No.787841

真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第七十九話

ムカミさん

第七十九話の投稿です。


洛陽編・その参。

続きを表示

2015-07-06 07:47:41 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:4067   閲覧ユーザー数:3187

 

一波瀾も二波瀾もあったかの軍議より一月後。

 

一刀はきっちり予定通り、洛陽を前方に見据える平原にて数部隊を従えて歩を進めていた。

 

一刀と行動を共にするは、月、詠、恋の火輪隊の面々、それに加えて麗羽、春蘭の漢に身分を持つ2人。

 

更に、麗羽と春蘭の暴走を抑えるために斗詩と秋蘭も付き添っていた。

 

今回の行軍には霞を初めとして幾人か希望を出していたのだが、桂花と零が選んだのはこの8人。

 

基本は火輪隊、つまり元董卓軍が戦闘を担う。

 

と言うのも、今回の敵となる李傕と郭汜は何度も言うように、元・月の部下。

 

当然、その戦い方や好む戦術等は董卓軍の面々であれば知っているのである。

 

麗羽と春蘭には最悪の場合の保険及び想定している戦闘におけるバックアップの意味合いがある。

 

ここでいう”最悪の場合”とは、全てが一刀たちの一人相撲だった場合のことだ。

 

勝手に勘違いし、勝手に悪評を操作して、身勝手に攻め込む。

 

可能性は限りなくゼロと見ているが、万が一そのような事態にでも陥っていたとなれば、その時は麗羽と春蘭の地位、そして一刀の肩書を最大限に利用する心づもりである。

 

このことから分かるかと思うが、この2人を出陣要因に組み込むよう要請したのは他ならぬ一刀であった。

 

兎にも角にも、複数の思惑から成り立った混成部隊は今、洛陽を目前としているのである。

 

「う~ん、これは…………李傕と郭汜は情報集めをしないのか?」

 

洛陽が視界に入っての一刀の第一声がこれだった。

 

それと言うのも、既に分かる人もいるかも知れない。

 

一刀たちがここに至るまでの間、如何なる場所にも防衛部隊も抗戦部隊も配置されていなかった。

 

それはかつて同じような状況で激戦を繰り広げた汜水関、虎牢関にしても同じである。

 

一刀たちはその二つの関を、そしてこの洛陽前の平原を、悠々と何者にも邪魔されずに踏破してきていたのだった。

 

「いえ、そんなことはないはずだけれど……ボクが使っていた間諜隊のほとんどは洛陽に残してきたんだから」

 

「まさかとは思うが、その存在を二人が知らなかった、とかは?」

 

「それも無いわ。洛陽を任せる際に一通り説明してあるもの」

 

「情報の重要性を理解していなかった?」

 

「それも無いわね。ボクは常々それの重要性を口にしていたのだから。

 

 元董卓軍の幹部級ならば、皆知っているわ」

 

「それじゃあ、逆に罠の可能性は?」

 

「無いとは言い切れないけれど、薄いでしょうね。

 

 あの二人の性格から考えて、立て篭もったり引き篭もったりする策はまず取らないでしょう」

 

「ふむ……なら、この状況をどう取るべきかね……」

 

一見すればあからさまな先制攻撃なり強襲奪還なりのチャンス。

 

なのだが、あからさま過ぎるが故に一刀は悩む。

 

一刀に考え得る可能性を都度挙げるも、悉く詠によって否定されてしまった。

 

これが一刀たちの立てた策により作り出された状況であるというのならば何も問題は無い。

 

だが、今回の策には敵方の行動を誘導する類のものは含まれていない。

 

詰まる所、罠の可能性が一向に捨てきれないために、進むことを躊躇われる状況なのであった。

 

一刀と詠が額を寄せ合って敵の意図と取るべき行動に頭を悩ませていると、意外の極地と言っても過言ではないところから進展に繋がることとなる。

 

「な~にを悩んでおりますのかしら?

 

 一刀さんの仰ることが本当に真実なのでしたら、今はまさに陛下の一大事なのでしょう?

 

 ならば!このようなところで立ち止まってなどおらず、前進あるのみですわ!」

 

「そうだぞ、一刀!私達は陛下を救うためにここまで来たのだろう?

 

 私には難しいことなど分からないが、いつまでもここで止まっていることが間違いだということだけは分かるぞ!」

 

「れっ、麗羽様っ!」

 

「姉者、考えなしの蛮勇は時に最悪の結果を生むのだぞ?」

 

基本的に考えなしに突っ走るばかりの二人による発言。

 

当然のようにストッパー役の二人が止めに入る。

 

ところが、それが今の無駄に停滞してしまった状況を、無理矢理にでも打ち破るきっかけとなった。

 

「……確かに、な。詠、麗羽と春蘭の言う通りだ。

 

 いつまでもここに留まっていないで、いい加減進もう」

 

「……そうね。

 

 例え罠が張ってあるのだとしても、即席で十分な対応を取れればまず問題は無いでしょうし。

 

 普段よりも伝令兵を多く寄せておいて、その上で行動を開始しましょう。

 

 斥候兵!3名ほど洛陽へ先行して状況を確認してきなさい!途中、平原を調べさせている兵と会ったなら、一度戻ってくるように言って!」

 

『はっ!』

 

「一刀、それでいいのか?」

 

「ああ。むしろ洛陽を目視出来るこの位置でいつまでもグダグダしている方が危険だ。

 

 だったら、いっそ”考え続ける蛮勇”を選んでやろうじゃないか」

 

「ふっ……一刀がそう決めたのなら、私はそれに従うさ」

 

やり取りの末の秋蘭の台詞に、一同が同意を示すように頷いた。

 

それからはさっと方針を決め、詠は進軍の準備に取り掛かる。

 

一刀たち武官もまた、詠の指示に従って進軍へと意識を切り替えていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして、洛陽宮中のとある一室。

 

そこに劉協と劉弁の二人が並んで座っていた。

 

部屋のすぐ外には見張りの兵がおり、勝手に外に出ることは出来ない。

 

そんな状況にあって、劉協も劉弁もその表情は重く暗いものであった。

 

「…………ごめんね、お姉ちゃん……私のせいで……」

 

「協……もうそれは言わないの。それに、あなたのせいでは無いわ」

 

「でもっ……!!」

 

