No.366749

Little prayer(1)Ewhoit 中編-1

虎華さん

コミケお疲れ様でした。
寒い中スペースに足を運んで頂いた方、ありがとうございます。

こちらは頒布された「LsB! vol.2」に収録されましたものの中身になります。
夏コミの前編に続き、今回の中編、今年のC82にて完結する予定です。(本来であれば冬コミ完結目標でしたが、間に合いませんでしたorz)

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2012-01-22 09:42:13 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:2358   閲覧ユーザー数:2350

 ナカローグ

 

 

 

 ギリギリと、頭が痛む。

 まるで頭を上からかち割られて、中を調べられているかのよう。

 それで、何か工具みたいなもので、ぐちゃぐちゃと。混ぜられて。

 そんな感触。気持ち悪い。

 

 ここは夢だ。なぜなら、現実の僕は、一人の女の子と一つ屋根の下、ボロい小屋のボロいベッドに横たわっているはずだから。突然未確認生物に連れ去られたわけでなければ、夢に違いない。

 

 僕は記憶を失ってからの四年で、みっつの夢をループし続けた――いや、一つの夢のループが、時を経る度に進化して、道を分かつように、他の夢に分岐して三つに増えたと言うべきだろうか。

 全部、一人の女の子との、夢。

 これはいつもの三つ、とは違った。四つめだろうか。

 

 しかしいつまで経っても、視覚に色は入らない。一面、黒。音すらない。痛みのせいで軽く耳鳴りがしているかもしれない。

 ただギリギリ捻じられ弄られて自分が変になっていく苦痛だけが支配するそんな世界。

 何分、何時間経った?

 もうそろそろ朝だろう? 早く起きてくれ現実の僕。学校でも早起きが得意だったじゃないか。

 それか、見飽きたいつもの夢になってくれてもいい。だから早くこの苦痛から解放してくれ!

 そう願った。

 

 ふと、黒が落ちた。

 舞台のセッティングが入れ替わるように、色はたちまち黒から一瞬にしてパステルな、淡い色に。

 音は相変わらず無かった。けれど、薄いピンクとか紅色、黄色に黄緑、春をイメージできるその色は、温かく僕を包んでくれた。

 気づくと頭痛は消えていた。代わりに柔らかな、ふわふわとしたものに触られている感覚。くすぐったい、けれど心地の良いもの。

 そんな暖かさの中で、意識は急速に沈んでいく。それは夢の終わりが近いことを予感させた。……まだもう少し、この感触に縋っていたい、と抵抗したが、パステルカラーは淡さを増して、最後には真っ白に――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第4章 火狐と子猫と金色の来訪者

 

 

 

 脳波が眠りから覚醒に傾いて、意識は夢から現実に引き戻される。

 もっとあの暖かい夢を見ていたかったのに。夢というやつは大体そんな儚いものだとは分かっていても、惜しい気持ちが残る。……きっとそんな性格の人間が居たとしたら間違いなくクラスメイトからは浮くに違いない。うん、僕なら好んで仲良くしようとは思わないだろう。

 しかし夢は終わっても、何故か不思議と温もりのある空気が現実に漂っていた。

 視界を開くと、寝る前と同じ、くたびれたやや黒ずみの目立つ天井が当然ながら目に入る。肩の怪我が治るまでは変に寝がえりを打とうとしないように意識した結果だ。

 もちろん起きてしまえばそんなことをする必要もないので、同じベッドで寝付いたはずのシュカを押しやってしまわないように(ベッドが滅茶苦茶狭いせいだ)、ゆっくりと起きようとしたところで違和感に気付いた。

 額の辺りに、軽くではあるが抑えつけられる感触。さっき感じていた暖かさは、これだったのか、と理解すると共に入ってきた、耳に囁き声。

「ふふ……逃がさないんだから……ぁ」

 それで一気に目が覚めた。自分の置かれている状況を、脳内にパルスが走るよりも速く、感覚で理解する。

 寝る前に背と背を向け合っていたはずが(いやそれも十分問題なのだけど)、シュカの小さい体躯は、比較的長身だと自負している僕の腰を細い足でホールドしていて、なおかつ僕の頭を、ぬいぐるみか何かのように、ぎゅっと強く抱きしめていた。

 それになにより、自分の胸に抱え込んでいるから、頭頂部から際どい所に当たっている感じがしないでもない。当たっているかどうか感触が微妙すぎて分からないと本人の前で言うと、また生傷が増えそうだからおいておくとして、誰かに見られるわけにはいかない状態だ。

 とりあえず第一に脱出を試みることにする……が、これはあえなく失敗。

 見た目は少女でも、兵力に換算すれば騎士団一個中隊に匹敵するくらいのリトルプレイヤーである、細く見える腕が痛くはないが決して逃がさないとばかりに拘束していて、微塵も首が動かせなかった。

 じゃあ諦めて二度寝でもしようものなら……シュカが目覚めたとき、僕はその直後に物言わぬ肉塊になっているかもしれない。

 いや悪いのは僕じゃなく、多分きっとおそらく、シュカの寝相のせいなんだろうけど、それでもつい前に風呂場で鉢合わせした(もちろん不可抗力だ、と断固抗議する)時だって散々に罵倒されたんだから、何かしらのお咎めを食うことは明白なんだと、悲しくもそう思わざるを得なかった。

 となると、ダメージを必要最小限にするべくあえて茨の道を通るとするならば、

「おいシュカ……起きてくれ、朝だ」

 自然に呼びかけて起こすのが一番だ……たぶん。

 呼び掛けてふと拘束が少し緩んだ隙に、首をやや上に向ける。なんとも幸せそうにうとうとするシュカの顔が、目のすぐ先にあった。「んん……」と、唇から漏らされた吐息。起きる様子は無さそうだ。

 約四年もの間、ねぼすけな同僚を同じ部屋に持ったのだから、四十八手とも言えるかもしれない、起こす術は持ち合わせている。よし、覚悟しろ。

 上を向いたまま、シュカのゆでたまごみたいな白いほっぺに手を伸ばす。ふに、と音が聞こえたかもしれない。なんの抵抗もなく僕の指が沈み込んだ。そのまま圧力をかけていって、ぐりぐりと押すと、「うにゅにゅにゅ……」と反応。

 指を離すと、引っ込んだ頬がゴムボールみたいに元に戻った。本人に起きる気配無し。

「フランは大体これで起きたんだけど……」

 そのねぼすけ同僚の顔を思い浮かべながら思索する。確かこれで起きなかった時は……

「むぎゅ」

 さっき突いた方と同じ所をぎゅ、と抓った。これならさすがに……

「…………むにゃ」

 強情だな。

 片方の頬を引っ張られながら小さい口を開けて、寝息を立て続けているのを見ていると、本当にただの人間としか思えない……なんて感想は前にも抱いたか。こいつらを害悪としか見ない、前の僕みたいな世間の目は、シュカのこの寝顔を見て、何を思うんだろうか。写真を撮って、誰かに見せて「実はこの子リトルプレイヤーなんですよ」って言ったら何と言われるだろうか。「嘘だ」とか、「本当だとしても人を欺く為の狸寝入りだろう」とか……あるいはそれとは真逆の、「こんな顔もするんだね」って、言ってくれるやつらは居るのか。

 頬を突いたり抓ったりしながら、そんな神妙なことを考えていると、その指が突然きゅっと、握られた。

 当の本人は夢でも見ているのか、へらっと笑って、

「ねぇ……」

 呼び掛け。

 なんだ、と言おうとしてやめた。どうせ寝言だ。

「約束、だよ……」

 握られた指が、ひときわ強く力を感じる。

 約束。……なるほど、この指は指切りでもしてるのか。

 どうやら幸せそうな夢らしい。しばらくは起こさないようにしてやるか?

「それに、この顔を見てるのも案外悪くないしな……」

 役得とはちょっと違うが、まぁ後で殴られることの対価としては十分だろう。

 とりあえず指はこのままにしておくか、などと思っていると、

 かぷ。

 その握られていた指が、シュカの口に運ばれていた。痛くはない……甘噛みだ。

 こそばゆい思いを抱きながら、指を預けているシュカの寝顔を、もう少し近くで見てやろう……と体を上に動かそうとした。

「う、ん……にゅ――へ?」

 琥珀色の瞳がねぼけ眼ながら見開いて、ちょうと顔を近づけていた僕とばっちり視線が合った。噛まれていた指が、ポロリと落ちる。

「ちょ、ちょっと何これ……え!? えええ!?」

「おう、おはよう……」

「なんでこれ、なんであんたがこんな――い、いやぁあ!」

「うわ!?」

 それはもう洗濯機に入れられたみたいに見事、視界が三、四回転。華麗に投げ飛ばされた僕は、受け身も取れずに硬い床に頭を打ち付け、昏倒した。

 

 

「いてて。あーもうなんか生傷だらけだ……」

 とまぁ、気絶していたのはたった数分だったんだけど、起こされるのにもやたら頬を叩かれたらしく、顔はじんじんと痛むし脳がまだ揺れてる感じがする。

「そりゃあ私にも非はあったけど……でもそれなら早めに起こしてくれれば良かったのに。本気で貞操奪われそうになってるのかと思ったじゃない。一瞬切り刻んでやろうかと刃物探したわ」

 ベッドで座っているシュカに睨まれながら聞いて、背筋が凍る。自分からはほとんど何もしてないのにもしかしたら今僕は肉片になってたかもしれないのか。

「それができてたら苦労しないって……大体、僕の力じゃシュカの腕、びくともしなかったし」

「何よ。女の子っぽくないって言いたいの」

「そんなこと言ってないだろ」

「言ってるわよ! ……暗に」

「言ってないって。十分シュカは女の子っぽいさ」

「ふ、え?」

 指の甘噛みとか。

 そうやって少し小首を傾げる仕草とか。

 色っぽい、というよりは『少女らしい』って感じだろう。

「飾らずにそういう仕草とか感情が出せるのは、普通に女の子だと思うけど」

「な、な――ッ!」

 僕は誉めたつもりだったがしかし、シュカは顔を赤くして、

「何たぶらかしてるのよ! べ、別にそんなの……大きなお世話、よっ!」

 足元に置いてあった、みるからに重そうな鞄を、勢いをつけて投げてきた。重い分、咄嗟に避けられた。

「うわぁ!? なにすんだ危ないだろ!」

「うるさい! 死ね死ね死んじゃえ~~~!」

 当たらなかったことに腹が立ったのか、さらにシュカは手あたり次第に物を投げつけてくる。

 時計、日記帳、枕、スリッパ!

