TINAMIX REVIEW
TINAMIX
青少年のための少女マンガ入門(14)よしながふみ

筆者が中学生の頃ですから、まだJRが国鉄と言われていた頃、JUNEとALLANという雑誌がこの世にはありました。いえJUNEの方はまだあるみたいですが。この二つの雑誌は、主にホモセクシュアルの出てくる小説やマンガを掲載していました。といっても読者層はその筋の方ではなく、萩尾望都や竹宮惠子の美少年が出てくる少女マンガを愛読している少女たちです。といえばその雰囲気はおわかりいただけるかと思いますが、そう、このふたつの雑誌が今日のやおい文化の発端だったわけです。

■ やおいとは何ですか?

ここでやおいをご存じない諸兄の為に説明いたしますと、やおいとはやまなし、おちなし、いみなしの略がその語源と言われ、既存のマンガ・アニメ作品のパロディーを同人誌で発表して楽しむコミケ文化のなかで発展した、妄想の限界に挑戦してキャラクターたちを勝手にホモに見立てる、いくらパロディーでもそりゃムチャだー!な男同士の禁断の愛お耽美サイド・ストーリーの作品群とその一派を指す言葉です。まだコミケが大井の東京流通センターで行われていた頃生贄となったのはかの「ボールは友達」の名セリフで有名な『キャプテン翼』、その後『聖闘士星矢』や『スラムダンク』がメインストリームで血祭りに上がりました。

■ ありふれたボーイズ・ラブという逆説

よしながふみの作品は、その殆どがいわゆる「ボーイズ・ラブ」ものです。最近の少女マンガ界には特に珍しいことでもないですが、彼女も同人出身で、既存の少年漫画のキャラクターをホモ扱いしたいわゆる「やおい」同人誌がコミケで人気を集めました。商業誌ではオリジナルのやはりホモの方々の切ない恋を描いた作品が出ています。混乱を避けるため、ここでは他のマンガ作品のキャラクターを使ったパロディー作品としてのホモマンガを「やおい」、オリジナルのお耽美少年愛ホモマンガを「ボーイズ・ラブ」とします。ただし、両方とも少女向けのものであり、現実の同性愛とは別物とお考え下さい。

西洋骨董菓子店
『1限目はやる気の民法』1巻より
(C)よしながふみ
ビブロススーパーBE×BOYコミックス 1999年

よしなが氏の作品を読んでいると、筆者は90年代初頭に出てきた「静かな演劇」という現代演劇の一分野を思い出します。岩松了の「お茶と説教」(1989年初演・注1)がその走りだったでしょうか。その頃「笑っていいとも」などのお笑い番組にメンバーがレギュラー出演していたりして、もうすっかりギャグ演劇集団としておなじみだった東京乾電池が、町内の幼馴染である三人のオッサンがお互いの店や事務所を行ったりきたりしながら昔話で盛り上がるだけという内容のこの脚本を上演したのです。当時小劇場界で主流だった時空を飛び越えたり言葉遊びのセリフまわしで観客を煙に巻いたりラストの屋台崩しで度肝を抜いたりといったカタルシス皆無、ご町内の人間関係のなかのさりげない悪意を力の抜け切ったリアリティで描き出したこの作品を皮切りに、小劇場の世界に少しずつ、大きな声も出さなければカタルシスもない、日常の淡々としたやりとりを板に載せる「静かな演劇」が浸透しはじめたのです。

よしながふみの作品は、ボーイズ・ラブものでありながら、絶世の美少年も異国の寄宿学校も出てきません。禁断の恋(ホモ)に苦悩する同性の運命の相手に巡りあってしまった翳りのある美青年も出てきませんし何ら劇的な展開も異常な事件もありません。学校や職場でどこにでもある日常を淡々と過ごす登場人物たちが、どこにでもある恋愛(ただしホモ)に対して平凡に試行錯誤していく過程が描かれているだけです。例えば『一限めはやる気の民法』(ビブロスBE×BOYコミックス・1998年)では、法学部の同じゼミに所属する田宮に思いを寄せる藤堂が(わかっていると思いますが一応、両方ともオトコなのでそこんとこよろしく)、他の男にフラれ、傷ついて自棄になって自分を誘う田宮を本当に好きにしてしまう、そして翌日自己嫌悪に陥る田宮は藤堂に向かって「俺自分がかわいそうすぎてお前を傷つける事なんか何とも思わなかったからいくらお前でも朝起きたら絶対いなくなってると思ったのに」と言うのです。そしてそれでも側にいてくれる藤堂に、少しずつ惹かれていく……おおなんとどこにでも転がっていそうな、だからこそ身につまされるエピソードでしょうか。トリケラトプスがそこらへんを歩いていた大昔には筆者にもあった青春のありふれたヒトコマです、これが男同士ではなかったとしたら。

