No.1001245

小料理屋「萩」にて 第一夜 童子切 七

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/999933

童子切のお話はお仕舞いです、次のお客は。

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2019-08-08 00:04:30 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:611   閲覧ユーザー数:602

「外法……」

 童子切の言葉に、仙狸の視線が中空を彷徨う。

 壺中に人を閉じ込め酒で溺死させようとした、仙人崩れの道士。

 そう呟く仙狸の顔が、何かに思い当たり、強張る。

「……人酒(にんしゅ)か」

「ええ」

 正解と頷く童子切の顔も、当時を思い出したのか軽くしかめられる。

 酒を愛する二人からすると、最低最悪の術。

 蛇や雀蜂を漬け込んだ酒には、それら強壮な生物の精髄が溶けだし、打ち身などの薬として重宝な物となる。

 同じように、薬草などを漬け込み、その香りや薬効を酒に溶かし、それを呑む事もある。

 最前仙狸が出した、菊酒や岩魚の骨酒も、その類と言えない事も無い。

 そう、酒精はそんな風に漬け込まれた物の精髄を溶かし出す効能がある。

 そして、酒に人の精髄を絞り出した物は。

「仙人になり損ねたとはいえ、その欲求が無くなる訳では無いか」

 人を漬けこむ人酒は、いわば人の命を呑み、その身に取り込む不老長生の妙薬となる。

 だが、それは同時に人の強い怨念や憎悪を、溶かし込んだ酒でもある。

 そんな物を呑んでいては、いかに長生を得ようと、その精神が、遠からず無明の闇に閉ざされるだろうに。

「……まぁ、そんな道理を弁えて居ったら、そも人酒なんぞ造ろうとは思うまいか」

「ええ、金、権力、愛、そして寿命に目が眩み道を踏み外すのは、ある意味人の生その物ですからねー」

 あっはっはと乾いた笑いを上げて、童子切は肩を竦めた。

「さりとて欲無くば、人のみならず世界が動かんのもまた事実じゃでな……まぁ、わっちらはささやかな食欲を楽しむとしようさ」

 これが、最後の一品じゃ。

 青釉が流れ、青紅葉の添えられた皿に踊るのは、鮎の塩焼き。

「鮎はやはりこれですかー」

「新鮮な物を持って来てくれたのだ、塩焼きが一番じゃろ」

「確かに」

 鮎が出てくる時に、さりげなく替えられていた瓶子から酒を注ぐ。

 人肌程度に付けられた燗から漂う酒の香を楽しみながら、口に含む。

 最前までのお酒とは違う、全体に味が穏やかに抑えられたそれが、するりと喉に滑り込み、上品な風味を口中に残す。

「これはまた、澄んだ美酒ですね」

「最近出回り出した物で、少し強めに米を研いでから仕込むのだそうじゃ、酒に出来る量は減るが、中々に品が良い」

 酒好きには物足りぬかもしれぬが、鮎のような臭みの少ない魚には、この位が丁度良いかと思うてな。

「普段呑みでは上品すぎますが、これは合いますねー」

 秋の鮎は青苔を食すが故に、生臭さが余りない。

 胡瓜を思わせるさっぱりした香りに、さっと振られた塩が甘やかに染みた白身の旨さは、やはり格別。

 そして、その口中に残る感触をさらりと流し去り、鮎を初めて口にしたかのような感触を、再び取り戻させてくれる酒。

 気心の知れた人と言葉で戯れながら、こんな時を過ごす。

「……生きる上で、これ以上、何を求める必要があるんでしょうねー」

「仙人の修業は挫折したけど、不老長寿は欲しい」

 童子切は僅かに血の滴る刀を提げたまま言葉を続けた。

「故にこうして人を壺中に閉じ込め、酒に漬け込みその命の精髄を絞り出しそれを呑む事で、寿命を長らえる」

 仙人に限らず、術を修業する者には、誘惑が多い。

 師の下で学ぶ折々に、もっと短時間で、欲しい成果を得る邪法、外法を知る機会は常にある。

 それに比して、正しき修行を完遂するために必要な膨大な時を前にした時、大半の人は、その誘惑に負ける。

「だけど、大陸でこんな外道をやっていれば師匠に見つかるから、日の本に逃げて、人目をはばかり、妖怪さながらに、惨めに露命を繋いでいる……」

 安酒場で、身より便りも少なそうな連中を何人か取り込んで、また旅の先で同じことをする。

 変わった物を持っていても、何処に居ても、明日旅立っても、誰も不審に思われない。

 商人という立場は、その意味では極めて重宝。

「大方そんな所でしょう?」

 童子切の言葉の正しさは、彼の冷静さを失い血走った眼光に顕れていた。

 彼女の明敏さの刃が、彼の虚飾に斬り込んだ。

