No.662790

真・恋姫†無双 想伝 ~魏†残想~ 其ノ二十四

どもども!
今回はそこまで間が無く投稿できました!

次も出来るとは限りませんが、個人的に皆様をお待たせすることがなかったというのは嬉しい限りです。

続きを表示

2014-02-12 23:59:46 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:7493   閲覧ユーザー数:5321

 

 

 

 

【 動き出す日 】

 

 

 

 

 

 

 

魏興郡某所。平原にて。

二人の男女が馬を駆っていた。

 

青年――北郷一刀は隣に並び馬を駆る華琳に話し掛ける。

 

 

「にしても驚いたよ。まさかいきなり遠乗りとは」

 

「あら、そう?」

 

「いやだって連行……もとい誘われたの明け方だぞ」

 

「他の邪魔が入る前に行動を起こしただけよ」

 

 

不敵に笑う華琳に苦笑いを浮かべる一刀。

昨日の一件はどうやら軽く華琳のトラウマになっているらしかった。

 

そりゃあ自分のいない間に想い人(ほぼ夫)が自分よりも身体つきの良い美女二人に襲われていたとなれば、そうなるかもしれない。

 

 

「ふぅ……やっぱりいいわね」

 

 

華琳は前を向き、目を閉じて呟く。

馬を駆りながら目を閉じるのは危ないから止めてほしい、と思う一刀だったが流石にそれを口にはしない。というか出来ない。

 

何故なら

 

 

「ああ、風が気持ちいいな」

 

 

一刀も全く同じことを思っていたから。

 

馬を駆りながら目を閉じて風を感じる。

これだけのことで気分が良くなるのは何故なのだろうと考え、止める。

 

そんなことを考えるのは無粋だろう。今はこの感覚に身を任せよう――と思いながらふと目を開ける。

 

目の前に岩が迫っていた。

 

 

「うわっ!」

 

慌てて手綱を操作し、間一髪で岩を避けた。

 

 

「あぶねー……」

 

「眼を閉じていても岩くらい避けれるようになりなさいよ」

 

 

後方に遠ざかっていく岩を見ながら冷や汗を拭う一刀。

そんな一刀を見て呆れたような表情を浮かべた華琳はそう口にする。

 

 

「無茶言うな」

 

「今のあなたならそれぐらい可能な気はするけれど……まあいいわ。でもそれぐらいできないでどうするのよ。今やあなたは太守。言わば『王』なのよ?」

 

「王、ね。元覇王様に言われてもなあ」

 

「別に私のような王にならなくてもいいわよ。あなたはあなたが善しとする王になりなさい。もちろん、あなたをこういう王にしたい――みたいな、個人的な理想はあるけれどね」

 

「いや、現段階でも華琳の帝王学はだいぶスパルタなんだけど」

 

「すぱるた? また私の知らない天の言葉ね」

 

「ああ、はい。言いたいことは分かるよ。意味を教えろって言うんだろ? 帰ったらな」

 

「別に今でもいいじゃない。なんで帰ってからにする必要があるのかしら」

 

「……あのなあ」

 

その台詞に一刀は嘆息する。

華琳はそれに少なからずショックを受けたようで、少し不安げな表情を浮かべた。

 

 

「な、なによ」

 

「一緒に時間を過ごしたいのが自分だけとか思うなよ?」

 

「……えっ」

 

「それっ!」

 

それだけを言い残し、一刀は馬に鞭を入れて速度を上げた。瞬く間に一刀と華琳の距離は離れて行く。

 

 

「ちょ、ちょっと一刀! い、今なんて――」

 

 

我に返った華琳も慌てて馬に鞭を入れ、速度を上げる。

徐々に狭まっていく一刀との間隔。あと少しすればすぐに隣に並ぶだろう。しかしその時間すら今の華琳には惜しい。

 

――自分だけとか思うなよ?――

 

 

