No.988632

Silver fox

アイオロスとサガの子供時代のお話です。もちろん大人ロスサガの仲良しシーンおまけ付き。銀ギツネって顔がすごく可愛い。そしてすごく不思議。今回はpixivとの同時投稿です。

2019-03-29 19:17:07 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:770   閲覧ユーザー数:758

パァーンと乾いた銃声が夜明け前の森に響く。アイオロスは深々とかぶったフードの隙間から音の聞こえた方へ視線を向けた。濃い青に染まる森の奥から、降り積もった雪の上をサクッサクッと軽やかに跳ねる音が近づいてくる。足音の主は、アイオロスの目の前まで来るとぴたっと歩みを止めた。

 

「あいつめ…… どっちへ逃げやがったんだ……?」

 

猟銃を構えた老人は、荒く白い息を吐き出しながら獲物を追いかけていた。歳のせいで萎え始めた足を何度も雪に取られながら、それでも諦めずに歩みを進める。足跡が消えた辺りまで来た時、森の中に佇む人影を見つけて、老人は驚いて立ち止まった。背の高い男だ。質素な茶色のローブで身体を包んでおり、だいぶ長く歩いてきたようでフードには細かな雪が積もっている。早朝の冬の森にひっそりと立つその姿に、老人は別の意味で寒気を覚えた。

 

「お……おぉ、 あんた、こんなとこで何をしてるんだ??」

 

「驚ろかせてすみません。ちょっと道に迷ったんです。アテネの方から来たのですが、この森を抜けるとテーバへの早道になると聞きまして…… 」

 

フードから現れた顔に、老人は心の中でホッと息をついた。人好きのする、とても清々しい表情だ。肌はよく日に焼け、大きなオリーブグリーンの瞳を輝かせている。高身長のせいですっかり成人だと思ってしまったが、話す声も高めで、その面差しはまだまだ少年と呼べる年頃だ。

 

「そうかい、驚いたよ。ああ、テーバに行きたいなら、このまま真っ直ぐ進むといい。」

 

「そうですか。良かった。助かりました……」

 

アイオロスは丁寧にぺこりと頭を下げた。再びフードをかぶろうとしたアイオロスに、老人は思い出したように慌てて声をかけた。

 

「あ!そうだ。あんた、今ここをキツネが通らなかったかね??」

 

「キツネですか。」

 

「でっかい見事な銀ギツネだよ。うちのニワトリを狙ってよく来やがるんだ。二度と来ないように脅かしてやろうと思ってね。」

 

「それなら、あっちの方へ行きましたよ。何かの影が近づいて来たのは見ましたが、私の姿に驚いて、目の前で方向を変えたんです。そいつのことじゃないですか?」

 

アイオロスの指差した方向を見て、老人は舌打ちした。そちらは背の高い枯草が密集していてキツネの足跡がはっきり残らない。おまけに川も流れている。

 

「仕方ねえ…… 追ってみるか。じゃあ、あんたも気をつけてな。」

 

老人は猟銃を構え直してアイオロスの示した方へと姿を消した。足音が聞こえなくなった頃、アイオロスはそっとローブの裾を開いた。足元にあるふっくらとした温かな存在に声をかける。

 

「もう大丈夫だよ。出ておいで。」

 

ローブの影でまん丸の金眼が輝いている。さらに裾を開くと、その鮮やかな銀毛の身体が現れた。これほど素晴らしい毛並みの銀ギツネはそう滅多に見られるものではない。見惚れているアイオロスの顔を、銀ギツネの方も驚いたような表情でじっと見返している。しばらく沈黙が続いた後、銀ギツネは鼻先を突き出してヒクヒクと動かし、クゥクゥクゥ…… と鳴き始めた。アイオロスはにっこりと笑顔で答えた。

 

「ふふ…… ありがとう。さあ、行きなさい。お腹の赤ちゃんを大事にするんだよ。」

 