「本気で危ないから! やめろって!」

「うるさい!」

 最後にブンッと投げられたのは、細い鎖の付いたアクセサリーのようなものだった。それが、予想以上に僕へと的確に飛んできて、

 スコーン! と、額の真中にぶつかった。結構硬いもので、めちゃくちゃ痛かった。

「何すんだこの!」

 その最後に飛んできたアクセサリーを拾い上げ、投げ返そうとした。

 しかしそこで、シュカがふいに顔を凍りつかせて、

「――待って!」

 投げてきたのは自分のくせに、僕の手を強引に取りアクセサリーを奪ってくる。

 そしてそれを自らの手の上に乗せると、きゅ、と大事そうに胸に抱えた。

「……ごめん、私、熱くなってた」

 いきなりしおらしくなったシュカに面くらって、額に物をぶつけられた怒りがどこかにぶっとんでしまった。

「大事なものなのか? それ」

「うん……」

 よく見れば、それはシルバーの写真入れだった。金属にはだいぶ光沢が失われていて、開閉部は錆が目立つ……特に高そうというわけでもなさそうだが。

「中は?」

「もう開かないの。四年前から」

 シュカは、その錆びた部分を見せてくる。見た目からすれば簡単に開きそうではない。

「こじ開ければ中身だけは取り出せそうだけど……」

 シュカは、顔を伏せてふるふると首を振る。

「中身じゃなくて、これ自体が私にとって大切なものなの。っていうか、もう私にとって価値あるものって、もうこれとそこのポシェットと、この家くらいなものなんだけどね」

 そう言うシュカの声は、とても寂しそうだった。

 

 それからしばらく経って。

 僕とシュカは、シュカの家から少し離れた、スラム街の中でも奥の方にある別の建物に来ていた。

 目的は一つ。

 僕を知り合いのリトルプレイヤーに紹介するため、だ。

 正直彼女らのような存在に、この目で見ることはそんなに無かったから、実際数も少ないんだろう……と思っていたが、シュカが知るだけで実はこのスラムにシュカを含め四人が居住しているらしいから驚きだ。世界は意外に狭い。

 ところが、だ。

 普通『紹介してもらえる』ってのは自分にとって良いことが基本なんだろうけれど……今の僕にとって、これは良い方にも悪い方にも捉えられるものだった。

「ほら、立ち止まってないでよ。さっさと奥に行って」

「あ、ああ……」

 迷惑そうな声で僕の背中を、シュカがグイと押してくる。

 が、そうは言っても進んで中に入りたいとは思わなかった。止まっているとどうせ蹴りでも飛んできそうだから、足だけは動かすが……。

 家屋内の、古ぼけた木造床にやや不愉快な軋む音を響かせながら、視界の先にあるドアを見て生唾を飲み込む。それは未だ知れないモノへの不安からだ。

 ミャーと言われていた子の事は知っている。事前にシュカに、この屋敷に三人のリトルプレイヤーが住まっていることを聞いていて、ミャーもその一員だと。知っていると言っても一度見た程度なのだけれど、僅かであっても何か情報があれば人は安心するものだ。『ミャー』は所謂、『外見型』に属するリトルプレイヤーだろう。動物に擬態したり肉体自体に改造を施したリトルプレイヤー。物理的な戦闘能力が高い者も多い半面、どんな能力か分かりやすい。その点、見た目だけで見れば僕の、ミャーに対する警戒は概ねそんなに高くないのだった。

 一方、残り二名に関してはまったくの無知。シュカからも、「どうせ会うんだから今言う必要無いでしょ」と一蹴されてしまったし。つまりはその二名は、僕の警戒度は紛争地域の前線に居る兵士並みに、高ぶっていた。

 汗で滑りを手に感じながら、ドアに到達してしまう。シュカがふところから鍵を取りだし、機械的にドアノブを捻る。心の準備をする暇もなく、部屋に入った。

 やたら緊張して足を踏み入れたそこは、禍々しい雰囲気を纏った闇の背景に、奥で高そうな椅子にふんぞり返った王みたいな奴が居る訳でも……いきなり攻撃が飛んでくるわけでもなく。ただの、そう本当に何の変哲もない、大広間だった。

 当然中も木造。しかも古い。その割に高さと広さだけは十分で、金持ちがちょっとした時に開く舞踏会なら問題なく開催できそうなほどのスペースを誇っている。シュカの家なんか、二つ三つ入れたところでまだ余るだろう。もっとも、あの家は『家』というより『小屋』と称する方が適正かもしれないけど。

「なによ。私の家はどうせ狭いわよ」

 横から睨みを利かせて言ったのはシュカだ。

「まだ何も言ってないんだけど」

「心の声が聞こえたわ。分かりやすい奴」

 そしてフンとそっぽを向いてしまう。なんだよ、機嫌悪いな。

 その荒げた口調のまま、何もない空中に響かせるようにシュカは口を開く。

「セトナ? 来たわよ、『扉』を開けて頂戴!」

「……とびら?」

 この空間に、僕らの入ってきた出入口はあれど、それ以外にどこかと繋がっている風はない。というかこの大広間、一面を囲まれていて、換気用らしい高所窓はあれど、小部屋みたいな……そんなものが何もない。テーブルや机などの備品が何もないにしても、これは若干不自然というか。それにここに三人が住んでいるとするなら……何かの生活感があっても良いもんだろうが、埃があちこちに目立ち、そして僕の足跡が床にくっきり残るのは、誰もここをほとんど訪れていないということを暗示している。

 呼びかけをしたシュカも不思議に思ったのか腕を組んで、

「おかしいわね……まさかここが破られてるわけないし……珍しく遠出でもしてるのかしら?」

 と言い、壁沿いにウロウロし始めた。

 手持ち無沙汰になった僕は僕で何もすることがないので、シュカとは反対方向にこれまたウロウロしようとした。すると、

「……なんだ、これ」

 目の前には何もない。にも関わらず、その虚空は、まるで池に小石を落とした時のような、もやもやとした波紋を描き、それはゆっくり、ゆっくりと大きく幅を広げていって――

「シュカぁああああああ~~~~!」

 ぶわ、と髪が一気に後ろに靡くほどの突風と共に、波紋の中から黄色い声。そして、呆然とする僕の鼻先三寸に現れた、なにか。

 その物体は、勢いよく……僕が「あ」と発する前に直進。等加速直線運動。避ける術は無し。

「どーんっっ!」

「ぅふぐっ!?」

 トラックがぶつかってきたような物凄い衝撃――ということはなく、声の正体の衝撃を僕は易々と受け止めた。それこそ、小さな子供がじゃれてぶつかってきた程度の強さ。日ごろ鍛えあげていた僕の身体は、びくともしない……ただ、とある『鍛えられない』場所に、運悪くその物体は飛びこんできたらしい。どことは言わない。言えない。

 衝撃が伝わってきた後に一瞬にして込み上げてくる、下半身からの臓を抉られる感覚。異性には絶対分からないあの場所に、甚大なダメージを食らうことになった。

「いたたたー。ちょっと力加減間違えちゃったっ」

 そんな僕をよそに、ぶつかってきた張本人(?)はそんなことをのたまっている……もちろんこっちはそれに恨みごとが言えるほどの状況じゃなかった。痛い。半端なく痛い。もしかしたら肩を銃で撃ち抜かれた時よりも痛いかも。

 そうして、体を「く」の字に曲げながら、痛みを堪えていると、

「はれれ? ……お兄ちゃん、誰?」

 と、物体は聞いてきた。うすら目を開けてみる。

 ――いきなり視界に飛びこんできた、太陽みたいな、金の髪。そして幼い顔。シュカよりもさらに二周りほど体躯は小さくて……何故か両手をバンザイしていても、やや屈んでいる僕の頭に手は届いていない。

 それになにより、頭に耳。

 ……どこかで見たような女の子。頭がうまく回らないせいで記憶を辿るのに時間がかかる。どこで見たんだっけ……。

「にゅ? どうしたの? ……も、もしかして痛い、の……?」

「い、いや――っつ」

 心配そうな顔で、金髪の女の子が顔を覗き込んでくる。痛くないわけがない。額からは脂汗が滲んでいるのが自分で分かるほどだ。

 ガクリと膝をつく。これで少しはマシになるかも。

 でも、そんな僕を見て少女はぐす、と漏らし始めた。

「痛い? 痛いの? ふ、ふぇ……ごめんなさぁあい……」

 泣きだしてしまった。ぽろぽろぽろぽろ、真珠みたいな大粒が頬を垂れて、床についている僕の手にぽとりと落ちる。

 泣かないでくれよ、僕だって泣きたいほど痛いんだぞ……。

「あーあーもう……何やってるのよ」

 スタスタと足音を立てて、傍目に見ていたのかシュカの声。

「男がこれくらいで痛がっててどうするの? まったく、それでも私達の敵のつもりだったのかしら。騎士団が聞いてあきれるわね」

 フフンと人をあざ笑うかのよう。ちくしょうむかつく、男にしか分からん痛みってもんがあるんだよ。

 顔を上げて文句を言おうとした。すると、シュカにポンポン、と背中を叩かれる。

「……? なんだよ、……ってあれ?」

「楽になったでしょ?」

「あ、ああ」

 片手で抱えていた下腹の痛みがすっと、最初からなかったかのように消えてしまった。

「くだらないことに力を使わせないでよね。対価を払うのは私なんだし」

「チカラ?」

 シュカの、リトルプレイヤーとして持つ能力は、時間を一瞬だけ止めたり切り取ったりするものだったはず……。

 呆ける僕に向かって、シュカは面倒そうに、

瞬間切断(フレームカッター)は、時間だけじゃなくてその時間軸にある存在概念そのものを切り取るから。あんたがミャーに突っ込まれた時間そのものを切り取ったってこと。分かるでしょ」