「もうこの話はおしまい。それよりも、今はどうやってお二人から洛陽を取り戻すか、考えましょう」

 

今にも泣き出しそうな表情で尚も言い募ろうとする劉協の唇に人差し指を当て、劉弁は柔らかく微笑みかけた。

 

これをされれば、劉協も引き下がらざるを得なくなる。

 

このやり取りは今に始まったことでは無い。

 

現状に至ってより幾度となく繰り返されてきたやり取りであった。

 

そう、現在、劉協と劉弁の二人は軟禁状態にあった。

 

部屋の前の見張りは、外敵ではなく内部からの脱走を監視する目的の者。

 

捕らえられ、地位を利用され、悪政が為される。

 

皮肉にも、かつて二人が信頼を置き、洛陽を任せた友たちがここを追い出される原因となった根も葉もない噂に酷似した状況であった。

 

劉協はいつぞや、もう自分には、漢には、民を救うだけの力が無いことを自覚していると言った。

 

だから、せめて洛陽の民だけは救いたい、と、そうも思い、去り行く友の背にも誓った。

 

事実、詠の残した策や李儒の力を多分に借りていたとは言え、洛陽の善政は続けられていたのである。

 

だがそんな中、一つの転機が訪れる。そしてそれが、最悪の方向へと向かう原因となってしまった。

 

事の発端は、策を回すに当たって資金が不足しがちになってしまったことだった。

 

詠が主導していた時と比べて若干ながら効率が落ちてはいたのだが、その僅かな差が響いた結果だった。

 

急遽、劉協と劉弁、李儒に李傕と郭汜を加えた当時の洛陽統治上層部が集まり対策会議が開かれた。

 

そこで出された結論が、少しばかりの増税である。

 

その結果、資金が潤沢とは言わないまでも、トラブル有りきでも問題なく策を回すに十分な量は確保出来るようになった。

 

が、その先が拙かった。

 

そこで出始めた余剰分は、禁軍の軍備強化にと、李傕と郭汜に託したのである。

 

当初こそ、この二人も真面目に軍備拡張のためにと色々考え、装備を買い揃えたりなどしていた。

 

だが、ある日を境に綻びが出始める。

 

始めはほんの出来心。

 

街で見かけた良い武具。それを自分たちだけのために購入しようと、与えられていた資金を着服してしまったのである。

 

一度ボタンを掛け違えてしまうと、もうどうしようと修正は出来ない。そして歯止めも利かなかった。

 

頻度は激しくないものの、李傕も郭汜も気に入った武具を私用に買い始める。

 

その対象が私服や装飾品に至るのに長い時間はかからなかった。

 

それでも初めの内はこっそりと続けていたものの、李儒がすぐにそれに気づく。

 

問い詰められ、責められ、自分たちの地位の危機を悟った二人は、そこで暴挙に出た。

 

劉協への直訴を謳ってその懐へと飛び込むと、忽ちの内に軟禁状態へと押し込み、その身柄を盾に洛陽における全権をその手に握った。

 

質が悪くもあり不幸中の幸いでもあったのは、二人がただの脳筋では無かったこと。

 

多少は考えることが出来るから、劉協や劉弁をすぐに殺して成り代わろうとは考えなかった。

 

多少は考えることが出来るから、増税を一息には進めず、ジワジワと上げていった。

 

それでも限度と言うものを知らなかったから、結局は一刀たちに嗅ぎ付けられる結果となってしまったのであるが。

 

いずれにしても、今日も劉協たちはこの部屋に軟禁され、李傕たちが持って来させる書類を承認せねばならないことに変わりはない。

 

どうにかしてこの状況を脱することは出来ないか、今日も今日とて悩みに沈む。

 

そんな折、部屋にある唯一の扉が外から開いた。

 

「…………陛下、また策の御承認を……」

 

扉から入ってきたのは、これまた表情が暗い李儒であった。

 

その手には李傕と郭汜がそれぞれ私服を肥やすために考えた策の記された竹簡が積まれている。

 

李儒の背後、扉の向こうでは見張りの兵の一人が怪しむかのように三人に視線を送っていた。

 

「また、ですか……」

 

「はい……申し訳ございません」

 

表情が一切好転することなく、短く劉弁と李儒がやり取りする。

 

そこに溜め息を隠すことなく劉協も加わった。

 

「ふぅ……して、今度の策はどんなものじゃ?

 

 また……民を苦しめる策でしか無いのじゃろうな……」

 

「…………こちら、です」

 

李儒は苦々しい表情で一つの竹簡を劉協に示す。

 

暫し劉協はそれに黙って目を通し、やがて李儒以上に苦々しい表情となった。

 

「またこんな……!あやつらには恥も外聞も無いと言うのか……」

 

刹那激昂しかけた劉協だったが、すぐに声は萎む。

 

最早怒りを抱くだけの気力の残っていないような有様にまでなってしまっていたのである。

 

「協……」

 

「大丈夫……大丈夫だから。お姉ちゃん……」

 

痛ましげに心配の色が濃い一言を劉弁が漏らす。

 

それを受け、隣に李儒がいるにも関わらず、劉協の口調が緩んだ。

 

気を張って皇帝らしくあらんとすることも、最近となっては綻びが多々見られる。

 

こんな状況から協を早く救ってあげたい。それがずっと劉弁の中に留まっている、どうしようもない想いだった。

 

(私の悪あがき……ほんのちょっとだけの抵抗……

 

 実を結ぶ可能性は低いとは思っていたけれど、やっぱりくるものがあるわね……)

 

持ってきた竹簡を機械的に劉協に渡す李儒を何ともなく見つめながら、劉弁は心中でそう独り言ちる。

 

「あっ……あっ、あぁっ!」

 

と、李儒が竹簡の一つを掴み損ねて取り落としかけた。

 

それを取り落とすまいとし、しかし結果的に他の竹簡まで床にばら撒いてしまう。

 

今までの李儒からは考えらないような拙い失敗。

 

見るに、李儒も精神が限界なのだろう。

 

「手伝います」

 

「あ、ありがとうございます」

 

劉弁もしゃがみ込んで竹簡拾いを手伝う。

 

竹簡を拾う手を動かしつつ礼を述べ、李儒は次の竹簡へと手を伸ばす。

 

それは劉弁の前方に落ちている竹簡だった。

 

