No.446412

三題噺詰め合わせ

投稿88作品目になりました。
『盲目』25話の合間に書いてた文芸サークルの三題噺の詰め合わせです。こういうのって、やっぱ気分転換に最適だ。自分じゃ絶対にこんなお題設定しないものww
ちなみに1本当たり、2時間くらいしかかけてないので低クオリティには目をつむって下さいww
是非とも感想の方、よろしくお願いします。

2012-07-05 13:46:58 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:5185   閲覧ユーザー数:4623

『ガラス』『マフラー』『原付』

 

冬。間もなく雪でも降るのではないかという空模様。予備校の自習室、結露した窓ガラスを指で拭い、見上げながら言う。

「まだ、降ってくれるなよ……」

降れば積もる。積もれば溶ける。溶ければ凍る。凍れば滑る。滑れば転ぶ。それは非常に宜しくない。凍結した路面が危険なのは言わずもがなだし、何より今の俺にとって『滑る』『転ぶ』という行為は縁起がないにも甚だしい。年を越せば一月と待たずにセンター、一昔前で言う共通一次試験が待ち受けている。去年までなら降ったとしても『あぁ、寒くなるな』程度にしか思わなかっただろうが、今は降られる事によるデメリットばかりで思考回路が塗り潰されそうになってしまう。ただでさえ気温が下降の一途を辿り、最低が零下を記録する日すら徐々に増え始めた今日この頃、怪我や病気の心配は少しでも少ないに越した事は無いのだ。

「本当なら行き帰りもバス通にもしたいんだけどな」

生憎、今月の生活費から更に予備校までの往復の交通費まで捻出するとなると、一人暮らしである俺の食卓は明日からもやし三昧になる事うけあいだ。下手をすればそのもやしすら満足に口に出来ないかもしれない。未だ成長期真っ只中である俺の肉体の燃費は悪いの一言に尽きるのだ。

「……帰るか」

コートを羽織り、マフラーを巻き、担当の先生に別れの挨拶を告げて入口のガラス戸を開くと同時、低気圧に研ぎ澄まされた寒風が身を切らんと吹き付けてきて、俺は両手に手袋を嵌め、マフラーの中で首を窄めて駐車場へ向かう。取り出した鍵を差し込むのはスーパーカブ。俺の腹の虫と違ってそう何度も空腹を訴える事のないコイツは、それなりに長い付き合いになる俺の愛機だ。大学に進学したら真っ先に2輪免許を取りたい。バイトで金を貯めて、少し無理をしてでもいいバイクを買って、風の向くまま気の向くままに走り回りたい。それはきっと、実に心地良いことだろう。

「それまでは、宜しく頼むな」

メットを被り、エンジンを回して家路を急ぐ。流石に路面に凍られればコイツも暫く冬眠させなければならない。そうなるとバイト代も殆ど使い切り、最低限の仕送り以外の収入源のない俺は月末まで予備校に徒歩で通わなければならなくなる。仕方のないことではあるが、それは正直面倒だ。

「……まぁ、来週になら降ってくれてもいいけどな」

万が一にもばれないよう失くさないよう、普段から持ち歩いているこのカバンの奥底に封印している小さな箱。丁寧なラッピングの施されたそれこそ、今月の俺を金欠にさせた真犯人。貯めに貯め込んだ3カ月分のバイト代を全て注ぎ込んだそいつは、来週に迫った決戦に備えての最終兵器。ショーウインドウのガラス越しにアイツが見惚れていたのを思い出して。

「ははっ」

高まる期待。高鳴る動悸。聖夜を待ち焦がれる煌びやかなネオンの中、その心中を表すかのように、首に巻いたマフラーが風に棚引いていた。

もし、アイツが受け取ってくれたなら。

もし、アイツが受け入れてくれたなら。

「バイク買う時には、サイドカーも付けないとな」

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

『秋』『鏡』『停留所』

 

