No.930615

いなくなった叔父と女

zuiziさん

オリジナル小説です

2017-11-19 23:44:11 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:482   閲覧ユーザー数:479

 遠い千葉の南端の辺りに親戚の叔父が一人で住んでいて、昔は一人ではなかったらしいのだけれども今はいろいろあって一人で寂しそうに漁師の家などを安く借りて住んでいてたまに僕のところにも海産物などを送ってきてくれた。僕は海産物がそれほど好きではないし自炊もあんまりしないので半分有難迷惑なところがあったけれども、それでも一人暮らしの食費を心配して送ってくれる叔父のことは悪い気持ちはなくたまに遊びに行っては一泊してすぐ近くにある海の音などを聞きながら眠れない夜を過ごしていた。

 それで冬にまた叔父さんのところへ行って手土産に東京バナナを買っていった。駅に着いたのがもう夜の九時で漁師町は薄暗く潮の匂いがして海という感じがし、駅から下っていく坂道の向こうには太平洋の暗い海が真っ黒な塊りのようになって広がっていた。駅前を離れると途端に街灯の数はまばらになってゆっくりと真っ暗に近づいていく道を港のほうまで歩いて行った。

 叔父の家は谷のように窪まった場所のすぐそばにあって木造の二階建ての細長い小さな家だった。

 ドアを叩くと中から知らない女の人が出てきて、僕は一瞬ドキッとしてそういう間柄の人なのかなと思ったけれども、まだ三十代ぐらいに見える長い髪を後ろで結ったその女性は僕を見て怪訝そうな顔をしてどなたですかと言う。僕は叔父を訪ねてきたのですがと答えると、その人はたぶん前に住んでいた人ですけれども今はもう住んでいませんよと言って冷たくあしらわれてドアを閉めてしまった。

 僕は東京バナナの包みをぶら下げたまま呆然として立ち尽くしていると、携帯電話に叔父からの着信があって、それは着信なのだけれど留守番電話みたいで叔父が一方的に喋っているだけの録音された感じがした。

 電話の内容は、おれは東京に戻って元気にやっているからお前は心配しないでもいいよというような内容をいろいろな横道に脱線しながら話しているだけで具体的にどこに住んでいるんだとか今どうしているんだとかそういう話がなく、僕が叔父さん叔父さんと何度呼びかけても向こうから答えることはなくて、十分ほど続いたあとで唐突に切られてしまった。

 家のドアを閉められたほぼその同じ瞬間に着信があったというのがなんだか不思議な感じで着信なのに録音された音声であるというのも不可解だった。誰かに見られているという感じがして僕はもう一度その家のドアを叩くともうその女性は出てこなくて、それだけではなくて僕の見ている目の前で家の窓の明かりがみんな消えてしまった。

 ドアに手を掛けるとドアは鍵がかかっておらず開いていたから僕は中へ入ってしまうことにした。 

 玄関に入ると家の中は真っ暗でどこかの窓から差しこんでくる青白い街灯の明かりがかろうじて物の輪郭を照らしているだけで何にも見えない。点滅器を押して明かりを点けるとオレンジ色の昭和な感じの明かりが灯って玄関と廊下を照らし出した。人の気配はなくさっき見た女性もどこにいるのか分からなかった。僕はすみませんと声を出してみたけれども壁に吸収されて大きくは響かなかった。

 靴を脱いで中に入って一階の部屋を開けると中には誰もおらず、ただ居間のちゃぶ台の上に湯飲みが置いてあってその湯飲みから湯気が立っていたからさっきまで誰かがいたんだということはほとんど間違いはないような気がした。僕はなんだか嫌な気持ちがしてもう一度家に響くような声ですみませんと張り上げたけれども誰の声も聞こえなかった。

 玄関まで戻って踏み抜きそうなくらいふよふよになっている踏み板を登っていくと二階も真っ暗で僕は手探りでスイッチを点けた。天井についている明かりがパッと灯るのと同時に何かが上から落ちてきて僕はびくっとしたけれども、それは野球のボールで今しも誰かが上からいたずらで落としたらしい気配がした。いよいよこれはさっきの女が上にいて僕をからかっているんだなと思って階段を上り切ると、上は寝室になっていて右が叔父さんの寝室で、左はもう使っていない部屋で物置になっていた。

