No.189366

虚界の叙事詩 Ep#.10「帝国の追跡者」-1

巨大国家の陰謀から発端し、世界を揺るがす大きな存在が登場。その存在を追跡していく事になる組織が活躍します。

2010-12-12 21:24:23 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:313   閲覧ユーザー数:269

 

チャオ公国北部 ヤンダオ

 

10:54 A.M.

 

 

 

 

 

 

 

「『ゼロ』さんってのは、やっぱり北だ。今朝、ここの上空を通過する紫色の光があったってな」

 

 トラックに戻ってきた隆文が言った。幌のかけられていない、むき出しの荷台に彼は飛び乗

る。一緒に一博と浩も一緒に行動していた。

 

「方向は、やっぱり北?」

 

 と、トラックに戻ってきた彼らに絵倫が尋ねる。

 

「ああ、そうだった。奴は北へと向かっている。ますます山奥さ」

 

 『SVO』の8人はトラックに乗り、すでに5時間近くも走行していた。方向は一定。ずっと北の

方角へ向けて車を走らせている。

 

 熱帯林の多い『チャオ公国』南部は彼方へ去り、今では山の裾野の大地をトラックは走って

いる。霧が濃くなり、空気も肌寒くなっていた。日を遮り、灰色の光景と湿り気が辺りを包む。

 

 今は、国道沿いにあった小規模の街で、隆文達が聞き込み調査を行っていた所だ。

 

「とにかく目撃した人の話ってのは、もう3時間以上も前の話だ。『ゼロ』さんて奴が北へと向か

っているのなら、俺達は3時間遅れって事になる」

 

「3時間。追いつけない事もないけれども、何だってそいつは北へと向かうんだ?」

 

 そう尋ねたのは、狭い助手席に乗り込んだ一博だ。

 

「さあな?『ユリウス帝国』の奴らから逃れる為に、逆方向に逃げているって事もあるかもしれ

ないが、このままだとじきに国境だ」

 

 隆文はトラックの荷台に座り込み、少しばかり周囲に警戒を払う。

 

「『帝国軍』の気配は無いな?奴らもまだこの情報を掴んでいないんだろう…。とにかく北へと

進めよ登。今がチャンスだ」

 

「分かった」

 

 そう登が呟くと、彼らを乗せた軽トラックは国道の方へと戻り、荒々しいエンジン音を立てなが

ら北へと走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

3:24 P.M.

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、不思議ね」

 

 延々揺られているトラックの中で、絵倫が呟いた。

 

「何がだ?」

 

 尋ねる隆文。彼は今朝からずっとトラックの、しかも荷台に揺られていた事もあって、体中が

痛いかのようだった。顔をしかめながら、しきりに座り直している。彼だけではない、ずっと車に

揺られていては、体がどうにかなりそうだ。

 

 しかしそうであっても、荷台にいる浩や沙恵は、まるで導かれるかのように眠りについてい

た。すでにガソリンエンジンの振動と音になれてしまったのか、2人は自分達でも気付かぬ内

に寄り添うようにして眠っている。

 

 だが、依然として目標には近付いていない。追いつこうとしても追いつけない、彼らの目標

は、一定の距離を置いたまま、離れた場所にいるようだ。

 

「『ゼロ』さんは、よくもまあ、わたし達と同じスピードか、それよりも速いスピードで逃げていくも

のね。幾らわたし達が追いつこうとしても、ちっとも距離が縮まっていないようじゃあないの」

 

 そう言いつつ、絵倫はリボンで三つ編みに編んである、自分の長い髪を振りほどいた。走行

中のトラックの荷台で、彼女の金髪は大きくなびいた。

 

 隆文は、そんな絵倫の姿をまじまじと見つめながら、言葉の方は曖昧に答えていた。

 

「そりゃあ多分、あいつが普通じゃあないから、だろう」

 

「普通じゃあ無い、確かにね」

 

 絵倫は長い髪を丁寧に編み始めながら、そう言っていた。

 

 そんな2人のやり取りを、香奈は半分虚ろな意識の中で聞いている。乗り物に乗っていると、

だんだんと眠くなってくる。今までは揺れるトラック、うるさいほどのエンジン音でなかなか眠れ

ないでいたが、それに慣れて来てしまうと、意識の方から先に失いそうだった。

 

「まあ追いついたとして、あんなのをどう捕らえるって言うのかしら」

 

 絵倫は独り言のように呟いている。

 

「怖くないのか、絵倫?」

 

 隆文の声。

 

「怖い、怖い、か。わたしはそんなに臆病な女じゃあないわ。例えあんなに酷い目に遭わされた

としてもね」

 

「そ、そうか、そいつは悪い事を聞いちまったな」

 

「でも、怖くないと言ったら嘘になるわ」

 

「そ、そうか」

 

「だって、あの存在を、この身を持って感じざるを得ないもの。不思議よね。今、こうしているこ

の時ですら、あの『ゼロ』っていうのがこの世にいる。そして自分達のそれほど遠くはない場所

にいるっていう感覚を感じている」

 

「本当か?絵倫。俺も似たような感覚を覚えている」

 

「あなたでも感じる事ができるっていうんなら、それもまた怖いわね。凄まじい『力』だわ」

 

