TINAMIX REVIEW
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青少年のための少女マンガ入門(1)大島弓子

■大島弓子がエッセイ漫画を書く理由

もともと大島弓子は、ストーリー漫画の大家である。冒頭に記した名作の数々、すべてストーリー漫画。しかも、作者の世界観が精緻に張り巡らされている厳格な作品だ。絶対無比の大島弓子ワールドとしか言いようのない諸作品。

「大島弓子ワールドでは、少女は通常の三倍にパワーアップする。そのかわり、フリルのついた衣装を必ず着用しければならないのだ!」 と、よく友人と冗談を交わすくらい独特な世界である。

その大島弓子が、厳格なストーリー漫画から、ゆるいサバものに転向した意味。なぜ、あそこまで作品のリズム感をチェンジしたのか?

前出の『月の大通り』は、1988年に初出。このときからサバの死(1995年)まで、彼女は自分とサバの暮らしを断続的に描くようになった。

口の悪い人は、「ストーリー漫画のネタがなくなっただけだろ」と言うが、果たしてそうだろうか? そんなことで作風まで変化させるだろうか?

よく漫画家のインタビューなんかで、「いや、別に描きたいものなんてないですよ」という言葉が載っている。よく考えてみると、これって当たり前のことだ。「描きたい」なんて、弱火な願望程度のものが、作品というかたちにまで昇華されるはずがない。だいたいみんなも、「やりたいこと」なんて、実際やりゃーしないでしょ。

「描きたい」なんて弱火ではなく、「これを描かなければ地球は滅亡してしまう」というくらいの強い確信、それこそが漫画家に作品を描かせるのだ。たとえ、無根拠でも構わない、確信の強さこそが作品を輝かせる。

きっと大島弓子には、「サバと自分の日常の断片こそ、今描くべきことだ」という強い確信が、あったに違いない。なぜなら、ネタがないからというだけで、作品のリズム感を変えるという、面倒くさいことをするわけがないからだ。描かねばならないという強い確信があったればこそ、作風自体まで変えてしまった…そうとしか思えない。それだけの強い確信があればこそ、あの独特なゆるさが、産まれたのである。

「大島弓子読んだけど、なんかついていけなかったよ」と言う声をよく聞く。その気持ちはよくわかる。彼らは、絶対無比の大島弓子ワールドにいきなり馴染むことが、できなかっただけなのだ。

だからこそサバものである。話の起承転結やキャラクターの心理といった、普段漫画を縛り付けている枠組。そういった枠組もなく、ゆるゆると流れていく漫画。

だけど、心の隅のどっかに引っかかり、ふとしたことがきっかけで、恋人や友人に作中のエピソードを無性に話したくなる漫画。少女漫画…、いや、日本の漫画史上随一のゆるさ。ぜひとも、体験してもらいたい。

現時点、大島弓子のサバものは、オリジナルである角川書店ASUKAコミックス版、文庫サイズの白泉社文庫版、そして朝日ソノラマの大島弓子選集と、数社から出ている。

気軽にあのゆるいグルーヴを体験してみたいのならば、白泉社文庫から出ている、「サバの秋の夜長」「サバの夏が来た」を読むのがよいだろう。この2冊で、大島弓子のサバものは網羅できる。

そして、サバものが気にいったなら、是非とも冒頭に記したストーリー漫画の傑作群に手を伸ばしてもらいたい。そう切に願う。>>次頁

サバの秋の夜長
「サバの秋の夜長」
白泉社 定価543円+税
今回取り上げた『月の大通り』はこちらに収録。
サバの夏が来た
『サバの夏が来た』
白泉社 定価543円+税
サバものシリーズ続き。さらに拍車がかかるゆるさ。

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