No.805378

混沌王は異界の力を求める 25.5

布津さん

幕間話2 悪魔、地球に降り立つ

投稿ペースを上げようと、書く時間を増やすと内容物が長くなって投降感覚が更に空く謎の現象

2015-09-30 18:39:41 投稿 / 全12ページ    総閲覧数:3628   閲覧ユーザー数:3519

 

機動六課の朝は早い。軍属系の令に漏れず、日の出と共に起床する者も少なくない。だがしかし、今日その日はただ一人の例外なく全員が日の出よりも早くに起床した、全員を叩き起こしたのは、非常事態を告げるけたたましいサイレンの音だ。

 

「面倒なことんなったなあ……」

 

執務室で手を組んだ姿勢で天井を見上げながら、はやては一人そう呟いた。その呟きに対して、はやての眼前で待機する者達、なのはとフェイトも、同じように微妙な表情で応答した。朝早くに鳴り響いたサイレンは、周辺世界のいずれかにロストロギアの発現を示すもの。即ち今まで潜んでいたロストロギアが、何らかの理由で出現したということ、別にそれ自体は問題無い、いや問題ではあるが、機動六課設立の目的の一つはロストロギアの回収なのだから、寧ろ歓迎すべき自体だ。であるにも関わらず三隊長が微妙な顔を作っている理由、それは出現した世界にあった。

 

「座標、第九七管理外世界……」

 

ぼそりとなのはの言ったその座標、それはロストロギア出現の座標でもあり、そしてなのはとフェイト、はやてが幼少期を過ごした座標。即ち、地球を指し示していた。しかも出現反応の箇所を絞り込んでいった結果、出現したのは“海鳴市”と、ダイレクトになのは達の出身地を示していた。

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

事前に人修羅に探査を頼んだところ、今のところ海鳴市にガジェットや悪魔の反応は無く、危険性は極小だと言っていた。彼女等が微妙な顔をしている理由は、降って湧いた故郷での任務に、どんな顔をして向かえば良いか分かっていないからだ。海鳴市に戻るのも、休暇のときのみであり、仕事で向かうのは初めての出来事なのだ。所謂(いわゆる)心の準備をする、という奴だ。ゆえに彼女等は、本来行うべき探査チームの編成を人修羅に放り投げ、こうして唸り続けていた。それは逆に言えば、全ての判断を人修羅に任せたということでもあるのだが。

 

 

「というわけで、俺が編成を任されたわけだが、前のホテル護衛みたいに確定戦闘ってわけでもないから、雁首揃えて向かう必要はない。こっちの防衛も要るしな……そういえばまだ聞いてなかったんだが、お前はどっちの部隊配属に成ってんだ?」

 

人修羅がギンガを見て言う。ギンガが部隊に合流してまだ二日しかたっていないが、既にギンガは機動六課になじんでいた。

 

「立場的には人修羅さんと似たようなものですけど、書類の上ではロングアーチ所属になってますね」

 

「ん、そうか……じゃあ任務先に赴くのは、スターズ全員、ロングアーチ隊長。あと俺とピクシー、スルト、トール、セトで行く」

 

「半分くらい残るじゃないですか」

 

「まあそうなんだがな、早めに任務を終わらせる為に人数は要る、がここを空にするわけにもいかん、だから最低防衛をこなせるだけの人数だけ残しとけば良いかと思ってな……というかそれよりもまず、向こうは魔法なんか無い世界なんだろ? なら人型に成れない奴は拙い。ミッドはまだ俺達みたいな異種に対してそれなりの対応力があるが、それがない世界は最悪だ、任務に支障が出る。だから留守番組の悪魔は人型に成れん奴を残した」

 

人修羅の言葉を聞き、エリオは意外そうな顔で傍らのオーディンを見上げた。

 

「オーディンさん、人の姿に成れないんですか?」

 

「やろうと思えば出来る。が、その外見が問題でな、顔つきや衣服が中世風のものになる、今回の任務先ではどうしても目立つだろう? まだスルトやセトの方が問題が少ない」

 

「なるほど」

 

言葉を交わす二人の槍使いを視界の端に収めつつ、人修羅は言葉を続ける。

 

「今はセトを先行させて、敵陣の介入に対して牽制をさせている。が速く現場に向かうに越したことは無い。だから今日の訓練は自主練とし、各個人で体調を整えるなり休むなり、明日の任務のための準備期間として使用しろ」

 

了解ッ!! と綺麗にそろった敬礼と返答を最後に、その場の集まりは解散となった。

 

 

「………」

 

日もやや下がり始め昼終わりに近い時間帯、日の光を反射する“翠屋”という喫茶店の看板が、長閑を具現化したような市街地の一角にあった。その中では一人の男性が、ティーカップを磨きながら頻りに壁時計を気にしている。

 

「お父さん忙しないですよ」

 

男性の隣で同じようにティーカップを磨く女性が淡々とそう言った。

 

「いや、だってなあ……」

 

「あの娘は時間をちゃんと守る子です、それに今日はお仕事で来るのでしょう? それなら猶更時間通りに来ますよ」

 

そう言って女性は磨き終えたカップを置き、次を手に取った。女性の名は高町桃子、そして男性の名は高町士郎。その姓の示す通り、なのはの二親であり、ここはミッドチルダではなく、なのは達の故郷である地球だ。

 

「お父さんお母さんただいま~」

 

そのとき、涼しいドアベルと共に、なのはの声が店内に入って来た。

 

「お、なのはおか…え……え?」

 

笑みと共に娘を歓迎しようとした士郎が停止した。

 

「おー! ここがなのはママのお店?」

 

なのはに手を引かれた少女の発した一言に、口が言葉を紡ぐことを拒否していた。

 

(なのは……ママ!?)

 

「わたしのお店じゃなくて、わたしのお父さんとお母さんのお店だね」

 

「おかえり、なのは」

 

「お母さんただいま!」

 

彫像と化した士郎を置き去りに、眼前では時間が経過していく。

 

「? お父さんどうしたの?」

 

彫像を不審に思ったのか、なのはが彫像に話しかけた。

 

「な、なのは、その娘は一体……?」

 

「あ、そうだね。驚かせようと思って言ってなかったんだけど……ヴィヴィオ、はいご挨拶」

 

士郎の腰元程度のしかない少女が、満面の笑みで士郎を見上げ言った。

 

「なのはママのお父さんお母さん、初めましてヴィヴィオです!」

 

再び聞こえたその単語に、高町士郎は強い悲嘆に襲われた。

 

「お父さん、どうしたの?」

 

「どうしたのー?」

 

何やらぶつぶつ言いだした士郎に、なのはとヴィヴィオが下から覗き込む。と士郎がなのはの肩に両手を置いた。

 

「………だ」

 

「え?」

 

「……れだ」

 

「え、なに?」

 

「父親は誰だああァァァッ――――!」

 

「えぇ!?」

 

絶叫を挙げた父親になのはは若干、否、かなり引き気味になった。その様子に、その察しの良さから既に感付いているであろう桃子は何も言わず、笑みを浮かべて見守るばかり。当のヴィヴィオは不思議そうになのはと士郎を見比べている。

 

「え、お父さん何言ってるの?」

 

「そんな! なのはがまさか報告もせずにそこまで進んでいるなんてお父さんはなあ!」

 

「ちょ、お父さん何勘違いしてるのか分からないけどヴィヴィオは―――」

 

「おぉ、ここか?」

 

勘違いする士郎を正そうと、なのはが説明をしようとしたその瞬間、狙ったかのように再びドアベルが鳴り、全身に入れ墨を入れた男がやって来た。

 