「妖怪……そして、露命……私が?」

「そうですねー、霞を食べるのが仙人で、人の命を餌にするのを妖怪だとするなら、紛れも無く」

 わなわなと震える唇が童子切には見えた。

 その震える口が怒りを押し殺して声を吐きだす。

「貴様に何が解る、私はこれでも数百の時を閲してきたんだぞ!」

「数百年、人の命を呑んで生きててその程度では、私が首を刎ねた酒呑大妖怪の遥か下ですね、としか……それはそうと」

 童子切は軽く肩を竦めた。

「逆に聞きたいんですが、貴方は私たちの何を解ってて、自分の餌にしようとしたんです?」

 結局、誰にも、他者の事は何も解りはしないのだ。

 解っていたと思っても、そんなのは表面的な物に過ぎなくて……。

 でも、解らないからこそ、その生き方と、生その物を尊重する事は出来る。

 その理解に至れなんだ時点で……彼には最初から、天地と共に悠久の時を生きる資格自体無かったのだろう。

「解る、何を解る必要がある?お前たちなんてどうでも良いじゃないか」

 男の言葉に、店主や漁師の顔が険しくなる、そして、童子切は白っぽく光る眼を彼に向けたまま無言。

「だが、私だって鬼じゃない、これでも選んでやってきたんだ。家族が居そうな奴とか、幸せに生きてそうな奴とかは省いて来た、だから、私はこんな貧乏酒場で帰る所も無く呑んだくれてる奴だけ狙ったんだ」

 社会で無用の、生きてる意味も無いような奴だけ狙った……いわば掃除さ、私は悪い事なんて何もしちゃいない。

「好きにほざきやがる……」

 漁師が酒の海にべっと唾を吐く、その傍らで、童子切が冷やかに笑った。

 

「その理屈で言えば、仙人になり損ねた貴方も、大してこの世に必要ないんじゃ無いですかね?」

 

 童子切の言葉に、びくりと男の肩が震える。

 あれはかなり痛い所に刺さったな……。

 色んな人を見て来た店主の親父には、童子切の言葉が、彼の心の急所を貫いたのを確かに見て取った。

「私が……必要ない?」

 ややあって、絞り出された声を聞いて、童子切は僅かに不審そうに目を細めた。

 声音が変わった。

 いや、そもそも、その声は私たちに向けられた物では無くて……。

 あらゆる術を片端から見ただけで身に着けて行った……あいつ。

 それまで、私がその場所に居たのに。

「私よりずっと後に弟子入りしたのに……それなのに」

 彼はもう童子切や、この店の面々の事など見てはいなかった。

 童子切に斬られた心の傷口から溢れたのは、忘れようとしていた過去。

「あいつ、その辺をひょろひょろ歩き回りながら絵を描いてただけなのに……」

 仙骨が見えたから連れて来た、そう師が言っていた……その時はまだ幼い少女だったあいつ。

 好きだと言う絵を、がりがりと地に枝で書いてばかりいた……。

 確かに絵は見事な物だった、だが、あいつは修行も、練丹も何もしなかったっていうのに。

(あの子はあれで良いんだ、描くという事は、世界を見て、そこに没入する事でもある……それは天地自然と人の身心を一体にする入り口となる)

 壺中に遊び、画中に分け入り、逆に描いた世界をこの世に現出させる。

 それは世界を自在に遊ぶ事。

 絵を書く、壺を焼くというのは、そういう別世界に遊ぶための入り口となり、ひいては仙への道となる。

 だが、その道を通れる人と、通れない人は居て。

 それは能力の優劣では無いのだと。

 ……あの子は、お前とは違うんだ。

 羨んではならぬよ。

 人は、畢竟己の道しか歩けぬ物なのだから。

「何でだ……何で私の血のにじむような努力と苦労が報われず、あいつが……」

「ははぁ……」

 弟弟子に先を越されましたか、と口にしかかって、童子切はその言葉を口中に呑み込んだ。

 仙人になれるかなれないかは、仙骨という、いわば生まれつき持つ仙人の素質が重要だと聞いた事がある。

 そして、それは、人の努力でどうにかできる物では無い……とも。

 残酷だが、世の中そんな物。

 彼の断片的な独白を聞きながら、童子切は内心で頷いた。

 

 自分たちが封じられたこの壺は、彼その物なのかもしれない。

 無限を求めつつも……天地に向かって己を開く事も、その気を取り入れる事も出来なかった。

 人の器を超える事の無かった、せせこましくて、満たされる事の無い。

 

「私は……仙人になりたい、死にたくないんだ、老いや病に苦しむ生は真っ平なんだ!」

 梁の上で、空を見上げる。

 あの空の色と同じ目の色をしたあいつの顔が浮かぶ。

 美しく……この世の誰よりも憎い。

 兄弟子さん、私は別に何もやってないのよ。

 ただ普通に、したい事をしていただけ。

 それだけで、仙人になれるの。

 ね、簡単でしょ?