その言葉がスッと胸に落ちる。顔が熱くなるのを感じた。

たった一言だけ。でもその一言がたまらなく嬉しかった。自然と口角が上がる。顔がにやけるのを止められ無さそうだった。

 

願わくば、この時間が少しでも長く続きますように。それが今の華琳の、些細で切なる願い。

 

 

 

 

 

 

所は変わり、魏興の街。

 

 

「う~ん……」

 

 

北郷軍軍師、荀攸こと楓は唸っていた。腕を組み、首を傾げて唸っていた。

彼女が目の前にしているのは、雑貨。楓は暇な時間を使って、部屋に置く調度品を物色しに来ていた。

 

調度品といってもそこまで大仰なものではなく、軽い置物程度という感覚での買い物。

しかし普段は適当な側面が目立つ楓も一人の女性。買い物には時間が掛かるのもまた当然と言えば当然なのだ。

 

 

「どうしよっかなー」

 

 

身体を右に左にユラユラと揺らしながら目の前に並ぶ商品を吟味する楓。

 

 

『これなんかどうです?』

 

 

それを見かねてか、店主がひとつの置物を渡す。それは猫を象った置物。

 

 

「うん、却下」

 

 

しばらくの間それをじっと見つめていた楓だったが、どうやら訴えかけてくるものが無かったらしく頭を振った。

 

すごすごと店主は引き下がる。

 

 

「やっぱ私はこういうの苦手だなー。いやまあ、じゃあなんで買いに来てんだって話なんだけどさ」

 

 

楓は独り言をブツブツと呟きながら店の奥に眼を向けた。そこに立っていて、商品を見ているのはこの街では見慣れぬ少女。

 

 

「ねえ。キミもそう思うでしょ?」

 

 

気付けば、楓はその見慣れぬ少女に話し掛けていた。

 

 

「え?」

 

 

楓の声に少女が振り向く。

キョロキョロと辺りを見回し、自分と楓以外の人間が店主しかいないことを確認すると、楓のことを見つつ多少遠慮がちに自分のことを指差した。

 

 

「今のは私に言ったのか?」

 

「うん。店主さんの他にはキミしかいないし」

 

「はあ」

 

「いやー、実は私って一人で買い物するの苦手なんだよね。昔っから優柔不断でさ。良いもの探そうとするんだけど結局納得できるものが見つからないで買い物が終わっちゃうんだ。だからそういう時はさ、自分以外の誰かに適当な物を選んで貰うんだ。と、いうことで」

 

 

楓は一旦言葉を切り、人懐っこい柔和な、ちょっとだけ猫っぽさを感じさせる笑顔を浮かべた。

 

 

「その役目をキミにお願いしていいかな?」

 

 

唐突なお願い。究極の自分勝手に近い何か。普通なら、別に断ってもいいお願い。しかし

 

 

「ああ、私でいいなら」

 

 

見慣れぬ少女は、苦笑しながらではあったがそれを引き受けた。

寧ろそれには楓の方が驚いたらしく、少しだけ吃驚した表情になった。

 

 

「え、自分で言っておいてなんだけどいいの? ホントに?」

 

「別に構わないさ。私もこの街に来たばかりで暇をしていただけだからな。とはいえ私の選んだ物が君の好みに合うかどうかは分からないが」

 

「大丈夫! こういうのは選んでくれたってことに意味があるんだから」

 

「そういうものなのか」

 

「うん。そういうものなんだよ。それじゃあ選んでもらいましょうか! あ、買い物終わったらお礼にお茶奢るよ。薄給だからあんまり高いものは無理だけどね。ま、この街で下手な価格設定してる店は無いし、問題ないか。じゃあ早速、これどう思う?」

 

 

テンションの上がった楓はそう言って見慣れぬ少女の腕を取って自分の傍に寄せた。

一瞬驚いた表情を浮かべた見慣れぬ少女。しかし自分の引き受けた頼みを律儀にも遂行しようと、次の瞬間には楓の示す品物に注意を向けていた。

 

