No.723201

Little Challenger (下)

coilcoilsさん

過去作品

2014-09-28 02:07:22 投稿 / 全18ページ    総閲覧数:458   閲覧ユーザー数:456

#6 私の居場所

 

 

ジュピター解散後も冬馬は961プロに籍を残していた。

黒井社長の情けで翔太と同様にトレーナーを務めていたが、練習生への当たりが厳しすぎる冬馬は内外から不評を買っていた。

実は、冬馬は解雇寸前だったのである。

 

「冬馬。生徒を持たないトレーナーをいつまでも在籍させているわけにはゆかないんだ。分かってくれ……」

管理職の者が冬馬に告げた。

「待ってくれ。黒井社長と話をさせてくれ」

「しかし……」

冬馬自身も自分が置かれている状況を理解していた。

彼には考えがあった。

 

「何の話かと思えば馬鹿馬鹿しい」

黒井は冬馬の提案を一蹴した。

「何故961にプロデューサーが必要なのだ?

 そんな他人の助けが必要な者など不要だと言っているだろうが」

「それじゃ駄目なんだよ」

冬馬は反論した。

「961プロのアイドルが自立した人間であることは大前提だ。

 でも、それじゃ自分の限界を本人が決めてしまうことにはなっちまう。

 俺はおっさんの言うとおりコロシアムで優勝を果たしたけど、でも俺達にはそれ以上の目標が無かった……」

「今更言い分けなど聞かん」

「確かに961の看板に泥を塗ってしまったけど、だから、次の世代には俺達ができなかったことを成し遂げさせたいんだ」

黒井は暫く考え込んだが、面倒くさそうに冬馬の提案を呑むことにしてみた。

「フン。いいだろう。ただ、結果が出なければ……」

「分かっています」

黒井は冬馬のプロデュースを許可した。

間もなく961プロ内部で冬馬が専属プロデューサーとなる候補生の募集が内示された。

しかし冬馬の悪評が知れ渡っていたこの状態で立候補者はいなかった。

 

 

――締切日

 

立候補者は事務所の一室に集合することになっていた。

冬馬と管理職の者以外に誰も居ない会議室。

「おい、冬馬、立候補するアイドル候補生が来なかったらどうする気だ?」

「来る」

冬馬はこの一点張りだった。

 

締切時間間際、一人の少女が息を切らして会議室に滑り込んできた。

「す、すみません、お、遅れちゃいました」

「待っていたぞ、かすみ」

「えへへっ」

「しかし遅かったじゃないか」

「階段が長くて……」

「はぁ? ここ何階だと思ってるんだ?」

「だって、エレベーターに『関係者以外使用禁止』って……」

「アホか!」

馬鹿正直は姉に似たのである。

 

管理職の者は滞りなく事務手続きを進めた。

「なぁ、冬馬君、彼女、大丈夫なのか?」

「当然だ! ……多分な」

管理職の者は書類を確認すると会議室から出て行った。

 

「えへへ、これで私も『関係者』ですね」

「いや、『主役』になるんだよ、かすみ」

「それってエレベーターに乗れるんですか?」

「当たり前だ。しかし明日からはエレベーターじゃなくてジェットコースターみたいなレッスンが始まるぞ」

「は、はい!」

 

 

しかし、二人に与えられたのは、もともと物置に使われていた小部屋だった。

「な、なんだここは……」

辺りには小道具が散乱していたが、かすみは黙ってそれらを片付け始めた。

「……そういうことか」

冬馬は961プロにおける自分の立場を理解した。

 

 悪くねぇ。ここから這い上がってやればいいのさ。

 

「おい、かすみ。それは俺が持つからお前は床を拭くんだ」

「うん」

かすみはトコトコと床をモップ掛けしていった。

冬馬が邪魔になる荷物を部屋の端に積み上げ終えると、かすみにトレーニングウェアに着替えるよう指示した。

「なんだそれは?」

姉のお下がりだった。

ボロボロで袖にはやよいが長年765プロで流した汗が染み付いていた。

「まぁいい。何だって一緒だ」

冬馬はかすみを部屋の真ん中に立たせた。

「ねぇ、プロデューサー」

「何だ?」

「こんな狭い部屋でダンスして大丈夫なの?」

冬馬はかすみの背中をパンと叩くとかすみを叱り付けた。

「ふざけるな。お前、自分が下手糞なのを部屋の所為にする気か?」

かすみは下手糞と面前で言われ俯いていた。

すると冬馬はまたかすみの背中を叩いて姿勢を正させた。

「先ず姿勢だ。お前はダンス以前なんだよ。暫くそこで立ってろ」

かすみは数秒間ほど呆と立っていると、冬馬が声を荒げた。

「駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!

