No.276695

楽園の花 -2-

和風さん

戦争という時代、絶望という日常。“花売り”と”先生”は出会うことになる。そして物語は動き出す──少しずつ、終わりへと向けて。 そんな最中、彼女はひとつの分岐点となる少年達に出会う。彼らに出会うことで、花売りは……。

2011-08-17 20:17:10 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:329   閲覧ユーザー数:329

【花売りと少年達と】

 

 外は雲ひとつ無い晴天。少し積もった雪も昼には半分が溶けてしまうかもしれない。

 そんな天気だが、この山の斜面を利用して建てられた屋敷――屋上から街のすべてが見渡せる――ではさほど関係が無かった。

 それというのも、雪山での一件から数日。疲労困憊だった少女は、最初こそ寝たきりだったが、今では順調に回復している――のだが、

 

「はい」

「いや、すまない」

 

 苦そうな色をした粉薬を口の中に入れ、受け取った白湯で流し込む。顔からはあまり苦そうな感じはしないが。

 

「かなり苦いよ」

 

 やはり苦いらしい。

 屋敷の二階にある青年の私室。そこには、同じくあの一件で疲労困憊になった青年がベッドで寝込んでいた。

 理由はシンプルにして、この時期なら当然と言うべきか――青年は、風邪をひいたのだ。

 

「けほッ――あぁ、もういいよ。花売り君にうつしたら申し訳ないからね。悪いけど――けほッ、けほッ!」

「はい、今日はお休みですね」

「すまない」

「それじゃ、お昼になったらご飯持ってきますね」

 

 白湯の入っていた器を受け取り、部屋から出ていく少女。

 器を片付け、首にさげられている時計を見る。昼までかなり時間があるようだ。

 

「お昼、何がいいかな……作れるの少ないけど」

 

 基本的に元からある程度食べれるモノを切って、焼いて、温めて、煮てなどの作業だけで出来る料理しか知らない。

 例えば焼いたパン(既製品)、目玉焼き、塩味のトマトスープ(缶詰使用)、野菜サラダなど――本当に簡単なモノしか出来ない。シチューといった手間の掛かる料理はまだ教えられていない。

 

「風邪にいい料理ってなんだろう……」

 

 まだ拙い料理の腕前と知識。目的にあった料理を作るといった事は出来るはずも無い。

 

「……街に出て見ようかな」

 

 どちらにしてもあまり食材は残ってないので、買い出しに行かなければならない。

 

「歩きながらなら……何か思い付くかな?」

 

 

──────

───

──。

 

 

「何も思い付かないや」

 

 中央公園のベンチに座り込み悩む少女。

 ここは街の中心部にある緑化公園。といっても、あまり手入れがされてない。一番の理由は戦争だ。あがる税金に増える難民。治安の悪化などで街の財政もかなり厳しいのだ。こういった公園など公共の施設で重要さが無いモノは真っ先に切り捨てられる。

 

「もったいな。春になったら綺麗な花も咲くのに」

 

 見渡す限りには利用している人も居ない。これは戦争云々よりも雪が原因だろう。いくら晴れていても寒いモノは寒い。わざわざ好き好んで寒空の下、公園に来る者なんて皆無だろう――否、少なくともここに一人。

 

「はぁ……どうしよ」

 溜息をついていると――視界の端に何かを捕えた。小柄な影が三つ、茂みに入って行くのを。

 

「……?」

 

 後を追いかけるように茂みに入っていく。

 そんなに広い公園ではないが、少女のような子供にとっては密林のようにも感じられる。

 

「そこまでは酷くないけど……」

 

 木々を掻き分け、視界が開けた場所に着いた。周りには幾重にも木が重なりあい、外からでは確認できないだろう。そんな少し狭めの広場の真ん中。そこに奇妙なモノがあった。

 廃材とベニヤ板で組み合わされた壁と屋根。赤いペンキで模様が描かれ、派手さだけが取柄のような建物だ。

 

「家?」

 

 橋の下で少女が作った家に似ている。しかしこちらの方が立派で、しっかりとしていて――インパクトも上だろう。

 

「でも、なんでこんな所に……」

 

 そんな調子で建物を眺めていると……突如、高笑いが響き渡った。

 

『ふはははははッ!』

「!?」

 

 木々に反響し、まるであらゆる場所から笑い声が聞こえて来るようだ。

 

『ははははは――ッ。俺の姿がわからないか? なら恐怖におののくがいい!』

 

 どこから聞こえてくるかわからない。そんな状態に陥れば、誰でも冷静さを失ってしまうだろう――が、

 

「そこで何をしてるの?」

「へっ?」

 

 

 建物の屋上に奇妙な物体が仁王立ちしていた。枯れ葉を全身にまぶしたような姿だが……誰がどうみても人間だ。これでは恐怖どころか驚かすくらいにしかならない。

 

「お、おい! お前の作った木の葉隠れ、バレてるぞ」

 

 なぜか足下に向かって文句を叫ぶ落ち葉。声と身長からいって小柄な人か――もしくは子供か。

 

「リーダー、何度説明したらわかるんです!? それは地面に落ちてる枯れ葉に混じって――」

 

と、言いながら建物から出てきたのは、少女から見たら背の高めな少年。短めで癖のある髪に小さな眼鏡が印象的。

 

「うるせー! 男は細かい事なんか覚えないんだよ!!」

 

 例の枯れ葉――がついた服――を脱ぎながら降りてきたのも少年。こちらは少女と同じくらいの背で、この辺りでは珍しい黒髪と目付きの悪い顔、時折見える八重歯が印象に残る。

 

「なぅぅ」

「あれ?」

 

 いつの間にか足下に一匹の猫が寄り添ってきた。茶色い毛に濃い茶色が混ざったブチ模様。

 

「あ、ブチ。勝手に出てくるなよ」

 

「ったく。まぁバレたもんはしょうがねぇ……おい女! 心して聞きやがれ!」

「……」

 

 黒髪の少年は再び建物に登り、仁王立ちになった。

 

「西から東へ、北から南へ。今日もオレらの名が轟く! 泣く子も黙り、悪党どもは――えっと、悪党どもは――」

「名を聞けば逃げ出す」

 隣にいた眼鏡の少年が、半分呆れたような口調で囁く。

「そう! 名を聞けば逃げ出す! 人呼んで、『オレ様隊』だぁ!」

 

 どどんッ!

 

「もっとマシな名前つけましょうよ、リーダー」

「うるせぇメガネ!」

「なぅ」

 

 猫が「これ以上付き合ってやれるか」とでも言わんばかりの顔をしながら、建物の中へ入っていった。

 

「えっと……初めまして」

「あ、どうもご丁寧にすいません」

「オレの名乗りを無視するんじゃねー!」

 

 こうして少女は、彼らと出会った。

 黒髪の少年はリーダー、眼鏡の少年はメガネ、猫はブチ。二人と一匹の……軍隊だ。

 

「はい、どうぞ。ただの水ですが」

「あ、どうも……」

 

 とりあえず中へと通された彼女は、最初に当然の質問をしてみた。

 

「それで、さっきはなんであんな事を?」

「あぁ、リーダーの隠れ蓑作戦ですか……その前に、ボク達の事を少し話さないといけませんね」

 

 ちなみにリーダーは外で見張りをしているらしい。というより、最後まで彼女が建物内に入るのを渋っていたせいだろう。

 

「気分を悪くされたらすいません」

 

 ペコリと頭をさげる。年は少女より少し上なのだが、少年にしてはかなり落ち着いた物腰だ。

 

「ボクらはお互い経緯は違いますが、孤児です。親が居ない子供がどうなるか、知ってます?」

「確か……孤児院に無理矢理連れて行かれるって」

「えぇ。ですが、それはこの国がまともに機能していれば……の話です」

「え?」

「最近では見掛けませんが、数か月前までこの国の軍隊がそれをやっていたんです」

「なんで?」

「軍隊がわざわざ孤児を集める理由。それは、戦争の手伝いをさせてるからです」

「……」

「十五歳に近い子供はそのまま前線へ。まだ若い子供は病院や炊出しの手伝いならまだ良い方です。地雷の撤去や、工場での強制労働を強いられ――その結果死んでも、共同墓地と名付けられたゴミ捨て場のような穴に投げ込まれる」