「うわぁ、酷い顔だ」

平日の朝の洗面所。鏡に映る寝間着姿の私の顔は、辛うじてくまはできていないものの、『寝不足である』と物語っていた。

「だって、ねぇ」

呟いて、すぐ側の窓から見上げる隣の屋根。十年以上は見ている当たり前の光景。二階にある自室と丁度向かい合わせの部屋のカーテンは、最近は私よりも先に開いている事が多くなった。

「昔は私が起こしに行くまで熟睡してたくせに」

姉弟のように思っていた。家族のように思っていた。頼りなさそうに私の服の裾を握っていた小さな手は、いつしか私の手よりもずっと大きくなっていて、

「今度は、私の手を引かせてほしい、か」

年下のくせに生意気だ、なんてあの時は思わず口走ってしまったけど、思い出すだけで今でも動悸が早くなる。正直、あの時の自分の顔が赤くなっていなかったか自信がない。放課後の屋上、夕日を背に二人っきりで、なんてべたなシチュエーションのはずなのに、相手があの子だと思った途端に効果覿面になってしまうのだから、実に不思議で性質が悪い。

「は~あ……」

参った。本当に参った。いつかはこの関係も変化ないし解消するんだろうと思ってはいたけれど、まさかこんなにも早く、こんな形でなんて、欠片も予想していなかった。

『それ、普通の幼馴染じゃないから』私とあの子の関係を見聞きして、友達は皆、そう言った。そんなことはないと、その度に否定していたけれど、

「そういうこと、だったんだなぁ……」

鈍い自分が嫌になる。いつからかは知らないけれど、きっと私が否定する度に、あの子は傷ついてたんだ。それだけじゃない。あの子の想いを知った今、最近のあの子への態度を思い返してみると、

「……あぁ、もう」

顔から火が出る、なんて言うけれど、火が出るどころじゃない。燃えている火、そのもの。それくらいに、顔が火照って堪らなくなる。無自覚で、無遠慮で、無作法で、無神経で、振り回しに振り回して、なのにあの子は文句一つ言わなかった。

「…………」

昔に比べて、随分と逞しくなったと思う。この両腕の中にすっぽりと収まっていたはずなのに、今となっては私の方が両腕の中に収められてしまう。身体もごつごつしてて、胸板も厚くなっていたし、二の腕なんてずっと太くて、力強く抱きしめられた余韻がまだ感覚にぼんやりと残っていて、

「そういうこと、なんだよね……」

嬉しくなかったと言えば嘘になる。嫌悪感なんて微塵もなかった。恥ずかしさと同時に、むしろ心地よささえこみ上げてくるようで、思い出すだけで体温が上がり、心拍が早まる。おかげで昨夜は布団に入っても全く眠れる気がしなかった。目がさえて、思うのはやっぱりあの子のことで、また眠れなくなっての悪循環。しかし、それも悪くないと思ってしまうのだからどうしようもない。成程、お医者様でも草津の湯でも、って言葉の意味が、今はよく理解できる。羞恥心も凄いけど、その分充足感も大きくて、

「……あはっ」

行こう。そろそろ急がないと行きのバスに間に合わない。kろえを逃がすと遅刻確定だ。それは避けたいところなのは学生として当然のことだし、

「待ってるよね、きっと」

冷水で表情を引き締め、最低限の朝食だけを口に詰め込んで支度を始める。携帯よし。お財布よし。ハンカチよし。ポケティよし。髪型よし。顔色よし。忘れ物もない。お昼も持った。

「行ってきま~す!」

走る。走る。急いで走る。

小春日和の柔らかな陽光がまぶたに心地よく、靴底が枯葉をサクサクと踏み鳴らすのが耳に小気味いい。やがて見えてきたバス停には、やっぱりあの子が待っていた。ほんのり顔を赤らめて、小さく手を挙げて『おはよう』って言ってくれた。そんな当たり前が、今はくすぐったくて、

 

―――私はゆっくりと、二つ目のお弁当の包みを差し出した。

 