この時、誰が想像できただろう。

この買い物がこの後数時間に渡って続くことを。

 

見慣れぬ少女は、楓の長い買い物に付き合わされる運命を辿るのであった。

 

 

 

 

 

 

「いやー助かったよ。キミの品選びが良いからこんなに買っちゃったなあ!」

 

 

街の中にある酒家のオープンテラス(的な物)に座った楓は上機嫌で笑顔を浮かべる。その傍らには袋に入った大量の小物や置物。

 

 

「それは何よりだったな」

 

 

反面、見慣れぬ少女は多少疲れたような表情でそれに返事を返した。

 

 

「あれ? どしたの? なんか疲れてるみたいだけど。あ、この街に来たばっかりだって言ってたね。そっかそっか、旅で疲れが溜まってるんだよきっと」

 

「あ、ああ。……そういうことにしておくか」

 

「うん? 何か言った?」

 

「いや、何も」

 

 

空気を読んだ、というよりかは読まざるを得なかった少女。

長時間の買い物などしたことがなかった少女にとって、楓との買い物はある意味で苦痛だった。

 

しかし少女はそれを顔に出さず、素知らぬ顔で目の前にある湯呑みに手を伸ばし、口に運んだ。

湯呑みに入った茶が口腔に入り、喉を通る。途端、少女の眼が驚きに見開かれた。それを眺めていた楓はニヤッと笑う。

 

 

「どう?」

 

「……美味しい」

 

「でしょでしょ? まあ適当に頼んだやつだけど。でも味は保障するよ。とは言っても保障するのは私じゃないけどね」

 

「これは、なんという?」

 

 

余程驚き、そして美味だったのか、少女は中身が半分くらいになった湯呑みと楓を交互に見て尋ねる。

 

その質問に楓は肩を竦めた。

 

 

「知らない。でもそれほど高価な物じゃ無い筈だよ。こういう言い方するのはあれだけど、一般人――つまり民でも普通に飲める値段だしね」

 

「なら何故こんなにも……」

 

「美味しいのか、って?」

 

 

少女は神妙な顔で頷いた。

 

 

「う~ん……淹れ方とか、かな。一応この店は吉利が監修しているからね。出すものに関しても気合入ってるよー?」

 

「吉利、殿?」

 

「まとめ役というかなんというか。この街の影の支配者的な?」

 

 

楓のよく分からない説明の仕方を聞いて眉根を寄せる少女。

しかし“この街の”と“支配者”という単語を拾い、自分の中で答えを出してみる。取り敢えず“影の”という物騒な単語は省いたが。

 

 

「つまり、その吉利殿とはこの郡の太守殿か何かなのか?」

 

 

少女の問いに、楓は首を横に振った。

 

 

「太守に限りなく近い存在ではあるけど、太守じゃないよ。太守はまた別の人」

 

「……」

 

 

楓の言葉を聞き、黙り込む少女。

少女には目的があった。その目的を達成するためには、太守に会わなければならない。

 

少女は対面席の明るい女性(多少なりとも適当そう)を観察する。

身なりや所作からして、まず普通の民じゃない。そして会話の内容がこの街に関することを細かく知っている様を匂わせている。少女は覚悟を決め、意を決して口を開く。今は藁でも糸でも縋り付きたい気分だった。

 

 

「失礼だが、あなたはもしかすると太守殿の臣下か何かなのだろうか」

 

「うん? まあ、そうかな。一応この街――というか郡か。この郡を治めてる北郷一刀くんの元で軍師やらせてもらってまーす」

 

 

軽い調子で自分の素性を明かす楓。

少女は楓の口から語られた肩書に驚く。

 

軍師。それは太守に限りなく近い位置にいるであろう人間。腹心と言ってもいい存在だ。

 

自分の幸運に少しだけ感謝しつつ、少女は気負いこんで卓に身を乗り出す。

 

