No.92484

魏After  ~北郷隊、最後の日~ 弐

とととさん

どうもです。とととです。

需要が無ければ、こっそりフェードアウトすればいいやと思っていたのですが、かくも多数のご支援、コメントいただき感謝感激でございます。

というわけで続きを書いたのですが、何だか書きたいシーンが増えてしまい、今回は中篇になりましたです。

続きを表示

2009-08-30 22:24:42 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:11333   閲覧ユーザー数:8505

「あ~~~~~~~。しんど……」

 夜間演習を終え帰ってきた霞は、さすがに疲れを隠せなかった。

 張遼隊の最大の強みはその速さ。いついかなる状況でも、その速さは彼女の真名の通り『霞むような』速さでなければならない。

張遼隊では何の予告もなく緊急の出動を行う演習がある。基本的には霞の気まぐれで突如行われる演習だが、さすが精強の誉れ高き張遼隊。今回も一人の遅れもなく、無事目的地へと到着できたのだが……

「つっても、昨日は調子に乗りすぎたな~……ったく、あそこでワケの分からん山賊どもが出てきたせいや……」

 予定の行軍を終え夜営の準備を始めてすぐ、見張りの兵が近くに不審な集団がいるのを発見した。それが最近付近を騒がせている盗賊団と分かったなら、それを放っておく霞ではない。号令一下、張遼隊は盗賊団に襲い掛かった。

 いきなりの奇襲に盗賊団は大した抵抗もなく逃げ出したのだが、それが返って仇となった。下手に虚を突いてしまった為、盗賊団は戦う素振りすら見せずに、我先にと逃げ出してしまったのだ。ちりぢりに逃げた盗賊団を追う為に隊を分散せざるを得なくなり、結局再び皆が集まった時には夜が白々と明け始めていた。

「あ~~~~~~~~。完徹はさすがにこたえるわ……はよ帰って寝よ……」

 華琳への報告は、自室に戻りかるく一杯飲んでぐっすり寝てからでもいいだろう。盗賊団はほぼ壊滅させたし、残党狩りは若手のいい訓練になる。

「凪んとこの臧覇にでも行かせよか。あれも馬の使いは達者やしな」

 馬上でうつらうつらしながら考えていると、斥候に出ていた兵が慌てて戻ってきた。魏の領内、しかも洛陽への帰路であっても斥候を立てる辺りは、普段の大らかさとはまるで違った霞の将としての生真面目さだ。

「何や? そんな慌てて。都が攻められでもしとるんかい」

 軽口を叩く霞であったが、斥候が指差す先に目を凝らして驚愕した。

「あれは───一刀の旗やないかっ!?」

 遠く前方に見える都の城壁。その向こうから顔を覗かせる監視塔の頂上。

 そこには三本の旗を従えるように、懐かしい旗が翻っている。

 一刀が天に還って以来、蒼天に羽ばたく事の無かった十文字の旗。

 一瞬、一刀が帰って来たのではと顔を綻ばせた霞だったが、すぐにその表情が不審げに歪む。

「それにしては何か様子がおかしないか? 風が妙にざわついとる……」

 歴戦の武将だけが持つ感覚が、決してこの状況はそういう類のものではないと訴えている。同時に胸がチリチリとするような疼きを感じた。

「よし! ウチ、行ってくるわ。後は任せたで!」

 副官に指示を出すやいなや、馬の横腹を蹴って一気に駆け出す。単騎となれば、霞の速さについてこられるのは蜀の錦馬超くらいのものだ。数瞬後にはもう霞の姿は彼方にあった。

 

 

 ───一体、何がどうなってるんや……?

