No.914401

zuiziさん

オリジナル小説です

2017-07-16 23:50:12 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:275   閲覧ユーザー数:275

 軽い気持ちで植えたレモングラスが大量発生してしまい、その駆除を命じられて、朝から草刈りをしているけれども、にんともかんともいかないし、庭は広いし、どこまでが庭かも分からないし、そういえば生垣のあるあたりまでを漠然と庭と認識していたけれども、その向こう側も庭である可能性だってあるのかもしれず、そうであるとレモングラスがそっちまで蔓延ってしまっていたらそっちのほうまで草むしりをしなくてはいけない。

 何しろ機械で刈っただけではこの草は繁殖力がとんでもないからまた生えてくるし、手で摘むしかないのだけれども、そうすると腰が痛くてたまらないので、大変な重労働なのだ。

 家主であり自分の上司である人にそういえば一体どこまでが庭なのかと尋ねると、その人はふふんと笑ってどこまでもと言い、そんな馬鹿なと思うけれどもあながち間違いとは言えないのが恐ろしい。

 この町で、この家はどこまでも大きく、初めて連れてこられた際に延々と続く布積みの石塀を見て母に、「この石塀の先はどこまで続いているの」と尋ねたことがあるけれども、母は笑って曖昧そうに鼻の頭を掻き、今思えばそれは母も父もその終端を知らず、母はただ玄関まで私を送り届ける仕事だけしか知らず、玄関まで送り届けた後は、なるべく速やかに私のことなどは忘れなければならないし、そうでないと後々辛い、ということを考えながらのリアクションだったのに違いなく、そういえば母はその時涙ぐんでいたような気もするけれども、でも、最後にはきっと、心を鬼にして、私を家主に預けていったのに違いないと思う。

 草むしりを続ける。日が昇って、遮るもののないこの庭では直射日光は容赦なく皮膚を焼き、私は長そで長ズボンを着用していても夜にはすっかり日に焼けてしまって、そのたびに薄い青色の半透明の軟膏を全身に塗らなくてはならない羽目になる。

 私は家主にもっと日を通さない服はないものかと所望したけれども、この地方では太陽はそうやって人間を焼いてきたのだし、どんな服だって細かな紫外線からは逃れられず、畢竟最後には庭師はみんな目を病んで引退する。目の隅に白い凝りのようなものが出来たらお前も休んでいいし、そしたら温室のほうに回してあげる、と言うときの家主の態度はどこか寂しそうで、私は家主がどういう人なのか全然分からないけれども、そういう時は私がしっかりと庭の手入れをしなくてはいけないと思う。

 農事暦を見て適切な時期に適切な花を手入れして、長い縁側を音もたてずに歩く家主がふっと庭に目をやったときにその眼の底に微かな喜びの色が浮かべばそれで私は満足なのだ。

 ある年、花腐しの雨が長く続いて、水捌けの悪い庭がみんな水没してしまって、私は水を何とか捌かそうと水路を広げてみたりしたけどだめで、花はみんな腐ってしまって萎れてしまって何千何百という花の花弁が暗い紫色の水面に浮かんでどこへ流れるということもなく漂っていて、あたりには花の死んだ匂いが流れて、使用人はみんな体調を崩して寝込んでしまい、町の病院へ軌道で運ばれていったけれどもそれから音沙汰を聞かず、たぶんみんなだめになってしまったのだろうというようなことがあって、私は家主に、平に謝ったけれども家主は仕方のないことだと言って珍しく小言の一つも言わなかった。

 それからじきに家主が罹患して床に臥せるようになり、私は町から医者を呼びつけたけれども、医者はこの長雨で堤が切れて水がどこにも溢れているから、田舟で行き来しているけれどもそれも限界で、とてもこちらまでは来られないということで、私は家主にそれを告げるかどうか迷ったけれども家主がどうしても医者が来ない、医者が来ないと言ってうるさがるので、やむを得ずそのことを伝えると、家主はそれでは仕方がないといって静かになった。

「モルヒネの注射ならありますよ」と私は言ったけれども、家主は笑って「注射はいやだから」と言ってカーテンの隅まで這って行って、そこでカーテンを体にぐるぐると巻き付けて「これなら安心できる」と言ってから瞑目した。

 奉仕する家がなくなったので私はもういつでもこの家から出て行けるようになったのだけれども、でも、母の顔も父の顔ももう忘れてしまって、思い出に持たされたロットの中の写真はもう紫外線でみんな黒く潰れてしまっている。白い長い塀のどこまで続いているかをとうとう知らなかった私には、とてもこの家を出て行ける気がしなかったから、私は毎日窓の外を見て、霖雨の開けるのを今か今かと待って、しばらくはまだ雨季の終わる気配はなさそうだったから、今度植える花の苗を、根腐れしないように一つずつ解いていくのを、ずっと繰り返している。


 
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