銀ギツネは嬉しそうに一度だけアイオロスに振り返り、森の奥深く目指して再びサクッサクッと歩き出した。多分、この雌ギツネはニワトリを襲ったのではない。あの素晴らしい毛皮を目当てに、老人に追い回されていたのだ。この森を進んで来たアイオロスは、何度かリスやウサギなどの小動物に出くわしていたので、ニワトリ小屋を襲うほどキツネが飢えているようには思えなかった。やれやれ密猟か……そう呟きながら、アイオロスはキツネの後ろ姿を見送った。躍動する銀色の身体から、星の瞬きのような青白い光が放たれる。その色艶は最愛の人の美しい髪を思い出させた。自然とアイオロスは笑顔を浮かべ、完全にキツネの姿が見えなくなるまでその場に佇んでいた。

 

 

指先をそっとシーツに滑らせ、サガはうっすらと瞼を開けた。暖炉の薪が焚きつけられ、部屋の中は気持ちの良い温かさに満ちている。外から見ると質素な山小屋だったが、家の中はきちんと整理整頓されており、まるで童話にでも出てきそうな可愛らしい感じの住まいである。壁にはサガが着ていたローブが丁寧にハンガーにかけられていた。その横にはギリシャ神話の一場面を描いた小さなタペストリー、少しだけ大きさの違うショルダーバッグが二つ、小さな木の机、しっかりと積み重ねられた薪。それらが暖炉の炎に赤く照らされている。そして…… 先ほどから感じる視線。部屋の扉をほんの少しだけ開けて、二人の子供が中を伺っている。その存在にはとっくに気づいていたが、サガは寝たふりをしていた。

 

「よくねてる。おくすりがきいたんだな…… 」

 

「ねえ、おきた?おきた?」

 

「しっ! まだねかしておこう。おじいちゃん、もうすぐかえってくるよ。」

 

小さな兄妹が慎ましく朝食用のお皿の用意をしていると、先ほどの老人が息を切らせて入ってきた。キツネを仕留め損ねて悔しそうだったが、二人の孫たちに会った途端に笑顔を見せた。走り寄ってくる兄妹をその大きな腕で抱きしめる。

 

「おかえり、おじいちゃん!」

 

「ただいまゼファー、クロエ。お腹空いただろう。すぐパンを焼いてやるからな…… ところで、あの人はまだ寝ているか?」

 

「うん!ママ、ねてる!」

 

「バカだなあ。あのひと、おとこだよ。クロエったらわかんないんだ。」

 

老人はハッハッと笑い、猟銃を部屋の片隅に置くと、雪にまみれたジャケットを脱いで暖炉の側に置いた。三人が楽しそうに朝食の支度をする様子を、サガはベッドに横たわったまま静かに聞き耳を立てて伺っていた。

 

 

「ありがとう、もう大丈夫だよ。」

 

塗り薬を足首に擦り込んでいたゼファーに、サガは笑顔でお礼を言った。11才になったばかりの面差しは少女に可愛らしく、声も高く澄んでいる。ようやく腰まで伸びた美しい青銀の髪が少しだけ胸の上にかかってウェーブし、彼の幼い美貌をさらに際立たせていた。サガの真っ白な足首には、キツネ用の罠の鋭い刃が一定の間隔で傷つけた跡が赤く点々と残っている。まだ治ったとは言い難い状態だったが、立ったり適度に歩くのには支障がなさそうだ。サガの優しい声と眼差しに、ゼファーは頰を赤らめた。

 

「へへ…… でも、むりしないでね。」

 

小さな手のひらで器用に包帯を巻きながら、ゼファーはサガに忠告した。

 

「君たちに助けてもらってよかったよ。本当にありがとう。」

 

そう言っているうちに、クロエがサガの膝にじゃれついた。まだ二歳くらいと思われるクロエは、サガが女性であると信じて疑わなかった。両親がすでに亡くなっている兄妹にとって、サガの出現は奇跡に他ならない。まるで、ピノキオの前に姿を現したブルーフェアリーのような存在だ。特に妹のクロエは、サガが初めてここへ来てから甘えっぱなしである。

 

「ママ…… ねえ、ママ…… 」

 

「ちがうよクロエ、そのひとはね」

 

「いいよ。クロエはまだ小さいし、叱ったら可愛そうだ。」

 

サガがクロエを膝の上に乗せると、クロエはすぐにサガの胸にしがみついた。ゼファーも羨ましくなったのかすぐに同じようにじゃれついた。二人は母親のような優しいぬくもりを求めている。そういえば、自分と同じ歳なのに、弟というだけでカノンもよくこんなふうに甘えてくることがあった。今ではそんな可愛さは影もカタチもないのだが。そんな思い出に浸りつつ、膝の上で場所争いを始めた兄妹をなだめていると、急に部屋の扉が開かれた。

