出没!
TINAMIX
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写真それにしても感じたのは「プレステ2」の取材に集まったマスコミの数。自分を棚上げしても集まった新聞記者雑誌編集者にテレビクルーの総勢はいったいどれくらいに上ったことだろう。秋葉原に限らす新宿、渋谷で同様のお祭り騒ぎが起こり、それを余さず伝える取材陣がいたところを見ると、この日だけで数百人は軽い取材陣が早朝の東京をカメラかついでメモを手に、行ったり来たりしていたに違いない。

「ドリキャス」の時もすごかった。けどこれはセガがあらかじめ「入交昭一郎」「湯川専務」の秋葉原来訪を予告してくれたからで、「プレステ2」ではそうした用意された"美味しいショット"狙いとは無関係にマスコミが集まり、「プレステ2」を買うために並んだ人たちを取材している。海外プレスの数もおそらくはゲーム史上最大(それほどたいそうな歴史がある訳じゃないけれど)で、どこかの綺麗な180センチはあろうかと思える女性リポーターが、アニメ柄のTシャツを着てカメラに向かって「はれほろひれられ」と喋っている様を見て、いかに「プレステ2」が全世界的に注目されている製品なのかってことを実感した。

それにしてもの大動員、そして現実問題としての100万台ほぼ完売。この不景気に「たかがゲーム機」がどうして? という疑問を考えると、売れているから売れる構造ってのが「プレステ2」の場合あったように思う。メガヒットするCDやベストセラーになる小説と同じ構造で、話題になってる皆が買ってる買っても悪くないんじゃない、そんな暗黙の了解に促されるかように大勢の人たちが秋葉原に、渋谷に、新宿に、ネットのサイトに集まって「プレステ2」を注文した。だから数日間で100万台なんてべらぼうな数が売れてしまった。

あんまり多く売ってしまったから問題も起こったんだけどこれは後述、とにかく売れてしまった雰囲気を作り出したこの数ヶ月間の動きは、マーケティング戦略プロモーション戦略はもちろんとして、社会経済文化歴史等々の面からも、後々いろいろと研究する必要があるだろう。

じゃあそこでマスコミはどんな役割を果たしていたのか。ハードの性能は確かに高いしすっげえゲームも楽しめる、おまけにDVDビデオだって再生できてしまう。そんな「プレステ2」を取り上げなきゃいけないことは分かってるし当然だけど、だからといって世間のすべてのマスコミが集まり、お祭り騒ぎのように取り上げたのは一体どうしてなんだろう、どこまで行ってもやっぱり「たかがゲーム」。アカデミー賞のように名誉もないし文化勲章のように権威もない、文化としてはまだまだひよっ子のゲームにどうしてマスコミがこれほどまでに注目したんだろう。

想像でしかないけれど、やっぱり「報道するから報道する」構造、横並びの意識がぐるぐると周囲を巻き込んで拡大していった、そのクライマックスがあの大騒動だったんじゃないかと思う。価値を認識しているようで、実は「よそがやるからやるんだ」的横並び意識。それが証拠にあの大騒動が一段落した今、「プレステ2」への関心のベクトルがとても小さく、細くなっているように思う。

ネットで話題となったメモリーカードの不具合が新聞で取り上げられたのは何日も経ってからだったし、100万台も売ってしまった「プレステ2」が、実は取り決めで売ってはいけない「地域コードフリー」のDVDプレーヤーになる可能性を持っていたことが分かっても、新聞雑誌はネットから1週間も遅く報道している。未だに取り上げていないメディアだってある。株式市場は親会社のソニーがヤバいかもなんて言って即座に反応しているっていうのに。

写真それでもまあ、「プレステ2」が引き上げた「ゲーム」のメディアにおけるバリューは、ようように下がるものではないようで、例えばマイクロソフトがゲーム市場への参入を発表した会見には、やっぱり数百人がつめかけ閉め出されたテレビクルーは会場の入り口で中継をする騒ぎぶりだった。「ドリキャス」に目玉を付けたり時計を付けたり手足、はまだついてないけど、起死回生を狙おうとするセガの新製品発表にも、毎度のように大勢のマスコミが詰めかけては、夜のテレビニュースで欠かさず報道する。

中身のちゃちさに伴わない大げさな報道ぶりは、まさに「横並び」な意識が逆に出ているパターンだけど、無視されている状況よりはマシってこと。ゲームの位置づけが次第にあがっていく中で、上へ下へと振幅を経た後で、相応のバリューに落ち着いた報道が、そのうちになされるようになっていくんだろう。

ところで「ゲーム」に絶大な関心を見せていたマスコミが、「プレステ2」の騒ぎがいったん収まった3月中旬から追いかけ回していたのが「ロボット」だ。去年の「AIBO」に「ファービー」、思い出すなら”元祖”携帯ペットの「たまごっち」がバカ売れした頃から、電子ペット的なロボット玩具へのユーザーの高い関心に、注目して取材陣を繰り出すメディアも多かった。

それがここに来ての相次ぐペットロボット発表に、「AIBO」以来の醸成された「気分」が一気に爆発したかのように、大勢のマスコミがやってきて、テレビに雑誌に新聞に必ずといって良いほど取り上げた。玩具の発表にテレビカメラが5台10台と並ぶ時代が10年前に果たして想像できただろうか。

写真タカラが輸入販売する、可愛がってあげると卵を産むぬいぐるみ「ウブラブ」の発表にも、バンダイの猫型ロボット「BN-1」の発表にも、トミーとタカラとバンダイの3社が揃い踏みした「ロボカップ・トイズ」の発表会にも、よくぞこれほどまでというくらい大勢の取材陣が詰めかけた。玩具メーカーがタイミングを合わせたかのようにロボット玩具やペットロボットを相次いで発表したせいもあったけど、メーカーのお互いに乗り遅れまいとする意識がメディアに乗り移ったかのように、会見はいずれも盛況で、夕方のニュース翌日の新聞翌週の雑誌を玩具の記事が飾った。

写真極めつけは16日から始まった「東京おもちゃショー」。やっぱりというか各玩具メーカーともこぞって「ペットロボット」を発表して来たけれど、それが新聞の1面を飾り社会面を飾る事態にはやっぱり驚く。世の中のニーズがペットロボットのような製品にあって、そうしたニーズに向けて玩具メーカーが商品を作り出し、そして盛り上がる雰囲気をメディアが掬い上げる。構造としてはきわめて真っ当だけど、そこに通常以上の熱気を感じてたじろいでしまう。やっぱり横並び意識、なのかなあ。

そうは言っても自分自身がそうした「お祭り騒ぎ」に乗っている部分、乗ってやろうとする気分がある訳で、ひとりひとりのそんな「気分」がやがて「既成事実」となって世間を巻き込んでいく状況が、伝えるメディアの増えた分だけ大きくなっているのかもしれない。そう考えると、政治的なプロパガンダでも経済的なパニックでも社会的なアジテーションでもなく、ゲーム機や玩具で騒いでいる日本はやっぱり平和、なのかもしれないなあ。

(タニグチリウイチ)

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