 

「軍師殿。私は――」

 

「楓。また仕事を抜け出して来たのか、お主は」

 

「あ」

 

 

しかし少女の台詞は割り込んできた声に遮られてしまった。

楓が店先の道から近付いてくる女性を見て表情を歪める。ただそれは嫌悪とかそういう類のものでは無く、まるで悪戯がバレた子供のような表情だった。

 

 

近付いてきた女性――桔梗はその様子を見て苦笑しながら嘆息すると、楓の横にあった椅子に腰を下ろした。

 

 

「やあやあ桔梗。キミもサボり?」

 

「お主と一緒にするな。儂は警邏終わりの休憩だ」

 

「真面目だよねえ」

 

「お主が不真面目なだけだ」

 

「偶に昼間っから酒を飲んでる人に言われたくないかな。あ、残念だけど今日は珍しく仕事終わらせてからの買い物だよ?」

 

「……先に言わんか。決めつけてすまなかったな」

 

 

頭から仕事をサボっていると決めつけて会話を始めたことを謝罪した桔梗。そんな彼女に楓は笑って手を横に振る。

 

 

「いやいや気にしてないよ。正直、これは私の日ごろの行いが悪いしねー」

 

「それは確かに」

 

「え。否定してよ」

 

「ならば普段の振る舞いをどうにかすることだな。時に――」

 

 

桔梗の視線が楓から少女に移る。

一瞬だけ内面を見透かすような鋭い視線を向けた桔梗。しかしそれは本当に一瞬だけ。

 

 

「――この娘は?」

 

 

桔梗が楓に向かって尋ねる。

 

 

「ああ、さっきあそこの角にある店で会ってね。買い物に付き合ってもらったんだ」

 

「ふむ、そうか。すまなかったな、こやつの我が儘な買い物に付き合ってもらって」

 

「いや、そんなことは」

 

「あ、酷い。桔梗って私に風当り強い気がするなあ」

 

「お主の買い物に付き合わされた身としては当然の感想だ」

 

「いやあ、確かに私の買い物って面倒くさいけどね。でもこれは癖みたいなものだから治せないし、治そうって気も無いんだ」

 

「癖、か」

 

「うん、癖。誰かに、私に合うものを探してもらうっていう、面倒な悪い癖」

 

 

珍しく楓は儚げに笑った。

でもそれはやっぱり瞬く間のことで。すぐにいつも通りの表情を浮かべた。そして少女を真正面から見据える。

 

 

「そういえば私ってキミに名乗ってなかったよね?」

 

「あ、ああ。とはいえ私も貴女に名乗っていないが」

 

「気にしない気にしない。というかそういう意味で礼を失したのはこっちだからね。買い物に付き合ってもらったのに名乗りもしないなんて。いやあ、華琳に怒られちゃうよ。華琳はそういうのに厳しいからねー」

 

「いいから早く名乗らんか」

 

「怖いお姉さんが催促するから急ごうかな。私の名前は荀攸。字は公達。さっきも言ったけど太守の北郷一刀くんの元で軍師やってます。よろしくっ!」

 

 

楓は軽く手を上げ、テンション高めに名乗った。

次いで、これも何かの縁と思ったのか、桔梗がひとつ咳をしてから口を開く。

 

 

「儂は厳顔という者だ。この郡を治める太守、北郷一刀殿の元で武官をしている」

 

 

二人の名乗りを聞き、少女は一瞬だけ萎縮した。

しかしそれを表には出さない。あくまでも毅然とした表情で相対する。

 

 

「荀攸殿。厳顔殿。私は――」

 

 

そして彼女は名乗る。自分の名を。この街に来た目的を。

あわよくば、この郡の太守に謁見でき、自分の目的を果たせないかという願いを込めて。

 

 

 

 

 

 

「なあ、紫苑」

 

「どうしたの、星ちゃん」

 

 