 

「こらこら、その人はケガ人だぞ。二人ともすぐ降りなさい。」

 

老人の叱責に、二人は膨れっ面でサガの膝からしぶしぶ降りたが、その後も楽しそうにじゃれあっている。本当に仲良しの兄妹だ。老人は孫たちの頭を撫でながら言った。

 

「これからもっと雪が降るらしい。あんた、その足じゃ雪道はキツいぞ。この森にはあちこち罠が仕掛けられているから、場所を知らん者にはとても危険だ。あんたさえ良ければ、しばらく泊まっていったらどうかね。帰る時に安全な道を案内してやるから。」

 

「すみません。手当だけでなく、食事や休む場所まで用意して頂いて…… 天気が良くなるまでもう少しお世話になります。」

 

サガが丁寧にお辞儀をすると、老人は少し照れたように笑い、兄妹はわあ〜っと大喜びで再びサガに抱きついた。老人の言葉通り、雪は次第に激しさを増していった。

 

その日の真夜中。老人と兄妹が寝静まったのを壁越しに確認し、サガはゆっくりとベッドから身体を起こした。赤々と燃える暖炉の炎を反射して深い翠の瞳が暗く揺らめく。足首の包帯を取るとその傷に手のひらを当てた。みるみるうちに黄金の小宇宙が宿り、しばらくして手を離すと傷は跡形もなく治っていた。寝衣から服に着替え、そっと部屋の扉を開ける。サガが子供たちの部屋を借りていたため、三人は隣の部屋で一緒に寝ている。子供たちは寝る直前までサガと遊び尽くしていたので、今はスイッチが切れたように深い眠りについている。真っ暗な廊下を進み、きしむ階段をゆっくりと降りながら辺りを見渡し、一階のリビングに立った。瞳を閉じて精神を集中させる。サガの全身を薄っすらと黄金の小宇宙が覆った。

 

……… 音が聞こえる。何処だ? 何処から聞こえるんだ…… ?

 

サガの放つ小宇宙に共鳴し、“それ”はコトコトと微かな音を発していた。部屋の隅に置かれたクローゼットの裏から聞こえてくる。小宇宙の力でクローゼットを動かすと、隠れていた壁に四角くくり抜いたような穴があり、板で塞がれていた。いかにも後付けで壁を掘って作ったような収納庫で、知られたくない物を隠すには絶好の場所だと言える。サガは二階の様子を伺ってから静かにその板を外した。中には普段使用しない日用品が詰まっていたが、それはカムフラージュで、その奥には厳重に施錠された古い箱が隠されていた。そっと取り出してその施錠を開けると、予想通りのものが見つかった。修道院で使用される儀式用の貴重な銀製の神具、当座の生活費にも匹敵する大量の札、両手に乗り切らないほどの金貨。そして…… サガが最も探し出さなければならなかった物。それは手のひらに乗るほど小さな壺だったが、その蓋には古代ギリシャ語で“SANCTUARY”と書かれた封印が貼り付けられていた。

 

「間違いない。これはシオン教皇が封印されたもの…… 良かった、開けた跡はない。」

 

安心してサガはホッと息をついた。しかし、頭上に気配を感じてそちらに視線を向けると、暗闇で鈍く光る銃口が目に入った。

 

「てめえ…… 何してやがる…… 」

 

今までの優しく穏やかな表情とはうって変わって、恐ろしい形相で猟銃を構えながら、老人はゆっくりと階段を降りてくる。サガは壺を持ったまま黙って立ち上がった。老人は目の前まで来ると、さらに銃口をぐっとサガの胸に突き出して囁いた。

 

「寝る前に鎮痛剤を渡したはずだ。飲んでねえのか?」

 

「あれはただの鎮痛剤じゃない。錠剤の記号を見て、かなり強い睡眠薬であることがすぐわかった。昨夜も飲んでいない。効いてるふりをしていただけだ。」

 

チッと老人は悔しげに舌打ちした。本性を表したその目は狂気に満ちている。

 

「何てヤツだ…… ずっと探ってやがったのか? まさかここへ来るのも、最初っから計算済みだったってことか?」

 

