No.922067

小さな想い人

子供サガと大人シオン様の淡い恋のお話です。

2017-09-12 14:57:02 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:989   閲覧ユーザー数:983

寄りかかるクッションの端に、小鳥が一羽とまっている。読んでいた本をそっとずらし、シオンはゆっくりとそちらへ視線を向けた。小鳥は驚く様子もなく、細かな動きで向きを変え、たまに首をかしげてみせたり、小さなくちばしで背中を毛ずくろいしている。その無邪気な姿に、シオンは微笑んだ。

 

教皇の座を若きアイオロスに譲ったシオンは、現在は教皇の間に隣接する屋敷に一人住んでいる。緑豊かな庭園には、大きな睡蓮の池とドーム状の東屋があり、ここがシオンの一番のお気に入りの場所だった。数体のカリアティドが取り囲むこの部屋の中には、大理石の長椅子とテーブルが置いてあり、椅子の上にはいつでも横になれるよう、柔らかなクッションが敷きつめられていた。

部屋の周囲には、アフロディーテが育てた見事な薔薇が咲き乱れ、彼が特別に施した小宇宙により枯れる事がない。色や種類も様々で、一年中素晴らしい景観を楽しむことができる。長く生きてきた身だが、今ほど心穏やかに過ごした事はない。

 

東屋の階段の下で話し声がする。しばらくすると、銀のトレーを持ったサガが姿を現した。シオンと小鳥は、同時にそちらの方を見た。

 

「ああ…すまないな、お前にそんな事をさせてしまって。」

 

「侍女が貴方に持っていこうとしていたので、下で受け取りました。しばらくご挨拶に伺っていなくて…お元気そうで何よりです。」

 

サガはテーブルにトレーを置くと、シオンのお茶の用意を始めた。愛用の白いカップに、銀のポットからお茶を注ぐ。独特のバターと茶葉の温かな薫りが広がった。

 

「聖域でスーチャを飲むのは私とムウだけだ。もっとも、あの子と違って私は砂糖を入れるけどね。」

 

そう言いながら、シオンは子供のように多めに砂糖を入れてかき混ぜていた。シオンに促され、サガは隣に腰かけた。小鳥はテーブルに移動し、焼きたてのスコーンに興味津々といった感じでトレーを見つめている。シオンは何度かカップに口をつけた後、フォークでスコーンを少し削り、小鳥に与えた。夢中でついばむ姿を見ながら、本人も大きめにスコーンを割り、生クリームをたっぷりつけると、ぱくりと口に入れた。まだまだ健在なシオンの姿に、サガは安心した。

 

「その衣装、よく似合うな。お前にぴったりだ。」

 

「恐れ多いことです。この私に…あのような重役を与えて下さるなど、思ってもみませんでした。」

 

教皇となったアイオロスとその副官であるサガは、二人ともシオンと同じデザインの法衣を着ている。アイオロスは純白の法衣、サガには紺色の法衣が用意されたが、13年間の悪夢の日々を周囲に思い出せるその色に、サガは着るのを思いとどまり、別の色を選んだ。彼が選んだ明るいオーキッド・パープルは、普段着のライラックによく似ていた。しかし法衣のような裾の長い衣になると、まるで貴婦人のブリオーのようで、肩や腰に宝飾品まで身に着けたサガは、危険なほど美しかった。本人はあまり頓着がないようだが、アイオロスは目に見えて大喜びしているし、聖域を訪れる他国の要人たちもサガにばかり見入って、話が頭に入っていないようだった。シオンは職を退いているものの、240年近くこの格好をしていたために、スースーと風通しのよい法衣に慣れてしまい、他の服を着るのが億劫になってしまっていた。

 

二杯目のお茶を注いでいると、シオンはサガに訊ねた。

 

「アイオロスは?」

 

「闘技場にいます。新しい聖闘士を決定する試合を見届けに。」

 

「そうか…お前とアイオロスの時は私が見ていた。懐かしいな…お前たちは本当に強かった。その驚異的な小宇宙に驚いたのを今でも覚えている。ところで、二人での仕事はどうだ?」

 

