No.962758

雨曝しの心傷

ソルティさん

透明人間の存在意義。

2018-08-06 21:23:12 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:268   閲覧ユーザー数:268

rebirth

 

「ごめんね」

 

 病室は無機質だ。

 

 それでもお母さんは必死に膝を折り、全身で幼い僕を抱きしめていた。

 

「どうか笑っていて」

 

 声はか細く倒れそうで、それでも願いはしたたかで。

 

「そうすれば、誰かが愛してくれるから」

 

 僕は反応できない。

 5才児の思考が追いつくはずもない。

 

「──わかってね、ハルキ」

 

 お母さんの腕に、そっと力が宿る。

 

 最期の『教育』は、あまりにも乱暴が過ぎた。

 

 

reverse

 

 耳障りなアラームに起こされる。

 僕は見事に自室で突っ伏していた顔を上げ、スマートフォンを手繰り寄せた。

 

 静止したロック画面には23:15の数字。

 

 それとともに、メッセージの通知が漂っていた。

 

『明日、みやげをもっていく』

 

『勉強もほどほどに』

 

 送信者の名はレーナ。

 

 何かと世話焼きな幼なじみで、友人だ。

 

 僕は教材にまみれた勉強机を横目に、返信する。

 

『わかってるよ』

 

 スマホを寝床に放り、筆記用具を手に自学習を再開した。

 

 

「いってきます」

 

 夜が明け、朝が来る。

 

 靴を履いて外に出ると、容赦ない日差しに襲われた。

 

「暑い」

 

 本能的に漏れる声。

 

 今年は、小学校最後の夏休み。

 

 とりたてて今日は、夏休み中盤の確認テストを実施する登校日だった。

 

「あの制服、学院じゃない?」

 

「やば、金持ちじゃん」

 

 駅に着き、改札を抜ける際女子高生風の二人組とすれ違う。

 

 電車に足を踏み入れた僕は、大人しく席に座った。

 

 夏休みのこんな時間だからか、彼女たちを除いて学生はほとんど見かけない。

 

 大半が俯き目をつぶっているか、スマホをひたすら触っている。

 イヤホンをつけている人も。

 

 外に時間を馳せる僕は、そんな人たちを見て思う。

 

 ──僕は、世界の回転を感じられないほどに鈍感で無様だ。

 

 今日もまた、置き去りの一日が始まる。

 

 そう感傷に浸っている間にも、電車に体は引っ張られていく。

 

 

 手持ち無沙汰になると嫌でも思い知る。

 

 僕が有馬 春樹(ありま はるき)であること。

 

 本当の父親の『愛情』と『躾』が、俗にいう『虐待』と『ネグレクト』であったこと。

 

 かつてその父に殴られ罵倒されていた母親が、『悪者』ではなく『被害者』であったこと。

 

 ──それが僕を守ろうとしていた事実であることも。

 

 その末、疲弊していなくなってしまったということも。

 

 一応10年以上は生きてきたんだ。

 頭では自分の異質さを理解できるように育つ。

 

 だからか、僕は勉強が好きだった。

 余計なことを一時的に忘れられるから。

 

 そうこう駆け巡るうちに、電車が目的地に到着する。

 

 僕は静かに降りた。

 

 

 電車からバスに乗り換える。

 

 僕が通う学校は、浄光学院という私立の小中高一貫校だ。

 

 自宅からは遠いが、都内では屈指の進学校として数えられそこそこ名が知れている。

 僕は里親の意思で、初等科からいわゆるお受験というかたちで入学した。

 

 僕の里親──5才を境に実父が借金を残して蒸発し、実母が亡くなると同時に僕に手を差し伸べてくれた存在。

 資産家の上品な夫婦だ。

 

 聞くところによると、彼らは母の大学時代の知り合いだったらしい。

 赤の他人の借金を全て返済するなど、ありえないぐらい良い人たちだ。

 

 人の温度、言葉の意味、笑い方、作法……人でなしだった僕をまともな人間にしてくれた。

 

 感謝している、だから期待に応えたい。

 いい大学に入って、働いて恩を返したい。

 

 でも……

 

「おはよう」

 

 学院前に停まったバスから出た途端、真顔の女の子が視界に飛び込んでくる。

 

 僕は自然と肩の荷が下りるのを感じた。

 

「おはよう、レーナ。久しぶりだね」

 

「ああ、夏休みはどうだ」

 

「いつも通り。勉強、塾、勉強だよ。今日の学校の後も塾」

 

「それは充実しているようでなにより」

 

 黒く髪の短い女の子──レーナこと柘榴 零奈(ざくろ れいな)と揃って校門をくぐる。

 

 レーナとは初等科1年生からの仲だ。

 

 彼女とは、何となく波長があった。

 

 気を遣わずに話せる唯一の友人といってもいい。

 

「哀れなハルキにこれをやろう」

 

 レーナが僕に渡したのは、デフォルメされた白猫のキーホルダーだった。

 

「なにこれ」

 

「もちねこ。みやげだ」

 

 レーナは探った鞄を持ち直した。

 

「母に会いに海外に行った際、運命的な出会いを果たした。ハルキ、猫好きだろう」

 