 

 

 

 

「一体、何がどうなってるんだ!!」

 憤怒の表情で春蘭が一喝すれば、

「さすがにこれはタダでは済まんぞ……?」

 秋蘭は鋭い視線で塔を見上げる。秋蘭のように激昂しない分、余計に怒りは激しそうだ。

 早番の兵から報告を受けて飛び出してきてみれば、凪、沙和、真桜の三人が北郷隊の詰め所を占拠し、周囲に防護柵を張り巡らせている。

 華琳の命による『北郷隊解散』への、明らかな抵抗の意思表示だ。

 まだ朝も早いとはいえ、市井の人々も一体何事かと周りに集まってきている。すぐに大騒ぎになる事は必至だった。

「この不忠者どもがっ!! お前達のやっている事がどういう事か分かっているのか!!」

「分かっています」

 塔の上から凪が答える。激怒する春蘭に、凪はこれだけ離れているにも関わらず、腹に力を込めないと圧倒されてしまいそうになる自分を感じずにはいられなかった。

「分かっていて、華琳様に叛くと……?」

「秋蘭様、それは違うのー!」

「これがウチ等の忠義の尽くし方や。ウチ等は北郷隊を潰させへん!!」

「忠義だと!? 華琳様の命に逆らっておいて何が忠義だ!! お前達、まさか我等を馬鹿にしているのではあるまいなっ!!」

「馬鹿になどしていません」

 静かに全身に氣を張り巡らし、凪が答える。

「将としては尊敬し、人としては恐縮ながらも姉上とお慕いする皆様を、馬鹿にするつもりなどございません」

「では、一体この様はどういう事だというのか、しっかりと説明して貰いたいものだな」

「返答次第ではタダでは済まさんぞ!!」

 大剣を抜き放ち吼える春蘭。三人は遥か離れているはずのその刃が、今まさに喉元に押し当てられたような気がした。

「まったく……」

 大きくため息をつき、秋蘭は髪を掻き上げる。

「この前も行ったが、お前達の気持ちは分からないでもない。しかし、これはやりすぎだ。まずはそこから降りてきて、この邪魔な柵も片付けろ。そうすればこの馬鹿騒ぎは華琳様には黙っておいて───」

 

「あら、わたしだけのけ者とは寂しい事を言ってくれるじゃない?」

 

「か、華琳様!?」

「このような場所にお出でになるとは……!」

 民衆の波を真っ二つに引き裂いて現れたのは、覇王曹操その人だ。桂花を従えて現れた華琳に、二人は慌てて片膝をつく。

「たまにはいいでしょう。一刀がいた頃はよく街に下りたものだわ」

「はっ……」

「にしても───派手にやってくれたわね、あなた達」

 三人を見上げる横顔。

 ───……?

 秋蘭には、どこかその横顔が楽しんでいるようにも思えた。

「ええいっ! 華琳様の御前でいつまで馬鹿を晒すつもりだ! とっとと降りてこんかっ!!」

「馬鹿ならいつでもあなたが晒してるじゃない」

「何だと~っ!? このわたしが馬鹿で頭が空っぽだから振ればカラカラいい音がするだろうだとっ!?」

「誰もそこまで言ってないわよ!!」

 いつもの如く睨み合っている桂花と春蘭はひとまず放っておいて、秋蘭がそっと華琳に耳打ちする。

「あ奴らも突然北郷隊が解散という事になり混乱しているのでしょう。少し落ち着きさえすれば、自分のやっている事に気づくと思います。ここはこのわたしが必ず収めますので、どうか寛大なご処置を───」

「それは違うわ、秋蘭」

 きっぱりと、秋蘭の嘆願を斬り捨てる華琳。

「あの子達は自分達のやっている事をしっかりと分かっている。あれが、あの子達の出した答えなのよ」

 見上げる視線には反旗を翻した部下に対する怒りや憎しみは欠片も無い。ただただ彼女達への信頼があるのみだ。

「答え……?」

「ええ。その通り───そうでしょう?」

「っ!」

 問われた三人は一瞬言葉に詰まった。華琳は何も手に持たず、わずかの怒りもない微笑みで彼女達を見上げている。しかし、その重圧たるや大剣を抜き放って激怒していた春蘭以上だ。