「そろそろ時間かと思って呼びに来たんだが……まだ早かったか?」

 

「あ、人修羅さん今―――」

 

助けを求めるようになのはは人修羅を見た、そしてその視線を追うように士郎も人修羅へ視線を向ける。

 

「お前かああァァァッ――――!」

 

「は?」

 

既に彼は正気を失っていた。

 

士郎がどこからか取り出した護身用の木刀の切っ先が、唸りをあげて全身入れ墨の男に向かった。なのはの父親である高町士郎は、実は喫茶店を経営する以前は要人のボディーガードという鉄火場の仕事についていた男だった。仕事中のテロによって重傷を負い、それ自体は引退したものの、日頃の鍛錬は怠ることなく続けており、筋肉の質や動きの切れなどは一般人と比べて非常に高い水準にある。それに加え、御神流という古流剣術の師範代も務めている。そんな男の全力の突きだ、素人ならばもろに喰らい血反吐を吐くことになるだろうし、並の実力者であっても回避不可、受けることしか出来ないだろう。しかし木刀が向かう先は素人でも並でもなく、そもそも人ではない化け物だ。人修羅は顔色一つ変えず極めて冷静に、まっすぐ眉間辺りを狙ってくる木刀を見た。そして裏拳で木刀を横合いから殴りつけ半ばから叩き折り、柄を握る士郎の手を捕ると、そのまま合気の流れで翠屋の床へと叩きつけた。

 

「フッ……」

 

ビダーンという擬音が非常に似合う様で叩きつけられた士郎は、苦悶の声でも呻く声でも無く、ただ空気の抜けるような音を発するとそのまま動かなくなった。

 

「………あ」

 

「あらあら」

 

そこまでの流れで、初めてなのはは父親の現状に気付いたようで、小さくそう口にし、桃子が意外そうに呟いた。が、その後には何も続かない、翠屋に意味の分からない沈黙が舞い降りた。

 

「つーか微妙に二度ネタだろコレ。一昨日やったぞ」

 

飽きれたような人修羅の言葉にも返答はなかった。

 

 

常日頃から破天荒な様が目立つ人修羅ではあるが、彼は元一般的男子高校生なのだ。一般常識くらいは持ち合わせているし、ただの人間を全力で叩きつければどうなるかくらいは分かる。少なくともヴィヴィオの前で晒して良い光景では無い、だが悪魔側の意志は叩きつけたがった。ゆえに人修羅は加減して叩きつけた。人間の意見と悪魔の意見の折衷案の結果だ。そして、加減して叩き付けられた士郎は、数分後に目を覚ました。

 

「なんだ! なのはの仕事場で預かってる子だったのか!」

 

鬼の形相から一転し、快活と笑って士郎はそう言った。士郎が目覚めた後、なのはによる必死の説明がやっとのことで功を奏し、人修羅の軽口による妨害も乗り越えて、士郎に正しい認識を与えることに成功していた。

 

「はっはっは……はぁぁ……」

 

が、再び表情が一転。溜め息とともに眼から光が失われてゆく、が口だけが未だに笑っているのが不気味に映る。

 

「お、お父さんどうしたの? 投げられたとき何処か打った?」

 

「俺がそんなヘマをするかよ」

 

なのはと人修羅が士郎に付いて言葉を作る。ちなみにヴィヴィオは桃子に任せられており、今は彼女が作った洋菓子の生クリームで頬を汚しているところだ。

 

「いや、自分じゃまだまだ現役だと思ってたんだけど、流石にもう年かなあ……」

 

何が、となのはは思いかけて先ほどの光景を思い出した。父親の放った全力の突きを、人修羅が意図も容易く叩き潰した光景を。

 

「若い奴にも負けないと思ってたけど、限界ってことなのかなあ……」

 

笑みが薄ら笑いに変化した。一瞬で弱々しく衰えた父親に、流石に何か言った方が良いかと思い、なのはが口を開こうとしたそのとき、それよりも早く人修羅が士郎に言った。

 

「上から物を言わせてもらうが、さっきの突きは非常に良かった。何の加護も補助もなしに、生身の人間があそこまで鋭い一撃を放つのは相当の訓練を積んだか、あるいは狂気の沙汰でなければ不可能だ。初見では後者かとも思ったが、どうやら違うみたいだしな、普通ならまずヒットする一撃だったよ」

 

ただ相手が悪かったなと、人修羅と名乗った男はニヒルに笑った。がその笑みには悪意と呼べるものは一切なかった。

 

「人修羅くん、といったよね。君はいったい……?」

 

失意を抜かれたような呆然とした表情で、士郎は人修羅に問うた。

 

「あんたの娘と契約してる、まあ傭兵みたいなもんだよ、あんたの娘もそこそこやるが、俺が一番強い」

 

と人修羅がへし折った木刀を手に取り、断面を合わせると修復した。

 

『ディアラマ』

 

刹那の時間でかつての姿を取り戻した木刀に、士郎は一瞬だけ驚愕の視線を向けたが、すぐさま平常を取り戻し差し出された木刀の柄を受け取った。

 

「なるほど、ワケありのようだ」

 

「察してくれて助かる。俺も行く先行く先で同じ説明をしたくはない」

 

そのとき、ドアベルの音が響き翠屋に新たな人物が来訪した。

 

「我が主、時間が掛かり過ぎている」

 

桃子や士郎が歓迎の挨拶を言うよりも速く、やって来た人物はドアを開け放ったままでそう言った。精悍な顔つきの痩躯の青年、鮮やかな赤髪のその人物は釣り竿用の袱紗を背負っていた。

 

「ああスルトか、もうそんなか?」

 

「そんなにだ」

 

赤髪の青年スルトは靴の音を響かせて店内へと脚を踏み入れ、そのとき初めて桃子と士郎に気付いたように眉を上げると、片膝をついた。

 

「申し遅れました。お初に御目にかかりますご両人、我は主人修羅の部下であり、ただいま御息女と勤め先を同じにしております。スルトと申します」

 

「あ、ああ宜しく。高町士郎だ」

 

「はい宜しくお願いします。高町桃子と言います、いつもなのはがお世話になっていますね」

 

いきなりの来訪に、士郎は若干たじろいでいるがそれとは対照的に桃子は肝が据わっている。といつの間にかヴィヴィオは桃子に手を引かれ翠屋の中を案内されていた。

 

「何だスルト、やけに堅苦しいな」

 

「主、貴方は高町と契約を交わしている、であれば我々にとって彼等は言わば主に次ぐ扱いなのだぞ?」

 

「そうか」

 

一切の興味がない言葉にスルトは眉を寄せ、ふと士郎の手にある木刀に気が付いた。とその視線はそのまま人修羅へと向いた。

 

「我が主、謝罪は行ったのか?」

 

「今の発言に対しお前が俺に謝罪しろ。ちょっとすれ違いがあっただけだ」

 

が、そう言われたスルトは主の言葉を一切信用していないようで、なのはに視線を向けて事の事実を問うた。

 

「真偽は?」

 

「本当ですよ。お父さんがちょっと先走っちゃっただけです。人修羅さんはまあ……それに抵抗しただけで」

 

「ふむ? まあ主の痴態を晒していないのであれば幸いだ」

 

「何なんだよお前……」

 

主の呟きにも似たぼやきを完全に無視してスルトは口を開いた。

 

「どの程度出来るのだ?」

 

「ああ多分だが、剣の腕ならお前の相手してるあいつとそんな変わらん」

 

