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真恋姫無双二次創作 ~盲目の御遣い~ 廿陸話『前進』中篇

投稿98作品目になりました。あともうちょいで3桁。SS書き始めて4年目になるから、なんだかんだで月に2本くらいは書いてる計算になる、のかな?ww
毎度お待たせして申し訳ありません、『盲目』最新話です。内容の進展自体はそんなにないけど、濃さだけなら保証済み(ぉぃ いや、ちゃんと書きたい部分を書いてたらいつの間にかこんだけの内容でこんな両になってたのよ……
いつものように感想意見その他、コメントの方で、宜しければ支援の方も宜しくお願いします。
んでは、本編をどうぞ。

2012-11-16 19:04:49 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:11502   閲覧ユーザー数:9086

 

戦慄、とは正に今の自分の状態を差すのだろうと、凪は思った。

 

「おらおらおらおらぁ!!」

 

縦横無尽に襲い来る爪牙。食らいつかんと、噛み砕かんとするそれは、受け止める事にすら躊躇を覚え、自ずと身体を回避させるほどに、本能的な恐怖を感じさせた。まともに受け止めようものなら、まるで豆腐でも割くかのように容易に、腕ごと切り落とされてしまうのでは。僅かな隙でも見せようものなら、稲穂でも刈り取るかのように容易く、心臓を貫かれてしまうのでは。それほどまでに、張遼の偃月刀は鬼気という鬼気を纏っていた。

彼女とて、油断や侮蔑は決して抱いていない。先の虎牢関において董卓軍の将の実力は嫌と言うほど思い知らされている。自分一人で相手取れるなどと慢心する程に、彼女の自尊心は強くは無い。

しかし、

 

(これほどかっ!! これほどまでに、差があるのかっ!!)

 

その実力の差に臍を噛む程度には、持ち合わせていた。

まだ日は浅いとはいえ、自分とて一人の将である。軍を任され、兵を任され、命を下される度、身が引き締まり心が奮い立つ。主に見出され、主を見出したあの日を境に、彼女の世界は激変したと言っても過言ではなかった。

故に、彼女は自らの心身を賭して任務に当たる。己が持ち得る全てを、己を構成する全てを以ってして任務を果たそうとする。無論、未だ経験の乏しい自分では至らない部分がある事も理解している。胡乱な結果に終わらぬよう、昔ながらの友人達に助力を求めることだってある。それに関して引け目を感じるような段階はとうの昔に踏み越えており、そこに何ら躊躇いや戸惑いなど感じてなどいない。いない、のだが、

 

「凪っ!! こんなろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

真桜の螺旋槍が呻りを上げて張遼へと直進する。螺旋槍はただの槍とは違い、何より厄介なのが、その最大の特徴たる回転だ。螺旋槍は穂先の回転によって『突く』だけでなく『抉る』ことが可能な武器である。敵の武器や防具の破壊だけでなく、時には城塞にすら風穴を開ける事すら可能なそれは気力を動力へと変換できる彼女の技術があってこそ成り立ち、並大抵の相手ならば決して無事では済まない痛烈な傷を負う事になる。

そんな、危険極まりないはずの一撃を、

 

「おぅらっ!!」

「んなっ!?」

 

張遼は、いとも簡単に捌いてしまった。螺旋槍の穂先とまともに競り合えば回転による火花と共に武器は弾かれるか砕かれるかのいずれかである。そうなるであろう未来を本能的にか理知的にかは解らないが、彼女はいとも簡単に回避してしまった。螺旋槍の穂先の下へ差し込んだ偃月刀を掬い上げるように跳ね上げる。ただそれだけの動作によって真桜の肉体に働いていた慣性は上空へと方向を変え、自在に宙を舞える筈もない彼女の肉体は重力との釣り合いを求めてぐらりと揺れ落ちて、

 

「こいつでっ、()ねやぁっ!!」

「真桜っ!!」

 

得物を持って行かれて隙だらけの彼女に凶刃が迫る。吸い込まれるように脇腹へ向かうそれを見た途端、咄嗟に凪は真桜への距離を縮め、

 

「済まないっ!!」

「げふっ!!」

 