紫苑と星は城内の東屋にいた。

徐に星が口を開いたのを起点にして会話が始まる。

 

 

「いやなに、暇なのかと思ってな」

 

「ええ、暇よ。一刀さんがいないと」

 

「仕事は?」

 

「星ちゃんから聞かれるとは思ってなかったわ。もちろん、今日片付けなきゃいけない分は全部終わっているわよ。一刀さんが帰ってくるまでの暇つぶしにやっていたいんだけど、思いのほか速く終わっちゃった」

 

「暇つぶし、か」

 

 

星は空に向けていた視線を東屋の卓の上に向ける。

そこには小高い山が出来ていた。大量の竹簡で出来た、山が。

 

 

「そうか。紫苑はイライラを仕事にぶつける性分か」

 

「イライラしているわけではないのだけれど……でも、そうね。ちょっとだけ悔しくはあるかも」

 

「まあ、もうすぐ主も華琳も帰ってくるだろう。出て行ったのは明け方だったと聞いている」

 

「まさかそういう方法を取るとは思っていなかったから少し驚いたわ」

 

「それは確かに。日も昇りきらぬ明け方に太守とその腹心――いや、妻と言っても過言ではないか。その二人が馬を駆って逢引に出かけるなど誰もが思うまい」

 

「天の言葉では『でぇと』と言うらしいわ」

 

「『でぇと』か。なんとなく、不思議な響きだな。しかし悪くは無い」

 

 

相変わらず自分のペースを乱さない飄々とした調子で、星は口遊む。

紫苑は物憂げな表情を隠そうとはせず、何を考えているか丸分かり。それを見て星は苦笑する。

 

 

「相当に参っているな」

 

「今の星ちゃんには分からないかもしれないわ」

 

「そうだな。確かに主には興味をそそられる。だが今はそれだけだ。私にとって主はあくまでも仕えるべき主でしかない」

 

「ふふ、直にそれだけじゃなくなるわ」

 

「ならばその時を楽しみにしておこう。だが、それにしても」

 

 

言いながら、星は何かを考えるような表情を浮かべた。

 

 

「星ちゃん?」

 

「紫苑は何とも思わないのか?」

 

 

当然と言えば当然の質問。星は明確な言葉にしなかった。だが、何を尋ねられているのか紫苑にとっては感覚的にわかることだった。それは以前、紫苑が華琳に尋ねたことでもあったのだから。

 

紫苑はその言葉を聞いて笑う。

 

 

「そうね。何とも思わないわけじゃないけど、華琳のことを考えると何とも思えない、かしら」

 

「最初に主のことを好きになったのが華琳だということは知っているが……」

 

 

厳密に言うなれば、その認識は違う。

だが今この外史でその認識が正確なのは三人だけ。

 

その内二人は当事者。残り一人、紫苑は話を聞いただけに過ぎない。

 

 

「……こういうことを口にすると悔しいし、諦めのようだし、嫌なのだけれど。でも私はそう思ってる。だから言葉にするわ」

 

「紫苑?」

 

 

紫苑は星に向かって儚げに微笑んだ。

 

 

「華琳以外は誰も一刀さんの一番にはなれない」

 

 

少なくとも、この世界では。

 

 

「――」

 

 

星は言葉を発することが出来なかった。

紫苑のその台詞は、こんなところで世間話のように語っていいほど軽いものでは無かったのだから。

 

だが紫苑は儚げではあれど、微笑んだ。その微笑みは儚げではあれど、諦めでは無い。

 

「一刀さんは自覚していないかもしれないけど、彼が一番何よりも大切にしているのは華琳。それは間違いないわ」

 

「何故そう言い切れる?」

 

「見ていると分かるのよ。好きな人の事と、大切な友人の事なら少しくらいはね。あとは……女の勘、かしら」

 

 

紫苑は一拍置いて続ける。

 

 

