TINAMIX REVIEW
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藤本由香里「少女マンガのセクシュアリティ 〜レイプからメイドへ〜」(後半)

■メイド萌えとは一瞬だけ可能なコミュニケーションなのか?

相: ここ5、6年くらいでバーっと人気が出たメイドさんの興味深い点も、単純にどこにも存在しないというファンタジー性か、それとも契約という要素か。

は: おお、メイドも契約だ!

相: とにかくメイドが登場する作品の場合、契約という虚構性をいかに自覚するかという態度で分かれていたと思うんですよ。ものすごくダサいのが、借金のカタに娘がメイドにさせられてしまうというパターン。

藤: 昔のレディースコミックはそれだったのよ。誰かのために犠牲になる。こんなに恥ずかしいことをさせられているけど、我慢しなくちゃ、○○のために。それが快感になる。団鬼六さんの官能小説とかもそうですよね。あの娘にだけは手を出さないで。私ならどんな恥ずかしいことにも耐えますから……って。結局娘も犯されちゃうんだけど(笑)。

相: メイド作品の場合でも、親がずぶずぶの借金をしたり、あるいは主人公が大財閥の御曹司だから指先一つで娘の親父の会社を潰して、ころころころみたいな。待ってたぞって話で、いろいろ楽しいことをする、というようなものが、たぶん一番ダサいんです。

逆にもう一つ極端な方向は、契約であることをメイドのほうも自覚していて、金貨が払えなければあなたとの関係は終わりです、金貨がいただける限りあなたは私のご主人様です、というテイストの作品。

藤: どっちのほうがファンタジーは深いの? 快楽は深いの?

相: ぼくは契約のほうです。

藤: そこが世代によって違うのかもしれませんね。そこに契約で自分で選んだルールが入るともう一つ楽しめない、っていうのが旧世代じゃないかと思うんだけどな。こんな恥ずかしいこと……。でも「私のせいじゃないわ」(笑)。っていうのがポイントなんだから。あんただって望んでたんだろ、って言われるのはイヤ(笑)。

相: そのあたりは個人差が当然あると思うんですけど、でもぼくはこっちのほうがいいと思っているのだから、こっちがいいと言うしかないという覚悟で(笑)。

藤: 契約性がある方がなんで快楽が深いの?

相: 契約をする類のメイドさんっていうのは、実はさっきの緊縛、抑圧系の女の子とも似ていて、図像的にもそういう感じ。キャラクターの生い立ちも、クリアに出るというよりは、隠蔽されているんだけどそれは関係のない話で、おまえは今ここで家事掃除をやって事務の切り盛りをやっていればいいと、それに対価を支払うと。要はお互いの仕事をするだけで、それでいいじゃないかという。

は: でもそこにセックスは介在しないじゃない?

相: 契約的なメイドものでは『殻の中の小鳥』『雛鳥の囀』という一連のアダルトゲームがあるのですが、それには調教要素が入っているから、一応プレイ過程でセックスが描かれるんです。その調教がおもしろいというか、いわゆるご主人様じゃないんですよね、プレイヤーが。舞台が一種の娼館なんですよ。時代が19世紀のイギリスで上流階級の方々を相手にする娼婦を調教して育てるゲームになっていて、なぜ服装がメイドかというのが謎なんですけど。

一同:(笑)

相: プレイ後におやおやと思ったのですが、時代設定もあっているし雰囲気もダークな感じだったから気づかずにやってしまいました。

は: 19世紀のイギリスってイメクラに近いものってあったはず。

相: 当時のイギリスを考えるとすごく退嬰したものとしてありだと思ったんですよ。

藤: 契約だと、さっきの竹宮さん説と同じで、いつひっくり返るか分からないからね。あるところで向こうが「やーめた」って言うかもしれないっていう。

相: まさにそこなんです。そのゲームはちゃんと娼婦を育てて、つまりメイドさんを調教して貴族に提供して金貨を一杯稼がないと彼女たちにお給料を払えないんですよ。ちゃんとゲームを進行させないとお給料が払えなくなってバイバイになっちゃう(笑)。

しかも一応エンディングらしきものもありますが、それが一生あなた様の側についていきますみたいな結婚してパンパカパーンといったものじゃなく、どちらかというと契約関係のキャラクターと一瞬心が通じ合ったかな、みたいなエンディングなんですね。だから今だけ心が通じ合ってもまた冷たい契約関係が続くかもしれない、まあそういう波があっていいんじゃないかな、という妙なバランスの良さがすごく気に入ったんですけど。

藤: そういえば萩尾望都さんもそういうことを仰ってましたね。『少女マンガ魂』の中で。昔はどうしてハッピーエンドにならないんだろうとか、どうして理想的な家族とか理想的な関係ってのが作れないんだろう、と思っていたけど、だんだん大人になってきていろんなことが解ってくると、普通はコミュニケーションなんてうまくとれないのがあたりまえなんだけど、でも一瞬だけ通じることがある、それでいいんだ、っていうような境地に達したっていうようなことを。

相: それがコミニュケーションの本質なのかもしれませんね。『殻の中の小鳥』の主人公であるフォスターというのも変にクールな男で、本当はどう思って何を考えているのかよくわからない。しかもブレイクした後に続々と現れたメイド作品みたいに、物語の中でいろんなイベントがあって、肩をお揉みしますとか、御奉仕とか、あるいは一緒にお風呂に入って「ヤッホー」とか、そういうサービスがあるわけでもない。

一同:(爆笑)

相: けっこう淡々としているんです、お金稼ぐのが大事で。

藤: すごくリアリスティックなゲームだよね。

サ: 会社経営ゲームみたい。

相: 似てますよね。

藤: それはでも、むしろ「金の切れ目が縁の切れ目」で奥さんが出ていってしまうみたいな感じだよね。今聞いてて、そういうのが現代的なのかもねえと思ったんだけど、メイドものってそもそもどういうところが人気があったの?