徐に、その横っ腹を蹴り飛ばした。真桜は狙い通りに地面を転がりながら離れていき、自分は蹴りの反動を利用して飛び退る。磁石の同極同士を近づけたように弾かれて開いた空間を偃月刀が素通りしたのは、あと数瞬で自分の踝より下が削ぎ落とされていたのではないか、という直後でしかなかった。

 

「あ痛たた……凪ぃ、もうちょい加減出来んかったん?」

「無茶言うな。咄嗟に蹴り飛ばすだけで精一杯だったんだ」

 

蹴りを食らわされで痛む部分を擦りながら苦い顔で立ち上がる真桜の言葉に、表情を引き締めたまま体勢を立て直しながら応える。事実、あの瞬間で力加減など考えているような暇も余裕も無かった。ただただ、彼女を凶刃の進路上から遠ざけることで頭が溢れ返っていた。それに、ほんの少しでも蹴りの勢いを弱めていたなら、今頃自分の足は何寸かばかり削ぎ落とされていたかもしれない。

 

「中々、粘るやんか。今のはえぇ判断やと思うで」

「……それは、有難う御座います」

 

未だ余裕綽々に、獰猛な笑みすら湛えて言う張遼に返す凪の両肩は、既に上がり切った呼吸によって微かに上下運動を始めていた。真桜も同様。先程からこのような一方的な展開がずっと続いてばかりいる。『神速』の文字通り、疾風怒涛と押し寄せるその矛先を避け、捌き、躱すので精一杯。実力、体力、技術、経験、何もかもが足りない。敵わない。これでは獲物と捕食者だ。じわじわと嬲られ、削られ、やがて命を絶たれてしまう。

皮肉めいた笑みに激昂する気力すら、今は湧き上がって来もしなかった。初めは挑発の度に眉を顰めるなり言い返すなりしていたのだが、いつしかその程度の力さえ振り絞る余裕も失くしていたらしい。今にしてみれば、それも彼女の狙いであったのかもしれないが。

窮鼠猫を噛むか、それとも火事場の馬鹿力か、自分が未だに生きているのが不可思議でままならない。唯一、思い当るとすれば、系統こそ違うものの、匹敵するほどの殺気の持ち主と対峙した経験があるから、だろうか。目の前の彼女のように研ぎ澄まされ、磨き抜かれた鋭利な刃でなく、余りにも剥き出しで、荒削りの巨大な巌のようなそれは、例え指南だと解っていても尚、身を竦ませ、震え上がらせるには充分であった。

 

「アンタら、着とる鎧からして曹操んとこの将やんな。名前、教えてんか」

「……楽進と、申します」

「ウチは、李典や」

「覚えた。ははっ、えぇなぁ。おもろい奴等ばっかやん。先が楽しみな奴も、今すぐにでも戦いたい奴も、仰山おるのに……何でかなぁ?」

「?」

 

眉を顰める凪。ふいに、張遼の纏う空気が変わったからだ。飛龍偃月刀を肩へ担ぎ、細める瞳は思いを馳せるように、旧きを懐かしむように、焦点を遠くへと。そして、

 

「何で、『こんな時』なんかなぁ?」

「…………」

 

それは、少なからず自分も思っていた。仕方のない事だとは解っている。時期も、状況も、情勢も、運勢も、何もかもが不足で、不満で、不興で、不利な董卓軍。仕方のない事だとは解っている。しかし、一介の武人として、一人の武将として、正々堂々と正面からぶつかってみたかったと言う思いも、心の何処かで確かに息づいていた。

考える。もし、自分達が相手の立場だったなら、と。理解『は』している。そう、納得しかねている自分も確かに存在するのだ。

と、

 

 

 

―――――そう思うのならば、我等の元へ下れ、張遼。

 

 

 

凛と通る声一つ。歩み寄る足音は実に頼もしく鳴り響く。振り返った先、いたのは予想に違わぬ人物。

 

「……夏候惇、元譲」

 

呟く張遼の双眸は、再び緩やかに、狩人のそれへと変わっていた。

 

 

 

 

…………

 

 

 

……………………

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

「……こういう事なら最初にそう言ってよ」

 

自分の身体を見下ろしながら、賈駆は呟いた。

 

『では今から、服を脱いで下さいますか?』

 