「ふーん……」

 なるほど、そんな使い方ができれば便利だ。戦闘になったら、さぞかし活躍するに違いない。

「ま、『対価』があるから何十分も遡るのは無理だけどね――さ、ミャーも泣いてないで。もうこいつは大丈夫だから」

「う、うん……。あっ、おかえりなさいなの。シュカ」

「うん、ただいま」

 ニッコリと微笑んで少女の頭を撫でるシュカ。少女もそれを受け入れている。

 そうだ、この子がミャーか……。

 僕が前に見た、先輩騎士に襲われていたあの女の子だ。

 トレードマークの、虎のような耳。黄色と茶色の縞模様の尻尾。シュカに撫でられるのと同期して、耳は閉じたり開いたり、尻尾は左右にゆっくりと揺れていた。

「そうそう、ミャー……セトナはどうしたの? 姿が見えないようだけれど」

「うーん……おかーさん、わたしより先に行っちゃったけどー」

「ふぅん? 変ねぇ」

 二人から蚊帳の外に置かれた僕は、再びこの部屋をぶらぶらしようとする。と、

「ふふっ」

「…………!?」

 むにゅ、と背中がとても柔らかいものに包まれる。マシュマロ、プリン……そう形容すべきものにいつのまにか、背後を取られていた。

 そして、耳元に囁き。

「ねぇ、君は誰かしらぁ……? とっても格好よくて、私の好みなんだけど……」

「えっ、えっ」

 おそるおそる、首を後ろへ向けてみる。真っ白の、陶磁器のような二つの谷間がチラと見えて、思わずまた前を向いた。すると、その声の人物は僕の肩に手を置いてしなだれかかり、妖艶な声色でまさに誘ってくるように、

「もしかして……シュカの彼氏、とかかしら? あの子も大人になったのね……」

「い、いや僕は別にそんなっ」

「違うの? それなら……私、君のこと食べちゃおうかな~」

「そ、それは――」

「セトナぁ~! もう、何やってるの!」

 べり、と背後にくっついていた何かが剥がされた。剥がしたのはシュカだ。

「なによぉ。シュカが呼んだから忙しくしてたのをわざわざ気配を消してやってきたのにぃ。ぷぅ、もうお姉さん怒った。この男の子、私にちょうだい!」

 ぎゅっ、ともう一度抱きつかれる。

「だ、ダメ!」

「ぐは」

 横から強烈な力で突き飛ばされて、床に転がされた。僕の扱い、本当に怪我人として見做されてるんだろうか……いや、だいぶ治ったけどさ……肩。

「だ、大丈夫……? お兄ちゃん……」

「ん? ああ、ミャーちゃんだっけ。大丈夫、シュカにはもうどつかれ慣れてるし……」

 言いながら立ち上がる。シュカと、セトナと呼ばれた女性はまだ何か言いあっていた。

「こ、こいつは私の! 私のモノなんだから!」

「あら? なら本人に聞いてみましょうか?」

「いいわ……フラウ! ちょっとこっち来なさい!」

 突き飛ばしたの君なんだけど。

 渋々、二人の元へ。

「さぁ、答えなさい! あんたは私のとこに住んでるんだから、私のモノよね!?」

「いや別に……ぎゅっ!」

「何ですって……?」

 く、首を絞めるな……!

「わ、分かった分かった! 所有物でいいから、ぐ、首を……」

 解放。身体が空気を一気に求めて噎せた。

「ほら! 言ったでしょ?」

「うふふ……もう、なら仕方ないわね~。シュカのお婿さんらしいし……今回は勘弁してあげる」

「だ、誰が! こいつを婿なんかに!」

「あら違うの? それだったら私が……」

「ダメって言ってるでしょ!」

 きゅ。

 シュカさん、首が……首が絞まってます……。

 

 それから。

 ミャーちゃんの介入もあって、(シュカは「ふしだらだわ……」と文句を垂れてはいるが)場が落ち着いて。セトナさんの提案で自己紹介の流れになった。

「それじゃ適当に……」

「はいはいはいはい! ミャーはね、ミャーって言うの!」

 シュカの仕切りに割って入って、しゅばっ! と立ち上がり勢いよく手を挙げたのはミャーちゃんだ。

 にぱ、と弾ける笑顔がとてもよく似合う……それこそ、休日には公園で走り回っているような幼児によく似ている。白のブラウスと花柄のスカートは、肩まで伸びた金髪と薄く焼けた微かな小麦色の肌によく映えて、耳と尻尾は、盛んにその存在を示すかのように動きまくっていた。ある意味で子猫のようだ。

「それだけじゃ紹介になんないでしょ……まぁいいわ、私から補足するから」

 うに? と首を傾げるミャーちゃんを余所に、シュカが続ける。

「一度会ってると思うけど、ミャーもリトルプレイヤーよ。能力はちょっと分かりづらいけど、『虎』を擬態化してるの」

「……虎?」

「そーだよ! がおー」

 両手を頭の上に掲げて、ポーズする。うん、猫にしか見えない。

「名前は猛虎狂乱(タイガーランペイジ)。ま、私みたいに普段から能力を使うことはないわね、残念だけど」

「なんでだ?」

 僕がそう言うと、シュカはさっとこっちに寄り、耳に手をあてて小声で囁いてきた。

「(肉片になりたい?)」

「(は!?)」

 肉片って。

「(ミャーの能力はそれだけ強力なの。まだ子供だから発現してないだけで……。ライオンだって、小さい時は猫と変わらないけど、成長すると体格が段違いに変わるでしょ。軽視しちゃダメよ。もし……彼女に襲われそうになった時は……もしもの話だけど、逃げるの優先だから)」

 思わず、ミャーちゃんの方を見る。にぱ、と笑った口の端に、鋭く光る牙が見え隠れしていた……。見た目で判断しちゃいけない、ってことだな……。

「次は、私の番かしらぁ?」

「うわ!」

 急にメロン2つが現れた……もとい、セトナさんが目の前に。

 たゆん、と揺れる。さっきこれで背中を包まれていたんだな、と思うとなんだかまじまじと見てしまう。

「きゃ、やっぱり可愛い!」

「むぐ!?」

 しょ、正面攻撃だと!?

「やめなさいって言ってるでしょ!」

「ああん」

 すぐにシュカによって頭から引き離される。助かった半面、柔らかさがちょっと名残惜しいような、

「……スケベ。変態」

「…………」

 不埒な考えはやめておこう。後が怖い。

「まぁ、冗談はこれくらいにして~。半分だけど」

 半分は本気ですか。

「私はセトナ、華の16歳なの……よろしくね?」

「はは、はい!」

「……20歳よ」

「むぅ! シュカのいじわるぅ!」

 ぷく、と頬を膨らませるセトナさん。まぁ確かにこの人が僕と同じ年だったら、色々困る……。

 言動はともかく、セトナさんはミャーちゃんとは対極というか、すらりとした長身の、まさに『大人』な人だ。……が、それでいて細身なシルエットで、出る所は出ていて引っ込む所は引っ込んでいる。まさに同姓から羨望の的になりそうなスタイルだ。

 胸元を強調している服のせいでどうしてもそっちに目が行ってしまうのだけど……軽くウェーブのかかった、よく手入れされているであろう茶色のロングヘアと、白く透き通りそうな肌も十分特徴立っていた。