「はい、彼のおかげで滞りなくこなしています。副官として、彼の側でその働きを見ていて強く思います。アイオロスこそ、聖域の…」

 

シオンはサガの手を取った。

 

「もうよい。サガ……お前は…?ちゃんと幸せに過ごしているか?」

 

シオンの言葉に、サガは素直に頷いた。サガの手を持ち上げ、指先を優しくこすり軽く口づける。左手の薬指に光るシルバープラチナのリング。その裏側には、ギリシャ文字で綴られたアイオロスとサガの名と、二人の守護石であるトパーズとエメラルドの小さな宝石の粒が埋め込まれている。シオンはその指輪を愛しげに眺め、そのまま視線をサガの方へ向けた。シオンの大きく澄んだ紫の瞳に見つめられ、サガは少し恥じらうような表情を浮かべたが、その様子はとても幸せそうだ。

 

「昔からお前は大人びていたが、これほどの美人になろうとは。時々、私はあの事を思い出して自己嫌悪に陥るよ。まったく惜しい事をした。」

 

「恥ずかしい思い出です。もう忘れてください……」

 

サガの顔が一気に赤くなったので、シオンは笑った。

 

 

 

あの日も、同じようにシオンは庭園にいた。聖戦の兆しはまだない、穏やかな午後。その静寂を突如破壊するような出来事だった。自分を真剣に見つめてくる少年。その純粋な眼差しにどう向き合えばいいのか、シオンは本気で迷っていた。

 

「何かおっしゃってください、シオン教皇……!」

 

まだ小さな手のひらで法衣を掴んでくる。涙に濡れたエメラルドの瞳が、無遠慮に誘惑してくる。天才的な力で彼はすでに黄金聖闘士となっていたが、それでもシオンにしてみれば赤子よりも幼い、可愛い可愛い存在だ。まとう聖衣は本人の身体に合わせて小さいが、その豪奢な金色と顔立ちとのギャップで、年齢の未熟さがより際立って見える。

 

「わたしは……サガはもう子供ではありません!」

 

子供ではないって、お前はまだ12歳ではないか。いくら黄金聖闘士になったとはいえ、その事実は変わらない。それに私は現在245歳だ。女神の聖闘士たちを統べる、聖域の教皇だ。そんな私がお前に何かしてしまったら、私はもう最低最悪の罪人だ。女神だけに留まらず、ギリシャ中の神々の怒りを買うだろう。未来永劫、底の抜けた瓶に水を運ぶだの、生きたまま禿鷹に食われるだの、そういう罰を受けるだろう……ああ、でも、この国の神話は、もともと無茶な恋愛話ばかりだったな……相手が人だろうが神だろうが動物だろうが、身分も性別も年齢差もお構い無しだ。お前もそんな神話の恋する者たちと同じなのか。少年でありながら、並外れた美貌で私を魅了し、私に大変な過ちを犯させようと……

 

喉元まで出かかった、たくさんの言葉を「う〜〜ん」と飲み込み、シオンは努めて笑顔を浮かべ、サガを何とかなだめ諭そうとした。しかし彼はそれでも諦めず、シオンを見上げたまま瞳を閉じた。彼が何を求めているのかは十分わかっていた。必死にすがりついてくる様子に、シオンの心の中を危険な想いが何度もよぎる。

 

ほんのちょっと、軽く一度くらいなら。

だって、本人が望んでいるのだし………

 

どこかで悪魔が囁いている。可愛い顔をしていると思ってはいたが、これほど蠱惑的だとは。震える瞼に隠された麗しい翠の瞳を、もっと間近で見たい。切なげに眉を寄せ、少年とは思えない柔らかそうな唇で私を誘う。まだ丸みを帯びた白い頬。腰のあたりまで伸びたシルバーブルーの髪。その艶やかな流れを手のひらでゆっくり撫でてみたい。期待に満ちた彼の身体を、この法衣の裾で隠すように包んでみたい。聖戦でも流した事のない変な汗が背中をつたう。教皇である自分が、こんな子供の前でうろたえてしまって、心底情けない。恐るべき恋の力。小宇宙以上の威力で、正義も秩序もすべてを破壊してしまう。

 