 怖い。絵倫がそんなに素直に言えてしまうほど、自分達が追い求めているものは、恐ろしい

ものだというのか。

 

 香奈は、まだ直接その存在に出くわしてはいない。だが、一番親しいはずの沙恵は、あの存

在に間近で遭遇したはずだ。

 

 なのに沙恵は、『ゼロ』の事について、詳しく香奈には話していない。まるで彼女は、話すこと

さえ恐怖しているかのように。

 

 しかし、香奈は直接出くわしたわけではないのに、その存在を感じている。まるで漂っている

空気の匂いを感じている。しかも、それを拭い去ることができないほどの濃い匂い。危険さの

恐怖。香奈はそれを常に感じていた。

 

 それを虚ろな意識の中で感じている。もはや隆文達の声も、どこか遠くで聞えているに過ぎな

い。

 

 走行中のトラックの荷台に寄りかかり香奈は、意識もしないままに眠りについてしまった。

 

プスマ山脈

 

4:16 P.M.

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、ありゃあ、何だ?」

 

 隆文の騒がしい声が聞えてきたので、香奈は思わず意識を取り戻していた。

 

 すでに周囲の景色は変わっている。辺りは山岳地帯。それもトラックは崖上の道を走行して

いる。道が舗装されていないばかりか、ガードレールすら備え付けられていない。少しでも運転

を誤れば、崖下に落ちていきそうだ。

 

 崖下までは50メートル以上の高さがありそうだ。落ちたならばひとたまりもない。そのせい

か、登の運転も慎重になっている。

 

 香奈がうとうとと目を覚ますと、荷台に乗っている太一、隆文と絵倫は、警戒心もむき出し

に、トラックの背後を振り向いていた。

 

「トラックね、急いでいるみたい」

 

 と、絵倫。

 

「運転席の奴の顔が見えない。この狭い道、かなりスピードを出して走ってきているな」

 

 太一もすでに警戒を払っていた。

 

 一行の乗ったトラックの背後からは、ガソリンエンジンではなく、電気起動のエンジンで、スム

ーズな走行音が聞えてくる。

 

「警戒するに越した事はない。登。運転は慎重にな」

 

「ああ、分かっている」

 

 登は運転席から答えていた。彼は、朝からずっと半日近くも一人で運転をしている。

 

「『帝国軍』の奴らかどうかはまだ分からないが。加速してきた」

 

 と、太一。

 

 自分達の乗っているトラックの背後を走る、同じような色のトラック。荷台には幌がかけられ

ていて、中が伺えない。危険な程の山道で、更に加速している。

 

まるで、こちらに追いつこうとしているかのよう。

 

「道が、かなり曲がりくねっている。こんなにスピードを出すのは危険だ。ガードレールさえ付け

られていないんだぜ。もし運転を誤ったら、崖の下へ真っ逆さまだ」

 

 荷台にしがみつき、隆文が叫んでいる。登はハンドルを切り、崖上の道に合わせて車を曲が

らせる。

 

 後続のトラックも同じようにし、ただスピードだけは速く、崖上のカーブを曲がってきた。

 

「おいおい。まるでこっちを追い越そうとしているかのようなスピードだぜ…」

 

「まだ、『ユリウス帝国』の奴らって決まったわけじゃあないけれども、警戒はしたほうが良さそう

ね」

 

「ああ、正体に関わらずだ」

 

 隆文と絵倫が言った。8人の乗った車も加速する。その時の振動で、荷台で眠っていた浩と

沙恵も起こされていた。

 

「登、あの曲がり角だ。あそこを曲がれば、先は直線になっている。そこで一気に距離を離そ

う。追いつけないくらいずっとだ」

 

 トラックの先には、ごつごつした岩場の崖に阻まれてはいるが、大きく曲がる地点がある。そ

の先がどうなっているかは分からないが、地図によれば、直線の道になっているらしい。隆文

は地図を見ながら言っていた。

 

 コーナーに差し掛かる。登は曲がるための減速をしながらも、直後の加速の為の準備をす

る。

 

 後続のトラックは、数十メートル遅れて崖上の道を走ってくる。

 

 コーナーを曲がりきる8人のトラック。しかしそこへ、前方から一台の車が接近して来ていた。

 

 コーナーの崖の死角から迫っていた車。これもトラックだ。加速しようとしていた登。しかし狭

い道ゆえに避けようが無い。

 

 トラックのフロント部分が接触した。死角からやって来たトラックと激突する。衝撃が両方のト

ラックへと走った。

 

 トラックはもう一台やって来ていた。

 

 崖の上に作られた道での接触事故。だが、8人のトラックは、道の内側にいたので、崖の下

へと落ちて行く事はない。それもコーナーを曲がった直後でもあったので、道の外にはみ出す

程スピードも出ていない。

 

 だが、運転席にいる登、そして助手席にいる一博は見ていた。

 

 崖のコーナーの先からやって来たトラックの運転席に乗っていたのは、『ユリウス帝国』系の

男だった。衝突でエアバックを食らいながらも、しっかりとこちらを向いてきている。こちら側のト

ラックにはエアバックなど付いていない。だが、酷い事故ではなかった。軽い接触事故。

 

 ただ衝突しただけ。『SVO』の8人はそう思った。荷台にいた者達は、外へ放り出されそうに

はなっていたけれども、それだけ。

 

