No.837378

【新1章】

01_yumiyaさん

新1章。続きもののようななにか。独自解釈、独自世界観。捏造耐性ある人向け【シリーズ完結】【改稿済み】

2016-03-14 22:50:38 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1051   閲覧ユーザー数:1032

【魔海の侵攻】

 

人は鏡。

 

貴人のように扱われれば背筋も伸び、

ぞんざいな扱いをされれば気持ちも荒む。

 

 

■■■■■■

 

北の大陸にある城の中で、ひとりの王子がほくほくと機嫌よく廊下を歩いていた。

「王子」といっても色々いるが、ここの王子は大人しく穏やかで丁寧な、水面落ち着く凪のような性格。マイナス部分を探すならば若干気弱で、あまり争い事を好まない程度。

そんな王子の名前はフロウ。国王である父親に「南の王国に魔法の勉強に行きたい」とおねだりし、了承を得てきたところだった。

 

普段はあまり我儘言わないこの王子が珍しく「お願いごと」を言ってくるものだから、父親は多少無理をしてでも叶えようとあちこちに手を回す。予定をズラし先方と打ち合わせして国民にも報告して。

たかだか王子の短期留学を国民に報告する必要があるのかと疑問に思う所だろう。しかし先程言った通り、この国の王子は国民人気がかなり高い。

まあつまるところ「王子様のお顔を長期間見れなくなるの寂しい」とか「早めに帰ってきてください辛い」とか「行く時はお見送りしたい」とかいう投書が国王の元に結構な数放り込まれていた。

この国は南の王国よりも小規模な国であるせいか、王族は割と頻繁に城下町に出入りしている。もちろん、王子も頻繁に街に行き国民と交流しているためかこの有様。

確かに自分も街に行けば「王様、ご機嫌よう!」と気安く声を掛けられるし、それは不快ではないのだが王子はその上をいく。この前王子と一緒に街を散歩したら、国民たちから菓子やら花やら玩具やらを山のように贈られていた。

王子にプレゼントを渡せば「ありがとうございます!」と嬉しそうに微笑まれるのだから、そりゃ貢物も増えるだろう。

そんな優しく甘い世界で生きてきた王子の国外留学は、国にとって一大イベントだなと国王は投書の山を眺め溜息を吐いた。

 

さてフロウが南の王国に発つ日、港には大勢の国民が集まって次々と声を掛けていく。見送りの人数に驚いたフロウだったが、みんなに父親のような立派な王様になることを期待されているのだと「がんばって勉強してきます」と笑顔を返した。

フロウの隣で国王は「…一生の別れになるわけじゃないんだがなあ…」と苦笑を漏らしながら王子の頭を撫でる。荷物になって王子が困るから餞別渡すのは禁止と通達したためか、国民たちの見送りの言葉ひとつひとつには熱意が篭っていた。

出立式がひと段落し、フロウはぽんと船の上に飛び乗る。手すりから身を乗り出して「いってきます」と見送りに来た全員に手を振って、フロウは海の向こうへと旅立っていった。

フロウの乗った船が見えなくなるまで国民たちは手を振り返し旅の無事を祈る。と、ひとりの民が国王の肩を柔らかく叩いてこう言った。

「王様も寂しくなりますね。今度ウチの店に来てください、サービスしますよ!」という言葉を皮切りに、最愛の息子が旅立ち父親は寂しがっているだろうと気遣い国民たちは国王を取り囲む。そこに悪意や媚は一欠片もない。

そんな民たちの表情を見た国王は、自然と王子そっくりな笑みを浮かべ「ありがとう」と国民たちに感謝を伝えた。

国王親子の人気がまた上がったのは言うまでもない。

 

■■

 

しばらくして、南の王国からフロウが帰って来た。

満足げな表情で「ただいま帰りました」と帰還したフロウを見て、出迎えた国民たちは「おかえりなさい」と笑みを浮かべる。もちろん国王も出迎え無事を喜んだ。

向こうはどうだったかと問われたフロウは楽しかったと答え、突然「あ」と思い出したように苦笑する。何事かと全員が首を傾けると「お魚はこっちのが美味しかったです。久々に食べたいな」と言ったものだから、王子帰還後数日間は国民たちから城に大量の魚介類が贈られた。

早々に届けられる魚の大群に呆れながら国王はウズウズしている息子と共に部屋へ入り、再度「おかえり」と頭を撫でる。ここからは王族じゃなくてただの親子の時間だと、国王は茶と菓子を用意しフロウをソファーに座らせた。

今回の留学のことを話したくて堪らないらしい息子に苦笑し話を促せば、ニコニコしながら、珍しく興奮した様子で武術のこと魔術のこと王国での生活を語り出す。よっぽど楽しかったのだろう、フロウは身振り手振りを交え一生懸命思い出を伝えていた。

「あと、あの、あの、あの、お友達ができました!」と、フロウはとてもとても嬉しそうにその子のことを話し、いつかこの国にも来てもらいたいと微笑む。国王は以前この城に訪れた戦士くんのことかと思ったが、フロウが話すのは別の子のようだ。

良い経験をしたのだなと国王は再度息子の頭を撫で、魔術か、と小さく呟いた。昔、魔術を悪用した魔女が大地を荒らしたせいで印象が悪くこの国では「魔法」に対し消極的になっていたが、と国王は思い悩むように目を瞑る。

ああしかし、こんなに楽しそうに息子が語るならば、と国王はふんわり微笑んで「魔法の勉強を気に入ったのならば、こちらでもやろうか」とフロウに問い掛けた。国王の提案に一瞬キョトンとし、言われた言葉を理解したフロウはすぐさま「ありがとうございます!」と満面の笑みを見せる。

魔術のコツは教えてもらったけれど「水」の魔法に関しては扱えるひとがいなくて上手く出来なかったからと、嬉しさを必死に伝える息子の頭を撫で国王は「ではすぐに手配するか」と立ち上がり部屋の外へと向かった。国王に倣ってフロウも腰を上げ、父親の後をポテポテ追いながら気色満面の声で、

 

「魔法が上手になったら、もっと父上のお手伝いができます!」

 

とニコニコ笑う。その言葉に国王はピタリと足を止めやんわりと天を仰いだ。嬉しいこと言ってくれるなウチの息子、お父さん泣きそう。

こんな良い子に育ったのは国民たちから愛されいるのもあるのだろうと国王が各所に感謝していると、フロウは「では、僕は失礼します。ありがとうございました!」とぺこりと頭を下げ部屋から出て行こうとした。

しかし途中でピタリと止まり、フロウは国王に振り向いておずおずと「…久しぶりに父上と滝の広場に行きたいです」とねだる。滝の広場は父子でよく遊びに行った、近くにある観光名所。

昔はよく連れて行き父子でのんびりと過ごしていた。まあ最近は忙しく、またフロウもひとりで遊びに出られる年頃になったため共に遊びには行くことは減っている。

ひとり旅から帰ってきて少し甘えたくなったのかなと国王は微笑み、フロウに近寄ってぽんと頭を撫でた。手配が終わったら時間を作って一緒に行こうと約束をする。

とてもとても嬉しそうに笑って、満足そうにフロウは国王の部屋から出て行った。フロウの去った部屋で国王は、可愛い息子のために良い先生を探さなくてはと必死に情報を漁る。

できれば魔術だけではなく槍術も教えてくれたら嬉しいのだがなと書類をひっくり返す国王の目に、ひとりの青年が映り込んだ。

ん?大陸の北の奥の方に、棒術が使えてかつ魔法も使える雪の一族が居る?武術でも魔術でもフロウの先生にピッタリじゃないか。

 

■■

 

国王の部屋から退室したフロウはニコニコしながら廊下を歩いていた。堂々と魔法の勉強が出来るようになったのだ、嬉しくないはずがない。

優しい先生だといいな早く勉強したいなと、ウキウキしているフロウに幼い男女の声が掛けられた。

 

「フロウ、なんかごきげんだね」「だねー」

 

その声にフロウが顔を向ければ、水色の水馬に跨った少年がふよふよと浮いている。フロウは「ケルー、ピィ、こんにちは」と微笑みぺこりと頭を下げた。

ケルーは乗馬の得意な少年。そしてピィは水馬と呼ばれるヒレのある馬の女の子。

彼と彼女はフロウの友達、兼護衛。幼い頃からフロウを支えてくれる相棒、兼部下。つまりは「信頼出来る王子の護衛」そして「王家を裏切らない部下」として当てがわれた少年たち。

とまあ、名目上はそうなっているが、フロウとしては「仲良しの友達」そして「頼りになる相棒」と認識していた。なんせふたりとも、あまりフロウを王子として扱わないのだから。

ほら、今も。

 

「フロウ、南でベンキョーしてきたんでしょ?」「うでだめし、しよ!」

 

ケルーとピィとは息ぴったりに言葉を紡ぎ、ワクワクとした目でフロウを見ていた。護衛対象の王子に対して部下が勝負を挑むなど、世間的にはあまりやらないと思う。

フロウとしてもケルーたちの態度は不快ではない。むしろ「王子」ではなく「フロウ」と見てくれているのは嬉しかった。

王子だからといって変に畏まらず、自然体で接してくれるケルーたちはフロウにとって「友達」だ。だからその友達からのお誘いにフロウは二つ返事で受け入れた。

 

勝負するなら広いところが良いと3人は肩を並べて中庭へと移動する。トコトコフヨフヨと目的地に向かう道すがら、ケルーに「南の王国ってどんなとこだった?」問われたフロウは「すごく良い国でした」と楽しそうに語った。

「ボクも行ってみたいなあ」とケルーがピィに話し掛ければ、ピィはプルプル首を振り「まだだめー」と拒否の意を示す。ケルーとわたしはまだベンキョー中だからだめ、というピィの追撃にケルーは少しばかり不満げな表情を浮かべた。

そんなケルーを諭すようにピィは、フロウに聞こえないように、小さく言葉を紡ぐ。「王子をちゃんと守れるようになったら、いっしょに行こうね」と。

うん、とケルーは微笑み機嫌が良さそうなフロウをちらりと見た。悲しいかな、ケルーたちが守り補佐する対象はケルーたちより強く察しが良い。

フロウが望むから、そしてケルーもその方が気が楽だから、素直に友達として接しているがケルーたちの本質はフロウの護衛と補佐。

 

「…いつか一緒にいろんなとこ行こうね、フロウ」

 

「? はい!」

 

絶対君を守れるくらい強くなるから、と決意したケルーの耳に「そうだ、今度魔法の勉強していいって父上が」というフロウの言葉が叩き込まれた。ウチの王子が護衛より強くなろうとしてるんだけど、ちょっと王様何考えてんの。

護衛役とは補佐役とはとケルーが頭を抱えている合間に、3人は中庭に辿り着いた。中庭の真ん中で向かい合ったフロウとケルーたちはお互いぺこりと頭を下げる。

フロウが「それじゃあ、お願いします」と声を掛け、ケルーたちは「オッケー!」「どんとこい!」と笑みを浮かべた。まあうん、短い留学程度の勉強なら、多分きっと、そこまで強くはなってない、だろう。

だったらフロウがいない間みっちり訓練したボクたちのほうが少しは強くなってるはず、と期待したケルーの思いは、フロウの掌に浮かぶ水の魔法を見て早々に打ち砕かれた。

留学前よりも大きい水球。瑞々しさは更に増し、綺麗な球体に育っている。

 

「アクア!!」

 

「っい!?」「きゃー!」

 

フロウの言葉とともに放たれた水球は、予想以上の威力を持ってケルーたちに叩きつけられた。悲鳴を上げて吹き飛んだふたりを見て、慌てたようにフロウは「大丈夫ですか!?」と駆け寄っていく。

そもそもあれだ、得意な槍ではなく真っ先に魔法を出したということは、フロウが留学で学んだのは魔法。まあ勉強の結果本人が驚くほどの威力になったようだけど、とケルーは水気を弾くためプルプル首を振った。

「すいません、なんか上手く制御が、」とオロオロしているフロウを見て、ケルーは「大丈夫!」と手で示し今度は自分たちの訓練の成果を見せる番だと再度距離を取ってフロウに笑い掛ける。

 

「今度はこっちから行くよ!」「まけない!」

 

みゃーと鳴くように威嚇して、ケルーたちはフロウに飛びかかった。

どうやらフロウは己の魔法をちょうどよい塩梅に調整出来ないようだ。先程は「勉強したばかりの魔法を思い切り放てる」と若干テンションが上がっていたせい。

そしてここからは、己の魔法の威力に動揺したフロウが多少の混乱状態。この精神状態だと恐らくフロウは魔法をマトモに制御出来ない。

剣や槍なら動揺した状態で攻撃してもロクに当たらないだろうが、魔法は違う。暴走して明後日の方向に飛ぶか、威力が暴発するかの2択。そして今のフロウは暴走暴発状態。

これは水浸しになる覚悟でいかないとダメだとケルーは気を引き締めた。水馬のピィは水中でも平気だし、ケルー自身も得意ではある。が、威力をもって襲い来る水球はやはり脅威。

でもボクらは王子の護衛、相手がなんだろうと「怖がる」などという選択肢はないとケルーはパニック気味のフロウを見据えた。

………でもやっぱ怖いな!フロウが意図せずとも、暴走してポンポン魔法が飛んでくる現状怖いな!早く落ち着いてフロウお願い!

 

しばらくして。

目をくるくるさせながら水浸しで中庭にへたり込むケルーとピィを、「ごめんなさいごめんなさい」と涙目で介抱するフロウの姿があったとか。

王様王様、王子が護衛のボクらより強いの。

どうしたらいい?