ほう、とスルトが興味深気に士郎を見、その拍子に背負った袱紗を揺らした。袱紗の皺や歪みから、その中にはは釣り竿では決してあり得ぬ重い気配があることがわかる。その中にあるものが何であるか、その場の全員は察していた。無論ヴィヴィオを除いてだが。

 

眼を鋭くしたスルトに士郎は肩を竦めて自嘲気味に微笑むと、肩を竦め言った。

 

「昔取った杵柄さ、流石にもう引退した身だよ。彼からは先ほど良い評価を貰ったようだけど自分の身体の衰えは嫌でも分かる」

 

「しかし精神は現役のようだ。何があったかは察する事しか出来ぬが……」

 

スルトは翠屋の床板を足裏で擦りながら言った。その箇所は平面ではなく僅かに凹み歪んでいた。道場や訓練場ではよくあるもの、踏み込みの後だった。一発で床板を撓ませるような強い震脚を士郎が行ったという事の動かぬ証拠だ。

 

「良い踏み込みだようだ。時間があれば手合わせ願いたいところだが、生憎と我々には時間がない。我が主、高町、再び言うが時間をかけ過ぎだ」

 

「と、そうだったか」

 

人修羅が立ち上がり、それに釣られなのはも立ち上がる。

 

「それじゃお父さん、お母さんまた今度。次は仕事の合間じゃなくて、ちゃんと時間のあるときに来るから」

 

「なのはママのお父さんお母さん、ありがとうございました。さようなら!」

 

大きく一礼したヴィヴィオはなのはに手を引かれて、外へと出た。

 

「では縁が合えば、またいずれ」

 

軽い一礼でスルトも後に続く。

 

「人修羅くん」

 

そして最後に人修羅も行こうとしたそのとき、ドアに手をかけた人修羅の背に声がかけられた。肩越しに振り向いてみれば、士郎と桃子が並び立って人修羅の眼を見ていた。

 

「済まないね呼び止めてしまって。君にとっては今更かもしれないが、頼みがある。なのははああ見えてもお転婆だ。これからもなのはを助けてやってくれ」

 

それを聞き、人修羅は意外そうに眼を見開いたが、すぐに士郎等に向き直ると真摯な眼で頷き、断言するような言葉で声を作る。

 

「心得た。あれがお転婆で意地っ張りで、ついでに負けず嫌いで無鉄砲なことは重々承知してるよ、だが契約は結ばれた。例えこの身滅びようと俺は、なの―――あいつの助けとなろう」

 

言いかけた言葉を飲み込み、そして人修羅は再び頭を下げ別れの言葉を告げると、ドアベルの響きとともに翠屋を後にした。

 

 

「今回の任務で発見されたロストロギアは、反応が街の全域でランダムで出現と消失を繰り返し、定期的にしか反応を拾えんもんや。せやからフォワード陣はツーマンセル。私等と人修羅さん達は単独で街の各位で反応が出るまで待機、反応が出たら最寄りの人員が素早く確保する。確保不可な代物やったら、状況を詳しく記しレポートすること」

 

はやての言葉を集まった者達は思い思いの姿勢で聞いていた。椅子に座るもの、壁に背を預ける者等様々だが誰もがはやての言葉を雑音を立てる事なく聞いている。ここは海鳴市近辺の森にあるコテージの一階。この場所はなのはの幼馴染みである、アリサ・バニングスの所持しているもので、今回の活動拠点として六課に貸し出されたものだ。アリサとの顔合わせはこの世界に到来した際に済んでいる。既知であるなのは達やその教え子であるフォワード陣には好意的な表情だったが、流石に全身入れ墨の男には微妙そうな顔をしていた。

 

「質問は?」

 

「流石にあり得ぬと思うが、念には念だ聞いておこう。発見された目標物が早急に対処すべき危険物であった場合は?」

 

普段通り厳格な口調のスルトは軽く手を挙げ問うた。

 

「……その場合は速急にロストロギアの破壊や。もし破壊不可能、あるいは破壊すれば被害を撒き散らす類のもんやった場合は、住民の避難をしてもらえる? ミッドと違ってこっちやったら骨やろうけどね」

 

「いざとなれば俺が異空間に取り込む。俺が近くにいれば俺を呼べ」

 

と人修羅が締めに言ったその言葉で、深夜を告げる時計の音が鳴り、会議は終了、各々が寝床で身を休めその日は終了した。

 

が、その日の深夜に悪魔達が起こした行動によって、その日の会議は何の意味もないものへと変化した。

 

結論から言って、任務は開始前に終了した。

 

運悪く地球の月齢が満月だったのだ。望は悪魔も人間も狂わせる、ルナティック状態でそもそも睡眠を必要としない悪魔達は、徹夜明けの作家か学生の様なテンションだった。しかも訓練場もないこちらでは深夜の時間帯は手持ち無沙汰だったらしく、完全な月輪の下で外へ繰り出した悪魔達はその場のノリで、ロストロギアの捜索を開始、そして闇夜に紛れ本来の姿で探査を行ったセトによってロストロギアは発見、確保され、深夜の内に人修羅の手によって封印状態にまで進んでいて、コテージの机の上に放置された。悪魔達を除いて誰よりも早く起きたスバルがロストロギアを発見した際の絶叫が、その日の目覚ましとなった。海鳴市で発見されたロストロギアはレリックではなく赤紫色の勾玉状の物で管理局も未見のものだった、がレリックやジュエルシードに比べれば、危険度は格段に低い代物だったのが幸いではあった。

 

 

はやては一人、コテージの椅子に全身を預け、天井を見上げながら意味のない思考を続けていた。机の上には封印状態のロストロギアがある。

 

「じゃああと頼む」

 

と気軽にロストロギアを投げてよこすのだから冷や汗が止まらない。勝手に行動したことに何か言いたい気もするが、六課に置ける悪魔の立場はそもそもそういうものだ、手綱を握り操りきれなかったこちらに非がある。施されていた封印が管理局で使用するものよりも厳重で、小さなものだったのがやけに腹立たしいが、それもやはり人修羅はそういうものだという納得ができてしまうのが悲しい。そんなこんなで一日時間が出来てしまったわけだが、ミッドチルダへの帰投は夕方だし、かといって時間を潰すのに旧友等の元に向かうというのも気が引ける。というのも久方ぶりの帰郷ということで、その辺りに挨拶は済ませてあるものの、仕事だと言ってそれほど話さずに戻ったのだ、それが翌日に遊びに来たというのは、何となく自分の総隊長としてのプライドが許さない。

 

「どうしたもんかなー」

 

なのははスターズの部下とヴィヴィオを連れて、再び翠屋に赴いている。それについて行っても良かったのだが正直場違いな気もしたので辞退した。ヴィータは過去に世話になった近所の方々へ挨拶に行ったようだがそれをスルトとトールが追尾して行ったのが気になり、面倒に巻き込まれるのは面倒だったので同行は止めた。リインはミッドチルダで代理をしてもらっているためここにはいない。そして人修羅達は当たり前のように消息不明だ。

 

「………」

 

一人だった。幾つかは自分で望んだ面もあるがコテージにいるのは自分一人だった。いまからでも翠屋か昔の住居に行こうかと、腰を浮かしかけたそのとき。

 

「ああ、貴女でいいや」

 

そう思ったとき狙ったかのようにいきなり声が来た。声の向きからして自分に向けられているものだと言うのは一瞬で理解した。見てみればそこには、いつも通りに全身を黒一色で統一し、わずかに覗く皮膚が対照的に真っ白なセトが、特徴的な龍眼でこちらを見ていた。