「でも、私はそれでいいと思ってるわ。だって華琳に勝とうとするということは、一刀さんとの別れを経験しないといけない――そういうことだもの」

 

 

何かを思い出しているような表情を浮かべる紫苑。それは友から語られたひとつの物語。

夢物語だと笑えてしまいそうで、最後まで聞けば決して笑えない悲しい物語。喜劇にもならない、と少女が評した少女自身の物語。聞いてしまったが最後、絶対にそんな別れは嫌だと忌避してしまう物語。

 

そんな、切なく悲しく幸せだった『御伽話』。

 

 

「私はそんなこと絶対に嫌なの。だって私は一刀さんの傍に居て日々を過ごすことだけでも、たまらなく幸せなんだもの」

 

 

そう言い切った紫苑の表情は明るい。

それは作られた笑顔でも、無理矢理貼り付けた笑顔でもない。

 

真実、正真正銘。心の底から紫苑がそう思っていることへの証明の笑顔だった。

 

 

星はそれを聞いて複雑な表情になる。

紫苑の言いたいことは分かった。何となく。

 

だがその気持ちまでは汲めない。

それは誰かを狂おしいほど好きになった者の特権。そして同時に責任で、代償なのだから。

 

自分もいつかそれを知ることのできる日が来るのだろうか。

そう思いながら星は今一度空を見る。照り付ける陽射しに目を細めながら、珍しく複雑な考え事をする少女。

 

 

紫苑はそんな星の横顔を盗み見て、ただ静かに微笑むだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

魏興の街入口。

一刀と華琳は予定よりも少し遅めの帰還を果たしていた。

 

 

「んじゃ、馬は頼んだ」

 

「世話は後でするから厩に戻しておくだけでいいわ」

 

『はっ!』

 

 

 

鬣を撫でることでその功を労い、乗っていた馬の手綱を兵士に預ける。

兵士の簡潔な返事に頷き、一刀と華琳は街中に向かって歩き出した。日はちょうど頭上辺り。時間帯的にはお昼頃だろう。

 

くぅ、という小さな音。

一刀は足を止めて隣を見やる。

 

華琳が顔を背けていた。

 

 

「正直でよろしい」

 

「……うるさいわよ」

 

 

背けている顔が恥ずかしさで赤くなっていることを半ば予想しつつ、その拗ねたような声を聞いて一刀は軽く笑った。

 

 

「どうする? 街で食べていくかそれとも……」

 

「今日は街で食事を摂る気分じゃないわね。一刀、作りなさい」

 

「はいよ。ご要望は?」

 

「脂っこくないもの。出来れば野菜中心で頼むわ」

 

「となると基本は野菜炒めで油はあまり使わない……」

 

 

城に戻ってから作る料理のメニューを考え、ブツブツと呟きつつ一刀は歩みを再開した。そんな一刀を見て華琳は微笑みながらその傍らに寄り添い、同じように歩いていく。傍から見れば完全に仲睦まじい夫婦の構図だった。

 

 

そこに

 

 

「お帰りなさいませ、お嬢様。一刀様」

 

 

静かで怜悧な声が掛けられた。

声は前から。いつの間にかそこには黒を基調とした服を着た物腰柔らかで礼儀正しい青年、李通の姿があった。

 

 

「お、李通。ただいま」

 

「ただいま。私達がいない間、何か変わったことは?」

 

「つい先ほどまでは何も」

 

「……どういうこと?」

 

 

李通の言い方に引っ掛かりを覚えた華琳は“吉利”としての顔になって尋ねる。

 

 

「使者の方がお待ちになっています」

 

「使者?」

 

 

今度は一刀が声を上げる番だった。

少なからず、自分が対外的にも太守という立場であることを自覚し始めた一刀。使者、つまりそれは太守に謁見を願う使者ということだろう。声に込もった意図を汲んだのか、李通は頷く。しかしその表情は珍しく、多少なりとも複雑なものだった。

 

だからこそ、一刀と華琳は訝しむ。李通の表情をこうするだけの使者とは一体?