「ううう……やっぱ華琳様、怖いの~」

「アホ! 何ビビっとんねん! ここが正念場やぞ!?」

「真桜の言う通りだ。ここで退くわけにはいかない……」

 唾を飲み込み、一歩踏み出す。

 数多の戦場でただの一度も退いた事が無い凪だったが、後になって考えてみても、この時踏み出した一歩は今までのどの戦場よりも勇気がいる一歩だった。

「華琳様! このような様をお見せしてしまい申し訳ございません!!」

「あ、謝るくらいなら最初からするなっ!!」

「姉者、黙っていろ」

 頭から湯気を出して大剣を振り回している春蘭を秋蘭が抑える。

 華琳は背後の騒ぎは意に介さず、くすりと笑った。

 

 

「舞台は上々、観客にはこの曹孟徳がいるのだから不満は無いでしょう。それで、あなた達はこの舞台で、このわたしに、一体何を謳ってくれるのかしら」

 

 

 

 一瞬の空白。

 そして凪が口を開く。

「まずはっきりと申し上げておきたいのは、我等は華琳様への忠義を忘れた事はありません。今、この瞬間も、それは同じです」

「ええ、分かっているわ」

 当然だと言わんばかりの表情で華琳。

「余計な前口上は必要ないわ。わたしが聞きたいのは、わたしの意に叛いた事とこの状況が、あなた達の言う『忠義』とどう繋がるのか───それを聞かせてもらいましょう」

 自らの意に叛き、更には魏の所有物である建物を占拠して立て篭もった三人を前に、華琳はその忠義に砂粒一つの不信すら感じていない。凪達や春蘭達のみならず、訳も分からず集まっている街の人々たちも、この覇王の揺らぐ事の無い心の強さに感嘆せざるを得なかった。

「改めて思うわ。ウチら、とんでもないお方にお仕えしとる……」

「うん。華琳様はやっぱりスゴイの……」

「その通りだ。だからこそ、わたし達の想いをお伝えしなければならない」

 三人は頷き合い、そして再び主君と向き合った。

「過日、我等北郷隊は解散せよとの主命を頂戴致しました」

 凪の言葉に、集まった街の人々がざわつきだす。彼等にとって北郷隊とは何よりも頼もしい存在なのだ。何か大きな事をするわけではないが堅実に人々の力となり、身分の高低や貧富の差に目を奪われずに任務に励む。それはまさに隊長である北郷一刀の人柄そのものだ。

