No.1003425

式姫漫録 葛の葉

oltainさん

9月8日に開催されるこみっくトレジャー34で頒布する小説のサンプルです。
童子切:http://www.tinami.com/view/1002129
かるら:http://www.tinami.com/view/1002791
空狐:http://www.tinami.com/view/1003425

2019-09-01 22:29:51 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:658   閲覧ユーザー数:658

「ご主人様、いるかしら?」

背後からの声に、布団を敷いていた手を止めて振り返る。

夜も遅い時間帯、主の返事を待たずに勝手に部屋の戸口を開ける程の無礼者は、式姫多けれどそうはいない。

ご主人様と呼ぶクセに、そこには主に対する敬意など微塵も含まれていないのだ。

堂々と廊下に立っていたのは、見事な白い九本の尻尾の持ち主、妖狐の式姫である葛の葉。

「あー?」

返事とも溜息ともつかぬ曖昧な言葉が、不機嫌な響きを伴って出てきた。

闖入者にはその辺りもしっかり伝わっている筈だが、相手の顔色は何一つ変わらない。

「晩酌に付き合ってくれない?」

主がこれから寝ようとしている事は一目見れば分かるだろうに、そんな事情などおかまいなしってか。

回りくどいのは俺もあまり好かないが、いきなり二言目で用件を告げられても困る。

晩酌だと、そんなもん知るか。一人で勝手に呑めばいい。

そんな心の声を、まんま口にできたらどれだけ楽か。

「今から?」

「今から」

「……へいへい、分かりました」

肩を落として、仕方なく了承した。

嫌なら嫌と言えばいいのに、なんだかんだで付き合ってしまう自分が恨めしい。

意志が弱いのか、式姫に甘いだけなのか。

陰陽師の体面を保つ為、ここは後者という事にしておいて欲しい。

 

季節は初秋。

暑くもなく寒くもない、ちょうど過ごしやすい時季である。

夜は滅多に誰も通らない、離れへと続く廊下。その縁側の一角に、俺と葛の葉は座っていた。

どこからか、蛙の鳴き声が聞こえてくる。あとひと月もすれば、代わりに秋の虫達が演奏会を始める頃だろう。

夜空には月が出ていたが、残念ながらここからは見えなかった。

青白い月明かりだけが、互いの胸の辺りまで降り注いでいる。

「…………はぁ」

隣で葛の葉が美味そうに酒を呑むのを、俺はため息交じりで見ていた。

部屋に敷いたままにしてきた布団への未練だけではない。

不本意だが酒が呑めるならまぁいいかという小さな期待が、見事に裏切られたからである。

「どうかしたの?」

「いや、別に」

どうもしないのに、溜息が出るもんか。

葛の葉は、晩酌に付き合ってくれと言ってきた。なるほど、確かにその言葉に間違いはない。

ここに腰を下ろすまで、予想すら出来なかったのだ。

俺の分の酒が用意されていないなんて、そんな馬鹿な話があるか。

まさか一人分しかない酒器を二人で交互に使うなどとはあり得ない。

竹馬の友と呼べる程の間柄ならともかく、知り合ってまだ日が浅いというのもあるが、葛の葉との友好度は断言できる程に低い。

いや、友好度など関係なく、葛の葉がそんなガサツな真似を許す筈がないのだ。

上に立つ者としての自覚がそうさせるのか、愚鈍な俺とは対照的に彼女の所作には気品がある。

しかし、その一方で主を椅子にしようとするのはいかがなものか。事あるごとに断ってはいるが、恐らく本人の気が変わる事はない。

「何ぼーっとしてるのよ」

「え?」

「ほら、注いで」

手持無沙汰にしている俺に、徳利を押し付け――いや、渡してきた。

「あぁ、すいません……どうぞ」

何故俺は謝っているのだろう。というか、俺は何しにここに来たんだっけ。

徳利を傾けながら、チラリと彼女の背後に視線を向ける。

薄闇の中でもよく映える白い尾は、あらゆる色――すなわち汚れを寄せ付けまいとする彼女の意志が表れているようだ。

本来、白はあらゆる色に染まりやすいという性質を持っている。それを白のまま保つという事は、並大抵の努力ではないだろう。

葛の葉の本質を理解していない俺には、それを染める事も触れる事も許されない。

口をへの字に曲げながら時が経つのをじっと待っていると、

「ご主人様、鷹匠は知ってる?」

たかじょう? あぁ、鷹匠の事かな。

「あれか、鷹を使って狩りとかする人――」

「違うわよ。鷹に使われる人間の事よ」

即座に否定された。一体何を言っているんだ?