相: 基本的にはメイドってかわいいなあ、くらいのニュアンスで来たと思うんですよ。メイド服ってひらひらとしてかわいいじゃないですか。また一般的にメイドが受け入れられている理由は母性だということになっているみたいです。昔から家政婦に入れ込む人がいたように。

は: ウソくさい気がするなあ。母性なら別にメイドじゃなくてもいいような気がするし。

藤: そうだよねえ。優しくしてほしいならたとえば看護婦さんじゃダメなの? メイドが流行るっていうのはやっぱり従順な女の子が少なくなったことの反動だったりするの?

は: 素直に考えるとそうだろうとは思いますが……。

藤: それじゃあまりミもフタもないわよね(笑)。でも真実?

相: マザコン的な欲望と似てますよねって話もあるんですけど、それを言ったらそこで終わりのような。

は: メイドさんって欲望のされ方が江戸時代の芸者と同じような気がして、それが色道と似ているんじゃないかと思う。まあ、メイ道なんですけど。色道だとお金を払って芸者を買うけど、客は本気にならずにあくまでも粋でクールでいて、芸者のほうを本気に狂わせることを目指す。しかし芸者がほんとうに本気になったかどうかは決して確かめられないので、作法が常にインフレし続けていくということなんですが。

相: それはスノビズムの側面ですよね。オタク文化というのは江戸文化と一種似ているという、コジェーヴ的な解釈で考えるとそうなるのでしょうけど。これは東浩紀さんが言っているのですが、今やオタクたちは動物的に、データベース消費としてオタク文化を嗜好している、と。

たとえば、いまメイドが好まれているのは、東さんの言葉でいえばデータベース的、動物的な欲望によるものなんですよ。契約も実は関係ない、メイド服を着てればイギリスでなくてもいい。ひらひらのフリルと濃紺と白のコントラストにやられているだけだと。メイド萌えの人はあのシルエットだけでぐっと来ると思いますよ。

藤: いまね、少女マンガでは「下僕」が結構流行っているの。下僕が流行るのとメイドが流行るのは裏表だよね、きっと。

は: 下僕は男が下僕になってるんですか?

藤: もちろんそうです。

相: いわゆる副官みたいな感じですか?

藤: 副官じゃなくて執事みたいな感じ。召使いなんだけど恋人。代表的なのが樋野まつりさんの『とらわれの身の上』という作品で、主人公の恋人には代々「下僕の呪い」がかかっていて、主人公と目があうと「下僕発作」をおこすのよ(笑)。あと石井まゆみさんの『ガーゴイルの末裔』とか、ちょっと違うけど、小川彌生さんの『きみはペット』とか。あと最近では高尾滋さんの『てるてる×少年』なんかもその流れだよね。お姫様に仕える忍者の話。

あと執事って何かいいのよね。執事と関係になっちゃダメだけど執事がほしいってところがあって。

は: なるほど、けっこうメイドと似てるかもしれませんね。

『殻の中の小鳥』
1996年/BLACK PACKAGE。19世紀イギリスの娼館が舞台。主人公フォスターと屋敷のメイドでありかつ高級娼婦でもある少女たちとの営みが「調教」と屋敷の「管理」を通じて描かれる。続編である『雛鳥の囀』(1997年)は独立したスタッフによる「STUDiO B-ROOM」(→公式サイト)に引き継がれてリリースされた。両者とも極めてゲーム性が高く、インタビュー中でも言及されているように『雛鳥の囀』のメイ・クルサードは給金が払えないと出ていってしまう。
『少女マンガ魂』
『少女まんが魂−現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集』(白泉社)。詳しくは中扉における藤本の著書紹介を参照。
スノビズムと動物
独特なヘーゲル読解で知られるフランスの哲学者アレクサンドル・コジェーヴの「動物化するアメリカ、スノビズムの日本」という説を再解釈し、サブカルチャー分析を通して日本におけるスノビズムの時代は95年で終焉し、現在は「動物の時代」に突入しているとする東浩紀の説。詳しくは「ユリイカ」誌(2001年2〜3、5、7月号)で連載された「過視的なものたち」を参照。
『とらわれの身の上』
樋野まつり著(白泉社)。現在『LaLa』誌にて連載中。白泉社サイトに著者インタビューが掲載されている(→参章サイト)。
『ガーゴイルの末裔』
石井まゆみ著(集英社)。2000年「Young You」誌に短期連載。
『きみはペット』
小川彌生著(講談社)。現在「Kiss」誌にて連載中。著者サイトはこちら
『てるてる×少年』
高尾滋著(白泉社)。現在『花とゆめ』誌にて連載中。
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