 しかし、崖の上で停止した8人の乗ったトラックの元へ、後ろからスピードを上げて迫ってきて

いたトラックの方が、思い切り荷台の方へと激突した。

 

 崖上の道。8人が乗ったトラックは、運転席を支点とし、荷台の方がてこのような動きと共に、

道の外へと押し出された。

 

 道の外、崖上の道の外は、高さ50メートルはあろうかという断崖絶壁。

 

 香奈は思わず悲鳴を上げた。自分達に次々とぶつかって来たトラックは、ただ事故を起こし

ているのではなく、明らかに、このトラックを崖の下へと落とそうとしている。すでに後輪のタイ

ヤは道に乗っているのではなく、崖の外へとはみ出していた。荷台の方が下を向き、すでに車

も傾いている。

 

「の、登、何とか踏ん張ってくれ!」

 

 隆文が呼びかけるものの、

 

「あ、ああ、先輩。このトラックの馬力じゃあ、とても向こうには敵わないってよ」

 

 運転席の方から聞えてくるのは、一博の自信のない声だった。

 

 8人の乗っているトラックのタイヤは空回りしている。どんどん崖の外へと追い出されていき、

このまま崖下へ落ちていくのも時間の問題だろう。

 

「だ、脱出しろ!」

 

 隆文は叫んだ。

 

 そう彼が叫ばずとも、仲間達はすでにトラックから、崖の道の方へと飛び移ろうとしている。太

一は、さっさと荷台から飛び移ってしまったし、香奈もそれに続いていた。運転席にいた登。そ

して一博も。

 

 その後には、浩が続いた。だが、傾斜するトラックの荷台の上、崖の下へと向く荷台の後ろ

へと、沙恵が落ちていきそうになっている。それを知った浩は、彼女の方へと手を伸ばした。

 

「ほらよ、オレに掴まれッ!」

 

 浩が沙恵の手を鷲掴みにする。そして、彼女と共に、トラックから崖の道へと飛び移った。

 

 だが、隆文達が一歩遅れている。荷台の最も後ろにいたせいだ。

 

「せ、先輩達、早く!」

 

 一博が呼びかける。だが、間に合うかどうかは分からない。トラックはほぼ垂直になる形にま

で崖の外へと飛び出していた。それを支えるものは、わずかに道に接触している前輪のタイヤ

だけだ。

 

 そうであっても、あと少しで飛び移れる。隆文と絵倫は、トラックと共に投げ出されそうになり

ながらも、道の方へと飛び移ろうとしていた。

 

 しかし、隆文は、自分の鞄の直撃を頭に食らう。

 

 傾斜した事で外れた、トラックのパーツかとも思えてしまうが、紛れもない、隆文の頭に直撃し

たのは、彼のいつも持っている黒い鞄だった。

 

「手を伸ばせ! を!」

 

 太一は叫ぶが、隆文はすでに崖の下へと落ちて行っていた。鞄の直撃を食らったのが原因

だ。更に、彼の背後にいた絵倫も巻き添えにして、彼ら2人と、8人の乗ってきたトラックは、崖

の下へと落ちて行ってしまった。

 

 崖の下まで50メートル以上。落ちるような事があれば一たまりも無い。

 

「嘘でしょ!」

 

 沙恵が血相を変えて叫ぶ。

 

「いいや、違うぜ沙恵。先輩達はこのくらいで死ぬ程ヤワじゃあない。隆文だけじゃあ心配だ

が、絵倫がいる。何とかしてくれるだろうよ」

 

 浩がそんな彼女を遮った。そして、彼は仲間達と共に崖上の道の方を振り返る。

 

「それよりもオレ達は、ここにいる連中を何とか、しないとなあ!」

 

 崖上の道、衝突したトラックの荷台からは、次々と『ユリウス帝国』系の男達が、地面へと降り

立っていた。

 

「お、落ちる落ちるッ!わあああッ!」

 

 隆文が一心不乱に叫んでいる。車と共に宙に投げ出され、彼は絵倫と共に崖を落ちていこう

としている。地面に足をついているのではなく、宙にいるという感覚、その恐怖、それを隆文は

感じていた。

 

「慌てるんじゃあなくて、さっさとどうにかしなさいッ!」

 

 崖下へ落ちていっているというのに、絵倫は隆文に叫びかけている。その時の彼女は、幾ら

いつも冷静な彼女であっても、幾分か慌てている様子ではあったけれども。

 

 『能力者』としての高速の思考が始まる。崖下まで50メートルはあった。しかし、考えるような

時間は、普通ならばほとんどない。

 

 隆文はとっさの行動に移った。

 

「これだッ!」

 

 そう彼は叫び、右腕を崖上の道の方へとスイングさせる。すると彼の袖の中から、一本のワ

イヤーが放たれ、上方へと伸びていく。

 

 それは、崖から突き出ている、一本の木の枝に引っ掛かった。

 

「絵倫ッ!掴まれッ!」

 

 隆文は絵倫に手を差し出した。彼と共に同時に落下していた彼女は、それをぎりぎりの所で

掴む。

 

「ふう」

 

 2人が空中で制止した直後、乗っていたトラックは、崖を転げ落ちるかのように落下してい

き、ほんの数秒後には、金属がひしゃげるかのような音と共に、地面へと激突していた。

 

