No.946586

夜摩天料理始末 34

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/946184

2018-03-26 20:41:26 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:531   閲覧ユーザー数:523

 ざわり……と。

 廷内の空気が不穏に揺らいだ。

 

 料理を喰え。

 

 こんな当たり前の言葉が、本来醸し出す空気では無い。

「何の冗談だ?」

 いぶかしげな男に、事情を心得ている側の、優越感に満ちた笑いが、都市王の顔を彩る。

「生憎冗談では無いのだよ」

「そうかい……なら、俺は食う、約束は守って貰うぞ、冥王様よ」

「良かろう、冥王の名において、確と約定した」

 くっくと笑いながら、都市王は一人呟いた。

 現実という奴は、時に冗談より性質が悪い。

「それで、彼は食べる気のようだが、そちらは如何かな、元夜摩天殿」

「……お断りです」

 その声に、男は思わず、彼女の方に顔を向けた。

 冷静で冷徹だが、どこかに温かみを感じさせていた声が、今は壊れる寸前の器のような、軋みを宿していた。

 その表情も……。

 何故だろう。

 まるで、そう。

 泣き出す寸前の、女の子みたいな。

 何故だと、聞くのが躊躇われる……そんな顔。

 

「どうした、そこの生意気な人間に自慢の料理を振舞ってやれ、元夜摩天殿よ」

 扉の前で、宋帝が下卑た笑いを浮かべる。

「……何てことさせんのよ、あの悪趣味な下衆野郎ども」

 閻魔が低く唸る。

 

「これは冥王の判決だ」

「お断りです」

 夜摩天が、同じ言葉を繰り返す。

「ほう、断るか……ならば、なぁ宋帝、いや現閻魔殿」

「仕方ないな、この扉、開け放ってくれようかよ」

「何故そうなるのです!」

 二人の言い種に、それまでは何とか冷静さを保っていた夜摩天の声が高く上ずった。

「我が判決に従わぬというなら、そうしても良いのだよ、さて、自身の劣等感から、この世界を危険に晒すのかね?」

 いや、そんな奴が夜摩天であったなど、冥府の恥だなぁ。

「貴方という人は……」

 夜摩天の握りしめた右手から、血が一筋滴った。

 強く握った拳が震える。

 その拳が、そっと包まれた。

「閻魔?」

「夜摩天、落ち着いて」

「……でも!」

 夜摩天の手から滴る血が、閻魔の手にも暖かい感触となって伝っていく。

 出来れば、させたくはない。

 けど。

「……料理を作りなさい」

「閻魔!」

 彼女が振るう包丁は、恐らく彼女の心を切り刻む刃となってしまうだろう。

 だが、このままでは……。

「判ってる筈よね、他に選択肢は無いのよ」

「でも……でも、閻魔、貴女は知ってるでしょ、私の料理は!」

 知ってるわ、良く知ってる。

「……それでも、よ」

「……っ!」

「可能性を繋いで」

 そう言いながら、閻魔は都市王に顔を向けた。

「彼に事情の一つ位は説明してやっても良いんじゃないかしらね?」

「構いませんよ、せいぜい甘い言葉に包んで、上手に説明してやる事です」

 尤も、いかなる言葉も、現物を目にした時に崩れるだろうが。

 そう笑いながら、その椅子にふんぞり返ろうとした都市王の背中が、直ぐに硬い感触に触れて、彼は顔をしかめた。

 ……何と言う座り心地の悪い椅子だ。

 常に背筋を伸ばしていないと、座っても居られない椅子。

 これが、冥王の椅子なのか。

 だが、彼は何も言わずに、階の下に目を向けた。

「……どういう事なんだ?」

「平たく言うとね、彼女の料理は一種の毒みたいな物なのよ」

 

 彼女は料理が趣味だった。

 几帳面で、真面目な彼女の作る物は、面白味がある物では無かったが、彼女が母親から受け継いだ味を、そのまま常にきっちりと再現する、美味な物であった。

 いかに忙しくなろうとも、戦陣に在る時ですら、彼女は料理を作り、自身だけでなく、周囲にもその料理を振舞っていた。

 戦陣の辛さを、一時慰めてくれる……。

 そんな、食材も少ない中で、何とかやりくりして彼女が作ってくれた、一椀の味噌汁。

「……美味しかったのよ、本当に」

 俯く夜摩天の傍らで、閻魔は、どこか平板に言葉を続けた。

 だが、そう……。

 彼女が夜摩天の位を得て、暫く経った後であったか。

 彼女の料理を食べた鬼達が、皆、原因不明の腹痛に侵された。

 その時は、まだ、大したことも無く終わった。

 だが、それは始まりに過ぎなかった。

 原因は判らない。

 判らないが、彼女が作る料理は、日増しにその裡に秘める毒の量を増やしていった。

 不幸中の幸いと言うには、余りに皮肉だったが……その外見もまた、その内在する毒の量が反映されたような、酷く、禍々しい物に変わってくれた事で、それ以上誰かが彼女の料理に中る事は無かった。

 