 そんな顔してどうする!

 前を見ろ。もっと挑発的な顔をしてみろ。

 ほら、首が前に出てるぞ」

 

その日のレッスンは、ただ数秒立つだけの部分で終わった。

かすみは冬馬が求める高い要求に当惑したが、それでも完璧にこなそうと喰らいつこうとした。

 

「ありがとうございました!」

かすみは姉のように深々と頭を下げた。

「けっ、結局今日は何にもできなかったぜ」

冬馬はそう悪態をついたが、かすみにはずっしりと手応えがあった。

ジュニアクラスでは、アイドルらしいことをしていただけで、結局何も教えていなかったのである。

 

薄暗い二人のレッスン場には、小さな窓ガラスからかすかに光が挿していた。

この小さな物置から二人の活動が始まった。

 

 

まだ幼いかすみに対して冬馬の課したレッスンは容赦のないものだった。

冬馬のかすみに対する異常な厳しさに、興味本位で見学しに来た者は必ず嫌気をさして途中で帰っていった。

 

狭い物置部屋には二人の熱気が充満していた。

 

「痛っ!」

冬馬は刺し棒でかすみの指を弾いた。

「指先まで集中しろ!

 指先がだらしないから全体の線が崩れるんだ!」

「は、はい!」

かすみには生傷が耐えなかった。

 

本人達は外部の視線など気に留めていなかった。

冬馬の指導姿勢は真摯なものだった。自分よりか弱い者に対して容赦なく怒ることができるのは、かすみを一人の人間として真面目に対峙しているからだった。

かすみもそれに応えようとした。冬馬の過酷なレッスンは、これまでの空虚な人生を埋め合わせてくれるものだと感じていた。

何よりも冬馬という一人の人間から、全力で関心を向けられていることが嬉しかった。

 

 この人についてゆけば……。

 お姉ちゃん達に追いつくことができるんだ!

 

この頃のかすみにとって、冬馬とのレッスンが全てだった。

それでもこうした激しいレッスンの日々が続くと、精神に肉体がついてこれなくなっていた。

限界だった。

レッスンの途中、かすみは床に大の字に倒れて叫んだ。

「も、もうだめです。私、もう踊れません」

「ふざけたことぬかすな! 立てよ!」

冬馬はかすみを蹴り上げた。

かすみは悲鳴を上げた。

 

 もう限界……。

 この人は鬼だ。これ以上ついて行けない。

 

 私にアイドルなんて最初から無理だったのかな?

 

かすみはもう辞めてしまおうと決心を固めかけていた。

自分を虐げる男に恨みを込めた視線を送った。

しかし、目の前にいたのは、両膝を付いて泣きながら懇願する男の姿だった。

「かすみ、そんなこと言わないでくれ、頼む……。

 俺はもうステージに立てないんだ。

 そんな俺に、もう踊れないなんて言わないでくれ……」

 

 なんて身勝手な男だろう。

 

悲痛な表情で歪んだ冬馬がゆっくりとかすみに迫っていった。

かすみはゾッとして後ずさりしていた。

 

「お前まで俺を見捨てるのかよ!」

冬馬という男の底から搾り出された悲痛な言葉にかすみは捉えられた。

 

 えっ?

 ……み、見捨てる……?

 

「飽きたらもう用なしかよ!

 馬鹿にしやがって!」

 

半狂乱になった冬馬を前にかすみは立ちすくんでしまった。

冬馬がかすみの頭を捕らえようとすると、髪留めが切れて床に弾け飛んだ。

冬馬はふと我に帰り、自分を落ち着かせるように呼吸を整えていた。

そしてへたり込むと俯いたまま動かなくなってしまった。

 

発作のように吐露された冬馬の言葉を前に、かすみは逃げなかった。

 

 あっ。

 この人、独りだったんだ……。

 

