は言った。

「教えろ」──と。

「ガルシアを討つためには、我々は外壁の防衛を突破し、街中の守りを突破せねばならぬ。騎士団詰所、王都大聖堂といった要所を奪還し、王城の守りを越えていかねばならぬ」

 この少年は言った。

『教団派』の兵士ではなく領袖であるガルシアを殺せ、と。

 派閥の領袖が死ねば、配下の者達は降伏せざるを得ぬ。

 故に、ガルシアさえ死ねば戦の混乱によって逃れる『教団派』の兵士を出さずして、これらを一網打尽にできるのだと。

 そう。この少年は知っているのだ。ガルシアだけを殺すことができる手段を──

 王都防衛の致命的な穴を。

 ──罠かも知れない。

 そんな疑念がアリシアの脳裏をよぎる。

 いや、アリシアだけではない。この場に居合わせた誰もが、その危険性を疑っていた。

 だが、彼女は信じた。彼女特有の直情径行な性格が、そう判断を下させた。

 あまりにも危険な賭けだった。この話の一部始終を賢者が聞けば罠だと判断するだろう。そして言うだろう。成功する確率は薄いと。熱したミルクの上にできる膜よりも薄いだろうと。

 アリシアは、ウェルトは、騎士の重鎮たちは思う。

 ──上等だ、と。

 このまま手をこまねいていても──じり貧。兵糧・資金が底を尽き、敗北するだけの事。今の惨憺たる現状を考えたら、王都奪還の可能性が僅かでも存在するだけでも僥倖。

 ──運命を託すには十分なのだと。

 賢者は誰一人として存在しなかった。

 彼らは既に、戦争という狂気の渦中に身を置き、その毒気に侵されていた。

 そう。誰もが、ある意味において愚者であった。

 この場には狂人しか存在していなかったのだ。


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