「た、助かったぜ!」

 

 隆文は安堵のため息と共に言った。

 

「隆文? そのワイヤーを伸ばして行けるの?」

 

 彼の手にしがみついている絵倫が尋ねる。

 

「あ、ああ。もちろんだ。伸ばして行ける。安心しな。このワイヤーは細い割には十分な強度が

ある。2人分の体重くらいじゃあ切れたりしないからよ。ウィンチとかは、ちょうど俺の肩の辺り

に付いている。腕の動きと連動していてな」

 

「でも、そんなものを服の中に仕込んでおいて、一体何に使うって言うのよ。ああっ、隆文ッ!」

 

 絵倫が言葉を遮って叫んだ。

 

「ええ?ああ!」

 

 崖下へと落ちていこうとしている2人を支えている隆文のワイヤー、それを支えている崖から

突き出た木の枝が、今にも折れそうだった。その木の枝は、頑丈そうなワイヤーとは相反し、と

ても頼りないほど弱々しい細さの枝だった。

 

 隆文は袖から伸びているワイヤーを伸ばした。それは片手でも操作できるようになっていて、

絵倫をワイヤーとは逆の手で掴んでいても、伸ばしていく事ができていた。

 

一刻も早く、地面下へと着こうというスピードで降り始める。

 

 それは、落下と同じほどのスピード。しかし、加速度は無い。一定の素早いスピードで崖を降

りていく。

 

 だが、2人が崖下の大地に到達するよりも前に、2人を支えていた枝は切れてしまうのだっ

た。

 

 叫び声を上げる隆文。彼と絵倫の体は地上へ向かって落下していく。もはや隆文の右腕の

袖から出ていたワイヤーが掴むものは何も無い。

 

 あっという間に地上が迫る。2人の新しい落下地点は、10メートルほどだった。彼らの落ちて

いく先、そこには、先に落下して行った、トラックの残骸もあった。

 

 川が流れている。トラックはそこに残骸となって流れを遮っている。川底は見えるほどに浅く。

落ちれば地面とは変わらないだろう。

 

 しかし2人の体を襲ったのは、予想以上に小さな衝撃だった。浅い川の上に落ちる2人の

体。

 

「上方への強い気流を起こして、落下の衝撃を弱くしたわ。ただ、2人の体を空中で制止させる

ほど強力なものじゃあないし、あなたが落下初めの地点をより低い場所にしてくれたからでき

る事。崖上からの落下だったらイチコロだったわね」

 

 絵倫はそう言って、ゆっくりと体を起こした。彼女の体には大怪我どころか、かすり傷一つも

無い。

 

「そいつは助かったな。だがよ、絵倫。これは戻るまで随分と時間がかかっちまいそうだ。上を

見ろよ」

 

 そう隆文に言われ、浅い川の中に立ち、崖の上を見上げた絵倫。さっきまでトラックで走って

いた道は、その崖の遥か上にある。霧で霞んでしまい、その場所は上手く伺えない。おそらく5

0メートル以上はあるだろう。

 

 時々、浩の雄たけびにも似た声が聞えてくる。

 

 さっきぶつかって来たトラックは、『ユリウス帝国』からの追っ手。そうに違いない。そして、崖

上に取り残された仲間6人が、今、その追っ手と戦っている。

 

「すぐ戻った方が良さそうね」

 

 50メートルも崖の下にいてはどうしようもない。崖の上で襲ってきた者達が、ただの人間だっ

たら良いだろう。しかし、能力者だった場合、人手が足り無すぎるという事はない。

 

 2人が落ちてきたのは、川の流れる崖下の河原だ。近くには森もある、そこは山の谷間。霧

が立ちこめ、空気はひんやりとしている。

 

 隆文と絵倫は周囲を伺った。辺りには誰もいないかのよう。

 

「この川沿いに下流へ行けば、多分、さっきまで走っていた道路と合流するはずだ。さっき地図

で見たからな。あと、俺の鞄もな」

 

 隆文は川の下流の方を見つめながらそう言った。そしてそのまま川原に歩いていき、流れの

脇に落ちていた自分の黒い鞄を持ち上げる。

 

「それって、どのくらいの衝撃まで耐えられたっけ?」

 

 絵倫が尋ねてくる。隆文の鞄は、落下の時に付いたであろう、傷が付いていたが、形はしっ

かりと留めていた。

 

「飛行機の墜落にだって耐えられる。50メートルの落下なんてものともしないさ。中に入ってい

る機械だって、ちゃんと衝撃から守ってくれるんだぜ…」

 

「一刻も早く戻らないとねえ」

 

 隆文の説明に、そっけなく絵倫がそう答えた時、

 

 谷間に、何かが走ってくる音が響き渡る。それは電気起動のスムーズな音。それが、近付い

てきていた。

 

「何か、こっちに来るわ」

 

 隠れている暇はない。崖下の川原では森が開けていて、霧が出ているとはいえ見通しが良

い。

 

 やがて、川沿いに走ってくる一台のバイクの姿を2人は見ていた。

 

 全速力で走ってくるバイク。それは2人へと急接近した。相手の行動に2人は警戒し、すかさ

ずバイクから逃れようとしたが、相手の方は、まるで威嚇するかのように急速な方向転換をす

る。そして、急ブレーキをかけて、2人の目の前に停止した。

 