 

「貴女ここの出身でしょ? この辺りに図書館か、それに類するものはない? 知っていたら案内を頼みたいのだけれど」

 

端的に自分の目的だけを述べるセトは完全に普段通りだった。寝ずに深夜に大騒ぎをして暴れて来た後とは思えない。

 

「んーそやな……」

 

このままここにいても無為に時間を食い潰すだけだ。丁度良い事に、かつて海鳴市に済んでいたときに通い詰めていた図書館がある。あのころから十年近くが経過しているが、あの図書館は未だに健在だろう。

 

「ええよ、それじゃ私がよく使っとったところに行こか」

 

そう言って立ち上がる。見れば既にセトは返事も聞かずに身を翻して外へ向かっていた。

 

「そういや理由聞いてひんかったけど何で図書館に行くん?」

 

図書館への道がてら、ふと気になって話しかける。セトは自立的に動くタイプではなく、誰かに頼まれでもしなければずっと寝て過ごしている。

 

「私に頼める身分で、なおかつ調べもの、という言葉に当てはまるのは一人しかいないでしょ?」

 

「……ああ」

 

そう言われれば誰が該当するかは刹那で分かる。

 

「本当なら無視して帰るつもりだったんだけどね。自業自得とはいえ一日暇になったわけだし、それの総てを寝て過ごすっていうのも素敵だけど、気まぐれで請け負ってやることにしたの」

 

「そやろな。セトさんかなり面倒くさがりやし、自発的になにかするっちゅうのも変やしな」

 

「……否定は出来ないんだよね」

 

そんなやりとりをしている間に図書館にたどり着いた。そもそもコテージから図書館までそれほど距離は離れていないのだ。

 

「じゃ」

 

図書館へ入場するや否や、セトは短く片手を上げ図書館の奥に消えて行った。

 

「さてと、私はどないしよかな」

 

長いスカートにも関わらず器用に走るセトの背中を見送り、小さく呟く。セトを送り届けるという頼みは達成した、ゆえにここには用はないのだが、流石に図書館に来て何も読まずに帰るというのも味気ないし、なによりセトを公共の場に放置して帰るという選択肢は無い。久しぶりに報告書や参考資料の活字ではなく、物語の活字を読むのも良いだろうと、当時から変わらぬ小説の棚へ向かおうとしたそのとき。

 

「あれ? はやてちゃん?」

 

「え?」

 

いきなり名前を呼ばれた。驚いて声のした方へ視線を向けてみれば、そこには同じように驚いた顔を作っていたアリサ・バニングスと月村すずかが居た。

 

「やっぱりはやてちゃんだ! 久しぶり!」

 

「すずかちゃん! 久しぶりやね!」

 

「あれ? はやて、今日は仕事じゃなかったんだっけ?」

 

「ん、ああアリサちゃんそれが一緒に来た同僚が思った以上に優秀でなあ……」

 

「それってアリサちゃんが言ってた全身入れ墨の男の人?」

 

「すずか、声大きい。ここ図書館だから」

 

気付けば少なくない視線がこちらに向いているのが感じられた。三人は若干慌てて図書館の奥に引っ込んだ。

 

 

「へえ、あの入れ墨男がねえ」

 

読書スペースに設置された机につき、人修羅達、悪魔陣営の説明を一通り終えたはやてへの返答に、アリサは何か感慨深そうにそう言った。勿論余計なトラブルを避けるため、彼等が悪魔と呼ばれている事や人修羅の名等は伏せた。彼女達なら問題無く受け入れてくれるだろうとは思うが、一応彼等の存在は機密扱いなのだ。

 

「それで、私は今日一日空いたからここに来たってわけや、二人は何の用事なん?」

 

うん、とすずかは手元に携えていた分厚いハードカバーの本を掲げてみせた。それには表紙にエジプト神話と記されている。

 

「大学に提出する神話学のレポート作り。私とアリサちゃんはエジプト神話について書くの」

 

へえ、とはやては曖昧に頷いた。はやては神話学にはあまり詳しくはない。幼少の頃に本はよく読んだが、神話系の本には手をつけた事はなかった。

 

「それで? エジプト神話の何についてレポートするん?」

 

「うん私達はね、エジプト神話最大の悪神」

 

そのとき、アリサとすずかの背の向うにいくつものハードカバーを抱えたセトの姿があった。彼女ははやてに気付くと軽く手を振った。はやてがアリサとすずかにセトを紹介しようかと、一瞬だけ考えたそのとき、その思考を消し飛ばす単語がすずかから発せられた。

 

「セトについて書こうと思ってるの」

 

「……え?」

 

すずかの発した一言にはやては惚けた声を発してしまった。

 

「はやて?」

 

すぐさまアリサが怪訝そうな視線を向けて来た。はやては素早く冷静な表情を取り戻すと、何でも無いと手を振った。

 

「それで、セトやっけ? それはどういう神様なん?」

 

セト、という名は別に珍しい名ではない。現に管理局内にも同じ名前の局員は数名居る。ただちょっとタイミングが合っただけなのだとすずかの話に集中する。

 

「うん、言った通りセトはエジプト神話最大の悪神でね、その名前は嵐とか闘争とか、偉大な強さを象徴してて、エジプト神話の主神であるホルスの敵対者で、ホルスの父親にして自身の兄であるオシリスをバラバラにして川に流したりした暴力的な神格って伝わってる」

 

「まだ詳しくは調べてないから、あたし達もしっかり説明出来るわけじゃないけど、一般的には土豚や朱鷺の姿をしてるっていわれてるな」

 

「……でも私は違うと思うんだよ」

 

アリサの言葉にすずかが僅かに眉を寄せた。

 

「神話一の暴力的存在がそんなだとは私は思わない」

 

その隣でアリサがまたその話か、とでも言いたげな顔を作ったが、その先が気になったはやては続きを促した。

 

「そんならすずかちゃん、セトはどんな姿をしてると思っとるん?」

 

「龍」

 

すずかは間髪入れずにそう返した。

 

「龍っていうのはね、どの神話でも圧倒的暴力性の象徴なの。日本神話のヤマタノオロチとか、ギリシャ神話のティホンとか、ケルト神話のクロウクルワッハもそう。大英雄でも正面から戦って勝てない強さの象徴。なら、世界一つの悪であるセトも、本当は朱鷺や土豚じゃなくて、龍だったと私は思うの」

 

うん

 

「彼の敵手のホルスは、光を纏った隼の姿。ならそれと対となるセトは……黒い……そう、闇みたいに真っ黒な龍。偉大な強さの名にふさわしい、大きくて真っ黒な飛龍の姿」

 

何度も頷きながらそう言うすずかの真後ろで、それを完全に体現した存在が深い笑みをこちらに向けて来た。

 

「……ねえ、すずかちゃん幾つか聞いても良い? 妙に神話に詳しいけど前から知ってたん?」

 

若干声の大きくなったすずかを抑制し、その問いにはアリサが答えた。

 

「はやては知らないんだっけか? すずかは昔から神話関係の本をちょこちょこ読んでたんだよ。その影響であたしもちっとは詳しいんだ。なのははからっきしだけどな」

 

「それじゃ、二人に聞きたいんやけど……」

 

そこではやては言葉を区切り、一瞬だけ言葉を探して次を言った。

 

「スルトって名前、知ってる?」

 

「スルト? どうして?」

 

「いや、ちょっとな……」

 