 三国を通じても、これほど人々が安心して暮らしていける街はない。北郷隊という存在が、人々の移住の理由となるほどなのだから。

「ええいっ! 貴様等、静まらんかっ!!」

 春蘭の一喝にも、人々のざわめきが止まる事はなかった。

「あの子達、まさか民を扇動するのが目的なんじゃ……」

 周囲に鋭い視線を放ちながら桂花が呟くが、秋蘭はそれをきっぱりと否定した。

「それは違うな。あいつ等はそんな事は考えていない」

 見上げた先、日の光が目に入ったのか、片手をかざす。

「今のあいつらには華琳様のお姿しか見えていないだろうさ」

 三人の目に見えているのは華琳のみ。その華琳は腕を組み、大きく頷いた。

「ええ。確かにそう命じたわ。北郷隊を解散し、その機能を警備隊、教練所、開発局の三つに分散すると。それを承服できないから、こういう状況になっているのでしょう?」

「恐れながら」

「北郷隊を解散。そして、あなた達は更に大きな任務につきより成長する───それをこのわたしに対する『忠義』とは思ってくれないのかしら?」

「より成長し、今よりもっと華琳様のお役に立つ事───それが我等の忠義です」

「そう。わたし達は同じものを見ているというわけね? しかし、あなた達はあくまで北郷隊であろうとする───それは何故?」

 そう言ってから、華琳は微笑を消した。

「言っておくけど『一刀の為』なんて言ったら、あなた達の首は貰うわよ? 国家の営みと個人の感情を混同する輩は魏には不必要だわ」

 その言葉は静かなだけに、より鋭利な刃となって三人の胸に突き刺さった。

 しかし、ここで退く訳にはいかない。それは一刀に対しての、華琳に対しての、そして自分達に対しての裏切りだ。

「わたし達は、この北郷隊を隊長の帰る場所と思っています。隊長の為───という想いは否定しません」

 華琳の片眉が跳ね上がった。その横顔に走った一瞬の感情に、春蘭は己の刃で三人を斬らなければならないかもしれないと覚悟する。

 凪は言葉を続けた。

「しかし、それは個人的な事。わたし達の忠義のあり方とは違うものです」

「では聞きましょう。あなた達の忠義とは───答えよっ!!」

 裂帛の気が大気を震わせる。

 しかし、三人は引き下がらない。ここは北郷隊、空前絶後の大舞台。一刀から隊を預かった自分達が、どうして背中を見せられようか。

 凪は叫んだ。地上にいる主君だけではない。天にいる一刀へも届けとばかりに魂を込めて叫んだ。

「忠義とはっ! 己が主に身(しん)と心(しん)の全てを持って尽くす事! そして、その身と心を磨き続け、より高みへとあろうとする事!」

 その想いに、華琳もまた全身全霊で立ちはだかる。

「ならば答えよ! 高みへと向かう事が忠義なら、なぜ主命に叛いて今いる場所にしがみつくのか! なぜ新たな歩みを踏み出そうとしないのか! それこそ不忠ではないのかっ!」

「不忠の誹りは重々承知! しかし、高みへと至る道を閉ざすのが主命ならば、それに従う事こそ真の不忠! 我等、華琳様のお役に立つ為、華琳様の命に叛きます!!」

「沙和達はどうしたら華琳様のお役に立てるか考えたの! それは、凪ちゃんが武を磨く事でもない! 真桜ちゃんがスゴイからくりを作る事じゃない! 沙和が新兵をいっぱい育てる事じゃない! それは───『北郷隊』であり続ける事なの!!」

「ウチらをひっぺがせば、最後に残るのは武でも、からくりでも、人を育てる事でもない! 残るのは『北郷隊』であるっていう自信や! その自信こそがウチらを高みへ押し上げる!!」

 凪、沙和、真桜。叫びに込められた気迫は、春蘭、秋蘭をして思わず声を失う程だった。

 ここまでの将に育っていたか……!

 

「華琳様の為に春蘭様、秋蘭様が武を極めようとするように、桂花様が知略を極めようとするように───わたし達は『北郷隊』である事を極めます!! それこそが、わたし達の忠義!!」

 

「それが───あなた達が出した答え……」

 一陣の風が吹いた。

 十文字の牙門旗が、付き従う三つの旗が、風に舞う。

 凪が言った。

 

 

「お願い致します。わたし達を───『北郷隊』でいさせて下さい……」

 

 

 

 その瞬間だった。

 集まった群衆の一角から大きな鬨(とき)の声が上がった。

「何だ!? 反乱か!?」

「いや、違う。あれは───」

 声が上がった方に視線を向ければ、そこにいたのは───

「北郷隊……」

 現れたのは数百人を超える一団。鎧に身を包んだ警備兵、白衣を着込んだからくりの研究者、年端もいかない新兵、全てではないにしろ、北郷隊に名を連ねる者達。

「曹操様! わたし達を北郷隊でいさせて下さい!」

「小隊長達をお許し下さい!」

「今一層の働きをお見せ致します!」

「だから、我々を北郷隊で!」

「隊長のお帰りを待たせて下さい!」

「曹操様!」

 地に額をこすりつけて嘆願する北郷隊の兵達。

「あんのアホども! 何があってもおとなしゅうしとけ言うたのに!」

「こら~! このクソッタレ共! あなた達まで沙和達に付き合う事ないの!」

 それでも兵達は止まらない。

 涙を流し、北郷隊であり続ける事を願い続ける。

 凪は空を見上げた。

 雲一つ無い空。

 一刀が還った空───

 

───隊長……見えていますよね……?

 

「ちっ、これ以上はマズイわね」

 この事態に、桂花は早期の収拾を決意した。事態が長引けば、最悪の展開として北郷隊の暴発もありうる。その矛先は、迷う事無く華琳に向けられるだろう。

 ───それだけはさせないっ!

