TINAMIX REVIEW
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青少年のための少女マンガ入門(1)大島弓子
もとむら ひとし

■「少女」よりマンガが大事!!

さぁて、第一回目は、大島弓子。ちょうど映画『金髪の草原』(ミニコラム参照)も公開されているのでグッド・タイミング。

ところで、大島弓子というと、代表作として、『綿の国星』『バナナブレッドのプティング』といった作品がスタンダードでエヴァー・グリーン。もちろん、この2作以外にも、名作と呼ばれる作品がたくさんある。『野イバラ荘園』、『F式蘭丸』、『おりしもそのときチャイコフスキーが 』、『夏の終わりのト短調 』、『たそがれは逢魔の時間』、『ダリアの帯 』、『秋日子かく語りき 』、『毎日が夏休み 』……ふぅ、タイトル並べてるだけで、文章埋まる危険性あり。

だがしかし、上記のような既成の評論でベタ誉めされている作品は、ここではあえてプッシュしない。だいたい、大島弓子を論じた評論って読んでて疲れるものが多い。なにかといえば、「少女性に対する肯定」とか「少女の心理を鋭く描く」とか、とにかく、「少女」、「少女」、「少女」、「少女」、「少女」…… 少女の大安売り状態。

このさいはっきり言わせてもらえば、大島弓子の諸作に出てくる「少女」、あれは少女ではない。ただの不思議チャンである。自意識だけが突っ走って、トンチンカンな行動をして周りに迷惑をかける不思議チャン。もちろん、その極北は『バナナブレッドのプティング』の主人公、衣良。「うしろめたさを感じている男色家の男性」と結婚したいと言って、相手(実はヘテロ)の家に本気で押しかける女のどこが少女や!ただの迷惑な不思議チャンやないか!

『綿の国星』だって、不思議チャン漫画だ。あれは主人公は猫じゃないか! という突っ込み入りそうだな。しかし、あの作品は、人間の不思議チャン的視点を猫にさせてるだけのことである。あの作品にポピュラリティがあるというのも、主人公が猫ならば、読者は不思議チャン的行動やモノローグをすんなり容赦しやすいからに他ならない。

失礼、別に『綿の国星』や『バナナブレッドのプティング』(および他の大島マンガ)を貶しているわけではない。筆者だって、どれもこれも大好きだしね。もちろん、あの不思議チャンな女性って、少女性をカリカチュアしただけってことも存じております。

ただ、もういいかげん大島弓子マンガを、「少女」という言葉から切り離すべきだ。そんなに少女を知りたければ、女子高生と付き合うか援助交際でもすればいいやん。

我々が見たいのは、少女ではない、マンガだ。

■ゆるい漫画の心地よさ

と、とりあえず前段で暴言吐きまくってたら、「オマエはじゃあ何を薦めるんだ」という声が聞こえてきた。当「青少年のための少女マンガ入門」が推薦いたしますは、大島弓子の猫エッセイ漫画であります。

月の大通り
『月の大通り』
初出 1988年ASUKA10月号
大島弓子にとって、初の短編エッセイ漫画である。(ショート作品を除く)

エッセイ漫画というと、漫画家と担当編集者がアジア旅行とかテーマパーク見学をして、それをネタにあれこれ描く、というのが最近のスタンダードなスタイル。だが大島弓子の場合はそんな派手でイベントフルなものではない。マンションの一室(推定 80m2ぐらい)の中で起こる、飼い猫と作者の暮らしを描いただけのものである。

具体的に、彼女のエッセイ長編漫画第一作、『月の大通り』を例にとると、こんな話である。

「私と猫の話をします。昔黒猫がうちに入ってきたことがあったけどすぐいなくなりました。そのうち、初めて猫を飼うことになりました。名前はサバです。サバは、人間の言葉がわかっているのかどうかいまいちはっきりとしません。私がマンガのアイディアを考えていると、サバがうるさかったので怒ったら家出してしまいました。見つかってよかったです。サバが喧嘩をして傷だらけになったこともあったけど、治ってよかったです。サバは時間がわかるらしく、私が言ったとおりの時間に起こしてくれます。サバと一緒だと、私は元気になります。」

…小学二年生女子の夏休みの宿題か?

「そんなもののどこがおもろいんじゃ!ただの日常の垂れ流しやないか!」とおっしゃる方、よく考えてみてよ。普通こんな話、マンガとして成立しねーよ! しかも、これ読んでて気持ちいいときてる。「気持ちいい」というのも拙い言葉だが、大島弓子の猫エッセイ漫画(通称 サバもの)にはこの言葉がピタリとはまる。あえていえば、ゆるい漫画の心地良さというところ。>>次頁

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