 

二人は答えを待った。そして

 

 

「はい」

 

 

二人にとって、特別な地の名を。

 

 

「兗州の、陳留から」

 

 

始まりの地の名を。静かに口にした。

 

 

 

 

 

 

「すでに使者の方は謁見の間でお待ちです」

 

 

城内。早足で謁見の間に向かう一刀と華琳の後ろから李通の声が掛かる。

一刀と華琳は言葉を発さない。それは何故か。本人達にもその理由はよく分かっていなかった。

 

 

「謁見の間には荀攸様、黄忠様、厳顔様。その他に文官の方々が集まっておられます」

 

「星と魏延は?」

 

「お二人は璃々ちゃんのお相手を」

 

「そう」

 

 

一刀が尋ねたことに対し李通が答え、華琳が相槌を打って話を簡潔に終わらせる。

 

その間にも刻々と時は迫っていく。兗州、陳留郡から来た使者と対面するまでの時が。

その間にも徐々に距離が縮まっていく。兗州、陳留郡から来た使者の待つ、謁見の間までの距離が。

 

 

そして辿り着いた。

謁見の間の入口に。扉の前に。

 

扉に手を掛ける。

 

太守である一刀は上段の椅子へと歩くことになる。

立場上、華琳と李通は下段。臣下が並ぶ場所へと。

 

どちらにしても謁見の間で使者が待っている以上、この扉を開ければその使者の姿を見ることになるだろう。

 

 

――使者の方は、女性です――

 

 

城に入る前に言われた言葉。

知っている人物とは限らない。だが知っている人物かもしれない。

 

よく分からない感情を持て余したまま、一刀は扉に掛けた手に力を込める。躊躇していても始まらない。状況は先に進まなけらばならない。

 

 

扉は、開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

謁見の間に入った俺を確認すると、部屋にいる全員が跪き、頭を垂れた。

 

仕方のないことだが、こういうのはやっぱり慣れない。華琳に言ったら笑われそうだ。

 

楓、紫苑、桔梗。そして文官の皆。李通の言った通りの面々がいて、その全てが頭を垂れていた。

 

華琳と李通も俺の脇を抜け、その列に加わる。

今までも幾度かはあった光景。その度に華琳には『早く慣れなさい』と言われていた光景。

 

その中に一人。今までの光景にはいなかった少女の姿があった。

 

上段の椅子に向かう為の一本道。

豪奢に見えて実は安物の絨毯が伸びる中心辺りに、少女は跪いて頭を垂れていた。

 

色々なことを考えている間にも足は止まらない。上段に向かって歩いていく。

 

少女のすぐ横を通り過ぎる。しかし視線は正面に。まだ、少女の顔は見えていない。

 

段を上り、椅子に座った。ふんぞり返るのは趣味じゃない。椅子に腰掛けながらも少し身を乗り出す。

 

一度、深呼吸をした。

 

 

「皆、顔を上げてくれ。使者の方も」

 

 

声に反応し一同と使者の少女が顔を上げた。

 

 

「――」

 

 

謁見の間に入った時点で、その髪色を見た時点で、その空気を感じた時点で。分かっていたことだが一瞬、呼吸を忘れた。

 

 

その顔を知っている。

 

 

「此度は謁見を許していただき、感謝します」

 

 

その声を知っている。

 

 

「……名は?」

 

 

そんなもの、聞かなくても知っている。

 

 

 

少女は口にした。

 

 

「陳留太守、王肱が臣下――」

 

 

俺にも華琳にも、どちらにとっても特別である場所の名と

 

 

 

 

「――夏候妙才と申します」

 

 

 

 

少女自身の名を。

 

 

水色の髪の少女、夏侯妙才は表情を少しばかり緊張で固くしながら再度、頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――運命が動き出す――

 

 

 

 

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
66
6

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択