 

「ひどい……」

「リーダーは、実はその強制収容所から逃げてきたんです。ボクもリーダーからその話を聞くまで、ほとんど知らなかった事です」

「そう、なんだ」

 

 生意気で明るい、元気そうな少年だが――その裏にどれだけの過去を背負っているのか。リーダーだけでは無い。メガネも、そして少女も――皆、なにかを背負っている。

 

「数か月の回収が行われてから、この街には孤児がほとんどいません。だけど、もしまたやってきたら……強制収容所に連れて行かれます。だからリーダーは、できるだけ軍隊から孤児を助かけようと、こんな私設軍隊……とでも言うようなモノを作ったんです。まぁ、孤児達に隠れる場所を作ったり、もしも軍隊が来たら知らせるって事しか出来ませんが」

 

 弱々しく微笑むが、彼らは戦争というモノの中で必死に抗って生きている。それはかなり立派な事であり、逞しい。

 

(あ、そっか)

 

 今の話を聞いて、思い出した。前に出会ったばかりの、青年との会話で、 

 

『この国の法律では、孤児は強制的に孤児院へと連れて行かれる』

 

 青年は知っていたのだ。強制収容所の事も――だから、こんな提案をした。

 そう思うと、彼女の中で何かが込み上げてきた。それがなんなのか――まだ彼女には分からなかった。

 

「できれば、この話は秘密にしてください。あまり表立って噂になると、また軍隊が動くかもしれません」

「はい……」

 

 あまりにも近すぎると、人はそれに目がいかない。近すぎると日常に隠れてしまうのだ。

飢えも、貧困も、戦争もーーすべて日常になってしまい、深く考える事を放棄していた。

 

(それに、先生の所に行くようになってから――)

 

 近すぎる日常は、遠い記憶となっていた。昔の自分からは想像できない、幸福な生活はーーただでさえ意識してなかった戦争という存在を十二分に忘れさせてくれた。

 

(それは悪いことじゃない。けど……)

 

 知ってしまった。戦争という病に立ち向かう彼らを。なら、彼女のとる行動はただひとつしかない。

 

「今日は驚かせてすいませんでした。もうすぐ見回りに行くので、それでは――」

「あの!」

「はい?」

「私にも、手伝わさせて。あなた達の仕事」

 

 今まで彼女は自分から決めた事はほとんど無かった。

 母の為だと、生きる言い訳をしていた。青年が提案してくれたから、今の生活がある。なにもせず、流れるままそこにある葉のような生き方。

 

「と、言われても……」

「いいぞ」

 

 いつの間にか出入り口の所に、やはり仁王立ちをしていたのは、

 

「ちょっとリーダー」

 

 メガネは彼の肩を押し外へ追い出す。

 

「いいって――彼女は恐らく家持ちですよ?」

 

 中の少女には聞こえないくらいの声で耳打ちする。

 ちなみに家持ちとは、その名前通り帰る家のある子供を指す。少女の服装は質素とはいえ小綺麗。

 

「貴族の子かもしれませんよ?」

 

 半端な説明でもして興味をもたれては、またここに来るかもしれない。だからこそ、はっきり説明をしたのだが――、

 

「いいじゃねーか、やりたい言ってるし。本当に貴族のボンボンだったら適当に理由つけて帰らせたらいいだろ」

「……たまにリーダーってまともな事を言いますよね」

「オレ様隊式必殺技!」

「痛痛痛痛い痛いってリーダー! その拳でこめかみグリグリするのやめっ、痛ッ!!」

「何やってるの?」

 

 いつまでも帰って来ないので、様子を見に来た少女は不思議そうな顔で二人を眺める。

 

「なんでもねーよ。……それより入るんだったらオレ達のやる事をキチンと見ておけよな。それと、オレを呼ぶ時はリーダーと呼べ!」

「はい、リーダー」

「よし」

 

 満足そうに頷くリーダー、それを横目で見ながら溜息をつくメガネ。

 

「それでなにをすればいいの?」

「言ったろ。まずは見回りだ」

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

「なんでお前がバテてんだ」

「大丈夫?」

 

 街の西には低めの山があり、東には広大な草原と平野、北は高めの山と森がある。

 そして南側。ここにも林や草原が広がるが、それよりもまず誰しもが“川”に目がいくだろう。

 街を囲むように流れている川は、北の山の地下水が流れてきたモノを引き込んで造られている。この南の川は街を建造する時、流れてきた地下水を逃がすのに造った人口河川だ。それなりに幅も広く、大人の足で半日下っていけば海にたどり着くだろう。それほど長い距離を、まだ道具も機械も未発達だった時代からやってのけたのだから、先代達の凄さが垣間見れる。

 現在、その川を下っている所だ。

 

「なんで川なの?」

 

 見回りというから街の中だろうと、少女は思っていた。

 

「それ、はですね……はぁ、はぁ」

「ちょっとした知り合いがいるんだよ」

 

 またしばらく川沿いを歩いていたのだが、突然リーダーが声をあげた。

 

「おぉぉーーーーーーい!!」

「ッ!?」

 

 驚きのあまり思わず尻餅をついてしまった少女。

 

「うぉぉぉん!」

 

 何やら聞き覚えのある遠吠えが聞こえたと思ったその瞬間、またもや突然の出来事が起きた。

 林の中から出てきたのは一匹の大柄な灰色の犬。どう猛さと凶暴さの象徴とも言うべきその牙を見ると、少女はこの間の嫌な記憶を思い出していた。

 

「犬……」

 

 つい最近、種類は違うとはいえ犬によって命の危険にさらされた後だ。彼女でなくとも警戒はするし、身も竦むだろう。

 

「大丈夫ですよ。この犬は噛んだり襲ったりしてきません――僕も最初は腰を抜かしましたが」

「よしよし。あのクソ爺ちゃんは生きてるか?」

「だぁれがダンディなジジイじゃ」

 

 一瞬、犬が喋ったのかと思った。そのくらい野太い声は犬の印象にあっていた……実際は背後からのっそりと出てきた老人が発したモノだろう。

 

「誰も言ってねーって。それで、なんか異常あったか?」

「ったく、相も変わらず生意気なクソガキじゃのー」

 

 身の丈と横幅は、リーダーの三倍はありそうなくらい大柄――実際はそれよりも小さい――な上に、その迫力のある声。髪と髭は白くなっている上に老人ではあるが、下手な若者よりも生気に溢れている印象だ。

 

「この人は、この辺りで猟師をやっている方です。あ、いつもお世話になってます」

 

「おうメガネ小僧か。お前は礼儀を弁えているがな、どうにもひょろくていかん。もっと鍛えろよ」

「はい、まぁそれは順次考えて……」

「ところで小僧達」

 

 老人はしゃがみ込み、二人を呼び寄せた。

 

「なんだよジジイ」

「さっきから居るあの娘は、お前らどっちかの……コレか?」

 

 ニヤニヤしながら小指をたてる。

 

「な、ななななにを言ってるんですか!」

「おいメガネ。小指ってどういう意味なんだ?」

「いや、そのですね――とにかく、そんなんじゃないですよ! 彼女はその、」

「今日入ったオレ様隊の新しいメンバーだ」

「よ、よろしくお願いします」

 

 とりあえず会話に入れないでいた少女だが、紹介があったので挨拶をする。

 

「がっはっはっ。こちらこそよろしくな、お嬢ちゃん。儂の事はジジイでもなんでも好きに呼ぶがいいさ」

「それじゃ……お爺ちゃん?」

「……」

「ん? どうしたんだよジジイ」

「いや、なんでも無い。それよりもお前ら、飯は食ったか?」

 

 時刻で言えば現在十一時。昼まで後少し。

 

「どうせ、それを目的で来たんじゃろ?」

「まーな。ジジイの所なら気兼ねなく食べれるし」

「リーダー! よくタダで食べさせて貰ってるんだから、そんな偉そうに……というより、今日はそれが目的なんですか!? てっきり見回りだけだと思ってたのに」

「ついでにガキの分も貰っていけばいいだろ」

「だからなんで貰う事前提で――」

「いいさメガネ小僧。食料なら多めに余ってるんだ。儂一人で食うよりは、腹空かせとる子供に食わせた方が嬉しいにきまっとる」

「ほらな?」

「全く……いつもすいません」

 

