No.999933

小料理屋「萩」にて 第一夜 童子切 六

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/999428

いよいよ、明日の昼で式姫の庭のサービスが終了ですが、実感無い物ですね……。

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2019-07-24 00:29:31 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:190   閲覧ユーザー数:182

 ひたひたと足元に迫る酒から漂う濃密な酒精が、店内に満ち、皮膚から体内に浸み込んでくるような感覚。

 もう、呼吸をしているだけで、全身に比喩抜きで酔いが回っていく。

 立っていられない様子で、商人と漁師の男が、腰が抜けたように、力なく卓の上に座り込む。

 まぁ、彼らは正しい、よろけた拍子に酒の中に落ちてしまっては、助けるのも困難。

 いや、そもそも命を賭して他人が自分を助けてくれる保証など無いではないか。

 とはいえ、こうして彼女たちを呑み尽くそうと酒の水位が上がっている現状では、どの道、時間の問題か。

(それにしても参りましたねー……)

 こうして感覚を研ぎ澄ませても、何も感じない。

 何か異常がある筈なのに。

 それに気が付けぬのは、我が剣の技の未熟さなのだろうか。

 私の旅は、ここで出来損ないの奈良漬けよろしく終わるんだろうか。

 三日月……。

 

 童子切、貴女は心の虚無を酒で埋められる。

 私は、血でしか埋められない……虚ろな方が幸せな。

 ……空っぽであるべき存在。

 

 あの唐突な別れの前日に、彼女と交わした最後の言葉を思い出す。

 その続きを聞きたくて、そして彼女に伝えたい事が有って……。

 彼女に……伝えたかった事?

 

 ああ。

 

 私は間違っていた。

 とっくに気が付いていたのに。

 この濃密な酒の気に当てられた訳ではないが……私は何と。

 

 鹿皮の沓の先に、水たまりに足を入れた時のような冷たさを感じ、童子切は我に返った。

 卓の高さまで酒が迫っている。

 時が無い……まだ確信は無いが、賭けてみるしかあるまい。

「この調子では皆で仲良く溺死ですかねー」

 あっはっはと笑い出した童子切に、店の親父が心底憎らし気な顔を向けた。

「何が楽しいってんだ、姐ちゃんよ!」

「人生の諧謔に思いを致し、我が身の不運も笑い飛ばせるようになって、初めて人間一人前って物ですよ。順境にあれば、誰でも偉そうな口は叩ける物ですから……まぁ、それはさておき」

 童子切は笑ったままの顔を商人へと向けた。

「商人さん、どうせ最後です、私の好奇心を満足させて貰えませんかー」

「こ……好奇心?」

「ええ、古より猫と人を殺し続けて来た、厄介な感情」

 波打つ酒が、童子切の乗る卓の角で、パシャリと弾ける。

 童子切のほっそりした指が、すっと商人の胸元を指し示す。

「その大事に抱えた行李の中身……一つ見せては頂けませんかー?」

 