「そうだ。森の中であなたの姿を確認して、目の前でわざと罠に足を入れた。」

 

「畜生……! とんだキツネが捕まったもんだ…… すっかりその可愛い顔に騙されたぜ……」

 

老人の額に細かな汗が浮かび始めた。サガは銃口を差し向けられながらも全く恐る様子はなく、冷静に相手を見つめている。

 

「この壺には、修道院から聖域が依頼を受けて封印した精霊が入っている。あなたが所持できるものではない。このまま回収させてもらう。」

 

「意味のわかんねえことを言うなよ。オレはただ金目の物をあちこちから盗んできて、そこへ隠しただけだ……」

 

老人の言葉は本当らしい。悪党には違いないが、彼の背後からは神域に関わるような小宇宙は感じない。犯人が普通の人間ということで、サガはホッとした表情を浮かべた。しかし、老人にはその笑顔が不気味に感じて、絞り出すような声でサガに命令した。

 

「外へ出な。ここでぶっ放すと孫たちが起きる。あいつらの前でてめえを撃ちたくねえ。」

 

「盗んだ物なんかで裕福になっても、あの子たちは喜ばないだろう? もう二度とこんなことをするな。」

 

「うるせえ………! 早く外へ…… 」

 

サガの瞳に小宇宙が宿る。老人の額めがけて幻朧拳が放たれようとした瞬間、逆に老人の背後から一筋の細い閃光が煌めき、彼の後頭部を撃ち抜いた。老人はあっけなく気を失ってサガの方へ倒れかかって来たので、彼はすぐに老人の猟銃と身体を支えた。そのまま音を立てないように静かに床に寝かせ、閃光がひらめいた方向を見つめる。

 

「………………………………… 」

 

曇った窓ガラスにボンヤリと映る、見知った顔。その人物は分厚い手袋をはめた手を元気よく振っている。サガは呆れた声でその名前を呼んだ。

 

「…………… アイオロス。なんでここにいるんだ………?」

 

部屋に入ってきたアイオロスは、腕組みをして不満げな顔をしているサガを見て、すまなそうに両方の人差し指をツンツンと当てて口を尖らせた。

 

「だって、心配だったんだもん。」

 

「私がこの任務に失敗するとでも思ったのか?」

 

「そうじゃない。けど、相手が異教の戦士かもしれないし、敵がたくさんいてサガが連れていかれたらどうしようって。今も、後ろから見てたら思わず撃っちゃったんだ。」

 

サガはため息をついてみせたが、大好きなアイオロスがここまでついて来たことは内心嬉しかった。戦利品である壺を見せると、アイオロスは笑顔でそれを受け取った。

 

「すごいな、本当にあったんだ。シオン教皇も喜ばれるだろう。」

 

彼らが十歳を過ぎた頃から、シオンは聖域以外での任務を二人に与えるようになった。幼くして黄金聖闘士になっていた二人だったが、それまでは聖域の中での任務ばかりで、しかもシオン教皇の補佐として三人一緒に行動することが多かった。こうして外界で活動するようになると、聖闘士であることを隠しながらの遂行になるので、何でもすぐに小宇宙を使えば良いというわけにはいかない。研修を兼ねているとはいえ、どこかまだ子供っぽさのある二人にはこういった任務がゲームのように感じるところがあり、指名されるたびにワクワクした気持ちで外へ飛び出していった。ただ、サガの任務の時はアイオロスが勝手に追いかけてくることがあるので、結局は二人で遂行しているようなものだった。もちろん、このことはシオンには内緒である。

 

一昨日、サガはシオンに呼び出され、今回の任務のことを聞かされた。古くから聖域と親交のある修道院から、神具と共に精霊を封印した壺が盗まれたというのだ。ギリシャには各地に神域があり、太古から様々な神霊が今も存在している。ハーデスやポセイドンのように世界平和を脅かすほど強力なものではないが、それでも、人間たちの生活に支障をきたすような騒々しい精霊がたまに出現し、聖域がその退治に関わることがあった。この壺に入っている霊もその一つで、修道院に出現しては参拝者や修道士たちにポルターガイストまがいの悪ふざけをするので、やむを得ずシオンが封印したものだった。女神アテナが転生されていない時代は、現教皇が聖域の名において封印することが許されている。盗難被害にあった修道院から犯人である老人の家まで、残された気配を探るのはそれほど大変な作業ではなかった。しかし、犯人と小さな子供が同居していることを知ったサガは、すぐには計画を進めず、咄嗟の判断で今回のように動いたのである。