 少女は、彼らのやりとりを見て聞いていた――それはまるで家族のような団らんで、暖かな空間。青年と接している時とは違う意味での、幸福さ。

 

「……」

「おい、嬢ちゃん。どうした?」

「さっきから黙ってる所みると……ズバリ、トイレに行きた――」

「ってリーダー! そんな事をハッキリ言わないで下さいよ!」

「その辺ですればいいじゃんか。そこの川でも」

「だーかーらー」

「ゴメンね。なんでも無いの」

 

 ちょっとだけ羨ましくなった。もしも自分に他にも血の繋がった家族が居れば、こんな雰囲気に囲まれた生活だったろうかと想像した。

 でもそれは逃げであり、今の自分の境遇は如何ほどにも変わらない。それに今も幸福なのだ。青年も居れば、今日出会ったばかりの彼らも居る。

 

「ただ私、同じ年くらいの知り合いとかって居ないから」

「知り合いじゃねーだろ」

 

 彼女の近くへ寄ってきたリーダーは、右手を差し出した。

 

「友達だ」

「リーダー……」

「仲間であり、同志であり、友達であり、家族である! これがオレ様隊の合い言葉だ!!」

「ちょっとリーダー。ボクは知らないですよ、そんな合い言葉」

「今考えた」

「はぁ……リーダーって、ことごとくボクの考えから外れた事してくれますよね」

 

 困った顔で頭をかきながらも、どこか分かりきっていたという風な言いぐさだ。

 

「じゃー友達と言うなら、もうここではっきりさせましょう」

「なにを?」

 

 メガネは少女と向き合い、その眼はしっかりと少女の瞳をみている。

 

「ボクもリーダーも素性は大体ハッキリ分かってます。ボクはこの街の生まれで、二年前に孤児になりました。質素ながらも家はありますが、あまり周囲の家に知られたく無いので帰ってません」

 

 それなりに付き合いがあるが、もしかしたら通報されるかもしれない。そうなれば彼は軍隊に連れて行かれ、その家には礼金が払われる。このご時世、少々の金を得る為に他人を売ることは、そんなに珍しい事では無くなった。

 

「貴女の格好……孤児にしては綺麗すぎます」

 

 服装そのものは簡素かつ地味なのだが、その清潔感と布生地の上等さは確かに彼らのような孤児には居ない。

 

「素性をハッキリさせないと、ボクは仲間とも友達とも認めません」

 

 老人もリーダーもお互いに肩をすくめた。

 

「オレはどーでもいいけどな」

「女の口説き文句としたら全然じゃな」

「二人とも黙ってて――」

「わかった」

 

 少女もまた、緊張の為か表情を少し引き締めた。

 

「友達と言ってもらえたの初めてだから……ちゃんと全部話す」

「ま、立ち話もなんだし儂の小屋でするかの」

 

  ───────

  ─────

  ──。

 

「う、うぅ」

 

 少女らが通された老人の小屋は、川からそんなに離れていない場所にあった。

 小屋は小屋なのだが、丸太や材木によって丁寧に作られているせいか見た目以上に立派に見える。

 

「うぅ、う……」

 

 部屋の中にはテーブルや棚、ベッド、壁には何かの風景画など、一通りの家具はある。だが床には空の酒瓶、テーブルには汚れた皿とカップ、ベッドのシーツは擦り切れているーーなど、とにかく生活感は溢れている。

 

「うぅぅッ」

「ジジイ、さっきから何笑ってんだ」

「バカもん、泣いてるんじゃ!!」

 

 一気に中身を飲み干した酒瓶をドンッ、とテーブルに置く。しかし多少頬に朱が入る程度で、あまり酔っているようには見えない。

 

「母を亡くし、一人孤独に生きる……しかも襲いかかる暴力に耐える。不憫じゃ!」

 

 いや、酔っているのかもしれない。涙を大量に流しながら、近くにあった布切れで顔を拭く老人。

 

「はぁ。そんな事言ったらボクやリーダーだって親無しですけど」

「バカもん。女が身を綺麗に保ちながら生きるのは、かなり難しいもんじゃぞ」

「どういう意味だ?」

「それはな……」

「それはそれとして……貴女のこれまでの境遇はわかりました」

 

 テーブルには四人が席を並べ、部屋の奥にリーダーと老人。手前にメガネと少女が座っている。

 

「それで、今はどうなさっているんです?」

「今は……たまに先生の屋敷にお世話になってる」

 

 生きるという誰もが当たり前に過ごすことさえ、当時の少女には重みにも感じていた。あの日、青年が助けに来てくれなければ……彼女はただ生きているだけの人形になっていたかもしれない。

 

「それがさっき話に出てきた“先生”って奴か。どんな奴なんだ?」

「えっと。優しくて、なんでも知ってて──」

 

 ──寂しい眼をしている、と続けようとして、一つ思い当たった。

 

(最近、あまり見てない……?)

 

 出会った時はあれだけ気になったのだが、いつしかあの表情は見ることが無くなったのだ。

 

「そんなんじゃなくてさぁ。元騎士とかですっごい強いとか、熊と一騎打ちして勝ったとか……」

「その強さの定義はなんですか」

 

 呆れたように返しつつ、メガネはさらに続けた。

 

「つまり貴女は今、その先生という代理保護者の方と一緒に暮らしているんですね」

「普段は橋に帰ってるけど」

「……それなら、やはりボクとしては、」

 

「あっ!!」

 

 突然声をあげたのは少女だった。いきなりの事だったので、その場に居る皆が驚いたような顔をしている。

 

「な、なんです?」

「今何時だっけ」

 

 服の胸元に手を入れ、それを取り出す少女。

 その行動に面食らいながらも、少女が手にしていたモノにメガネは気付いた。

 

「あッ!! それは、も、もしかして懐中時計ですか!?」

「どうしたんじゃ小僧。いきなり鼻息荒くしおって」

「こいつ珍しいもん見るとすぐ興奮するからなぁ」

「懐中時計ってのは、時間を正確に計れる凄く精密な機械なんですよ。あまりにも精密な作業を要求されるから、職人の数はあまり居ません。だからこれを持っているのはもっぱら貴族や富豪であって──」

「あぁもう分かった。すげー機械ってのは分かったから」

「もうお昼だ……帰らないと」

「なんでじゃ? そろそろ飯も用意しようかと」

 

 残念そうに老人が空になった二本目の酒瓶を置いた。

 

「ごめんなさい。でも今日は先生が風邪をひいてて……お昼の用意しないと。あ、でもまだ何にするか決めてないや」

「しょうがないですね。まぁ結論はまた今度――ってリーダー?」

 

 リーダーは何かを考えているような仕草をしている。例えるなら“考える人”みたいな格好である。

 

「いや、なんでも無い」

「ん?」

 

 長い付き合いだからこそ分かる事だが、なんだかいつものリーダーらしくないと、メガネは感じていた。

 

「それより、その先生って病人なんだよな」

「そうだよ……けど、まだ簡単な料理しか知らないから、どんなのがいいか分からなくて」

 

 肉はいいのか、野菜なら食べられるか、それともパンとミルクだけか――単純で簡単なモノしか知らない彼女は、食材の知識が無く選択ができない。

 

「それならいいの知ってるぜ」

「本当!?」

「へへっ……オレの故郷の料理なんだけどな、けっこう簡単だから覚えてるんだ。材料は爺さんの所からパクればいいし」

「お前は本人が居る目の前で、サラっと言うんじゃな」

 

 リーダーの頭をワシャワシャと乱暴に撫でる老人。どことなく楽しげだ。

 

「まぁ、可愛い嬢ちゃんの頼みなら構わんがな。はっはっはっ」

「で、作り方は――こうやって」

「確かに簡単だ。私でも出来そうだよ」

「それなら病人でも食えるし、故郷じゃみんな風邪ひいたら食ってるんだ」

「ふーん……ありがとう、リーダー」

 