 

■■■

 

己の魔法でズタボロになったケルーたちを見て「きちんと扱えるようにします」とフロウは誓い、しばらく魔法を我慢することにした。これ以上、友達を怪我させるわけにはいかない。

そう誓ってから数日待って今日はいよいよ魔法を教えてくれる先生が来てくれる日。フロウがドキドキしながら待っていると、予定の時刻から少し遅れて「こんにちはー」という穏やかな声が城に届いた。

すいません少し遅くなってと声の主が父に挨拶をし、父とその人は言葉を交わす。内容はよくわからないが、フロウが産まれる前の昔の話、のようだ。

 

「あの騒ぎのあと、ここまで大陸を復興させた国に呼ばれるなんて光栄です」

 

「いや、こちらも貴方に来てもらえて感謝しかない」

 

国王がそう笑った後、その人はすっと屈み込み父親の背に隠れていたフロウと目線を合わして「こんにちは、きみがフロウかな?よろしくね」と手を差し伸ばしてきた。フロウも慌てて名乗り、ぺこりと頭を下げ「よろしくお願いします」と彼の手をちょこんと握り返す。

その人、先生が言うには、今日は顔合わせと打ち合わせだけで勉強は次からになるそうだ。少しばかり残念そうなフロウを見て、先生は苦笑し「…そうだね、どこか広い場所はあるかな?」と首を傾ける。

突然の質問の意図がわからずフロウも首を傾け、よくわからないながらも以前ケルーと遊んだ中庭へと先生を案内した。

中庭に着くと先生は「うわ、広い。凄いね」と笑い、ぼくの家より広いかもと頬を掻く。ここなら大丈夫かなと先生はフロウに笑い掛け、しゃんと不思議な形の棒を振った。

 

「ぼくの使える魔法は氷だから、ちょっと違うかもしれないけど」

 

そう言って先生は、挨拶代わりに雪だるまをポテンと落とす。暖かな日に現れたそれはフロウを驚かすのに充分で、思わず漏れ出た感嘆の息と共にフロウは先生をキラキラした目で見上げた。

こういうのも出来るよと先生は大きな雪だるまに小さな雪だるま、もっと小さな雪うさぎを次々生み出していく。こんな感じで力の制御を教えれば良いかな、と先生は口を開いたがそれはすぐに閉じられた。

代わりに、雪を触りたそうにしているフロウへ「うん、今日は遊ぼうか。フロウのお友達はいるかな」と先生が頭を撫でつつ提案すると、嬉しげな返事と共にフロウはどこかへ駆け出していく。

友達を呼びにいったのかなと先生は、王子が良い子そうで安心したともう既に溶け始めた雪だるまを見て笑った。

 

「しかしまあ、ここも穏やかになったね。あの時この辺りは氷漬けだったし、その上散々海賊に襲われたのに」

 

それを耐え抜き生き延びた国の王が頼んできたのだ。まだあの騒ぎの傷跡も大きいだろうと、復興を手伝うつもりで快諾したのだが。

いざ訪れてみれば、あの時荒れきっていたこの国は手伝う必要が無いほど整備され、住人たちも笑顔を浮かべていた。

それに驚き感心し「わあ街並み綺麗で緑いっぱいになってる」と、あちこち見学していたら約束の時間を過ぎてしまった。その点は若干反省している。

そのお詫びを兼ねてたくさん雪だるまを出して見たが、王子に喜ばれて良かったと彼はほっと息を吐く。

穏やかになったこの国で戦う必要は無いのかもしれないが、王子と国王の意思だ。頼まれたことはきちんとやり遂げようと、手に持つ棒をしゃらんと鳴らした。

とはいえ、楽しまないとね。

 

■■■

 

あのあとフロウはケルーたちを連れてきて、先生と共に皆で雪遊びしただけで終わったがそれは初日だけ。

次の勉強の日からは先生から魔法や棒術を学び、ついでに国の外のお話を聞いてフロウは王子として成長していく。先生との勉強も外の話もとても面白く、先生というよりは兄が出来たようだった。

毎日来てほしいですと珍しくフロウが我儘を漏らしたが、先生に「あはは、ごめんね。でもぼくも族長としてやることがあるから、毎日は難しいかな」と困った顔で撫でられる。残念そうなフロウを見て「じゃあ今度ケルーくんたちと一緒に勉強しようか。ぼくの友達も連れてくるから」と先生は風変わりな勉強会を提案した。

次の勉強日にその提案は実行され、宣言通り先生は友達をふたり連れて来る。…連れて来たのは良い、国王も許可した。

しかしその友達という人たちが、なんというか、非常に濃い人たちでフロウとケルーは「はじめまして」の挨拶以後、始終押されっぱなしの振り回されっぱなし。

 

ひとりは、

「この世の理はすなわち速さ!そうだろ?物事を速く成し遂げればそのぶん時間が有効に使える!遅くやるなら誰でも出来るんだから速いに越したことはない!そうだろ水馬のお嬢ちゃん!」

とまくし立て、ケルーではなくピィを連れて何処かへ走り去った。

 

もうひとりは、

「………身体を、張る。肉体は、裏切らない。行くぞ、坊主」

とゆっくりゆっくり言葉を紡ぎケルーを連れて空へと飛んで行った。

 

残されたフロウは戸惑った目を先生に向ける。先生は「ふたりとも張り切ってるなあ」とのんびり笑っていた。たぶん、仲間の行動にいちいち動揺してたら族長なんてやってられないのだろう。

「族長」がそうなら「王」もそうだろうかとフロウは考え、自分に足らないのはこういうとこだと強く頷いた。がんばろう。

 

しばらく経って。

ちゃんと帰ってきたケルーもピィも多少ボロボロになってはいたが、満足げな表情をしていた。ピィは「はやかったの!」とぴちぴち尾を揺らしていたし、ケルーは「すごくすごかった!」とフロウに笑みを向ける。

何があったかはわからないが、ふたりとも楽しく学べたらしい。良かったとフロウは先生に礼を伝えた。

 

先生と話すフロウを見て、ケルーは決意したように隣にいる人を見上げる。この人も、フロウの先生の友人兼補佐をしていると聞いた。ケルーが学んだのは、戦い方のコツだけではなく友人として長を支える心構え。

連れて行かれた時、自分とお前は立場が少し違うとは思うと前置きし、彼はゆっくりとした口調で昔話をしてくれた。

「あいつは、次期族長として自分たちを、一族の民を守ろうと、昔少し無茶を…した」と真っ直ぐな目でケルーを見つめる。ひとりで全部、背負おうとしたのだと。

そんなあいつと王子は似てると彼は言う。王子はケルーを「ただの友人」だと「護るべき民」だと認識しているだろうと。何かあったら守ろうとするだろうと。

 

「甘え寄り掛かっては、いけない。いつか、潰れる」

 

突然いなくなってしまうと、当時を思い出したのか彼は大きく息を吐き出した。あいつの犠牲とともに得た平和など望んでいないのだが、どうにもそれは伝わらなかったと彼は苦笑する。

「何度も、…手伝うと、助けると、頼れと、…言ったが」と彼は空を見上げ、最終的に仲間に黙って勝手に生命を賭け、ひとり戦いに向かったと溜息を吐き出した。ああフロウもそうなりそうだなと、話を聞いたケルーも呆れたように息を吐く。

 

「自分は、脚が速い友人がいたから、…間に合った、助けられた。…お前は、あの水馬の娘が、間に合わせてくれる、だろう、だから、」

 

だからケルーはその後、自分と同じく友人の危機に間に合った後、守らなくてはいけない。友人を助けなければいけない。

背中で護られるのではなく、肩を並べられるように。そのために心も身体も強くならなくてはいけないと彼はケルーの頭を撫でた。

国を民を守る王子を、ケルーが護れるように。王子がケルーを頼ってくれるように。

 

「自分たちは時間が掛かったが…。当の長が、自ら王子を、導いているのだから、仲間への頼り方、仲間の大切さ、を教えている、と、は思う、が」

 

こちらからも「自分は強いから頼っていい相手」だとアピールしとくべきだと、彼はうんうん頷いた。そんな話を聞いてから、ケルーは彼から色々と教えて貰ったのだが。

勉強が終わりピィに報告したところ、ピィも同じような話をされ「お嬢ちゃんに必要なのは速さだ仲間のピンチに間に合うための速さ!わかったかわかるよなよし走るぞ!」と大陸中連れ回されたらしい。

あのひとわたしより速くて驚いた、と首をコテンと傾けたピィが可愛い。じゃなくて、とケルーはピィの背を撫でた。

 

「ふたりでもっと強くなろうね、ピィ」

 

「うん、がんばろー!」

 

彼らはふたりでひとり。

強くなるならふたりで、護るならふたりで、助けるならふたりで。

ふたりで王子を支えましょう。

…あの人たちまた来てくれないかな、もっと色々教えてほしい。

 

■■■

■■

 

ここは、どこだろう。

 

ぼんやりとした眼差しでひとりの少年が辺りを見渡した。見覚えがあるような、ないようなそんな景色を視界に映し首を傾げる。

目の前にあるものは「海」で今いる場所は「砂浜」だと理解出来た。が、それ以外のことがわからない。

何故自分はここにいて、何をしていたのか。どこからここに来てどこへ向かうつもりだったのか。

自分は誰でどんな人物だったのか。自分の名前すらわからない。

「誰」「どこ」「何」「何故」

それらが全てわからなかった。

少年はぽふぽふ己の顔を撫で、不思議そうな表情で首を傾げる。「僕」の顔は「僕」として正しいのだろうか。

わからない、と少年が首を傾げるたびに結い上げた長い青色の髪が左右にさらさらと揺れた。全てが分からなくなったわけではなく、言葉の発し方や歩き方、物事の知識は失っていない。

わからないのはひとつだけ。

 

「僕は、僕がだれだか、わからない」

 

己に関することだけが、頭の中からものの見事に抜けていた。同時に、帰るべき家の場所もわからない。

名前も帰る場所も、何故自分が薄汚れてこんなところで佇んでいるのかもわからないと、少年は困ったように俯いた。俯いた視線の先には自分と同じく薄汚れた棒が落ちている。

棒、だと思ったがそれを持ち上げてみると棒の先に刃が3つくっついていた。形としてはミツマタの槍だろう。

誰のだろうと少年は首を傾げたが、よくよく見るとその槍の棒の部分、太刀打ちと呼ばれり箇所がまばらに赤黒く汚れていた。

模様、ではないだろう。青色の綺麗なデザインなのに、変に朱を入れる必要はない。

ああしかし、と少年は眉を下げた。この赤黒い色を見ていると妙に心乱れる。きっととてもとても嫌なことが、この槍を襲ったのだろう。

悲しげな顔で槍を撫でた少年は、己の手にも同じ赤黒い汚れが付いていることに気付いた。驚いて己の手を眺め、なんで、と小さく言葉を漏らす。

何故僕の手に、こんな色が付いているのだろう。

手に付いた赤黒い色は、少年の沈んだ記憶を揺り動かした。ぞわりと血の気が引いて、嫌な汗が流れ落ちる。

嫌だと少年は無意識に首を振った。まだ駄目だと、まだ思い出してはいけないと。

何故そう思うのかもわからず混乱する少年の背後から、冷たい声が落とされた。知らない大人の怖い声。

 

「こんなところにいたのか」

 

言葉の内容から考えるなら、この言葉の主は少年のことを知っている。その上で、少年を探しに来てくれたのだろう。

ならば自分は彼に振り向き事情を話し、家に連れて行ってもらうべきだ。そのはずだ。

なのに、その声を聞いた瞬間に、声を掛けられた瞬間に、少年はわけもわからず逃げ出したい衝動に駆られていた。振り向いてはいけない、逃げなくてはいけない。

この人から、早く逃げなくては、いけない。

だって、殺されてしまうから。

知らない人だ、顔すら見ていない。けれども少年の頭は、記憶が抜け落ちているにも関わらず、逃げろと警報を鳴らしていた。

振り向きもせず声すら上げない少年に痺れを切らしたのか、相手がざっと1歩近付く音が耳に届く。その音に身体を震わせ、弾けるように少年は音の方向とは真逆に走り出した。

駄目だ駄目だ駄目だ、捕まっては駄目だ。

思い出した思い出したくなかった思い出して良かった。

あの声は僕の手を赤黒く染めた人の声、笑っていた後ろで誰かが魔王が。魔王がいた。どこに?

わからない、僕はきっと魔王軍に襲われて、逃げてここまで、逃げられたと思ったのに。なんで僕を追って、なんで僕を。なんで?

わからないわからないとぐちゃぐちゃになった頭のまま、少年は誰だか知らないけれどと叫び「僕のことはもう放っておいてください」と声だけ残してただ走る。

なんであいつは追うんだ僕なんかを、ただの子供でしかないだろうに!

 

追っ手の気配にビクつきながら少年は荒れた街を村で身を隠し、オロオロ逃げ惑いながら森を抜ける。途中から追っ手の気配は消えていたけれど、怖くて背後を振り向けず足を止めることは出来なかった。

息を切らしフラフラになりながらも先程とは別の砂浜へと辿り着いた少年は、ようやく足を止めペタンと岩陰にしゃがみ込む。岩陰から辺りを見渡し、これだけ開けているならば追っ手が来たならすぐわかるだろうと身を縮こませた。

 

「…あ。槍、持ってきちゃった」

 

誰の物かもわからない槍を握り締めた己の手。その手に目を落とした少年は「あれ?」と首を傾ける。

槍に付いた赤黒い汚れと、己の手に付着した赤黒い汚れがピッタリ重なっていた。まるで自分に汚れが付いた時、この槍を握り締めていたかのように。

魔王軍に襲われた時、自分はこれを握っていたのだろうか。なんで槍なんか、と少年は首を傾けた。木刀やオモチャの剣ならともかく、こんな立派な槍なんざ子供が持つには物騒すぎる。

不思議そうに槍を見つめ、しかし手放してはいけないと無意識に思い少年は槍を握り締めた。妙に馴染むと再度首を傾げ、槍を傍らに岩に背を預ける。

ようやく大きな息を吐き出し少年は、困った顔で青い青い空を見上げた。己の名前すら記憶から消えてしまっているが、恐らく自分は住んでいた街もろとも「魔王に襲われた」のだと思う。

子供の自分すら襲われ見知らぬ場所まで逃げ出しているようだから、恐らく街を根こそぎ滅ぼすほどの襲撃だったのだろう。

記憶を失っているとはいえ自分が生き延びているのだから、流石に住民全てが滅してはいないと信じたい。同じ街の出身で自分の他に生き延びた人がいるならば、きっと自分を憶えている人がいる。

その人を見つけて己が誰か、そして何があったのか知らなくてはならない。そうでなくてはこのまま訳もわからず孤独に震える羽目になる。それは嫌だと泣きそうになりながらも、少年は己の頬をぺしんと叩いた。

やる前から諦めちゃいけない、今を変えるためには自分から動かなくちゃいけない。

天は自ら行動しないものに、救いの手など差し伸べてはくれないのだから。

そう誰かが、とても大切で大好きな人が、よく口遊んだ言葉を胸に少年は目元を拭って立ち上がった。

それが誰だったかすら、思い出せないのだけれども。

 

■■■

 

とりあえず追っ手の怖い人の気配は無い。ならば動こうと少年は岩場から顔を覗かせ、辺りに広がる砂浜を見渡した。

少年の視界に映る真っ白い砂浜と波の騒めきの合間に、不思議な赤いナニカがひとつ動いている。白と青に囲まれた世界に、その赤いナニカは非常に目立っていた。

なんだろうあれ、と目に馴染みの無い色を見て少年は眉を顰める。動き方からしてあの赤い色のナニカは人、しかも自分と同じくらいの子供だろう。

見た目が子供だからといって油断は出来ないと少年は思い、目に入った不審なそれをやり過ごすつもりであった。頭ではそうしようと理解していた。

にも関わらず、その赤いナニカを認識した瞬間少年はほとんど無意識に岩場から姿を出しそれに声を掛ける。

彼に呼び掛けてすぐ、少年は己の行動に首を傾げた。赤いナニカは赤い鎧を着た少年だった。それは問題ない。

しかしながら明らかに怪しい風貌の少年に、無用心に声を掛けた自分の行動が理解出来なかった。

危なそうで凶悪な両刃剣を持ち、兜で顔を隠し、唯一見えている口は不機嫌そうに結ばれている人間に、何故躊躇なく声を掛けたのか。

おかしいな、赤い色は元気に笑っている印象があったのに。彼は違うな?