 

横たわる老人の額に手をかざし、サガは小宇宙を送り続ける。強い催眠術を施し、盗賊としての記憶自体をすべて消しているのだ。アイオロスは収納庫から出てきた箱を探り、貴重な神具も取り出して言った。

 

「これがなくて修道院も困っていただろうな。もう一度作るには大変なお金がかかるし、一緒に見つかって良かった。」

 

「お金はどうする?それも一枚ずつ持ち主を辿るか?」

 

壺や神具と同じ盗難品には違いないが、真面目なサガにしてはどこか悪戯っぽい言い方だ。その理由を察したアイオロスは、楽しそうに札束や金貨を箱に詰めなおした。

 

「これはいいや。こんな大きな単位のお札や金貨、貧しい人たちから盗んだとは思えない。すべて裕福な人たちからの“ほどこし”と思うことにしよう。聖域と修道院が取り戻したかった物は壺と神具だけだ。」

 

「盗難の記憶を消してしまうと、隠した場所も忘れる。本人はいつ気づくかな?」

 

「そうだな…… いずれ子供たちが見つけるだろう。ご先祖さまの残した宝箱発見!って感じかな。」

 

アイオロスの明るい返事にサガも笑顔で返す。老人への催眠術が終わると、二人は老人を抱えて子供たちが寝ている部屋に入った。暖炉の炎がベッドで深く眠りについている子供たちを照らし出している。穢れを知らない小さな天使たち。その横に、そっと老人を降ろした。

 

「次に目を覚ます時には、今までの悪しき習慣はすっかり忘れている…… 任務完了だ。」

 

サガは三人に毛布を掛け直すと、二人の子供たちの額にそっと口付けた。

 

「優しいゼフィルス、可愛いクロリス。二人ともどうか幸せに……」

 

お礼を込めた柔らかな口付け。その一瞬で、二人の記憶からサガの存在も消える。とても短い時間だったが、二人の記憶から楽しく過ごした時間が消えてしまうのは何とも寂しい。しかし、これも任務の一環である。サガは小さくため息をついてアイオロスを振り返った。

 

「さあ、聖域に帰ろう。」

 

壺や神具を持ったままアイオロスは扉のところに立っている。その顔はどこか浮かない様子で、唇をムズムズ動かしている。

 

「どうしたアイオロス?」

 

「………… いいなあと思って。」

 

「何が?」

 

「キス。おでこにしてもらってた。私にもしてくれよ。」

 

「何で??」

 

「ん、助けに来たお礼。ほら、これ返すのも手伝うし。」

 

アイオロスは抱えている物を軽く揺らして見せた。

 

「………… 六歳と二歳の子供だぞ。」

 

「僕もまだ十歳の子供だよ?」

 

「私だって子供だよ。」

 

サガは小声で反論しつつ、アイオロスに近づくと望み通りその唇にキスを送る。軽く触れるようなキスだったが、すかさずアイオロスは顔を寄せてサガの唇に深く合わせた。

 

「すごい雪だ。これではアテネの街も積もるだろうな。」

 

夕闇に包まれるロジェスの街を眺めながら、アイオロスは感嘆の声を上げた。昨日から二人は任務でイタリア南部に位置する街に来ている。到着時はまだちらつくほどの雪だったが、任務中に次第に強さを増し、今は僅かな地肌や屋根を見せる程度に白く降り積もっている。イタリアやギリシャの一般的なイメージは“年中暑い国”で、雪とは無縁のように思われるが、それでも数年に一度は大雪に見舞われることがある。日をまたぎ、今日の昼過ぎにようやく任務を終えた二人は、街で食事を済ませるとそのまますぐにホテルに入った。熱い湯を張ったバスタブに身体を沈めて、長かった潜入捜査の疲れを癒す。そして……

 

「さっきカノンからメールが来てた。この天気はカミュの仕業じゃないって。」

 