「別に良いけど……それで、スルトだっけ? はやてちゃんは北欧神話に詳しいと思ってたけど思い違いだったかな……? うん、スルトはね。北欧神話に登場する巨人の一人の名前で、ムスッペルヘイムっていう炎の世界でムスッペルっていう炎の巨人を従える王様なの。北欧神話の最終章、ラグナロクでは巨人達の先頭に立ち、炎の剣を持って神々に挑む重要な役割を持ってるの」

 

はやては一見冷静そうに見えていながら、内心で昂る心臓の音を制御するのに精一杯だった。

 

(炎の世界、炎の巨人、炎の剣……)

 

先程のセトもそうだ。偶然とは思えない、合致する部分が多すぎる。はやては疑問を確信へと変えるため、次の問いを放った。

 

「アリサちゃん、すずかちゃん、他にも聞きたいんやけど、トールとオーディン、メルキセデク、他にだいそうじょう、ピクシーってのは心当たりある?」

 

アリサとすずかは同時に頷き、アリサが口を開き説明を始めた。

 

「トールとオーディンも同じ北欧神話の神格だ。オーディンは北欧神話の最高神で、主に知識や嵐、戦争を司ってる、隻眼に神槍グングニルを携えた姿が一番有名だな。トールは雷の神格で、その手に持った雷の槌ミョルニルと持ち前の怪力で、オーディン以上の武神として有名なんだ。メルキセデクは聖書神話の力天使の一人で、元々はエルサレムの王様だったんだけど、後に神格化して天使になった元人間の天使だな」

 

それで、とアリサに変わりすずかが、んーと僅かに思考し言葉を続ける。

 

「だいそうじょうは……大僧正のことかな? 大僧正は一般的に仏教で最も偉いお坊さんのことで、宗派によって違うから断定は出来ないけど、多くの場合黄菊色や紫色、緋色とかの目立つ僧衣を纏ってるから分かりやすいかな。ピクシーはケルト民謡なんかに伝わる悪戯好きの妖精の総称だね」

 

知らず識らずの内に心臓の上に手を置いてしまった。今や鼓動はまるで大太鼓のようで、なぜ二人に心臓の音が届いていないのか不思議になる程だった。

 

「じゃあ、これが最後なんやけど……」

 

はやては一度大きく息を吸い、それを溜め息に変えて吐き出し心の準備を整えると言った。

 

「人修羅、って言葉はどうや?」

 

「人修羅?」

 

それまで流暢に答えていた 二人がそこで初めて言葉に詰まった。

 

「知らないん?」

 

「ううん、聞いたことはある。聞いたことはあるん、だけど……なん、だっけ字面的に仏教系だと思うんだけど、うーん……」

 

「人修羅……? 人、修羅? あたしは聞いた事無いなあ……」

 

すずかは頭を捻って脳内を探っているが、アリサは首を振って否と告げた。

 

「面白そうな話してるね」

 

「!!」

 

そのとき、今の今まで聞きに徹していた存在が介入して来た。

 

「え?」

 

アリサとすずかが驚いて背後を向けば、そこには眠たげな瞳を笑みの形に歪めたセトが後ろで手を組んでたって居た。。

 

「ああ、アリサちゃんすずかちゃん彼女はセ―――」

 

「私はステカ、貴女とは昨日顔見せはしたよね?」

 

(ちょっと黙って)

 

柔らかい声色ながらも、有無を言わさぬ姿勢でセトは脳話ではやてにそう伝えた。セトの龍眼が悪戯っぽくチラチラと輝いているのが遠目にも分かる。

 

「ああ、昨日の……」

 

「はやてちゃんの仲間の人? 初めまして月村すずかです」

 

アリサがああ、とセトの姿を思い出したように頷き、それに続いてすずかが名乗る。対してセトは外見相応の笑みを浮かべるとすずかを見て言った。

 

「今後とも宜しくすずか。それで、セトの考察に関しては、私も同感です。ホルスが太陽の象徴なら、セトは夜の象徴。黒と考えるのはあってると思います。それに龍の象徴である暴力も、言ってしまえば王に必要な三つの力の一つ。かつてはオシリス以上の信仰を得ていたというセトに相応しいと思います」

 

「おいおい……」

 

「やっぱり! 貴女もそう思いますよね!?」

 

セトの一言で、アリサとすずかは神話に対する話題をヒートアップさせた。しかし盛り上がる三人を前に、はやてはその話が終了するまで、曖昧な相槌を返す事しか出来なかった。

 

 

「はぁ……」

 

「?」

 

ところ変わって世界を渡り、ミッドチルダ。人数の減ってやや静かになった機動六課本部の階段の一つに座り込み、溜め息を吐くエリオの姿があった。その傍らにはフリードが居るものの竜語を解さないエリオは、それと意思疎通する事が出来ない。視線こそはそちらを向いているものの、言葉は紡がれる事は無かった。

 

現在の時間は昼をやや過ぎたあたりだ。普段ならば午後の練習が終了し、それぞれの時間となるべき時だ。そしてそれは人員が半分かけた今の状況でも変わっていない。滞り無く訓練は終了し、それ自体は問題無い。エリオにとっての問題はその後だ。訓練を終えた後に、汗を流すためにシャワー室に入る事は、新陳代謝が発生しない悪魔達を除いた六課員ならば恒例となっている事だ。だがそこで問題になってくるのはそれに掛ける時間の長さだ。女性が身支度に掛ける時間は男性の比では無い。否、それに勝るとも劣らない時間を用いる男性も確かに存在するが、エリオはそのタイプではない。最も使う時間が短いシグナムと比べても、エリオの方が短い。六課の前線員は女性が十一に対して、男性が二。それもエリオを除けば残るのは犬のザフィーラだけだ。後方の支援員はヴァイスやグリフィスも居るが、彼等と鉢合わせたことは未だ無い。

 

つまり肩身が狭いのだ。

 

エリオはキャロ達を待つために、ここで待つ事が日課になってしまっている。そしてその待機時間に付き合ってくれるのは、フリードしか居ない。

 

「はぁ……」

 

二度目の溜め息をつき、エリオは頬杖をついた。と、そのとき決してキャロのものではない重い足音が聞こえて来た。

 

「む……エリオか」

 

そちらを見てみれば、何やら数冊の本を小脇に抱えたオーディンと目が合った。

 

「何を……いやいい、貴様見たところ暇そうだな」

 

「えっ? ええ、確かに今は特に何もないですけど……」

 

「ならば付き合え」

 

え? と思う間もなく、エリオはオーディンに引きずられて連れて行かれた。

 

「?」

 

そしてその場には自体を把握していないフリードのみが残された。

 

 

「……ここに何の用なんですか?」

 

エリオが連れてこられたのは、六課本部の中庭。正確に言えばそのど真ん中に座している、彼等がターミナルと呼ぶ大きな円筒の装置の前だった。

 

「少し待て」

 

そう言ってオーディンはターミナルに手を置いた。すると突如ターミナルが回転を始め、白い光を放ちバチバチと音を鳴らしだした。

 

「な、何ですかこれ!?」

 

「黙っていろ、舌を噛むぞ」

 

言う間にもターミナルは加速を続け、そして次の瞬間ターミナル周囲の空間がスライドするかのように入れ替わった。

 

「え……?」

 

一瞬だけ見えたのは加速状態によく見るブレた視界、赤と橙調の空間だった。がそのときに見えたものが何なのか把握するよりも早くに、再び空間が入れ替わった。次に現れた空間はやけに広い円状の部屋で、何の素材かは分からないが、塗装のされていない材質むき出しの部屋だった。そしてその部屋の中央にも、徐々に回転を停止しようとしているターミナルがあった。