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

『雀』『登校』『深夜散歩』

 

「はぁ……かったりぃ」

月曜日とはどうしてこうも気力を削ぎ落とすのか。

大学に進学して今年で2年目。初めは慣れなかったライフサイクルも大分身に付き、生活費の足しにと夜勤のバイトを始めて実感したのが、働くという事は予想していた以上に大変だという事だった。講義を終えたらそのまま直行、日付が変わるか否かという頃に部屋に帰り、掃除洗濯なんぞを終えると就寝するのは午前二、三時。それから朝一の講義があったりなぞするともう堪ったものじゃない。講義中は完全に睡魔との持久戦だ。

「まぁ、今日は割かし楽な方だけど」

今日は週に一日あるかないかの『中休み』がある日だ。講義は朝一と午後のラストのみ。つまり、日中に大きな空きがあるのだ。こういう日は朝一の講義さえ切り抜けてしまえは随分と楽ではあるのだが、

「何もそれが月曜日じゃなくてもいいじゃんかよ……」

週明けの朝ほど、布団に後ろ髪を引かれる時間帯もあるまい。少なくとも俺はそうだ。柔らかな日射しの中、ひたすら温い布団に包まれて惰眠を貪るのは人類共通の願望だろう。俺、何か間違った事、言ってるか?

兎に角、睡魔に押し負けそうな朝一の講義を終えて部屋に戻り、不足していた睡眠時間の補充に回して、もう一度講義に出るために欠伸を噛み殺しながら大学までの近道である自然公園を横断していた時だった。

「……んを?」

道の先、ポツンと小さな影一つ。歩み寄ってみれば、

「雀? 随分小さいけど、子供か?」

雀自体が元々小さい種類だが、にしたって掌にすっぽりを収まりそうなサイズとなると考え得るのは子供くらいだろう。飛ぼうとしないのはそもそも飛べる段階に至っていないからなのか、それとも何処ぞに怪我でもしているのか。どちらにせよ、一向に飛ぶ気配を見せようとはせず、

「と、なると……あぁ、やっぱり」

自ずと視線が向くのは、すぐ隣に生えている木の上。見上げてみれば案の定、木股に設けられた巣が見えて、

「……はぁ、メンド臭ぇな」

袈裟にかけたバッグを降ろし、ポケットからハンカチを取り出してシャツの胸ポケットへ。

「そこそこ高いが、まぁ行けるか」

距離を取り、軽く助走をつける。そのまま幹にとびかかり、三角跳びの要領で一番近い枝に手を伸ばし、

「ほっ。……よし」

一発で成功。懐の子を潰してしまわないように余裕を持たせながら登って行って、

「ほれ。もう二度と落ちるなよ」

戻してやると、他にも数匹、同じような子供がちょこちょこと巣の中で動いていた。俺の影を返ってきた親と勘違いしているのか、口をあけて囀り始めて、

「ぬぅ……」

無い袖は振れない。こちとら月末なんだよ、月末。冷蔵庫の中には調味料しか入ってないし、ここ数日はそうめん以外口にしてない。明後日が仕送りの日なのでそれまでの辛抱。

「悪いな。そういうのは父ちゃんか母ちゃんに言ってくれ」

そう言って木から飛び降りて、俺はもう一度大学への道を歩き始めた。

 

 

で、その日の深夜。バイト帰りの俺は再び、あの公園を横切っていた。真っ直ぐ帰る気になれず、ふとここに来てしまっていた。と、いうのも、

「あぁ……疲れた」

よりにもよって万引きなんぞやってくれやがった糞野郎をとっ捕まえるのに残り少ないカロリーを費やしてしまったのである。ったく、俺の倍は生きてるだろうにあのオッサン、ふざけた真似してくれやがって。おかげで俺のエンプティーランプが大絶賛点滅中だよ。大体、テレビもマスコミも『万引き』とか軽々しく扱うから『この程度やってもいいかな』とか『バレなきゃいいか』なんて馬鹿が増えるんだよ。結局やってんのは同じ事なんだから『窃盗』って言え『窃盗』って。

