TINAMIX REVIEW
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青少年のための少女マンガ入門(7)新井理恵

「少女漫画ギャグ作家の迷走」〜新井理恵〜

あ
図1:流血を伴う暴力
「×-ペケ-」より
(c)新井理恵

ギャグ漫画の世界は厳しい。特に4コマの世界は厳しい。「ストーリー漫画に比べて低俗」「4コマなんて誰でも描ける」といった差別を受け、またページ数の少なさから収入も少なく、編集担当にはたくさんのネタを容赦なくボツにされ、世間に蔑視されながらも必死にネタ繰りとの戦いを続ける。しかし「笑いとはなんぞや? ギャグとはなんぞや?」とかそんなコトを追求するウチ、その精神は彼岸の世界に旅立つ。ギャグが笑えないほどシュールな次元のものになったり、ネタが尽きて描けなくなったり、さらには理解不能なエキセントリックな展開を見せ、読者をハラハラさせたまま連載終了……そんなパターンは、おそらくこの先も漫画界において不死鳥のごとく輪廻していくのだろう。

さて、新井理恵の話をしよう。彼女はそんな厳しい世界でなんと9年に及び4コマギャグ漫画を書き続け、単行本「×-ペケ-」は7冊も出版された(少女漫画誌における4コマ漫画は単行本化されることは少ない)。「×-ペケ-」は別冊少女コミック(小学館)において連載当時は田村由美の大ヒット作「BASARA」に次ぐ長寿連載漫画として長い間読者に受け入れられた。さらに雑誌の表紙やカラーページまで手がけ、彼女は4コマギャグ作家としては異例の、華々しい活躍をみせたのだ。

だが、しかし。「ギャグ漫画作家にかけられる呪い」は彼女を見逃してはくれなかった。「×-ペケ-」を1巻から順に読んでいくと解るが、作風の変化と終盤の迷走っぷりは凄まじい。特に最終巻に至っては、その一連の迷走自体が生き様を切り売りしたギャグ、メタ漫画だと思わなければ読むことすら苦痛な痛々しさを感じるほどだ。……というわけで、前置きが長くなったが今回は「×-ペケ-」におけるギャグ作家の迷走を追跡してみたい。

■初期〜上昇期:ダークでテンションの高い作風の確立

図2
図2
図3
図2(左上):図3(左下):図4(右):
すべて「×-ペケ-」より
(c)新井理恵

まずこの作品は「いかにもシリアスな少女漫画な絵柄で4コマギャグ」というのがウケた。それまで少女漫画誌の4コマ漫画というのはデフォルメ&シンプルな絵柄でほのぼのした毒のない内容がほとんどだったが、「×-ペケ-」は違った。ボケにたいしてツッコまれるのは流血を伴う暴力(図1)。ちょっとしたことも効果線を駆使して過剰なまでに表現。微妙なエロネタや不条理ネタを盛り込んだ、毒の効いた作風がウケた。当時、「登場人物が血反吐を吐きまくる少女漫画」というのはそれだけで斬新だったのだ。誰にも理解されずひっそりと善行を積む不良や偏執的なエロ養護教諭、リアルな兎の顔をした生徒(図2)など妙なキャラクターたちも次々と登場する。(→1〜2巻:90〜92年頃)

■全盛期:屈折度アップ、そして迷走の予兆

この頃には絵柄も安定し、ギャグも俄然冴えていく。そしてどことなくロリ系エロ漫画の読者にウケそうな匂いも漂いはじめた。それまではせいぜい美形キャラの胸板が出てくる程度だったのが、何の必然性もないモロ出しのチチ(図3)がでてくることも。また(図2)の兎の弟として、バニーガール風美少年(図4)などいかにもショタコン受けしそうなキャラクターも出現。この辺は意図的にそのスジの読者や男性ファンにウケようと狙った形跡が見受けられる。「思わく通りにこの弟はそのテの読者さんに受けがいいようだ」(3巻P103)との作者コメントも。ただし、これらの意図がこれから始まる迷走の助走であったことに本人が気づいていたかどうか。

図5
図5:暴力度がどんどん上がっていく
「×-ペケ-」より (c)新井理恵

また、作者自身も作中でネタにしているが、暴力度がどんどん上がっていく(図5)。流される血反吐と涙の量も相変わらず多い。また、「×-ペケ-」ではそれぞれの4コマのタイトル横に、作者のコメントが数十字程度入っているが、このコメントが次第に攻撃的に、かつ極端に屈折していくのもポイントだ。連載第一回では「若いうちはなかなか素直になれないモノなんだよ……」(1巻P29)なんていうヌルいコメントが入っていたにも関わらず、「笑ってる人間がいつでも幸せだと思ったら大間違いだ……」(3巻P127)だの「ヒガむバカがいるから自慢するバカがいるんだよ」(3巻P133)だの「他人を信用しない方が人生が潤う」(4巻P47)だのと内向的屈折度が俄然高まっていく過程が伺える。(→2〜4巻:92〜94年頃)

■迷走初期:類は友を呼ぶ

図6
図6:「聖闘士聖矢」のパロディにしか見えないキャラクター
「×-ペケ-」より (c)新井理恵

そもそもこの手の屈折した作風を受け入れるのは純真な子供たちではなく既に歪みきったオトナたちだ。しかも絵柄の変化に伴って、同人系のファンが増えていく。それが影響を及ぼしたのか、あからさまにそのスジのヒトしか笑えないギャグも登場するようになった。たとえば、かつて同人界を席巻した車田正美の「聖闘士聖矢」のパロディにしか見えないキャラクター(図6)とか、コスプレをして高校にやってくる生徒などだ。しかし、どう見てもこういうネタが「好きで好きでしょうがないから描いている」というよりは、むしろ「そのスジのファンにウケるために描いている」のがあからさまになっていった。読み方によってはオタクへの憎悪に満ち満ちているようにも読める。ヘタに器用になっていくのも問題なのかもしれない。

図6
図6
図7・8:あきらかにヤバげなイラスト  「×-ペケ-」より (c)新井理恵

技術的に器用になっていくのと比例していくように、さらに精神の屈折度は増していく。扉の大ゴマの絵があきらかにヤバげなイラストになっていったり(図7・8)、コメント部分も「いっぺん地獄におちやがれゲロ野郎どもが」(6巻P67)と手書きの荒々しい書体で書いてあったり、何かが彼女の精神を蝕んでいるに違いないと思わずにはいられなくなる。ネタ自体も初期の勢いを失ってややマンネリ気味になって行く。(→4〜6巻:94年〜97年頃)>>次頁

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