”「労働力」を商品として資本家が買い取る”
正しくはこう「「拘束時間」の対価として賃金を資本家が支払う」
所詮、マルクスの言う資本論とは、言葉の反転性を利用して、
・「やりがい」を「物神」に、
・「拘束時間(企業の時間掌握)」を「労働力(労働者の空間掌握)」に、
・使用者が決める変動的な「モノの価値」を固定的な「使用価値」(モノには「~についての価値」もあれば、逆の「~についての無価値」もあり、それを総合的に「モノの価値」と呼んでいる にも関わらず両面的な「モノの~」と使わずに、物事を捉えようとするマルクスの「使用価値」は独善的である(ニーチェはこの一面しか見ない独善性を「デカダンス」と呼んでいる))に、
・「お詫びの気持ち」を「交換価値」に、
・「信用」を「物象化」に、
・「信用の裏返しの責任」を「社会的平均労働力」に、
・公的な企業に還元する「もうけ」をマルクスが労働者を嫉妬させる為の私的な「剰余価値」に、
…ねじ曲げる事によってでしか、意味を持たない
(ネットに落ちているマルクス哲学を見ていけば分かるが、前と後は正反対の意味である おーい、労働者に大切なものをマルクスがねじ曲げているぞ!)
これらの置き換えを行った後、マルクスの「絲(し)」によって、それを批判しようとする批判者の舌をもつれさせ、黙らせる論に過ぎない
・「労働疎外」、原則として労働者は労働から疎外されない
・「生産手段(土地・工場・機械など)の私有」、社長の中では会社の体質によって、偏った見方をしていない限り、生産手段は公的なものである そもそも、生産手段を公有化する事が資本主義の事業である!
(もし、マルクスが偏った見方の社長を資本主義全体と考えたなら、マルクスの資本主義観は偏っている!!)
・「資本の自己増殖」、この一言から、マルクスは病的であって、国を司る思想家としては不適格である!
・「資本主義の矛盾の拡大」、何かあったか? いや、見た所なかった
・「資本主義の終焉」、大たわけのタワゴトである
「絲」と言うのが、まず、「~を~」と定義させ、そこから、”知的な”現状の自分と言うものを隠し、ただ焦っている様子だけを残し、自分と言うものをマルクス流に酔わせる
自殺的指向(デカダンス)など知らない無知な者から、批判意見をマルクスが書いたものと言う烙印(らくいん)を押して取り上げ、「お前の思考など俺の手の内にあるのだよ」などと思い込ませる
…思い込んでいる被デカダンス者はその病的な考えに疑問を覚えない
大筋として…
マルクスは下手な論考で簡単にもみ潰せると批判者に思い込ませ、スキあらば、考えを盗んでいって、最後にマルクスの考え(マルクス哲学)を受け入れさせる
これが「絲」である
「浅慮と浅知恵」を哲学にしたら、マルクス哲学、つまり、「浅慮と浅知恵の哲学」になる
マルクス哲学は破潰されました、皆様
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マルクス哲学について暴露