タニグチリウイチの出没!
TINAMIX
タニグチリウイチの出没!

SFよひきこもれ

『グイン・サーガ』のシリーズでSFのフィールドに大勢のファンを持つ一方、「江戸川乱歩賞」受賞者としてミステリーも数多く手がける栗本薫こと中島梓は、「もっともっとSFは偏向しなくてはいかん。我田引水の妙な地方文化を作り上げてしまえばいいのではないか、私はそう考えて巽孝之さんの労作『日本SF論争史』を本年度の日本SF大賞に推しました」と発言している。呼応するように荒俣宏も「小説陣も、できるだけ大胆になるべきだ。かたよるべきだ−すくなくとも、ここ数年は」と話している。

想像するに『日本SF論争史』には、SFに関わる人たちがいま一度「SFって何だろう」と考える機会を与えるという意図を持って、賞が与えられたことになる。もちろんこの授賞が新たな「論争」を生むきっかけになって、より凄いSFが登場して来れば結果として正解だったってことになるけれど、一方には業界の内輪性がさらに強化されてしまうのでは、といった不安もあって悩ましい。

なるほど世界がSF的なビジョンに満ち、巷にSF的なコンテンツが溢れている状況では、中島梓の「地方文化を作り上げろ」という主張も分かるけど、小説に限っていえば決して商業的に満たされていない状況のなかで、この急進的な動きが商売としてのSF市場の急落を引き起こさないかといらぬ心配もしてしまう。論争がいくら活発化しても、結局はコップの中では楽しくないし、「地方文化」化の結果とてつもなく先鋭化した作品が登場しても、それが限定されたマーケットで知る人ぞ知る作品でしかなかったら、SFファンとしてちょっと哀しい。

「賞」の2つの顔

瀬名秀明
「SFセミナー」で自作のスライドを上映しながら自分とSFとの関係について語る瀬名秀明さん。「パラサイト・イブ」がSFの賞を取っていたらSFへの世間の関心も変わったかも。

そんな折、5月3日に開催されたSFファンの集まり「SFセミナー」の会場で講演した瀬名秀明が、「賞」の効用について幾つか興味深い話をしてくれた。自身、『BRAIN VALLEY』で「第19回日本SF大賞」を受賞したこともある瀬名は、講演にあたって資料にするために、自分の作品についてどう思っているのかを一般の読者や編集者たちにアンケートを行い聞いて回ったとか。その過程で文芸の編集者たちが「日本SF大賞」を賞を取った作品や、SF専門誌のランキングでトップを取った作品は読まないけれど、「日本推理作家協会賞」や「江戸川乱歩賞」を取った作品は読む、といった話を聞いたという。

「推協賞」なり「乱歩賞」が「おもしろい小説を選ぶ賞」として広く認知されていることがひとつにはあって、実際の売れ方、世間的な話題のなり方を見ればそれも分かる。“面白さのお墨付きと”して「賞」が機能している好例ともいえるだろう。だったら同じ機能を「日本SF大賞」が果たし得るのか、と考えた時に今回の選考にあたって前面に出てきた“運動性”が気にかかる。

もちろん“賞”それぞれに異なる理念があるのは当然で、「日本SF大賞」が「地方文化化」を選んだのなら、素人の部外者が異論を挟む余地はない。ちなみに今年の「第54回 日本推理作家協会賞」の受賞作は菅浩江の『永遠の森』。広くエンターテインメント作品にお墨付きをあたえて、結果としてジャンルとしての豊穣さを増していくべきか、内向し純粋性を高めながら高度化していくべきか。2つの賞が見せたスタンスの違いが、あらためて「賞」の意味を考えさせてくれる。

権威にとりこむvs権威をとりこむ


左から長島有里枝さんの『PASTIME PARADISE』、HIROMIXさんの『HIROMIX WORKS』、蜷川実花さんの『Suger and Spice』。いずれ劣らぬ力作ぞろいで今の社会と若者の気分を鋭く切り取っている。

賞の“運動性”という面では、「日本SF大賞」以上の不思議な感想を抱いたのが写真の世界で土門拳賞と確か並び称されている「第26回木村伊兵衛写真賞」の受賞作。長島有里枝にHIROMIXに蜷川実花という、街の写真やセルフポートレートといったジャンルで知られる若手の女性写真家の代表3人が、3人ともまとめて選ばれて驚いた。傍目には、似た傾向のある女性写真家をまとめることで、賞の話題性をあげて衆目を集めようとした“下心”が透けて見えるような気がして、3人はそのダシに使われたんじゃないかという気持ちが起こる。

そう感じてしまうのも、裏返せば木村伊兵衛賞にある種の“重み”を認めてしまっていて、そこに3人がまとめて入ってしまう状況を、口ではアーティストへの冒涜とかいいながらも、心の奥底では実は賞という権威そのものへの冒涜だと憤っている自分がいたりする訳で、そうした偽善を見透かし嘲笑しつつも、純粋にそれぞれが賞に値するんだという感情でもって、今回の3人同時授賞になったのかもしれないから難しい。その場合は“運動性”といっても賞の権威に縛られず純粋に写真家の凄みを見ようよ、といった”運動”だから、非難すればするだけ向こうの思惑にハマって取り込まれてしまう。

もっとも、受賞者3人へのインタビューが掲載された『アサヒカメラ』5月号でも、大竹昭子が「私は『女』をナメてる感じがしてムッとしたんですけど」とHIROMIXに質問していて、答えて「見方によってはそうかもしれないですけど、平和でいいんじゃないですか。年上の方たちにも何かちょっと理解されたかなと思うし」といっている。選ぶ側の“運動性”など気にせず逆に利用してやろうとする、したたかな感情がそこにほの見える。

パルコギャラリー
「パルコギャラリー」の個展は真っ赤なカーペットを敷き詰めた部屋に座ったり寝ころんだりして壁の写真を見るという趣向、極彩色の写真に吸い込まれそうな気持ちになる。

選んだ側としても、別に3人をまとめたなんてことはなく、それぞれがそれぞれに傑出した存在で、且つ同じ時期に活躍していたことを頂点に横一線と捉えて授賞したんだという理由があったのかもしれない。「パルコ・ギャラリー」で開催中の 「蜷川実花 新作写真展 まろやかな毒景色」を見れば、花とか果物とか少女とかを本来持っている色以上の極彩色に撮ってプリントした写真は確実にオンリー・ワンで、立派に確実に受賞に値する人だと分かる。どうせいずれ授賞させるなら、3年にわたって与えるよりも1年でまとめて与えた方が効率的、と考えた可能性もある。今となっては派手なことをした結果、かえって「賞」の「贈ってうれしい」「贈られてうれしい」関係が、良い意味で明確になってきたような気さえする。>>次頁

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