 

「出るぞ」

 

はっ、気付けばと傍らでオーディンがマントを翻し、この部屋唯一の出入り口へと向かっている。彼の歩幅はその身長通りかなり大きい、慌てて早足で彼の背を追った。

 

「うっ!?」

 

彼が出入り口を開け放ったその瞬間、どこか底冷えしていた室内に生温い熱風が光とともに流れ込んで来た。その温度と光量に反射的に腕で顔を覆う。

 

「何をしている、行くぞエリオ」

 

オーディンは一瞬だけこちらを見たが、すぐに出入り口を潜り外へと出て行った。未見の地で置いて行かれるわけにも行かない、自分ではあの装置を起動させる事は出来ないのだから。眼を擦り外気温に慣れさせると、オーディンを追って外に出る。

 

「!?」

 

が、その脚もすぐに止まる事になった。外に出てまず初めに視界に入って来たのは、どこからの地下街のホールとそこに座する噴水。そしてその次に目入ったのはそこを行き交う大勢の悪魔達だ。それに混じり思念体や何か奇妙な人型もちらほらと見かけられたが、大半は悪魔だ。

 

「オ、オーディンさん!」

 

慌てて彼の姿を探せば、噴水を挟んだ対面側の扉の前に彼の姿があった。急ぎ駆け足で悪魔達の間を縫い、彼の背に追いつく。

 

「……見とれるのは結構だがな、あまり足を止めるなよ」

 

「すみません」

 

オーディンは軽く肩を竦めると、両開きの扉を開け先へと進んだ、今度は置いていかれぬようにその後を追う。

 

「あの、ここは一体どこなんです?」

 

道すがらずっと聞きたかったことを尋ねる。

 

「辺りの様子から察せられんか? いくら貴様でもそこまで阿呆ではなかろう」

 

そう言いながらもオーディンはすれ違った悪魔と手だけの簡単な挨拶を交わしていた。その悪魔は双頭の狼のような悪魔で、ザフィーラよりも二回り以上巨大な体躯をしていた。

 

「オーディンさんの……いえ、人修羅さん達の活動拠点ですか?」

 

「そうだ、一つ付け加えるならばここはその内の一つに過ぎんということだ」

 

そう言ってオーディンは地下街の扉のうちの一つを開き中へと入った。勿論それに続く。瞬間感じたのは途轍もない密度に圧縮された紙とインクの匂いだ。

 

「よお」

 

「……貴様か」

 

部屋の中には大量の書物や資料が所狭しと敷き詰められ、四方の壁どころか床にも、更には天井にまでもが紙とインクに支配されていた。そしてその中で水晶製の椅子に座った一人の悪魔が足組みをし、嘲笑じみた表情を浮かべている。

 

「何の用だロキ、貴様は向かいで深酒でもしているのが似合いだぞ」

 

「つれないこと言うなよオーディン。俺とお前の仲だろう?」

 

「貴様が自身の諸行を顧みての発言ならば、貴様の面の皮は大層分厚いらしい」

 

「大昔のことだろう?」

 

そのときロキと呼ばれた悪魔の視線が、オーディンを離れこちらを捉えた。

 

「ん? そのガキは何だ、お前の新しいエインヘルヤルにしちゃ、随分と小便臭いが」

 

「そんな訳があるか。向こうで面倒を見てる一人だ」

 

「ああ、例の」

 

ロキの青白い瞳が興味の光を宿す。と

 

「!?」

 

その光が一瞬で目前に近づいた。

 

「例の小僧か」

 

ロキの瞳が、まるでそれ一つが別個の生き物であるかのように蠢いた。普段ならば驚愕と警戒で飛び退っていただろうが、まるで蛇に睨まれた蛙のように、その光から眼を逸らす事も、離れる事も出来ない。が一瞬で近づいた瞳は、同じく突如一瞬で元の水晶の椅子まで離れ、そして自身とロキを遮るように、オーディンの神槍があった。

 

「おっかねえなあ! そんなにこいつが大事かよ兄弟!」

 

「そうせざる得なくなったのは、誰の所為だと思っている」

 

「は? 何の話かな?」

 

「しらばくれるな。フラロウスから既に聞いている。貴様とルシファーが事の発端だろう」

 

「発端自体はな。だが総ての元凶が誰かと問われれば、満場一致でオレじゃなくオマエが選ばれるだろうぜ。テメエが捨てたものをオレが拾ってオレ達が使っただけだ」

 

「………」

 

「おいおい、あんまシリアスになるなよ。ブチ切れんのはトールの役目だろ兄弟? オマエは上から小難しいこと言ってりゃ良いんだよ、それがオレ達の役割だろう」

 

そう言うと、ロキは大仰に椅子から立ち上がると、大股で歩き出すとこちらとオーディンをそれぞれ一瞥し、そのまま背後へと抜けた。

 

「為せば成る、成る要に成る、成る要にしか成らぬ。頭の良いオマエのことだ、既に最後までの道は見えてんだろ?」

 

そう言って退出した彼は、最後までその嘲笑じみた表情を顔に貼付けたままだった。

 

 

「……無駄な時間を過ごした」

 

扉を閉める音と同時に、オーディンは苛立たしげに言い放ち、携えていた数冊の本を水晶の机に置くと、その隣に無造作に置かれていた一枚の紙片を手に取ると、それをエリオに差し出した。

 

「エリオ、悪いがこれと同じタイトルの本を探し出してもらえるか?」

 

「……オーディンさん」

 

「何だ?」

 

「読めないんですけど……」

 

紙片に書かれている言語は、ミッドやその周辺世界で使用されているどの言語とも、一切の関連性を感じられない完全に未知の言語だった。

 

「読めずとも見れば分かるだろう。我の知っている言語の内、それはどちらかといえば特徴的なものだ。それほど数は無いだろう」

 

有無を言わせぬ彼の物言いに、エリオは吐息まじりに紙片に視線を落とした。そしてしばしの間、本を取り出す音と捲る音、そしてエリオが書物を見つけ出し、それをオーディンへ運ぶ音だけが室内に満ちた。どういう処理をしたのか、書斎には完全な防音がなされており、外界の音の一切が入り込まない。

 

「あの、オーディンさん。聞いても良いですか?」

 

数十が経過した後、不意にエリオが紙片と本棚の間を行き来させていた視線をオーディンに向けた。

 

「何だ」

 

「さっきの……ロキさんでしたっけ? あの人が言ってた、例のって何の事なんです? 僕の事を知ってたみたいですけど……」

 

「ああ」

 

オーディンは何やら書いていた紙片とペンを机の上に置くと、先程までロキが座っていた水晶椅子に腰を下ろした。

 

「エリオ、我々は別に慈善事業で起動六課と協力体制を築いているわけではない。それは把握しているな?」

 

「はい、詳しい事は階級規律で説明されてませんけど、八神部隊長が人修羅さんと何やら交渉したということくらいには」

 

「うむ、概ねその認識でいいだろう。完全な共同でないゆえに、互いの身の上を殆ど明かしてはいない。が、積極的に教え合う事は無いが、調べ合う事は許されている」

 

オーディンが槍の石突きで一方を示した。思わずエリオがそちらに視線を向けると、本棚のうちで最も装飾の新しい一冊が眼真っ先に眼に飛びこんだ。そしてその背表紙にはミッドの言語でそのまま、ミッドチルダと綴られていた。

 