「ま、私もシュカと同じリトルプレイヤーなんだけど……」

「全然小さくはないけどね」

「シュカのココと違ってね~」

 セトナさんがシュカの平面地帯……どことは言わないが、そこを指差す。

「放っといてよ!」

「まぁまぁ……」

 ほんとすぐにこの二人は茶々を入れ合うな。仲が悪いと言う感じはしないけど。

「ふん。とにかくセトナは、ミャーと同じ擬態型よ」

「え?」

 擬態型って言っても……ミャーちゃんみたいな、耳や尻尾といった特徴は見当たらない。どこをどう見ても、普通の女性にしか……。

「――セトナは二次性徴が終わってるから。ミャーとは違ってコントロールできるのよ」

「そう……こんな風にね」

 セトナさんがふふ、と妖しく笑う。すると、

 ぴょこ、っと頭から――狐のような茶色の耳が飛び出した。

「自分で制御できるから、隠すことも自在なの」

 華麗にウインク。感情が耳に出る所は、ミャーちゃんと同じだな、と思った。

「能力が弱まってるとも言うけどね……」

「そんなことないわよぉ。まだまだ現役なんだからっ」

「ばか言ってないで。今だって体調崩してるくせに、無理だけはしないでよ」

「分かってるわよぉ。ふふ、でもシュカが心配してくれるなんて。可愛いところもあるんじゃない~」

 セトナさんがシュカの細い身体を抱き上げる。身長差があるから、シュカの頭がセトナさんの二つの谷間の間に挟まって、艶めかしい動きを……。

「きゃっ! ちょ、ちょっと抱きつかないで! むむ、胸がくるし」

「うふふふふ~」

「フラウ! セトナを、どうにかしなさい……っ、はや、く」

 気づけばシュカが窒息しそうになっていた。

「セ、セトナさん……それくらいにしてあげた方が!」

「フラウさんがそう言うのなら~」

 ぱっ、と手は離され、シュカは解放された。

「ぷは。うぅう~このおっぱい魔人……」

 眼福ごちそうさまでした。

「もう、シュカはつれないわねぇ~。代わりにフラウさん、どうですかぁ……?」

「ぼ、僕!?」

 気づけばセトナさんが今度は僕の目の前で、胸を前に出すようなポーズを取っていた。

「い、いやその、それは」

「フラウさんが私を抱いてくれても良いんですけどぉ~」

 いきなりこんな形で迫られて、焦る。女性経験なんて、露の1回ほども無いのに……。

 それで、対応が遅れたのかもしれない。いつの間にか蘭として光っていた、セトナさんの紅い眼光に、気付けなかった。

「いいじゃないですか……シュカなんて放って、二人で――」

 目が離せない。意識で逃げようと思っても、体が言うことを聞かない。この感覚、この光景はそう、僕が初めてシュカを見た時の、まったく動けなくなる殺気に似たそんな状況を思い出させた。

 ――まるでブラックホールに吸い寄せられるように、僕の意識から急速に、セトナさんを除いた『世界』が乖離していく。ぐにゃり、と視界が曲がる。世界が暗転する。

 

 ***

 

「あれ?」

 一瞬の暗転の後、意識が復活……したと思えば、僕はさっきまで居た、あの木造のだだっ広い部屋とは相対するような――まばゆい光に囲まれた、それでいて生物らしさをまったく感じない、無機質な空間に座っていた。

 立ち上がる。天井を見上げる。

 ……霧のような、白い光で隠されていて、どこが上限か分からない。いや、あの光こそが天井なのか。

 一面鏡張りの部屋に閉じ込められたみたいに、此処は光に満ちていた。それだけに、天井も壁も……どこまでも広がっているようで、すぐそこが限界であるようにも感じる。もやもやとした、曖昧な――まだ造られて間もない雲の中に入ってしまったみたいだった。

「それにしても……どこなんだ、ここは」

 眠っている間に連れ去られたわけじゃない。感覚的にはつい数十秒前まで、僕はシュカやセトナさん達と一緒に在った、筈だ。セトナさんと話している時にこうなった所までは覚えていた。

 そんな僕の疑問に、目の前の光からぼう、っと姿を現した人物が答えた。

境中庭園(マインドガーデン)。此処は――フラウさんの、心の中です」

「セトナさん……」

 そう、茶色の髪にびっくりするぐらいのスタイル……そして狐の耳。何本にも分かれた、尻尾。まごうことなき、知り合ったばかりのセトナさんだ。ただ、あの紅い眼から発せられる異様な光と纏った雰囲気、それに声色……まるでさっきまでシュカと茶々を入れ合っていた優しそうな女性とは、まるで違う。

「僕の心の中って……どういうことですか? シュカや、ミャーちゃんは」

「その名の通りですよ。私の能力、まだ言っていませんでしたね。『九尾火狐(ナインフォックス)』……人化かしの妖怪です。狐を模したリトルプレイヤーである以前に、人の心に擦り入り、惑わし、かどわかす。心に働きかけるのは妖怪の得意な技ですから――私に対してほとんど警戒をしていなかったフラウさんの心に、忍び込みました。ここはそれを私の能力で視覚化した場所。現実世界とは、違う場所です。シュカも、ミャーも居ません」

 セトナさんが、ゆっくりゆっくり、僕の方へ歩いてくる。

「そ、それは分かりました……。でも、どうして?」

「私が――リトルプレイヤーである私が、リトルプレイヤーとしての能力を使うんです。それも、人間に対して。意味は、分かりますよね?」

 後ずさる。

 セトナさんの眼は決して揺るがず、僕のみに一点が注がれている。そもそも、此処には僕とセトナさん以外のモノは存在してないのだけど。

 その視線が……とてつもなく痛い。敵意のある眼、だ。

「……シュカがあなたを連れてきたと言うことは、それなりに信頼のおける相手だと、私は理解しました。私達にとって人間とは天敵であり、生活するうえで存在する必要はないと思えるのが大部分と認識している種族ですから」

 反論はできない。むしろそれが正論だからだ。

 もし僕ら非能力者である人間がと、リトルプレイヤーとの間に食物連鎖のピラミッドのようなものがあるとするなら、間違いなく上に立つのはリトルプレイヤーだ。しかし、何せ数が違う。人口はこの世界で何十億と居て、逆に彼女らは万すら確認できていない。数とは暴力。一人の近接武器を持った大人と千人の少年が戦えば、犠牲は出ても少年側が必ず勝利する。

 故に彼女らは隠れる。そして当然ながら、隠れ家に異質な物が入り込めば――排除するのが普通だ。

「なので、良い機会です。処遇は別にして、まずはフラウさんの心を覗かせてもらいました。結果に、驚くばかりですが」

「……とは」

「周りを見て分かる通り……この空間は非常に境界が曖昧な霧と、どこまでも続くまっさらな背景。それだけで構成されています。こんなのはあり得ません。まるで生まれたての赤ん坊のよう」

「ありえない?」

「あくまで私の能力は分かりやすいようにデフォルメするだけですが……生を営む動物は皆、欲や愛、希望、絶望、夢、心相……それら複雑な『心』を持つものです。それが色なり雰囲気なり、あるいは他に凶悪な生物が現れることもあり、それによって描かれるものです。ただ――ここは何もない」

 セトナさんは続ける。いや、僕が発言することを許さないように、間を置かなかった。

「もう少し詳しく教えて差し上げます。私はリトルプレイヤーとしての素性を隠しつつ、普段は呪い師、占い師……その類のことをやっていますから。この景色が何を指すのか」

 指し伸ばされた細長い人差し指。僕の胸をするりと撫でる。

「白とは、なによりも空白に他なりません。生まれてすぐのモノが純粋であるように。今のフラウさんはそれが今の大半を占めていると。そして境界の曖昧さは、危うさや反抗。現状からの変化を望んでいる証拠です。恐らくはシュカと出会ってアナタは変わり始めている。今は白でも、すぐに黒に変わってしまいそうな。それがこのフラウさんの、境中庭園」

 白と黒、か。

 僕には今から4年以上前の記憶は無い。そしてその直後から騎士学校に入り、頭の中はリトルプレイヤーについてしか考えたことが無かった。そもそも、そういう施設だし。

 そして、そんな記憶しか持たずに、4年を費やした目的をあっさり見失っているからこそ――迷っているだけだとも解釈できるけども――セトナさんの能力で言う、白しかないんだろう。絵具をパレットに垂らしても、洗い流してしまえば残るのはパレットの白色しか残らない。

「それで結局、僕はセトナさんにどう思われているのでしょうか」

 一番の疑問だ。

 こうして能力を使ってまで……僕と対一の場を持つなら、何もしないわけがないから。

 ちょっと前の僕ならこういう事になったら問答無用で剣を抜いていた。それをしないのは、シュカをある程度信用していて……だからこそセトナさんがどういう人なのか真意を図りたいから。

 だが――それは、あまりにも甘い考えだった……らしい。

 僕の胸に当たっていたセトナさんの指は、無言のうちにずぶずぶと……服を突き破って、抵抗なく僕の身体にたやすく侵入してしまった。

「――ッ!?」

 直後、全身を舐めまわされたみたいな悪寒が支配して、現実感の無い、けれど実際に目の当たりにしているソレを、脳が必死に否定しようとした。

「答えは……NGですね」

 より一層冷たく、機械的な声と共に。

 セトナさんの手は、手首が見えなくなるくらいまでに僕の胸に浸かっていた。

 逃げたいと思う。

 けど、それを許さないとばかりに……意思を持った個体のように、紅い眼光が僕を照らす。さっきからまるで体が動かないのも、こいつのせいだ、と思った。

「NG、って……つまり」

「残念ながら……私は、フラウさん。アナタの心の存在を許さない、と言うことですよ」

 ぐぐ、と胸――いや、もはや心臓を握られているとしか思えない――を押さえる手に力が伝っていくのを感じる。

 絶望的観念、ってのはこのことだろうか。

 自分に沈んでいくその手を、ただ見つめるだけしかできない。

 そんな僕に、セトナさんは告げる。

「安心してください。私の境中庭園が壊すのは『心』のみ。ここでいくらフラウさんを切り刻もうと現実世界の肉体に傷がつくことはありません……私は、シュカと知りあって『曖昧になってしまったアナタの心』を壊す。そうすれば、アナタはリトルプレイヤーであるシュカや私の内情に対する中途半端な同情は消え、記憶も無くなり、起きた時にはまた純朴なリトルプレイヤーの敵に戻っているだけです。アンフェアですからその時点で私達がアナタを消すことはありませんが――次会った時は敵として殺し合う。ただそれだけの話です」

「なん、だって……ッ」

 僕が、シュカの事を。

 リトルプレイヤーの、ようやく知りえたことを忘れる?

 守りたいと思ったものに、剣を向ける――?