洛陽からの逃走中に捕獲され連れて行かれた先、何の変哲もない空き家にて、遅れてやって来た藍色を基調とした衣服に身を包む、見るからに文官染みた女性の第一声がそれであった。

自分達の処遇がどうなるかも聞かされずに真綿でじわじわと首を絞められるような時間が延々と続き、、やっとの思いで解放されると思った瞬間にこのような事を言われたなら、例え相手が同性だろうと身の危険を感じるのは無理もないとは思わないだろうか。人は見かけによらないのは自分の周囲でも十二分に痛感しているし、世の中にはそう言った嗜好の人間だって実在するのだから。

だが、いざ腹を決めて身を任せてみれば、

 

「よく用意出来たわね、こんな服」

「私の着替えを縫い直しただけですから、手間はそんなにかかってませんよ? 大急ぎでの作業だったので、あまり乱暴に扱うと解れてしまうかもしれませんから、気をつけて下さいね?」

 

今、僕と月が身を包んでいるのは、その藍色の女性が自分達を採寸して簡単に作りなおした彼女の衣服である。所々が緩かったりするのは彼女と自分達の体格差の都合上仕方ないにしても、突貫作業でこれなら大した腕だと思う。ちょっと見ただけでは元からこういう意匠だったのではないか、と見間違うほどだ。前もってそうだと言われなければそうそう気付かないだろう。

そんな彼女、名前を諸葛謹と名乗った。あの諸葛亮の実の姉だというのだから、表情には出さないようにしたけれど、それはもう驚かされた。姉がいた事もそうだが、まさか孫策の下にいようとは。

 

「わぁ、素敵な服ですね。凄く可愛いです」

「有難う御座います。よく妹には私のお下がりを縫い直しては着せていたので、裁縫はそれなりに自信がありまして」

 

月がくるり、と回って裾がふわりと舞う。元の服の意匠は同じだが、よく見ると僕と月では所々の縫い方が違うようだった。袖や襟の開き方など、些細な違いではあるが、どちらかというと月の方が何処となく大人し目に見える。

久々にこういう普通の服を着たからか、月は嬉しそうだった。ずっとあの仰々しい装束ばかり着ていたものだから、若干の解放感も手伝っているんだろう。あの子がそれ以外に着ていたとしたら、自室での寝巻ぐらいだったと記憶している。休日なんて、あってないようなものだったし。

元々、こういう可愛らしい服が好きな子だった。控え目で、人見知りで、その割にはここぞという時の肝は自分の知る誰よりも据わっていて。だからこそ、惹かれた。どうしようもなく、この娘が導く世界を見てみたかった。そして叶うなら、その傍らで支えるのは自分でありたかった。それは最早、叶わぬ夢と散ったわけだが。

 

「きつい場所とか、ありませんか?」

「はいっ。ぴったりです」

「……で、僕達にこんな服着せてどうする積もりよ? 着せ替え人形にしたかったってだけじゃないんでしょ?」

 

下着姿の自分達を採寸し始めた時の、目の奥に怪しい光を灯していた表情からすると、そうだったと言われても何もおかしくはないのだが。

と、

 

「その前に一つ、尋ねてもよろしいですか、董卓さん」

「……はい」

 

急に顔を引き締め、声色にも緊張を走らせる諸葛謹。自然と釣られ、月もまた両の瞼を細め、顎を引いて相対した。

そして、

 

 

 

「董卓さん。貴女には、玉座への未練はありますか?」

 

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

……………………

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

「降れ? 今、ウチにそう言ったんか?」

「あぁ、そうだ」

 

狩人の目つきは更に、猛禽どころか文字通りの飛龍すら彷彿させるそれへと鋭利に細められた。それだけで、肌を撫ぜる大気すらも彼女の指揮下に落ちたかのように、研ぎ澄まされた剃刀と化したかのように思えて、凪は思わず総立ちする鳥肌が全身に伝播していく感覚を覚えながら数歩、後ずさってしまった。それはどうやら真桜も同じなようで、ある程度の距離が離れているにも関わらず、その顔色から血の気が引いていくのが如実に視認出来るほどだった。

だが、

 

「随分と、舐められたもんやな。遅れてのこのこやって来た癖に、いきなり勝利宣言かい」

「では聞くが、今のお前にこの状況を覆せるのか?」

 