「あぁくそ、余計に腹減ってきた……」

俺の身体が燃料を欲している。エンスト寸前。誰でもいいから何か食べ物くれ。糖分だと尚よし。

と、

 

―――チャリン

 

「お?」

微かに鼓膜を擽った金属音。同時に、視界の端を横切った小さな光。足元を見下ろせば、

「……百円玉?」

拾い上げて気付く。傍らに生えた木。確か午後にあの小雀を見つけた場所。見上げて確信する。宵闇と月影で見えにくいが、昼に見た枝と巣が見えた。

「あ」

もう一枚落ちてきた。多分、巣に引っかかっていたのが小雀達の身動ぎか何かで外れたんだろう。が、見上げた角度のせいか、何処となく、

「雀の涙、ってか」

そう見えた気がしておかしくなった。こみ上げる笑いを噛み殺しつつ、拾い上げるもう一枚。些細な謝礼のように思えて、

「有りがたく、貰っておくよ」

俺は家路を急いでいた脚をそのまま近くのコンビニへと向けなおすのだった。

 

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

『夢』『音』『チケット』

 

「―――なんだってんだよ、これ」

時間は深夜。場所は自室のベッドの上。仰向けに寝転びながら、俺は一人ごちた。視線の先、電灯の光に透かすように見るのは、何の変哲もない一枚のチケット。駅で普通に買えるような乗車券。ただし、その行先には、

「未来、ね」

正直言って眉唾ものだ。放課後、なんともなしに立ち寄った商店街、その片隅に、一人の男が立っていた。どこぞの車掌のような制服に身を包み、目深に帽子をかぶっているせいで表情のうかがえないそいつは、それほど目立つ外見をしているのにも関わらず、通りすがる誰にも声をかけられるどころか、一切の興味すら向けられていなかった。まるで、見えてすらいないかのように。

そんな光景を呆然と見ていた俺に気付くと、そいつは俺の方へと急に歩み寄ってきて、こう言った。

―――アナタの夢、いりませんか?

その時に半ば無理やり渡されたのがこの切符と、そういうわけだ。男曰く、こいつを枕の下に入れて寝れば、自分が最も望む夢、それが叶った未来を見ることができるのだとか。

「夢、か」

……概ね、想像がつく。できてしまう。自分が一番、望んでいること。

「ま、ものは試しか」

そう呟き、枕の下にそいつを挟んで、俺は部屋の明かりをけし、ゆっくりと眠りに就いた。

 

そこは、楕円に広がる観客席に囲まれた大きな大きな競技場。堅いゴムで覆われた地べたには、平行な真っ白の線が延々と引かれている。一周何百メートルというそのトラックには俺だけでなく、肌の黒いやつや白いやつ、背の低いやつや高いやつと、国籍や人種問わずm「ただただ最速を求める連中ばかりが立ち並んでいた。スタートの合図。飽和する静寂の中、スタートブロックに足をかける。両手をつき、腰をかがめる準備態勢。秒読みが始まる。世界が狭まり、見据えるのは自分のレーンのみ。深く呼吸を繰り返し、高らかに尻を持ち上げて、

一際大きく、銃声が鳴り響いた―――

 

「…………」

そこで目が覚めた。見上げる天井は無機質であるはずなのに、酷く歪んで見えた。滲んだ涙のせいだと、すぐに気付いた。

「ははっ」

酷く自嘲的に笑って、痛む足を持ち上げる。膝に残る、生々しい一文字傷。俺はもう、以前のようには走れない。

「あんな未来、もう見れないってのに……」

誰よりも速く。何よりも早く。ただその先が知りたくて、知れなくて。ただその先に行きたくて、行けなくて。

「あぁ、くっそ……」

それでも、やっぱり、

「俺の、夢なんだな……」

もう少しだけ、足掻いてみようって気になった。

 

 

―――パァン!

