No.769371

DarkandRed ~ 朝のこない夜のなか 五章

今生康宏さん

五章です。実際ペドい

2015-04-06 21:32:45 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:263   閲覧ユーザー数:263

五章 被保護者は、5歳の少女

 

1

 

 シゾノはあらゆる武器を使い捨てる。どれだけ高価な重火器であったとしても、全弾を撃ち尽くすか、役目を終えるかすれば投げ捨てた。そのため、武器を貯蔵するためには大口の仕事を受け、大金を得る必要がある。

 今となっては彼女のねぐらは、多くの末端の会社員が住む安マンションだった。そこにはもう事務所的なスペースはないが、彼女への依頼は手紙で届く。わかりやすいように、殺すべき相手と、その場所。指定があるならば襲撃の時間。後は支払う金額だけを記した、一枚の紙だけで彼女は動いた。

 この時代においても、電子メールを用いないのはシゾノが理解できないためで、手紙を送るにしても、複雑な指示は避けていた。どうせ理解できないと思われているからだ。

 ただ、実際のところはそこまで彼女は理解力に乏しくはない。多くの依頼者が、狂人だというだけで知能を低く見過ぎているのだ。彼女は二十歳の若い女性。幼子ではないし、ましてやボケた老人ではない。相応の知力は備わっているのだ。

 そんな依頼人の認識はともかくとして、彼女への依頼は一向に途絶えない。引く手あまたとはこのことだ。どんな殺人でも文句を言わずにこなし、目撃者もそれを邪魔する人間も根絶やしにし、かつ本人は一切の秘密を漏らさない。そもそも狂っているのだから、まともな会話は成り立たないと誰もが思っている。

 これだけ都合のいい殺し屋は他におらず、この街の誰もが彼女を欲している。それでいて、彼女を自分達の専属ヒットマンにしよう、と考える人間は誰一人としていないのだから面白い。

 所有してしまえば、こちらが標的にされることはありえないのに、彼女を敵に回すリスクを背負うことになるとしても、彼女を囲いたがらないのだ。それはただ、あまりにも危険過ぎるから。今はまだ仕事で動いているが、銃を持った狂犬をすぐ傍においていて、突然暴れ出したそれが主人を撃ち殺さないと、どこの誰が保証できるだろう。

――誰もできない。だからこそ、あくまでシゾノことエンピレオは一時的に雇い、殺すべき相手を殺させるだけに留めている。

 だが、世の中には常識知らず、あるいは怖いもの知らずの豪胆な人間がいる。それはすなわち、スウェーのことだ。彼女はいかなるエンピレオであろうとも、生物である限りは扱いきれると信じている。だからこそ、手紙を出したのだ。

 

『決着を付けましょう。日取りは――――』

 

 三週間後の深夜だった。場所はかつてゴトウ事務所のあった、現在の廃墟だ。その場所で、スウェーはエンピレオを手に入れるのだと書いて寄越した。彼女はシゾノを殺すのではなく、仲間に引き入れようというのだ。どれだけ危険な犬でも、調教して配下に置くことができる、と豪語して。

「殺す覚悟のない人間は、戦場では死ぬしかありません」

 シゾノは戦いの場に、いかなる宗教も哲学も持ち込まない。ただし、これだけは彼女の信じる真理だった。いつもシゾノは、敵を撃ち殺すことだけを考えている。その殺し方は考えない。とにかく、相手の命を奪う。このためだけに体を動かしている。頭は使わない。そのため、その戦いの跡は狂犬の狩りの跡と酷似して見えるのかもしれない。殺し方を選ばないのだから。

 そんな人間に、はたして生かして勝つような方法が存在するのだろうか。シゾノは、自分のことながらスウェーの宣言を客観的に評価していた。もしも自分の動きを止めさせることができるのならば、確かにその相手には仕えてもいい。そう考える。

 彼女がゴトウと共に。そして、事実上は妻か妹のように振る舞っていたのは、彼への愛情のためだ。彼に強さはなかったが、シゾノはゴトウを心から愛していた。だが、シゾノはスウェーに愛情を抱いてはいない。むしろ憎悪を持っている。そんな彼女にシゾノが懐くとすれば、圧倒的な力を見せた時だけだ。そして、既にシゾノはスウェーに失望している。不意打ち気味ではあったが、マコトにあれだけの傷を付けられた人間を、そう高く評価することはできない。