羽根布団から顔を出し、サガはクスクス笑いながら言った。二度の愛を交わし、その熱がまだ瞳に残っていて潤んでいる。サガが白い腕を伸ばすと、アイオロスは厚いカーテンを閉めてすぐにベッドの所へ戻ってきた。白に包まれる美しい恋人に口付け、ウェーブする髪に手のひらを這わせる。それに応えるように、サガは隣に横たわる逞しい男の頰を撫でた。

 

「帰ったら双児宮の入り口にちっちゃな雪だるまが二つあると思う…… 雪が降った時はカノンが必ず作るんだ…… 」

 

丁寧に炭のカケラで目と鼻が作ってあって……と、サガは思い出して笑った。その間もアイオロスの頰を撫でたり、口付けたりしている。

 

「雪を見ると、あの日のことを思い出すよ。ほら、あの山小屋の家族のこと。」

 

少し記憶を巡らせてから、ああ…とサガは答えた。

 

「あの子たちも、もう立派な大人だ…… 確かゼファーは23才、クロエは19才。」

 

「今は何をしてるかな…… あの場所に住んでるのかな?」

 

任務から17年間、彼らはあの家族に会っていない。記憶を消してしまったということもあるが、一般人を巻き込んでいる任務の場合、混乱を避けるために不用意に会いにいくことは禁じられている。サガはアイオロスの胸に顔を寄せて瞼を閉じた。

 

「そうだな…… 二人とも良い伴侶に恵まれて…… 大勢の家族に囲まれて、あの老人もきっと穏やかな余生を送っているだろう……… そうであってほしい。」

 

「そして、あの山小屋を建て直すんだ。みんなで住めるくらい大きな家を作ろうって。家の中を片付けて、タンスを動かして、ついにあの場所を見つけるのさ。」

 

そう言って二人は笑って抱きしめあった。何気なく口にしたこの推測は、二人の心からの希望でもあった。だが、まさかあの家族が現実にその通りになっていることを知ったら、二人とも自分たちの予知能力の高さに面食らうことだろう。

 

「そうだ、あの時のことでずっと聞きたかったんだ。なぜ私の居場所がわかった?」

 

「あ〜、あれね…… 」

 

「気配を消して歩いていたのに。お前があの家にたどり着いたのを見て驚いたよ。」

 

遠い昔の記憶だが、それでも任務に一生懸命だったサガにとっては少し不服だったようだ。

真面目なサガらしい疑問に、アイオロスは優しく額を合わせて言った。

 

「教えてもらったんだよ。前の日の晩、お前があの老人と一緒に山小屋に入るのを見たって。」

 

「あの森に誰かいたのか?」

 

「うん。」

 

「あんなに注意してたのに…… 私も未熟だったな。」

 

「いいや、君はすごいさ。いつだってね。こんなにも私を虜にする素敵な存在だ……」

 

話を誤魔化すな…… と言いつつ、サガは嬉しそうに抱きついてくるアイオロスの身体を両腕で柔らかく受け止めた。紅潮する頰の上を伝っていた唇は、そのまま止まることなく首筋にも流れていく。シーツに広がるサガの青銀髪を見ているうちに、アイオロスの脳裏にあの時の銀ギツネの姿が思い出された。金色に光る丸い瞳をじっとアイオロスに向け、彼の発する小宇宙に感応する。一人の人間と一頭の動物。その間に厚く立ちはだかっていた言葉の壁が消えて、ただ二つの、純粋な命の対話が可能になる……

 

ーー私の友達を見なかったかい? こんな格好をしているとても綺麗な子さ。

 

ーーあの老人を追いなさい。あの老人の家にいる。昨日、一緒に入るところを見たから。

 

銀ギツネはそう言って目を細めた。

 

 

「あの頃からずっとお前を追いかけてた。ケンタウロスの血がそうさせるのかな。美しい獲物を追って…… こうして両腕の中に入れて抱きしめて。何処へも行かないように、ずっと…… ずっと…… 」

 

「アイオロス…… 捕まえていて…… 私は…… 永遠にお前のもの……… 」

 

サガの身体を強く抱きしめ、その胸元に顔を埋める。重ねた身体を大きく動かすと彼は高く声を上げた。明日の朝は雪合戦でもしようか…… そう恋人の耳元で囁きながら、アイオロスは深く唇を合わせた。

 

 

 


 
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