更に眉を顰め、不機嫌を露にする張遼。辺りの重力が幾分か増したような錯覚を覚えるほど、より鋭さを増す。それほどの殺気に包まれて尚、彼女は威風堂々たる仁王立ちを崩さぬままに、そこにいた。曹孟徳が誇る第一の剣。いついかなる時も折れず曲がらず、真っ向から一直線に振り下ろされるその剣閃は、彼女の在り様すら体現しているようでもある。

 

「春蘭、様」

「手を出すな。凪、真桜」

 

その、愚直と揶揄されてもおかしくない生き方に、しかしどうしようもなく魅かれてしまっているのは、自分だけではないだろう。同じ月日を生き、その背中を追える事をこれほど光栄と思える武人も、そうはいない。

夏候惇元譲。真名を、春蘭。振るわれる大剣はさながら、一振りで全てを奈落へと叩き落とす閻魔の槌か。

 

「張遼は私に任せて、お前達は兵の方を何とかしろ」

「……はい」

「りょ、了解です」

 

散開する自分達に、張遼は目もくれなかった。最早、そのような価値も必要性もなくなった、という事なのだろう。それが今は有難くもあり、悔しくもあった。

やがて、相対する二人は完全に孤立する。取り巻いている人影が全て離れた訳でも消えた訳でもない。この空間が二人だけを閉じ込めて切り離された訳でもない。手を出せない、出してはならない、そう周囲に躊躇わせるだけの、不可侵の戦場が今、二人の間で発生した。ただ、それだけのこと。

 

「もう一度問う。曹操様の元に降れ、張遼。貴様の力、ここで潰えさせるには惜しい」

「ほざけ。ウチが忠誠誓っとるんは月、董卓ただ一人や。それは今でも変わらん。負けるかもしれんからっちゅうて掌返すような阿呆が欲しいんか、アンタんとこの大将は」

 

偃月刀を握る手を強めながら、張遼は返す。戦闘が始まってから、本来なら疲労困憊、ともすれば満身創痍であってもおかしくないほどに、時間は経過している。戦力差は圧倒的。例えここで曹軍を突破できたとして、未だ劉備、孫策、袁紹含む反董卓連合はこちらの何十、何百、何千倍にも匹敵する。多勢に無勢も甚だしい。

でありながら、張遼の双眸からは全く灯が消えていない。必死は承知の上であるはず。決死隊として残っている以上、生き残れるとは考えてすらもいないだろう。にも関わらず、何が彼女をここまで衝き動かすのか。

 

「一遍、簡単に人を裏切った事のある奴を、アンタは信じられるんか? 背中を任せられるんか? 命を預けられるんか?」

「…………」

「無理やろ? 無理でなきゃあかん。それが将なら尚更や。信頼っちゅうんは、一瞬でぶっ壊れる。どんだけ長い時間かけようが、どんだけ高ぅ積み上げようが、たった一回で粉微塵の台無しや。それにそもそも、ウチがあの子を裏切りとうない。ウチをどうしても引き抜きたいっちゅうんならな」

 

突き付ける切先。人中を刺すように向けられた刃の向こう、生温い風に棚引く紫紺の羽織が舞い上がる。それはまるで、偃月刀に模された飛龍がその巨大な双翼を広げたようでもあった。

 

「ウチを、負かしてみぃ。解り易いやろ?」

 

犬歯を剥き出しにした、実に獰猛な笑み。笑顔とは元来、限りなく闘争本能を剥き出しにした表情だと言われている。ちりちりと、程良く肌を焦がす覇気。凡夫ならば恐れ慄き腰を抜かすか、意識を断たれ強制的に地に伏せられるのみのそれを、

 

「……そうだな。私達は、そういう風に出来ている」

 

夏候惇は、同じ笑みを以って、少なからずの心地良さすら覚えながら受け止めていた。

抜き放つ七星餓狼。鈍重な刀身を携えたそれは相手の得物どころか、戦意や肉体すらも粉砕し塵芥に帰す、幼少の頃からの肉体の一部。元来ならば刀身の重さに持ち主の方が振り回されてもおかしくないそれを、彼女は片手で平然と振り回してしまう。

構えは正眼。両の手で柄を絞り、微かに腰を落とす臨戦態勢。正に餓狼か、張遼と言う獲物(強敵)を前にして滴り落ちるのは歓喜と言う名の垂涎。彼女もまた間違う事無き、生粋の武人。

そして、

 

「せええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

爪牙は、交差した。

 

 

 

 

…………

 

 

 

……………………

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

 

―――董卓さん。貴女には、玉座への未練はありますか?