 

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

『巡回』『武器』『薄着』

 

「ん、ここも異常なし、と」

時刻は深夜。間もなく日付も変わろうという頃。自分の足音のみが響き渡るホール内を、懐中電灯の小さな灯りを頼りに、私は歩いていた。この市民ホールの警備員が私の仕事であり、今日はもう一人の同僚と共に夜間の担当を任されている。各所の施錠を確認し、電気系統を遮断し、最後に実際に異常がないか、もう一人が実際に見て回る。ヒューマンエラーというのはどうしても発生する。ちゃんと確認した積もりでも見逃している箇所が必ず何処かにはあり、それは同じ人間が同じように確認していては中々発見出来ない。故にこうして、相方の仕事のやり残しがないか、私が確認して回っているというわけだ。

「しかし、深夜のホールというのは中々に雰囲気があるな」

一月の間に多くの舞台やコンサート、講演会などが催され、交通の便や設備も十二分に整ったこのホールは毎日結構な盛況を見せている。昼間は老若男女問わず大勢が訪れる反面、人影どころか気配すら微塵も感じられない暗闇の中、自分の足音のみが嫌に反響して聞こえるというのは、少なからずのおどろおどろしさを覚えてしまう。はっきり言って、少々気味が悪い。

「……とっとと終わらせて警備室に戻ろう」

一度そう考え出すと、後はもう蟻地獄だった。心持、足を早めてペースを上げる。観客席を縫うように練り歩き、舞台袖や裏側まで各所を身回って、

「よし、戻るか」

作業を終え、ホールの出口へと向かう。後は明け方の交代まで警備室の監視カメラのモニターをチェックしていればいい。基本的に飲み食いは禁止されていない上、電気ケトルや小型の冷蔵庫まで完備されている為、襲い来る睡魔を除けば、ウチの夜勤は然程大変ではないのだ。その冷蔵庫には今日、近所の激安ディスカウントショップで買って来たばかりの私の好物が冷やしてある。海外からの輸入品で、一度在庫が切れると次の入荷まで非常に時間がかかってしまうそのチョコレートは、市販のそれより少し贅沢な高級品だ。無論、それだけの味だからこそ、少し懐に余裕のある時や、今日のような日を乗り越えようという時に奮発して買うのだ。キンキンに冷やしたものを暫く常温で放っておき、上手い具合に柔らかくなってから口の中で徐々に溶かして味わう。これぞ至高の時間である。

「……食べたくなってきた。早く戻ろう」

湧いてくる唾を飲み込みながらホールの出口に手をかけた、その時だった。

 

―――ガタンッ

 

「っ」

妙な物音がして、咄嗟に振り返り身構える。何かの拍子に舞台袖のパイプ椅子でも倒れてしまったのだろうか。少なくとも、それなりの重さがなければ、あんな音は出ない。

それとも、なるだけ考えたくはないが、

「何か、いるのか?」

邪推してしまうのは仕方のない事だ。作り物だと解っているはずのお化け屋敷でさえ、時には気絶する人もいる。居もしない、得体のしれない対象に不可思議な存在、俗に言う心霊や情念を見るのは日本人の、最早古来からの習性だ。勝手に創り上げ、勝手に囃し立て、勝手に持ち上げてしまう。

「……いやいや、待て待て。私の仕事を思い出せ」

その前に、もっと可能性の濃厚な選択肢がある。というか、私の仕事はその為のものだというのに。

「誰か、いるのか?」

少し大きめに声を出す。反響を考えれば声量としては充分のはずだ。こと音に関しては外界から遮断されたも同然なホールである。

「…………」

返事は無い。まあ、実際に侵入者がいたとしても、正直者か観念したかを除いて、態々自分の存在を教える理由もないだろう。何一つ、物音が聞こえない。気配を潜め脱走の隙を窺っているのか、それとも自分の考え過ぎで、風か振動によるただの物音だったのか。いずれにせよ、確認はしなくてはならない。