…あれ?何が違うのかな、違うと思うのだけれど、それが何故かは思い出せない。

 

少年が己の行動と記憶に戸惑っている間に、赤い少年は声を掛けられたにも関わらず不審なものを見たかのように口元を歪ませ面倒そうに目を逸らした。

そのまま背を向け立ち去ろうとした赤い少年のマントがひらりと海風に舞う。その赤い色が目に入った瞬間、何故か少年はそのマントに手を伸ばした。

何故手を伸ばしたのか、何故そのマントを掴んだのか、己でもわからない。少年が己の行動を理解出来ず困った顔を作り見上げれば、案の定、赤色の少年は不機嫌そうに口を真横に結んで掴まれたマントを睨み付けている。

 

何故引き止めているのかわからないが、手を離せば何処かへ行ってしまいそうだし、このまま黙っていたら斬られそうな気がする。

 

どちらを選んでも駄目だと危機感を覚えた少年は "自分は魔王側の人間ではない" ということを暗に示しつつ、要約すると「君も魔王に襲われて、国を追われて帰る場所がない子供だよね?」という半ば願望を口に出した。これでこの人が魔王の手先だったら僕死ぬなあと若干後悔しながら。

怖い追っ手から逃げ切ったのに、逃げた先にいた魔王軍の子供に声掛けたせいであっさり殺されたなんて笑い話にもならない。全てが無駄になってしまう。…

…あれ?なにが、無駄になるのだろうか。

思い出せないわからない。

少年が己の思考に首を傾けていると、不機嫌そうな声色が降ってくる。マトモな返答など得られるとは思っていなかったが、どうやら赤い少年は先程の質問に素直に答えてくれたらしい。

彼によると魔王に滅ぼされた国はひとつふたつじゃ収まらないようだ。滅ぼされたのは僕の国だけではないのかと少年が目をパチクリさせていると、赤い少年は「もういいだろ」と言わんばかりにマントを掴んでいる少年の手を振り払った。

そんな赤い少年の乱暴な態度に抵抗するでもなく少年はあっさりと手を離し、眉を下げて「僕は、僕が誰か知っている人を、探している」と己の現状を話す。だから、

 

「しばらく一緒に行動していいですか?だって、あなたは強いでしょう?」

 

そう、己でも予想外の言葉を続けた。

それを聞いた赤い少年は不可解そうな視線を送ったが、それにもましてその言葉を放った当人は驚いたような顔で己の口元を押さえる。

なんで、なんで僕は彼が強いと知っているんだ?

確かに、強い人といるほうが安心だし心強い。が、少年は目の前にいる人物のことなど全く知らないし覚えてもいない。何故自分はそんな相手に向かって「強い」などと言い切ったのだろうか。

戸惑いはそのまま口に出て、目の前の人間から呆れたような声を引き出した。ああこんな顔もするのかこの人は。

少し困惑したまま赤色の少年は、妙な輩に付き合ってられないとばかりにぷいと背を向け立ち去って行く。

少年はそれを引き止めるすべを知らない。無言で彼をただ見送った。そういえば赤い彼の名前を聞くのを忘れたな、と思いながら。

 

■■■■■■

 

残された青色の少年はぽつんと浜辺に立ち尽くす。

赤い少年が言っていたのが本当ならば、魔王に滅ぼされたのは僕の国だけではないらしい。ならば恐らくどこへ行っても混乱の真っ最中。

他人に気を向ける余裕すらないだろう。そんなところへノコノコと「自分を知っている人はいませんか?」と尋ね回る勇気は無い。

どうしようかと少年は困ったように眉を下げ、ふと思い立ち首を傾けた。

あれ?襲われた国が複数あるならば、何故あの魔王の手下はわざわざ僕を追い掛けて来たのだろう。ただの子供をあそこまで必死に追い掛け回す必要はないだろうに。

生き残りが僕だけだったから根絶やしにするため追い掛けてきたのか、それとも他に何か理由でもあるのか。

前者が理由ならば、己のことを覚えている民は全てがもうこの世にいないということになる。それは嫌だなと俯く少年に幼い声が掛けられた。

 

「フロウ!」「みつけた!」

 

声を聞き、少年は顔を上げて周囲をキョロキョロと見渡した。少年の視界の先には水色の馬のようなナニカに跨った水色の誰かが、慌てたように駆けて来ている。

他には誰も何処にもいない。

ならば、恐らく "フロウ" というのは名前なのだろう。そしてそれは多分きっと己の名前。

なんせ水色の誰かは、馬のような誰かもだけれど、真っ直ぐ己に視線を向けているのだから。

新手の追っ手かとも一瞬警戒したのだが、彼らが安堵したかのような柔らかい表情でいるため少年は敵じゃなさそうだと判断し彼らに向けて首を傾けた。

誰だろう、とりあえず僕を知っているようだけれど。

水色の彼は「よかった無事で」と微笑み、馬のような誰かから降りて少年の前に駆け寄った。

水色の馬のような彼女は「だいじょーぶ?」と心配そうな声でくりんと顔を傾けた。

青色の少年は困ったように目を泳がせ、オロオロとし始める。

自分を知っている人に名前でも呼んでもらえれば記憶も戻ると思ったのだが、そんな簡単な話ではないようだ。

向こうはこちらを知っているが、こちらは向こうがわからない。

なんで僕は思い出せないんだ。

悔しさと申し訳なさに、無意識に眉が下がった。

そんな態度を不思議に思い、水色のふたりはもう一度「フロウ?」と名前を呼び掛ける。すると一拍遅れてフロウは己の顔を指差した。それにふたりが頷くと、困ったように眼を逸らす。

ああうんこれは、と察したように水色のふたりはこっそりと言葉を交わした。勿論、フロウには聞こえないほどの小さな声で。

 

「ピィ、アイツの言ったことホントだったね。腹立つ」「そうだねムカつくー」

 

可哀想なくらいにオロオロしている我らが王子に悲しげな目を向け、ふたりは少し前のことを思い出す。

国が襲われ、誰も彼もが血の海に沈み、全てを喪ったあの時の事を。

 

王はなんとか王子を逃した、ボクらも必死に王子を逃した、王子が逃げる時間を稼ぐため壁になった。…多分、それがいけなかったのだと思う。

逃げるためには国の外に出ないといけない。それはつまり、襲われ壊され殺されてそこら中に顔見知りの死体が落ちている真っ赤な中をフロウひとりで進まなくてはいけなかった。

一緒に行けば良かったのだと思う、フロウとボクらで手を繋ぎ一緒に逃げ出せば。それをしなかった離れてしまった、あの惨状の中をひとりで進ませてしまった。

国を大切に思っていた王子に、民を好いていた王子に、国が民が壊されていく中それを見捨ててひとりで逃げろと言う。それがどれだけ、フロウの負担になったのだろうか。

惨劇からなんとか生き延び、国の残骸を尻目にボクらは急いでフロウを追った。まあ探す最中、同じくフロウを追っていた魔王軍の偉そうな将とバッタリ出くわしてしまったのだけれど。

そいつが言った。「探しても無駄だ」「王子は全てを忘れたらしい」「薄情な王子だ」「まあ、何もかもを忘れたならば今後アズール様に歯向かいはしないだろう」「ならば捨て置く、有難く思え」と。

いやもう薄情な王子とか言われた瞬間カッとなってピィと共に体当たりぶちかましてやったけど、相手はケロっとしていた。ムカつくあのお洒落全裸。

まあ相手もムカつきはしたようで「こいつらは排除しておくか」と言いたげな目で睨まれたから、横を擦り抜け逃げてやった。今ココで戦って国の仇を取るのと、記憶無くしたらしいフロウを探すのならばフロウの方が大事。

相手はボクらを捕まえようとしたみたいだけど、ボクのピィの方が速い。ピィすごい、好き。

ボクはべぇと舌を出して、とっとと遠くへ逃げ出した。あいつ今度会ったら殴る。

 

追っ手を撒き、さてとケルーは北へ向かった。フロウが正気ならば必ず向かうであろう、雪の一族のところへ。

まあ行ってみた結果そこにフロウはおらず、ケルーたちは焦りつつも探しまくってようやくフロウを見つけ出した。までは良かった。

 

せんせいのところに居ない時点でおかしいもんなとケルーは頭を掻き、どこまで記憶が飛んでいるのか把握する必要があるとフロウに顔を向ける。

…目を合わせただけでビクっとするのヤメてほしいなとても悲しい。

ケルーがコワクナイヨと笑顔を作れば、困り顔のままではあるがフロウもおずおずと口を開いた。

フロウがぽつぽつと申し訳なさそうに語るには「魔王に襲われたことは覚えているがそれ以外がわからない」だそうで。それを聞いたケルーの笑顔が若干崩れた。

なんでそこだけ残って他が消えるんだ可哀想すぎる。フロウなんか悪いことしたかなするはずがないだろうに。

ううむと悩みつい難しい顔を浮かべたら、フロウは眉を下げつつ涙目で「…思い出せ、なくて…ごめんなさい…」と俯いた。謝らなくていいから謝る必要ないからちょっとフロウにこんな顔させたくないんだけど!助けて!

こういう時はどう接するするのが正しいのかな、せんせいたちも王様も教えてくれなかった。

考えろ考えろこのままだとボクがフロウを泣かす。それは絶対させたくない。

思い出せ思い出せフロウがボクを思い出しそうな事柄を、今まで積み重ねた時間の中できっかけになる事を。

一緒遊んだ話をしたたくさんたくさん接していた。その中で一番フロウが覚えていそうな出来事は。

 

「ええと、そうだな。いまは魔法使える? "アクア" って」

 

"魔法の勉強しても良いって父上が"と笑っていたんだ、今までで一番。

"南で勉強してきた"と得意げにしていたんだ、今までで一番。

"じゃあ腕試し"とあの時が今までで一番嬉しそうだった!

だからきっと、これが。

 

魔法?とフロウが首を傾げながら、あの時と同じ単語を呟いた。頭では忘れていても身体はきちんとそれを覚えていたようで、フロウの言葉に反応しぽんと水球が現れる。

魔法は忘れていない、ならば、と「フロウはそれが得意だったよね」と教えてみたが、やはりフロウの様子はおかしいままだ。出てきた水球をぽかんと見つめ「えっ?えっ?」とオロオロし出す。

ダメか。きっかけにはならなかったかと少し落ち込み、落ち込んでいる場合じゃないと首を振り、じゃあ次と作戦を変えようとフロウに向き直った。

ら。

記憶が消えているためかコントロールが上手く出来ないらしい。喚び出した水球はフロウの魔力に比例してドンドンかさを増していた。見た感じヤバい感じに暴走してる。

目の前で勢いよく大きくなっていく水球にオロオロしながら、フロウは「これどうしたらいいんですか」とこちらに顔を向けた。

 

魔術師が魔法を発動しながら別の方向へと意識を向けたのならば、その魔法は意識を向けた方向に飛んでいくのが道理なわけで。

 

コントロールの消えた水球は、フロウが意識したままその方向に向かっていく。避けることも逃げることも出来ず、水色の少年たちはフロウが出した水球に襲われ悲鳴をあげつつ吹き飛んだ。

自分の出した水球で目の前の人間が吹き飛び、フロウは慌てたように彼に向かって駆け寄る。

無意識に彼らの名を呼びながら。

 

「っ、ケルー、ピィ!大丈夫ですか!?」

 

呼びながら駆け出しながら、フロウはすんなり記憶を辿った。以前も同じようなことがあった、思い出した覚えている。

魔法を勉強したからと彼らに誘われ手合わせをした。

あの時も上手く魔法をコントロール出来ず、彼らを水浸しにしてしまった。

その時にもフロウは同じ言葉で同じように駆け寄って。

そうだ確か僕のその言葉に対してケルーは。

 

「大丈夫!」

 

ああそうだ、そう返してくれた。

今と昔が重なって、パチンとピースが嵌ったような音がして。

フロウはパチクリと眼を瞬かせながら、「…ケルー?」と目の前にいる水浸しの少年の名前を再度呼んだ。同時に隣にいた水浸しの水馬の女の子に顔を向け「ピィ?」と確かめるように音を奏で、縋るようにふたりの頬に触れ、手繰るように記憶を繋ぐ。

ああ知っている何故忘れていた何故わからなかった。彼らは僕の大切な。

 

「うん、ボクはケルーだよ。フロウ、思い出した?」

 

その問いには答えず、フロウはケルーに抱き付いて声を押し殺しながら嗚咽を漏らす。忘れていてごめんなさい、思い出せなくてごめんなさい、思い出させてくれてありがとう。

そんなフロウに少し驚いたようだったが、ケルーは「フロウも濡れちゃうよ」と優しく笑って頭をぽんと撫でた。

その言葉にも答えず、むしろ逆に顔を押し付けフロウはケルーにただ縋る。少しばかり苦笑して、ケルーはフロウを落ち着かせるように背をゆっくりとさすった。

あやすように安心させるように。

きみはひとりじゃないよと諭すように。

あれこれ結局ボクがフロウを泣かしたことになるのかな?と少しばかり困りながら。

 

ケルーを思い出し、それと同時に全てを無くしたことを思い出し

親しいひとを亡くしたことを思い出し

居場所もなにもかも奪われたことを思い出した亡国の王子は、なりふり構わずただ感情のままに涙を流す。

悲しさと悔しさと安堵を同時に出しながら。

 

■■■■■

 

思い切り泣いたあと、フロウはぐっと眼を拭う。大丈夫かと問うケルーに、大丈夫だと返しフロウは笑顔を作った。

国を喪くしたのはケルーも同じ。なのに自分だけ泣いてばかりはいられない。ぺしんと己の頬を叩き、フロウは「もう泣きません」と決意を浮かべた瞳をケルーに向ける。

そう?と笑いながら首を傾げ、ケルーは両腕を開いて楽しそうに言った。

 

「泣きたくなったらいつでもボクの胸を貸そう!」

 

普段と変わらないケルーに安らぎつつ、フロウは静かに笑みを返す。

その提案は非常に嬉しいが、甘えすぎでしまうのは駄目だろう。

そう言えばケルーは「別に大丈夫だけどな」と苦笑し、こう言った。

 

「好きなだけ頼ればいいし寄りかかればいい。ボクらはずっとキミを支えるよ」

 

真面目な顔してそう言い、ケルーは「頼るのを躊躇しなくなるくらい強くなってみせるから」と胸を張る。

国は滅ぼされフロウは王子ではなくなったはずだ。しかしそれでもケルーはフロウの傍にいると誓う。

友人に真っ直ぐな目でそう宣言され、フロウは微笑み彼の手を取った。

 

「では僕はみんなが安心して暮らせる居場所を造ります。支える人が休める場所を」

 

いつか父上のような王になれるように、立派な国を興そうと。

魔王なんかに負けないくらい強固な居場所を。

無くすことのない居場所を。

フロウは誓う。今目の前にいるふたりの友人に従者に国民に。

ケルーとピィに対して誓う。

亡国の王子が創国の王子へと成る、その一歩を歩み出す。

 

 

さあ今ここに【国を救う】流水の騎士が目覚めた。

国を護るのが騎士ならば、国を救う彼はきっと。

 

 

■■■■

■■■■

 

互いに未来に向けての誓いを見せてからしばらくし、フロウもケルーも背が伸びて少年から青年へと成長を遂げた。体躯もしっかりし魔術も武術も威力を増して、魔王の手下の下っ端くらいならば退けられる程度には。

が、1番の成長を見せたのは…。

 

「ふたりとも強くなったのはわかるし、自信が出てきたのもわかるわ。でも油断は駄目よ?」

 

尻尾をゆるゆると揺らしながら、フロウとケルーに諌めるような言葉を放つのはピィ。幼かったころの言動は鳴りを秘め、見事に「おねえさん」へと成長を果たした。

昔は3人のなかで一番幼かったような気もするが、いつしかそれは逆転し、今では一番大人っぽく一番のしっかりものとなっている。

この時期の男女は女性のほうが成長が早いとは言われるが、彼らも例外ではなかったらしい。

時には妙に過保護に、時には口うるさく小言を言うようになったピィに、ケルーとフロウは始終押されっぱなしだ。

 

「ピィは、とてもしっかりしてきましたね」

 

「うん」

 

のほほんと皿を洗うフロウとケルーを見て「私がしっかりしなきゃ」とピィが決意を新たにしたことはふたりは知る由もない。

ピィとしては、王子と従者としての王宮暮らしが長かったせいか国を喪くした今でも若干のんびりとした空気を醸し出すふたりがどうにも心配らしい。ピィの心配を尻目に、皿を洗い終えたケルーはぽんと手を鳴らし言う。

 

「そうだ、フロウ。…久しぶりに一線、どうだい?昔のようにさ」

 

「…いいですね!手加減しませんよ!」

 

突然の提案にきょとんとしたが、すぐに笑顔となってフロウは大切に手入れしている自慢の槍を手にとった。

国の復興だとか、魔王退治だとか、敵対する生き物への対策とか、やるべきことはまだまだたくさんあるだろうに、嬉々として遊び始めたオトコノコふたりにピィは呆れたように息を吐く。

「さて、行こうか!」とニコニコしながら自分に跨るケルーに対して「…油断は駄目よ?」と言葉を返し、ピィはオトコノコたちの遊びに付き合う覚悟を決めた。

「いっくよー!」とフロウに突撃し、ズバッと上手く技を決めたケルーが得意げに「ボクってなかなかだと思わない?」と言ってきたものだから、「調子に乗らない!」と諌めておく。

ピィの心配はまだまだ続くようだ。

早くオトナになってくれないかなー、と少しばかり思いつつピィはトンと空を駆ける。

 

わたしのパートナーはあなたしかいないのだから、

早く頼りがいのあるオトナになってね?