「ちょっと待て、訓練とか仕込みとか、色々面倒を見てるのは人間の方だろう」

「はぁ……勉強不足ね」

今度は葛の葉が溜息をついた。

「訓練も仕込みも、鷹を扱えるようにする為のものではないの。鷹に気に入られるようになる為の作法よ」

「なんだそりゃ」

「ご主人様。『鷹』はね、その辺の『犬』や『猫』とは違うの」

出来の悪い生徒に言い聞かせるように、葛の葉がゆっくりと言った。

「羽が生えてるもんな」

「そこじゃないわよ。餌を与えようが頭を撫でようが、鷹は人間になついたりしないの」

「…………」

学ぶ機会はあれど、鷹の習性を気にした事など一度もなかった。

酒を一口も呑んでいないのに、口を開く度に自分の愚かさが露呈していく。

「けど、鷹匠と鷹は仲が良いんだろう?」

「仲が良い、というのは少し違うわね。信頼関係で結ばれているのは確かだけれど」

……もう俺、黙っていた方がいいのかな。

「鷹が親指に乗っているのは見た事あるわよね」

「あぁ」

「どうして親指に止まっているのか分かる?」

「それは……かっこいいから?」

葛の葉がさっきより大きなため息をついた。

あぁもうダメだ、頭を抱えてうずくまりたい。

「鷹にとって、そこが一番居心地が良いからよ」

「あぁ、なるほど……」

「あれにも相当な訓練が必要なの」

「たかが止まらせるだけなのに?」

「そうよ」

葛の葉の猪口が空になっているのを見て徳利を差し出したが、彼女は首を横に振った。

「それに鷹狩は、妖怪退治と似ている所が多いわね」

後で知った事だが、鷹狩はただ鷹を飛ばして獲物を狩るのではないらしい。

周辺の地形、獲物の特性、鷹の動きや風向きなど、あらゆる情報を計算に入れて鷹を飛ばすのだそうだ。

「鷹狩か……」

戦うのはあくまで式姫であり、俺は関係ないと見て見ぬフリをしていた。

今のままでは駄目だ。技量を磨く前に、まず意識から改める必要がありそうだ。

気まぐれに飛び去ってしまう前に、気に入ってもらう努力を重ねないと。

そうでなくては、この式姫とは信頼関係は築けない。

「……?」

俯いている俺を、クスクス笑いながら見つめている葛の葉。その意図は読めないが、ここに至ってようやく気付いた事が一つある。

あぁ、だから俺の分の酒が用意されていなかったのか。

酒の代わりに、自分の言葉を主に呑み込ませる為に。

「さて、と」

空になった猪口を置いて、葛の葉がこちらへもたれかかってきた。

「ちょ、葛の葉……」

困惑する俺の膝に頭を乗せて来る。結果、意図せず膝枕をする体勢になってしまった。

「葛の葉様、でしょ。少し休ませてもらうわね」

目を閉じたまま、葛の葉が呟く。また勝手にこの狐は……。

「ここは枕ではございませんが」

「止まり木よ。居心地が良ければ、今度から名前で呼んであげる」

いや、別に名前で呼ばれても嬉しく……まぁちょっとは嬉しいケド。

「…………」

月明かりの中で間近に見る葛の葉の顔は、心臓が高鳴る程に綺麗で。

その心拍を聞かれまいと何度も深呼吸するという間違った努力を強いられる程だった。

 

右手を開いて掌を見つめる。今はまだ、彼女の満足する止まり木には程遠い。

それでもいつか、この気難しい鷹の頭を撫でられる日が訪れますように――。


 
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