「……行きますか」

正直、気は進まない。腕っぷしが弱い訳ではないが、正直荒事は好まない。ある程度のルールに則ったスポーツならまだしも、こういう手合いには逃げる為に手段を選ばない輩もいるからだ。

と、

 

―――ガタンッ

 

二度目。それも今度はさっきよりも大きい。武器としては心許ないが、腰の警棒の柄を握り締めながら、ゆっくりと近づく。

(せめてもっと丈夫なものに変えるとか、してくれませんかね)

この警棒、警察などに配備されているような正規品と違って少々脆いのだ。伸縮式にはよくある問題点なのだが、構造上どうしても内部に空洞が出来てしまい、耐久力が落ちてしまう。警察のそれはそれでも十二分な堅さを持っているのだが、

(相方のが思いっ切りへし折れたのを目の当たりにしてますしね)

去年の秋だったか、有名な某演劇グループの全国公演の一つがこのホールで催され、その際に出演者の持ち物を盗もうとした犯人を取り押さえようと揉み合った時、相方の警棒はそれはもうものの見事に中心からポッキリと直角に折れ曲がったのである。それでも相方は格闘技の心得もあったので素手でも無事取り押さえる事が出来た。が、

(私にはそんな技術も経験も度胸もありませんし)

腕に覚えのない私にとって、武器まで心許ないというのは非常に宜しくない。窮鼠だって噛みつくのが、イタチだって最後に屁をかますのが精一杯だ。そこに、生きて帰れる保証はない。

ゆっくりと、ゆっくりと、息を殺し、足音を消し、忍び寄る。鴬張りの床でも歩くかのように。水面の波紋すら許さぬように。やがて階段を上って舞台へ。そしてゆっくりと袖を覗きこんで、

「―――は?」

それは、実に間の抜けた声だっただろう。何せ、そこにいた犯人の正体は、

「ZZZ」

「……何をしてるんですか」

懐中電灯の照らす先、舞台裏と楽屋への通路を繋ぐ扉が開いており、そこに仰向けに寝っ転がる人影一つ。赤ら顔で大の字を描いていたそいつは、何を隠そう今夜の警備の相方であり、

「―――あっ、冷蔵庫の私のチョコ、勝手に食べましたね!?」

その手に握っていたのは、数時間前に購入したばかりのチョコレートの箱そのものであった。開封されて中身は空っぽ、きれいさっぱり平らげられている。食い意地のはったコイツの事だ。大方、つまみ食いの積もりで一つ食べたのが止まらなくなったんだろう。このチョコレート、作る際にラム酒が練り込まれており、コイツは重度の下戸である。。つまり、

「全部食べて酔っ払って、何故かこんな所までふらついて来て倒れた、と」

呆れて何も言えない。恐らく、二度目の物音は寝返りでも打ったのだろう。制服を脱ぎ棄てYシャツ一枚。ベルトも抜き取っていてズボンが若干下がり、安物の妙な柄をしたトランクスがはみ出している。コイツは一度飲み会の席で、斜向かいで飲んでいた私の熱燗の気化したアルコールだけで酔っ払った過去がある。極端に弱いと知ってはいたが、まさかここまでだったとは。

「もう、なんか怒る気も失せた……」

楽しみを奪われた怒りも、無駄に驚かせた苛立ちも、これほどまでに爆睡する間抜け面を見ると霧散してしまうのだから、ある意味で性質が悪い。取り敢えず、こんな薄着の状態で放っておけば間違いなく風邪でも引きかねないので、

「警備室まで連れていくか……報告書にはきっちり書いておきますからね、みっちりこってり絞ってもらって下さい」

散乱した衣服を拾い上げ、せめてもの復讐に片足だけを持ち上げて、引き摺りながら警備室に戻る事にしたのだった。

 

―――後日。出勤すると上司の前で何度も土下座をかまし額を真っ赤にした相方の姿が見られたので、まあ由とした。

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

『夢』『施設』『運び屋』

 