 マコトもまた、シゾノが愛する人間だ。しかし、彼女にもまた強さはない。もちろん、一般人や半端なマフィアに比べればずっと腕が立つ。人を殺す覚悟もあった。今は形を潜めていても、スウェーだけは殺すつもりでいただろう。それでも、やはり彼女は凡人だ。センスと運動能力には限りがある。得物は違えど、自分の敵ではないとシゾノは考えていた。

 そんな相手に、スウェーはかなり動揺させられていた。一度の負傷ならまだしも、矢継ぎ早に最大の武器である手も傷付けられ、下手をすれば片手を失い、彼女が武器とする己の腕は片方失われていた。銃を使い捨てるシゾノとは違い、その損失はあまりにも大きい。そんな危険な綱渡りをしてしまうような相手なのだ。

 既に最低の評価を下している相手が、自分を打ち負かす?その心づもりでいるのは、狂人にとっても面白いことだった。まるで決闘でもするかのように書かれているが、そのようなことはまずない。部下の数は多いのだから、半ば人海戦術のようなことになるだろう。それが戦術的に見て効果的なのかはともかくとして、多くの人間を撃てるのはシゾノとしても嬉しい。

 わずかな期待をしてその日付を書き出し、別な手紙に目を通し始めた。嘆かわしいことに、未だにシゾノがやるような仕事ではない、馬鹿な依頼もやって来る。二通目もそうだった。人捜しだという。こういう仕事はマコトがするべきことだ。今は彼女が入院しているので、誰もすることができない。

 そもそも、もうゴトウ・エージェンシーはなくなった。シゾノが個人で仕事を受けているのだから、殺人以外の依頼など本来は来るはずがないのだ。それなのに、まだマコトもいる気分で、彼女の人脈を活かすような手紙が何通だって寄越される。さすがのシゾノも、これには少し腹が立ってきていた。依頼者を殺して黙らせてしまいたい気さえするが、一人が依頼しているのではなく、全てバラバラなのだからどうしようもなかった。あまり多く殺し過ぎてしまうのはよくない、とはシゾノでも考えている。

 次の手紙。手頃な仕事だが、より払いのいい仕事はあるはずだ。保留。次も同様。その次も同じだった。

 シゾノは仕事をやる気になれば、時間の指定があるならばその時、指定の場所に現れ、やる気がなければ無視をする。特に期限などがないものは、気まぐれにやったりする。そして、殺害が終わったことに気付いた依頼者は、報酬を郵便で送る。電子的な手段は一切用いない。

 もしも報酬を踏み倒すようなことをすれば、シゾノに殺され、あり金を全て奪われるだけだ。彼女が手に入れられない場所にカネを隠していても、依頼人はどの道殺される。報酬の回収率は非常に高く、それでも踏み倒そうとする無謀者は、残らず血祭りにあげられていた。

 何通目かの手紙。今日は特別多かったが、日に平均して七通は来ている。それだけこの街には、死を望まれている人間が多いということか。

「どうして、こんな手紙が」

 それは、殺しの依頼ではない。かといって、筋違いな通常の依頼の手紙でもない。ある人物に宛てられた、純粋な手紙だった。死を運ぶ紙切れではなく、心を乗せた一枚の便せんである。それは恋文や、文通か何かの手紙ではなく――ある人物への心からの手紙だった。

 シゾノに個人的な手紙を送る人物などいない。彼女は一人でこの街に来た。誰にもそれを知らせてはいない。必要がないので他人に話したことはなかったが、彼女の家族は彼女がこんな街にいるとは想像することもできないはずだ。ましてや、彼女が人を殺さなければ生きてはいられない、狂った殺人鬼になっていたことなど、知るはずもない。

 温かく、切ない手紙を最後まで読み、シゾノはそれを焼くことを決めた。本来、この手紙を受け取るはずだった人物の住処も、焼けていったのだ。だが、この手紙を読んだことにより、彼女は知った。自分の家族となった人物にも、本当の家族がいたことを。彼の死はこれからも、彼の家族に伝えられはしない。これから、何通だって手紙が届くのだろうか。今はいない人物に向けて。

 いや、それよりもどうしてこの手紙が、わざわざシゾノの新たな家に届けられた?普通ならば、事務所がなくなった以上、配達は不可能であるものとして処理されるはずだ。生前に関わりがあった人物の家を探し出し、そこに配達をするだなんて、あまりにも親切過ぎる。そこで、これが正規の方法で配達されたものではないとわかった。ならば、シゾノを煽るための作り物か?やけにまだるっこし過ぎる気もするが、スウェーがしてもそうおかしくはないだろう。実際に彼女は、まだるっこしいやり方でマコトを追い詰めようとしていた。