ずっと傍にいてあげるから。

あなたじゃないと嫌なのだから。

 

■■■■■

 

遊びのような手合わせは、フロウの勝利に終わった。むうと微妙に不機嫌になったのはケルーだ。

しかし不機嫌の理由は「負けたから」ではないらしく。

 

「 "頼っていいよ!" って宣言したのに、フロウのほうが強いなんてなんかボク阿呆みたいじゃないか…」

 

不機嫌というか落ち込んでいるというか。地面にのの字を生産しつつケルーは盛大にため息を吐いた。

こっそり特訓しようにも、フロウひとりにするわけにはいかず。かといって一緒に特訓すればフロウのほうが強くなる。

しかしこのままでは "頼りにはしているが自分のほうが強いから" とフロウはケルーを守ろうとするだろう。それはケルーが望むことではない。

むむむと悩むケルーに、フロウが声を掛けてきた。

 

「そういえば、僕が記憶を失くしてた時。あの時思い出せなかったらどうしてたんですか?」

 

「あの時?あれでダメだったら雪の族長さんとこに引っ張ってくつもりだったよ」

 

悩みを保留にして立ち上がり、手合わせの片付けをしつつケルーは笑う。師匠のとこに連れてけばなんとかなるだろうと考えたらしい。

それを聞いてフロウは「確かあの時色々な国が魔王に襲われたと聞きます、そんな時行ってもご迷惑だったんじゃ…」と心配そうに北の空を見上げた。

 

「ああ、それは大丈夫。あの時、フロウを探してる時フロウが来てないか雪の族長さんとこ行ったんだけどピンピンしてた」

 

どうもあの一族は「ぼくらこういうの慣れてるから」と魔王軍の侵攻を普通にあっさり手早く対処したらしい。何者なんだろうあの一族は。

また、あっさり追い払った後「こんなところまで魔王軍が来たということは他はきっともっと大変だろう」と、雪の一族全員で他国を手伝いに行くつもりだったそうで。

 

「フロウのことも心配してたんだけど、フロウはボクが探すから他国の手伝い優先してくださいってお願いした」

 

フロウ見つけて落ち着いた頃一応報告には行ったから大丈夫だよ、とケルーは笑ったが心配させた本人が顔を見せていないのも不義理だろう。

一度ご挨拶に行って来たいですねとフロウが言うとケルーは「! そうだね!」と嬉しそうに声を弾ませた。

今日は予定もない。今から向かっても良いだろう。妙に張り切ってピィのところへ駆け寄るケルーを不思議そうに眺めつつ、フロウは出掛ける準備を始めた。

 

「ピィ、ピィ、雪の一族のとこ行くよ!長を守るためのコツをまた教わろう!」

 

「本当?もっと速くなれるかしら。…今度はあの人に負けないわ!」

 

ケルーからの知らせにピィも喜びゆるゆると尾を揺らす。準備出来たら乗ってねとカタカタ蹄を鳴らした。

すぐに準備が整い、ふたりを乗せて水馬は駆ける。ピィもなんか妙に張り切ってますね…?とフロウは首を傾げた。生存報告するだけなんだけどな?

 

しばらくして雪の一族の住処に着いた3人は熱烈な歓迎を受けた。良かった無事でとフロウは雪の族長に頭を撫でられ、まあ無事なのはケルーくんとこっちの調査で知ってたけどとやんわり微笑まれる。

当のケルーとピィはこの場にはいない。あれ?とキョロキョロ見渡すフロウに対し、族長は昔と同じ笑顔で手をヒラつかせた。

 

「あはは、きみの友達はぼくの友達と一緒だから安心して。…そうだな、ぼくもきみに教えとこうか」

 

族長はそう言って昔のようにフロウに授業を開始する。無茶はしないようにと何度も繰り返し注意しながら。

彼が教えてくれたそれは雪の一族が長い年月積み上げた、海に対する戦い方。

族長は言う。きみがぼくに助けを求めるならば、自分たちが対処するつもりだったと。

昔のアレと今のコレはそっくりだったから。

 

「でも、…うん。きみは自分で因縁を晴らしたいみたいだし、ぼくらは手伝いに回るよ」

 

自分とこの因縁は自分で決着付けるべきだと族長は笑い、フロウの頭をぐりぐり撫でる。

何か困ったら頼っていいからと己の胸を叩き、族長はフロウに顔を寄せ真剣な顔で言葉を紡いだ。

 

「ちゃんと仲間に頼るんだよ?…でないと、」

 

「でないと?」

 

仲間にすごく、ものすごーく怒られる。そう続けて族長は渋い顔を浮かべた。なんだろうこの重さ、経験談だろうか。

フロウが目をパチクリさせている間に、族長はいつものふわふわした笑顔に戻り最後にこんな言葉で締めた。

 

「ひとりで出来ることなんて限られてるから…。ちゃんと仲間を信頼して、任せられることは任せて、自分が出来ることはしっかりやること!」

 

ひとりで全部背負っちゃだめだよ?絶対いつか破綻するからと忠告し、族長は「さて、ぼくが教えられることはここまでかな。今日はゆっくりしていってね」とフロウに温かなシチューを手渡す。

フロウはそれを受け取り匙で掬えば、優しい香りが鼻をくすぐった。聞けばこのシチューは族長お手製らしい。

昔からシチュー作りは得意だったから味は保証するよとニコニコ笑う族長を見て、フロウはシチューを口に運んだ。おいしい。

…うん、僕も料理出来るようになったほうがいいのかな?

作れるようになったら、ケルーたちは喜んでくれるかな。

美味しいものを食べたら笑顔になるだろう。現に今自分の頬は緩んでいる。

周りも族長お手製シチューを食べて和やかに談笑している。

ならばきっと僕が国民たちに料理を振る舞えれば、皆笑ってくれるだろう。

 

「…今度、これの作り方教えください」

 

「? いいよ?」

 

緩んだ頬を戻し真剣な顔でそう言ったフロウに首を傾げつつ、気に入ってくれたのかなと嬉しげに族長は笑った。

落ち着いたら今度は料理の勉強だねと微笑む族長に、フロウは深々と頭を下げる。

よろしくお願いします。

 

■■■■

 

そんな小旅行から帰宅して数日。フロウはまた外出のため荷物を整えていた。

どこか行くのかと問い掛けたケルーに対し、フロウは笑って行き先を告げる。

 

「? 南へ?」

 

「ええ、以前お世話になったお礼を言いに」

 

向こうも多少は落ち着いたようだから、とフロウは笑って「これも持って行こうかな」とかばんに荷物を詰め込んだ。

国を喪くした身であっても、混乱の最中にいる身であっても、フロウはこの世界の情勢は大まかには把握している。なんせ何処にでも情報通というものは存在するのだから。

しかしまあ問えば答えるあの情報通は、どうやってそれを得ているのかほとほと疑問ではある。深く追求する気はないけれど。

そこは置いといて。

名目上は「昔世話になった礼を言いに行く」と伝えたが、フロウとしては暗に「南の王国の復興の速さ」を学びに行く目的があった。

魔王という化け物に日常を潰されたのはあちらも同じ。しかし王国は壊滅状態となりながらもかなりの速さで復興し、魔王に反撃する体制を整えていた。

元々国の地力に差があったのは己でも理解しているが、それにしたって回復が早い。故にどうやって立ち直ったのか興味があった。

それを学べれば、新たに国を興す際に役立つだろう。

まあ今回の訪問は表も裏も私的な理由だ。そんなことのためにケルーたちを連れ回すのは申し訳ないと、ひとりで出掛ける気だったのだが。

ひとりで?とケルーが問うてきたためフロウが頷くと、一瞬微妙そうな顔をされ、少し唸られ「ひとりで大丈夫なんだね?」と再度問われた。上記の理由に追加して、もう子供ではないのだし、今は王子でもないのだから、いちいち供を付けて外出する必要はない、と思う。

しかし、本当に大丈夫なんだね?ひとりで大丈夫なんだね?と執拗に問われると徐々に自信がなくなってくるから不思議だ。圧に屈せず大丈夫ですと答え続けた結果、ケルーとしてはまだ若干疑わしいらしいが、一応ようやくフロウはひとりで出掛ける許可を得た。

 

「すぐ戻りますから」と出掛けるフロウの背中を見送って、ケルーはふうと息を吐く。本当に大丈夫かなと心配そうに。

なんせフロウは未だ若干不安定。以前と比べて落ち着きはしたし、雪の一族に会いにいったおかげか持ち直してはいるのだが、あの時のことを夢に見るのか、結構な頻度で夜中うなされていた。悪夢で飛び起きたことも1度や2度ではない。

ただ、朝起きる頃には悪夢もそのせいで飛び起きたことも不自然に忘れ、普通に笑顔で「おはようございます」と言い出すのだからちょっと怖かった。記憶飛ぶほどのショックを受けたせいか、そこら辺を無意識に押し込めているのかもしれない。

故に、これはまだちょっとダメそうだなとケルーは判断していた。本人が無自覚だから、そう強く言うことはないのだが。

父親が目の前で殺されるわ、世話になっていた城や民たちが次々倒れるわ、城も街も全てがあちこち壊され辺り一面血の海だわの大惨事で、その上当人は「王族の生き残り」だという理由で殺意増し増しな輩に追い掛け回されたのだから当然と言えば当然だし、そう簡単に回復はしないだろう。

だからひとりで外に出すなんて、本当は本当にとても嫌だし心配なのだが。過保護になりすぎて軟禁するわけにもいかないし、本人が行きたいというなら行かせたほうが良いのだろう多分。この大陸から離れた方が気分転換にもなるだろうし。

とてもとてもとてもとっっっても、心配だけど!と叫びたい気持ちを飲み込みながら、ケルーはピィに向き直る。

 

「ピィ。…フロウが帰ってくるまでに強くなるよ!」

 

「えぇ」

 

ケルーの言葉にピィはコクリと頷く。

ピィもフロウの状態は把握しているし、先程フロウが「ひとりで出掛ける」と言い出した時は心配そうな眼差しを向けていた。まあ止められないだろうと諦めてはいたようだけれど。

無自覚に不安定なフロウを守るには、フロウより強くなるしかない。ピィもケルーと同じ結論に至っているようだ。

さて、ならばどうするか。

この間、雪の一族の人たちにもらったアドバイスを練り上げてケルーは自分たちが強くなるための特訓を考え出した。自分たちの持ち味は、ふたりでいること、だと。

小さい頃から、あの惨劇の時も、フロウを探して大陸中駆け回った時も、朝も昼も夜も寝ている時でさえ。

ケルーとピィはいつもふたり一緒だった。

だからふたりはあの惨劇を目の前にしても、精神的に安定を保てているのだと言える。ずっとお互いを支え合えたから。

だからそれを、もっともっと強固にする。ふたりの力をひとつにする、生半可な絆では成し得ない技を習得するつもりだ。

何処かにいるドラゴンライダーでも人と竜が一体となる域には達していない。彼らは互いを補い合える相棒となるのがベストとされる。

ケルーはそれを超えるつもりだった。相棒ではくパートナーではく、そのものズバリふたりで一体となる必要がある。

 

「ボクとピィなら大丈夫!だってボクはピィを信頼してるし信用してる。ずっと一緒でずっと大好きだから、やれるよ」

 

屈託のない笑顔で、さも当然のように言ったケルーに対しピィはぷいとそっぽを向いた。

なんなのこのひとド正面から告白してきたと、ピィの内心は照れつつ混乱しつつ喜びつつ愛おしく思いつつとド派手にパニックとなっていたのだが、外見にはそれを一切出さずただ顔を背ける。

照れてケルーの顔を見れず、思わずそっぽを向いてしまったのだが、そんなピィを見て慌てたのはケルーだ。ピィも自分と同じ気持ちだろうと確信して言ったのに、その返答は「顔を背ける」だったのだから。

 

「えええええ?! ピィ、ピィはボクのことキライ???」

 

あわあわと若干泣きそうになりながらケルーはピィの顔を見ようと回りこむ。が、今度は反対側へと顔を背けられた。

二度も顔を背けられ、ショックを受けたケルーは半泣きで "自分がいかにピィを信頼し信用しそして大好きか" を語りだす。嘘じゃないよ、心の底から想っているよと。

怒涛の告白に、誉め殺しに、ピィは「やめてわたしそろそろ死ぬ」と尻尾をぶんぶん振り回した。

照れ隠しに顔を背けたら凄いことになってしまった。

 

わたしのあなたはもう少し

乙女心を理解してくれないだろうか

直球でくるのは嬉しいのだけれど

直球でくるのは気恥ずかしいのに

 

■■■■

 

ケルーたちがイチャついてんだか違うんだかよくわからないことをしているとは露知らず、フロウはどんぶらと船に揺られ南の大陸に向かっていた。

妙に船員が優しいのだが、何故だろうか。サービスだとか言われ渡されたドリンクを飲みながら、フロウは流れる雲を目で追う。あれこれ先生が作ってくれた飲み物に似てますね?雪の一族と提携してるのでしょうか。

首を傾けつつぼんやり波に揺られていると、目的地である大きな大陸がじわじわと近寄ってきた。ようやく到着のようだ。

着艦を待ち、とんと南の大陸へ足を踏み入れれば懐かしい空気がフロウを襲う。此処に来たのはいつぶりだろうかと、他大陸よりも熱気を含む風を感じながらフロウは記憶を頼りに王国へと歩みを進めた。

 

連絡をしたわけでもアポをとってあるわけでもない。形としては突然の訪問となるのだが、顔を見せればフロウを覚えていてくれた王国の人たちは快く迎え入れてくれる。こちらはこちらで大変だろうに、急に訪れた部外者である自分を歓迎してくれるとは。

流石王国、と感心しながらフロウが案内されたのは王国の片隅にある薬草園。以前来た時にこんなに立派な薬草園あったかな、と軽く首を傾げれば「魔術師殿が少しずつ大きくしていったんですよ」と誇らしげに説明される。

必要なときに毎回採取するのは手間だし、保存するにも限界があるし、ならば近場で育てようと。それを聞いてフロウはなるほどと頷いた。

緑は落ち着く色だし、時期によっては花も咲く。その上、手軽に薬も作れるようになるのならば一石二鳥。うちにも欲しいなと生き生き育つ緑の葉っぱを見渡した。

1株分けてもらおうかなと少し考えハタと思いつく、問題は北の大陸で育つかどうかだ。

似た感じの葉っぱは見たことがあると思うのだけれどとフロウが薬草園の奥に進めば、訪問者に気付いたのか「おや?」と不思議そうな声色でそこの主が顔を上げた。

片耳を倒しながら小首を傾げ、それでもフロウに対して敬意を払いながら、王国の魔術師ジョンガリがぺこりと頭を下げる。「突然お伺いして申し訳ありません」とフロウも頭を下げれば、問題はないよと穏やかに微笑まれた。