 少女自身、無表情のつもりだったのだが。無自覚に、そして数年ぶりに――とても薄くだが――微笑んだ。

 

 だが、普段は無表情で、顔にも感情が出てこない少女の微笑みは……かなり意表をついた攻撃だ。

 

「お、おぅ」

 

 思いも寄らないその表情に、あまりそういった事に鈍感なリーダーでもたじろいだ。

 

「なに赤くなっとるんじゃ」

「な、なんでもねーよ」

「それじゃ、また昼過ぎに基地に行ってるね」

 

 老人から材料を受け取り、少女は街の方へと走っていった。

 

「ごほんっ」

 

 小さな後ろ姿が見えなくなり、小屋に戻った三人。と、ここでリーダーがわざとらしい咳払いをした。

 

「オレ様隊のリーダーとして隊員達に命じる」

 

 テーブルにあがり、気に入っているのか仁王立ちを決めるリーダー。

 

「やっぱり。何か思いついたんですね?」

 

 メガネは興味深そうに笑う。

 

「おぅ。今からな、さっきの……えっと」

 

 何かを言いたげなのだが、喉に引っかかったような言葉を詰まらす。それが一分くらい続き、

 

「――名前聞いてなかったな」

 

 そこに行き当たった。

 メガネはそれに苦笑した。

 

「名前なんて、ボクらにはあって無いモノですよ」

「まぁいいか。とにかく! さっきの女隊員のアジトに潜入するぞ!」

 

 その命令にメガネは頷き、老人は呆れたように肩をすくめた。

 

「まずしっかり水で洗って……っと」

 

 屋敷に戻った彼女は、真っ先に台所へと向かった。貰ってきた材料、それは“お米”だ。リーダーは東方にある島国の一つに住んでいたという。こちらでは主食がパンだが、あちらでは米を主食としているらしい。

 

「水は手のひらが浸かるくらいより多めに……」

 

 今から作るのはお米を使った料理の中でも簡単、かつ病人食として有名な“粥”である。あっさりとしていて、体も温まる。また肉や魚などにもよく合うので、多種多様に変化をつけれる料理。

 

「炊けたら、鍋に水を入れて……」

 

 簡単と言えど、パンを主に食べる少女らが飯を炊いたことなどあるはずもなく――また、一度聞いただけの知識では成功も難しい。

 

「た、炊けてもすぐに開けずに蒸らすんだっけ」

 

 それでもなんとかなったのは、ひとえに彼女の料理に対する想いだろうか。

 

「わ。煮てたらドロドロになった」

 

 鍋と食器、そして塩と蒸かしたイモを御盆に乗せ、いざ青年の元に。

 

 

 少女が屋敷に辿り着き、台所に向かった頃。青年はベッドで本を読んでいた。本自体はありふれた名作で、青年も何度か読んだ作品だ。

 

「もう、体の方は大丈夫かな」

 

 右手を開いたり握ったりを繰り返す。

 が、すぐに口元へ手をやって覆う。

 

「けほッ――でも、風邪はさすがにすぐ治らないか」

 

 青年の風邪は、例の山吹色の光の力を酷使した為に体力を著しく低下させた為にひいたモノだ。

 力を使えば体力はすぐ無くなるが、反面すぐに回復する。酷使しても半日も休めば治る――はずだったのだか、

 

「悪いタイミングで風邪の菌が入り込んだ、か」

 

 それでも一日中大人しくしておけば、持ち前の回復力ですぐに全快するだろう。

 

「それよりも……誰か屋敷に来たな」

 

 この屋敷には青年と少女しか居ない。そして今、常人では気付く事の無いくらいの空気の揺れ。どうやら下の階で窓か扉が開かれたようだ。

 

「花売り君――では無いな。彼女は今台所のはずだ。なら、誰だ?」

 

 青年も、いつもならここまで神経を尖らせる事は無い。しかし、この間の雪山の一件以来、特に外からの気配には敏感である。

 

「人数は分からないが……あまり多くも無いな」

 

 そう呟きながら、そっと本を閉じた。

 

 

 結果から言えば、青年は侵入者を捕らえたと言うべきである。

 侵入者は屋敷の端の空き部屋に逃げ込み、青年も後を追いかけた。部屋の中には何も無い。あるのは――

 

「像?」

 

 不自然。まさにその言葉を体現したかのような像が、部屋の真ん中に立っている。

 青年よりやや高く、金色の仮面に金色の布をかぶせたようなデザイン。

 

(どうするか)

 

 青年は割と本気で悩んだ。侵入者は確実にこの部屋に逃げ、窓は開かれた形跡も無い。そしてあるはずの無い不自然な像。

 どう考えても結論は一つしかなかった。では何故、迷ったか。それは――青年が思い描いていた侵入者と、かなり食い違いがあったからである。

 

「……」

 

 青年は無言で像の足元を蹴った。

 

「――!」

 

 像は予想外の攻撃にかなり揺れたが、なんとか踏ん張った。

 

「……五数えきる前に出て来ないと、この銃で撃つ」

「!?」

 

 実際はなにも持ってないのだが、どうやら青年の手元が見えてないのか、かなり動揺しているようだ。

 

「五、四……一」

 

 わざとらしく早めて言ってみた。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!!」

 

 どうやら効果はあったようである。侵入者はかなり焦って出て来た――が、今度は青年が驚く番だった。

 

「子供?」

 

 金色の布に隠れていたのは肩車をした少年達。下には背の高めな小さな眼鏡をかけた少年、上には小柄な黒髪の少年。

 

「やっぱりバレてるじゃねーか!」

「そもそも袋小路に逃げ込むハメになったのリーダーじゃないですか! あんな風にわかりやすい足音に反応して……」

 

 見つかった瞬間に、いきなり喧嘩をしだす小さな二人組の侵入者――いや、

 

「なぁぅ」

 

 侵入者二人の足元に一匹のブチの猫がふてぶてしく座っている。

 

「ブチに奴を追わせて、屋敷に侵入したまでは良かったんだけどな」

「やっぱり廊下にあったバケツを蹴飛ばしたのが悪かったんじゃ……」

「お前が珍しいモノを見つける度に調べてたからだろ」

 

 ちなみに二人と一匹が屋敷に入ってきた時点で、侵入は発覚していることは秘密である。

 

「盛り上がってる所で悪いが……君達は、なんだい?」

「ふっ、バレちゃ仕方がねぇ。オレはこの街の平和を守る使命を背負う部隊、オレ様隊のリーダーだ!」

「えっと、隊員のメガネと言います」

「……ほぅ」

 

 なんとも言い難い空気が、両者の間に流れこむ。

 リーダーは思い知ったか、と言わんばかりの態度で、メガネは困り果てたように視線を泳がしていた。

 

 

「招かざるとは言えせっかく来たんだ。君達、お茶は嫌いかい?」

「金持ち様みたいにいつも飲まないぜ」

「ちょっ、リーダー!」

「なら、飲んでいけば良い。ここじゃなんだから、僕の部屋に行こうか」

 

 その提案に、思わず二人は目を合わせた。てっきりすぐに追い出されるかと思っていたのだが――。

 青年に案内され、自室へとやってきた二人。

 部屋には既に昼飯を持ってきた少女も居て、少々気まずい雰囲気である。

 

「はい、リーダー」

「おぅ」

「どうぞ」

「す、すいません」

 

 メガネは居心地が悪そうにそわそわしている。逆にリーダーは開き直ったのか、ふんぞり返るくらいの気構えだ。

 

「それにしても驚いた。二人とも、なんで屋敷まで?」

「えぇっと、リーダーからご説明を」

 

 と言ってから、メガネは自分のミスに気づいた。こういう場合、リーダーに喋らせて事態が好転したり、何事も無く進んだりした事が無い。

 

「やっぱりボクが……」

「偵察だよ、偵察」

「偵察?」

 

 そのものズバリ言ってしまう辺りがリーダーである。

 

「なんせ街の平和を守るオレ様隊だぜ。こんな所にこんな屋敷があるなんて知らなかった。よって、ここを偵察しに来た訳だ」

「それがここに来た理由かい? それと、オレ様隊って……」

「あ、はい。簡単に説明したら――」

 