 いずれにせよ、シゾノがこの手紙に対して起こすアクションは一つしかない。焼き捨ててしまう、それだけだ。本物であったとしても、このまま保管しておく訳にはいかない。彼の遺品が一つもなく、この世から完全に消え失せてしまったようになっている以上、後からできた彼の存在の証拠も、やはり消し去らなければならない。そうしなければ、マコトは。そしてシゾノもまた、過去しか見つめられない。そう彼女は考えていた。

 自分の頭が紡ぎ出す思考が、必ずしも正しいものではないと、彼女自身が一番よくわかっている。だが、マコトに確認することもなく、手紙は処分した。紙が完全な灰になったことを確認し、火を消す。最後の煙が灰色の空に同化し、消えたのを見て、彼女はどうしてだろうか。溜め息をついた。

2

 

 シゾノは、かつてゴトウにこう言われたことを覚えている。

 「お前は吸血鬼みたいだ。昼間はずっと寝ていて、夜にだけ活動する。そして、その肌は白くて、あまりにも美しい」

 あるいはそれを聞いたのがマコトであれば、時代遅れの古い褒め方だ、と一蹴していたかもしれない。彼女はゴトウに懐きながらも、ネコのように付かず離れずの距離でいた。ついつい悪態をついてしまっていたことだろう。

 だが、シゾノの場合はそうはいかなかった。彼女は今まで、化粧は犠牲者の血でしかしたことがない。入浴するとは、その血を落とすための行為であり、体のキレを再び取り戻すためだけの行動だった。体を着飾る必要はないから、常に飾り気がなく実用的なアーミージャケットをまとい、誰もがその姿には恐怖を覚えた。

 それなのに、何の力もない男はシゾノの容姿を褒める。彼女に女性的な魅力を認め、美しさを人外にたとえた。そのことがただ嬉しく、彼女は様々なものごとを“必要ないから”忘れていく中で、ひと時たりとも忘れずにその思い出を抱きしめていた。

 今、彼女は記憶し続けられていたことに感謝していた。たとえそう言ってくれた人物がいなくなった今でも、記憶がある限りはその存在を感じていられる。それでいて物質的な存在の証拠ではないから、それに囚われてしまう危険も少ない。

 深夜から夜明けへと移り変わる街の空気は、淀んでいるはずなのにどこか神聖なようで、澄んでいるように思える。その中でシゾノは事務所があった頃の、黄金の時代を回想していた。今はもう、決して戻らない。それゆえに光り輝いている時代だ。

 マコトが獣じみて街を駆けたのに対し、シゾノはゆったりと歩く。この街に脅威がなく、むしろ一瞬で走り抜けるのではなく、こうしていた方が獲物に出会いやすいと知っているからだったが、同時にこれは思い出に浸るのにも役立った。彼女ら三人は、その関係を家族であると呼ぶのに躊躇がない。ただし、三人で連れ立って街を歩いたことなどはなく、必ず一人で歩いた。

 特にシゾノは、夜間だけ仕事をする。オフィスが消灯し、飲食店が閉店し、二十四時間営業のコンビニのみが明かりを放つ街を、ただ一人きりで歩く。踊るような軽やかな動きに見えたかもしれないが、常に胸の中に銃器を抱いている。そのことは誰もが知っていて、ゴトウも重々承知だったが、いつか彼女と共に夜の街を歩きたい、そう言ったこともまた記憶している。

 さすがに彼も人間である以上、夜は休んでいたが――今になって思う心残りは、彼と歩くことが遂に叶わなかったことだ。いつか必ず、そう遠くはない内に別離は来ると誰もが理解していた。それなのにも関わらず、その日が明日か、数時間後に来ると覚悟することはできなかった。そのため、今でもシゾノは同じ道を歩き、同じ廃墟の前に来るのだ。

 その場所には、三週間後に来るように決められていた。だが、そのように指定されずとも、必ず彼女と仇は、この場所で邂逅を果たしたに違いない。お百度参り、などというものが彼女らの国にはあるが、彼女は実際に百回でも。二百回でもこの場所に通うつもりでいる。宗教を持たない彼女は、死んだ者の魂が消えるとも、天に昇って転生をするとも考えていない。今でも、生前に最も縁の深かった場所に残り続けている、そう考えている。

 シゾノがマコトの過去を知らず、マコトがシゾノの過去を知らないように、二人の殺し屋はゴトウの過去を知らない。彼にとって、ここよりも大切な場所があったのかもしれないが、シゾノはそこを捜し出すことができない。あの手紙の送り主のいる場所が、そうだったのかもしれないが……やはり、シゾノはこの街を離れることなどできない。既に彼女は、この街の狂気の一部だ。彼女の意思だけで、自由に街を離れることは叶わない。