「これはこれは、『NK』からお越しの仲の睦まじいお2人さんが、こんな所で一体何をしているっ

ていうんだ?」

 

 バイクに乗っているのは男。結構な大柄の体格で、つばの広い帽子を被っている。そして、

『ユリウス帝国』系。紛れもない。肌の色の白さと、目立つ金髪が、それを明確に示していた。

 

 その男は、隆文と絵倫の方に、まるで自信に溢れ、余裕さえも見えるかのような表情で話し

かけて来た。

 

 一方の隆文と絵倫は、警戒心も露に、その男から一定の間合いを保つ。

 

「いきなり何様のつもりよ。あなたは何者?」

 

 絵倫が警戒しながらも、強気に尋ねた。『ユリウス帝国』の言葉でしっかりと。しかし、聞く必

要も無い質問だっただろう。

 

「オレは正式な肩書きはねえ男だ。ただ、名乗るって名はあるな。あんたみたいな美しいお姉

様に聞かれちゃあ、名乗らない訳にはいかねえなあ」

 

 そう言うと、男はさっと乗ってきたバイクから飛び降りた。エンジンはかけたままだ。

 

 さり気ない行為だったが、隆文は見逃さない。それにこの男は、この大型のバイクに武器を

積んでいる。機関銃もあったし、鋭利な刃物もついた、巨大なナイフのようなものもある。

 

 余計に警戒心が露になった。

 

「オレはジョンという。それだけだ。そう呼ばれる名前だけがあるのさ。お前達みたいによ」

 

 男は名乗った。表情は変わらない。

 

「わたし達みたいに?へええ。随分と色々知っているみたいね?」

 

「別に、名乗ろうが名乗らまいが、構わないから言ったまでだ。もしかしたら嘘だって事も考えて

おけば、それに越した事はねえな。だがよ、どっちみちオレがやる事は決まっているんだ」

 

 そのジョンという男の言葉が、何を意味するのかは、隆文達にはすぐに理解できた。

 

「なるほど。上で車をぶつけて来た奴らは、俺達の戦力を分断する為にあんな事をやったんだ

な? 随分と回りくどい事をしてくれるぜ、『帝国軍』はよ」

 

 不快も露に隆文は言った。

 

「作戦というやつさ。悪く思うな。だが、最後の詰めはオレがやらせてもらう」

 

 ジョンと言う男は言い、彼は、慣れたような手つきでバイクから、刃のついたものを抜き取っ

た。

 

 それは、黒く塗られ、禍々しいまでの曲線を描く、柄の付いた板のようなものだったが、紛れ

もない、剣だった。

 

 バイクには機関銃もある、だが彼は剣を選んでいた。

 

 銃ではなく、より技術を要する剣を選ぶ。その行為の意味するもの。

 

「どうやらお前は、『ユリウス帝国』から俺達を始末にでもしに来た奴ってわけか。どうなんだ?

『帝国軍』にとっちゃあ、本当は『ゼロ』の方が重要なんだろ?あんたは、邪魔者を排除するだ

け」

 

 隆文が挑発的に相手に尋ねた。

 

「何の事だろうな?オレは『帝国軍』の者だなんて言っていないぜ。それに、始末って所が気に

入らねえな。オレの雇い主は、始末だとか言う汚ねえ言葉は使わないんだ」

 

「まるで、自分が『帝国軍』の者だってバレても良いような口ぶりじゃあない?雇い主って、もし

かしてあなたの国の国防長官の事?」

 

 と、絵倫が鋭く尋ねる。

 

「おっと、そんな事はどうだっていいんだぜ。誰が雇い主であろうと、オレがやる事は一つしか

ねえ。オレ達の世界じゃあ、暗黙のルールだぜ」

 

 ジョンという男は、そのように言うと、2人の方に向けて、自分の持つ剣を向けた。かなりの大

きさのある剣。だがそれを、ジョンは片手で持っていた。

 

「随分と、せっかちじゃあないの?」

 

 警戒も露に絵倫が言った。

 

「さて、やろうじゃあねえか?」

 

 2人と、ジョンの間に、戦いの緊張が流れ始める。何かしらの力がそこに働いているのではな

い。

 

 緊張。そして近寄りがたい程の殺伐とした戦いの空気。

 

 ジョンは剣を二人の方に向けていた。彼の筋肉質な体がそれを支えている。この男は、一博

や浩ほどの肉体を持っているわけではない。しかし、引き締まった肉体は、十分な力を引き出

す事ができるだろう。

 

 服の上からでも彼の肉体の頑丈さが分かる。隆文よりも高い身長。『ユリウス帝国』系の人

種の特徴だ。

 

 ジョンは、剣を片手で2人の方に構えながら、余裕のある表情を崩さない。

 

 そして不敵に言った。

 

「どうした?来ねえのか?」

 

 そんな彼の言葉に、隆文と絵倫は、緊張した表情を崩す事ができない。隆文は鞄の中の機

関銃を取り出そうとしている。絵倫の方も、ゆっくりと、腰にある鞭の方へと手が向かっていた。

 

 『ユリウス帝国』の追っ手との戦い。指名手配犯と見なされている以上、彼らとの戦いは抜き

差しならない。

 

 例え本来の目的が、別の存在にあったとしても。

 