 華琳に黙って密かに連れてきた一隊が近くに待機している。部隊をいつ突入させるか、そのタイミングを図っていた───まさにその時だった。

「これはっ……!?」

 桂花だけではない。凪が、沙和が、真桜が、春蘭が、秋蘭が、目の前の光景を信じられずにいる。

 それはまるで波のようだった。

 一体何事かとこの場所に集まってきた千を超える群集達。

 その彼等が、身分の高低を問わず、貧富の差も無く、一人、また一人と跪きだしたのだ。

 その場にいたほとんど全ての人間が、膝を折り、頭を下げて叫んだ。

「わたし達からもお願い致します!」

「北郷隊を解散しないで下さい!」

「北郷隊は俺達をずっと守ってきてくれたんだ!」

「彼等がわし等の支えとなった!」

「曹操様!」

「お願いします!」

「どうか、御遣い様の隊を残して下さいっ!」

「曹操様!」

 千を超える人々の涙ながらの嘆願が空を震わす。

「隊長……」

 口に手を当てて涙を堪える凪の肩に、沙和と真桜の手が乗せられる。二人とも、溢れる涙を堪えるのがやっとだった。

「これがウチらの、北郷隊のやってきた事の答えやな」

「ううう~! もう沙和、チョーかんどーなの~!!」

 地上では桂花がこの状況に唇を噛んでいた。

「くっ! この状況で部隊を突入させたりしたら、一気に都中が暴動を起こすわっ!」

「ええい! ここは危険すぎる! 秋蘭! 華琳様をお連れするぞ!」

「同感だ」

 一触即発の気配に、華琳を確保して連れ出そうと春蘭、秋蘭が駆け出そうとする。

 しかし、それを押しとどめたのは誰あろう、華琳本人だった。

 

「来るなっ!! 春蘭!! 秋蘭!!」

 

 人々が一瞬声を失う程の声で華琳が叫ぶ。

「し、しかし、華琳様!」

「民を恐れ、民が魂を振り絞った声に背を向けて、それの何が覇王か!! お前達はこの曹操を天下の笑いものにする気か!!」

「は───ははっ!!」

「も、申し訳ございません!!」

 その場に平伏する二人の背中に、桂花は部隊の突入を諦めた。

 華琳はたった一人で凪達三人だけでなく、この千人を超え更に膨張しつつある民衆とも立ち向かおうというのだ。

 ───三国平定を成しても未だ衰えないその覇気……これぞ華琳様!

「…………」

 華琳は無言で民衆を見回した。

 どの顔も必死だった。

 どの顔も、心の底から北郷隊の存続を願っている。

 

 ───一刀、これがあなたがやってきた事……その結果なのね……?

 

 華琳は再び塔を見上げた。

 凪。

 沙和。

 真桜。

 信頼する部下であり、同じ男を愛した仲間。

 

「あなた達は『北郷隊』であるからこそ成長出来る。だからこそ、このわたしの為により役立つ存在となれる───それゆえの『忠義』……そう言うのね?」

 

「そうです。隊長の名、隊長の思い出……『北郷隊』という存在が、わたし達の背中を何よりも強く押してくれるのです」

 

 いつしか、嘆願の声は止んでいた。

 この場にいる全ての人間の目が華琳に注がれる。全神経が華琳に集中する。

 華琳は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 言う。

 

 

「それでも───北郷隊は解散させる」

 

 

 

「そんなっ!」

「何でやっ!」

「華琳様~っ!」

「或いは組織としての機能はそのままにしておきましょう。或いはあなた達が隊に残る事も許しましょう。でも───」

 華琳は一瞬言葉に詰まったが、それを振り払うように声を張り上げる。

 

「『北郷隊』の名は封印する!」

 

「なぜ───何故なんですか!?」

「あなたが言った事よ、凪。あなた達は『北郷隊』の名の向こうに、あいつを───一刀を見ている! 隊の名を口にする度に、一刀を思い出している! でも、それじゃ駄目なの!」