 童子切の言葉に、一同の視線が商人の手元に集まる。

 酒に濡らすまいというのか、この期に及んでなお、懐に入れるようにして胸に抱いた柳行李。

「な……こんな時に何を?」

「こんな時だからこそ、疑問を抱いたまま死ぬのも嫌だと思いまして―」

 命の危機に臨んで尚、そこまで大事にする程の品、いかなる物か拝見したく。

「お、お断りですよ、これは大枚叩いて贖った、宋渡りの高貴薬ですが、見て面白い物じゃありませんよ」

「齧らせろと言ってるなら兎も角、見せても頂けないとは」

 酷い話ですねー。

「別に意地悪を言っている訳ではありません、薬種は物によっては湿気に晒すと駄目になるんですよ!」

「なるほど……売るつもりがまだある、つまり貴方はこの状況から生きて帰れるあてが有る、という事ですかねー?」

 童子切の言葉に、ぎょっとしたような顔をした一同が、慌てて商人を見やる。

「い、言いがかりもいい加減に」

「すみませんねー、でも、そんなに頑なだと、色々疑念を感じちゃうのは人の性」

 お互い、疑惑を残さず、静かに死にましょうよ。

 商人は、童子切の言葉と、それを聞いて、すぐ隣の卓からこちらを絞め殺しそうな顔をして、今にも手を伸ばしそうな漁師の男の姿を見て、泣きだす寸前の顔で立ち上がった。

「よ、ようございますよ、見せればいいんでしょ、見せれば!」

 暗い店内で、商人は柳行李をくくった紐を解き、ふたを開け、中身を一同の前に晒した。

 紙の上に乗った、何か黒い小さな物の塊が童子切の鋭い目には見えた。

「……あれは」

「も、もういいでしょう、私の事はほっといて下さいよ!」

 蓋をして、行李を抱え込み、商人は一同に背を向ける様に座り込んだ。

「……で、姐さんよ、この一幕には何の意味がありなさったんで?」

 店主の口調に疲れと諦念が滲む。

「意味は、多分私ともう一人くらいにしか無かったと思いますけど」

 ばしゃん、大きめに揺れた酒の面が、壁にぶつかり、飛沫を散らす。

「多分見られるだろうなーと思った物と、そして」

 童子切の目が鋭く細められ、束に置いた手が僅かに動き、鯉口の切られる金属の擦れる音が、店内に微かに響く。

「あるべき物が無い事を……」

「無いって……何が」

 店主の問いかけを無視して、童子切は商人に顔を向けた。

「ねぇ、商人さん」

「何なんです、今度は何です?」

「いえ、大したことじゃないんですけど、そんな罌粟汁(けしじる)の塊より、もっと大事な高貴薬が足りなくないですか?」

 薬の正体をずばりと言い当てた童子切の言葉に、商人がぎょっとした顔を向ける。

「あ……あなた一体?」

「罌粟汁、なんじゃそりゃ、あの黒いのがか?」

 当然だが、一介の漁師や酒場の店主が知っている薬では無い、理解が追い付いていない一同をちらりと見て、童子切は肩を竦めた。

「ええ、あのケシ坊主から取れる、鎮痛に使える貴重なお薬ですよ、白い汁を固めるとあのような黒い物になるんですけどねー」

(上手に用いれば最高の薬だ、だが同時にあれは、肉体だけでは無い、精神の痛みも甘やかに覆い……やがて、それのもたらす夢なしではいられなくなり、やがて死に至る安逸の陥穽(かんせい、落とし穴)なんだよ)

 もう助からない程の傷を負った武士に、最後にそれを飲ませてやりながら、淡々と、だが、どこか悲し気に名医の熊野が語ってくれた言葉が蘇る。

 確かにケシの汁を固めたあれは貴重な薬……だが、彼はそれ以上に大事な物を持っていた筈。

 この日の本では、未だ高貴な人の楽しみに供されるだけの。

「その重さの十倍の金に匹敵すると言われた、それを納めた」

 童子切の足首が酒にひたる。

 常に眠る様に細められている目が、すうと開いた。

 

「お茶壺は、どうされたんです?」

 

 店内に、白く酒が飛沫(しぶ)き、薄暗い店内で銀光が一閃した。

 その気配も見せぬまま、卓を蹴って跳んだ童子切が、商人に抜き打ちの一刀を浴びせた。

 かなりの力ある物の怪ですら両断する神速の一刀だったが、僅かな手応えだけを童子切に返す。

(仕損じた!)