目の前にあるということもあり、劉弁もまずはそれに手を伸ばしていた。

 

どちらも身を乗り出すような体勢で同じ竹簡に手を伸ばす格好となる。となれば、当然。

 

「あっ!す、すいませんっ!」

 

「いえ、大丈夫ですよ」

 

李儒の手が劉弁の体にぶつかってしまう。

 

慌てて謝罪し、飛び退く李儒。

 

劉弁はそんな李儒に優しく微笑みかけて、再び竹簡に手を伸ばそうとした。

 

「あら?これは……」

 

「姉様?どうかされたのですか?」

 

「……いえ、なんでも無いわ、協。

 

 ……はい、李儒さん。これで竹簡は全部かしら?」

 

「はい。ありがとうございます」

 

劉協の問い掛けに何もないと手を振ると、劉弁は手早く周辺の竹簡を拾い集める。

 

それを李儒に手渡すと、元の位置、元の体勢へと戻った。

 

姉の様子に少しだけ気を取られた劉協だったが、すぐに手元の竹簡に意識を奪われる。

 

その口から出る溜め息は留まる事を知らず、たった数個の竹簡を承認するだけの作業にかなりの時間がかかってしまっていた。

 

「ふぅ……終わりじゃ。これで良いのであろう?」

 

「はい、確かに。では、私はこれで」

 

一礼し、李儒は部屋の扉へ向かう。

 

ずっと監視の視線を送っていた兵はそのタイミングでようやく元の位置へと戻った。

 

扉前のスペースが空き、そこから李儒が出ていこうとする。

 

「…………陛下。すぐにでも、迎えが来ると思いますので……」

 

「……?」

 

扉を出ていく寸前、李儒は少しだけ顔を向けて、意味深に呟いた。

 

劉協は意味を解しかねて首を捻る。

 

一方、劉弁は小さく頷きを返していた。

 

 

 

 

 

扉が閉まって暫くの後、劉協が劉弁に問う。

 

「お姉ちゃん、李儒さんが言ったことはどういうことなの?」

 

「……協。ここからの会話は、少し声を抑えて。

 

 それと、何があっても驚かないで」

 

「へ?う、うん、分かったけど、突然何を……?」

 

劉協が諾意を示したことを見て取ってから、劉弁は服の胸元から折り畳まれた一枚の紙片を取り出した。

 

姉の言いつけ通り、劉協は声を我慢し、しかし目は丸くして驚く。

 

と、何かに気付いたように、声を抑えて姉に確認を取った。

 

「あ、あの時に!ということはそれ、李儒さんが?」

 

「そうよ。見張りの兵の人から上手く隠れられる角度を作りたかったのでしょうね。

 

 今思えば、今日の李儒さんは彼女とは思えない失態ばかりだったし」

 

先ほどまでの暗い表情とは一転、劉弁は微かな笑みすら浮かべていた。

 

少しだけ見た、李儒が書いたのだろう紙片の文字。

 

皮肉にも、直前に諦めた”悪あがき”、それの経過について書かれたもののようである。

 

劉弁の心に希望の灯が点る。

 

それはあたかも暗闇で彷徨う者が一筋の光を見つけた時の心情に似ていた。

 

「お姉ちゃん……」

 

「ええ……」

 

ただ一言、姉を見つめて呼びかける劉協。

 

目を合わせ、意図するところを理解し、劉弁も一つ頷く。

 

「そろそろ、見てみましょう……」

 

己を奮い立たせんがために声に出し。

 

劉弁はゆっくりと、紙片を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮中にある執務室。

 

そこでは二人の少女が椅子に腰かけていた。

 

見た目にも派手な金髪と銀髪をそれぞれ右と左でワンサイドテールに括っている。

 

一目で分かるほど高そうな、絹で出来たお揃いの衣装に身を包んだその二人は、一見すると双子のように見える。

 

が、実際には二人の間に血の繋がりは無い。

 

精々が義姉妹の契りを交わしたくらいである。

 

誰あろうこの二人が渦中の人物、李傕と郭汜であった。

 

二人が二人とも執務室で寛いでいると、竹簡を抱えた李儒が戻ってきた。

 

「陛下の承認は得てきたわ。これで満足?」

 

「あ~ら?今日は随分早かったじゃない。

 

 満足かって?ええ、もっちろん」

 

「当たり前のことを聞かなくてもいいじゃない?

 

 さってと、それじゃあ早速、策を掲示させに行かせましょっか」

 

「そーね。お~い、誰か~!」

 

「はっ。お呼びでしょうか」

 

「これ、街に貼ってきて」

 

「はっ」

 

李儒の抱えていた竹簡の内、いくつかを示して兵に指示を出す。

 

その表情はニヤニヤとしていて、実に嫌らしいものだった。

 

それを見ていられず、李儒は悔しそうに歯噛みして俯く。

 

そんな李儒など眼中にも無いといった様子で、李傕と郭汜は次の贅沢をどうしようかと話に花を咲かせていた。

 

と、そんな温度が極端に異なる二つの空気が混在する空間を、荒々しく開け放たれた扉の音が切り裂く。

 

「ほっ、報告っ!洛陽前平原に敵性部隊が出現!」

 

「はぁ?!どこの馬鹿よ、それは?!」

 

「旗印は夏、袁と……く、加えて董、呂、それに十文字、です……」

 

兵の報告を聞いて李傕と郭汜の顔は驚愕に染まる。

 

その顔色は若干ならず青くなりさえしていた。

 

「ちょっ、ちょっと!これ……どうしよう!?

 

 っていうか、こっそりやってたはずなのに、どうして?!」

 

「やっばい……やっばいよ!なんでバレちゃってんの?!