「我を筆頭とし、トートにオモイカネ、ダンタリオンは知識や探求の悪魔だ。貴様等の使用する魔術や術式のデータ、情報や原理諸々。そして貴様等自身の身体データも含め、総てを調べ上げた」

 

そこまで言って不意にオーディンが眉を寄せ嫌な顔を作った。

 

「そしてそのデータはこちらに残った他の悪魔等が吟味し分別し昇華させる。そしてその吟味組みの内に、あのロキが居る。そして奴は貴様がクローン体だということに強く興味を持った」

 

さらっとオーディンが告げた言葉に、エリオは息を詰めた。

 

「っ! 知ってたんですか」

 

「言ったろう、調べた。事件簿から裁判記録まで総てな、具体的な内容こそ無いものの、モンディアル家の他の資料と見合わせれば貴様と、そしてフェイトがクローン体だということなど容易く分かる。それとも、否が応でも秘匿しておきたかったか? だとしたら我々の情報蒐集力を侮ったはやてを恨めよ」

 

「いえそれは別に……ただ僕から言うよりも先に知られてるとは思ってなかっただけですから」

 

「ふん、天知る、地知る、我知る、人知る。秘匿し続ける事の出来る事柄などあるものか」

 

「あ、あはは……」

 

「話を戻そう。ロキが興味を持つ事など、大抵はろくでもないことだ。そして今回もそれは同様だ。奴は嘲笑と愉悦を得たいだけで貴様がクローン体だという情報を、嬉々として我に語って来たよ」

 

「何故です? 情報を集めたのはオーディンさん達なんですよね?」

 

「以前我もクローン技術を研究した事があるのだよ」

 

「え?」

 

「失敗したがな」

 

自嘲気味にオーディンはそう言った。

 

「奴はそれを皮肉っているのだよ。オマエの失敗作が現れたぞ、とな。奴を悪戯者(トリックスター)と呼称する者もいるが、我から言わせればただ単に何も考えていないだけだ」

 

「………」

 

「プロジェクトFと、ミッドチルダのものはそう呼称されているのだったな。記憶転写型のクローンの作成だったか、大方どこかの王族が発案したものだろうな」

 

「オーディンさん、オーディンさんのクローン研究はどうして失敗したんです?」

 

作業の手を止め、若干の警戒を含んだ声を放った。

 

「さて、何だったかな。失敗した、というよりかは我がクローンに対して興味を失ったのだよ」

 

「興味を失った?」

 

「うむ。説明したが我々悪魔はマガツヒの塊だ、その身を形造るマガツヒの系列を完全に記録しておけば、いつでもその状態に戻る事が出来る。一人以上存在する事は出来ぬがな。しかし人間は違う、複数体存在する事が可能だ。我の研究はクローン技術を持って名のある戦士や戦乙女と同じ遺伝子を持つ者を複数産み出し、軍の強化を狙ったものだ。人間の複製、それはつまり完全に遺伝子情報の同じ人間を創るということだからな。だが」

 

「だが?」

 

「結果は散々なものだったよ。勇者と同じ遺伝子を持っていたとしても、その者が勇者となれる訳ではないのだと判明したからだ」

 

「………」

 

「親の股から産まれたか、試験管から産まれたか。この違いが意外にも大きいらしい。当時の我はそれが分からず、いつの間にかクローンなどを量産せずとも、ヘッドハントを行った方が効率も良いと結論付け、研究を打ち切った」

 

「………」

 

話を終え、再び机の上に置いていた紙片にペンを走らせ始めたオーディンだったが、聞き終えたエリオは作業の手を動かそうとせず、何か思い詰めた表情で俯いていた。

 

「オーディンさん」

 

そして数分が経過した後、エリオは再び魔神の背に声を放った。

 

「今度は何だ?」

 

今回は作業の手を止めず、視線も向けずにオーディンは対応する。

 

「オーディンさんもやっぱり、クローンじゃオリジナルの代わりにはならないと、そう思いますか?」

 

悲嘆の混じった声色で言ったエリオに対して隻眼の魔人は、肺の中身を総て入れ替えるように大きな溜め息をつき、今度こそペンを置くとエリオへ向き直った。そしてその顔には隠す気のない呆れが溢れている。

 

「何を勘違いしている?」

 

言葉を発した瞬間に呆れが侮蔑に成った。しかしその侮蔑も侮りではなく、どちらかといえば不快の念が強く出ていた。

 

「コピーはオリジナルを超えられぬと? 誰がそんな事を言った?」

 

「え?」

 

「原点は頂点でなければならないと? 巫山戯るなエリオ。我等を愚弄しているのか?」

 

オーディンが再び溜め息を吐き、拳の頬杖を頬杖を突くと眉を寄せたまま語り始めた。

 

「貴様の過去に何があったかは、概要として把握はしている。だがそのとき貴様が感じた心情までは知らんし、知ろうとも思わん。だがこれだけははっきり言っておかねばならん。良いかエリオ、オリジナルなど過去の遺物だ。日焼けた骨董に過ぎん」

 

「え……え?」

 

「貴様は貴様、オリジナルはオリジナルなどと、区別する事でしか双方の差異を計れぬような負け犬の如き戯言を吐くつもりは無い。先程言ったな、クローンは産まれの違いが重要だと、それはただ胎児の段階で得られるものが有ったか否かということだ。オリジナルは両親の情を持って産まれるが、どうあがいてもクローンは二回目の誕生だ、情が薄い。スタート地点の違いだ、その程度でしかない。むしろこの話はフェイトに聞け、奴の方が深く語れるだろう」

 

「………」

 

「勇者の遺伝子を持つものは勇者に成れん。それは我が勇者という概念のみを追った結果の話だ、奴等がそこに至るまでの生き様、黄金の精神を持つに至った経験、それらを無視したからだ。クローン技術は人間の量産でしかないのだ。勇者を造り出す手間は、むしろ技術を使う分に割高だ。だから我は研究を打ち切った」

 

そこでオーディンは寄せていた眉を戻し、エリオを見下ろすように顔を動かした。

 

「産まれなどどうでも良い。エリオ、貴様はこの軍神であり、最高神である我が、貴様を鍛えてやっているのだ。貴様の因子が、たとえどうしようもなく愚図であろうと、我が貴様を最高の武芸者に仕立ててやる、我々は契約を違えん」

 

そう言いきって再び作業に戻ったオーディンに、エリオは暫しの間、憑き物が落ちたように停止していたが、やがて動き出し声を出そうとした。その瞬間。

 

「ああやっぱりここでしたか」

 

エリオの言葉をインターセプトし、新たな言葉が乱入した。オーディンとエリオが同時に振り向いてそちらを見れば、そこには扉を開け放った姿勢のままのメルキセデクが居た。

 

「何の用だ」

 

「出迎えですよ。我が主達が凱旋なさるようで、一時間以内に帰還すると」

 

「随分早くないですか?」

 

「ええ、どうやら向こうの月齢が最高だったようで……」

 

「ああ得心した、セトが向こうに行っていたな」

 

何やら納得したオーディンと違い、理由を飲み込めていないエリオは首を傾げたが、詳しい説明は成されなかった。

 

「と、言う訳でさっさと戻って来て下さい」

 

「了解」

 

と、オーディンは手早く書類や本をまとめ、幾つかの本を手に取ると席を立った。エリオはそもそもオーディンに拉致に近い形で連れてこられたため、何も用意するものは無い。

 

「そう言えばオーディンさん。何で僕をここに連れて来たんですか?」

 

「雑用が欲しかった」

 

