No.92071

黒のオーバード:第1話「夜雨の落胤」

tateさん

 ヒトと闇の眷属が対立する異世界ファンタジー小説「クロノーツ」の外伝です。
 本編に登場する、闇の眷属の束であるクールとその右腕であるルークが如何に出会ったかを、のんびりと綴っています。
 特に本編をご存じなくても読める内容になっていますので、よろしければご覧下さい。

 しばらく分割して本文を公開していましたが、1つの纏めて投稿しなおしました m(__)m

2009-08-28 16:44:41 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:641   閲覧ユーザー数:611

 冷たい雨が降りしきる夜のことだった。

 この街の最下層――其処に住まう生命といったら、手のひらサイズの小動物か地を這い光を厭う昆虫ばかり――をひたひたと足音を忍ばせて、天から滝のように落ちてくる雨水を避けながら歩いていた自分は、がらくたの中にうずくまる少年を一人見つけた。

 否、見つけてしまった。

 灰色の外套……元々は白かったのだろうが、埃にまみれ灰に染まっていた……を頭から被り、小さく丸まっていた。外套から零れる髪は雨に濡れ、僅かに空から落ちてくる光に艶めかしく映し出されている。舐めるように全身を眺める、外套から覗く細いふくらはぎには緋色の紋様が浮き出ていた。

 何故こんな所に?

 むくむくと湧き上がる好奇心を抑えきれずに、自分は震える少年に近づいた。石畳の地面を擦る音に気が付いた彼は、のろのろと頭を上げた。長めの前髪の向こうから、生気のない双眸が覗いている。

 虚ろだった金色が、自分の顔を捕らえた瞬間真ん丸に見開かれ、目の前に現れた顔をじとと見つめてきた。

 彼の眼球が鏡となり、自分の顔を映し出している。短く切りそろえられた後ろ髪と少し長めの前髪は金色に光り、光彩は蒼色に染め上げられていた。鼻筋が通った細面の顔は、およそ二枚目と称するに相応しかった。

「……せ、先生」

 血色の悪い薄い唇が開き、掠れきった声が絞り出されてきた。彼のハスキーボイスにワケもなくぞくぞくする。

「先生? 違うな、俺の名前はルークだ」

「先生じゃない……」

 瞳にふっと宿った生気は、あっという間に虚ろの帳の向こうに消えていってしまった。再び俯いた彼は双肩を落とした。見ているこちらが哀れになってくる程の落胆振りだ。

 ……駄目だ、こんな素性も分からない奴につきあうな、俺。

「なあ、こんなところに居たって仕方ないだろ。その……お前のいう先生とやらだってここにはいないんじゃないか?」

 いや、そうじゃなくてだな。何を言っているんだ俺は。

「だからさ」

 ゆっくりと彼が顔を上げた。あどけなさの残る面は血の気が引き、真っ白だった。

「とりあえず俺の所に来いよ」

 そうして自分は少年の腕を取って無理矢理立たせ、強引に引っ張り歩き出した。

「よおルーク。今度は随分と色男に化けたな」

「てぇか、その後ろの何だ? 拾いモノか?」

 外套を羽織った少年の手を引きながら、入り組んだ裏路地を歩くルークに向かって、空から声が降ってきた。

 むすっと唇を真横に結び、ルークは振り仰ぐ。

 灰鼠色に染まる空に伸びた建物の窓から、顔なじみのオーク達がこちらを見下ろしていた。目が合うと、彼らは乱杭歯をむき出した。笑っている。

「うるせぇ! ほっとけよ」

 空に向かって怒鳴ると、ルークは歩調を速めた。少年の細い腕をぐいぐいと引っ張っていく。遅れないよう、必死に歩調を合わせる気配が伝わってくるが、気にせずにどんどん歩を進める。

 