一言で夢と言っても、その種類は大まかに二つに分けられる。所謂、眠っている間に見るものか、起きている間に抱くものか、だ。前者は記憶を整理している際の副産物ではないか、とも考えられており、後者は未来の理想や職業、人物像であったりと、それこそ人の数だけ存在する願望を表わす。そして故にか、この二つは密接に関係している場合が非常に多い。眠っている間に知らずにいた自分の新たな一面を知る事もあれば、抱いている理想の未来が眠っている間だけ頭の中で叶えられるという事もある。

言うなれば、理想の人生の設計図。理想郷への羅針盤。生きている以上、大なり小なり全ての命が持っている。届かない果てを目指す者。直ぐにでも届く些細な場所で済ませる者。その目的地も、至る経路も人それぞれ。だからこそ、若者達は『原石』と例えられる。その中身次第で、その磨き方次第で、如何様にも輝く事が出来るのだ。そして原石は、傍目にはただの石ころにしか見えない事が多く、中々に気付けない者が多い。それが自分自身であるのならば、尚の事。

そして、世に生きるその大半は、自らが何の原石であるかを知らずにいる。どのように磨くのか、どのように削るのか、それすらも解らずに生きている。発芽せずにいれば、それはただの種子でしかない。どれほど貴重であろうと、実を結ばなければ価値は生まれないのだ。

故に、世俗にはそれを芽吹かせる施設が数多く存在する。学校を始め、道場や各種の塾、ボランティア団体など、多くが集い、多くを学び、多くを得る。これは、そんな数多くの一つ。誰よりも知っている筈で誰よりも知らない、自分を夢を見つけられる、とある施設の話。

 

「……ここで、あってるよな」

GPSで住所を確かめる。うん、間違ってない。携帯の液晶から顔を挙げ、目の前の建物を見上げて、俺は呟いた。どこか近未来の風景を彷彿させるその建物は、ぱっと見は洒落た博物館のようにも思える。一面のガラス張りの向こうには、清潔感溢れる白衣に身を包んだ、いかにも理系って出で立ちの方々が大勢行き来していた。

事の発端は先週。何気なく立ち読みしていたバイト雑誌の1ページ。とあるモニター試験の広告に書かれていたフレーズ。

「貴方の夢を実際に体験できます、か」

俺には、夢ってものがない。ここでいう夢は、起きている間に抱く願望の方だ。日々を惰性に任せて生きる、俺はそういうタイプの人間だ。だからこそ、夢を見る事に憧れる。見ている奴に憧れる。何かに夢中になってる奴を、何かに向かって突っ走ってる奴を、無性に羨ましく思う。

だから、俺は今回のこの話に、凄く興味を持った。何でもこの機械、そいつの潜在意識にまで潜り込んで忘れているような過去の記憶まで引っ張り出し、その全てから鑑みたそいつの願望を眠っている間の夢として疑似体験させるんだそうだ。ある意味、自分で自分を洗脳する、みたいなものらしい。なんか、色々と悪用できそうな気もするが、その辺は今はいいだろう。だからこそのモニター試験なんだろうし。

俺は一体、何を望んでいるのか。俺は一体、何を望んでいたのか。誰よりも知っている筈で、誰よりも知らないこと。

「ま、それでバイト代まで出るってんなら、やってみる価値はあるよな」

で、応募してみたら見事に当選、こうして現地へ来た、という訳である。エントランスに入って受付の人に名前を言うと、暫く待たされた後にエレベーターに乗せられた。そのまま地下室へと降りて行くと、無精髭の生えた白衣のオッサンが出迎えてくれた。

「君だね、モニター試験に志願してくれたのは」

何でも今回の発明にかなりの労力をかけているらしく『このシステムが実現したら』みたいなビジョンを聞いてもいないのに延々と喋りまくること十数分、こっちが眠気に襲われ始めたことに気付いたのか、咳払いを一つして、