「……子ども?」

 初め、その存在は薄暗い世界と同化していて、はっきりとその姿を認めることはできなかった。小柄なシゾノよりも更に小さい……いや、あまりにも小さすぎるシルエットだったため、きちんと姿を見るまでは人だとすら思えなかったのだった。しかし、近付いてみると確かに人で、まだほんの五歳程度の少女に見える。黒髪と黄色の肌が示すのは東洋人であるということだ。

 東洋人の子どもはそう珍しくはない。この街で子どもを産んだ家族の子だ。ただし、時間があまりにも不自然過ぎる。

 スウェーの罠かもしれない。彼女は今日、決戦の日時を指定して来たが、あえてそのタイミングのこの場所に罠を張り、シゾノを仕留める算段なのでは?――彼女ならば十分にありえるように考えられる。それでも、シゾノはあえてこの子どもをそのまま放っておくことをしなかった。

 少なくとも周囲に殺意を持った人間がいないことは、本物の殺人者である彼女にはなんとなくわかった。この子どもも、なんらかの兵器を持っている様子はない。

「どうしました?迷子ですか」

 狂った殺戮者は、微笑んでいた。彼女は滅多に表情というものを作らないが、子どもにだけは別だった。彼女は子どもを心から慈しむからだ。

 仕事の中で殺した子どもは数知れない。それが仕事であり、自分が殺しを続けるためにしなければならないのならば、小さな子どもの胸も、容赦なく撃ち抜いて来た。とはいえその度に彼女は、自らの胸を撃ち抜かれるのと同じほどの痛みを味わってきた。そのつもりだ。

 シゾノは。殺戮者は、人の命の最果てにいる。彼女らは予測できない死を理不尽に与え、命に終わりを与える。そんなシゾノと対極の位置にいる存在は、生まれてからまだ多くの時を生きていない、子ども達だ。彼らには大人よりずっと多くの時間があり、可能性がある。マコトのように闇へ足を踏み入れる子どももいるが、幸せな世界を行く子どもも多い。

 多くの人の命を奪っていることの、罪滅ぼしだなんてシゾノは考えてはいない。しかし、彼女は事実として子どもを可能な限り生かし、愛し、自分の生きられなかった“もしもの明日”を託そうとしている。だからこそ、彼女は小さく微笑み、目の前の幼い子どもに手を差し伸べた。

「おねえちゃん、いい人?」

 対する子どもの表情は、決して明るくはなかった。

 彼女は、幼いながらに知っているのだ。人の生き方と、人間自体の性質には善と悪の二種類がある。そして、この街は後者の人間の割合が高いということも。だからこそ、彼女は悪から身を守り、善に助けを求めるため、そう質問をする。本当の悪人が、自分がそうだと名乗るかはともかくとして、子どもの頭で思いつく最大限の自衛策だろう。

「……私という人間がいい人なのか、その判断を自分自身で下すことはできません。ですが、私はあなたの力になりたい、守ってあげたいと考えています」

 シゾノはほんの小さな少女に、負い目を感じてしまっていた。今までは人を殺しながら生きていることに、疑問も引け目も感じたことはなかった。自分は究極の消費者だ。物や動物だけではなく、人すらも消費して生きていかなければならない。そして、それを可能にするだけの力と、狂人の心を持っている。そう信じていた。

 それなのにも関わらず、今夜の彼女は初めて、後ろめたさを胸に抱いている。少女の暗い色の瞳に、それよりももっと暗い、己自身の過去が。罪の数々が映し出されては、血の色に覆い尽くされていく。そんな気がしていた。

「おねえちゃんは、いい人じゃないんだ」

「……あなたは、賢いですね。そうです、こんなことを言う人は、いい人な訳がありませんね。あなたに全ての判断を投げてしまったんです。弱くて、卑怯で、情けない。下の下の人間です。善悪以前の問題で、私は人並みの人ではないんです」

 少女にこんな難しい言葉は伝わらないだろう。だが、彼女は自らのために告白した。

「でも、おねえちゃんしかたよれないから。おねえちゃんしかいないから」

 少女は妥協をした。

 シゾノはやはり、この少女はただの子どもではないのだと確信する。彼女は、幼くても立派なこの街の人間だ。それも、決して表の景気のいい話が飛び交う、輝かしく見える世界ではない。彼女と同じ、血と闇の世界の仲間なのだ。そうでなければ、この幼さでここまで“賢明”ではいられない。