ジュピター解散後、自暴自棄になっていた冬馬は、人を遠ざけ、仲間を失い、孤独だった。

多くのファンがジュピターから去っていった。

コロシアムの敗者にしか分からないという、暗闇に落ちるような自信の喪失と、急激に冷める周囲からの反応に、冬馬は決して一人で耐えられるほど強くはなかった。

彼を慰めるはずの北斗と翔太を、冬馬自身が遠ざけていた。

深く傷ついていた冬馬は、自分より弱い練習生に当り散らすようになっていた。

それがまた自己嫌悪を再生産し、冬馬が抱える苦しみを増していった。

 

そんな時に現れたのが、かすみだった。

彼女は彼から逃げなかった。

 

しっかりと、しっかりと、かすみは冬馬を抱きしめた。

年端のゆかない少女の痩せた胸で、かすみは冬馬を受け止めた。

 

かすみは、冬馬の傷に深く同情を寄せた。

それは熱を伴って冬馬の心に注ぎ込まれた。

 

かすみが幼き頃に抱きついて慰めてもらった姉は、トップアイドルという得体の知れない存在に変容してしまった。

姉に抱きしめられると、学校での嫌な出来事も惨めな家庭生活も、全て忘れる事ができた。

 

 今度は自分の番だ。

 

「私にはプロデューサーが必要なの。

 お願い。そんなふうに自分のこと言わないで」

一人の人間として、一人の人間から、切実に存在することを求められ、冬馬の感情は決壊した。

「……すまなかった」

その細い腕で、彼の頭を覆いながら、かすみは冬馬の涙が自分の乳房に染みてくるのを感じた。

「プロデューサーは何も悪くないよ。許してあげる。私が、プロデューサーを、許してあげる」

 

その日のレッスンはこれで終わった。

二人に芽生え始めていた絆は、既に分ちがたいものになっていた。

 

 

かすみは帰り道で冬馬の事を考えた。

ステージに立てない。

可能性を絶たれた男の絶望に、かすみは思いを馳せた。

 

 誰か冬馬さんのことを理解してくれる人はいるのだろうか?

 

かすみはもっと冬馬の心に切り込んで行く必要があると考え始めた。

 

 こんな私に真摯にレッスンしてくれるのはプロデューサーだけ。

 今の私にはプロデューサーを最後まで信じるしかない。

 

冬馬の想いに応えようとかすみは誓った。

――夜

 

玄関の前で長介が仁王立ちでかすみを待ち構えていた。

かすみは黙って素通りしようとしたが、兄はそれを許したりしなかった。

 

「おい、どういうことだよ」

「な、何よ。私、何もしてないわよ」

「一体全体、どこほっつき歩いているんだよ」

 

かすみの帰宅時間は連日門限を超えるようになっていた。

「かっ、関係ないじゃない!

 い、いろいろあるのよ、学校とかで」

「嘘つくのか?」

「う、嘘じゃないもん……」

「俺、色々聞いたよ。

 学校の部活も行ってないし、いつも一人で定時で帰ってるって。

 どこ行ってるんだ?」

「そ、そんなの関係ないじゃない!

 余計なお世話よ。

 私が自分のやりたいことやって何が悪いのよ!

 それよりそんなストーカーみたいなこと止めてくれない?」

「俺だってそんな暇じゃねーよ!

 頼まれでもしなけりゃさ」

「だ、誰よ?」

「そんなの決まってるじゃん」

 

かすみは一刻も早くこの面倒な状況から抜け出したがった。

連日の練習の疲れから、かすみはイライラしていた。

 

「分かんねーのかよ!

 お姉ちゃんに決まってるだろ!

 余計な心配掛けさせるなよ!」

 

かすみは『またか』と思った。その苛立ちは暴言になって現れた。

 

「だ、だったらなおさら関係ないよ!

 お姉ちゃん、ううん、あの人、全然帰ってこないじゃない!

 私達の事なんて、どうでもいいのよ!」

 

悲鳴。それに続くもう一打。

兄に打たれたかすみは、それでもなお兄に食いついた。

 

「気が済んだ?