 

 

 

肺腑が締め付けられるような息苦しさを覚えながら、僕は月を見た。

自分も気になっていた。気になっていたが、尋ねられなかった。それは、きっと、

 

「……あります」

 

―――えっ?

驚愕に、僕は眼を見開いた。月の返答が、僕の想像とは正反対だったからだ。

彼女は立場や権力など望んでいないと、そう思っていた。元々、他人(ひと)の上に立ちたいなんて願望を抱くような娘ではないし、実際に丞相の立場に就いてからも言動は以前のままだった。今になって思えば、だからこそ僕は、身勝手な願望を彼女に押し付けている事にすら気付けなかったのだけれど。

 

「……それは、どういう未練でしょうか?」

 

目を細める諸葛謹。傍らの、周泰だったか、彼女も背中の大太刀の柄へと手を伸ばしていた。不味い。非常に不味い。黙らせた方がいいだろうか、と月の言葉を遮ろうとして、

 

「約束を、守れませんでした」

「……約束?」

 

剣呑とした空気が若干、緩和する。胃に穴が空きそうな程に張り詰めた緊張に、きっと気付いてすらもいないのだろう彼女が、日頃と何ら変わらない口調で吐露し始めたのは、

 

「洛陽の皆さんを笑顔にしてあげるって、一人の女の子と約束したんです」

 

身に余る権威や大金などの力には、人を変える魔が宿っている。原初より誰の心にも等しく眠る七つの大罪、それを引っ張り出し、引っ掻き回し、引き摺り回す。豹変させ、堕落させ、その欲望を悉く解放させんと甘美な囁きで心の奥底を擽りだす。

だが、

 

「なのに、こんな事になってしまって、それが出来なかったのが心残りなのと、御免ねって思うのはちょっと、ありますね……」

 

柳眉は緩やかな八の字を描き、残念そうに零すその表情は、何てことのない年頃の少女でしかなく、それを見て改めて、賈駆は胸を締め付けられるような息苦しさを覚えた。

大陸の大半を敵に回し、攻め立てられておきながら、彼女が真っ先に懸念するのは、自分ではなく他人なのだ。その余りに優しく悲しい優先順位に、彼女を守れなかった自分の未熟さを、彼女をこんな世界に巻きこんだ自分の愚かさを悔いて、恥じて、自らの喉に突き立て、締め上げたくなる。この娘はきっと、誰も責めない。恨み僻みも抱いていない。ただ単に、案じているだけなのだ。自らが退場した後の舞台の結末を。それが、見るに堪えない程に辛くて、苦しくて、目を背けたくて、仕方がない。

 

「そう、ですか」

 

気付けば、飽和していた緊張感はとうに弛緩していた。

懐疑心に溢れていた視線はいつしか嫋やかなそれへと変わり、あまつさえ胸を撫で下ろすような動作さえ窺えた。それは明らかに、安心の仕草。敵対する立場の人間が取るようなものでは、増してや相手に見せるようなものでは、決してない。演技だろうか、と数瞬訝しんだが、どうにも素の表情に思えてならない。

まさか、本当だと言うのだろうか? 本気でこの連中は、自分達に手を差し伸べようとしているのだろうか?

 

「ふふっ。女の子、ですか」

「はい、女の子です」

 

それが誰を指しているのかは、察しがついているという事だろう。多少でも中央の政治を齧っていれば、誰でも容易に想像がつくというものだ。老獪共が聞いていたなら『不敬』だの『謀反』だのと因縁づけて厄介払いの基盤にしてしまうだろう、それほどの相手。血筋というものは、時として呪縛にしかなりえない。それが例え、年端もいかぬ幼子だとしても、一切の容赦なく重責を背負わせるのだから。

それを、この娘は出会った時から『一人の女の子』として接した。あの時は自分のみならず、さしもの華雄でさえも少なからずの焦燥感を露にしていたものだが。

 