「わたし、おかあさんがいないの。だから、たすけて」

「はぐれたのですか?それとも……」

「どこかにいっちゃった」

 彼女が言うそこは、天国なのか、この現実世界のどこかなのか。いずれにせよ、もう彼女が血縁者を頼りに生きることはできないのだろう。捨て子でも孤児でも、この街を一人で生きていけはしない。孤児のための施設などはなく、冗談のような話だが、身寄りのない子どもはマフィア辺りに拾われ、売り飛ばされるか、組織の手先として使うため、殺しの教育が施される。シゾノは詳しい事情を知らないが、スウェーなどはそうして育ったのだろう。年齢に対して、能力があまりにも高過ぎるからだ。

 ならば、シゾノもその慣例にならい、彼女をカネに換えるか、自分の技術を教え込むか。あるいは彼女がこれからもしたたかに生きることを期待し、このまま別れるか。いずれにせよ、決断しなければならない。

「では、私にお願いしますか?ちょうど、私は人のお願いごとを聞く仕事をしています。きちんとお礼をしてくれるのであれば、お母さんを捜してあげますよ」

「ほんとう?……けど、わたし、おかねなんてちょっとしかないよ」

「お礼は必ずしもお金でなければならない、などということはありません。お礼にくれるのは、物でも心でも、なんでも構いません。それも難しいならば、“時間”で十分です。あなたが生きる時間を、ほんの少しだけ私にくれればそれで」

 この少女はどこまでも賢明だった。そして、それゆえに自分が報酬を支払うと言った。再会した母親が払う、などということは考えていないのだ。つまり、彼女の母は死んでいるのか、極端な貧困の中を生きているのか。どちらであったとしても、シゾノが報酬を取り立てにいくことができる相手ではない。

「どういうこと?」

「お母さんが見つかるまでの間、私の家で暮らすんです。どれだけかかるかはわかりませんし、もしかするとずっと暮らしてもらうことになるかもしれません。つまりそれは、お母さんと暮らすはずだったあなたの時間を奪ってしまうことになります。ですから、それこそがあんたの負担すべきもの。お礼です」

 意味は伝わったのだろうか。一応は頷き、表情を明るくしたことから、自分に住居が与えられるのだ、ということは理解できたのだろう。シゾノへの不信、そしてそれへの妥協の気持ちはあるにせよ、やはり彼女は温かい寝床を求めていたのだ。まだ肌寒い季節なのだから、それも当然のことか。

「おねえちゃんは、いい人じゃないの?」

「そうです。いい人であれば、こんな時間に出歩かないでしょう。私は決していい人ではありません。ですが、あなたを守りましょう。そのことを、あなたは許してくれますか?」

 少女はシゾノに近づき、頭を下げる。この街の大人がするのと、なんら変わらない動作だった。

「それしか、ないから」

 少女は賢明だった。

 彼女はどうしてだか、自分の名前を思い出せないという。別離のショックが大きかったのか、はたまた賢明な彼女がついた嘘なのか。シゾノに判断はつかなかったが、呼び名はいる。そこで彼女のことを“ミナミ”と呼ぶことにした。漢字を当てるならば“水美”である。

3

 

「ミナミ。私は、あなたのことを信用します。あなたは私を信用しなくてはいいですが、私が留守の間と、眠っている間。この家はあなたの自由にしても構いません。何もない部屋ですが、どんなことをすることも許しましょう。ただし、外に出ることと、外からの客を招き入れることだけは許しません。あなたはもう、このことの意味がわかっているから、絶対に守ってくれますね?」

 ミナミと共にマンションへ帰宅したシゾノはまず、彼女に誓いを立てさせた。彼女を守るための禁止事項を絶対に守る、という誓いだ。それを唯一無二の掟として、後は全てを自由にさせる。これがシゾノの決めた方針だった。

「うん。でもおねえちゃん、わたしといっしょにいてくれないの?」

「私にもするべきことがあります。それをやめれば、あなたをこの家に置くことはできなくなってしまいますよ。それから、そのために私は昼間、寝ています。いつも寝ているという訳ではありませんが、陽が高い内は休んでいると考えて間違いはないでしょう」

「じゃあ、ずっとおきてはあえない?」

「……あまり長い時間は。私が外に出ているのはあなたが寝ている時間ですし、帰って眠るのはあなたが起きる時間。それでも、あなたのために食事の用意ぐらいはきちんとできます。必要であれば、本やおもちゃも用意しましょう。暇な時間を見つけて、一緒に買いに行ってもいいでしょう」