「そ、そんなの…………いやだ!」

 咳をきったように、今まで動かなかった体が動く。ぬぽ、と泥沼に嵌まった長靴を外した時みたいな音をして、セトナさんの腕が僕の胸から抜ける。一瞬、不快感が全身を駆け抜けたが、そんなのは気にしない。背を向けて、一心不乱に逃げようとする。でも。

「……なんだよ、これ」

 この空間に運ばれた時から、まっさらな白で構成されて何もなかったはずの背後に……何故か灰色の無骨な壁――それも身の丈五メートルほどで、とても乗り越えるなんてことはできない――が、そびえ立っていた。

「無駄ですよ。私の創り出したこの庭園は、何も心だけを映し出すものではありません。此処は私の世界。すなわち、私が神とさえ言えるゾーン……私の都合通りに、組みかえられる」

 振り返る。

「――がっ」

 視界がセトナさんの顔を捉えるかその前か。

 いずれにせよ認識できても避けることができるとは限らない。細身の女性とは思えないほどの腕力で首を掴まれ、僕の足は宙に浮いた。

「そろそろ観念してくれませんか。私もリトルプレイヤーとしては老いた身。能力に払う『対価』を考えないと行けない身、フラウさん一人に時間を費やすわけには行かないんです」

「あ、ァ……」

 掴まれるのに使われていない手が、再びズブズブと、胸の中へ。

「ぐ、ぅ」

「楽にしてください。力を入れなければ痛みはそんなにないですよ。終わるときは一瞬でやってあげますから」

「い、やだ……僕は、シュカの事を忘れるわけには……いかない、んだから」

 手が止まる。セトナさんが明確に、不快な表情を示した。

「どうしてそこまでただ一人のリトルプレイヤーに固執するんですか? ここまで目的を持たない曖昧な心をしていて、異様な執着とも言えますね。アナタにとってシュカは、そこらへんに居るリトルプレイヤーでしかないでしょう」

「それは、違い、ますよ」

 例え僕がここで自分の心を殺されたとしても、これだけは絶対に否定しておきたかった。

「僕は確かに……リトルプレイヤーを、敵として、いる。けど……ゲホッ、僕にとって彼女は特別で……守りたいと思える存在に、短い時間で昇華したん、だ」

「…………」

「僕らが、彼女らに憎まれることは、分かる……けど、それでもシュカは、瀕死の僕を助けてくれた。それは果たして、偶然、なんでしょうか」

「偶然でしょう。シュカに何かのメリットがあっただけです」

「そうかもしれない……けど、僕は、そうじゃなかった。僕にとって、シュカは、偶然なんかじゃ、ない。ゲホッゲホッ……彼女の生活を知って、彼女の涙を知って、僕がそれを守れる盾に……なれればいいと、思ったんです、よ」

 ハァ、とセトナさんは落胆したような溜息を漏らした。

「戯言めいたことを言って命乞いでもするつもりですか。さすがは人間ですね。あざとく、滑稽」

 そして、より一層妖しさを増す紅い光。

「――これくらいにしましょう。おしゃべりは終わりです……」

 ついに、セトナさんの腕は、肺にまで達したらしい。息ができない。酸素を求める肺の微動だけが、気管を通って情けない嗚咽となる。

 ここまでか。

 また僕は、守れずに……。

 …………。

 いや、待ってくれ。

 それは困る。

 往生際が悪いようだけど――やっぱり僕が歩もうと思った道。どうせ『心』が死ぬなら……ここで死ぬも一緒だ。

 薄れゆく意識の中、自分の胸に向かって真っすぐ伸ばされた腕を、掴み返す。

「……何をする」

 何か策があるわけじゃない。

 ただ、奇跡を。

 自分の中にある何か奇跡を。

『そう――ただ、願いなさい』

 声が聞こえる。僕の頭に響く、夢の女の子の声、だ。

『あなたには力があるのだから』

『ここで終わるなんて許さない』

『まだ私を迎えにきていないでしょう?』

『忘れた力は……呼べば戻ってくる』

『今はまだ、未完全だけど』

『私が力を、貸してあげる』

『さぁ、呼んで――自分の名前を』

 頭の中に浮かび上がる。

 フラウ、いや……『風楼(フラウ)』!

 

 パキンッ

 

「あ、あぁ……あぁああぁぁああああああああ!」

 僕の中で、何か『錠前』のような……自分を制御していたモノが、半分、壊れる音がした。ソレでせき止められていた色んな全てが、体を頭を脳を臓器を……駆け巡っていく。

 頭が割れそうだ。いや、もう割れているのかもしれない。

 今まで経験したことのない……大岩で止め処なく何度も殴られているような痛みが頭を支配する。

 その代わり――

 痛みは、力を運んでくる。

「何、ですかこれは……」

 突然叫び声を上げた僕に、セトナさんは呆然としているようだった。ああ、そう言えば腕を掴んでいたんだっけか……。

 ちょっとだけ、腕に力を込める。

 ピシッ。

「あぐっ……!?」

 セトナさんが驚いたように腕を離す。ごぼ、と音を立てて僕の胸から腕が抜けた。

「嘘……こんな、私の庭園で」

 セトナさんの顔には驚愕と、焦りが走り……今までの落ち着き払ったクールな表情はどこにもなかった。紅い眼光が消え失せ、威圧感を持った圧倒的な雰囲気はもう感じない。

 今なら、やれる……?

 もはや理性は飛んでいた。

 目の前の人物がどうなろうと――関係ない。

 頭痛と共に、本能が加速。

 シナプスとパルスが光速で廻り、

「おあぁあああぁぁあああ!」

 突如、轟風。

 何もない庭園に、嵐のような風が猛る。バキバキバキ……と大樹を割るように、背後にそびえ立っていた灰色の壁が捲くり上げられ宙を舞う。微塵となって巻き込まれながら、渦を作り目の前の人物に向かう。

「はは、はははははははは!」

 壊れろ、圧倒的な力をぶつけろ、

 猛烈な風が齎す銀の龍を――アイツに!

「コレは……ッ!」

 

 ***

 

「――フラウ。フラウっ! 起きなさい!」

 ぺちぺちと何か叩かれる音がする。

「起きろっ!」

「ぁ痛!」

 脳を揺らされる衝撃に、跳ね起きた。

 すると、視界には見慣れた顔。シュカが居た。

「あれ? どうして俺……」

 頭がぼうっとして、記憶の前後をうまく接続できない。が、どうやら俺は寝かされていたようだった。

「はぁ、やっと気が付いた。ほら、重いんだから早く起きてよ」

「あぁ……うん?」

 重い、って……

 上半身をがば、と起こしてシュカの方を見る。正座していた。ってことは……

「もしかして俺、シュカの膝枕」

「あーあーあー! は、恥ずかしいんだから言わないで! もう……こんなんだったらやるんじゃなかったわ……」

 頭の後ろを撫でる。柔らかい、そしてほのかな温もりが残っている気がした。

「別に良いじゃない。自分からやりだしたくせに~」

「うるさいセトナは黙ってて!」

 そこで、痛烈な違和感。

「あ、れ……? そういえば確かセトナさんと話してる最中に何か意識が飛んだような気がするな……。覚えてないけど、セトナさん。俺何したか覚えてます?」

「……あー、それだけどね」

 割って入るシュカ。

「セトナとあんたの間にちょっと良くないことが起こったのよ。ほんとに些細なことだけどね。それで結果的にはなんともなかったんだけど、多分その記憶が戻ることは無いと思う」

「それって、大丈夫なのか?」

 些細、と言われても。良くないこと――ましてや自分が覚えてない時のことだから、不安になる。

「うん。あくまでもあんたが倒れてる、っていうか気絶してた間だけだし――セトナの名前を覚えてるなら、そんな深刻なことじゃないと思うわよ。ちょっとしたリトルプレイヤーの干渉反応が起きただけ。貧血みたいなものね」

 シュカの表情は至って普通で、何かを隠してる様子は無い。

「ならいいんだけど。……でもシュカ、もしかしてお前、泣いてたのか?」

「えっ!?」

「だってほら、涙の跡が」

 白い透き通るような輪郭の端は少し濡れていて、目の下がやや赤くなっている気がしたのだ。

「な、泣いてなんかないわ! ただちょっと、さっき顔を洗ってきただけよ」

「ふーん……」

「シュカは泣き虫ですからねぇ~」

「そんな頻繁に泣かないわよ! もう、二人して私をからかって……はぁ。とにかくフラウも起きたことだし……ミャーはまだ寝てるけど」

 高窓から入って来る一筋の暖かそうな明かりに、猫みたいに体を丸めたミャーちゃんが、昼寝というべきなのか……すやすやと休んでいる。

「ミャーは、フラウさんに任せておいても大丈夫でしょう」

 そんなことを言ったのは、セトナさんだ。

「へ?」

「まぁ……セトナがそう言うなら良いけど。一人にするよりはマシだろうし。でも本気で言ってるの?」

「はい~」

 セトナさんの顔は朗らかだ。

 一方、俺にとっちゃ何の話をしているのか分からない。

「えっと……何の事?」

「私とセトナは、これからちょっと外に出るから。ミャーを連れていくわけには行かないし、そんな長い時間じゃないから……ここでちょっとミャーのお守をしてて欲しいの」

「うーん、それならまぁ、いいけど……」

「決定ですね~」

「ミャーが可愛いからって、変なことしたら切り刻むからね」

「するかよ!」

 これでも僕は紳士のつもりだ。

 まぁそんな僕の弁明はあっさり無視され(セトナさんはプレッシャーのある笑みを放っていた)、二人は足早にこの部屋から出て行った。なんとなく頭がまだぼうっとしているし、ミャーちゃんのお守、って言っても寝ているし……俺も昼寝するか。

 

 ***

 