 もういいでしょ!」

 

長介は何も言い返さなかった。

 

この頃やよいは事務所が用意したアパートに寝泊りするようになっていた。

姉が帰宅せず寂しく思っているのは兄も同じだったからだ。

 

「ご、ごめん……」

「さ、触らないでよ!」

 

かすみはズカズカと二回の寝室に上がっていった。

姉の不在と重ねて、反抗期を迎えた高槻家の子供達は、家庭内の関係がギクシャクするようになっていた。

 

この一件があって以来、かすみはなるべく家にいる時間を少なくしようとして、無意識に帰宅する時間が遅くなっていった。

長介以外は部活だと思っているので特段気にしてはいなかった。

 

かすみの居場所は冬馬と過ごすレッスン場だけになりつつあった。

-- 翌日

 

冬馬はかすみの髪留めを買うことにした。

とはいえ女の子向けの小物の店など分らなかったので、仕方なく美希に聞く事にした。

 

 『だったらねぇ、ラッキーラビットがいいかな?』

 

電話越しに応える美希。

心もとなかった冬馬は一緒に来るよう頼んでみた。

 

 『……無理』

 

冬馬は後悔した。

かすみのレッスンで髪が邪魔になるからかってやろうと単純に考えていたのに、これでは自分が美希を誘って振られたみたいではないか。

そんな余計な思索に耽りながら、冬馬はその店に辿り着いた。

店内は目が痛くなるような装飾に溢れていた。

狭い店内をマイペースで物色する女学生達を邪魔に思いながら、冬馬はレジ近くの店員に話しかけた。

「あっ、冬馬君ね」

どうやら美希があれこれ冬馬について話しているようだった。

「お前には関係ないんだよ。何者だ貴様は」

店員は黙って名刺を冬馬に渡した。

 

 ……何がスタイリストヤスコだ馬鹿馬鹿しい。

 

「駄目よ、女の子に乱暴しちゃ」

「はぁ? 子供相手にこんなガラクタ売ってる奴に説教される筋合いなんてねーよ!」

冬馬は籠に入っていたアクセサリーを手ですくってから、投げ捨てるように籠に戻した。

「困った子ね」

ヤスコは眉一つ動かさずに冬馬が散らかした商品を置きなおした。

「確かにこんなのは原価10円ぐらいののガラクタかもしれないわ。

 でもね、私はそうは思わないの。

 私が売っているのはガラクタなんかじゃないの」

「言ってることが支離滅裂だぞ」

「ねぇ、冬馬くんは男の子だから分からないかも知れないけど、女の子ってこういう小物をお互いにプレゼントするのが大好きなのよ。

 なぜだか分るかしら?」

「そんなもん知るか!」

冬馬は悪態を止めなかった。

 

諭すように、ヤスコは小さなガラス玉が付いた髪留めのゴムを冬馬の手の上に載せながら言った。

「小物にはね、気持ちが乗るの。

 少なくとも私はそう信じることにしているわ」

「そんなの錯覚だろうが……くだらねぇ」

「突き詰めればそうよ。社会なんて誤解や勘違いの塊。

 でもね、小物が人から人に手渡されたという事実は残るの。

 そうでしょ?」

「ガラクタはガラクタだ!」

「もしそう思うのなら、ガラクタなのはあなたの心じゃないかしら?」

「なっ、なんだと!」

冬馬はカッっとなってヤスコに手をあげようとしたが、冬馬は思いとどまった。

「くそっ!」

冬馬は自制しようと深く呼吸をした。

 

ふと店を見渡すと、キラキラと光る小物が溢れていた。

冬馬は細かな装飾が施された小物を手にとって眺めてみた。

 

 ……よく目をこらせば、ちゃんと細かなところまで作ってあるんだな。

 

それから冬馬はじっと掌の髪留めを眺めた。

その髪留めに付いていた小さなガラス玉は、小さな光を吸って輝き始めたように見えた。

 

 俺は……、色んなことが見えなくなっていたのかも知れない。

 

「ねぇ、それを贈りたいと想う人、いる?

 その人の顔、想像してみて」

ヤスコにそう言われると、冬馬の脳裏にはかすみの顔が浮かんだ。

「きっと喜ぶから」

「チッ……。分ったよ。明日にも潰れそうな店だから、慈善活動だと思って買ってやるよ」

ヤスコはそういいながらも慎重にプレゼントを選ぶ冬馬を温かい目で見守っていた。

「これ、売れてるのよ」

「うるせーな! テメーのアドバイスなんかいらねーんだよ!」

結局、冬馬はヤスコの薦めたアクセサリーを全て購入した。

地味に高い値段だったが、冬馬は気にしないことにした。

 

 

その翌日、冬馬はかすみのレッスン前にかすみに手渡した。

かすみが喜ばない訳がなかった。

 