 刻みいれた青菜が、禍々しい緑色と変じてその裡に毒を宿す。

 綺麗に切ったはずの豆腐が、何故か目玉に変わる。

 澄んだ出汁に溶かされた合わせ味噌の汁が、ドロドロとした、時にぼこりと瘴気を吹きあげる粘液となる。

 綺麗に切られた大根の千六本が、暗赤色の蚯蚓のようなものに変じ、その粘液の中を泳ぎ回る。

 

 最早、間違っても人に振舞える物では無い。

 原因を追究したい所ではあったが、彼女の多忙がそれを許さなかった。

 それでも、夜摩天は暇が有ったら料理を作り続けた。

 その技を忘れない為に。

 何より、原因不明で起きた現象なら、逆に、ある日突然治ってくれるかもしれない、そんな微かな希望に縋って。

 彼女は、作っては捨てる……そんな行為を、人知れず続けていた。

 

 そんなある日、悲劇は起きた。

 血気盛んな鬼の若者が、夜摩天の、その料理の話を聞きつけた。

 そんなわけが有るか、不味い料理の話に尾ひれが付いたんだろ?いや、先輩が食って食あたりしたらしい。痛んでただけじゃねぇのか?いやいや、そもそも外見からして毒っぽいらしい……。

 酒の席で色々な噂が飛び交い……蛮勇を無駄に誇る年齢の彼ららしい結論でその話は終わった。

 食べてみようぜ。

 

 多忙な夜摩天は、当然休日に呼び出される事も多い。

 その時、彼女の日常の世話をしていた女性が、付き合いのあった若者の求めに応じて、夜摩天の料理を持ち出した。

 彼らは無事では済まなかった。

 命を落とさなかったのは不幸中の幸いであったが、何とか吐き出せたおかげか、半年ほどの療養生活で彼らは本復し、それぞれの生活に帰って行った。

 無論の事だが、この件に関して、夜摩天の責任は欠片も無いし、問題にすらならなかった。

 彼女は窃盗の被害者でしかなく、当然、彼女の夜摩天としての経歴や名声には何ら傷は付かなかった。

 だが、その料理が毒その物である事が衆目に知れ渡った事で、彼女の心には、癒える事ない深い傷を残した。

 

「それ以来、彼女は、あれほど好きだった料理を一切やらなくなったのよ」

 俯く夜摩天をちらりと見て、閻魔は話を終えた。

「……そういう事か」

 下衆野郎が。

 男が低く唸る。

 夜摩天の心の傷を抉り回し、かつ、男を始末する……悪趣味極まる、陰湿な思い付きだ。

「そもそも、作った料理が意図せずに毒に変じる時点で、妖怪変化に近い代物とは思いませんか?そんな女が夜摩天などと」

 片腹痛い。

 そう言い放って、都市王と宋帝は暫し低い笑いを廷内に響かせた。

 閻魔の話、周囲の沈黙と重苦しい空気を見ると、この話に誇張が無い事は男にも判る。

 暫しの時を置いて。

 空気と、男の心に、投げ込んだ言葉の毒が存分に回った頃合いを見て。

 都市王は悠然と口を開いた。

「それで、どうします?」

「俺は食う」

「ほう、言って置きますが、口に居れるだけでは駄目です。咀嚼し、飲み下すんですよ?」

「食うってのはそういう事じゃねぇのか?三歳児のままごと遊びじゃあるまいし」

「ふふ、何処まで吼えられるか」

 面白がるような都市王を無視して、男は夜摩天の方を向いた。

「……事情は聴いた、辛いとは思う」

「……ええ」

 

「その上で頼む、俺に味噌汁を作ってくれ」

 

 真っ直ぐな言葉……だが、今の夜摩天にそれを受け止められるだけの余裕は無かった。

 顔を背け、声を絞り出す。

「……嫌です」

 もう嫌だ……あんな思いをするのは、一度で沢山ではないか。

「頼む」

 男の言葉に、夜摩天は顔を上げた。

 唇を噛んで。

 今にも溢れそうな瞳を上げて。

「苦しみますよ」

「ああ」

「口に入れ、飲み下そうとしただけで、鬼が悶絶したんですよ」

「うん」

「地獄の苦しみというのは、魂が耐えられるギリギリの責め苦なのです……でも、私の料理を飲み下せば、おそらく待っているのは耐えきれぬ痛苦の果ての魂の消失です」

「……承知の上だ」

 ふぅ、と一息ついて、夜摩天は黄龍を封じた鉄扉を指差した。

「逆に、あの扉が開かれた場合、地上に戻ろうとする龍王の魂とその力が溢れだします」

「ふむ」

「その余波の前では、私たちは兎も角、人の魂ではひとたまりもありません……逆に言えば、苦しまずに消滅できます」

「……そうか」

「それでも……?」

 それでも貴方は、地獄の責め苦以上の苦しみを味わっても、僅かであれ、希望がある方の道を選ぼうと言うの?

「頼む」

 そう言って、彼は有ろうことか、静かにほほ笑んだ。

 

「もし人生最後ってんなら、飛び切りの奴を頼むわ」

 

 穏やかな目だった。

 この状況下で、自分が生きる道を見出した。

 覚悟を決めた、人の目。

 

 奇跡なんて無い事を、私は知っている。

 そして、祈る対象を持てぬ私ではあるが。

 

「……判りました」


 
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