タニグチリウイチの出没!
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タニグチリウイチの出没!

この夏に『幕張メッセ』で大々的に開催された『第40回日本SF大会SF2001』も、もともとは東京の目黒公会堂で1962年5月27日に第1回目の『MEG-CON』が開催されたのがスタート。最近でこそ数千人が集まり、数日間にわたってSFづくしのお祭りが開かれるようになっているけど、最初はそれこそ数百人規模でSF好きが集まって、和気あいあいとした雰囲気のなか、議論をしたりプロの話を聞いたりして楽しんでいたらしい。40回を数える大会だけに、そのスタートを当然ながら知らないけれど、もし、その場所にいられたら、SF限定ながらもその歴史書に、1ページが加えられる「決定的瞬間」に立ち会えたのでは、なんて思いを抱いてしまう。ちょっとプチすぎ?ファンにとってはプチもプチじゃないってことで。

第0回ティーンズノベルフェスティバル
憧れの作家を間近に見られて話も聞けるイベントに出て損なことはない。憧れが崩れる可能性? 否定……しない。

なにかが始まる瞬間に、もしかしたら大きなものになるかもしれないイベントが立ち上がる瞬間にいられるか?そんな想いとちょっぴりの下心もあって、のぞいてみたのが10月13日に東京・信濃町で開催された、『第0回ティーンズノベルフェスティバル』だ。ティーンズノベルとは、ようするに電撃文庫とか角川スニーカー文庫とか講談社ホワイトハート文庫とか集英社スーパーダッシュ文庫とかいった、イラストがついていてマンガを卒業したティーンがマンガのように読んで楽しめる小説群。ここに挙げたほかにもたくさんのレーベルが出版社から、毎月それこそ100冊に迫る新刊が出ていて、本屋でもちょっとした勢力になっている。

もっとも、売れていることと集まって交流したいファンが多いこととはまた別の次元。イベント自体、直近までほとんど話題が盛り上がなかっていたことから考えると、あるいは集まっても30人ぐらいのこぢんまりした”集会”になるのかも、なんて想像をしていたらこれがいい方向にはずれた。オープニングの会場には、ゲストの人たちも含めて50人くらいの人が来ていて、席の埋まり具合はまばらではあったものの、まあそれなりに人が来ているな、ってな印象だけは受けた。

続けてスタートした企画では、秋津透氏と一条理希氏と伊東京一氏が出席して三村美衣氏が司会を務めたパネルの場合、場所がホールから会議室に変わった関係もあって、用意された40席から50席程度の席がだいたいいっぱいになる盛況ぶり。裏番組の丹野忍氏、山本京氏によるイラストレーターのパネルにも、まあそれなりに人数が来ていたことを考えると、セミナーでは先輩格の『SFセミナー』でもやらない、複数企画の同時実施に抱いていた客より講師の方が多いという、サイアクの事態はとりあえず回避されたことになる。

もっとも、集まっている人たちのどれくらいが、ティーンズノベルを主に読んでいる人たちだったかは微妙なところ。イベントの中で「ティーンいる?」と聞かれて手を挙げた人のヒトケタ程度しかいなかった状況は、いわれている若者の活字離れを考えれば仕方がないことだろう。SF関連のイベントで見かけられる顔が、スタッフや参加者に結構な人数いたらしいという話もあって、イベントを開く人たちにとって取って”アットホーム”な集まりだった可能性も捨てきれない。まあ、例え最初はそうであっても、回が重なり評判が伝わり参加者が増えて来ればいいだけのこと。来年春にはプレイベントではない『第1回』の開催も予定されいるようなので、公式的な「歴史的瞬間」を体験したい人は、参加してみてはいかが。

SF関連では、もう1つ、イベントではないけれど新しい集まりがスタートして、これが将来大きな勢力になるかもしれない、だったら最初から参加して、存在感を高めておきたいなんて下心ちょっぴりで、11月3日、東京・渋谷の『渋谷区立勤労会館』で開催された『SFファン交流を考える会』をのぞいてみた。SFファンは交流しなくてはいけないのか、読者として出てくるものを読んだり見たりしていればいいじゃないか、なんてふと思ったりもしたけれど、ファンが支えているからこそ本も出て、ジャンルが成り立っている部分もあるSF界。ファンの交流から生まれるなにかも決して小さくないだけに、浸透と拡散が進んでファンの数は多いけれど、情報を共有化したり、継承したりする機会が少なくなってしまった今、あえてこうした会合が出来るのも意味があること、なのかもしれない。