 僕は寝室のドアをノックして叔父さん? と尋ねると中からはごそごそと動く気配がして、僕はさっきの女がいるんだろうかと思って一瞬ためらったけれども入るよ、と言ってドアノブをひねると鍵はかかっていなくて内側へ開いて、中に入ると布団に女が寝ていて静かに目をつむっていた。豆球の小さな明かりが灯っていて布団に描かれた洋蘭らしい花の模様が紅色に光って見えた。

 僕は立ったままでいるのも失礼かなと思って正座になって、すみませんが叔父さんを知りませんかと尋ねると、女はうっすらと目を開けて「私は病気なんです」とか細い声で言った。

「だんだんめまいが強くなってきて、部屋の中がぐるぐると回りだすようですので、あなたの顔も知りません」と言い、何か良くなる方法を知りませんかと言った。僕は知らないですと言い、叔父さんを知りませんかともう一度尋ねると、女はゆっくりと首を振って知りませんと答えた。それ以上は何にも言わなくなって、女は目をつむってすうすう呼吸をして静かなようになった。もしかしたら寝てしまったのかもしれなかった。

 それで部屋のドアを閉めて廊下へ出て、反対側の部屋のドアを開けると、そこは幅が一メートルぐらいしかない部屋で物置になっていて、もちろんそこにも誰もいなかった。

 僕はがらんとした真っ暗な部屋の中で立ち尽くして考えて、叔父はどこへ行ったのだろうとか、あの女は誰なのだろうとか、どうしてドアを閉められた直後に電話がかかってきたのだろうとか、いろいろ考えたけれども分からなかった。ただ一つはっきりしているのは、もう今から東京に帰ることはできないぐらい夜が更けてしまったということと、これからどこかの宿を取ろうと思っても泊めてもらうことはきっとできないだろうということで、僕は長い間腕を組んだまま悩んでいたけれども、仕方ないと思い、そこへ布団を敷いて寝てしまおうと決めてしまった。

 女の寝ている部屋をもう一度開けて、そこに布団が入っているのは分かっていたから押し入れから布団を取り出して持ってきて、女はもう深く眠っているものか僕が押し入れを開け閉てしてもちっとも目を開く様子はなかったけれども、僕は慎重に音を立てないように布団を持って行った。

 眠る前に玄関のドアを施錠したかなと思って一階へ降りて行って、確かに閉めたことを確認して、また勝手口のドアや、台所の窓や風呂場の窓もみんな閉めたかなと思って確かめてから、それでもう一度二階へ行って物置になってる部屋の布団に入って眠ろうとした。

 着の身着のままコートと上着だけを脱いで布団に入ると、布団は冷たく僕は背骨が凍えるような思いをした。部屋は壁が薄いものかすぐ外側から冷気が入ってきてなかなか寝付けず、何度も軽い薄い布団を首元まで引き寄せなければならなかった。

 廊下の隣の部屋で女が寝ているその呼吸の静かな様子が脳裏に何度も思い浮かんで何となしに居心地の悪さを感じているうちに、僕は眠ってしまったらしかった。

 気づいたら朝になっていた。女はもう起きていて一階の台所で朝食を作っていた。僕はおはようと言いテーブルに座ると、自分の分のトーストを作るためにパンをトースターに入れて目盛りを五に入れた。女はご飯派のようでご飯の上に卵を落としてかき混ぜていた。なんだかその卵をかき混ぜる手つきが慣れているような気がした。ご飯は昨晩の残りを電子レンジであっためて作っているようで、机の上にくしゃくしゃに丸められたラップのゴミが置いてあった。

 テーブルに就いて、温めたパンにマーガリンを塗って齧っていると、女はぽつりと、「○○さん(叔父の名前)はどこにもいなくなってしまって、それで私もどうしたらいいか分からなくなってしまって、頭もどんどん悪くなってくるし、それで困っているんです」と言った。僕はなぜか女の気持ちが痛いほど分かるような気がし、叔父の帰ってくるのを一人で待っていた女の切ない気持ちが身に染みるようで涙が滲んできた。

 それで、「あなたさえよかったら」と言って、僕が叔父さんの代わりをやってもいいよと言った。女は笑ったような気がした。それでその日から僕は叔父さんの代わりになって、その家にずっと住むことに決めた。

 朝食後、女に裏庭に案内されると、そこに人間のものと思われる白骨遺体があって、僕はそれはきっと叔父の遺体に違いないと思ったけれども、骨になってしまっているからもちろん確証はなかった。僕は女と一緒に穴を掘って、そこに叔父のものと思われる遺骨を埋め、一心に手を合わせた。

 遠くから波の音と、車の音が聞こえて来て、それがこの町の音なんだな、と僕は思った。


 
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