 リーダーやメガネが中心となってやっている私営の軍隊。目的は孤児の保護。大体は軍隊が来た場合に備える為の準備と、見回りだ。

 ちなみに先ほどの金色の像らしき変装も、枯れ葉に化ける衣装も、なにかの役に立つであろうという思惑で、メガネが作成した。役にたっているかは、謎である。

 

「なるほど」

 

 自室に戻ってからも青年はベッドの上だ。食べ終えた粥の皿はベッド傍らに置かれている。

 

「花売り君」

「は、はい」

「それはそうと、この料理はどうしたんだい?」

「あ、それはリーダーに教えてもらったんです」

 

 そのリーダーは退屈そうに部屋中を眺めていだが、自分が呼ばれたのを感じて、こちらに視線を戻した。

 

「なんか呼んだか?」

「いや、珍しい料理を知ってると思ってね」

「オレの国じゃ当たり前だよ……それより、そろそろオレらも見回りとか行かないといけないんだけど」

「リ、リーダー……一応ボクらはここに無断で侵入した訳だし」

 

 出来るだけ青年には聞こえないように、そっと耳元に小声で話しかける。

 

(変なこと言って、軍隊か警護兵に通報されたらどうするんですか)

「大丈夫だよ。通報とかされても、そん時は走って逃げるし」

 

 思わず頭を抱えるメガネ。しかし、実はその話全てが筒抜けだとは思わないだろう。

 

「あ、私食器を片付けてきます」

 

 皿や鍋を回収して部屋から出て行く少女。残された三人。ブチは見つかった後、どこかへ行ってしまった。

 

「さて、そろそろ目的を聞こうか。花売り君が帰って来る前に」

「――花売りってのが、アイツの名前なのか?」

「個を特定できれば一つの名前に意味は無い。お互いに分かる名前で呼びあってる……ただ、それを言ったらたしなめられたけどね」

「ふーん。オレやメガネにもさぁ、名前が無いんだよ」

「リーダーやメガネは名前じゃないのかい?」

「お互いそう呼んでるけどな。これはオレがつけただけ……大抵の子供は、生まれてきた時に名前がつく」

「名前が無いと呼びづらいからかい?」

「それもあるけど、一番の理由はやっぱり、そこに“ある”からだと、オレは思ってる」

 

 ふんぞり返っていた体を元に戻した、青年と向き合うリーダー。

 

「そこに“ある”から、それに想いってか意味? とにかくそういうのを持たせたいから、名前をつける。ただ、誰かを識別するだけに名前があるんじゃねぇ」

「なるほど。そういう考えもあるのか……そちらのメガネ君はどう思う?」

「……確かにリーダーの言うとおり、名前には意味や想いがあってこその名前だと思います。ボクにも親がつけた名前があります。だけど、もうボクの名前をつけた人は居ません。そして、その」

 

 言いづらそうに横を見る。が、リーダーは特に気にしてないように、後に続くメガネの言葉を言った。

 

「オレには名前すら無い」

「そうです。リーダーはリーダーという名前しかありません。なら、ボクもまたリーダーと同じ道を生きる者として、本来の名前を使いません」

「親がつけた名前なのにかい?」

「えぇ。ボクがその名前を使うのは、当分無いでしょう。何故なら、ボクがオレ様隊のメガネだからです」

 

 しばらく、沈黙が支配した。青年のカップを手に取る音、ただそれだけ。

 

「――それが目的かい?」

「え?」

「花売り君が、本当に君達の仲間かどうか、確かめに来たんだろ?」

「もしも、そうだとしたら、どうなるんだ」

「彼女は、ほとんど笑ったり、泣いたりをしない。どんなに苦しくても、涙の出し方が分からない。どんなに嬉しくても、なかなか笑う事が出来ない」

「……」

 

 二人は老人の小屋での事を思い出していた。薄く笑った少女。自分達なら、もっとハッキリと笑える。しかし、少女は感情の出し方をよく分からないのだろう。

 

「出会った時、彼女は暴漢に襲われそうになっていたよ。腹を殴られ、衣服は破かれ――そういった事は始めてでは、ないのかもしれない」

『……』

「陽に咲く花のように、彼女は生きたがった。だから、僕は助けた――だけど」

 

 そこで言葉をきり、青年は二人を見つめた。その瞳は、まるで宝石のように美しく、揺れている。

 

「僕だけでは、彼女が元あるべき姿には戻せない。勝手な願いだけどね、君達には花売り君の友達になって欲しい」

 

 確かにリーダーも、メガネも重たい過去をもつ。少女にもある。

 では、今はどうか。二人の少年は間違いなく幸せとは行かないまでも、それなりに楽しいと答える。少女もまた答えるだろう――しかし、人として大事なモノが欠けた状態で受ける幸せや楽しさが、本当に幸福だと言えるだろうか。

 

「別に、オレは最初から仲間で友達だと思ってる」

「リーダー……」

「だけど頭っから信じてた訳でもねぇ。だけど……今の話聞かされて、嫌だって言えるか? 一応反対してたメガネ」

「言える訳無いですよ……はぁ、別にボクも最初からそう思ってましたけど」

「あ、ずりぃ」

「お互い様です」

 

 もう冷めてしまった紅茶を飲みながら、メガネは笑った。

 

「それじゃあ、改めてよろしく」

 

 青年は右手を差し出し、リーダーは一回“ポケット”に手を入れ、握手をした。

 

「よろしくな!」

 

 妙に強く握りしめる――青年は手のひらに伝わる違和感を覚えた。

 

「ん?」

「それじゃ、オレ達は帰る。また明日の朝に迎えに来るって言っておいてくれ」

「お茶、ありがとうございました」

 

 まるで風のように去っていく二人の少年。そして、右手に残ったのは――妙に臭い木の実だ。ヌルっとしていて、人によっては不快感を得るだろう。

 

「やられた、とでも言うべきなのかな」

 

 青年は少し嬉しそうに呟いた。

 

 

「なんとなく悔しいから、仕返ししてやったぜ」

「なにをやったんです?」

「銀杏っていう、くっせー木の実を握り潰してやった」

 

 どことなくリーダーから距離をとるメガネ。

 

「それって、リーダーの手にも残ってますよね」

「肉を切らせて骨を絶つ作戦だ」

「手洗うまで触らないで下さ――うわ、ボクの服に擦り付けないで下さいよ!」

「それじゃあ、今日も見回りに行くぞ」

「ちょっと、待って下さいよ!」

 

 オレ様隊の朝は、リーダーの掛け声から始まる。

 ここは基地ではなく、屋敷の目の前だ。いつもは川辺まで移動するのだが、迎えがてら今日はここになった。

 

「今日もいい天気だ!」

『いい天気だ!』

「合い言葉は、守る」

『守る』

「今日の昼飯はなにかと気になる前に」

『気になる前に』

「ガンホーガンホーガンホー」

『ガンホーガンホーガンホー』

「オレ様隊、出動!」

『出動!』

 

 腹から思いっきり叫んだ為、上に着ているコートが暑く感じる。普段、滅多に出すことの無い声量なので、腹筋が痛がっているのが分かる。

 

(こんなに大きな声出しだの、初めてかも)

 

 人知れず、その事を喜ぶ少女。

 

「今日も見回り行くぞ!」

『おー!』

 

 徐々に降る雪が増えていき、街でもそれなりに積もるようになってきた。

 レンガと石で出来た家は、それなりに裕福な証だ。リーダー達は、そんな家が並ぶ広めの道へとやってきた。普段から人通りは少ないが、最近ではさらに少ないので、通行人の影はほとんど見当たらない。

 

「こんな所を見回り?」

「というか待ち合わせですね」

 

 少女はいつものコートを、メガネはかなり古ぼけた服を重ね着している。リーダーは寒さを感じないのか、薄着。背中には大きなリュックを背負っている。

 

「待ち合わせって、誰と?」

 

 しかし少女の疑問は、すぐに解決した。

 

「リーダー、遅れてゴメン」

「よぉメガネ、久しぶりぃ」

「お兄ちゃん達、今日こそは私達が勝つからね」

「おしっこしたぃ」

 

 どこからともなく現れたのは、十人くらいの子供達。少女やリーダーよりもさらに小さい子が目立つ。

 