 少女が言おうとしていることが、そういうことではないのだとシゾノもわかっている。それでも、彼女は毎夜、出なければならない。そしてそこに子どもは絶対に連れては行けず、できるならば何をしているかもぼかしたかった。

「おねえちゃんは、いてくれないんだ」

「それでは、不都合がありますか」

「……ううん。それでいいよ」

「賢い子です。では、私はそろそろ眠りましょう。朝ご飯は用意しておきますので、必要であれば温めて、好きな時間に食べてください」

 朝食の用意などと言っても、シゾノに料理を作るような能力はない。おもむろに食パンをトースターにセットし、それを適当な時間で焼く。後はジャムをべたべたと塗り付けてそれで終わりだ。その全てがシゾノらしくない緩慢さで行われたが、彼女の眠気は既に限界だ。殺戮で疲れた訳でも、慣れない子どもとの問答に神経をすり減らした訳でもなく、彼女は朝が来ると眠らなければならない体なのだ。だからこそ、ゴトウは吸血鬼にたとえたのだろう。

「おねえちゃん、ねちゃうんだ」

「あなたも眠りたければ、どうぞ。布団は一枚しかありませんので、私と一緒になってしまいますが、かなり持て余している布団ですので、問題はありません」

 アーミーコートを脱ぎ、内に着ていたブラウスを寝巻き用のものに着替える。それから、また別の、しかしデザインは全く変わらないコートを着込む。そうしてシゾノは、自らの寝床へと潜り込んだ。服の洗濯や体の入浴は全て、起きてから済ます。脱いだ服は中の銃器ごとそのままだが、ミナミがいじることの心配などしていない。扱えないと考えているし、彼女の賢さを信頼し、暴発事故など起こさないと思っているからだ。

 まもなく小さな寝息が漏れ聞こえるようになり、シゾノが熟睡したことがミナミにもわかった。

 彼女があんな時間にあの場所にいたのは、一人で街を徘徊する内に疲れ切って眠ってしまい、起きてすぐに慌てて安全そうな場所を探していたためだ。ともかく、まともな人が住んでいそうな場所を探そうとしたのだが、偶然にも廃墟へとたどり着いてしまった。そこで出会った人物がシゾノであったのは、恐らくは幸運な偶然であり、彼女以外に出会っていたならば、どうなっていたか知れない。

 そのことを思うと恐ろしくなったが、ともかくミナミはすぐに彼女をどうこうしようとはしない大人に出会い、食事まで与えられた。空腹であったため、深くは考えずにこれを食べ、しかし体が酷く疲れていることに気付いた。睡眠はたっぷりと取ったはずだったが、まともな寝床はなかったし、深夜から早朝という子どもには辛い時間を起きていたのだ。睡魔も襲いかかって来る。

 ミナミはふらふらと、夢遊病患者のようにシゾノのベッドへと近づき、潜り込む。深い眠りに落ちている彼女は、ミナミの侵入には気付かない。ほとんど反射のように少女は大人に抱きついて、その感触が異様であることに気付いた。

 まるで鋼鉄でできたロボットを抱いているようだ、と絵本の中の空想とないまぜになった感想を抱く。だが、彼女は間違いなく生身の人間であり、ならば、コートの中身がおかしいのだ。その中に入っているものは――数多くの銃器。彼女は眠る時ですら、凶器を胸に抱いているのだ。いや、眠る時だからこそ、自らの体を武器に預けている。襲撃に遭えば、すぐにでも発砲、応戦ができるように。

 それに気付いたミナミは、知るべきではないことを知ってしまった、と後悔した。シゾノは見た目こそ普通。いや、この街に不釣合いなほど華奢で、優しげだが、この街の住人であることに違いはない。むしろ、抱き心地が変わるほどの火器を鎧のように身に付けているのだから、相当に危険な人物であると想像できる。

 すぐにベッドから逃げ出したくもなった。ただし、ここを出て行ったとしてもミナミに行き場などない。一度は妥協をした以上、この大人を頼って生きるしかない。……何度目だろうか。ミナミはまた妥協し、意識を闇の底へと落とすことにした。

 今度は自らの身体を抱き、その生の感触を味わう。生身のそれは、しかしやせ細っているのが自分でもわかる。今にも折れて、死んでいまいそうな体だ。少女は自らの儚い身をそう思い、布団の温かさの中で意識と肉体を剥離させていった。後に残る体は抜け殻で、精神のみが夢を見る。めくるめく悪夢を。