 

 あん時も上手く誤魔化せたんじゃ無かったの?!」

 

彼女達のいう”あの時”とは、一刀たちが劉弁と話した時に他ならない。

 

李傕と郭汜は劉弁と李儒に対し、何も明かすなとだけ命じた。もしも勘付かれるようなことがあれば、劉協の命は無いと脅して。

 

加えて、念のためにその会話を間諜に盗聴させてもいた。

 

結果的にそれから一月以上もの間、何の音沙汰も無く、二人は上手くやり過ごせたと確信を抱いていたのであった。

 

だが、現実は全く異なったもの。

 

李儒と劉弁は、どうにかギリギリの違和感を生む程度の会話を通し、一刀たちに助けを求めようとしていた。

 

それを、一刀たちは上手く受け取ることが出来ていた。

 

その結果が、今こうして目の前で実りつつある。

 

未だ俯いたままの李儒の口元には、人知れず笑みが浮かんでいた。しかし、慌てふためく二人にはそれを見止めることが出来なかった。

 

勿論、ここまでこの二人が何も知らずにいたのには、李儒の陰ながらの工作の成果もある。

 

李儒がやったことは至極単純なこと。

 

李傕・郭汜側の間諜に対し、李儒のポケットマネーから金銭を渡して買収しただけ。

 

それによって、特定の情報を李儒の下で握り潰し、李傕と郭汜からシャットアウトする。

 

たったそれだけのことで自分たちの支配を過信していた李傕と郭汜は足下を掬われることとなったのだった。

 

「り、李儒!あんた、行ってなんとかしてきなさいよっ!」

 

「そ、そーよそーよっ!ほら、早く行かないと……!」

 

言葉にされずとも、何が言いたいのかは理解出来る。

 

またもや劉協の命を盾にするつもりなのだ。

 

何かを悟られるわけにはいくまい。

 

そう考えた李儒は平静な表情を作って顔を上げると、二人に向かって答えた。

 

「なんとか、とは?また誤魔化せ、と?」

 

「そうよっ!あんた、前に追い返したじゃない!」

 

「あの時と今とでは、随分と話が違うと思うのだけれど?」

 

「つべこべ言わずに早く行きなさいよっ!」

 

「……分かりました」

 

ここまできておいて稚拙な失態だけは犯したくない。

 

その為、反論もそこそこに、二人がパニックになって癇癪を起す前に李儒は退席することにした。

 

そうして李儒が部屋からいなくなっても、李傕と郭汜の動揺は一向に治まらない。

 

「あぁ~……もうほんっと!どうしよう!?

 

 あいつでも無理だったら、私達……」

 

「…………いっそ、逃げちゃう?」

 

焦る李傕に対し、郭汜が暫くの思考の後、そう提案する。

 

それを聞いて、李傕もバッと音が出るほど勢いよく顔を向けた。

 

「逃げるって……まさか、あれ?」

 

「そうよ。だって、相手にはあの呂布将軍までいるのよ?

 

 戦っても敵いっこないじゃん。だったらいっそ、前に冗談半分で話してたあれ、実行しちゃいましょうよ」

 

「でも……」

 

郭汜に推されても李傕は渋る。

 

それは郭汜が言った通りのことが理由だった。

 

「あんなの、ほんとになるなんて思ってなかったし……」

 

「むしろ、それより悪いじゃん。

 

 あの呂布将軍だけでも絶望的なのに、御遣いもいるのよ?

 

 何でも、呂布将軍と渡り合える実力だとか……だったら、もうあれに賭けるしかないでしょ」

 

「…………そうね。確かに、もうそれしか無いか。

 

 くぎを刺しはしたけれど、李儒ももう信用出来ないでしょうし」

 

ようやくといった体で納得を示す李傕を見て、郭汜の口元にも事を知らされてから初めてニヤリとした笑みが浮かぶ。

 

それだけ自信のある策ということなのだろう。

 

「それじゃあ、早速準備させましょう」

 

「そうね」

 

斯くして、李傕と郭汜は一世一代の作戦に打って出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぁ、詠。全く何も無いんだが、どう考える?」

 

「一層不気味ね……何考えてるのかしら、あいつら……」

 

「このまま何事も無く洛陽に着くのか?いや、そんなわけは無いだろう……」

 

いざ罠を承知でも平原を進むとなると意外と吹っ切れるもの、その進軍スピードたるや、警戒しながらのものとは思えないほどだった。

 

自分たちの移動以外、一向に動かない状況に少しずつ言い様の無い不安が心を占め始める。

 

それでも誰もが口に出さずにいたそれを、場の空気などどこ吹く風、麗羽が口にする。

 

「一刀さん。もしも貴方がたの予想が外れていた場合、一体どうしようと言いますの?

 

 随分と大事になってしまっていると思うのですけれど?」

 

「その場合は、最終手段を取るだけさ。その為に、麗羽、君に来てもらったんだから」

 

「??よく分かりませんが、何か考えがあるということですのね?でしたら構いませんわ。

 

 徒に陛下の周囲を騒がすことはあまり感心致しかねますから」

 

理解はしていないものの、取り敢えずの納得は示した麗羽。

 

一方で、対照的にその言葉で表情を若干曇らせたのが秋蘭だった。

 

グッと餓狼爪を握りしめる手は、少し白くなっているほどだ。

 

ツッと視線を一刀に向け、何事かを発しようと口を開こうとしたその瞬間。

 

「詠、斥候が帰ってきた!様子が少し違うぞ!」

 

「慌ててる……いえ、急いでる?とにかく、すぐに情報を回収して行動を決定しましょう!」

 

一刀たちが待ちわびた状況の変化が訪れたようだった。

 

こんな時に余計な波紋を作り出すのは気が引けるのか、秋蘭は口にしかけていた言葉を結局飲み込んでしまった。

 

 

 

 

「報告ですっ!洛陽の反対側の門より馬車とそれに付随する部隊を発見!

 

 完全に割り出せたわけではありませんが、どうやら長安へと向かっている模様!」

 

「馬車?どんなのだ?」

 

「荘厳な装飾があり……お、恐らく皇帝陛下がお乗りになるようなものかと……」

 

斥候兵の報告にザワッと空気が揺れる。

 

一つの部隊がまるで逃げ出すように反対側からこっそりと洛陽を出ようとしていた。それも皇帝が乗っていると思しき馬車を引き連れて。

 

それは見るからに怪しい集団。

 

それと同時に、一刀たちの予想が外れていないという証拠。

 

「陛下が?!ならばすぐに向かいますわよ、一刀さん!」

 

「一刀!そこへ行って敵を倒せばいいのだな?!」

 

麗羽と春蘭がすぐさま気勢を上げて突っ込まんと一刀を促す。

 

だが一方で、一刀とそれに詠は、あからさまが過ぎるこのタイミングでのそんな部隊の登場を訝しんでいた。

 

「今更……?どうにも……いや、深読みのし過ぎなのか……?