 彼らが歩いているのは、闇に生きる者達が暮らす都市の一角。

 繁華街から外れた其処は、松明が吐き出す煙と油の匂いに空気が淀む吹き溜りだ。強大な力を振るうヴァンパイア共から逃れに逃れ、流れ着いた力無き低級眷属が作り上げた雑然としたコミュニティが、廃棄物とガラクタの海に潜んでいる。

 そんなコミュニティの一つに、ルークは暮らしていた。

 

 打ち棄てられた建物の一つの前で、ルークが足を止める。ちらりと背後を伺うと、肩で息をする少年の姿が映った。俯いたままの少年と視線が交錯することはない。

 彼の視線に釣られて、ルークも視線を下に向ける。外套から覗く痩せた脛にもやはり緋色の紋様が浮かび上がり、素足は傷つき血で汚れている。それらを見つめるアイスブルーの瞳には何らかの感慨が浮かぶこともなく、ついと動いた眼球が今度は建物の入り口を捕らえた。

 歪んだ木製の扉には、二つのジョッキを模した簡素なエンブレムが斜めに打ち付けられている。躊躇うことなく扉を押したルークは、少年を伴い建物の中に入った。

 最初に彼らを出迎えたのは、耳障りな奇声混じりの喧噪だった。

 屋内も外と同じぐらいに薄暗く、壁に掛けられたカンテラが申し訳程度に床を照らし出していた。幾つかのテーブルにスツール、扉から最も離れた奥にはカウンターがあり、それらは全て異形の客に占領されている。

 喧噪に蒸し上げられた空気に混じるアルコールの香りが、ここが酒場であることを示している。

「おばちゃん! ちょっと頼みがあるんだけどさ」

 声を掛けてくる馴染みを適当にあしらいながら、ルークはカウンターの前までやってきた。その中には誰もいない。

「ファンヘおばちゃん、いないの?」

 木製のカウンターに肘を付き、店の奥を覗き混むルークの右手は相変わらず少年の腕を掴んだままだ。客の視線が外套の中に隠れている少年に向いているのを感じつつ、もう一度ルークは怒鳴った。

「おばちゃんってば!」

「聞こえてるよ! うるさいガキだね」

 全く……と溜息混じりに、店の奥から小柄な女性が姿を現した。

 丈はルークの腰辺りまでしか無く、潰れた鼻、顔の両端についたぎょろりと剥いた円らな双眸は蛙そのものだ。肌の色も緑色にくすんでいる。

 彼女の名はファンヘ。ガラクタ街に居を構える酒場の主である、恰幅の良い中年女性だ。

「ああ、よかった。あのさ、コイツを風呂に入れてやって欲しいんだ」

 ルークが背後に立つ少年を指差す。ファンヘが背伸びをして、ルークの背中に隠れるように立つ外套を覗き込んだ。

 濡れそぼりぺたんこにしなびた外套と、そこから覗く細い足、そして浮かび上がった血の紋様を見て事情を覚ったのか、彼女は「ついておいで」と一言だけ発すると、再び奥の暗がりへと入っていった。

「お前もついてきな」

 俯く少年に一声掛け、その後に続く。間もなく少年の足音が聞こえてきたことに、内心安堵した。

 

 背もたれを胸に抱いて、だらしなく椅子に腰掛けているルークは、目の前のカーテンをぼんやりと眺めていた。静寂が支配する室内に、帳の奥から流れてくる空気が僅かな湿り気をもたらしている。

 彼の少年は帳の向こうで湯船に使っているはずなのに、物音一つしない。 一体どういう湯の漬かり方をしているのやら。一つ大きく息を吐き出したルークの背後で、扉をノックする音が聞こえてきた。