 「どうか、わたしをゆるしてください」

 決まり文句を言い、意識は肉体へと回帰する。デジタル時計に映し出された現在時刻は、五時間後。もうお昼と呼ばれるような時間だ。夢を長く、長く見ていた気はするが、現実の時間もずいぶんと進んだものだ、と軽く驚く。今までは時計がない生活だったので、それを意識したことがなく、今までも長い悪夢の時は、それだけ長く眠っていたのだろうか。

 シゾノはまだ眠っている。彼女は昼食を用意することはなく、このまま夕方が来るまで眠り続けるのだろうか。ダメな大人だ、と笑う。嘲笑などではなく、むしろ彼女を愛しているがゆえの笑みだった。ただ者ではないはずだが、そう憎むべき相手ではない。そう思うのは見た目が良いからかもしれない。白い髪は神秘的で美しいし、肌も透き通るほどに白い。顔の作りもバランスがよく、今は閉じられている瞳には、豊かな知性が感じられた。

 心の美しさは見た目の美しさに出る、などということを信じている訳ではないが、彼女が短い人生の中で出会ってきた心優しい人々は、その見た目もやはり穏やかで、良い印象を受ける人物ばかりだった。その逆はやはり、粗暴で横暴で少女が関わるのは危険過ぎる人物だったと記憶している。

「おねえちゃん、おきるね」

 声はシゾノの耳には届いていても、その頭には届いていないだろう。一応、そう挨拶をしなければ決まりが悪かったので言っただけだ。

 先ほどはしっかりと見て回ることができなかったが、改めて見るとやや古いながらも、広さはそれなりにあるし、清潔ないい部屋だ。天日にさらされながらの生活に比べると、雲泥の差と呼ぶのもおこがましいほど素晴らしい部屋に見える。

 ただし、部屋を飾り立てるような家具は必要最低限であり、衣装持ちではないのか、クロゼットも一つあるのみ。他は大きなタンスが目につくが、シゾノのコートの内側を知ったミナミにはその中身が、確認せずともよくわかる。間違いなく銃器と弾薬とが満載されており、開くだけで心が荒みそうになるだろう。

 他に目につくものは――特にはない。広さはあるのに、そこに何も物がないものだから、余計に広く、寂しく見える。ただし、ベッドの近くに配置されたドレッサーだけには違和感があった。それ自体はなんら特別ではない、一般的なものだが、あのシゾノが所有しているものであることに不思議がある。ミナミは知らないことだが、彼女の以前の住居は全焼したため、なんらかの古い因縁のある物ではなく、わざわざ彼女が買ったものなのだ。

 深い意味はないが、ミナミは腰を下ろし、鏡に自らの姿を映し出してみた。

「わたし、こんなかおだったんだ」

 長く、自分の顔さえ見ていなかった。大きな鏡が見せたその表情は、想像よりもずっと穏やかなものだったが、顔は少しやつれて見えた。血色も少し悪いようだが、この家できちんと食事をさせてもらえていれば、それもよくなるだろう。ただし、髪が酷く傷んでいるのはわかった。これだけは長い時間をかけて、髪質を改善していかなければならないだろう。下手に伸ばしていたものだから、特に毛先は酷く醜いことになっている。

「かってにくしとか、つかっちゃダメだよね」

 それでも、興味半分に引き出しを開けてみると、そこには清潔で高級そうな櫛があり、思わず手に取ってみたくなった。そこらで売っているプラスチック製ではなく、天然の素材でできている。ミナミは知らないが、材質はべっ甲だ。

 どういう素材なのかは知らなくとも、褐色の輝きは少女の心をときめかせ、その歯を髪に通してみたい、そんな思いを起こさせる。だが、こんな汚い髪を通して良いものだろうか。シゾノの白く細い髪にこの櫛は似合うが、自分のようなごわごわとした髪には――そう躊躇していると、鏡に大人の姿が映った。

「おねえちゃん?」

「その櫛に興味がありますか?……思えば、お風呂もまだでしたね。頭が回りませんでした。一緒にお風呂に入って、その後は髪を梳かしましょうか」

「……いいの?」

「遠慮はいりません。――少し、髪も切った方がいいですか?専用のハサミはありませんが、それなりの腕は持ち合わせているつもりなのですが」

「じゃあ、すごくみじかくていいよ。そのほうが、かみもきれいになるから」

「そうですか。私も、ミナミは短い方が似合うと思っていました。おかっぱにしてみると、日本人形みたいで可愛らしいでしょうね」

 ミナミは東洋人から産まれてはいるが、日本の地も、その文化も知らない。おかっぱや日本人形という言葉に馴染みはなく、いったいそれがどういうものなのかも、なんとなく想像してみることしかできなかったが、きっといい物なのだろうと思った。