しかし、しかしだ!!……

 

そんな事を絶対にしてはいけない。未来あるこの子のために。

 

そして……この子をいつも夢中で見つめている、もう一人の少年のために。

 

シオンは、サガの両肩に手を置き、挨拶と同じように額に軽くキスをした。

 

 

 

「お前はすごく魅力的だった。若い頃に何度か告白された事はあったが、あれほど強くアタックされた事がなかったからね。思い出すと、今でもドキドキするよ。」

 

「心から憧れていました。黄金聖闘士から教皇になられたシオン様に。私にとって貴方は雲の上の人だった。貴方に誉められると嬉しかった。きっと、自分だけを見ていて欲しかったんだと思います。」

 

「サガ…………」

 

「でも、もうそれくらいに……何も知らない、無垢な子供時代のことです。もう許してください。」

 

これ以上突き詰めるとサガが機嫌を損ねそうだったので、シオンは笑顔で頷いた。

 

「そうだな、もう昔の話だ。お前は今やアイオロスのもの。それに、二人とも私の子供に等しい大切な存在だ。」

 

シオンはそう言いながら、身体を伸ばしつつサガの膝に頭を乗せた。

 

「シオン様」

 

「まあいいじゃないか。甘えん坊の父親だと思ってくれ。」

 

柔らかなサガの膝に頭をこすりつけ、シオンは気持ちよさそうにしている。サガは彼のライトグリーンの髪を優しく撫でた。手のひらの温かさに、サガの性格がよく表れている。彼は、頼まれるとそう簡単には断わらない。だから皆、彼の優しさに甘えてしまいたくなる。今の自分もそうだ。アイオロスめ、毎日こんな良い思いをしているのだな。少しぐらい私にも幸せを分けてもらおう。シオンは、サガの膝にぐりぐり頬を押しつけて楽しんでいたが、ふと、ある思いが心を過った。

 

 

もしもあの時、この子の幼い想いを受け入れていたら、その後の事態は、もう少し違っていただろうか。恋愛とまではいかなくても、私を慕う彼の傍にいる事で、彼に巣食う悪霊にもっと早く気づけたかもしれない。そうしたら、彼が完全に蝕まれてしまう前にその心を救いだし、女神を危険な目に会わせることもなく、アイオロスの命も、他の大勢の犠牲者もその時点で助けられたかもしれない。

しかし…そうなれば、やがて美しく成長したサガを、私は本当に愛するようになっただろう。今だって、サガを見てこんなにも高揚するのだから……少なくともアイオロスにとっては、どちらに転んでも不幸な結果だ。結局、私は彼らのどちらかに恨まれる事になる。

まったく、恋とは厄介なものだ。作戦など無意味だし、小宇宙よりも制御しがたく、強大な敵を拳で砕くよりも難しい。

 

「シオン様」

 

「………ん?」

 

急に声をかけられ、シオンは我に返った。サガは優しく髪を撫で続けている。

 

「何かお考えで?」

 

「……いや、幸せだなあと思ってね。」

 

そうだ…今のサガには、頼もしいアイオロスがいる。彼ならばサガをその胸に抱き止め、近づく者に躊躇なく矢をつがえるだろう。子供の頃から誰よりもサガに寄り添い、常に彼を支えていた者。アイオロスこそ、サガを得る勝者にふさわしい。色々な事があったが、過去は過去。女神の慈悲で、今が皆幸せならば、素直にそれを喜ぼう。

それに…今の自分の立場も決して悪くない。

 

「明日の午後に、アイオロスと三人でお茶を飲もう。お前たちが好きな紅茶でいい。たまにはゆっくりお前たちと話がしたい。」

 

「ありがとうございますシオン様、彼も喜びます。………あのう、シオン様」

 

「ん?どうした?」

 

「そろそろアイオロスが戻ります。私も行かないと。」

 

「ああ〜そんな時間か。」

 

返事をしつつも、シオンはサガの膝を抱え直し、しがみつくように頭を乗せた。

 

「もうちょっとだけ。元教皇の権限で。頼む…もう少しだけ甘えさせてくれ。」

 

 

 

 

 

 


 
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