「今日も勝つからな、覚悟しておけよ」

 

 自信満々な表情で、子供達に向かって言い放つ。両者に共通するのは、物凄いやる気に溢れている事か。

 

「あの、これは……」

 

 事態についていけない少女は、すぐ話が通じそうなメガネに話しかける。

 

「これはですね。孤児達と一緒になって遊ぶことで、ぶへッ」

 

 いきなり、横から飛んできた白い塊がメガネの顔にぶつかった。

 飛んできた方を見ると、両目を輝かせた子供達が、雪玉を構えていた。

 

「先手必勝とはやるな!! オレ様隊、やつらを迎え討つぞ!」

「え?」

 

 驚きの声をあげる間もなく、オレ様隊と子供達の雪合戦は始まった。

 

 

 戦いは、基本的に数が多い方が勝つ。お互いの条件がイーブンであればあるほど、数は武器になる。

 相手がかなり鍛えられた精鋭部隊でも、数さえいれば押し切る事も可能だ。もちろん、被害はかなり多くなるが……。

 だからこそ、人は新たな武器を開発し、様々な策を展開し数の不利や鍛錬の差を縮めようとする。そうする事によって、被害は小さくなる。

 

「さすがに、はぁ……十人は多いな」

「はぁ、はぁ……こっちは三人。というか、はぁ…実際の攻めはリーダー、一人ですし」

 

 戦いは終わった。最初はリーダーの類まれなる体力と行動力により、数の差を意識させない戦いを繰り広げた。

 しかし、戦いは中盤に入ってから変化を見せた。敵は即席のシーソーを使った投雪器を用意していたのだ。

 ただでさえ敵はこちらの三倍以上。さらにそこに新兵器……こちらは典型的な前進攻撃型。まず結果は火を見るより明らかである。

 戦いの終盤には、リーダーが果敢にも特攻を仕掛けるも、人数と雪の弾幕に勝てずに敗れた。

 

「やったぁ、始めて勝てた!」

「よし。今日は頑張って作ってきて正解だったな」

「勝った……」

「ねぇ、おしっこぉ」

 

 あちらでは、勝者の喜びを噛みしめていた。

 

「それで、これはなんなの?」

 

 後ろで後方支援に徹していた少女は首を傾げていた。

 

「この街の人間は、大人も子供もみんな暗いし辛気くさい。だからオレが遊びってヤツを広めて、ちょっとでも明るくしてやろうと思ったんだよ」

 

 あそこで喜んでいる子供達は笑顔でいる。楽しいから、嬉しいから――それはこんな世の中だからこそ、貴重なのかもしれない。

 

「こうする事で、交流も深めれる。信用も得られて協力者も増える、という訳です」

 

 メガネがそう言うと、リーダーは軽く笑った。

 

「そこまで深い考えはねーけどよ……これが普通だと思う。戦争とかなかったら、こいつらだって毎日笑ってたと思う」

「……笑ってる、か」

 

 少女は自分の顔を触る。確かに今は楽しい気分でいる。しかし、自分は今どんな表情をしているのか――彼女には分からなかった。

 

「よし、お前らそこに並べよ。一人一個ずつやるから、安心しろ」

『はーい』

 

 リュックの中身は色んな食べ物だ。それを取り出して子供達に配る。

 

「リーダーって、凄いね」

 

 本人には聞こえないくらいの声で呟く。

 

「えぇ。だからリーダーなんですよ。でも本人の前では言わない方が良いです。調子に乗りますから」

 

「よし、この調子で後二カ所回るぞ」

 

 今さっき雪合戦で体力をフルに使っていた人物のセリフとは思えない。

 

「……元気すぎるのも考えモノですね」

 

 少し肩を落としながらも、メガネも特に異論は挟まない。挟まないが……見るからに疲れている様子である。

 

「が、頑張って」

「ありがと……」

 

 午前中にもう二回も雪合戦という強行軍のおかげでメガネはもちろん、リーダーも少女も体力などがピークに達していた。

 現在は公園の基地へと戻っている。

 

「あー、楽しかったなぁ」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」

「うん。なんだか久しぶりに体を動かした気がする」

 

 三人は大の字――は狭くてなれないが、各々の格好で床に倒れている。

 

「昼からは、そうだなぁ……晩飯でも捕りに行くか」

「さすがに、またお爺さんの所じゃ気が引けますしね」

「そういや……あぁ、花売りだっけ。名前」

「うん」

「それじゃあオレは花って呼ぶ」

「それはいいけど…」

 

 リーダーは、その黒い瞳を輝かせながら言った。

 

「花は釣りってした事あるか?」

 

「凄い……」

 

 街の北、屋敷からは近い場所に、それはあった。

 

「全部、凍ってるの?」

 

 そこにあったのは池である。広さはそれなりにあり、全面に氷が張っていて、白い雪のような大地になっている。

 

「ここで釣りをするの?」

「そうだ」

 

 リーダーはそう言いながら竿の準備をする。メガネが取り出したのは鉄で出来た螺旋状な形をした奇妙な長い棒。持つ方にはハンドルのようなモノがついている。

 

「これは前にお爺さんの所で借りた道具で、回すことによって氷に穴を開け――あぃたッ」

「説明はいいから、早く来いよ」

 

 得意気に話すメガネの頭を小突き、リーダーは池の真ん中まで淀みなく歩いていく。その後をメガネがついていく。少し遅れて少女もついていくが、さすがに初めての氷の上は、怖くてなかなか進めない。

 

「よし、このへんでいいだろ」

 

 どうやらポイントを決めたらしい。後はリーダーとメガネが代わり交代で氷を削っていく。

 ようやく穴が開く頃に、少女も二人に追いついた。

 

「それじゃあ花、ちょっとやってみろ」

「いきなり私が?」

「大丈夫ですよ。ただ糸を垂らしていれば釣れます」

 

 そう言いながらメガネは竿の先の糸に何かをつけている。なんだか虫のように見えるが、よく見れば木の実を似せて作っただけというのが分かる。

 

「これは疑似餌っていって、餌に似せて作ったモノです。これを水の中に浮かべれば――」

「どうなるの?」

「それはやってからの楽しみだよ。とりあえず垂らしてみろよ」

 

 言われた通りに竿の糸を穴の中に垂らした。氷それなりに厚いが、いつ割れてその中に飲み込まれるかと思ったら――彼女は少しだけ怖くなった。

 と、そんな事を考えてる間に、竿が下へ強く曲がる。

 

「ひゃっ!?」

「お、早速来たか」

「どうすればいいの?」

 

 いつものどこか淡々とした感じは無くなり、慌てふためく少女。

 

「ねぇ!」

「落ち着けって。ゆっくり上げたらいい……そそ、ゆっくりな」

 

 言われた通り、ゆっくりと上げていく。糸はそんなに長くないのだが、かなりの長さに思えるくらいに感じれる。

 そして――小さめではあるが、立派な魚を釣り上げた。

 

「池凍ってるのに、魚っているんだ」

「凍ってると言っても表面だけですからね。冬の間は魚も油断してるから、結構捕り放題なんです」

「そういう訳だ。オレらも釣ろうぜ」

「よし……」

 

 またすぐに糸を垂らす。またすぐに釣れたらいいな――そんな願いを込めながら。

 

 数時間後――

 釣果は少女が三匹、メガネが四匹、リーダーが二匹となった。

 最後までリーダーは『勝つまでやる』と叫んでいたが、二人の説得に応じたのが、さらに一時間後だった。

 

  ─────────────────────

 

「これはまた、賑やかだったんだね」

「は、はい」

 

 青年が玄関に来ると、ちょうど三人が帰ってきた頃だった。

 体中を泥で汚し、ちょっと申し訳無さそうに俯く少女と――同じように汚れた二人の少年がいる。

 

「ちょっと釜を貸してくれよ」

 

 自慢げに釣った魚の入ったバケツを掲げるリーダー。両手に持っており、青年が覗き込むと……思わず魚と目が合う。

 

「……うん、別に構いはしないが、調理の仕方は知って――」

「知ってるに決まってるだろ!? なんたって生まれ故郷じゃみんな毎日魚を捌いて食ってるんだぜ」

「そうなのか?」

「おう」

 