 

 その部隊、大将と思しき者は誰か分かるか?」

 

「その件なのですが、逃亡と考えればそれほど不思議では無いのですが、旗を持たず、誰の部隊かは判明しませんでした。それに……」

 

思考を巡らせつつ、一刀は斥候兵に質問を重ねる。

 

答える兵士は瞬間だけ悩んでから、思い直したように報告を付け加えた。

 

「それに、部隊の中に将官らしき人物は見当たりませんでした。

 

 董卓殿や呂布殿の信あった部下であれば、一般兵に紛れて判別が付かないことは無いと思われるのですが……」

 

「将が、いない……?それはまた……」

 

兵は私見を交えた報告を躊躇ったのだが、一刀はそんなことなど気に掛けない。

 

新人ならばいざ知らず、この斥候兵は伊達に兵士経験をそれなりに積んでいない。

 

だからこそ、その兵自身の所見にも一刀は信を置いて検討していた。

 

「……一刀。それに皆も。ちょっといいかしら?

 

 ボクの話を聞いて、どうすべきかを決めて欲しいの」

 

一刀がどうすべきか悩んでいると、詠が一刀よりも先に結論を出して話し始める。

 

それは皆に同意を求める形ではあったが、他に意見もあらず、頷きのみが返ってきた。

 

「ありがとう。それじゃあ、ボクの考えを説明するわ。

 

 まず――――――――」

 

短く簡潔に、それでいて分かりやすいように、詠の説明が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――では、そういうことで。そろそろ私も向かおうと思います。

 

 陛下、劉弁様。どうかご無事で……」

 

軟禁部屋には今、李儒の姿があった。

 

相変わらずの監視の中劉協と劉弁に向かって話をしていたのだが、それもついさっき終わりを迎えたようだった。

 

「李儒さん、どうかお気をつけて……」

 

「……文優よ、主の計らいには感謝しておる。

 

 じゃからこそ、主に命令じゃ。何が何でも、生き延びよ、文優」

 

「……私如きには勿体無きお言葉にございます。

 

 ですが、是非とも最善を尽くさせて頂きます」

 

真剣に心配している表情でそう声を掛ける劉協と劉弁に、李儒は深々と頭を下げてから部屋を辞する。

 

そのまま部屋を離れ、見張りの兵からも李儒の姿が消えた頃合いになり、ようやく大きく溜め息を一つ吐くことが出来た。

 

「これで準備は整った……

 

 月様、陛下……どうか……」

 

ポツリと漏れた呟き。

 

それは決意と悲しみに彩られたものであった。

 

 

 

 

 

 

 

「馬車は出した?」

 

「らしいわね。李儒もまだ使えるってことかな?

 

 もうちょっとしたら報告が来るんじゃない?」

 

洛陽の宮中、普段は軍議室で使う、いや、使われていた場所。

 

今はそこに李傕と郭汜の姿があった。

 

馬車に付随させた部隊の中に将はいない。そんな魏の斥候兵の報告は、実際に当たっていたのである。

 

何故李傕と郭汜が馬車に付いていないのか。

 

それは冗談半分に話したという例の策である。

 

詳細はともかく、策の大きな目的は、李傕と郭汜、二人自身の生存。

 

二人とも自身の武に自信が無いわけでは無いが、それでも彼女らは逆立ちしても敵わない相手が世の中には存在していることを知っている。

 

そんな相手に狙われた時、如何にして逃げ延び、生き延びるか。

 

そんなことはそうそう無いなどと笑い飛ばしながらも酒の肴に話し合ったことを、まさか実行に移す日がくるなどとは夢にも思っていなかっただろう。

 

それでも、そんな策に頼るしか無いのが、今二人が直面させられている現状なのである。

 

そもそも、このような状態にまで追い込まれた時点で”終わっている”のだが、まだそれには気が付いていない様子なのはある意味仕方がないのか。

 

兎にも角にも、李傕も郭汜も利用できるものは利用して生き残ろうとしていた。

 

そのまま軍議室にて待つこと暫く、一人の兵が部屋に入ってくる。

 

「報告します!洛陽前の平原に現れた部隊は先ほど発った部隊に気が付いた様子!

 

 暫しの停滞の後、敵部隊は進路を変え、馬車付きの部隊に攻撃を仕掛けるべく動き始めた模様です!」

 

「分かった。下がりなさい」

 

「はっ」

 

聞くことを聞いたらすぐに兵を退室させる。

 

そうしてから二人で話し合い始めた。

 

「上手くいった?」

 

「どうかな?取り敢えず、今のうちに身を隠す算段を整えとかないと」

 

「そうだね。一度、それぞれの部屋に行こっか。またここに、ってことで」

 

互いに頷き合ってから、二人は同時に軍議室を出る。

 

各々の部屋へと戻り、支度に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、お姉ちゃん」

 

「どうかした?協」

 

静まり返った軟禁室内。

 

ずっと身動ぎすらしていなかった劉協がふと劉弁に問う。

 

「李儒さんの伝えてくれたこと、本当だったね」

 

「ええ、そうね」

 

「……李儒さん、大丈夫かな?」

 

「……信じましょう」

 

「……うん」

 

劉協の話すことは、先日李儒よりこっそりと渡された紙片の内容のこと。

 

例の紙片には、要約すればこう書かれていた。

 

『我が策により御遣い様と董卓様が無事進軍中。数日の後、洛陽に到達』

 

これを読んだ二人は、確かな希望をその心に抱くことが出来た。

 

が、それと同時に一つの不安も同じ心に抱くこととなった。

 

今現在もそうだがあの時でさえも、李儒の立場はお世辞にもいいとは言えない。

 

にも関わらず、策の中には堂々と李傕と郭汜の二人を謀った旨が記載されていた。

 

それがバレた時、それは李儒の命の灯が消える時を意味するだろう。

 

劉協も劉弁も、それを心配していた。

 

月が洛陽を離れてからこっち、二人の最も近くで支え続けてくれたのは李儒だった。

 

軟禁される前は種々の執務作業を。軟禁された後は、その心を。

 

そんな李儒を、二人は見殺しにすることには耐えられない。

 

例え、李儒自身がそう言ったとしても、である。

 