 言い訳のようにミャーをフラウの元に置いて、私とセトナはフラウに見られない場所から、セトナの作った空間のゆがみを利用して、とある密室に移動した。

 誰にも話を聞かれる心配はないし、人間に見つかる事も無い。問題は、風通しなんてないから、物凄く蒸し暑いことくらい。

「便利だけどね……せめてもうちょっと涼しい所がやっぱり良いわね……」

 思わずぱたぱた、と手うちわで仰いだ。当然風なんてこないけど。あくまで気休め。

「熱いなら脱いじゃえば良いんじゃないかしら?」

「ちょ、ちょっ!」

 言って、すぐに身につけている服のジッパーを緩めようとする。セトナの胸はかなり大きいから、上着を脱いでシャツ一枚なんかになったら、露わになっちゃう。

「セトナがそれをやると洒落にならないから本当にやめて!」

「え~……シュカってば、嫉妬してるの~?」

「そりゃちょっとはするけど! でも女の私の前でも、そういうえっちな事は禁止って言ってるでしょ! ミャーが真似したらどうするのよ!」

「ミャーは頭が良い子だから大丈夫よぉ~」

「もう……とにかく、近々奴らが来る気配だってあるし、あんまりあそこを空けたくないから早めに本題に入るわよ」

「はいはい~」

 本題、ってのはもちろんフラウのこと。

 フラウには私の瞬間切断で、記憶を一部消したからきっと分からないだろうけど。

 あの自己紹介の時、セトナがフラウに対して能力を使っていた。そして私も、止めることが出来なかった……。

 ミャーの前であんまり暗い話はしたくないから、ミャーが寝るのを待って、セトナと話すことにした、ここはそういう場。

「単刀直入に言うわ、セトナはどうしてフラウに能力を使ったの」

 あくまでも、口調は普段通りで。彼女は私の同胞で、機関から逃げた後ずっと一緒に支え合ってきた身。彼女には彼女なりの理由があるって、思うから。

「今は『セスナ』が眠っていますから、全部は説明できませんけど~、一概に言えば私もセスナも、彼を信用できなかった、からですよ。シュカの隣に居る存在として、ね」

 セスナ……とは、彼女の能力として身を宿す人格。外形擬態化のリトルプレイヤーは、その擬態能力を示す人格が、本人とは別に宿るもの。温厚でトロくて天然のセトナと違って、セスナは冷静沈着、計算高く物を考える人格。正直私も彼女は気難しいと思う。

「私が彼を信用してるの。もちろん、あいつは馬鹿でスケベで空気読まないけど……」

「それは分かってますよ~。というか、シュカが連れてきてなければ敷地を踏む前に『壊して』ますから」

「……っ、セトナ!」

「今は違いますよ。上辺ながらも彼がシュカに危害を加えるとは思わないですし」

 はぁ、と大きくため息が出る。温厚なセトナだけれど、たまに見せる、こういう言葉はゾクっとする。

「――ですが、どうしてシュカはそこまで彼を擁護するんですか?」

「……分かんない」

 そう、どうして彼を。フラウにここまで心を許してしまっているのか、分からない。

 一応、フラウが他の人間達と、少しは違うことを知ってる。まだ短い期間だけれども、あいつは騎士団っていう地位を捨てて、私と共に居る。

 最初はスパイのつもりかと思って、寝たふりをしながらあいつが動くのを待ったけど……拍子抜けも拍子抜け、あいつは人様の家のベッドの半分を占有しながら、毎日私よりも先に爆睡している。

「分からないのに、信頼しているの?」

「でもっ! でも……あいつは何か『違う』って確信してるの。……いや、私の知ってる何か、な気がする……のかな」

「ふぅん♪」

「と、とにかく! 私は彼を信用してるの! ……漠然とだけど。でもセトナは……なんで彼をあそこまで、やったの?」

 セトナの能力の詳しくは、私も知っている。

 妖狐を擬態する『九尾火狐』は、仮初めのもの。本態は……その人格が持つ、凶悪なまでの『心』の破壊衝動。セスナに取り込まれたフラウは、幸いそうなることはなかったけれど、代わりに、頭を押さえながらもセトナと揉み合いになって――そして、突然……私に抱きつくようにして眠ってしまった。何かがあったのは間違いなかった。

「正直……セスナがあそこまでやっちゃったのは予想外だったわ。私としては、ちょっとシュカの事を忘れてもらうくらいで済ませれば良いって思ってたから~。でもね、今なんで『やった側』のセスナが……力を使って覚醒している筈なのに、眠っていると思う?」

「……もしかして」

 私の中で、一つの推測が浮かんだ。

「セスナが――負けた?」

 普通の人間に対してリトルプレイヤーが能力戦で負ける事は無い……ましてや、自分の否定するもの全てを思いのままにできるセスナが、肉弾戦で負けるわけが無かった。でも、目の前のセトナは……私の問いに、首を縦に振った。

「そんな……まさか……」

「負けたと言っても、別にセスナが死んだわけじゃないけどねぇ。でも、彼はあの空間で、セスナが無理やり『心の回線』を切らなきゃいけないほどの力を使ったのは事実よ。それはつまり」

 ――フラウが、人間離れした何かを持っている、と言う事。

「まだ答えを出すのは早いと思うけど、そういう運命が待ってるかもしれないわね」

「そう……」

 ミャーが、肩を撃たれていた彼を見て、同じ匂いがする、と言った。

 セスナが、彼に負けた。

 この決定的な二つの出来事が、私に一つの確信めいた結論を持ってくる。

 不思議と胸が高鳴る。

 彼が、そうなんじゃないかって。

 私が失った過去の残像が見せる、あの姿が。

 それに、

「フラウって、自分のことは『僕』って言ってたのよ。でもさっきは」

「確かに、『俺』って言ってましたねぇ」

 何かが彼に起きたのは間違いないと思っていい。

「……結論を急ぐ必要は無いと思うわよぉ? ゆっくり、ね?」

「……うん」

 そう、急がなくてもいい。

 彼は、私の傍に居るのだから。

「帰りましょう~、ミャーも待ってるでしょうし。ああ、あの子は寝てるかしら」

 セトナが、元の場所に戻る為に能力を使おうとした、それと同時に。

 

 『警報』を知らせる赤いランプが、光っているのが見えた。

 

 ***

 

「うーん……あれ?」

 気づけば床の上で、かなりの時間寝入っていた。少しだけ昼寝するつもりだったのに……。

「学校だったら、教官から制裁貰ってたかな」

 我ながら緩くなってしまったんだな、と苦笑する。

「はれ~? お兄ちゃんも起きたの? おはよう~……」

 さっきまで陽だまりで丸まっていたミャーちゃんも起きてきた。顔を擦っている様子が本当に猫そっくりだ。

「おはよう。シュカ達はまだ帰ってきてないみたいだけど」

「うん~? 二人なら、すぐ近くに居るよ?」

「?」

 首を傾げる俺に、ミャーちゃんは四つん這いのままぺたぺたと寄ってきて、

「あのね、ここは、おかーさんが結界、ってのを張って、一つの場所をいっぱいあるように見せてるんだー。それで、わたし達には見えないけど、すぐそこできっと……お話してるんじゃないかな」

「おかーさん、ってのは?」

 俺がまだ知らないリトルプレイヤーだろうか?

「にゅ? お兄ちゃん、さっきおかーさんと話してたでしょ?」

「もしかして……セトナさん?」

「うん」

 そ、それは知らなかった……。ていうか、セトナさん二十歳って言ってたような。ミャーちゃんの年齢はまだしも、まぁ、なんだ……色々複雑そうだ、な。

「そのおかーさんの力で、このお部屋ぜんぶが、人間さんに見つからないようにしてるんだよ~。だからね、ここは安全なの。わたしとおかーさん、それとシアちゃんが、ここで暮らしてるんだよ。シュカだけはずーっとお外の家に住んでるんだけどね~」

 にゃはは、と少し困ったように笑う。

 シア、ってのは多分あと一人のリトルプレイヤーの事か。それにしても、ただ住むだけでもやはり、何か施しておかないといけないらしい。俺だって、敵地のド真ん中で見張り無しに野営はしたくない。そんなことしてたら寝首を掻かれることは容易に予想できる。

「ん、でも……なんでシュカはあんなボロ小屋に住んでるんだ?」

 そりゃ、シュカの事だから寝ている間に襲撃されても返り討ちにしてしまいそうだが。

「えーっとね……シュカは、わたし達と会う前からここに住んでたことがあったんだって。その時はシュカ一人じゃなかったらしいんだけどー、その時からあのお家に居た、って聞いたことがあるよ~? おかーさんが何回も言ったけど、シュカはぜったいに聞いてくれなくて。おかしいよね~」

 へぇ、何かこだわりでも持ってるんだろうか。今度聞いてみてもいいかもしれない。

「うにゃー、お暇だにゃー」

 ミャーちゃんが、ごろん、と再び横になる。あぐらをかいて座っている、僕の膝の上に頭を乗せて。

「はは、またお昼寝の時間か?」

「うんー……することないと、眠くなっちゃうからー……」

「膝、硬いだろ? 毛布か何かの上に」

「大丈夫だよ~……お兄ちゃん、暖かいし……にゃー」

 そのまま、俺の腿に手を乗せてうつらうつらと船を漕ぎだした。頭を軽く撫でると、「うにゃー……」と返ってくる。本当に猫そのものだ。虎だけど。

 ゆっくりと、安寧な時間が過ぎて行く。それはずっと続くんだと思っていた。

 その刹那。

 ダーン、なんて音では表現できない程大きな爆発音が、巨人が近くを走ったのかと思うくらいの振動と共に、訪れた。

「な、何だ!?」

「んみゃ?」

 思わずあぐらをかいていた下半身を立たせてしまい、腿の上に乗せていたミャーちゃんの頭を床に摺り落としてしまう。

「あ……ごめん、痛かった?」

「う~……大丈夫」

 耳の後ろをさすってやる。コブにはなってないようだ。

 しかし、ズシン、ズシンと腹を震わせる振動はなおも続いている。爆音は一定間隔で何回も起こり、やがて多数の叫び声やタタタッと言う発砲音まで聞こえてきた。騎士学校の訓練で、何度も聴いてきた、戦闘の音だ、と思った。