「ちょいと失礼するよ」

 ファンヘが何かを抱えて入ってきた。

「様子はどうかい?」

「ん? 特に問題はないんじゃねぇの? つーか、おばちゃんそれ何さ」

「服だよ、服」

 ほらほら受け取った、とファンヘは持ってきた服をルークに押しつけた。

「あの坊やの服だよ。アンタ、人間サイズの服なんて持ってないだろ?」

「そ……そりゃそうだけどさ」

「馴染みのボロだけどね、ないよりはましだろうさ」

 ぷっと鼻の穴を膨らませて胸を張ったファンヘは、ルークを一睨みするとカーテンの方を向いた。

「坊や、湯加減はどうかい?」

「…………温かいです」

 僅かな沈黙の後、蚊の泣くような声が返ってきた。その返答に、思わず二人は顔を見合わせた。

「温かいってなぁ……湯に漬かってんだから当たり前だろ? 痛っ!」

 ファンヘが無神経な男の足を思いっきり踏みつけた。

「そりゃ良かったよ、ゆっくりしなさいね。その間に食事を作っておくから。あんたの服はルークに預けたけど、何かあったら何でもおばさんに言うんだよ」

「…………はい、色々と有り難うございます」

 先程よりは少しはっきりとした声が返ってきた。

「なかなかいい子じゃないか。ルーク、アンタにしてはいい子を連れてきたね」

「うるせーよ、ほっといてくれ」

 あいつ、俺の問い掛けには全然答えなかったくせに。

 手渡された服を床の上に放り出し、ルークは背もたれに顎を乗せた。

 湯から上がった少年を連れて酒場に戻ったルークは、カウンターの隅を陣取った。

「さ、そこ座れ」

 コクリと小さく頷き、少年が壁とルークの間に座る。青白い横顔に濡れた髪が張り付き、唯でさえ陰気な空気を助長している。肌に捕らわれなかった髪の毛先から滴がパタパタと滴り、テーブルにシミを作っていく。

 頬杖をついたルークと、俯いたままの少年は相変わらず言葉を交すことなく、何となく肩を寄せ合っていた。

「なあ、お前聞いたか?」

 自分に向かって発せられた言葉ではないことは承知しつつも、ルークは問いを発したモノの方を何となく見遣った。ゴブリンがジョッキを片手に、リザードマンに何かを熱く語っている。

「うん? 何がだぁ?」

「タヴの話だ。つい最近街が丸ごと消えちまったって聞いたんだ」

「そいつは知っているなぁ。一晩にして街が壊滅したって話だろ? 跡形もなくふっ飛んじまったらしいなぁ。何でも、上の方のお偉いさんが原因を調べているらしいが、とんと原因がわからないらしいぞぉ」

 ああ、あの街が一つ消えてしまったという話か。

 ルークは特に興味を引かれた様子もなく、視線をカウンターに戻した。あの跡地は彼も見に行っている。感覚がなくなりそうな程の強烈な力の残り香が、辺り一面に充満していた。

 ルーク自身、状況把握能力はその辺の塵芥よりは断然あると思っているが、圧倒的な力を持つ何かが街を根こそぎ吹き飛ばしたということ以外、あの現場からは何も嗅ぎ取れなかった。あれではどんなに鼻が利くヤツでも、それ以上のことは分からないだろう。

「ん? どした」

 彼の隣で項垂れていた少年の肩が、小さく震えている。膝の上に置かれていた両手はいつの間にか力一杯握り締められ、硬く強張っていた。そして薄い唇からは、ルークの耳にやっと届く程の、小さな呟きがこぼれ落ちている。

「僕じゃない……僕のせいじゃないんだ……」

「お前……もしかして――」

「僕は……違う!」

 強い語調で言い捨て、ふいと顔を背けた少年の前に、大きめのスープ皿が一つ差し出された。

「何が違うのかは知らんがね、さぁ温かいうちにお食べ」

 ファンヘはスプーンを並べると、二人の前から離れていった。スープからほくほくと立ち昇る湯気が、少年の黒髪をゆるゆると舐めながら天井へ向かう。

「……食わないのか? 冷めちまうぞ」

 壁の方を向いたままの彼の表情は、ルークには見えない。

 コイツ、あの爆発に何らかの関係があるんだな。様子から察するに、街を吹っ飛ばした直接的な要因になっているみたいだが……

 むしろ、コイツ自身が意図せずに街を吹き飛ばしたという感じがする。先程の紋様は契約の印か。雰囲気からして元々はヒトであったようだし、契約で与えられた力が制御できていないってことか?

