日本ゼロ年展
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革命から遠く離れて
横尾忠則
1936年生まれ。60年代後半、アングラ演劇の運動体となった唐十郎の「状況劇場」、寺山修司の「天井桟敷」のポスターを制作。卓越したポップアート性はウォーホルにも比され、状況劇場『腰巻お仙―忘却篇』のポスターは、70年ニューヨーク近代美術館で開催の世界ポスター展で60年代を代表するポスター第一位に選ばれ世界的な評価を得る。80年同近代美術館でピカソ回顧展に衝撃を受け、82年の「画家宣言」以後は絵画を中心に活動。近年はマッキントッシュを導入したCG制作、自身のオカルト体験をモチーフにした作品が目立つ。

横尾忠則は大きく三系統の作品群(CG、絵画、インスタレーション)を出品していたが、共通するモチーフは「日本人と水」だ。

まず六点が並んだ紅絵は、どれも不思議な印象を残す作品なのだが、とりわけ『宇宙蛍』は清流の川べり、に架けられた橋、橋を歩く足、淡い光の蛍、同じ光の銀河、そして茫洋とした宇宙……と、気持ちの良い連想に耽ることができる。『水の回路』も洗面所まわりのありふれた水道管システムを描くことで、窓から覗く青空をむしろ孤絶したものに見せている。またところどころに散りばめられた性的なモチーフは、前衛的なエロスに加担していた名残だろう。

インスタレーション『瀧狂』は圧巻だった。それは五千枚を超える滝のポストカードを前方、上下、左右と五面に配した、暗い部屋のように見える。床にあたる下部は黒々としており、まるで水をたたえた闇夜の淵だ。しかも作品保存の理由からこの「部屋」にあがる前に、僕たちは靴を脱がなければならない、どこまでも日本的な手続きが要求されるわけだ。この突如として現れた純日本的な空間で一万三千枚の絵葉書から2.6の倍率で厳選された滝を眺めていると、たとえそこに外国産の滝が混ざっているとしても、日本人の滝好き=狂いをしみじみと感じてしまう。そして最先端システム「マッキントッシュ」で制作されたCG作品は秋の奥日光的風景をいびつに描き出し、『地の鼓動』は紅葉真っ盛りの基督教聖堂のなかで、左右に位置したインド神が文字どおり滝のような涙を流すのだ。

しかしこのように「忠実な」展評を行うということは、それだけゼロ年展の横尾に刺激が足りなかったことを意味する。有り体に言うと、僕は60年代の横尾を見たかった。もっと正確に言うと、67、8年に状況劇場天井桟敷のために描いた苛烈に前衛的なポスターを、日本の前近代とモダニズムが恥ずかしげもなく結合を遂げた作品群を見たかったのだ。かりにこれらのポスターが展示されていたとすれば、60年代後半「状況劇場」の横尾忠則が、90年代後半『戦争画RETURNS』の会田誠であること、あるいは『少女革命ウテナ』の劇場版予告に見られた切り絵感覚と結びつくことが、見事に連想されたはずなのだ。そして横尾の加担したアングラ演劇が大きな運動となる一方で、会田のアナクロニズムが本人が語るように「拍子抜けするほど」反発も抵抗も受けない事実に、状況の残酷なまでの変貌ぶりを率直に読み取れただろう。

そうした残酷さを受け止めながら、アメリカ人に怒られたい一心でニューヨークへと旅立つ会田と比較すると、鈴木光司『バースデイ』のカバー絵で、自身の絵柄が持つ神学っぽさを消費している横尾の能天気ぶりはやはり残念だ。「現実」の緊張感とシンクロできなくなった、というより60年代の緊張感が消滅したときに横尾はもう終わっていたのではないか。いまの彼は霊界との高いシンクロ率が売りの、オカルトチックな絵を描く媒介装置と成り下がっていた。

(編集部/相沢 恵)

状況劇場
劇作家、俳優の唐十郎が旗揚げ。横尾がポスター制作した作品をあげると『由比正雪』『続ジョン・シルバー』『腰巻お仙―忘却編』

天井桟敷
寺山修司、東由多加、横尾忠則らが結成した「演劇実験室」。横尾は『青森県のせむし男』『大山デブコの犯罪』の美術担当。

アングラ演劇
60年代後半に唐十郎、寺山修司らによって旗揚げされた劇団による「新しい演劇」を志向した運動のマスコミ的な総称。これはフランスの五月革命、日本の全共闘運動など、同時代的な反体制運動の高まりの渦中、なかば必然的に生まれた動きといえる。

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