TINAMIX REVIEW
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青少年のための少女マンガ入門(5)名香智子

「平凡な少女がある分野での才能を見い出され、様々な経験をしながら成長して行く」。この基本フォーマットに則った少女マンガを挙げろと言われたら、誰でも一つや二つの作品名を挙げられるでしょう。

社交ダンスの世界を描いた名香智子の『PARTNER』もそうした作品の一例ですが、しかし、この作品は一種独特な雰囲気を持っています。例えば、主人公の茉莉花は、初めて目にする世界トップクラスの選手達を「前世紀の遺物」と切り捨て、「あんなふうにはなりたくない」と言い放ちます。作品も、競技より主人公達の恋愛遍歴の描写の方に主眼が置かれており、前述したフォーマットの採用は、社交ダンスと云う名香智子的な題材を扱うための口実のようにさえ見えます。

だが、決してそうではありません。冒頭に挙げたフォーマットは、この作品の主題と密接に絡み合っているのです。この事は、山岸凉子の『アラベスク』と読み比べれば、明確になるでしょう。『アラベスク』は、バレエを題材にこのフォーマットを確立した歴史的傑作ですが、その第2部では、主人公ノンナは師であるユーリとの関係に悩み、ユーリと肉体関係を持とうとして、そんな自分に怯えたりします。一方、茉莉花はそんな事に悩みはしません。社交ダンスを始めるきっかけを作ったウィーン貴族フランツに対しても、はじめは訳もなく劣等感を抱いていたのが、そのうちこんな風に述懐するまでになります。

「フランツに/抱かれているとき/(中略)/フランツに対して/自信がもてる/(中略)/フランツが/ベッドの中で/あんまり子どもっぽいときが/あるので/(中略)/わたしが母親のように優位になれる」。

『アラベスク』のフォーマットで描かれた作品の主人公達が、指導者的立場の男性キャラとの葛藤に懊悩しがちなのに対し、まるで「悩むより寝てみたら?そうしたら、相手も一人の男だって分かるから」と語りかけているかのようです。『PARTNER』では、肌をあわせる事、そしてそれによる関係性の変化が描かれます。『アラベスク』の中で、「女性の叙情性」を体得するには「まちがった方法」とされ、充分に展開されなかった「人と人との心のふれあいに酔う事」。それが、『PARTNER』の主題なのです。

この観点から見ると、社交ダンスと云う題材の選択にも、『アラベスク』に対する批評性が感じ取れます。実際、作品中でも社交ダンスとバレエの比較が何度も語られ、社交ダンスはバレエと違い「ストーリー性も情緒性もない」「ただ楽しむための」「スポーツ」で、「社交ダンスのノン・シークエンスは踊りの中でもっとも進歩した形式」だと宣言されてます。また、男性中心で、女性は男性のパートナーにすぎないとされる社交ダンスですが、茉莉花は軽々とその軛を乗り越え、正式に参加した初めての大会では、競技中困難に陥るクラシックバレエ出身の男性を自らリードしてみせます。ノンナが苦闘の末ようやく到達した、男性キャラからの自立が、はじめから達成されているのです。

『PARTNER』において名香智子は、『アラベスク』が到達した地点からその先を『アラベスク』のフォーマットに則って描くと云うアクロバットを演じてみせてくれます。過剰なまでの少女マンガ的意匠に溢れた名香智子作品が、ベタついた甘ったるさもアイロニーの苦い後味も感じさせず、「軽やかな優美さ」を保っていられるのは、このような強靱な批評性に支えられているからなのでしょう。(文:たき)

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