ただ、今の自分たちには信じることしか、祈ることしか出来ない。

 

それがとても歯痒い思いを二人に齎すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「ごっめん!遅くなった?」

 

「ううん、大丈夫」

 

場所は再び軍議室。

 

共に用意を終えた李傕と郭汜がそこに集っていた。

 

「よっし、それじゃあすぐにでも――――」

 

「き、緊急事態ですっ!」

 

いざ行動を、といった時に、李傕の言葉を遮って大きく音を立てながら一人の兵士が転がり込んでくる。

 

「ちょっと、何よ!?一体どうしたって言うの?!」

 

「それが、先程――――」

 

簡潔かつ端的に報告されたその内容は、李傕たちに再びの動揺を齎すに十分なものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆の者、我に続けーー!!」

 

気勢を上げ、春蘭が部隊を鼓舞する。

 

言葉と同時に既に自身が吶喊を始めているのは最早ご愛嬌。

 

普段ならばその逸りを秋蘭なりが諌めるところだが、今回は黙認、むしろ推奨していた。

 

「夏候惇隊はそのまま吶喊!顔良隊には敵部隊の進行方向に回り込みつつ、挟撃を狙わせなさい!

 

 それから夏侯淵隊にももう一つ伝令!馬車は絶対に破壊させないよう、夏候惇の暴走だけは絶対に止めさせなさい!」

 

後方では詠が伝令を用いて各部隊に指示を飛ばす。

 

と、このように各々が役割を持って戦に臨む中、詠の隣ではただ一人役割を持たぬ麗羽がぼやいていた。

 

「全く、一体何故なんですの?この私だけ待機など……」

 

「あんたねぇ……一刀が言ってたこと忘れたの?

 

 待機じゃなくて、観察よ。今後ずっとただの一文官で終わりたくないのだったら、それはちゃんと守りなさいよ」

 

「それは分かっていますわ!ですが、私にも部隊の指揮くらい――」

 

「あんたのは指揮じゃなくて暴走って言うの!

 

 今だからはっきり言っておいてあげるわ。あんたのとこの軍が上手く機能していたのはね、斗詩がいたからよ?」

 

「っ……!貴女も、そう言いますのね……」

 

詠にはっきりと指摘されたことに、麗羽は苦虫を噛み潰したような顔を見せる。

 

それは一刀にも、そして華琳にも言われたことだった。

 

素直に魏に対する敗北を認めた麗羽の中で、この二人は既に別格の君主格として定まっている。

 

が、それが故に、極度に高いレベルの要求からそう言われているだけだと、半ば麗羽は現実逃避気味に考えていたのであった。

 

だが、今詠に、つまり君主格では無いただ一人の軍師にまで同じことを言われた。

 

ここまでくれば、さすがの麗羽でも認めざるを得ない。戦の場において、自らは今は何も出来ないのだと。

 

「それでも、どうして秋蘭さんと斗詩さんをよく見ておけなどと?

 

 いえ、斗詩さんは分かりますわ。貴女にもそうですけれど、一刀さんにも華琳さんにも言われたのですから」

 

「実を言えば、斗詩はもっと大きな、それこそ部隊では無く軍隊くらいの統括指揮の方が適正があるそうだけれどね。

 

 秋蘭は部隊単位での指揮能力で言えば、魏でも最上位層に位置するわ。

 

 秋蘭、菖蒲、そして一刀に霞。この四人は魏の中でも特に能力が高いの。皆が皆、十分以上の実力と相応の頭を持っている。

 

 単に軍師の指示を遂行するだけでなく、武官、将として前線で見て感じたことを考慮して適宜行動を修正する。

 

 そんな即応能力が他より高いのよ。

 

 加えて、秋蘭はずっと春蘭と行動を共にしてきた。つまり、その暴走を抑える術も熟知しているわ。

 

 麗羽、あんたのとこにも猪々子がいるでしょう?そういった点からも、秋蘭の指揮を観察しておいて、絶対に損は無いわよ。

 

 ……尤も、今回はそれは見れなさそうだけれどね」

 

「なるほど、そうだったんですのね。

 

 分かりましたわ。この袁本初、我が家名に恥じぬ観察振りをご覧に入れましょう!」

 

なんだそれは、と言わんばかりの表情で詠は軽く頭に手をやり、頭を振る。

 

ともかく、麗羽の暴走や邪魔はこれでまず心配はいらない。

 

改めて詠は指揮に専念する。

 

 

 

 

 

「おおぉぉりゃあぁぁっ!!道を開けろぉぉっ!!」

 

「ぎぃああぁぁっ?!き、来たぞぉっ?!」

 

「ひっ?!こ、こっちへ来るなぁぁぁっ?!」

 

春蘭に攻め立てられ、敵部隊は無残にも取り乱し、我先にと逃走していく。

 

真っ向から対峙して馬車を守り通そうなどという気概を見せる者は、ただの一人もありはしなかった。

 

「むぅ……物足りんぞ!!貴様等、逃げてばかりで……それでも兵士か!!」

 

「姉者、放っておけ。それより、もう馬車は目の前だ」

 

「むっ?おぉ、本当だ!呆気ないものだったな!」

 

「やれやれ……」

 

あまりに敵に歯応えが無く、春蘭も熱く成りきらなかったようだ。

 

念のために側についてきていた秋蘭が止めるまでも無く、春蘭は何事も無く馬車を確保する。

 

「遅くなりました!陛下は?!」

 

丁度そのタイミングで別方向から攻めていた斗詩もやってくる。

 

方向が変わったところで、兵がすぐに逃げ出す様なのは変わらなかったのだろう。

 

「丁度確保したところだ。姉者」

 

「おう!陛下、ご無事で――――っ?!」

 

馬車の扉を開けながら問い掛けた春蘭は直後、驚きで停止してしまう。

 

「き、消えたっ!陛下が消えてしまったぞ、秋蘭!!」

 

「姉者、消えたのでは無い。斗詩、そちらから見て、陛下が連れ出された様子は?」

 

「ありませんでした。ですので……」

 

「ああ、どうやらそのようだな」

 

斗詩と秋蘭は納得顔で洛陽の街を見つめる。

 

春蘭だけが分けが分からず、秋蘭に詰め寄った。

 

「秋蘭、一体どういうことなんだ?!」

 