 商人と入れ替わる様に彼の居た卓上に着地した童子切が、キッと上を睨む、その白皙の頬に走った一筋の傷から、つうと血が伝う。

 ひい、という驚愕の声と共に、ぽしゃりと軽い水音を立て、老爺が梁から酒の海に落ちる。

 それを慌てて店主が引っ張り上げる、だが、そちらに注意を向ける余裕は無い。

 老爺のしがみついていた細い梁に、商人の男が片手でぶら下がっていた。

 その右脚の膝の辺りに受けた傷から、血が絶え間なく滴る。

「……何処で気が付いた」

 黄色く光る金壺眼が童子切を睨む。

 それに対して刀を向けながら、彼女は静かに言葉を返した。

「旧友に教えて貰っただけですよー」

 満たされる事の無い心を抱えて彷徨う虚ろな器。

 それを満たす何かを、一緒に探してやりたくて……。

「そう、判ってみれば、ここにお酒が注がれるのも、至極当然……この世界は元々、物を納める為の場所なんですから」

 酒の雨が止んだ天を、童子切が睨む。

「貴方の手元にあったお茶壺は無くなったわけでは無い……逆にあの中に、私たちが居るんですからねー」

「……く」

 追い詰められた、商人の振りをしていた男の顔が、その時、何かを理解したように奇妙に歪んだ。

「お前は……そうか、その力、その明敏さ。噂に聞いた事があるぞ、この国の呪術が集大成」

 神に比肩する大妖怪と、人が戦う為に、神霊の力を顕現させた、大いなる存在。

 

「式姫……」

 

「良くご存じで」

 くすりと笑ってから、童子切は酒の重みに耐えかねて抜けた屋根の向うの空を……いや、「入口」を睨んだ。

「そして貴方は何でしょうね、大方修行に耐えられず逃げ出した、大陸の道士崩れ」

 そんな所ですか。

 返事が無いのは、正鵠を射た証か、童子切は言葉を続けた。

「逃げるにあたり、貴方が師から持ち出したのが、この仙術の真似事ですかねー」

 本来は広き世界を、小さな瓶の中に作り出し、その中で自在に遊ぶ、有名な仙術の一つ。

「壺中天」

 

「なるほど……そういう事であったかよ」

 ふむ、と仙狸は童子切の今までの話を思い出していた。

 突然の雨、夜とも昼ともつかない曖昧な時、国と国とが交わる港、雑多で得体のしれぬ人が、それこそ日の本の民も異国の民もお構いなしに訪れ、そして立ち去る店。

 そういう、境を曖昧にする場所や時や状況は、人を異界に誘い込みやすいのだ。

 そして、もう一つ。

「そやつ、あらかじめ鯨油の中にケシを入れ込んで置いたのじゃな、店主が火が灯す事によって、ケシの煙を店内に満たし、その幻惑の力を借りて店さら壺の中にお主らを取り込んだか」

 鯨油の匂いで、特徴的なケシの香りを消す効果もあったのだろう……童子切が最初それと気付けなかったのもその為。

 どうじゃ、と目で問いかけて来る仙狸に向かい、童子切は一つ頷いた。

「ご明察ですよー」

 仙狸の洞察力は相変わらずだ、その場に居た訳でも無いのに、童子切の話だけで、あの時の状況を、ほぼ完璧に頭の中に描き出したか。

「しかし判らぬな……」

 ほっそりした指を顎に当てて暫し仙狸が考え込む、その美しい佇まいを見ながら、童子切は杯を口に運びつつ、うっすらと微笑んだ。

「仙狸さんにも判らない事が有るんですかー?」

「わっちのような化け猫では、知っとる事の方が少ないに決まって居ろうがよ」

 苦笑した仙狸が、自分も手酌で一杯口に運ぶ。

「そやつ、何故左様な面倒な真似をしたんじゃ?」

 悪戯でもあるまいし、童子切の話を聞く限りでは、単純に人を殺して楽しむ類の輩とも思えない。

 その理由が良く判らない。

「理由ですかーそうですねぇ」

 童子切が、それを思い出したのか、僅かに辟易した表情を浮かべる。

「外法ですよ……悪趣味極まる」


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