「うゅ……お兄ちゃん……怖いよぉ……」

 きゅっ、とミャーちゃんが俺の服を掴んで、ベルトの辺りに顔を埋めてくる。無理もない、彼女はまだ小さいのだ。いくらリトルプレイヤーであっても、それに変わりは無い。

「シュカは……セトナさんは、まだか!?」

 そんなに時間は掛からない、と言っていたのに――と思っていた所、部屋の空間に波紋が広がった。さっき見た光景だ。

「――ごめん、遅くなった!」

「遅くなりました~」

 そこから、シュカとセトナさんが二人揃って出てくる。

「おかーさん!」

「あらあらまぁまぁ」

 すぐにミャーちゃんはセトナさんの元に飛びついて行った。

「シュカ……この音は? 外が騒がしいようだけど」

 小粒の汗を額の所々に浮かべているシュカは、深刻そうな顔で告げる。

「――騎士が攻めてきたみたいよ。戦闘ね」

 

 

 それからは実に淡々としていた。

 シュカは走って荷物を取りに。

 セトナさんは服を着替えに行った。

 俺はただオロオロしながら、ぎゅ、っと裾を掴むミャーちゃんと一緒に、突っ立っているだけだ。

 やがて、シュカが戻ってくる。手には灰色にくすんだ、紐の千切れているバッグが握られていた。

「フラウ。あんた、どうするの? ここに残るか。私達と一緒に来るか。言っておくけど、相手は騎士団の連中だから、あんたも向こうに帰るなら帰っていいわ……今なら見逃してあげるから」

 俺は唾を一つ飲み込んで、首を横に振る。

「それは無い。俺はもう、あそこには戻らない。その覚悟でシュカについてきたんだし。今更騎士団に付くことは無いよ」

「そう……なの」

「当然、俺も行く。足手まといになるかもしれないけど、『約束』だからな」

 あの雨の中、俺はシュカの盾になるって誓った。覚悟はできている。

 それを聞いたシュカは、少し頬を赤らめて、

「……ふ、ふん! 足手まといのくせに言う事だけはでかいんだから! 邪魔だけはしないでよね!」

「いちゃいちゃタイムは終わりましたかぁ~?」

 セトナさんも、着替え終わったらしい。さっきまでの、セクシーな服とは一変、清楚な白を基調とした、袴服だ。僕とシュカを一瞥し、雰囲気が変わる。

「――行きますよ。能力の展開中、部屋の結界は使えません。逃げ場はありませんので、対象は駆逐してください」

「分かりました」

「ええ!」

 

 先頭はシュカ。真ん中に俺。セトナさんは後方から、ミャーちゃんはセトナさんのさらに後ろで、隠れるようにしている。

 入口から隠れるように、外へ出た。

 途端、目に入ってきたのは……ボロ小屋だらけで草木は萎れ、暗雲とした空気ながらも、精一杯生きようとしている人達が溢れるスラムの姿はどこにも無く、禍々しい金属音と発砲音が支配し、火の手が次々と家屋を飲み込んでいくだけの――そう、まさに戦地だった。

「こんな……」

 思わず絶句してしまう。鋼鉄の剣と弾ががちゃがちゃタタタと死を奏で、爆発音。地面に突き刺さる。土埃がカーテンのようにばっと舞う。

 スラムを闊歩しているのは住人ではなく騎士団だ。俺の隊が使っていたのと同じ、防弾性が極めて高い、頭から脚までを金属で固めた重装備。兵装は各々、剣や銃など……数は見えるだけでも百数十は居る。兵数としては多く無いが、スラムの狭さを考えれば、小一時間で制圧できる量が送りこまれてきていることは確かだ。今一度言うが、ここは戦地じゃなく、中程度の町の、それも一部なんだから。

 前に陣取っていたシュカが振りかえる。

「……行くわよ。大丈夫?」

「――ああ」

 鞘に収められているスラッシャーを確かめるように撫でる。大丈夫だ、覚悟は出来てる。こいつを振るうのは、初めてじゃない。

「セトナ、お願い!」

「――結界庭園(セクリッド・ガーデン)

 シュカが飛び出すのを合図に、セトナさんが能力を展開した。

 目標を特に定めずにスラムの破壊を繰り返していた騎士団が、一斉にこちらを向く。と同時、うす黒い膜のような、セトナさんの結界が、スラム一帯を取り囲んだ。

 それまで隊列を組んでいた彼らが、唐突な目標の出現と、不可解な現象の存在に慌てふためいている。チャンスだ。シュカが先陣を切って前に飛び出した。

 戦闘が始まる。

 俺はシュカの邪魔にならないように、援護用のハンドガン(殺傷能力は重装備相手にはほとんど無いだろう)を片手に、もう片手を鞘に当て、後ろから追う。

 慌てふためく小隊の一部が、シュカに対して明確に敵意を露わにした。ほとんどが近接兵装だ。援護射撃を一つ、二つ入れる。伏せる。

 敵の足元に弾痕を二つ。それだけでシュカには十分だった。

 俺はまだ、シュカの戦闘方法を見たことがなかった。何せそもそもリトルプレイヤーは能力によって戦闘に特化するもの以外にも、前線ではまったく意味を為さないものもある。前者は例えば、触れたものを発火させることができる……など。後者は、体内でどんな毒物にも対応できる抗体薬物を作り出すことができる……など。

 セトナさんは所謂補助側なそうで、普段結界を張ってあの家周辺に人間が入りこまないようにしたり、その他幻術めいたものを使う。よって、武器は最低限護身用のマガジンしか持っていないらしい。

 一方シュカの能力は瞬間切断……どんな戦いかたをするのか、それが初めて明らかになる。

 シュカの手元には一般的な長刀。スラリと長く、スラッシャーよりも厚みがある。腰には回転式の小型銃がホルスターに止められていて、薄手のワンピースに似つかない。

 シュカの直線状に五人が立ちはだかった。刀が構えられる。

 その一瞬。

 一歩大きく前に踏み出したかと思えば、次に瞬きした時にはもう、五つの首が宙を舞っていた。遅れて赤い霧が噴出して、白のレースが染まった。

 俺には、シュカが能力を使ったことが分かった……が、彼らには何が起こったかすら理解できずに逝っただろう。相手がまだ自分より射程外に居るのに、そこから首を討ち取られるまでの時間を、切り取ったんだから。

「目標だ! 隊列を乱すな、一斉にかかれ!」

 隊長と思しき人の声が響く。二十や三十では済まない銃口が、シュカを捉えて火を噴いた。

 鉛玉が迫る。その全てに、シュカは避けようとしない。否、当たらない。

 銃弾が体に当たって殺傷する瞬間を、切り取るから。

 シュカが前に突っ込んだ。飛んだ。目標に鋼鉄の嵐を浴びせた、と思いこんでいる騎士団は呆然としている。空中で一回転。刀を上に放り投げ、ホルスターから銀色に光る拳銃――二丁抜いた。鮮やかに手の内で半回転。集団に向かって、逆に弾丸の雨を降らせた。

 全てが流れ作業のように、滑らかに動く。俺の眼には、そう映る。

 けれど瞬間(フレーム)瞬間(フレーム)の間を、コンマ以下(フラット)に切り取り、張り合わせている。映画のネガの前後が少し変化して繋がれている、その間――空白部分に自分を滑り込ませて、敵からの攻撃は絶対に当たらない、そんなゲームみたいな無敵時間を作り出している……そんなカラクリだ。

 ……と、戦闘前にシュカから教えてもらった。

 シュカが地面に降り立ったと同時、銃を向けていた数十の人間が、バタバタと動かないモノに化した。たった二回。それだけで、視界に捉える人数を戦闘不能にしてしまった。

「大分侵入を許してるみたい。一掃しながら、街の入口まで戻るわ」

 俺は頷く。走るシュカの後ろをついて行きながら、骸から起き上がる敵が居ないか逐一振り返ったり、死角に牽制射撃を入れる。まだ敵は多数だ。

 

 入口へ向かう間、シュカは八人を斬った。残酷なように思えるが、これで怯んでいてはとても務まらない。俺だって学校で学んだことは、リトルプレイヤーを斬ることだ。対象は違えど、やることは一緒。上がる血飛沫で服が染まろうと、剣が濡れようと、前に進まなければいけない。

 道中、スラムの住人が無残に腹に穴を開け絶命しているのも見かけた。老人から子供まで。やったのはおそらく騎士団の連中だ。あの、ゴミ捨て場で生きようとしていた人も混じっているかもしれない。頭の中でそっと祈った。

 

 走り抜け、隙間に身を潜めた先に、門が見えた。禍々しい灰色の門だ……今は錠前ごと外され、門はその口を開けている。当然、周りには両手両足の指で数えられない騎士団が集っていた。いや、それどころか、まだ後ろにも続いている様子を見ると――千に上ってしまうかもしれない。

「数、多いな……」

 思わず口から漏れる。いくら味方の力量が分かっていても、数は暴力だ。ましてやこっちは機械じゃなく生の人間。この状況に恐怖しないやつなんて、鉄の心臓どころか重合金でできてるに違いない。