「では、早速始めるとしようか。これに着替えてくれたまえ」

渡されたのはジャージかスウェットみたいな無地のシャツとパンツだった。着替えて戻ると、オッサンは何やらマッサージチェアにごてごてと色んな部品を付け足したような機械を色々といじっていて、

「うむ、ではここに座ってくれたまえ」

言われるがままに座ると同時、絶叫系のアトラクションのようなバーが降りてきて身体を固定する。続いて両の手足に色々な配色のコードが伸びた機械が嵌められ、最後にバイクなどのそれよりも一回りは大きいヘルメットが被せられた。

「きつかったり、苦しかったりはしないかね」

大丈夫だと伝えると、オッサンは次々に装置のスイッチを点けていく。パチン、パチンと音がする度、機械の駆動音が増していくのがやけにリアルだった。

やがて、睡魔が襲い来るかのようにゆっくりと意識が落ちていく。それに従って五感全てに、テレビの未使用のチャンネルで流れる雑音のような、そんな何かが干渉してきて、次の瞬間、俺の意識はブラックアウトした。

 

身体が軽い。風船みたいだ。別にこう、やたらと楽しい気分だからとか、そういう訳ではなく、物理的に軽くなっている。

「なんだ、こりゃ」

重力が弱い。というか、感じない。奇妙な浮遊感が全身を包んでいる。この感覚は、

「……まさか」

まぶたを開いてみた。辺りは一面真っ黒で、そこに沢山の光が散りばめられている。そんな景色を、やけに重厚そうなガラス越しに、俺は見ている。

「おいおい、マジかよ……」

ガキの頃、何となく覚えがある。まだ幼稚園児だった頃、お袋と一緒に行った商店街のくじ引き。ガラガラを回して出たのは青い球。赤い法被のオッサンが煩く鳴らすベルの音。5等の景品って事で貰ったあの下敷きが、当時の俺の心をやけに擽った。

「宇宙じゃん、ここ」

そこに描かれていたのは、まだ冥王星が含まれてた頃の太陽系の惑星図だった。自分達が住んでいる地球よりも遥かに大きな星々。水星は『水』ってついてるのに水分が全くないこと。木星には木は一本も生えてないこと。金星は金で出来ている訳ではないこと。今となっては当然のことだが、当時の俺には嫌に衝撃的で、

「いつか、実際に行って確かめてやる、とか言ってたっけなぁ……」

思い出した。あれから親父にせがんでは、よく博物館へと連れて行って貰っていた。で、宇宙のコーナーで何時間も騒ぐだけ騒いで、帰りたくないとか愚図っていたと思えば、館内の喫茶店のクリームソーダであっという間に機嫌が直って、疲れきって眠っちまった俺を、親父は背負って帰る、なんてのが週末のお決まりコースだったっけ。

「ははっ。これ、本当に夢かよ」

宇宙服を着て、宇宙にいる。目の前に真っ青な地球があって、見渡す限りに星が瞬いていた。前にテレビでマリンスノウを見たが、少し似ている気もする。宇宙飛行士はでかいプールで無重力空間での訓練を行うが、なんとなくその理由が解った気がした。

綺麗だ。兎にも角にも綺麗だ。決して地上からは見えない景色。空を越えた先に行ける者だけの特権を、俺は今、地上で見ている。

「宇宙飛行士、ね……」

いつの間に忘れてしまっていたのだろうか。憧れるだけの存在は高い高い壁に阻まれていて、自分には無理だと、なれっこないと、いつしか諦めていた。ただただ普通の日々を惰性で生きて、それが安全で、当然で、

「……でも」

つまらなかった。張り合いがなかった。導火線は時化ってしまっていて、小さな火種はほんの少し燃えるけれど、直ぐに消えてしまう毎日で。

「あ~あ、くっそ」

でも、今度の火種は。昔灯っていた筈の、その炎は。

「ヤバいなぁ。火、点いちまったじゃん」

どうやら、多少の時化で消えるような火力ではなさそうだ。

 


 
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