 む……むむ。認めたくはないが、自分はとんでもないものを拾ってきたみたいだ。

 ファンヘに促され、のろのろとスープを口に運ぶ少年の横顔を視界に、そんな事をぼんやりとルークは思った。

 少年が皿の底に残ったスープをスプーンですくい上げ、飲み込んだのを確認してから、「さてと」とルークは立ち上がった。

「そろそろ俺は帰るかな。お前、どうするよ?」

 少年が振り仰いだ。きょとんとした金色の双眸が、ルークの蒼い瞳と交錯する。首を僅かに傾げる少年の姿に、ルークは何となく気まずい思いがした。心にふいと現れた澱をかき消すかの如く、後頭部をバリバリと掻いた。

「いやさ、お前行くトコなさそうだし、かといって落ち着ける場所があるようにも見えないしさ。どうするのかなと思って」

 ああ、成程。ルークの言葉に納得したのか、少年の表情から疑問の色が消えた。

「俺の言葉を解して貰ったところで改めて尋ねるけどさ、お前はどうするよ。このまま、ここにおいて貰えるようにおばちゃんに頼んだっていいし、行きたい場所があるのならそこに行けばいい」

「僕は……」

 少年の視線が酒場を一瞥した後、すとんと彼の手の甲に落ちた。

 ここに長居はしたくないという少年の気持ちは、容易に想像が付いた。酒場の中は異形……といってもここいらに居る奴らは皆下級眷属に該当するモノばかりで、大した力はない……ばかりだし、そもそも人型をしているのはルークと少年だけだ。表情に出さないようにしているようだが、ドアベルが鳴るといちいち驚くし、スープを啜っている間も落ち着かない様子で視線が一定しない。

 可哀想なぐらい怯えている、と称するのが適当なんだと思う。

 ただ、コイツの場合、怯えの対象は周囲に渦巻く有象無象の眷属ではなく、自身でも把握出来ていない内なる力に対して、のようだけど。

 ちょっとした刺激で暴発しそうで怖い――そんな印象だ。

「僕は……」

「ここにおいて貰うつもりは毛頭無いんだろ」

 黒い頭が小さく頷いた。

 少年に尋ねるまでもなく、彼がファンヘの好意に甘えることも無いような気はしていた。宛が無いことだって、こんな雨の降りしきる中、道端にうずくまっていたあたりから簡単に分かる。

 それでも敢えて問いを投げたのは、一応、相手の意志を大切にしてみようと思ったからだ。

 およそ初対面のモノからこんな尋ね方をされて本音が出てくるわけはないのだが、相手の心情に配慮するという感覚自体、生憎ルークにはない。

「……お前さ、俺の所に来ないか?」

 少年がルークを見上げた。木製のカウンターに手をつき、ルークは言葉を続ける。

「お前をここに引っ張ってくる時にも言ったけどさ。まぁ、何にもない部屋だけど雨露は凌げるし、道端で寝てて、ふとした事故で誰かの朝食になることもないしさ。二人ぐらいなら寝泊まり出来るスペースぐらいあるぜ」

「でも……」

「別に迷惑だなんて思わないし、思うようならこんな事言わねぇって。……どうしても行きたい所があるのなら無理に引き留めようとは思わないけどさ、ソレとかも自分じゃどうしようもないんだろ?」