 どこからが開戦なのか、多分、それは決められなかった。だが、先に仕掛けたのはジョンの

方だった。

 

 彼は、隆文と絵倫との間に、まるで2人の連携を切り裂くかのように剣の突きを繰り出して来

た。

 

 2人はその攻撃を横へと避ける。予想以上の衝撃が、その突きには含まれていた。

 

 まるで、鉄槌でも繰り出してきたかのような衝撃。剣の一枚のブレードから引き起こされる空

気の衝撃波が、2人の体を煽る。

 

 それぞれが逆方向に避けた2人の体。お互いの連携は崩される。そうであっても、2人の間

の距離が離れたのは、ほんの一秒もない間のはずだ。

 

 しかし、ジョンという男は、そのわずかの隙間も逃さず、すかさず次の攻撃に移って来る。

 

 隆文の方へと一気に間合いを詰めるジョン。彼は手に持つ大型の剣を、隆文の方へと振り

かざし、薙ぐ。

 

 凄まじい速さがあった。常人には見る事のできないほどのスピード。最初の突きを避けたば

かりの隆文はバランスが悪かった。ほとんど掠るかのような状態で、隆文は剣による攻撃を避

ける。

 

 空気を押し倒すかのような衝撃がやって来た。これには隆文も、地面に転がるしかない。

 

 彼が、マシンガンの引き金を引く隙すらも無い間での出来事だった。

 

 この男も『高能力者』。普段はその『力』を抑えて生活をしているが、身体『能力』の全てが常

人を遥かに超えた超人。人間の限界を感じさせない、『帝国軍』の秘密兵器。

 

 少なくとも自分よりは高い『能力』を持っている。隆文はそう痛感する。

 

 ジョンは攻撃を終えようとはしない。剣を手に持ったまま、隆文の方へと迫る。

 

 転んだままの姿勢から、隆文はマシンガンの引き金を引いた。弾が、一気にジョンの方へと

発射される。

 

 乱れ散って行く弾の嵐。しかしそれをジョンは、軽々と剣で弾いていく。

 

「まともに照準を決めていないのに撃ちやがって」

 

 川原の地面に膝をついている隆文に、ジョンは迫った。

 

 そして、彼に向かって、剣を振り下ろして来ようとする。

 

 しかし彼の斬撃は、途中で食い止められた。

 

「隆文、今よッ!」

 

 絵倫が叫ぶ。彼女は鎖状の鞭を伸ばし、ジョンの剣にそれを絡ませていた。彼女は全身をか

けてジョンの剣を押さえ込んでいる。ついでに鞭で引っ張り、その剣を取り上げてしまうかの勢

い。

 

 隆文はマシンガンの照準を合わせ、ジョンに向かって引き金を引こうとする。

 

 しかしジョンはニヤける。彼は、絵倫によって引き押さえられている剣を、大きく一閃させた。

 

 すると、鞭でその剣を固定していたはずの絵倫は、剣の動きに合わせて、大きく空中へと放

り出されてしまう。

 

 絵倫は思わず声を上げた。彼女が幾ら女の体であるとはいえ、ジョンが剣を振っただけで、

鞭ごと宙へ放られてしまうほど軽くはない。人の体だ。

 

 しかも絵倫は高々と舞い上げられてしまった。優に5メートルほどの高さ。

 

「絵倫ッ!」

 

 隆文は叫ぶ。宙に放り投げられた絵倫の落下点にはジョンがいる。しかも絵倫を放った剣を

持ったまま。

 

 思わずマシンガンの引き金を引き、弾丸を放つ隆文。しかし、ジョンは、絵倫を放り上げ、一

閃させていた剣を、そのまま地面へと叩きつける。

 

 すると、川原の小石が、隆文の方へと弾き飛ばされる。まるで弾丸のような衝撃となって、小

石は隆文の方へと迫った。

 

 彼は転がるようにしてそれを避けるが、幾つかの川原の小石は、隆文へとぶつかって来た。

 

 弾丸ほどの威力は無いが、かなりの衝撃を受ける。それは、ただ跳ね飛ばされた石という衝

撃ではない。

 

 重い鉄球を受けたかのような衝撃。隆文はマシンガンをあらぬ方向へと乱射する形となった

まま、地面を転がった。

 

 一方ジョンの方へは落下して行こうとする絵倫。彼女の体は、まるで決定されていたかのよう

に、ジョンの方へと落ちていこうとしている。

 

 彼は待ち構えていた。禍々しいばかりの形状の剣。あんなもので斬られたら、一体どうなって

しまうのか。掠っただけであっても深手になりそうな切れ味、そして酷い傷跡が残りそうだ。

 

 空中で成すすべが無いまま、絵倫は放物線を描きながら落下していく。

 

 ジョンの剣が迫った。しかし、絵倫はというと、動じるような表情を見せなかった。

 

 地面への落下寸前、ジョンの剣が接触すると言う所で、絵倫の体は、大きく方向変換をした。

 

 重力に逆らっての、有り得ない方向への転換。

 

 絵倫は、まるで飛び込むかのような格好になって、隆文の元へと到達する。ジョンの体の位

置からはずれていた。

 

「空気を操る『能力』。自分の体を空中で方向転換できるほど、はっきりと『力』の姿を示せると

は、ねえ」

 