 後ろを見ると、苦い顔をしたメガネが顔を横に振っている。

 

(この二人はいいコンビだな)

 

 一人納得したように頷く青年に、リーダーは眉を寄せる。

 

「なんだよ」

「いや。それより、釜に火は入れておくから――その汚れはどうにかしないとな」

「別にいいよ。オレは気にしない」

 

 事も無げに言う。それはさすがにメガネがたしなめる。

 

「リーダー、一応借りる手前……あまりそういう事は言わない方がいいですよ。それに、こんな屋敷に泥まみれで入って汚して掃除までさせられたら――」

「あぁ、分かったからどんどん近のはやめてくれ!」

「花売り君」

「はい!」

「一階の奥の部屋。準備だけはしてあるから、君達で先に使ってくれ」

「あ……はい。それじゃあ、みんなこっち来て」

 

 手招きをしながら屋敷の奥へ行く少女。

 

「道具と魚は僕が預かるから、行っておいで」

「さっきからなんの話をされてるんです?」

「お風呂だよ」

 

 

 間。

 

 

『お風呂!?』

「凄い……」

 

 街の北、屋敷からは近い場所に、それはあった。

 

「全部、凍ってるの?」

 

 そこにあったのは池である。広さはそれなりにあり、全面に氷が張っていて、白い雪のような大地になっている。

 

「ここで釣りをするの?」

「そうだ」

 

 リーダーはそう言いながら竿の準備をする。メガネが取り出したのは鉄で出来た螺旋状な形をした奇妙な長い棒。持つ方にはハンドルのようなモノがついている。

 

「これは前にお爺さんの所で借りた道具で、回すことによって氷に穴を開け――あぃたッ」

「説明はいいから、早く来いよ」

 

 得意気に話すメガネの頭を小突き、リーダーは池の真ん中まで淀みなく歩いていく。その後をメガネがついていく。少し遅れて少女もついていくが、さすがに初めての氷の上は、怖くてなかなか進めない。

 

「よし、このへんでいいだろ」

 

 どうやらポイントを決めたらしい。後はリーダーとメガネが代わり交代で氷を削っていく。

 ようやく穴が開く頃に、少女も二人に追いついた。

 

「それじゃあ花、ちょっとやってみろ」

「いきなり私が?」

「大丈夫ですよ。ただ糸を垂らしていれば釣れます」

 

 そう言いながらメガネは竿の先の糸に何かをつけている。なんだか虫のように見えるが、よく見れば木の実を似せて作っただけというのが分かる。

 

「これは疑似餌っていって、餌に似せて作ったモノです。これを水の中に浮かべれば――」

「どうなるの?」

「それはやってからの楽しみだよ。とりあえず垂らしてみろよ」

 

 言われた通りに竿の糸を穴の中に垂らした。氷それなりに厚いが、いつ割れてその中に飲み込まれるかと思ったら――彼女は少しだけ怖くなった。

 と、そんな事を考えてる間に、竿が下へ強く曲がる。

 

「ひゃっ!?」

「お、早速来たか」

「どうすればいいの?」

 

 いつものどこか淡々とした感じは無くなり、慌てふためく少女。

 

「ねぇ!」

「落ち着けって。ゆっくり上げたらいい……そそ、ゆっくりな」

 

 言われた通り、ゆっくりと上げていく。糸はそんなに長くないのだが、かなりの長さに思えるくらいに感じれる。

 そして――小さめではあるが、立派な魚を釣り上げた。

 

「池凍ってるのに、魚っているんだ」

「凍ってると言っても表面だけですからね。冬の間は魚も油断してるから、結構捕り放題なんです」

「そういう訳だ。オレらも釣ろうぜ」

「よし……」

 

 またすぐに糸を垂らす。またすぐに釣れたらいいな――そんな願いを込めながら。

 

 数時間後――

 釣果は少女が三匹、メガネが四匹、リーダーが二匹となった。

 最後までリーダーは『勝つまでやる』と叫んでいたが、二人の説得に応じたのが、さらに一時間後だった。

 

  ─────────────────────

 

「これはまた、賑やかだったんだね」

「は、はい」

 

 青年が玄関に来ると、ちょうど三人が帰ってきた頃だった。

 体中を泥で汚し、ちょっと申し訳無さそうに俯く少女と――同じように汚れた二人の少年がいる。

 

「ちょっと釜を貸してくれよ」

 

 自慢げに釣った魚の入ったバケツを掲げるリーダー。両手に持っており、青年が覗き込むと……思わず魚と目が合う。

 

「……うん、別に構いはしないが、調理の仕方は知って――」

「知ってるに決まってるだろ!? なんたって生まれ故郷じゃみんな毎日魚を捌いて食ってるんだぜ」

「そうなのか?」

「おう」

 

 後ろを見ると、苦い顔をしたメガネが顔を横に振っている。

 

(この二人はいいコンビだな)

 

 一人納得したように頷く青年に、リーダーは眉を寄せる。

 

「なんだよ」

「いや。それより、釜に火は入れておくから――その汚れはどうにかしないとな」

「別にいいよ。オレは気にしない」

 

 事も無げに言う。それはさすがにメガネがたしなめる。

 

「リーダー、一応借りる手前……あまりそういう事は言わない方がいいですよ。それに、こんな屋敷に泥まみれで入って汚して掃除までさせられたら――」

「あぁ、分かったからどんどん近のはやめてくれ!」

「花売り君」

「はい!」

「一階の奥の部屋。準備だけはしてあるから、君達で先に使ってくれ」

「あ……はい。それじゃあ、みんなこっち来て」

 

 手招きをしながら屋敷の奥へ行く少女。

 

「道具と魚は僕が預かるから、行っておいで」

「さっきからなんの話をされてるんです?」

「お風呂だよ」

 

 

 間。

 

 

『お風呂!?』

 

 風呂。

 一般には、浴槽と言われる人が入れるほどの大きさの容器に、お湯を入れたモノを言う。

 しかしその種類は豊富で、浴槽自体を釜のように直接沸かす方式から、お湯ではなく蒸気を部屋に充満させる蒸し風呂という変わり種まである。

 この国では貴族や富豪、一般庶民に至るまで、あまり風呂には入らない。体を拭いたりもするが、それでも毎日のようにやる人は少ない。

 理由としては水だ。この街は地下水を引く川があるからまだ良いが、大抵は井戸水か雨水。

 それも小さな町なら共同。そんな環境で、大量の水を使う風呂に入る人は居ない。いや、そもそも風呂が無い。

 それでも入りたい人は、公共の共同風呂――とある国では銭湯と呼ばれる――を利用している。かなり小さい浴槽ではあるが。よって、裕福では無かった元庶民や孤児が驚いたのは無理な話では無い。

 

「長かったなぁ」

「え? そんなに廊下ってありましたっけ」

「なんでもねーよ」

 

 この屋敷にも風呂はある。一階の奥に位置する浴室は、十日に一度くらいの頻度で使われている。

 

「服はそこのカゴに入れてね。私は着替えとってくるから」

「おぅ」

「はい、すいません。そこまでして貰って」

 

 手早く服を脱いだ二人は、浴室の戸を開ける。

 

『おぉ~』

 

 そして同時に感嘆の声をあげた。広さは青年の自室の半分以下。具体例をあげれば六畳半ほど。

 部屋は石をメインに使っており、その隅にレンガを積んだだけの囲いがある。風呂としては地味だが、それでも子供が二、三人入るには充分すぎる。

 

「すげぇ、これが風呂か?」

「昔は何回か共同風呂行きましたけど。それよりも、こんな施設が屋敷にあるなんて……やっぱり相当な権力を持っているんでしょうか」

「さぁな、あんま興味ねーよ」

 

 そう言うと、チラッとメガネの方を見て、

 

「オレが一番だな」

「はい?」

「一番のり!」

 

 助走無しで跳躍したリーダーは浴槽の中へとダイブした。大量の水しぶきと、溢れたお湯が部屋中に捲き散る。

 

「わっぷ!」

「おぉぉ、すっげぇ気持ちいいなぁ」

 

 さすがに泳げるスペースは無いので、両手両足をいっぱいに広げる。

 