 少年の腕に浮かんだ紋様を指差した。彼は慌てて手で腕を隠すと、気まずそうに「はい」と呟いた。

「ともかく暫くは……いや、今晩は俺の所に来るってことでいいな」

「はい」

 少し強引だったかも知れないと思いつつ、ルークは入り口の側で立ち止まり、ファンヘに礼を述べる少年の横顔を見遣った。

 ぺこりと頭を下げた少年が、ルークの元に小走りにやってきた。

「じゃ、行くか」

「はい。宜しくお願いします、ルークさん」

 ファンへの店から出た二人を待っていたのは、相変わらずの雨模様だった。先ほどまでの勢いこそはないが、空はしくしくと雨粒を零し落ち続けている。

「俺の家ってここから結構歩くんだよな。かといって、雨に濡れながら帰ったら風呂に入った意味もなくなるし……お、あったあった」

 思案顔で辺りを見回していたルークは、近くにあったガラクタの山から骨の折れた傘を引っ張り出してきた。歪んだ軸を引っ張って直し、広げてみる。所々に穴は空いているが、無いよりはずっと雨露を凌いでくれそうな感じだ。

 それを少年に手渡す。

「ほい、傘だ。ヒトは雨が降っている時に、こんなのを差したりするだろ」

「……ルークさんは?」

「俺? 俺は雨に濡れたからどうなるってほど脆くねぇし、そもそも傘を差す習慣はないから気にすんな」

 軽く手を振り歩き出そうとしたルークの頭上に、すっと傘が差し出された。

「二人だと狭いですけど、やっぱり気になりますから……」

「そんなもんかねぇ……じゃあ傘は俺が持つかね。俺の方が大柄だし」

 反論する余地を作らず、ルークは少年の手から傘を取り上げた。

「でさ。お前さん、名前は?」

「……はい?」

「俺、まだお前さんの名前を聞いていないんだが」

「あ……すみませんでした。僕はラーベ・グレイシャーといいます」

「ふーん。……ん? それってお前さんの本名だったりする?」

 ラーベと名乗った少年は、一つ頷いた。

「あーと……まぁ仕方ないか。ラーベ君、一つ覚えてくれたまえ。俺達の社会では相手に自分の本名は教えたりしないんだ」

「何故ですか?」

「本当の名前が自分自身を表す最高にして唯一のものだからなんだ。んー……何というかだな、ヒトの間でも呪(マジナ)いの類ってあったと思うが、あれって存外効かないものだろ?」

「……はい、多分そうだと思います」

 何だ、こいつ自身は呪いの行為者にも被行為者にもなったことがないのか。お人好しだったのか、単に知識がなかったのか……多分両方なのだろうけど。

 相手の凡庸さに薄笑いを浮かべつつ、ルークは言葉を続ける。

「何故効かないと思う? ……理由はカンタン。ヒトはそれ自体と、それを表す名前の繋がりがあまり強くないからさ。む、よく分からんという顔をしているな。呪いを行う場合、その相手を表すものとしてよく用いられるのは何だと思う?」

 ラーベは小首を傾げた。

「……名前、ですか?」

「正解。だがヒトは名前と実体の繋がりが強くないから、名前に対して呪いをかけても、実体にはあまり影響が出ないわけだ。その代わり、ヒトは肉体が著しく損傷すると、それに引っ張られて精神まで死んでしまう。俺達はその逆。肉体への依存度は低いが、名前に引っ張られる。お前さんもこちらの世界に来てしまった以上は、そのうち名前に引っ張られるようになる」

「そういうものなんですか……」

「そうだ、いずれ分かる。というわけでだな、何か通り名を考えな」

 通り名、通り名……と呟く少年に目をやりつつ、他人に講釈垂れるのもまんざらじゃないな、と思う。街の上層に暮らすお偉いさんがやたらと演説したがるのも、ルーク達のような下々を啓発してやろうとか何とか、きっと考えているのだろう。

「ルークさんの名前も通り名なんですか?」

「ああ」

 少年の問いに答える。

「自称ルーク様さ。ルークってのはペテン師って意味だ」

「ペテン師?」

「そう。この外見だって……まぁいいや、そのうち教えてやるよ。で、通り名どうするよ? 何も思いつかなきゃ俺が付けてやるぜ。そうだな、ラーベ君は俺とは正反対な性格をしていそうだから、クールとか」