「つまりだ、姉者。陛下は最初から、こちらにはおられなかった。

 

 この部隊が、この馬車そのものが囮だったのさ」

 

「なっ?!ならば、私達の戦は無駄骨だったのか?!」

 

「そうでもないさ。可能性の一つを潰したんだ、十分意味はあった」

 

言って、秋蘭は姉に向けていた視線を再び洛陽へ向けた。

 

「一刀……頼んだぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『先程、宮中に侵入した者が!内部の兵を蹴散らしながら、まっすぐこちらへと向かっております!』

 

そんな報告が兵から為された直後、李傕も郭汜も我先にと軍議室を飛び出した。

 

指示を貰いに来たはずの兵が呆然とするのにも構わず、二人はただ一つの部屋を目指す。

 

「う、嘘でしょ?!あっちと関係無い、ってことは無いよね、きっと!」

 

「あんたもそう思ったから逃げてんでしょ?!くっそ、誰だよ、私らの完璧な策を見破ったのは!!」

 

愚痴をたらたら零しながら宮内の階段を駆け上る。

 

二人が目指す先は、劉協と劉弁、その二人が軟禁されている部屋であった。

 

 

 

 

 

 

 

「死にたくなければ、道を開けろ。お前たちも分かっているだろう?」

 

「うっ……」

 

一刀の言葉に、さぁっと廊下を塞ぐ兵達が左右に割れる。

 

それは侵入者を排除しろと言われた兵にとっては、本来あるまじき行為だった。

 

が、それも一刀と恋、月が侵入者とあっては仕方無いと言える。

 

彼らは李傕・郭汜に籠絡されたとは言え、そのほとんどが元董卓軍の兵。

 

つまり、恋の実力を知っているし、一刀の噂も聞いている。何より、敬愛する元主君に刃を向けることが出来なかった。

 

「一刀さん、こちらです!」

 

月の先導で一刀たちは宮中を行く。

 

向かう先は軍議室及び執務室。

 

敵の大将がいる可能性が高いのはそこと考えての行動だった。

 

「着きました!ここです!」

 

「下がってろ、月!」

 

近接戦には向かない月を下がらせるや、一刀は音高く扉を開け放つ。

 

が、一刀の目に飛び込んできたのはもぬけの殻の室内だけだった。

 

「くそっ、いない!となると、まずいな……」

 

次に探すべき場所に考えを巡らせる。

 

自分が敵の立場であれば、こんな時にはどうするか。

 

逆算的に色々と思考し、目指すべき場所に見当をつける。

 

「月、協や弁の部屋の位置は分かるか?

 

 それと宮中のどこか、上層の部屋に普段使われていない場所は無いか?特に廊下の突当りとかだと怪しいんだが」

 

「は、はい!どちらも心当たりがあります!」

 

「よし、順番に案内してくれ!」

 

「はい!」

 

状況が逼迫してきていることは重々承知。

 

それでも、そんな中で精一杯の冷静さを保って、一刀たちは再び駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

「よ、よしっ……!着い、たぁっ!」

 

「はぁ……ふぅ……か、階段全力は、きっつい……」

 

「李傕様、郭汜様!?どうかなされましたか?!」

 

軟禁部屋の前に配置された兵が、息を切らせて駆けてきた二人に驚いて問う。

 

二人は息を整える間もなく、また質問に答えることも無く、逆に兵に問う。

 

「へ、陛下たちは、まだ中にいるわね?!」

 

「はい、おられます。先程李儒殿が来られましたが、暫し話をした後、どこかへ向かわれたようで」

 

「いるのね。なら良かった……あ、そうだ。あんた達も下、行きなさい。

 

 侵入者が出たわ。排除してきなさい」

 

「は?は、はっ!分かりました!」

 

一瞬何を言われたのか判別付きかねた様子だったが、下手に聞き返すのも今は危険と見て取り、兵は直に応じる。

 

その姿が階段に消えるのを見送ってから、李傕は軟禁部屋の扉を開いた。

 

「っ!……李傕、郭汜……!」

 

「陛下、どうかそう気をお立てにならずに。それに残念そうな顔もなさらないでください。

 

 端的に言って、今私たちは命の危機に瀕していると言えます。

 

 ですので、貴女方にも少し手伝ってもらいます」

 

と、そこまで李傕が話すと、ふとテーブルの上に視線が移る。

 

そこには用意されたまま手が付けられていない様子の茶が三組置いてあった。

 

「どうやら、李儒が来て深刻な話でもしていたようですね。

 

 どうしたのです?彼女から何か聞きでもしたのですか?

 

 残念ながら、今ここに来たのは結局、私たちです」

 

「くっ……」

 

悔しそうに歯を喰いしばる劉協。

 

その顔にはここ最近潰えたような様子だった希望というものが、再び宿っていた。

 

どうやってかは知らないが、李儒は監視の目を潜り抜けて一刀たちが助けに来たことを伝えたのだろう。

 

だが、と李傕は内心でも現実でも笑みを作り上げる。

 

(天の時はまだ私達に微笑んでいる!陛下を盾にすれば、まだ私達は――)

 

「ねぇ、李傕。ぼんやりしてる暇は無いんじゃない?」

 

無造作にテーブルの上の茶を一つ取り、呑みながらそう郭汜が言う。

 

李傕もまた階段を全力疾走して乾いた喉を潤したくなった。

 

それが陛下の為に用意されたものだとか、そういったことは既に二人には関係ないことであった。

 

「そうね。では陛下、悪いですが――」

 

「ぅぐっ……!?」

 

ガチャンと湯呑が落ちて割れる音。そして李傕の隣から苦鳴。

 

何事かと見やれば、隣では郭汜が喉を抑えて蹲っていた。

 

「ちょ、ちょっと郭、ひ――ぅ、ぁ……?!」

 

突然の親友の変貌に何事かと覗き込もうとした瞬間、李傕もまた郭汜と同じような状態に陥ってしまう。

 

息が苦しい。口が、手が、思うように動かない。

 

それは断じて疲れから来るものなどでは無い。

 

李傕は徐々に酸素が足りなくなっていく頭で一つの結論に達する。

 

「ほ、ほえは……」

 

「えぇ。毒よ」

 

「い、いう……」

 

最早、李傕の口からは明確な言葉が出てこない。

 