 

「久しぶりだね…その、大丈夫かな?」

 

その問いには様々な意味が含まれているのだろう。国のことや仲間のことやフロウ自身のこと。

その問いに穏やかな笑みで返し、言葉にはしない。大丈夫だと答えても大丈夫ではないと答えても己ではしっくりこないのだから。

代わりにフロウは此処に来た理由を話し「少し見てもらいたいものもあって」とジョンガリを外に誘った。もちろん「昔ここで魔法を学んだおかげで救われた」と礼を忘れずに。

役立てたならば僥倖だと苦笑し、ジョンガリは渋ることなくフロウの後に続いて薬草園から外に出る。少し歩いて多少開けた場所を見つけたフロウは「ここで魔法使っても良いでしょうか」とジョンガリを見上げた。

大丈夫だと許可を貰ったフロウは自身の出せる最上級の魔法を見せ「どうでしょうか」と窺うように首を傾ける。意味合いとしては「これで魔王に対抗できますかね」に近い。

なんせ元々扱えた水の魔法は基礎中の基礎でしかなく、護身用に使えるかな程度。誰かを倒すには威力が若干心許なかったのだから。

あの時魔王は絶対許せないと、自分たちと同じく魔王軍の被害に遭った人たちのためにも魔王を倒したいと鍛えはしたのだが、力が届いたのかどうかがわからない。

強くはなった、とは思う。雑魚を蹴散らせられるほどには。

ただ、魔王に届くかどうかがわからない。

フロウがジョンガリに視線を送ると、少し驚いたような顔をしていた彼はその視線に気付き、優しく微笑んでフロウの頭をぽんと撫でた。

 

「ここまで強化出来るとは。流石だね」

 

その言葉を聞いてフロウは少しばかり得意げな表情で嬉しそうに笑みを浮かべる。充分強い、というか予想外だったなここまでかと苦笑するジョンガリを見て、フロウはほっと安堵の息を吐いた。

届きそうだ、ようやく届いたとフロウは昔を思い出す。

 

はじめは、小さな小さな水球しか出せなかった。

此処でジヨンに教えを乞いコツを学び、そして彼に「鍛えればもっと上位の魔法に育つ」と言われたからそれを目指して頑張った。

そして今、彼にそれを褒められた認められた。嬉しくないはずがない。

だからフロウはそれをジョンガリに言葉として伝える。

 

「貴方の言葉のおかげで、貴方が魔術のコツを教えてくれたから、この魔法を習得出来ました。ありがとうごさいます」

 

ぺこりと頭を下げ、感謝の意を示した。

そんなフロウに苦笑しジョンガリは「私は何もしていないよ」と呟く。その言葉に首を傾けたフロウは、理解出来ないとばかりに「沢山教えてくれたでしょう?」と当時のことを語った。

なんせジョンガリの言葉で救われたのは事実。それがなければフロウは魔法を学ぶことなどなかったのだから。

あの時はこう、とフロウが口に出せば、あああったね、とジョンガリも応え、思い出話に花が咲く。あの時は平和だったと懐かしむように、どちらともなく青い空を見上げた。

 

「…ああそうだ。クフリン…元タンタとバーンにも会っておくかい?あの時は確か、そのふたりとも仲良くしてたね」

 

思い出話から連想したのか、くすりと笑いながらジョンガリがそう問い掛ける。会えるならば会いたいふたりだ、フロウは「是非」と笑顔で頷いた。

貴方もですがタンタも名前変えたんですねとフロウが呟けば、ジョンガリは「子供のままじゃいられなかったからね」と小さく笑う。自分たちはもう子供じゃないです大人です大人になりましたなったんです、だから大人と、見習いじゃなくて兵士と同じ扱いしてください、ってね。と笑いながらジョンガリは笑う。彼らは幼いながらも騒動のあと真っ先に動いたらしい。

 

「そのせいか、私たちの世代は体躯の成長も早かったな。…君もそんな感じだろう?」

 

どうにも自分たちは想いの強さが身体に反映されるから、と己の頬をそっと撫でジョンガリは苦笑を浮かべた。

現に、フロウと同い年くらいのバーンはまだ少し体躯が小さい。騎士団にはクフリンを含め頼れる相手が傍に居たからか、彼の成長はゆっくり気味だった。

まあバーンはあの魔王の襲撃を間近で経験した身である。もう少し、子供として甘えていたいという思いが多少あるのかもしれない。

そんな話をしながら、フロウはジョンガリの案内でクフリンのいる訓練場に向かった。

先導するジョンガリを見てフロウは思う。ジョンガリも見違えるほど成長しているし、もうすでに王宮の施設をひとつ任されるような立場だ。ならばフロウ以上に強力な魔法を行使できるようになっているのだろう。

それをそのまま伝えると、ジョンガリは「そこまでじゃないよ」と少し困ったような笑みで返した。謙遜かと思ったが、本当にそうでもないらしい。

少し強化されたくらいかなと笑いながら、ジョンガリは答える。「"自分が強くなること" よりも面白いことを見付けていたんだな。ついそっちを優先していた」と。

ついさっきまでは、そんなこと自覚していなかったけどね、と穏やかな目でフロウを見つめ返し、ひとりうんうん頷いた。

フロウは首を傾げたがそれ以上ジョンガリは語らない。代わりに「着いたよ、うん、今やってるみたいだ」と少しばかり簡素な、それでも整えられている訓練場を指差した。

フロウがひょいと訓練場を覗き込むと、そこには自分と同じように立派な体躯となったクフリンが小さな兵士見習いたちを指導する姿がある。

ワイワイと賑やかに、子供たちを纏わせながら丁寧に指導するクフリンの姿にフロウの頬が緩んだ。ジョンガリの話では名前も姿も変わったらしいので気張りすぎているのではと少し心配していたが、昔と全く変わっていない。

昔見た笑顔のまま、わちゃわちゃ後輩たちと接する姿はフロウの知る「タンタ」のままだった。元より面倒見の良い彼が後輩たちに慕われるのは道理かと、フロウは納得したように頷く。

クフリンに声を掛けようとしたジョンガリを制し、フロウへ「邪魔をしてしまうのも申し訳ないですし、ご挨拶はまた後日に…」と首を振る。

落ち着いたら、目的を成したら、いつでも遊びに来られるのだから。

ならばそのときまで、礼を言うのは預けよう。

 

「…しかし、僕の国との差はこの辺りですね…。僕の国も良い兵が育っていれば、もしかしたら…」

 

ふうと小さくフロウが呟けば、ジョンガリはギョッと目を見開いた。ジョンガリは掛ける言葉が思い付かず、しかしフォローしようとしているのか手をパタパタと動かしている。

ふと目をやるとジョンガリの尾が足に巻き込まれるほど下がっていた。そんなジョンガリの態度にフロウは一瞬不思議そうな顔を浮かべ、ハタと気付く。

不意に漏れた言葉だったが、己のデリケートな部分に己で踏み込んだ。これでは「同情してください」と言ったようなものだ、そんなつもりはなかったのだけれど。

他意はなく、何でもアリな襲い方をする北の魔王と、国民全員顔見知りレベルのほんわか国家なフロウの国は相性最悪だったなと。賊根性丸出しの魔王軍に対し、戦いの得意な者がほとんど居なかったフロウの国が勝てるはずもなかったなと思っただけなのだが。

というか国で一番強かったのが父上だったし、強かったから父上が王として国をまとめていたわけだし。………父上、が。

…父上が僕なんか放って戦えば勝てたかもしれない、父上は僕を庇って逃がそうとして、武器すら手に持つ暇さえなくて、だから父上は不意を突かれて、そのまま、なすすべなく赤く赤く赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤く染まった。

僕のせいで僕が居たから負けた滅びた殺された何も無い失くなった僕の、僕のせいで。

不意に連想しあの時のことを思い出したフロウは真っ青になり口元を押さえ俯いた。ジョンガリは心配そうに声を掛けるが、フロウはピクリとも動かない。

困った顔のジョンガリと今にも倒れそうな顔色のフロウ。

呼吸すら忘れていそうなフロウを「ヤバそう」と判断しジョンガリが医務室に連れて行こうとした瞬間、ふたりのの元にぽてぽてとした足音が聞こえて来た。その足音に先に気付いたのはジョンガリで、足音の主を視認して少しほっとしたような息を吐く。と共に「あ」と視線を泳がせる気配を見せた。

ジョンガリの不思議な反応に何か異変でもあったのかと、フロウはぼんやりしたままゆっくりと顔を上げた。

 

「フロウ!よかった、ぶ、じ…?!」

 

己の名を呼ぶこの声は懐かしい声。昔此処に留学した時、ずっと世話をしてくれた赤い子。今も

昔と同じ明るい太陽のような笑顔で手を振っている、いや、いた。

フロウに駆け寄った赤い子、バーンは、目を見開いて口も大きくぽかんと開けてカチンと固まっている。

そんなバーンとは裏腹に、フロウは懐かしい友人の無事な姿を見て安堵するとともに、気持ちがすっと軽くなった。赤い色は嫌な色ではなく、元気な明るい色だと意識が塗り替えられたかのように。

「バーン、そちらもご無事で何よりです」とフロウは笑みを向け返事をしたが、当のバーンは若干泣きそうな顔をしながらフロウを見上げ声を絞り出した。

 

「あっちから、フロウっぽいのが見えたから、抜け出して、来た、けど、………っ」

 

「ありがとうございます、今日は昔の御礼を言いに来てまして。……少し変な感じがしますね」

 

そう言ってフロウは屈み込みバーンに視線を揃えた。あの時先輩のように色々教えてくれたバーンと目線が合わないのは失礼かと思って。

しかしそれはそれで失礼だったようで。

 

「〜〜〜〜っ!クフリンもジョンガリもフロウも!くっそ見てろ!オレもすぐデカくなるからな、なるからな!」

 

わあんと叫んでバーンは何処かに走り去って行った。残されたのはぽかんとしたフロウと呆れたように頭を抱えるジョンガリ。

「いや、うん。…挨拶もマトモに出来ない子で申し訳ない…」とバーンの去って行った方向へと顔を向けつつジョンガリが溜息を吐く。

魔王の襲撃で恐怖を味わい、周りに頼れる人か居なかったため早めの成長を成したフロウと、頼れる人が多かったからこそ少し甘えられたバーンの成長差がここにきて顕著に現れてしまった。

結果バーンは「オレがいちばんチビっこ」的なショックを受けたらしい。フロウに対する挨拶もそこそこにどっか行った。いやあれ挨拶に入るのかな、どうだろ。

 

「あのまま悔しさをバネにすぐにデカくなりそうだな、戦力増えるからまあいいか」

 

変にフォロー入れると逆効果そうだし放っておこう、とジョンガリが割とシビアな結論を出す。クフリンにも黙っとこ、あいつ甘やかすしと若干厳しめの追加情報を頂いたところでフロウは再度空を見上げた。

…僕に足りないのはこういう厳しさでしょうか…。

難しい…。

 

バーンのおかげで若干微妙となっていた空気が緩和し、立ち直ったジョンガリはフロウに「休むならば部屋を用意するが」と小首を傾げた。その問いにフロウは軽く首を振る。

元より日帰りの予定だ、ケルーにもすぐ帰ると伝えてあるし、そもそも急に来た身としてはそこまで世話になるわけにもいかない。大丈夫だと伝えるとジョンガリは「…本当に大丈夫かい?休んで良いんだよ?」と首を傾けた。

すぐ帰るつもりでしたからとフロウが苦笑するとジョンガリは「…では、これを」と一株の葉っぱを手渡した。

 

「最近改良した薬草の上位種でね、…もう少しでこれを加工したものが完成するんだが…」

 

「わ、ありがとうございます。僕のところでも育ててみます」

 

「いや、飲んでほしいのだが。効果は保証するよ?」

 

ジョンガリの言葉に「なんで?」とフロウは本気で首を傾ける。体力は充分だし、疲れてもいない。

それをなんで今飲む必要があるのかと不思議そうなフロウを見て、目を泳がせながら「…君がいいなら、いいが」とジョンガリは言葉を濁した。頑張って育てますねと笑うフロウを見てジョンガリはぽつりと「もう少し改良して今度は万能薬的なものを作ろう早急に…」と呟く。

まあその呟きは誰にも届かず、一番近くにいたフロウは王国お墨付きの上位種薬草を大事そうに抱え、ちゃんと育つといいなとニコニコ笑っていた。

 

■■■■

 

薬草を分けてもらいジョンガリに別れを告げフロウはそのまま港に向かう。タイミング良く北行きの船が停泊していたためそれに飛び乗った。予想よりも早く帰れそう。

機嫌良く船に揺られ、北の大陸へと帰ってきたフロウはケルーたちのいる仮の居住へと向かった。道すがら情報通を捕まえて聞いた話では大陸に大きな動きはないらしい。

今のところ襲われた所も殺された人もほとんどいないようだ。その情報に安堵したフロウだったが、情報通からの次の言葉に眉をひそめた。

 

「ああでも最近、変なカタチをしたロボがいるとかなんとか」

 

この大陸にも南の大陸にもいるロボと姿形は似ているらしいが、どうにもおかしな形をしていると言う。近寄ったら無視されたとか、煙に巻かれて逃げられたとか噂はバラバラ。

コトバのようなものは鳴らすのだが意思の疎通は出来ないらしく、ソレが何なのか一切不明。しかし今のところは大陸のあちこちをウロウロしているだけだそうで。

ただ、

 

「…そのロボは目が赤いそうです、気をつけたほうがいいかもしれませんよ」

 

赤は危険の色。争いを象徴する嫌な色。実際、赤い目をしたロボはほとんどが戦闘特化の少しばかり荒っぽい気質だ。

ああそれば注意すべきですねと目を曇らせ、フロウは彼に礼を言う。少しばかり浮かれていた気持ちを引き締め、彼と別れ帰路に着いた。

 

ケルーたちの待つ今の家に到着したフロウは「ただいま戻りました」と声を掛ける。以前ケルーに、今の家は簡素だしボクらしかいないのだからそんな丁寧にしなくてもいいよと笑われたが、もはや癖になっているのだから仕方がない。

しかし声を掛けども返事はなく、扉を開けば部屋の中は薄暗かった。そのままの姿でフロウは固まる。

ケルーがいない。ピィもいない。いない。

また、なにかあったのだろうか。また、僕の前から大切なひとがいなくなるような事が。

嫌な汗が頬を伝い足元がふらつく。上手く呼吸が出来ないと、フロウは思わず片手で己の胸を掴んだが効果は無かった。

今にも倒れそうなフロウだったが、背後から「あれ、おかえりー」とのほほんとした声が掛けられ弾けるように振り向く。滲む視界に映るのは、笑顔で佇むケルーたち。

居た居る無事だった怪我はしてないだろうかまた僕のせいで僕が留守にしたせいで僕のせいで大切なひとが居なくなったのかとああでもこれは本物だろうか。

「早かったね。あっちはどう、」とピィの背から降りたケルーにフロウはおぼつかない足取りでふらりと近寄り、弱々しく腕を掴んだ。うん?と様子のおかしいフロウに首を傾げ、ケルーはピィとフロウを交互に見つめる。