SFファン交流を考える会
20年後、武田氏の席で熱く「SFファンとは」と語り得る人材は出るか。それよりSFはどうなっているのか。

さて11月3日の初会合。意外とこじんまりした会議室に三々五々やって来た、どちらかと言えばファン活動に通じた方々と、まだ学生さんといった雰囲気の世代的にも幅広い20数人が、過去のSFファン活動がどんな風に進んで来て、昨今のSFファン活動がどんな課題に直面しているか、なんてことについて先達の方々の話を聞いたり、話し合ったりする、静かで真面目な会合になった。後ろの方で隠れて野次馬よろしく観察してはモノもいわずに去る”背後霊の術”が使えず、小心者としてちょっと焦ったけれど仕方がない。って名前を売るためにいったんじゃないの?いうことばかりが大きいのもまた、小心者の小心者たるゆえんってことで。

栄えある初会合では、前ファングループ連合会議議長の武田康廣氏を迎えて、氏が関わって来た『DAICON3』『同4』『MINCON』に終わったばかりの『SF2001』といった数々の『日本SF大会』の運営裏話を中心に進行。裏話といっても別に暴露話とかじゃなくって、スタッフ集めの苦労とか、会場抑えの難しさとか、上がり続ける参加費の問題に解決方法はあるかとか、増え続けるゲストへの対応をどうすべきかといったシビアでシリアスな課題についての具体的な対処方が中心で、裏方さんとして動く人たちの苦労が伺えて、イベントに参加する上でのひとつの心構えを得られた。好きだけでは維持できないものがある、ってことなんだろう。

リアルなイベントを1つの表出先としながら、「ファンジン」のような形のあるものを作る活動を仮に”正統的”なSFファン活動と考えるとするならば、こうやって集まって、過去の活動で得たノウハウなり、直面している問題点なんかを話し合い情報として共有化していくのも、ジャンルの維持・発展のために有用なファン活動だとは思う。その意味で、今回立ち上がった『SFファン交流を考える会』の役割は結構大きい。

別に交流しなくたって好き勝手にやって行けばいいじゃん、といわれてしまえばそれまでだけど、ファンジンにも参加していなければイベントのスタッフにもなっていない人は「SFファン」じゃないのかな、なんて自虐思考を喚起させてしまってはもったいない。ここでもやっぱりファン活動は何が楽しいのか、イベントのスタッフになるとどんなに面白いことがあるのか、といった話をいっぱい出して、共感と理解がわき起こるような雰囲気を作っていってもらいたい気がする。

それとやっぱり、「SFファン」という概念が持つイメージの転換も、『SFファン交流を考える会』なんかを通じてやっていってもらえたらちょっと嬉しい。「ファンダム」だなんて言葉が作られるほどに、少数精鋭の「SFファン」の人たちが熱く濃くつながっていた時代もあったんだろうけれど、そうした言葉が年月の経過とともに帯びていったイメージの”重さ”が、ここに来てやっぱり問題になっている。5年後10年後、なにかが代わったその発端に『SFファン交流を考える会』がなったとしたら、その初会合に居合わせたことは、「決定的瞬間」として心に強く残るだろう。けどやっぱり、プチだなあ。

ばななパパ
ばななさんのお父さんはそれはそれは偉大な評論家だったのです。今もだけど。

ほかにも10月9日の、スクウェアがソニー・コンピュータエンタテインメントに149億円もの第三者割当増資を行う発表をして、独立独歩だった有力ゲーム会社にヒモがついてしまった場面とか、ゲーム業界史的には「決定的瞬間」だったかもしれないし、11月3日、『紀伊国屋ホール』で開催された『ほぼ日ブックス』の関係シンポジウムに、足の悪いのを押して出演した評論家、吉本隆明氏の姿を見たことが、後に歴史的偉人となる、かもしれない人を間近に見られた機会として、個人的な「決定的瞬間」になったかもしれない。

と考えると、「決定的瞬間」なんてどこにだって転がっていていつだって出会えそうな気もするけれど、それが本当に「決定的瞬間」かなんて、後から分かることが多いもの。とにかく出歩き、見て聞くことで出会う一瞬一瞬を、意識して見ていくよりほかにないんだろう。ブレッソンへのの(またはキャパへの)路、なお険し。◆

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