「そんなん、おかしい! 隊長の名は、口にするだけで勇気が湧いてくる名や! 『北郷隊』の誇りそのものや!!」

「隊長の思い出は大切な宝物なの! 華琳様だってそのはずなの!!」

「わたし達は、隊長の名を誇りに、隊長の思い出を支えに、この『北郷隊』で隊長を待っていたいのです!」

 彼女達の言葉は、民衆達の想いそのものだ。

 あの少し抜けていて、天の御遣いと言われながら、とても偉い人間には見えなかった男。

 武芸の腕も、学問の知識も大した事なく、それでいて努力を忘れず、時に人の目を見張らせる活躍をしてきた男。

 誰もが、一刀の帰りを待っている。

 それは華琳も同じはずだ。

 なのに、どうして……

 華琳は凪を見る。その視線の温度が、先程よりも下がっている。

「では、聞くわ。一刀はいつ帰ってくるの?」

「それは……」

「沙和」

「あう……」

「真桜」

「い、いつか必ず……必ず……」

 声を失う三人。華琳は細く息を吐いた。

「時の重さを、あなた達は分かっている?」

「時の───重さ……」

「一刀は必ず帰ってくる。そう願う気持ちは分かるわ。それが実現するなら───どれほど嬉しいか……」

 一瞬瞳を閉じ、そして先を続ける。

「でも、一刀が帰ってくるという想いには何の根拠も無い。ただの願望よ。あなた達は、そんなあやふやなものにすがってこれから生きていくと言うの?」

「それは……」

「一刀が帰ってくると信じましょう。それを支えに生きていきましょう。じゃあ、その一刀はいつ帰ってくるの? 明日? 一月後? 一年後? それよりもっと先?」

 華琳が一歩踏み出した。ただ、それだけの事で、凪達は思わず後ずさる。覇王の言葉は、何よりも鋭い刃だ。

「想う事はたやすい。でも、想い続ける事はとても難しい。想い続ければ続けるほど、重ねた年月はより重く肩にのしかかる。そして、その想いが叶わないものだと悟った瞬間、その重さはあなた達の心をへし折ってしまうでしょう……」

 叫ぶ。声を掠れさせて。

「北郷という名を口にする度、目にする度、あなた達は根拠の無い願望に身を委ねる! 例えそれがあなた達を高みへ誘う階段であったとしても、それは触れれば崩れる砂の階段! 重ねた月日の重さに耐えかね、一刀は帰ってこないのではと疑念を持った瞬間、その階段は崩れ落ちあなた達の心は叩きつけられて砕け散る!」

 その叫びは、あるいは華琳自身に向けられているのかもしれない。

 言葉を切り、華琳は微笑んだ。泣いているようだった。

「───そんな事、させられないでしょう……?」

「華琳様……」

 華琳の真意に、凪達は声を失った。

 桂花の策は、あるいは純粋な組織論だったのかもしれない。軍師としての理性が、桂花自身の感情を抑えたのかもしれない。

 しかし、華琳はそこに違う意味を認めた。

『北郷隊』の名を誇りに、一刀が帰ってくると信じ、それを支えにしている者達がいる。

 しかし、その信じた事が叶わなかったなら……?

 月日を重ねれば重ねただけ、信じ続けた事が叶わなかった時の傷は深い。

 まして、覇王に叛きまでして一刀を支えにしている凪、沙和、真桜達ならば、その傷は彼女達を真っ二つに引き裂くだろう。行き着く先は自害か、自我の崩壊か。

 王として、仲間として、それは絶対に許されない事だ。

「あなた達はわたしの為にわたしに叛いた。でも、わたしはあなた達の為にあなた達に命じているの」

 いまや、この空間の空気は全てこの小柄な少女の支配下にあるようだった。誰も言葉が無く、誰も身動きできない。

 それこそが覇王の気迫。

「これだけの事を仕出かしたあなた達の覚悟は見上げたものよ。凪、沙和、真桜。でもね───」

 挑むような、覇王の言葉。

 

 

「北郷の───一刀の名を封印する事を決断したわたしの覚悟が、あなた達に劣るとでも思う?」

 

 

 


 
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