「解りました。では、ついて来て下さい。くれぐれも静かに、ですよ?」

「華雄さん、もう一度お願いします」

「またか……周泰、これは中々に動きづらいのだが、他にはないのか?」

「我慢して下さい。ばれたら、全部台無しなんですから。表の兵士の皆さんも、こっちに着替えていただけませんか?」

 

唇に人差し指を当て閉口を促す諸葛謹。その背後で華雄が再び、先程まで着ていた兵装で孫呉兵に扮していく。表でも突然、敵兵の装備を渡されて戸惑う近衛兵達の様子が窺えた。

 

「どこへ行くんですか?」

 

尋ねる月に、諸葛謹は小さく笑って、

 

「貴女方を助けたいと仰ってくれた人に、会いに行くんですよ」

 

ほんの少し愉快そうに、そう言った。

 

 

 

 

…………

 

 

 

……………………

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

「…………」

 

忙しなく行き交う足音の群れが鼓膜を振るわせていた。綯い交ぜの喧騒は恐怖から解放された安堵の吐息から、恐怖の可能性への不安の吐露まで十人十色。自分達は救われたのか否か、その判断すら覚束ない。当然だ。自分達が名君と仰いでいた董卓が、それ以外の大陸全土では暴君として忌むべき存在とされていたのである。それだけの大差で意識の齟齬があったなら、誰だって惑う。人間は根本的に他者との協調に安慰する生物である。過去の歴史を鑑みても、常に弾圧の矛先は少数派だ。自らと異なる存在を排斥して、自らを正当化して、自らを主軸に置きたがる。しかし、あくまでその傾向が強いと言うだけで、必ずしも皆が皆そうだと言う訳ではないのが、人間社会の面白い部分でもあるのだが。

 

「……酷い」

 

兎角、鼻腔を擽る煤けた木材の充満さからして、被害の度合いを想像するのは極めて容易だった。恐らく良辺り一面の家屋には物々しい火災の爪痕が刻み込まれていることだろう。甚大、その一言で言い表すのも躊躇われるのではなかろうか。

 

「どうして、こんな……」

 

貧窮。飢餓。凶作。重税。並べ立てれば他にもあるだろうが、如何なる理由でも他者から奪う事を是としてしまった黄巾党。その黄巾党に身を落とさねば安寧を得られない大陸の現状。その現状を平然と放置する施政者。知識として、知ってはいた。歴史として、学んではいた。成程、社会科でフィールドワークが有効と言われる理由が、今は文字通り身に染みて理解できる。これほどまでに強烈に、脳髄に叩き込まれる教材は他にない。

戦場も酷かったが、それとは別種の酷さが、ここにはある。最大の違いは、覚悟だ。こう言っては何だが、兵士達は少なからず『死ぬ覚悟』を整えてから戦場へと赴く。一歩間違えば命を落とす場所に、自ら志願している。無論、叶うなら誰一人として死なせたくはないが。

だが、ここで怯え、恐れ、惑っている人々は違う。その一瞬まで、彼等は日常を生きていたのだ。兵士達が命を懸けて守っている平穏の中で生きていたのだ。それを突如奪われ、傷つけられ、焼き払われたのだ。これを災厄と呼ばずして何と言うのか。

吐瀉物は込み上げて来ない。その代わりに、肺腑が締めあげられ、脳内に黒雲が屯し、眼球から水滴が溢れんと滲み出る。自分が持ち得る感覚全てが、一帯に立ち込める絶望を訴えかけて来る。気持ち悪い。嫌悪感という純物質をそのまま胸中に放り込まれたような、そんな感覚を覚える。

手探りで寄り掛かれるものを探し、背を凭れた。どうやら焼け残った家屋の柱のようだ。

 

「大丈夫ですか、北条様?」

「……えぇ、何とか。少し、休ませて下さい」

 

物資の配給を行っている最中、自分を護衛していた兵士達の気配が、その半径を狭めて来る。自分が原因の一端を担った以上、これは受け止めなければならない現実だ。自らが引き起こした結果は、自らが責を負わなければ。

 

(きっと、そこまでしなくてもいいと、皆さんは言ってくれるんでしょうけど……)

 