己の腕を掴んで俯き固まったフロウに戸惑いながらも、ケルーはされるがまま、フロウが落ち着くまでその場に留まった。

 

しばらくして、突然フロウは顔を上げ「ただいま戻りました」と笑顔を浮かべる。まるで何事も無かったかのように。

落ち着いたらしいと察したケルーも「おかえり」と笑顔を返した。うん、落ち着いたのかなこれ。まだ腕掴まれてるんだけど。

指摘していいのかわからず悩むケルーに、フロウは「…あれ?ケルーなんかガッシリしました?」とケルーの腕を撫でつつ首を傾けた。そしてピィにも顔を向け「…ピィ、綺麗になりました?」と驚いたように目を見開く。

ああそれを確かめていたのかとケルーは笑い、わかる?と得意げに胸を張った。空いているもう片方の手でピィの背を撫で、ケルーは微笑みこう言った。

 

「ボクら強くなったよ、フロウ。これで、キミをもっと支えられる」「任せてね!」

 

フロウは守られることを望まない。

仲間を犠牲にしてまで己が助かりたいとは思わない。

守ろうとすれば拒絶されるだろう「そんなことしなくて良い」と。

ならばとケルーたちは、フロウを守るのではなく支える方向で補佐しようと考えた。

背に庇うのではない。壁となり守るのではない。

横から彼を支えようと。

恐らくそれがフロウに対して正しい接し方。彼には今もそしてこれからも、横に立って支える仲間が必要だろうから。

だから安心していいよと笑うケルーに、嬉しそうに笑みを返しフロウは、

 

突然崩れ落ちるように倒れ込んだ。

 

驚いたのはケルーとピィ。目の前で倒れたフロウを見て、すわ敵の攻撃か、それもと南で何か呪いでも貰ってきたのかと取り乱す。

まあ、気を失っているフロウが安堵したような表情であったため「ボクらが強くなったから、安心して気が緩んで緊張の糸が切れた」と解釈しておくことにした。じゃないと怖すぎる。

ともあれ安静にさせた方が良いだろうと、ケルーはフロウを部屋に運ぼうと、…運ぼうしてまだフロウに腕を掴まれていることに気付いた。がっちり掴まれている、外れない。

 

「…ピィ、どうしよう、フロウを運べない」

 

「………。ケルー、苦しかったらゴメンなさい」

 

困った顔のケルーとすやすやしているフロウを見て、ピィは決意したようにうんと頷いた。なに、とケルーからの問いには答えず、代わりにピィはケルーの服の首元を咥え、一応引き摺らないように配慮しつつふたりもろとも運び始める。

「ぐえ」と愛しい人のヤバめな声が聞こえたが心を鬼にして聞こえないフリをした。「ちょ」「待っ」「ピィ」「首、締まっ」とチラチラ聞こえるけれど、聞こえない。

聞こえない。

なんとかふたりを室内に運び終え、ピィはふたりをベッドの上に頑張って乗せた。ふうとひと息ついたピィの目には、青い肌をさらに青白くさせたケルーとそれでも手を離さず眠るフロウの姿がある。

毛布を咥え、ふたりの上に乗せ、ピィもベッドの横に座り込んだ。こてんとケルーに顔を寄せ、軽く擦り寄り「ゴメンなさい」と小さく謝罪する。

ちょっと白目むいてるけど、大丈夫。私の貴方はとても強い子。

 

■■■

 

次の日。

「生きてる!」と叫び、ベッドから転げ落ちたケルーに起こされ、フロウは目を覚ました。帰ってきてからの記憶が微妙に曖昧だけれど、ケルーたちは強くなってちゃんと元気みたいだから特に問題はなかったのだと思う。

あれでもなんか手が疲れてるな?ちょっと痺れる。

己の手をにぎにぎとさせながら首を傾けるフロウに対し、ベッドの下から覗き込むようにしてケルーはここ最近と同じ挨拶を向けた。

 

「おはようフロウ。元気?」

 

「はい、おはようございます。元気ですよ?」

 

だからフロウも同じ挨拶で返す。まあ一応、手が少し疲れてる感じですがと付け加えておくが。

それを聞いたケルーは「ああまあうんそうだろうね、ボクもだよ」と言葉を濁し目を泳がせつつ、落ち着いてるかなと小さく頷いた。

ケルーは「大丈夫?」とは聞かない。そう問うと、フロウは大丈夫でなくとも「大丈夫」と答えるから、最近は言わないようにしている。

まあ、じゃあ他になんて聞けば良いのかわからず「元気?」になってしまったのだが、これなら声色でわかるとケルー自身は納得していた。

「体調は?」とかでいいんじゃないかなと、隣にいるピィは毎朝思っているが本人がいいならいいかと放置している。

ともあれ全員目覚めたのだから、皆で朝食の準備をしようかと3人はノビをしながら起き上がった。ケルーだけは「腕と首がいたい」とバキバキ身体を鳴らしていたけれど。

準備も終わり3人で朝食を摂る。食事中、昔は「静かに」と言われていたけれどお喋りしながら賑やかに食べるのは少し憧れていた。南に留学していた時にそうできて、楽しかったから。

だから今は、その憧れを毎食事実現出来て少し嬉しい。

 

「そういえばこの辺で不可解なロボが目撃されたらしくて。少し注意したほうがいいみたいですね」

 

「へえ、ボクは見たことないなあ。ピィは知ってる?」

 

「貴方が知らないなら私も知らないわ」

 

ずっと一緒なんだから当然でしょうと呆れたように言うピィと、そうだねずっと一緒だね!と笑うケルー、その言葉に照れ隠しだろうかぺしんと尾を振るうピィ。賑やか。

ふたりの会話にニコニコしていたフロウに振り向いて、フロウもだよ?とさも当然のように言ってくれるケルーは優しいと思う。

楽しい食事もすぐに終わり、さて今日も情報収集と3人揃って外へ出た。

ら。

 

「…あのさ、フロウ。さっき話してた変なロボって、アレ?」

 

扉を開けてすぐ、ケルーが外を指を差しながら首を傾げる。指差す先に目を向ければ、なんというか、確かにおかしな形としか評せないナニカがガッショガッショと闊歩していた。

脚は4本、身体は白。何に似ているかと問われれば「…蜘蛛?」と首を傾げつつ答える感じ。

何と言えばいいのかそもそもアレは何なのか。得体のしれない奇怪なナニカが目の前を妙な音と共に歩いていた。

ケルーとフロウは互いに顔を見合わせ、アレが噂の奇ッ怪なロボかとお互い首を傾ける。まあ、噂では近寄らなければ問題ないらしいので様子見をしておくべきだろう。

観察のため少しばかりロボと距離を詰めると、フロウたちに気付いたのだろう。奇怪なナニカはくるりとこちらに顔?を向けた。

赤い目がフロウたちを捕らえ、頭の天辺で輝くランプも赤く光る。

気付かれたくらいでは問題無かったはずだ、噂では。

それなのにこちらを向いた奇怪なロボは、フロウたちを認識するや否や無機質な機械音を奏で始めた。辺りにけたたましい音が鳴り響く。

その音と共に白い奇怪なロボは、フロウたちにも認識出来るコトバを鳴らした。

 

「ターゲット、ハッケン!」

 

そのコトバと共に、2体の小さな、こちらも奇ッ怪な形をしている不思議なロボが現れる。計3体の奇ッ怪なロボが、フロウたちに向けて殺気を飛ばしていた。

痛そうな爪がガシガシ鳴らされ、硬そうな脚がドスンと鳴らされ、3体のロボにじわりじわりと距離を詰められていく。「え?」と戸惑うフロウを尻目に、ケルーは素早くピィに飛び乗り、武器を構えた。

得体のしれないものに「ターゲット」だと宣言され、完全な敵対行動を取られ。ターゲット、ということは、元から彼らは僕らを狙っていた?そのため此処らを彷徨いていた?

そんなフロウの戸惑いは、言葉となって宙を飛ぶ。

 

「なぜ我々を狙うのですか!?」

 

フロウがそう問うても白い奇怪なロボは答えない。コトバの代わりに立派な脚で跳ね上がった。まるであの重そうな体でフロウたちを押し潰そうとしているかのように。

ロボが飛んだ瞬間、ケルーは「ピィ!」と声を掛け自身はフロウの手を掴んだ。ケルーの合図に合わせて、ピィはロボの落下予定地を予測しそこから駆け離れる。

ザッとピィが移動し終わったと同時に、先程までフロウがいた場所に大きな衝撃音が落ち地面を揺らした。その衝撃で辺りには土煙が舞い上がる。

ロボからのあからさまな殺意を受けて、ロボから目を離さずケルーは呆然としているフロウに対し声を掛けた。

 

「フロウ、選択の、余地はなさそうだよ!」

 

いきなり襲いかかってくる生き物に、コトバが通じるとは思えない。

逃げる?いや、ボクたちが「ターゲット」ならば、きっと逃げても死ぬまで追ってくる。

死ぬものか死なせるものか。

ならばボクたちがとれる選択はただひとつ。

身を守るために戦うだけ。

今度は、負けない。

 

ケルーの表情を見て、フロウもキッと表情を引き締めた。

戦わなくてはならない、今度こそ負けてはならない。逃げてはいけない。逃げたらきっとまた、大切なひとがいなくなる。

もうあんな想いはしたくない。

今度は、逃げない。

 

フロウはふよんと水球を生み出し、思い切りロボに投げつけた。ぱしゃんと大きな水音が辺りに響き渡る。

咄嗟に放った魔法だったが、水を被ったロボは怯んだような動きを見せ少しばかり動作が鈍る。水が苦手なのだろうか。確かここらにいる正規のロボは水陸両用で、水中を軽やかに泳いでいたのだが。

動きが鈍りつつもターゲットであるフロウたちから狙いを外さない奇形なロボに対し、なんとか意思の疎通が出来ないかとフロウは再三話しかけるが返答は無かった。

悲しそうな表情でフロウはロボたちに水を浴びせる。なるべく壊したくはない、水が苦手なだけならば浴びせ続ければ諦めてくれるかなと。

まあその淡い期待は儚くも消え、ギリギリまで攻撃を仕掛けてきた小さなロボたちはフロウたちの抵抗に競り負けた。黒い煙を吐き出しながらふしゅんと機能を停止する。

フロウたちがふうと息つく暇もなく、残された白い奇怪なロボは仲間が倒されたからか赤くランプを点灯させた。けたたましい警告音と共に「エマージェンシー」と音を鳴らし、ふぉんと怪しく目を光らせ無機質な音でロボは言う。

 

「ジェノサイドモード キドウ」

 

モードを切り替えたロボは先ほどよりも激しくドスンドスンと大地を揺らす。ジェノサイド、大量殺戮モード。

先程よりもさらに激しい、殺戮に特化した状態だろうか。絶え間なく地面が揺らさせ足元がフラついた。

これはまずいとフロウは汗を流す。魔法というものは集中して行使しなければ危険なのだ。しかしこの揺れる大地では集中し難く、あの鉄の塊が絶えず飛び跳ねる現状では上手く魔術が練れない。

焦ったフロウは足をもたつかせ、結果、回避が不可能な距離まで詰められた。ロボの姿が己の真上に現れ、身体は巨体の影に包まれる。

 

「っ!」

 

「フロウ!」

 

潰されると息を呑んだフロウだったが、それよりも早く真横から突き飛ばされた。おかげでフロウは影の外へと弾き飛ばされはしたのだが、代わりに声の主、ケルーがロボの攻撃範囲に入り込む。

幸運だったのはケルーがピィとともにあり、機動が全てピィ任せだったこと。そして彼らは能力向上を成し遂げていたためフロウを庇いかつ自分たちも致命的な攻撃を避けられたことだろう。

流石に無傷というわけにはいかなかったのか、叫び声と共にケルーたちは派手に吹き飛んでしまったのだが。

 

目の前で友人たちが吹き飛んで、友人たちの叫び声を聞いて。フロウの脳裏に「あのとき」のことが掠める。

無慈悲に殺戮を繰り返した魔王の一団の不愉快な顔と、自分を庇って命を落とした父親の最期の顔。そして、フロウを逃そうと「ここは任せて」「先に逃げて」と盾になったケルーたちの顔を。

あのとき自分は言われるがままに逃げてしまった、背後から破壊音とケルーたちの悲鳴が聞こえていたのに。何かが強く壁に打ち付けられる音と、瓦礫が崩れる音が聞こえていたのに。

恐怖で振り向くこともせず逃げてしまった。

 

今度は、逃げずに助けるんだ。

でないとケルーがいなくなってしまう。

それは、嫌だ。

 

無意識にふわんとフロウの手が光り、彼は叫ぶように言霊を紡ぐ。その言葉と同時にロボの頭上に大きな大きな水球が現れて、フロウの手の動きに合わせすいっと落下した。

ぱしゃんと澄んだ音を響かせ、そこに広がる水の王冠。

王子であった彼だけが扱える、王子であることを示すような優雅な技に、ケルーもピィも傷の痛みも忘れてただそれに見惚れていた。

しかしそれを直接浴びたロボとしては優雅だのなんだの関係ない。大量の水に耐えきれなかったのか、ロボはぺしゃりと潰れ動きを止めた。

 

「えええ、フロウすごい…」

 

生まれて初めて見たぞあんな魔法とケルーがぽかんとしていると、フロウが泣きそうな表情で駆け寄ってくる。停止したらしいロボは完全スルーで。

ちゃんと止まったか確認した方が良いだろうとケルーが立ち上がると、フロウはそれを押し止めながら「ケルー。…ケルー、ピィ、大丈夫ですか」と友人たちの傷を確認した。確かに吹き飛ばされはしたが、怪我も大したことはない。腕を振り上げ笑顔で「大丈夫大丈夫!」とケルーは返した。

 

「ボクらは強いから!」

 

フロウの不安を払拭させようと努めて明るく言ったつもりだったが、フロウの表情は冴えない。ケルーたちの頬や腕に付いた赤い傷に手を添え「もう、あんなことはしないでください。二度と、僕を庇おうなんてしないでください」と懇願するように言葉を漏らした。

 

赤い。

痛い?

怪我、赤い怪我、赤い。

どうしようケルーたちも赤く染まって痛いまま笑って二度と動かなくなる?

父上みたいに?

僕の前からいなくなる?

怖い?