「えー……じゃあ、それでいいです」

「ウソ! マジかよ」

「はい、今日からクールと名乗ることにします。よろしくお願いします」

 な、マジかよ……いい加減なヤツだな。

 適当な提案を投げやり気味に受け入れた相手に肩をすくめて見せてから、「行くぞ」とルークは歩き出した。

 その後、二人は特に会話を交わす事も無く、淡々と薄暗い裏路地に歩を進めた。集合住宅が肩を寄せ合い、その間隙を縫うようにくねくねと伸びている路地を暫く潜り抜けた先に、ルークが根城にしている一軒屋はあった。

 薄暗い室内に入ると、クールが何かを蹴り飛ばした音がした。

「うわわ」

「あー、その辺はガラクタがイロイロと置いてあるから、一応足元には気をつけてな。見えてると思うけど」

「見えないです……」

「あ? ああ、そう。そりゃ悪かった」

 ルークがふっと腕を振ると、掌大の光がぽわんと部屋の中に現れた。

 淡い白色の光が真っ暗だった室内を照らし出す――と、彼らから向かって右手にガラクタが大雑把に積み上げられて、左側に寝泊りするだけの空間がかろうじて作られていた。いや、ガラクタを積み上げられて空間を作ったというよりは、崩れてきたガラクタの山が壁をぶち抜き、部屋の半分を占拠してしまったかのように見える。

 クールが足元に視線を落とす。棒状の金属片が、ガラクタの山の脇に転がっていた。これを蹴飛ばしたらしい。

「な、何か……凄い部屋ですね」

「雨露は凌げる」

「そうですけど……」

 呆けた顔できょろきょろと辺りを見回す少年をその場に残し、ルークはガラクタの山を飛び越えた。丸められたまま、部屋の隅に放っておかれていた厚手のマントを引っ張り出す。簡単に埃を払うとクールに向かって無造作に投げた。

「ベッドや布団なんてないからな。ま、ないよりはマシって程度だけどな」

 両腕で受け止めたマントに顔を埋めたクールが、僅かに眉根を寄せた。

「……湿っぽい、それに黴臭い」

「それぐらい我慢しろよ」

 黴臭いマントから差し出された腕を、ルークが掴んだ。袖を捲り上げて、青白い腕に浮かんだ紋様をひたと眺めている。

「触ってもいいか?」

「はい」

 緋色の輪郭をルークの長い指がなぞっていく。

「痛かったりする?」

「どちらかというとくすぐったいです」

 強めにこすっても、輪郭がにじんだり剥げてきたりはしない。色素が沈着しているのだろうか? 多少魔力の匂いは感じられるが……

「うーん、やっぱり俺にはよくわからん。この模様って、ヒトだったころは当然なかったよな?」

「はい、ありませんでした。あ、でも……」

 腕を取ったまま、角度を変えたりねじったり、彼自身の首もひねっていたルークが、口を開きかけたクールの顔を見た。

「でも?」

「この模様、薄くなってきている気がします」

「薄くねぇ。明日さ、お前さんが良ければゲレアト爺さんのところに行ってみようと思うんだ。ゲレアト爺さんってのは、ここら一帯の奴らが困ったときに泣き付く物知り爺さんだ。俺よか色々なことも知っているし、何つってもあの爺さんがお前さんのコレには興味を示すと思う。まぁ……外見はヒトっぽくねぇけど」

「ヒトのような外見ではないんですね」

「ああ、ファンへおばちゃんが結構近い……かな、多分。つわけで、今日はもう寝た寝た。明日は適当に起こすから」

「はい。お休みなさい、ルークさん」

 少年がマントの中にもそもそと潜り込んだのを見届けてから、ルークはガラクタを蹴飛ばして作った空間に横になった。


 
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