 レーナの口調が特徴的なのは、母親が作家でその語り口に影響されている部分もあるみたいだ。

 現在レーナの母親は海外で仕事をしており、レーナは祖母と二人で暮らしていると聞いた。

 

「そうだけど……うん、ありがとう」

 

 僕は猫を一通りくるりと回す。

 

 おもむろに鞄へとしまった。

 

「つけないのか」

 

「そのうちね」

 

 背後を、アブラゼミの鳴き声と虚ろな生徒の群衆が構成していく。

 

 僕らは校舎に吸い込まれた。

 

 

 なんてことない確認テストを終え、夕方。

 

 塾も終わり、多くの生徒が帰路に着いた。

 

 僕は塾の一室で1人立ち、朝レーナからもらったもちねこに目を凝らしていた。

 

 放課後に別れた、彼女との会話を記憶から反芻している。

 

『じゃあ、元気で』

 

『頑張りすぎるなよ』

 

『今度、気晴らしに遊びにいこう』

 

「……相変わらず、1人で気味の悪い奴だな」

 

 唐突の声に僕は現実に引き戻される。

 

 そこには高い背、浄光学院の校章、中等科の名札──『先輩』が居心地の悪そうに距離を詰めてきていた。

 

 僕はレーナからの贈り物をポケットにしまい、規定通り満面の笑みを返す。

 

「おつかれさまです」

 

「よく言うぜ」

 

 先輩は荒っぽく僕の前にある机に腰かけた。

 

「お前、特進科にいくんだろ」

 

 憎々し気に僕の眼をのぞきこむ先輩。

 

 おそらく、もうすぐ僕が中等科に上がるからそのことだろう。

 

 僕は陰ながら嘆息を吐き、心中目を見張った。

 

「一応、今のところは……」

 

 先輩は鼻で笑う。

 

「いいよな、お前は」

 

 悲劇的に片眉を傾げて。

 

「そうやって、人を馬鹿にして生きていけるんだから」

 

 耳鳴りがする。

 

 僕は、笑顔を被ったまま固まってしまった。

 

『どうか笑っていて』

 

 母の遺言が枷となってせき止める。

 

 僕はレーナがくれたもちねこをポケットの外から握りしめ、平静を保とうとした。

 

 ザ────

 

 ところが急な雨、夕立。

 

 雨音に、僕は自身の過去の悲鳴を重ねてしまった。

 

 ──病室。

 

 ──母を責め立てる嗚咽。

 

 ──無機質な大人たちによって引き剥がされる小さな手。

 

 体温の代わりにあてがわれたのは、冷たく愛らしい大きな猫のぬいぐるみだった。

 

「……ったく、なんで俺がこいつのお守なんか……あいつら、俺の心配なんかしないくせに……」

 

 そういえばあのぬいぐるみもいつしかボロボロになってしまって、知らない間に里親の好意によって処分されていたっけな。

 

 先輩の独り言も聞かず、僕は肩を震わせて嗤った。

 

 先輩の目つきが訝し気に揺れるのが尚おかしかった。

 

 ──みんなそうだ。いずれ壊れてしまうし居なくなってしまう。

 

 変わらない僕が変なんだ。

 どこまでも母の面影を求めようとする、僕が。

 

 あの人がなんだ。言いたいことだけ言って消えたじゃないか。

 

 どうせ1人だ。

 

 僕の努力は報われない。

 

「……愛されないのを、他人のせいにするなよ」

 

 己に跳ね返る台詞。

 

 僕は鞄を雑に落とし、戸惑う『先輩』に飾ることのない汚い笑みで勧告した。

 

「お互い楽になりましょう、義兄さん」

 

 わかりきっていたことだ。

 

 僕の本当の家族は、最初からただ一人。

 

 落雷と一緒に、頭上に掲げた椅子を振り下ろした。

 

 

refuse

 

 散乱した教材、膨れ上がった鞄。

 

『僕の部屋』だった場所。

 

 スマートフォンがしつこく幾度も点滅している。

 

『何があった』

 

『大丈夫か』

 

『夏休みが明けてからずっと、学校を休んでいるようだが』

 

 間。

 

『頼む。何か言ってくれ、ハルキ』

 

 僕はようやくスマホをとった。

 

『義兄さんは、どうなった』

 

 すると面白いように返信が止まる。

 僕は頬を釣り上げた。

 

『わかれよ、レーナ』

 

『僕はもう戻れない』

 

 今度は僕の番だ。

 考えるより先に指で液晶をスワイプしていた。

 

『僕が自ら望んだことだ』

 

『もう、疲れたんだよ』

 

『里親も消えたしね』

 

 変に静まり返った家で、カーテンが虚しくそよぐ。

 

『お父さんが、僕を見つけて解放してくれたから』

 

『僕はやっと自由に生きられる』

 

 僕は滑稽なもちねことやらを取り出し、無造作に机に置いた。

 

「さようなら、レーナ」

 

 返事などない。待つつもりもない。

 

 ちゃちな拠り所に頼らなくていいほど、僕は強くなる。

 

 僕は鞄をかつぎ、早足で部屋から逃走をはかった。

 

 

 殺意という狂気を携えて迎えにきてくれた、敬愛するお父さんの元へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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