 と、ジョンは言った。

 

 攻撃を避けた絵倫。だが、そんな事など構わないと言った様子の彼。

 

「絵倫、早く鞭を戻せよ。こいつ、予想以上に強い。一体、どうなっているのか、あの国防長官

といい、こいつといい、とても普通とは思えない」

 

 自分のすぐ側にまで飛び込んで来て、再び一体となれた絵倫に、隆文は言った。

 

「ええ」

 

 うなずいた彼女は、ジョンの武器に巻き付いている自分の鎖状の鞭を、自分の元へと引き戻

そうとした。

 

 しかし、彼女のその鞭は、音を立てもせず、強い衝撃もある間も無く、簡単に引きちぎれてし

まった。

 

「な」

 

 絵倫は驚きの表情を隠せなかったが、ジョンはそんな彼女の様子を見てニヤりとする。

 

「人間はだ。訓練や人為的方法次第で幾らでも眠っている力を引き出す事ができるんだ。お前

は今、普通じゃあ無いといったが、お前達自身だって、十分普通とは思えない事も、自分で良く

知ってるだろ?

 

さてと、お遊びはこれくらいにして、よォ。あんたらの実力も今ので大体分かった。だから、本気

で行かせてもらうとするか」

 

 ジョンは、軽くステップのようなものを踏む。それからどのように攻撃を繰り出してくるのか、隆

文と絵倫は、警戒の眼差しで先を読もうとした。

 

「強く引っ張りすぎた?だから、鎖があの刃に斬られた?いえ、絶対にそんな事はない!ちゃ

んと振りほどくように動かしたわ、わたし!」

 

 切断された鎖状の鞭を見つめ、絵倫は言った。

 

 ジョンの剣を片手に持っている姿。繰り出してくる攻撃は、豹のように早そうだ。それでいて、

衝撃が爆風のようなものを伴う事を、2人は知っている。

 

「隆文、気をつけなさいよ。こいつの攻撃、こいつは、ただ剣を振り回しているだけじゃあない、

何か、あるわ」

 

 絵倫は、簡単に引きちぎれてしまった自分の鞭を握り締めながら呟く。その長さは今では50

センチほどしかない。

 

「ああ、分かっているぜ」

 

 隆文がそう答えた時、ジョンの剣が一閃した。

 

 彼のその剣が地面を掠めた時、川原の小石が、幾つもの弾丸となって2人に襲い掛かかる。

 

 ジョンの剣の一振りだけで、襲い掛かってくる小石はさながら散弾のよう。威力は弾丸ほども

無いが、撃ち出される鉄球を食らうほどの衝撃はあるだろう。

 

 隆文と絵倫はその衝撃を、まるで地面を転がるようにして避け切った。

 

 ジョンは、そんな2人の行動を確認する間もなく、脚を踏み切り、迫る。そして2人の間を駆け

抜けた。

 

 高速で走るバイクがあるならば、その衝撃波と迫力は人を怯ませ、または弾き飛ばしてしまう

ほどの威力もある。ジョンは、常人には出せないようなスピードで2人の間を駆け抜けた。

 

 その迫力は、隆文と絵倫の間の連携をも再び切り裂く。2人の間合いが少しだけ開いた。

 

 気付いた時には、ジョンの剣は、隆文の目前に迫ってきていた。

 

 ジョンの剣が、隆文のすぐ側の地面へと突き刺さる。彼の長髪が何本か切れ、それが散っ

た。

 

 ジョンは微笑している。そして隆文は感じていた。ジョンの剣が顔すぐ側にある事で、そこから

妙な匂いが漂っている事を。嗅いだ事の無い様な匂い。そして、時々金属が錆びたときのキナ

臭い匂いも。

 

 隆文は、それに警戒し、思わず間合いを取ろうとした。

 

 しかしジョンの剣撃は早い。隆文は手に持ったマシンガンを彼へと向け、それの照準を合わ

せ、更には引き金を引くと言う間合いすらない。

 

「隆文ッ!」

 

 地面に転がっていた絵倫が、身を起こしかけ、隆文とジョンの方を向く。彼女はこちらへと手

を伸ばし、そこに彼女自身の『能力』で気流を生み出す。

 

 ジョンと隆文、そして絵倫のいる位置はほんのすぐ側だ。一メートル以内の間合い。

 

 だが、それよりも早く、彼女に向かってジョンの蹴りが炸裂した。

 

 隆文に攻撃を加えながらの攻撃。絵倫は、ジョンの蹴りをかわそうとするが、剣だけではな

く、こちらも鋭く、そして速い。

 

 肩のところをかすめただけで、その部分に切り傷が走る。

 

 ジョンの放った突きが、隆文を捕らえようとする。もはや避ける術が無い彼。マシンガンの横

腹を使って剣を受けるしかなかった。

 

 ジョンの表情がニヤけた。

 

 彼の禍々しい形状の剣は、隆文のマシンガンをかすめる。ただそれだけで、彼の銃は宙高く

放り上げられた上、真っ二つに切断されてしまう。

 

 剣の切れ味が鋭い事は、空気をも切り裂きそうな衝撃波が物語る。だが、隆文のマシンガン

は、宙高く上げられた上、切断部分が粉々になる。

 

 川原の小石の上へと落ちてきたマシンガンは、やや黒ずみ、そして切断部分が錆びていた。

 