「……そうですか」

 

 

「……む」

 

ニュクスのバーで上物のウィスキーを舐めるように呑んでいたロキは、向かいの扉が開く音を聞き耳を立てた。そしてそこから遠ざかっていく三つの足音を拾う。

 

「ふむ……」

 

消えていく足音を聞きながら、ロキはウィスキーが入ったグラスを一息で空にし音を立ててテーブルに叩き付けると席を立った。向かう先は出口ではなく逆、個人的にニュクスに借りている自分の倉庫だ。

 

「ようやく来たか」

 

ロキが倉庫に入ると既に先客が居た、蠅王ベルゼブブだ。がしかし、普段通りの十メートルを超す蠅の姿ではなく、室内で問題無く行動するためか、大分縮み二メートル程度のサイズにまで縮んでいた。そしてその背には鎖で巻かれた棺が一つ背負われている。

 

「持って来たか、よく所在が分かったな。俺達でそれを造ってから八年は放置していただろう」

 

「うむ、このような骨董の存在など、すっかり忘れておったわ」

 

「忘れてた……忘れてたねえ、忘れたかったの間違いだろう? そんな事言って、本当は見たくなかっただけじゃないのか? 蠅王と謳われているオマエだが、魔王の内では最も良心的で誠実だ。センチメンタルでも感じてたんじゃないのかよっ―――と!」

 

瞬間、ロキの首があったところを豪爪の一閃が通り過ぎた、しかしロキは分かっていたかのように、仰け反るだけでそれを回避した。

 

「おお怖い怖い」

 

「御託はどうでもよい。煽りたいならば他を当たれ、次は貴様の臓腑を裂くぞ」

 

ベルゼブブの複眼が不機嫌そうに赤く点滅するも、ロキはそのにやけ顔を崩さず、手振りだけで了承を示した。

 

「度し難い男だな貴様は」

 

「それがオレの生き様で、そして生き甲斐なんでね。変える気もないし変えたくもない」

 

軽口を叩きながらも、ロキはベルゼブブから棺を受けとりその身に背負い直した。

 

「それは、役に立つのか?」

 

「ああ、戦闘じゃ大して動けんだろうが、こいつの存在自体がカウンターになる。蠅王、それはオマエ自身が分かってることだろう?」

 

「……どの局面で使えると言うのだ。今それを放り込んだところで、我が主の目的の妨げにしかならんだろう?」

 

「無論だ、どこに放り込むかは既に決定している。でなければこいつを動かそうとも思わなかっただろうよ。使う場面は本当の意味での最終決戦にだ。オーディンとフラロウス、それにトートとオモイカネ、ダンタリオン達が調べ上げた情報がなきゃ、こいつは永劫死蔵のままだった」

 

ロキは肩越しに棺を眺め、愉悦と嘲りに満ちたその笑みを更に深めた。

 

「……今更って話でもあるがな。使えそうだから使う、使えるから使う。我が主の指針と何も変わらないだろう」

 

それにな

 

「使った方がどう考えたって楽しいからだよ!」

 

「で? 今からそれに何を施す?」

 

「記録だ。こいつの時間はあのときから止まってる。がオーディンから情報は受け取った、今からこいつの時計の針を進めるのさ。記憶なしじゃ弱いからな」

 

そう言ってロキは背負った棺を揺らした、棺の表面は長い年月を経験し風化しており、まともに読む事は不可能だ。しかし辛うじて文字の判別程度は可能の範疇にある。だが棺に刻まれている文字は解読不明な悪魔の文字ではなく、何故か”ミッドチルダの言語“だった。

 

 

その電話が掛かって来たのは、かなりギリギリのタイミングだった。ミッドチルダ帰還の時間となり、六課組は転送ポッドで、悪魔組はアマラ経絡を通ってミッドへと向かおうとしていたまさにそのときに、コテージに備えられていた電話が鳴り響いたのだ。

 

「え?」

 

殿(しんがり)を勤めていたはやては真っ先にそれに気づき、驚きの声を上げて電話を見た。既に殆どの班員はミッドへ戻っており、残っているのは転送直前のなのはとセト、ピクシーだけだ。はやては消える直前のなのはと目配せし、電話へと向かい受話器を手に取った。

 

「もしもし?」

 

『あ、はやてちゃん? よかったまだこっちに居たんだ』

 

「すずかちゃん?」

 

電話の主はすずかだった。はやては僅かに驚いたが、すぐに得心した。そもそもこのコテージはアリサの所有物なのだ、ここの番号を知る人物は多くない。鍵を返す目的でアリサとは顔を合わせているのだから、考えられる人物は片手で足りる程度しか居ない。

 

『ごめんね、もうはやてちゃんは向こうに戻る時間なのに』

 

「ええよ別に、それでどしたんや?」

 

『うん、人修羅についてちょっと』

 

「え!?」

 

予期せぬ驚きの声が出た。が、すぐにすずかが言っている人修羅は先程、無理矢理空間に穴を開けて飛び込んでいった方ではなく、図書館で話題にした方だと思い至った。

 

『あの後気になって、大学で神話学に詳しい教授に聞いてみたんだけど、教授もかなり昔に一度聞いただけの存在で、私の口からそれが出たことを驚いてたよ』

 

『人修羅は、密教であるアニミズム系の宗教、ガイア教の聖書、ミロク経典に登場する人でも悪魔でも神様でもない特殊な存在らしいの。でもごめんね? ガイア教自体がもう随分前になくなっちゃった宗教で、ミロク経典も写本を含めた全てが燃やされた後で、しかもそもそもミロク経典自体、誰が書いたのか不明な経典でガイア教で位の高い人達でも、理解出来てたのはほんの一握りっていう代物で、信仰の場では用いられなかったから、もう詳しい内容を知ることは出来なかったの』

 

『ただ分かっているのは、人修羅は滅んだ世界を生まれ変わらせる存在って事と、混沌王って呼ばれる特殊な存在の半身ってこと』

 

「混沌王?」

 

その言葉は度々耳にしている。ベリアルやネビロス等の一部の敵悪魔が、人修羅のことをそう呼ぶのだ。

 

『うん、それでその混沌王だけど……ごめん、こっちは本当に何も分からないの。人修羅と違って本当に記述すらないし、教授の考えだと混沌王自体が存在しない神格なんじゃないかって……あ、ごめんね時間取らせちゃって、また人修羅について分かったら連絡するよ』

 

「……うん、お願いね」

 

受話器の向こうで、通話を切る音が鳴った。続きはやても受話器を置こうとしたそのとき。

 

「満足した?」

 

いきなりゼロ距離から声が来た。反射的にその方向、ほぼ真下を見れば、セトがどこか楽しげながらも、冷えた笑みでこちらを見上げている。少し離れた地点ではピクシーが不機嫌そうに無言で浮遊している。

 

「知りたい事もあるだろうけど、でも今はまだ教えてあげない。今はまだ、ね。でもすぐだよ、もうすぐそこ」

 

笑みを深くしたセトは踊るようにアマラ経絡に飛び込み、髪を靡かせながら姿を消した。そしてその後を追い空間の穴を閉じる役のピクシーもアマラ経絡への穴を潜った。普段は多弁なピクシーは、はやてを一瞥しただけで最後まで何も言わず不機嫌なままアマラ経絡へ飛び込み、そして閉じた。

 

「………」

 

一人残されたはやては、以前にロキと話した際に感じた思いがふくれあがるのを感じた。もやもやした思いを抱えながらも、はやては転送ポッドでミッドチルダへと戻った。


 
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