TINAMIXレビュー
TINAMIX
==========
*

●寺山を殺す

無論、寺山のかけた呪いは、同時に挑発でもある。そこには「私の仕掛けた呪いの中にとどまっていてはならない」というメタメッセージがこめられている。いわば寺山とは、出口主義最大の理論家でありながら、同時に最大の挑戦者でもあったわけだ。

天上ウテナと姫宮アンシーが語るとおり、志高くある者ならば「外」を目指さねばならない。出口主義者を標榜する者ならなおさらだ。だが、寺山の仕掛けた呪いは巧妙極まりない。寺山を愛する者ほど、その悪意に簡単に騙される。ある者は白塗り・学生服・仏壇のおどろおどろしさに魅せられ、そこに「外」があると錯覚し、伝統芸能よろしくそれを繰り返してしまう。そしてある者は「書を捨てよ町へ出よう」というアジテーションに魅せられ、時として額面通りに家出すら決行する。前者は「共同体」の呪いに退却する行為であり、後者は家の外に待ち受ける、資本主義に屈する行為であるというのに。

だが、こうした「様々なる意匠」に幻惑された彼らを笑うことはできない。寺山のかけた呪いは、幾重にも仕掛けられた複雑きわまりないものだからだ。その呪いはあたかも、カフカの描いた自殺機械のように、精緻きわまりなく作動する。やがて人は、呆然とその自殺機械を見上げるだけで、自足すら感じるようになってしまう。そして結局「寺山修司」という完全密室に、永遠に閉じこめられてしまうのである。

「私の仕掛けた呪いと向き合え。だが、私の呪いの中にとどまってはならない」。多くの人がこの呪いと格闘するのに疲れ、ただ単に忘れたふりをした。「17年もの間我々は、寺山を生かしも殺しもしなかった」(寂光根隅的父)。そしてごく一部の人間だけが今もなお、寺山という呪いを解くべく向かい合っているのである。

私はこの1月、名古屋・七ツ寺共同スタジオで上演された、『レミング 壁抜け男』を見る機会を持った。演出は天井桟敷の団員でもあった高田恵篤氏。私の拙い鑑賞眼で見せていただいたところ、高田氏もまた、こうした苦闘を続けてきた出口主義者の一人のようであった。この公演では、いっけん再演時の演出をほぼ忠実に踏まえた演出が施されていた。大幅な改変を伴わない演出は、それだけに演出家、スタッフ、役者たちの、存在や生理のあり方を浮き彫りにしていた。寺山という人間が突きつけた謎を、伝統芸能のようになぞってみせるのではなく、改竄してごまかしてしまうのでもなく、今ここにある問題として捉え、正面から向き合うこと。舞台からはその厳しい決意が伝わってくるようであった。

そしてこの公演は、観客もまた、こうした厳しい決意を迫られる公演であった。今回の公演では、終盤、全ての台詞を語り終えた役者たちが、一人また一人と劇場から出ていってしまう。そして劇場には、観客だけが残されてしまうのである。

客電もつかず、ベルも音楽もアナウンスも流れない劇場の暗闇の中に、観客はひたすら放置される。劇を終わらせようと思えば自発的に席を立つしかないが、そのとたん「席を立つ」という行為自体が、劇の終わりを記す句読点として機能してしまう。劇から出ようとすること自体が劇の一部になってしまうという難問を、高田氏は私たちに突きつけたのである。拍手すら起きない濃密な重苦しさの中、私は演劇を突き破るようにして外へ出たいと思い、また現実にそのように振る舞った。公演から4ヶ月近くたった今も、「演劇を突き破った」瞬間の得も言われぬ感触が、私の体には残っている。こうして私もまた、寺山に呪われた一人となったわけだ。

「寺山修司」という呪いは、私にとって「資本主義」の呪いと同義語だ。そこから出たと思ったとたん、その内部に閉じこめられるという逆説。その困難が私を魅了する。そう、その「困難」こそが、寺山なり資本主義の最大の魅力であり、罠なのだ。

だが、繰り返しになるが、この困難に対して、忘れたふりをして、あるいは最初から目をつぶってやり過ごすことは許されない。何かから出るためには、一度はそこへ入らなければならないからだ。入口のない出口は存在しない。出口主義とは、入口主義でもあるのだ。

出口主義最大の理論家でありながら、同時に最大の挑戦者でもあった寺山修司。一体いつになったら、私は「寺山を殺す」ことができるだろうか。そしていつになったら、資本主義という壮大な罠から逃れ去ることができるだろうか。昏くて甘いあの呪詛の響きから、逃れるための方法。その明確な答は、今の私にはない。七ツ寺でくぐり抜けたはずの劇場の暗闇は、今もなお私の視界の隅を犯し続けている。

出口主義宣言
●出口主義者は、文化の分割線をいっさい認めない。
●出口主義者は「共同体」に安住してはならない。
●出口主義者は、資本主義のカノンへの従属を拒否する。
●出口主義者は、決して敵を過小評価しない。
●入口のない出口は存在しない。出口主義とは、入口主義でもある。

*注記

「レミング」 ビデオパッケージ 寺山修二の戯曲5 表紙

『ウテナ』、『ビューティフルドリーマー』、『トーキングヘッド』の三作品に比べ、比較的入手の難しい『レミング』について、若干のご説明を。

ビデオは1983年、横浜文化センターにて上演されたものが販売されています。税込み4800円、詳細は(株)ポスターハリスカンパニー(03-5456-9160)にて。

戯曲では、初演時と再演時のものを寺山本人がミックスしたものが、思潮社刊『寺山修司の戯曲 5』で読むことができます。この本は現在絶版となっているので、古書店か図書館でどうぞ。

なお初演時の『レミング 世界の果てまで連れてって』が、「演劇実験室◎万有引力」によって全国で再演されます。七ツ寺版で演出を手がけられた高田恵篤氏も役者の一人として出演されるとのことですので、拙文を読んで興味を持たれた方は是非ご覧ください。期間は2000年10月から11月にかけて、詳細はこちら(→関連サイト)をどうぞ。

EOF

*
prev
5/5 next