No.1173908

Rー52

新人さん

戦後、敗戦国の日本は一切の航空機の開発と生産が禁止された。1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効されてから 航空機開発も自由に出来るようになった。戦後初めて作られた飛行機はYSー11だと思っていたが、戦後に日本で最初に飛行機を製作したのは新立川航空機のRー52だった。新立川航空機は戦中は大手の中島飛行機が開発した一式戦闘機「隼」の大規模な移管生産を行っていた会社だ。国産の飛行機を待ちきれなかったのか、さっそく1952年9月17日に戦後初の国産飛行機になるR-52の初飛行を成功させている。 Rー52は開放座席式で 主翼と胴体は布張りの複座機だ。耐空性能基準は戦前のものだから、戦前の機体を再生産しただけの古い設計だったそうだ。材料は工場に残されていた有り合わせのものを利用し、エンジンも東京工大にあった軽航空機用の空冷星型7気筒のエンジンを再生して動かしたそうだ。 Rー52は読売新聞社に売却され、全国の都市を訪問飛行したあと、多摩川河川敷の読売玉川飛行場で全日本学生航空連盟の飛行練習やグライダー曳行などに使用されたらしい。1959年(昭和34年)にエンジントラブルのため不時着し、大破したという。

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