「おかーさん……」

「大丈夫よ、怖かったら隠れていてもいいからね?」

 背後のミャーちゃんはずっとセトナさんの服を掴んでいる。壁と壁の間に隠れながら、シュカに言う。

「この数、大丈夫なのか?」

「……やるしかないでしょ」

 シュカは表情を変えない。

「ただ少し多勢に無勢って感じね……さっきみたいに軽めの能力解放じゃ苦しいわ……、全力で叩かないと数に呑まれる」

 四対千。

 実質戦っているのはシュカだけだから、一対千だ。

「さっきの、セトナさんの結界を展開してもらうのは……?」

「さすがに無理ですねぇ。私が思いがままにできる庭園は、入れる人数や能力の強さに応じてキャパシティがありますから~。さっきの『結界』ですと、百人くらいは入れますけど、あれは外界との次元を捻じ曲げるだけで、攻撃機能はありませんし……それより負荷の強い『境中』『幻想』は十人ほどでいっぱいいっぱいです。シュカはともかく、私は大人数の戦闘には向かないんですよ~」

 ごめんなさい~、とセトナさんは頭を下げる。

「なら正面突破しかない、か……」

「そうね――切るフレーム数を上げれば……援護射撃、頼めるかしら」

 いや。

「俺も行く。一人より二人の方が良いだろ」

「なっ……! そ、そんなのダメ!」

 壁に潜みつつの最大限の声でシュカが叫ぶ。

「お、おい……あんまり大声出すなよ」

「ごめん……。でも、あんたを前に出すわけにはいかない。私達みたいに、能力があるわけでもない、ただの人間なんでしょ。瞬間切断は万能じゃないの、瀕死なら治せることはあっても、死んだあとじゃ戻せないし……」

「俺がこれで死んだって恨んだりしないさ。言ったろ、盾になるって。矛に守られる盾じゃだめなんだ。頼む、俺も一緒に行かせてくれ」

 小声だけど、あくまで強気の目で訴えかける。

 シュカは一度目を白黒させて……数秒ほど中空に視線を漂わせた挙句、ようやく諦めたように言った。

「はぁ……分かったわ。物分かりが悪いのもあいつと――」

「ん?」

「あぁいや、今はそんなことより。とにかくセトナは維持できるだけの結界をお願いね。最低でもミャーだけは守ってあげて。フラウ、あんたは……私と横列で、銃は使わない方がいいわ。遠くからは牽制に使えるけど、近場じゃ手数にしかならないから」

「ああ、分かってる」

 一応腰には付けておくが、余りのマガジンは捨てておこう。邪魔にしかならない。

 これで準備は整った。

 本当に唐突だけど、あとは生きるか死ぬかだ。さっきまで普通に自己紹介なんてものをしていたばかりなのに……まぁ、生き死になんて、そんなもんだろう。

「――一斉に、行くわよ。三、二……」

 一、

 ゼロ。

 並んで静かに飛びだした。掛け声なんてのは要らない。

 スラム奥まで展開していた隊と違って、こっちの奴らはまるで警戒感が無く、近づいているのに誰も気づかない。あちこちに上がっている火と煙に、制圧の安堵感が漂っているのだろうか。どのみち、こっちには関係ない話だ。むしろ、ありがたい。

 大隊の先頭まであと数メートルまで迫ったところで、ようやく向こうがこちらを指差してきた。もう遅い。

 シュカが口に黒い物体を咥え、先端部分を外す――手榴弾。

 走りざまに隊の真ん中に向けて投擲した……あくまでも古典的な方法だが、それが非常に効果的な不意打ちになったことは、火を見るより明らかだった。

 数秒の後に炸裂音。スラムの硬い土でも、埃が上がる。埃のカーテンで、見たくもないものを大量に見なくても済んだのは幸いだ。いくら敵でも、肉片の散る姿は狂気に満ちている。

 結局、爆発だけで大隊は大混乱に陥った。先頭集団は吹っ飛び、中距離攻撃をするはずの真ん中がむき出しに。突然の事態に統率は取れず、瞬く間に散り散りになって行った。少数対多数の、理想的な形だ。

 俺はシュカの方を見つめた。無言で頷きだけが返って来る。背を向け合うようにして、俺達の戦闘は再び始まった。

 砂埃がまだ収まらない中、まず一番身近に居た騎士を斬り伏せる。無意識の内に俺はスラッシャーの片方を抜いていた。ぴぴっと、赤い泡沫が切っ先を濡らす。さて、終わった時に濡れてない所はあるだろうか。

 移動する。斬る。次の目標を探す。目前に三人の集団だ。一人目を薙いだ後、二人目を冗談から袈裟。三人目は奇声を発しながら掛かってきた。二人目のせいで剣は泳いでいる。隙のでかい腹に蹴りを入れて押し戻してやった。怯んだ。脳天から正面一発。

 背中越しに聞こえる断末魔は、前方から聞こえるものよりも遥かに凌駕していた。振り返っている暇はないが。

 一歩踏み出した。完全に相手は混乱している。まるで初年兵どころか、騎士学校の一年生だ。斬り伏せる。斬り伏せる。首、胴、心臓。

 どこからか飛んできた弾丸が、肩を掠めた。痛みは特になし。目を凝らす。正面五メートルほど。ハンドガンを構えた奴が居た。拳銃を吊るしていない方のポケットから投げ慣れたナイフをお礼に返してやろう。額に直撃した。

 正面の視界から敵が消えた。ふと左へ視線。向かってくる集団が居る。三十ってところか。シュカとふと目が合う。なるほど了解。

 突っ込む。返し袈裟で相手の武器と交差する、金属音。後から遅れて、集団を微塵にするタタタと発砲音が響いた。頭部に穴を開けて、頸動脈から鮮血を飛ばして、バタバタと倒れた。

 死をもたらす弾丸が飛び交う中で、手を伸ばせば触れられる距離で相対して、それでも俺は不思議な安心を隣から感じていた。

 フレームの世界を切り取り、弾丸をばら撒いていき、長刀を振るう……それは何か、既視感のようなものさえも感じさせた。まるで何年も前から、一緒に戦っていたような。

 そうして小一時間。

 疲労は思ったほど重くなかった。むしろ、緊張が取れた分だけ動きが良くなっているかもしれない。

 そして、背を向け合ったままぐるりと螺旋を描きつつ屠り淘汰し続けた結果――戦場の支配者となっていた。

 描く螺旋の線上から敵は消える。さもなくば、スラッシャーの餌食になる。集団は、フレームの間に弾に貫かれる。

 螺旋の通る所、後に残るのは骸の山。

 やがて、敵の作るベールが晴れた。肉体という名の壁が無くなり、向こう側に閑散としてしまった街が見える……ただ一つの集団を残して。

 二十、三十……百は居る。それも全員が重装備。練達なのか大隊の中核なのかは分からないが、統率の乱れていた奴らとは雰囲気が違う。

「投降しろ!」

 全員が、銃口を向けてくる。

「……だってさ」

 さすがに苦笑が漏れる。この状況は、俺ではどうにもならない。俺では。

「そうね、でもその前に……」

 シュカが前に出る。正面に銃口を見据えて、歩いて行く。

「!? と、止まれ! 止まらないと――」

「止まらないと?」

 彼が喋れたのはそこまでだ。

 フレームが止まる。

 瞬間だけでなく、連続して。

 僅か一、二秒だけ……シュカの姿が視力の世界から消えていた。その姿が元に戻った時、

「――瞬間解放(フレームリムーブ)

 投降を促した彼を含め、百人以上……誰も口を挟まない。挟める訳もない。

 シュカがフレームを解放したと同時、赤色の津波が一瞬空中に散って、二倍に増えた肉塊がぼとぼとと地に臥した。

 物を言う肉体が前方から全て消える。戦闘が終わったことを示していた。

 

 

「セトナ! そっちは?」

「敵意反応は無くなりました~。敵影自体はまだ残っていますけど、それでも十には上らないでしょう」

 俺達二人はセトナさん達と合流した。門付近でドンパチやったせいで、逃げようとした騎士がスラムの方に流れてしまったらしい、軽傷ながら戦った痕が見られた。

 ちなみにミャーちゃんはセトナさんの背中にしがみついて眠っている。

「なんとか……なったのかな」

「うん……。私もちょっと、疲れた」

 崩れたコンクリート塊に背持たれて座っていると、横に居たシュカがこてん、と頭を肩に乗せてくる。白のワンピースだったものが紅白になっていて、銃創の跡、火薬の黒ずみが雪のような肌を痛々しく見せている。それに息遣いも薄く、相当に疲れているようだ……当たり前だけど。

「うふふ、やっぱりお二人は仲が良いんですね~」

「茶化さないでよ……これでも全力出した後なんだし」

「ああ、シュカは頑張ったさ」

 軽く梳くように頭を撫でる。特に嫌がる素振りも見せず、シュカはそのまま身を任せてきた。

 と、その時。

 ガシャ、と何か重い物を地面に落とす音がすぐ近くでしたのが耳に入った。

「っ誰だ!」

 音がした方へ視線を向ける。姿そのものは見えない。

 もしかしたら大隊の残存兵力が居るのかもしれない……全部を倒したわけじゃない、相手が銃器を持っているのなら警戒すべきだ。

「……セトナさん、ちょっとシュカをお願いします」

 シュカの肩をセトナさんに預け、長い雑草が密集して……如何にも隠れられそうな死角がある場所へ向かう。ハンドガンを片手にそこへ近づいて、

 ザ、と草を掻き分けた先には――

「ひゃあ! ここ、降参! 降参するから……私何もしてないんだから連れてこられただけなんだからぁ命だけは」

 妙に見覚えのある金髪のツーテール。幼い顔立ち。そうそれは、

「まさか――フラン~~~!?」

「ふぇ……、えっ、えええっ!? ふ、フラウ兄ぃ……!」

 

 およそ数カ月ぶりに見る、『元同僚』の姿だった。

 


 
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