「こ、これは?」

 

「どこを見ていやがる!」

 

 自分の武器に起きた奇妙な事態に、隆文は疑心を抱く。しかし、それを切り裂き、打ち砕くか

のようなジョンの次なる攻撃。

 

 丸腰になった隆文は、後ろに引き下がりながら、生身の体でジョンの攻撃を避けるしかない。

 

 彼は、自分の背後に流れている川の方に向かって、右手を伸ばす。すると、彼の上着の袖

のところから、一本のワイヤーが飛び出す。真っ直ぐに放出されたワイヤーは、川を半ばせき

止めている、トラックの残骸へとそのフックを引っ掛ける。

 

 自分達が今まで乗って来たトラック。今では崖から落ちて大破したトラックの残骸。隆文は、

そのトラックに、落下の時に助けられた自分のワイヤーを引っ掛ける。

 

 一気にワイヤーを巻き上げる。ジョンの剣が、彼のほんのわずか、ぎりぎりの所を掠めてい

く。

 

 ワイヤーに助けられ、隆文の体はジョンから離れた。上着の中に仕込まれたウィンチは、一

気にワイヤーを巻き上げて、隆文の体を巻き上げていった。

 

 しかしジョンもそれを追う。剣を振りかざし、隆文の方に向かって突きを繰り出してきた。

 

 まるで大砲のような迫力の突き。

 

 ワイヤーを巻上げきり、トラックの残骸を踏み台にして飛んだ隆文にはそれを避ける事がで

きたが、ジョンの突きは、残骸に命中する。

 

 まるで、車同士が衝突したかのような激しい音と共に、残骸の運転席の扉部分であった場所

は大きくひしゃげ、また、周辺のパーツが飛び散った。

 

 その、飛び散ったパーツ。例えばボルトやナットなどが、弾丸のような衝撃を持ち、宙へと飛

んだ隆文へと襲い掛かる。

 

 空中で自由も利かない彼は、金属パーツとしての弾丸を、一部身に受ける事になった。

 

「た、隆文!」

 

 離れた場所にいる絵倫が叫びかける。隆文の体は、跳躍と共に彼女の側にまで転がってい

った。

 

「い、いや平気だ絵倫。かすり傷だ」

 

 そう腕を押さえながら隆文は立ち上がろうとする。トラックのパーツの一つが、彼の腕を撃ち

抜いていた。

 

「しかし絵倫、不思議な事だ。不思議な事が起こっている」

 

 ジョンとの間合いは今ので大きく離れた。隆文は絵倫に話しかける。

 

「ええ、分かっているわ」

 

「あの、ジョンって奴の攻撃。ただ破壊力とスピードがあるだけじゃあない、どうもさっきから変

わった事ばかりが起こっている。お前の鞭は、斬り付けられたわけでもないのに切断され、俺

のマシンガンはあっという間にバラバラ。そして、あのトラックの残骸の扉…、今どうなっている

か見てみろよ」

 

 絵倫は、ジョンが迫ってきている方向に眼をやった。彼が突きを食らわせたトラックの運転席

側の扉。さながら紙のようにひしゃげてしまった扉だったが、それはすでに錆びてぼろぼろに崩

れかかっていた。

 

「錆びているわ。わたし達が乗ってきた車とは思えないほど、ぼろぼろにね」

 

「何をごちゃごちゃ話しているんだ? まだまだどんどん行くぜ!」

 

 ジョンが2人を挑発して来るが、隆文も絵倫もそれに動じない。

 

「そして、極めつけは、あいつが剣で弾いた俺の弾丸だよ。これも黒ずんでいる。手に取ったら

ぼろぼろの粉みたいになっちまう」

 

 隆文は、川原の小石に転がっていた弾丸を手に取るが、それは黒くなっていたし、指同士に

挟んで力を入れれば、簡単に押しつぶれてしまった。

 

「それと、お前のその肩」

 

 次に彼は絵倫の肩を掴む。彼女の左肩は、ジョンの蹴りによって、ナイフででも切りつけられ

たかのように切れていた。

 

 それだけではない、彼女の肩は、黒ずみ始めている。

 

「痛みが思ったよりも酷いの。もちろん、このくらいの傷なら大したことはないんだけれども、痛

みを抑える事ができないわ」

 

「ゴチャゴチャ話しているんならよォ、こちらから行かせてもらうぜ」

 

 ジョンはぐんぐん迫ってきていた。

 

「金属ならあっと言う間に錆びてぼろぼろになり、人の体ならば、黒ずんでしまうか、思うにだ、

絵倫。俺は奴が、物を劣化させる『能力』を持っているんだと思う」

 

 隆文は、そんなジョンを無視するかのように言った。

 

「物を劣化。そう考えるのが妥当なのかしら?」

 

 まだ疑心が拭い去れないといった様子の絵倫。しかし、隆文の方は力説する。

 

「こんなに物体があっという間に錆びているんだぜ。それ以外に考えられないってよ」

 

「まあ、『能力』の結果はそうなのかもしれないわ。こんなに現象が顕著に現れる『能力』、疑う

わけにはいかないものね。ただね」

 

 絵倫が言い終わるのよりも前に、ジョンは剣を振りかざし、再び2人の方に迫って来ていた。

 


 
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