怖い。

 

「っ…」とフロウは顔を伏せ、絞り出すように短く息を吐いた。ケルーの手を掴みいなくならないように支えながら「手当て、手当てしないと」と彼の手を引く。

「これくらいなら放っておいてもボクら大丈夫」とか不可解な言葉が聞こえた。大丈夫なはずないだろうに。だって父上と同じように赤い液体が頬についているのだから。

フロウの様子がおかしくなったことに気付いたケルーたちは特に逆らうことはせず、フロウのするまま手を引かれ家へ戻り、フロウの言うまま手当てを受ける。

「ありがとう、すぐ治りそう」とケルーは笑い掛けたが、どうにもトラウマを掘り返され不安定になってしまったフロウはいまだ表情が虚だった。

流石に手当てがしにくいからと掴んだケルーの手は離してくれたのだが。

 

「…ねえフロウ。そこは掴まないでほしいなーって」

 

「…」

 

「そこ髪、なんだけど。確かにボクの髪は掴みやすい形状してるのは自分でもわかってるけどたまにピィすら戯れてるのも知ってるけど、掴まないでほしいなーって」

 

「…」

 

代わりに犠牲になったのはケルーの髪だった。手当てが終わった瞬間、ちょうどフロウの目に入ったのか髪の毛の端をちょこんと掴まれそのままずっと手放す気配が無い。

両手は空いているから助かるし、強く掴まれてはいないから痛くもないのだけれど、髪の毛の掴まれるというのは困ると言えば困る。

ケルーは助けを求めるような目をピィに向けた。が、ピィは「我慢しろ」と視線で示しぺたんと尾を鳴らす。

なんせフロウのぼんやりとした眼がいまだ戻らない。終始無言で縋るようにケルーを掴んでいるのだ。

支えるってのは、こう、物理的に支えるつもりではなかったのだが。

 

流石に一晩経ったらケルーの髪の毛から手を離したフロウだが、しばらくケルーから付かず離れずの距離でくっ付いていた。離れそうになると泣きそうな顔で追い掛けてくるのだ。

いつもなら寝て起きれば不自然なほどに全てを忘れて元に戻るのだが、今回はトラウマの深いところに刺さってしまったらしい。ケルーたちの怪我が治っても「…まだ、赤い、でしょう? 無理しないで、ください」と執拗に手当てし続けたのでまだちょっととても不安定。

それにフロウは夜中うなされ跳ね起きる回数も増えた。最近は落ち着いてきていたのに。

ケルーはほんのりと距離を保つフロウに顔を向ける。フロウはこてんと首を傾けながら「…どうしましたか、どこか痛いですか」と虚な声で真っ直ぐケルーを見つめ返した。

元々戦いはあまり好きではないのに、本気で殺し合って相手を壊して、なおかつボクがフロウを庇って怪我をした。うん不安定になる要素の役満だな。

落ち着くまでしばらくかかりそう、とケルーは「なんでもないよ」と笑った。

…せんせいたち助けて。

 

と、雪の一族に連絡したらすぐ来てくれた。

ありがとうせんせいたち。

シチュー美味しかったです。

 

■■■■■

 

しばらくして、フロウはようやく落ち着いたらしい。今朝はのんびりと教えてもらったシチューを作り「置いておきますから、食べてください」と、味はまだ自信ないですけどとちょっと不安げに笑った。

フロウの言葉にケルーは首を傾げ「どこか行くの?」と問う。調子が戻ったとはいえ、ひとりで行動させるのは未だ若干不安なのだが。

そんなケルーの心配など露知らず、フロウは「少し散歩に」とシチューを味見しつつ笑顔で答える。うん、食べられるから大丈夫だとは思う。

散歩ならば気分転換になるかないやでもとケルーが悩んでいる間に、フロウは「ケルーたちは安静にしててくださいね。ではいってきます」とあっさり外へと出掛けて行った。慌てて、気をつけてね、と返しケルーは大きく息を吐き出す。

もう行っちゃったものは仕方ない、大丈夫だと信じよう。

魔王軍は一応フロウを始末対象から外してるみたいだけどそれは記憶が無かったからで、今のフロウを見て考えを改めないとも限らない。出来れば遭遇して欲しくはない。

あの変なロボはフロウを「ターゲット」だと言っていた。つまりこの世界のどこかにフロウをターゲットにしている黒幕がいるわけで、正直フロウにはふらふら出歩いて欲しくないのだが。

そんなまさか外へ行くたびに変なロボに襲われたりしないだろうし、うっかり魔王軍と遭遇することはない、と思うし。…うん。

 

「……ピィ、フロウをひとりで外に出して良かったのかな?」

 

「…駄目かも」

 

あちこちから狙われてますねボクらの王子。なんで?

追い掛けたいが「安静にしてろ」と言われてしまっている。もしも追い掛けたら「…安静にしててくださいって、言ったでしょう?」とまた精神不安定になった上に目が死なれる可能性が高い、つまりケルーたちは動けなかった。

こっそり後をつけても気付かれるだろう。あの時の怪我なんざとっくに治って健康そのものなのだが、フロウ的にはまだダメらしい。トラウマが根深い。

なにもありませんようにとケルーたちは祈る他なかった。

 

ケルーたちが祈っていた頃、フロウはのんびりと滝のある広場を歩く。辺りに掛かる虹が綺麗だ。

何故かここ数日の記憶が薄っすらとしているが、ケルーもピィも無事だから問題ないだろう。でもまだきっとあの時の怪我が遺っているだろうから、しばらくは休んでいてもらいたい。

だからケルーたちが元気になれるように、先生に教えてもらったシチューの材料を買いに行くつもりだった。ここを通ればすぐだ。

ここは元々とても綺麗な憩いの場。まあここで戦いがあり、あちこち崩れてしまったのだけれど。せめてここだけは早く直したいと、人が立ち入られるくらいには徐々に修復されていた。

父上と良く散歩に来たところだから、直っていくのは嬉しいとフロウは微笑む。ここはとても大好きな場所だから。

ああそういえば、あの時の父上との約束は果たされないままだとフロウは流れる水に目を向けた。

父上とここに遊びに行きたいと、時間を作って一緒に行こうと。

それはもう、二度と叶わない約束。

水のように流れて消えた、父上と僕の大事な約束。

父親のことを思い出し、視界が滲みそうになったフロウはそれを振り払おうと首を振る。と、ちらりとこの場にそぐわない珍しい色が目に映った。

真っ赤な塊、人の形、真っ黒い劍。

 

「っあ!」

 

昔記憶が飛んでいた時、海辺で出会った赤色の少年。まあ、以前よりも体躯ががっしりしており、彼も成長していたが纏う空気は変わっていない。

全てにイライラしているような、それでいてどことなく寂しそうな、混ざり合った変な赤色。

フロウが思わず大きな声を上げると、それに気付いたのか赤い鎧の彼は気怠そうに顔を向けた。挨拶しないのも失礼だろうとフロウは彼に近寄り微笑んで、自分の名前とともに当時のことを謝罪する。

すると彼は一瞬怪訝な顔をし「記憶」と小さく呟いた。あれ?僕のこと覚えててくれてる?ほとんど会話しなかったと思うけど。

少し不思議に思いながらフロウは全て思い出したことを告げ「ええと、…赤色の、ああいや貴方、に会った後、」と思い出した経緯を語る。すると彼は濁されたことが気に食わなかったのかぶすっとしながら「ダンテ」と名を教えてくれた。おや、教えてくれるのか。

少し驚きながらもフロウは現状の己の立場、反魔王派だと伝わるように話す。昔の態度が今も変わっていないならば、彼も同じだろうと期待して。

そもそも昔ちょっと会っただけのフロウを記憶しており、素直に名前も教えてくれたのだから悪い人ではなさそうだ。協力者になってくれないだろうか。

だからフロウはそれをダンテに問う。「協力して魔王アズールを倒しましょう」と。

しかし、

 

「断る」

 

ダンテが放ったのは拒否の言葉。

魔王の名前を聞いて何故か口元を苦々しげに歪ませたダンテだったが、出した結論は拒絶。あまりにも素早くスパッと断られ、一瞬呆けたフロウはそれでも怯まず「何でですか?」と首を傾けた。

 

「僕たちは同じ目的を持った同志じゃないですか、力を合わせて一緒に戦いましょう!」

 

「アズールは俺一人で倒すッ!」

 

また口元を苦々しげに歪ませ、ダンテはフロウを真っ直ぐ睨み付けてくる。睨まれているらしい現状は怖いのだが、それよりもダンテの表情が、まあ口元しか見えないのだが、その不自然さが気になった。

魔王を憎んでいるから倒したいわけではなさそうな、だからと言って魔王撃破の栄誉を独り占めしたいわけでもなさそうな、妙な顔。なんでこの人はひとりで魔王を倒したいのだろうか。

フロウが口を開く前にダンテが声を上げる。

「俺じゃなくてもいいだろう!」と。何故自分に協力を持ちかけるのか、何故自分なのかとイライラした口調で怒鳴りつけた。

その問いにフロウは言葉を返す。

 

「だって貴方は、」

 

あの王国が認めるくらい、強いから。

 

この世界では、何かに所属していると「戦士」や「騎士」と名乗ることを許されていた。王国騎士や王国戦士を筆頭に、その者の特徴に合わせた二つ名が付く。

逆を返せば、それらを名乗らない者はどこの隊にも所属しない。そんな人たちの中で一番多い二つ名は「剣士」だった。

どこにも所属していないから「戦士」や「騎士」とは名乗れないが、「戦士」や「騎士」と同じもしくはそれ上の実力がある場合、そう名乗る。

ダンテの二つ名は「剣士」。つまり彼の実力自体は騎士と同じだと証明されていた。だから昔、フロウはダンテに声を掛けたのだ。強いことを裏打ちされている人間だったから。

そもそもそれ以前に、フロウは南の王国に留学したときタンタから話を聞いていた。「そっちになんか妙に強い赤いのがいたけどヤバい奴だから気をつけろ」とムスっとした表情で。

 

それを話そうと口を開いたフロウだったが、その言葉はぴたりと止まる。ピロピロと場に似つかわしくない電子音が耳に入ってきたからだ。

何の音だとふたりが辺りを見渡すと、音の出元であろうソレが空からふよふよと舞い降りてノイズ混じりの音声を流す。

 

「ワタシ ハ、ゼロ。アナタタチ ヲ、ハイジョ スル」

 

そう、青色のモノアイを輝かせふたりに告げた。

姿形は人と同じ、スラッとした手足と翼のようなものを背負うロボ。以前襲われたロボたちとは違い奇怪な形はしておらず、バランスのとれた美しい形。

真っ白い人の形のロボが、背中の羽でふよふよと天使のように空を舞う。

何を模して作られたのだろうか、人か、それとも天使だろうか。人とするにはパーツが多く、天使とするにはパーツが足りない。

何のために作られたのだろうか、本人たちは「排除」だの「破壊」だのを繰り返してはいだが。ロボたちにそれを植え付けた、誰かが何処かにいるのだろうか。

排除というのはこのロボの意思だろうか、それとも作った人の意思だろうか。それとも姿形が似ている天使と思考が似ているだけなのか。

よくわからないなとフロウはふよんと水球を浮かべ、ロボに向かって投げつける。やはり水が苦手なようだ、動きが鈍って空から堕ちた。

追い討ちとばかりにダンテがロボに斬りかかる。うん、彼の強さは健在のようだ。

ロボを追い払ったら、もう一度勧誘してみよう。…断られるとは、思うけれど。

 

■■■■■

 

最後の最後にヤバめな攻撃を仕掛けられたが、どうにギリギリ間に合ったらしい。悲しそうなノイズを鳴らし、ゼロと名乗った真っ白いロボはピタリと動きを停止させた。

少しばかり軽口を叩き合い、フロウは一応もう一度共闘を提案してみる。が、やはり断られた。

頑なな態度に呆れフロウが苦笑すると、ダンテは「海底神殿に先に乗り込むのは俺だ」という言葉を漏らす。…うん?会話の流れからすると、魔王の根城はそこなのかな?

フロウが呆けていると、ダンテはぷいとマントを翻し立ち去っていった。残されたフロウは手すりに寄りかかり眼下に広がる大地と、それを取り囲む海を眺める。

フロウの視線の先には先ほどダンテが漏らした「神殿」が小さく小さく映っていた。

あれは昔小さい頃、父上とここに来たときも見えていた。遠くにぽつんとある建物に興味が沸き「あれはなんですか?」と問えば、父上は苦々しげな顔で「あの辺りは行かないようにね。魔女のいた危ないところだから」と注意してくれた場所。確か昔は氷の神殿だったと聞いたけれど。

そういえば氷の神殿の下には妙に古い神殿があるとか先生に聞いたことがあるな。そして先生も「あそこは危ないから近寄っちゃだめだよ?」と注意してくれたな。何故かは話してもらえなかったけれど。

ふたりとも魔王がいるとは知らなかったようだが、同じように警戒していた。昔なんかあった場所なのだろうか。

魔王を倒したら調べてみるのもいいかもしれない、とフロウは軽く首を傾けた。何か忘れているような?

ああそうだ、ケルーが待ってる。早く買い物をして帰らないと。

 

急ぎ足で買い物を終え家に戻り、フロウはただいま帰りましたと扉を開けた。妙にピカピカな部屋がフロウを出迎える。

あれこんな綺麗だったかなと首を傾げれば、ケルーたちがハタキを持って「おかえりー」と出迎えた。どうやら掃除をしてくれたらしい。安静にしていろと言ったのに。

むうとフロウが少し厳しい顔となったのに気付いたのか、ケルーは慌てて「綺麗な部屋のが回復早いし!ほらそのおかげでもう治ったから!」と主張した。

ケルーの顔をじっと見つめ、赤い傷が消えていることを確認したフロウはほっとした顔で「そう、ですね。ありがとうございます」と笑みを浮かべる。何故かケルーもほっとしたような顔で胸を叩く。

 

「うんうん、元気元気!今なら魔王を倒せそうなくらい元気!」

 

「ああ、丁度良いです。魔王の居場所がわかりましたよ」

 

フロウがそう言うとケルーは驚いたように目を見開き、ハタキをぽとりと足元に落とした。どうする?とケルーは探るようにフロウに問い、フロウは近いうちに行きましょうかと軽く笑う。

僕らのような人たちをこれ以上増やすわけにはいかないですからと、フロウは悲しそうに目を伏せて小さく呟いた。

 

■■■

 

神殿は沖合にある。普通ならば船を使うかか空を飛んで行くか、泳ぎに自信があるならば泳いでも良いだろう。

とはいえ少しばかり距離があるため船だろうが翼だろうが泳ぎだろうが、神殿に辿り着くのは容易ではない。

しかしながらフロウたちにはピィが居る。フロウが魔王の居場所を伝えるとピィは「任せて!」と頼しげに胸を張った。水馬にとっては大した距離ではないと。

それでは明日行きましょうかとフロウたちは明日に備えて早めに休むことにした。

 

次の日。しっかりと準備して3人は浜へ向かう。波に脚を濡らしながら、ここから真っ直ぐ進んで行けば神殿があるはずだと確認し合いフロウたちはピィの背中に飛び乗った。

「行くわよ」というピィの声掛けに頷いて3人は海上へ躍り出る。ピィは足取り軽く波間を進み、潮風を切って海を駆けた。

出発した浜辺が見えなくなり、周囲に海しか見えなくなってきた頃。とうとう3人の目の前に白い神殿が現れた。

少し古いものなのだろうか、多少のヒビが目立つその神殿には何故か人の気配はない。魔王軍の見張りがいるだろうと予想していた3人は拍子抜けし、顔を見合わせつつもトンと神殿前に降り立った。

おかしいなとフロウは首を傾げる。魔王軍の本拠地だという情報が間違っていたのか、それとも嘘でも吐かれたか。そんなタイプでは無さそうだったのだけれど。

ケルーたちも首を傾げていた。ただ、その理由がフロウとは違ったようで。ケルーはフロウに顔を向け「フロウ、下からなんか聞こえる」と再度首を傾げつつ水面に顔を突っ込んだ。

ケルーの言葉にフロウは思い出す、ダンテは「海底神殿」だと言っていたことを。更に思い出す、先生が「あそこの下に古い神殿がある」と言っていたことを。

なるほどとフロウは頷いてケルーを呼んだ。多分本拠地はここではなく下にあると伝え、神殿を指差す。

繋がっているかはわからないが、まずはこの神殿を探ってみよう。そう言ってフロウは廃墟のような神殿の中へと脚を踏み入れた。

ひんやりとした薄暗い神殿の中。奥へ奥へと進んで行ったフロウたちは、目的の地下へと続く階段を発見する。確かにケルーの言う通り、下からだろう、誰かの声が響いていた。

フロウは迷いなく階段を降り、声の響く場所へと向かう。何段降りたか定かではないが、「ぶりゅりゅー!」という変な音が大きくなった頃トンと何かにぶつかった。

 