■ どこへも行けなかったスキゾキッズ

ここでALLANとJUNEという黎明期に話を戻しますが、筆者は断然ALLAN派でありました。ALLANの読者投稿欄で、男同士の世界をホモに読み替えて盛り上がる一般読者たちの投稿は大変楽しかった。当時は「太陽に吠えろ!」や男子バレー、プロ野球の選手たちをホモ扱いし、ちょっとでもお目当てのふたりが絡もうものなら大喜びで「これは愛ね!」と楽しい妄想を繰り広げていたものです。それは、男同士の絡みがお耽美で嬉しかったのも勿論ですが、こちらにはわからない「男同士の世界」の行動原理を、同性に対する恋愛感情だと読み替えること、ありきたりな男たちの友情や競争の物語に同性愛というパラダイムを持ち込むことによって、まったく別なストーリィをそこに見出すことが快感だったのです。型にはまりきった男女間のラブストーリィ、硬直した男と女の関係に飽き飽きしていた少女たちには、この新しい人間関係に恋愛の究極の形があるように思えたのです、勘違いでしたが。

もちろん男同士の世界をすべてホモで片付けるこんな態度に、筆者のまわりのノンケの男どもは、口を酸っぱくして男同士の友情が如何に同性愛とは別物なのかと説得を試みてくれたのですが、つまらない現実を楽しい妄想で書き換える快感を覚えたやおい少女には馬耳東風、男たちがそんな風にホモ扱いされることを嫌がるのを知っていて妄想の世界の幻想に遊んでいたのですから全くもってクサレ外道です。人が嫌がることはしちゃいけません、と幼稚園で教わったのに、トホホ(ノンケの男ばかりではなく、本物の同性愛者のなかにも、このようなやおい少女たちのホモ幻想に激しい拒否反応をする向きもあり、同性愛者向けのミニコミでやおいの是非について激しい論争が繰り広げられたこともありました)。

それだからこそ、筆者にとって一番共感し、ぴんときたやおい分析は、ALLANの投稿欄をその著書「逃走論」(1983年)において「あらゆるものをやすやすとパロディー化してしまう軽やかさ」とし、差異化の天才であるスキゾキッズの激戦区として、ビックリハウスの読者投稿と並べて絶賛した浅田彰のものでありました。

しかし、ビックリハウスが休刊(1985年)し、おなじくサブカル雑誌の旗手であった宝島が次第にエロ雑誌に変質していき、完成したシステムから逃げていたつもりのスキゾキッズたちが、遂には逃げ出したはずのシステムに追いつかれ、商業主義に呑み込まれていった過程において、やおいもその例外ではなかったのでした。商業主義のレールに乗った既成のポップ・ミュージックを拒否したインディーズ(自主制作レコード)が、バンドブームという形で追いつかれたように。男同士の愛という禁断の物語のオイシさやエロな描写という側面ばかりが強調され、受け攻め(欄外コラム参照)にこだわる作品群は、実は男女の恋愛劇の物語を男同士に置き換えただけ、浅田が絶賛したような軽やかなトランスセクシュアルではなく、既存の男女関係のセックスが男同士のセックスに変わっただけの、単なるホモエロに堕していくのです。そして、コミケでこの分野が一大勢力を成していくのに目をつけた出版社が、BE×BOY(ビブロス・1991年創刊)、花音(芳文社・1994年創刊)、花丸(白泉社・1995年創刊)といった、同性愛を扱った少女向けのマンガや小説作品ばかりを掲載するいわゆるボーイズ・ラブ誌を相次いで創刊し、現在にいたるわけです。>>次頁

注1
岩松了はこの「お茶と説教」を第一弾としてこの後ご町内三部作シリーズを発表、初演の宣伝美術を担当したマンガ家の蛭子能収がこのシリーズで舞台に初出演、その後タレントとして活躍する布石となった。ちなみに蛭子氏初登場の役どころは「ジョーンズさん」というガイジン。何を考えていたのか岩松了。

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