 浴室はさすがにそう広くはなかったが、小柄なシゾノと小さなミナミであれば、特に問題はなく入浴することができる。シゾノは丁寧に少女の髪を洗い、体も磨き上げるようにして泡まみれにし、浴槽に二人で浸かった。西洋風の入浴が普通であるこの街で、このスタイルは一般的ではない。ミナミにとっては初めての経験だったが、あまりの気持ち良さに目を細め、そのまま眠りに就きそうだったのを、シゾノに優しく起こされた。

「ミナミ。二度寝をしたければ、してもいいですよ。私もこの後、もう一度寝るつもりですので」

「……うん。ねようかな」

「お互いに疲れましたね。ゆっくりしましょう」

 ミナミが見たシゾノの体は、本当に真っ白で傷ひとつなく、人間であることを疑いそうになるほど美しかった。体付きも、服越しに見るよりも肉感的で、胸も女性らしく膨らんでいる。決して大きくはないが、上品なバストだと思った。

「ここぐらいまで切りますね」

「うん。それでだいじょうぶ」

 入浴の後は、散髪だ。本来は逆の順序の方がいいのだろうが、まずは髪を洗ってしまわなければ、散髪もままならなかった。

 シゾノが散髪に用いたのは、工作用や手芸用のハサミではなく。そもそも、ハサミですらなく、一本のナイフだ。刃が研ぎ澄まされてはいるが、果たして本当にそんなもので髪が奇麗に切れるのだろうか。さすがに疑っていたミナミだったが、驚くほど素早く的確に、ナイフは髪を切り分けていく。

 すぱりすぱりと、まるで小枝をよく切れる刀で切り落とすかのように切れる髪を見ていると、もしかするとシゾノは、人の体もこんな風に刻んでいるのだろうか、と心配に思った。彼女が使うのは銃器だが、一応はナイフも携帯しており、事実として人を斬り殺したこともあった訳だが、その時は急所を一撃で斬り裂いていたので、このように複雑な切り方をしたことはない。銃器以外での殺人は彼女にとって、なんの楽しみでもないのだ。

「どうですか。中々に上手くできたと思いますが」

「うまいね、おねえちゃん。すごくいい」

「ありがとうございます。私もすごく可愛いと思いますよ」

 髪は肩にかからないほどまで切られ、前髪はいわゆるぱっつんにされ、伸ばしっぱなしの頃に比べると、ずいぶんと清潔に少女らしい髪型となった。多くの髪が切り落とされ、ずいぶんとゴミが出てしまったが、元々シゾノは生活の中でゴミを出さない。二人暮らしをし、こんな風にゴミを増やして、やっと人並み程度の量だ。

「では、髪を梳きましょう。この櫛は、髪に入れれば入れるほどツヤが出ると評判なんです。私はあまり熱心にはしないのですが、ミナミは髪の量も少ないですし、念入りにしてあげますね」

 褐色の櫛が、純黒の髪へと通される。少し湿っているためか、抵抗も少なく櫛は入り、毛先の方へとすんなりと歯が流される。また根本に通し、毛先へと。また同じように――しつこいほどに同じ動きが繰り返されると、まるでウィッグを被ったかのように見事な黒髪がそこにはあった。

 やはり根本的な髪質の悪化は隠せないが、それを除けば見事に整い、電灯の光を受けて黒がきらきらと輝いている。夜空の星の瞬きを思わせるほどに美しく、そんな髪に彩られた顔もまた、血色は悪いのにずいぶんと整ってかわいらしく見えた。シゾノが思わず息を呑み、笑顔を見せるほどだ。

「今のミナミ、最高に可愛いですよ。なんだか、私の幼い頃を思い出します」

「おねえちゃんも、むかしはわたしみたいだったの?」

「ええ。初めから髪が白かった訳ではないので、そっくりと言っても過言ではないですよ。……なんて、私と一緒にするなんて、ミナミに失礼ですね。ミナミは私よりずっと可愛くて奇麗です」

 シゾノの顔はミナミの頭に隠れ、よくは見えなかった。彼女は切なげな顔だったのか、むしろ幸せそうな顔だったのか。後者ならば嬉しい。そう思いながらミナミは微笑を作り、二人はまた同じベッドで同じ布団を被って眠った。今度の眠りは深く、幸せなものだった。


 
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