「全く、リーダーは無茶ばっかですよね」

 

 後に続いてメガネも入る。久々のお湯の心地よさに思わず震える。

 

「ふぁ……お風呂ってこんなに良かったんですねぇ。おっと、眼鏡外しとこ」

「おいおい。メガネが眼鏡外したら、なんて呼べば良いんだよ」

 

 顔を洗いながら浴槽の端に座るメガネ。

 

「そんな事言ったら、寝る時もメガネ外してますよ」

「おいおい、メガネは眼鏡があるからこそアイ、アイ……」

「アイデンティティですか?」

「それそれ。それが保たれるんだよ」

「ヒドい言われようだ……」

 

 そんな会話を続けていたら、戸の向こうから声がした。

 

『二人とも、着替えはここに置いておくから』

 

 少しか細い声からして、声の主は少女であろう。

 

「おぅ、ありがとうな……よし、メガネ。今から競争しようぜ」

「競争?」

 

 特徴の八重歯を輝かせながら、リーダーはお湯を指差す。

 

「一番長く潜ってられたら、一番大きい魚が食える!」

「負けたら?」

「一番小さな魚ひとつだけ」

「それは嫌ですね」

「じゃあ今からスタートな。はいッ」

「ッ!」

 

 二人ともほぼ同時に湯の中に潜った。

 そのせいで“三人目”の入浴者に気がつかなかったのだ。

 

「お風呂も久しぶりだな……」

 

 もちろんの事ながら、三人目とは少女の事である。

 今日の雪合戦や釣りでかなり汚してしまった服を脱いだその姿は、埃や泥で薄汚れはいる。

 しかし、少女本来の白い肌と華奢な体がとても美しい。見る者が見れば、彼女に性的な興奮を抱くのも分かるかもしれない。

 だが、それ以上に気になるのは──体の至る場所に刻まれた苦痛の思い出。

 

「痣は治ったけど、あまり傷無くなって無いな」

 

 腕や背中、腹などには切れたような傷。皮膚が大きく剥がれた痕もある。それらは段々と消えてはいくが、まだ完全には癒えていない。

 まるで、少女の心のようだ。

 

「……お風呂入ろうかな」

 

 と、ここで始めて少女は気付いた。先に入っていたはずの少年等が居ない事に。

 

「どこ行ったんだろ……」

 

 左右を探しながら浴槽に近づく。と、

 

 ざばァァァッ──!

 

「きゃっ」

「ぶっはぁぁ」

「げほッ」

 

 いきなりの巨大な湯柱に驚いた少女は尻餅をついてしまった。

 湯柱が収まると、そこには二人の少年が出現した。

 

「リーダァァ……足をくすぐるのは反則でしょ!」

「戦いとは、いつも非常なもんだ」

「何頷いてるんですか」

「お前だって脇つねってきたし」

「リーダーが足くすぐってきたから、苦しくて掴んじゃっただけです……?」

 

 と、ここで一つの違和感。同じ空間に二人以外の何かが居るような──、

 

「痛い……いきなり飛び出したてきたら、危ないよ」

 

 浴槽の外、しかし浴室の内。二人にとっては何故か、生まれてきた姿──噛み砕いて言えば“裸”。ここは浴室であるからして、当たり前の話だが──の少女がそこには居た。もちろん身を隠すタオルなど存在しない。

 

『……』

 

 メガネはその姿に固まり、リーダーもまたメガネの視線の先を追って固まった。

 

「どうしたの?」

 

 少女は自分自身では自覚しては居ないが、それなりに美しい部類に入る。貴族の娘のような格好をしても、なんら違和感は無いだろう。

 ちなみに──地方や宗教などによって違いはあるが──一般的な異性の貞操観念や羞恥などに関しては、少なくとも共に裸でいる事が当たり前という考えはしない。

 

『うわぁぁ!?』

 

 二人共、似たような動きで驚き、似たようなタイミングで足を滑らせて転んだ。

 

「?」

 

 喜劇めいた二人の行動に首を傾げながら、風呂へ入る少女。

 物心ついた頃から、異性という存在をあまり自分の中で区別してなかった。未だに少女は、そういった異性に対する意識がハッキリとしていない。心の成長がまだ追いついていないのだ。

 逆にリーダーとメガネは一般的な観念を持っている。環境の為か、そういった二人の心は早めに成長している。俗にマセてる、とも言う。

 

「なぁメガネ」

「なんですか」

「女って、あんまし関わったの少ないけどよ……あんな風か?」

「普通の年頃の女性は一緒に風呂どころか、服も脱がないでしょう」

「だよなぁ」

「彼女はあんまりそういうの、気にしないタチなのでしょうか」

「……見たか?」

「眼鏡無いからハッキリじゃないけど、それなりにーーって、何言わせるんですか!!」

 

 単純な誘導尋問に引っかかったメガネは顔を真っ赤にして怒った。

 

「さっきから隅で何してるの?」

「ちょっと男同士の秘密会議だ」

 

 さすがに張本人の目の前では『お前の裸について話してた』なんて事は言わないリーダー。

 

「変なの……」

 

 それからしばらく時が流れる。出来るだけ少女の方を見ないように浸かる二人と、天井を見上げてボーっとする少女。

 しかし、その状況と風呂に長らく浸かるという事に、一名。耐切れなかった者がいた。

 

「すいません。ちょっとのぼせたみたいなんで、先にあがります」

「うん。着替えはカゴに入れてる」

「すいません」

 

 丁寧にお辞儀をしながら、出来るだけ少女に正面を見せないように出て行く。

 

 風呂には二人だけが残った。

 ふと、思い出したように少女が呟く。

 

「……今日、楽しかった」

「へ?」

「私、お母さんと少ししか遊んだこと無くて、今日みたいなの……楽しかった」

「毎日あーいうのしてないけどな。オレ達はみんなでやって、みんな楽しくやれる居場所を作るのが仕事だ」

「居場所?」

「そうだなぁ……みんな飯が食えて、みんな毎日笑ったり出来る所。昔はな、オレもそんな場所があるんじゃないかって思ってたんだけど……見つからなかった。それ所か軍に捕まってしまうしな」

 

 結論長い間、一人で旅をしてきたのだろう。東方からこの国に来るだけで、かなりの月日が掛かっている。

 

「だからオレ様隊作って、そういう場所も作って、みんなそこで仲良く暮らせたら、な」

 

 大人が聞けば、子供の滑稽な妄想だと笑うだろう。現実にそんな場所を作るのは無理だと否定をする。

 

「今は無理でも、いつかやれたらなって思う」

「凄いな、リーダー」

「お前だって出来る」

「無理……だよ」

「誰にだって変えれる力はある。オレに出来る事は、お前やメガネだってやれる」

「そうかな?」

「あぁ──ッ!?」

 

 いつの間にか、少女はリーダーの近くまで寄っていた。

 

「な、なんだよ」

「リーダーも、いっぱい傷があるよね」

「あ? あぁ、あるけどさ」

「みんな同じように生きて、同じように辛いんだよね」

「……」

「なんだか、ちょっとだけ思った。私も、何か頑張れるかなって」

「おぅ、それは良かったな」

「うん。リーダー、ありがとう」

 

 あまりハッキリと感情を出せない少女の、精一杯の感謝の気持ち。それを表そうとする少女は、リーダーの目にどう写ったか。

 

「あ、あぁ……それじゃオレもそろそろ出る!!」

 

 慌てたように浴室から出て行くリーダーの背中を見ながら、少女はまた首を傾げた。

 

「?」

 

 

 風呂から出たその後は、実に楽しい一時だった。

 

 何故かあまり顔を合わせようとしない二人に疑問を抱きつつ、青年と二人の少年と一緒にテーブルにつく。

 初めて食べる二人っきり以外の食事。丁寧に作られた焼き魚はかなり美味しかった。少女も、リーダーも、メガネも……心から楽しい時を過ごした。

 

 しかし、楽しい時は尊く貴重であるが故、価値のあるモノである。

 誰もが次の日、あんな事になるなんて思いもしなかった。

 それはリーダーとメガネにとって、一番辛い出来事である。

 

 -続-


 
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