 

「嫌だ!私は……私は!」

 

 男の体が唐突に梁の上から跳ねた。

 空を飛ぶ仙人に成れなかった男だが、安普請の酒場全てを揺らすような力で梁を蹴り、空に向かって。

 その姿が、空の半ばでふっと消えた。

「あの野郎、どこへ?」

 店主の親父の言葉が終わる前に、酒が再び、音を立てて、偽りの空からざぁと降りだした。

 そして、急速に、空が闇に覆われていく。

「夜?」

「いえー、恐らくこれは」

 封。

 天を睨んだ童子切の言葉が終わる前に、世界が闇に閉ざされ、雷が轟くような音が響く。

 いや、それは、一人の男の甲高い笑い声だった。

「私は死なない!死ぬものか!」

 例え仙となれずとも。

 その声が終わると共に、更に酒の雨が勢いを増す。

 光も差さぬ闇の中、しぶとく燃え残るたった一つの鯨油の灯りがぼんやりと店内を照らす。

 酒の雨が勢いを増す、時折火明かりを反射する、足下に迫る酒の海の面を見て、店主の親父が童子切に怒鳴った。

「あんた、なんであいつをさっさと斬っちまわなかったんだ!」

 その言葉に、童子切が居た辺りから、低い微苦笑が返ってくる。

「あの人を斬るのは、まぁ、出来なくも無かったんですけどねー」

 降りしきる酒に濡れ、額に掛かる髪を、童子切は鬱陶しそうに手で払った。

「でも、そうしたら、どうやってここから出るのか、判らなくなっちゃうじゃありませんか」

 いつの間に抜き放っていたのか、今はその手に白刃を携え……。

「姐さん……あんた、何を言って?」

「❝視え❞さえすれば、斬る事も適うんですよー」

 たん。

 軽やかな音、だが、その音の下で、卓が真っ二つに割れる。

 童子切の体が、酒が降りしきる夜の帳を貫いて天に舞う。

 一面の黒。

 だが、童子切の目には、その夜の帳のような一面の黒の中に、歪みがはっきりと見えた。

 あの男が消えた、世界の境界。

 

 閃。

 

「おお……」

 店主と漁師、そしてしょぼしょぼと酔眼を上げた老爺はそれを見た。

 細い細い三日月が、しら、と輝いた。 

 闇の中で、一人輝く孤独な刃。

 その三日月が徐々に拡がる。

 さながら、夜の帳を引き裂く様に。

 天が裂けていく。

 

「ああ……止めろ、止めてくれ」

 あの男の、情けない声が、裂け目から降ってくる。

「これにて、酔っ払いたちによる茶番も終幕、そして」

 

 からり。

 

 小さな壺が割れて転がる、乾いた音が辺りに響く。

 いつの間にか、あの、薄暗い店内に、童子切達は立っていた。

 降りしきる酒の雨も無く、足元を浸す酒も消え、乾いた土の床に、一人うずくまる男。

 その目の前で、割れた小さな壺から、酒がとろりと零れ、乾いた土の中に浸み込んで行く。

 その酒に縋りつくように、男は土に口をつけ、顔中を泥まみれにして、泣きながら舐め始めた。

「ああ……ああ、私の命が、人酒が」

「貴方も不死の迷妄から、覚める時ですよー」

 第一夜 店じまい

 

「私の話は、これでお仕舞」

 これ以上は蛇足でしかありませんからね。

 淡く笑う口に、酒を含む。

「酒代程度にはなりましたか?」

「こちらから一杯進呈したくなる程度には、の」

 日向で寝っ転がっている猫宜しくの満悦した表情で、仙狸は最後の酒を童子切の杯に注いだ。

「出禁にならずに良かったです」

 どうも話下手なもので。

「ご謙遜じゃな」

 簡にして要を得た話しぶりは、戦陣に身を置く彼女らしい物ではあったが、その間の風景の描き方や、僅かな諧謔と自省の混ざる述懐は、彼女が都育ちである事を思わせる物。

 さりげなくだが、洗い桶の中で食器を拭いだした仙狸の姿を見て、童子切は最後の杯を干し、雫を払ってから、それを卓に伏せた。

「常は、月と虫の音を共に呑んでいましたが……こういう風に呑むのも良い物ですね」

 ごちそうさまでした。

 ほんのりと紅の乗った頬に艶とした笑みを浮かべて、童子切が席を立った。

「酒呑みにそう言って貰えれば、店を出した甲斐もあるという物じゃな」

「また伺いますよ、そうそう話は用意できませんが」

 羽織をふわりと纏い、腰に己が分身を無造作に落とし差す。

 ……そういえば、あの頃はまだ、太刀として佩いて居たんでしたっけ。

 思えば、どれ程の旅を重ねて来たのか。

 だが、その旅路も、こんな休憩所が有るなら……。

「なに、今宵の分で、一生分は先払いして貰ったような物じゃよ、今後も気楽にご贔屓に頼む」

「ふふ、判りました、またお言葉に甘えますね」

「ああ、ではおやすみ」

 仙狸の声に会釈を返し、童子切は店の外に出た。

 虫の声が更に大きく聞こえる。

 夜空には斬れそうな程に冴えた三日月。

 まだ、私の旅路は、あの場所に手が届かないけど。

「……いつか、辿りつけますよね」


 
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