蹲る二人を見下ろしていたのは、去っていったと報告を受けたはずの李儒であった。

 

「やっと……やっとこの時が来たわ。長かった……

 

 貴女たちは好き勝手にやり過ぎたの。でも、もうこれでお終い」

 

「ぅ…………」

 

「精々、陛下に懺悔しながら――って、もう息絶えたの……ふぅ……」

 

溜め息を一つ吐いてから、李儒は改めて劉協と劉弁に向き直る。

 

その表情は、何かしらの決意に彩られた凄絶なもの――に劉協と劉弁には見えた。

 

「陛下……長らくご迷惑をおかけしてしまいました……

 

 直に、御遣い様と月様がここに来られるでしょう。ですので……」

 

ツイッと視線がテーブルに走る。

 

その意味を劉協も劉弁も察することが出来なかった。

 

だからこそ、次なる李儒の行動に、咄嗟に動くことは叶わなかった。

 

「後のことは……よろしくお願いいたします」

 

言い終えるや、李儒はテーブルに残ったもう一組の湯呑を掴む。

 

そして、そのまま、それを口元に運ばんと――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……くそっ、とことん外れ、かよっ!」

 

「はぁ……ふぅ……す、すみません……」

 

「いや……ふぅ……月のせいじゃ、無い」

 

「……一刀、落ち着く」

 

「……はぁ……ん、そうだな」

 

階段を駆け上りつつ、一刀は愚痴る。

 

軍議室、執務室、協の部屋、弁の部屋。

 

一刻を争うこの状況下で何か所も回って、その悉くを外してしまった。

 

正直に言って、かなり拙いことである。

 

恋から指摘され、かなり焦ってしまっていたことに気付き、自制をかける。

 

とにかく、今は急ぐしかない。

 

最後に月に案内してもらっているのが、宮中上層の一部屋。

 

劉協たちの監禁乃至軟禁場所、その最後の可能性の場所だった。

 

階段を駆け上り、廊下を駆け抜け――――

 

「こ、この先にっ!」

 

「よしっ――っ!?」

 

視界前方、廊下の突き当りの扉が開け放たれている。

 

その先には一刀でも驚くべき光景が広がっていた。

 

陶器の破片が散らばる床に見知らぬ人物が二人、転がっている。

 

そしてそのすぐ側に立つ人物が一人、李儒である。

 

部屋の左に向き、佇んでいる。

 

協と弁の姿は見えない。が、李儒の口が動いていることから考えるに、二人と話しているのか。

 

と、突然李儒は背後を振り返ると、テーブル上の湯呑に手を伸ばした。

 

「っ!!月!李儒を撃て!」

 

「えぇっ?!ど、どうして――」

 

「いいから、早く!手を狙え!」

 

「は、はいっ!?」

 

一刀の気迫に押され、月はその場で足を止めて十文字を構え、狙いを付ける。

 

僅かの後、軽い音と共に矢が放たれた。

 

それは真っ直ぐに宙を飛び――

 

「きゃぁっ?!痛っ……!」

 

狙い過たず、見事に命中した。

 

矢に撃ち抜かれた李儒の手からは力が抜け、湯呑が落ちる。

 

ガチャンと音を立てて壊れ、中身の液体を飛び散らせた。

 

「李儒!動くなよ!はぁっ!!」

 

言葉を掛けずとも、突然己の身に起こったことに驚いていた李儒には、一刀の行動に反応することは出来なかっただろう。

 

一刀は李儒の足下、前面の服を切り落とす。

 

それは、湯呑に満たされていた液体が掛かった部分であった。

 

「ぁ……御遣い、様……」

 

「ふぅ……李儒さん、貴女の話は後で聞かせてもらいます。

 

 ですが、一つだけ確認を。この二人は李傕と郭汜、であってますか?」

 

「……はい、そうです」

 

足下に転がる二人を示し、確認を取った。

 

それにより、ようやく今回の作戦の終了が確定する。

 

そして状況を見てこう付け加えた。

 

「毒、か……

 

 嫌な予感がしたから一応止めたわけだが、正解だったみたいだな。

 

 李儒さん、この辺りの説明も後ほど。

 

 ……恋、李儒さんを連れて、少し外に出ていてくれないか?」

 

「……ん」

 

恋は頷き、李儒を抱え上げる。

 

色々とあって腰を抜かしてしまった李儒は、大人しく恋にされるがままであった。

 

恋が外に出て扉を閉める。

 

それからようやく、一刀は部屋に残った二人に顔を向けた。

 

「すまない、協、弁。

 

 来るのが随分、遅くなってしまった」

 

「かず、とっ……っ……」

 

劉協は震え気味の声を振り絞り、皇帝然とした態度を取らんと頑張ろうとする。

 

「協」

 

中々それが叶わない中、劉弁が軽くポンと劉協の肩を叩いた。

 

「もういいのよ、協。もう、いいの……」

 

「お姉、さま……お姉ちゃん……」

 

劉弁が何を言いたいのか、劉協には分かった。分かってしまった。

 

だからこそ、最早劉協の涙腺は耐える力を保つことが出来なかった。

 

「一刀……一刀ぉっ……

 

 うぅ…………うあああぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 

一刀の胸に縋り付き、涙を隠すことなく泣きじゃくる。

 

劉弁も縋り付きこそしないが、その瞳に光るものを湛えていた。

 

「ごめんな、協、弁……ごめん……」

 

多くの言葉は掛けられない。

 

今はただ、劉協が落ち着くまで、こうして頭を、背中を撫でてやることしか、一刀には出来ない。

 

 

 

 

 

たっぷり十分もした頃、ようやく劉協も落ち着きを取り戻す。

 

それを見てから、一刀は屈み、目線を合わせて問うた。

 

「協、一つだけ聞く」

 

「な、何じゃ?」

 

「今回は運悪く、こんなことになってしまった。

 

 が、もし魏から信頼のおける者を派遣したとして、それでもまだ、協はここで政を執り続けられるか?」

 

「っ!私は……違う、朕は……」

 

言い淀み、目線を逸らす劉協を見れば、答えは十分だった。

 

一刀は劉協が明確に答えを出す前に再び口を開く。

 

「協。弁も。許昌へ行こう」

 

否定の言葉は、返ってこなかった。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
23
2

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択