「わ、…」

 

「ブリュ!!!!!」

 

ぶつかった拍子によろめいたフロウと、フロウに気付いて目を見開いた魔王軍の手下の兵士。その魚人のような姿の兵はあわあわと狼狽た後、大きく大きく口を開く。

その瞬間、兵はけたたましい声で神殿の空気を揺らした。その音に驚いたフロウは思わず耳を塞ぐ。なんだこれ、まるで警報音みたいだ。

…警報?とハタと気付きフロウは慌ててケルーに顔を向け、多分これは仲間に侵入者を知らせる警報だ、と忠告しようと口を開いた。しかしフロウの視線の先、ケルーは厳しい顔で真正面を睨み付けている。

昔のこと忘れてないからなと声を上げ、ケルーは武器を突き出した。

 

「今日こそは、お前を倒すッ!」

 

ケルーが武器を向けた先、そこには昔記憶喪失だった時、フロウを追い回した魚人が先ほどの兵を庇うように立っている。

「ほう、面白い。受けて立とう」と鋭い目付きと冷たい声色でケルーに向けて嗤うその人は、武器を振って侵入者に名乗った。

 

「私は魔海将フィスカ。小魚一匹たりともここは通さない!」

 

そう言うや否やフィスカはフロウに襲いかかった。しかしその刃はフロウには届かない「お前の相手はボクたちだ」とケルーとピィがそれを阻んでいた。

受けて立つとか言いながらフロウの方狙うとか卑怯すぎない?と割ととても本気で怒った声色でケルーはフィスカの頬を切り裂く。舌打ちと共にフィスカは体勢を整えようと距離を取った。

ああそれは悪手だとフロウは思う、ケルーたちが得意なのは人馬一体の動きによる突進。距離を取られたならばもうそれば、ケルーとピィの独壇場。

フロウの予想通り、ケルーたちはフィスカを翻弄するように駆け回り、四方八方から予想のつかない攻撃を仕掛ける。

恐らくフィスカを助けようとしたのだろう、ブリュブリュ鳴いていたサイレン兵と似た感じの黒い魚がケルーに狙いを定めていたので「邪魔しないでくださいね」とフロウは2体を槍で突いて足止めをした。

 

何度斬り結んだか覚えていない。そろそろ疲れてきていたし、ピィの動きも精彩を欠いていた。

それでも最後に地に伏したのはフィスカ。

フロウが相手していた魚人と魚がぺたりと倒れた瞬間、それに一瞬気を取られたフィスカの隙を突いてフロウがトンと槍を構える。

 

「行きます、トライピアス!」

 

涼やかな声とともにフロウは綺麗に3回槍を突き放った。3回の突きが「ほぼ同時」に敵を襲う。これを避けられる者は少ないだろう。

なんせフロウが幼い頃、父上から教わっていた技なのだから。強かった父上、父上だったら「ほぼ同時」ではなく「完全に同時」に突き刺さっていたのにな、とフロウは寂しそうな表情を浮かべた。

ずっと父上は教えてくれていたのに、いつしか僕は魔法に夢中になって。そうこうしているうちに学ぶ機会すら消えて。

ごめんなさいと悲しげな顔でフロウが最後の一刺しを引けば、フィスカが小さく息を呑む。

ぐらりと揺れたフィスカの身体は倒れることはなく、ふらりとよろけながらもフィスカは通路の奥へと逃げて行った。「く…。ア、アズール様!!」と主人の名を喚きながら。

 

追うことも追撃をかけることもしない。フィスカが向かった先を一瞥し、フロウはケルーとピィの口に持ってきた薬草を詰め込んだ。王国から貰った薬草を僕が増やしたやつだから、少し心配だけど多分効くはず。

目を白黒させながら詰め込まれた薬草をなんとか飲み込んだケルーは「苦っが、…フロウもう入らないいらない大丈夫治ったもういらない!」と口を押さえて首を振る。じゃあピィとフロウが薬草を構えてピィに近寄ると、こちらも首を思い切り降って拒否された。

 

「ボクらはもういいからフロウも食べなよ」

 

「僕は大丈夫ですよ?あとこれ苦いですし、僕はあまり…」

 

酷くない?とケルーが泣きそうな顔をしていたが、何を言っているのかよくわかりません。怪我したならすぐ食べて。僕は擦り傷くらいですし。

少しばかり小休止したフロウたちは、大きく深呼吸して薄暗い通路の先に顔を向けた。この先は、先ほどフィスカが逃げて行った場所。

魔王の名を呼ぶ側近がいたということは、ここはもう海の底。魔王の根城の海底神殿に到着していたらしい。

ああならば、本命はこの先、神殿の奥。

ぐっと大きく伸びをして、フロウたちは立ち上がる。

さて、最後の闘いだ。

 

■■■

 

通路を進みフロウたちはどんどん奥へ、真っ暗な海の底へと向かって行く。途中兵士がちらほらいたが、どの兵士も気もそぞろ。時には激しい怒りと共に襲ってくる者もいたが、ごく少数。

「フィスカさま…」と呟いていた兵士がいたので、敗走したフィスカの身を案じているらしい。

「フィスカさまをよくも!」と叫んでいたから、仲間を倒されたことに憎しみを抱いたらしい。

魔王軍の輩にもそういう感情があるんですねとフロウはつい驚き息を吐いた。その感情があるならば、魔王軍が襲い滅ぼした国々の残された人々がどう思うかも理解できるだろうに。

争いは、憎しみは何も生まないなどというつもりはない、なんせ現にフロウには憎しみから生まれた感情があるのだから。

 

フロウたちは神殿の奥。神殿という建物にはそぐわない玉座のある広間に辿り着いた。

そこにはあの時と同じ、ふてぶてしい顔で、自分以外の生き物を見下すその表情で、青色の魔王がこちらを見て嗤っている。

侵入者であるフロウたちを一瞥し、何も語らず魔王はトンと玉座から飛びフロウに向けて拳を放った。

あの時の恐怖が揺り戻される、けれどもフロウは前を向き魔王を見据え、握っていた拳を海底へと落とした。フロウの腕の動きに合わせ、大きな水の塊が魔王へと落下する。

ぱしゃんと音を立て、大きな大きな水の王冠が魔王の周囲に広がって押し流そうと魔王を包んだ。まあそれは、魔王の波を操るかのような動作で消されてしまったのだけれども。

フロウひとりであったならば、魔王に決定打を打てず追い詰められていたことだろう。しかしフロウには仲間がいた。ずっと傍にいてくれる、大事で頼もしい仲間が。

魔王がフロウの魔法を対処している隙を突いて、ケルーたちが背後から魔王を叩く。フィスカを怯ませた時と同じく、四方八方からの突撃で。

舌打ちの音が聞こえたが、魔王の余裕は崩れない。はずだった。

神殿のさらに奥。そこにこっそり取り付けられた、目立たぬ扉にフロウが気付くまでは。

その扉が動いたように見え、フロウはついそこに視線を送る。すると魔王が表情を崩し、慌てたように走り出した。

扉とは逆の方向の壁を打ち壊し、そのまま壁の中へと消える。追ってこいとばかりに挑発をしながら。

魔王の不思議な行動にフロウたちは顔を見合わせた。追うかどうかをケルーが視線で問うが、フロウはそれに首を振り深追いを制す。

普通ならば常人ならば、仇が挑発しながら逃亡したら怒りのままに追うのだろう。しかしフロウは幼い頃に、魔王のせいで身内を国を全てを喪くし少しばかり感覚が崩れていた。

仇を倒すつもりではあった、しかし同時に倒すことに抵抗があった。倒したら赤い血が己を包むから。

またあの時のことを思い出すから。

だからフロウは追えなかった、フィスカもフィスカの部下も、魔王でさえも。殺すことは出来なかった。

フィスカを突いた時でさえ、傷を負ったフィスカを見てあの時のことを思い出し、動揺したフロウは仲間のケルーに薬草を詰め込んだ。赤い怪我をしたら、動かなくなる前に治さなくてはいけないと。

以前、己を襲った敵がケルーに傷を付けたから。フィスカの怪我がケルーと混ざり「敵と戦ってまた仲間が怪我をした」と誤認した。

故に今も。

 

「追わなくて良いですそれよりもケルー、薬草…」

 

「ほとんど怪我してないよ!?」

 

ケルーの言葉にフロウは不思議そうに首を傾ける。ケルーはケルーで「心配性だなあ」と苦笑を漏らした。

なんてことはない。誰も気付かない、誰も気付けないだけだ。そうだな、こう例えれば良いだろうか。

何かの拍子に首がぐるんと180度回ってしまった、誰の目から見てもおかしい状態だ。これなら誰でも気付くだろう。

だがしかし、それをなんとか治そうとした結果、更に180度、つまりは360度首が回ってしまったらどうなるだろうか。

見た目ではわからない、なんせ顔は正しい方向に戻っているのだから。首は捻れたままだけれども。

本人は気付かない、だって顔は正しく前を向いているから。

周りの人も気付かない、だって見た目は普通なのだから。

少しばかり壊れた状態で、正しく元に戻っている。

 

ケルーが笑い、フロウは首を傾げ、魔王はもう此処にはいない。魔王が消えた壁の外は、深海だと示すかのように真っ暗だった。

魔王による本拠地の放棄という結果で戦いが終わり静まり返った神殿に、小さな足音が鳴り響く。その音に気付いたフロウたちは足音のほうに顔を向けた。

足音と立てぽてぽてと駆け寄ってきたのは己よりも大きな杖を持ち、帽子を目深に被った、女の子、だろうか。

 

「…お兄さま?」

 

フロウを見て少女はそう問い掛ける。フロウは目をパチクリし、不思議そうに首を傾けた。残念ながら己の身内は死に絶えた、そもそも妹などいない。

フロウが否定するように首を振ると、少女は「じゃああなた?肌がわたしと似てる」とケルーに顔を向けた。ケルーは慌てたように首と手を振り否定する。

ふたりに否定され女の子は残念そうに肩を落とし「早く会いたいのに」と呟いた。違うのねとしょんぼりする少女にフロウは「お兄さんを探しているんですか?」と心配そうに声を掛ける。

 

「探す…?違うわ、待ってるの」

 

お父さまが、家族は家に帰ってくるものだと言っていたから。家族は一緒に暮らすものだと笑ったから。

そう少女は笑みを零した。それは家族の帰りを待つ幼い子供そのもので。

その姿を見たフロウの思考は停止する。

 

「お父さまがおうちにいないときは、わたしがここを守ってるのよ。お兄さまがいつ帰ってきてもいいように」

 

お兄さんたちはお父さまのお客さん?と少女は首を傾けた。玉座の辺りに目を向けて、困ったように「いまお父さまはどこか行っちゃってるから、またこんど来てね」とぺこりと頭を下げた。

そうですか、それは残念ですとフロウは答え「じゃあ帰りましょうか」とケルーの顔を見ずに声を掛ける。そのまま黙って神殿の外へと歩き出したため、ケルーも慌ててフロウの後を追った。

 

神殿から外に出て、しばらくぶりの日光を浴びる。ここからはピィに運んで貰わねばならない。

フロウがケルーたちに顔を向けると、少しばかり戸惑いながらケルーはフロウを引っ張り上げピィの上に乗せた。ピィも戸惑っているようではあったが、トンと海面に足を伸ばす。

 

「あの…、フロウ?」

 

「…家族は一緒に暮らすもの、ですか。帰ってくるものですか。…それを僕から奪った奴がそれを言うんですか」

 

少女が笑顔でそれを言った瞬間、フロウの頭は真っ白になった。言動から察するに、あの少女は魔王の身内。外見的に娘だろうか。

確かに先程感じた魔力の質は、どちらかというと魔に近い。魔王の娘というならば当然なのかもしれないが。

それが、家族などという単語を使った。

「お父さま」つまりは魔王がそれを教えた。

人々からそれを奪っておきながら、己はそれとともにあるなんて。

僕からそのたからものを奪っておきながら、己はそれを大切に抱えていたなんて。

僕のそれはもうこの世の何処にもいないのに。

 

魔王が突然逃亡した理由がわかった、とフロウは空を見上げた。僕らとの戦闘音に気付いてあの少女が玉座の間に来てしまいそうだっから。

娘を戦闘に巻き込むまいと場所を移動しようとしたのだろう。だからあの時「付いてこい」と挑発をした。己ならば、獲物が逃げたら追いかけるから。

 

フロウが追って来ないことに気付き、娘と接触したことに気付いた魔王はどうするか。

娘を守ろうと一時的に神殿に篭る可能性が高い。娘という弱点を露見したから。

己が出兵したらその隙に娘が襲われると、自分ならばそうすると考えるだろうから。魔王はしばらく陸地への襲撃を抑える。娘の保護を優先する。

なんせ家族だそうだから。

ああ、

 

「…僕から家族を奪った奴が、なんで家族を語るんですか…?」

 

父上と約束した広場に行きたい。あの場所はどんどん綺麗になっていっている。

国王と王子が良く一緒に遊んでいたところだからと、滅びた国の生き残りとその協力者たちが自分たちの生活よりも優先して直しに来てくれているから。

昔の、平和だった時の象徴を、取り戻したいと願ったから。

だからフロウは彼らを安心させようと、魔王を倒しにここまで来たというのに。

ピィの首に手を添えて俯くフロウに掛ける言葉が見当たらず、ケルーはフロウの背を撫でる。陸地に着くまで3人はずっと無言だった。

 

■■■

 

陸に到着しピィから降りたフロウはふらふらと家とは逆の方向へと歩き出す。慌ててケルーたちもそれを追いかけた。

フロウが向かったのは約束の広場。滝が流れ落ち虹が煌めく思い出の場所。

そこでフロウは力尽きたかのように、手すりに寄り掛かった。すると、そこに居た人から声が掛けられる。

 

「ありがとうございます!」

 

その言葉にキョトンとした表情を向けるケルーとぼんやり首を傾けたフロウ。ふたりの態度は意に返さず、その人は笑顔でこう言った。

 

「海見張ってた人から聞きました、魔王もその側近も逃げてる姿を見たって!おふたりがやったんですよね!」

 

「えっ、いや、あの」

 

ケルーが戸惑っている間に「倒せなかったのは残念ですが、あの魔王が無様に逃げた!」とその人はフロウの手を握り感謝の意を伝える。魔王たちが弱っているならば、自分たちにも対処できると拳を握った。

生き延びるのに精一杯で戦うことなど考えもつかなかったが、これからは自分たちも戦うと、気付けば周りに集まっていた沢山の人が笑顔を見せる。

 

「だから貴方は、フロウ様は国を、お父上のように皆を導いてください。魔王を退けた貴方なら、皆は喜んでついていきます」

 

そう言われフロウは少しばかり困った顔を見せた。ので、ケルーはトンとフロウの背中を押して「フロウそんな顔しちゃダメ今その顔しちゃダメ王様思い出してこんなときどんな顔してた?」と口早に助言する。

だからフロウは、父親のように民を安心させるような笑顔を作り、胸を張って凛とした声で声を鳴らした。

 

「はい、まだ未熟ではありますが、よろしくお願いします」

 

わっと大きな歓声が、思い出の広場に響き渡った。

魔王を倒すとか魔王の身内の件とか、まだ問題は沢山あるのだけれど、国の基盤を作るほうが先になりそうだなと人々に囲まれているフロウを見ながらケルーとピィは笑う。

大丈夫、ボクらはずっとキミを支えるから。

 

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