それは、他ならぬ自分が許せない。本心を言うなら、誰の責任かは二の次である。どれほど軽微だろうと、自分が一度関わってしまうと、最後まで放っておけない性分なのだ。皆を納得させる貯めにそれらしい理屈を並べたりもしたけれど、結局は自分の為にやった事なのだ。

『救えるのに救わなかったら一生後悔し続ける。それが嫌だから』

先日、諸葛亮に告げた言葉。結局、それに尽きるのだ。本来なら、もっと多くの被害が出ていたかもしれない。これが最善の結果。そう、解ってはいる。

 

(我ながら、面倒な性格だよなぁ……)

 

苦笑。矛盾しているのは知っている。力不足なのも知っている。でも、それは諦める理由にはならない。

とうに覚悟は決めた筈だ。一人でも多く、と。その為に出来る事があるなら、何だってしよう。その為にも、今は自分の無力を自分に刻み込まなければ。決して立ち止まらないよう、諦める事のないよう、噛み締めなければ。この人達の痛みを、苦しみを、いつかの笑い話に変えられるように。

と、

 

「北条」

 

飛び交う言葉の群れの中、凛と響く声一つ。待ち望んでいた声。

 

「思春さん」

「『来た』ぞ、無事にな」

「そう、ですか。有難う御座います」

 

杖に力を込め、体勢を立て直す。そのまま、ゆっくりと再び立ち上がろうとして、

 

「っ、うわっ」

「北条っ!!」

 

咄嗟に両肩を掴んでもらえたからか、何とか転倒はせずに済んだようだ。

 

「大丈夫か……?」

「あはは……ちょっと、予想以上に堪えてたみたいですね」

「まったく……そのまま動くな」

 

と、左腕が持ち上げられ、脇の下に滑り込む身体が一つ。

 

「し、思春さん?」

「こ、ここで倒れられた方が迷惑だ。一度、天幕まで戻れ。肩くらいは貸してやる」

 

どうやら思春が肩を貸してくれているようだ。普段よりも仄かに体温が高く、呼吸も若干乱れている気がするが、今はそれよりも、

 

「思春さん……」

「……な、なんだ」

 

足元を確認しながらだと、自分のどうしても歩みは遅くなる。普通の人がが普通に歩く速さで、自分は歩けない。それは相手を、自然と苛立たせてしまう事も少なくない。だから、なるだけ自分で歩くようにしていた。だからこそ、

 

『御免なさい』

 

今、自分は一瞬、そう言いかけた。でも、もう違う。それではいけない。それでは駄目だ。

だからこそ、出かけた言葉を一度飲み込んで、

 

「有難う御座います」

「……気にするな。歩くぞ。これくらいでいいか?」

「は、はい」

 

ゆっくりと、会わせる歩幅。先程まで重苦しくて仕方なかった胸の中が、ほんの少し晴れたような、そんな気がした。

 

(続)

 

後書きです、ハイ。

 

お久し振りでござい。『盲目』最新話はこんな感じになりました。

近頃、某旦那に進められた『とあるお方』の自伝を読みまして『目』というものに対する考え方がより深くなった気がします。懐に余裕ができたら、こういうのも色々読んでみようと画策している活字中毒のゴリラです。

 

 

で、

 

 

いやぁ、霞がちょっとカッコ宜しすぎる気がしないでもない……まぁいいよな? なっ?

以前にも増して「 」の少なくなりつつあります。いやぁ、演劇の台本くらいしか「 」の多いの書いた経験ないので、会話がぽんぽんと弾むSS書ける人をマジで凄ぇと思う今日この頃。故に心情描写、情景描写に逃げて更に「 」が少なくなっていく。有り得ないけど、きっと動画とかにしたら3分にも満たないんじゃないかね、『盲目』って(苦笑)

はてさて、いよいよ次回、二人が御対面……だといいなぁwww

霞と春蘭の決着もあるし、まだ書いてない視点もあるし、執筆速度は変わってないから、もう少し時間をくだしあ(切実)。

 

したらば次回の更新でお会いしましょう。多分『蒼穹』か『Nobody』かな。気まぐれで止まってた『瑚裏拉麺』かもしれん。

でわでわ~ノシ

 

 

 

 

 

………………最近、ゲームの趣味が懐古厨っぽくなってきています。GBAとか久々に触ったwww


 
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