それからかすみは毎日かかさず冬馬の髪留めを付けて来るようになった。

その様子を眺める冬馬からは、誰も信じられないという焦燥感が消えていた。

 

薄暗いトレーニングルームで、冬馬が手渡した髪留めのガラスがかすみの頭上で鈍く光を放っていた。

その光の線は冬馬の心を落ち着かせるような緩やかな波紋を描いているようだった。

――日曜日

 

レッスンがない日だったが、冬馬が演劇に誘ってくれた。

 

「え? デートですか?」

「アホか!」

 

 ……どうしてこの人は事ある度にアホかアホかと言うんだろう。

 

その真意を確かめることもせず、かすみは冬馬に連れられて下町を歩いていた。

 

冬馬の正体がばれることはなかったが、やはり歳が離れた二人が歩いているのは不自然だった。

奇異な視線を二人は感じながら二人は目的地に向かった。

 

かすみは冬馬の袖をひっぱった。

「お兄ちゃん」

冬馬は目をシバシバさせた。

「は、はぁ? 止めろよその呼び方」

「だって、兄弟だってことにすれば怪しまれずに済むじゃないですか」

「うーん……、そうかなぁ?」

かすみは得意そうな顔をしていた。

「ね、お兄ちゃん!」

「……ちっ。勝手にしろ」

冬馬は不機嫌そうに顔をしかめた。

少し頬が緩んだ冬馬の表情を、かすみは見逃したりはしなかった。

 

 

かすみは古典芸能の鑑賞は始めてだった。冬馬の解説がなければ眠り込んでいただろう。

「いいか、かすみ。『タメ』と言ってな、動かないことも重要な演技の一部分なんだ。

 観客は『どうしたんだ?』と思って引き込まれる。その次の動きが重要なんだ」

冬馬は自分の舞台論をかすみに語り続けた。

かすみは冬馬がそこまでいろいろと考えていることなど想像だにしなかった。

 

 舞台で踊り歌うのは自分だけど動かさなきゃいけないのは観客の心だ。

 その距離感も引っ張ったり離したりしながらコントロールしなきゃいけない。

 今までの私は全然ダメじゃないか。

 

「ステージから退場したからといって終わりじゃない。余韻が残せなきゃだめだ。

 花瓶に花が活けてあったとするだろ?

 花びらが散って床に落ち、凛とした茎だけが残っている。分るか?」

「うーん……」

 

冬馬は貪欲にかすみに全てを詰め込もうとしていた。

全てを注ぎ込まれるかすみは破裂寸前だった。

 

 

かすみは冬馬の舞台論を聞きながら街を練り歩いた。

やがて二人は日本人形の店が並ぶ商店街に着いた。

 

「俺の叔父が日本人形を作ってたんだ」

冬馬がかすみに身の上話をするのは始めてだった。

「人形って止まっているものだと思うだろう?でも違うんだ。叔父が言ったんだ。

 『これは動いている瞬間を切り取っただけで、そういう人形を作るのが理想だ』って」

かすみは冬馬の言う事に聞き入っていた。

「俺が目指しているのはその逆なんだ。舞台の上で最高のパフォーマンスをすれば、どの瞬間を切り取っても絵になるはずだ」

「私、お人形さんなの?」

「違う。人形にしたいくらいの舞台を演じろってことだよ」

冬馬の話はかすみには少し難しかったかもしれないが、冬馬のレッスンは、この理念をかすみの体に叩き込んだ。

冬馬は高い集中力をかすみに要求し続け、かすみはそれに応えることができるようになっていった。

 

その昔、冬馬には日本最高のアイドルになるという自負があった。だからこそ過去の芸術にも敬意を払い自分のものにしようとしていた。

その身一つで勝負できることも彼を惹きつけた。

今は舞台に立てぬ身であったが、知らず知らずのうちに人形に魂を見出す叔父の姿と自分を重ねるのであった。

かすみは彼にとって理想を表現するキャンパスだった。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

真剣な眼差しを冬馬に向けるかすみ。

「こんな私でも夢みていいのかな?」

冬馬は少し考えてから応えた。

「そういう言い方はあんまり好きじゃないんだ。ただお前が望む未来を現実にするだけの話さ。お前次第だ」

「できるのかな……?」

「疑問に思っている暇なんてないぞ。しっかり意志を持て。お前はレールに乗ったんだ。あとは走る以外に選択肢なんてないんだ」

かすみは冬馬が厳しいことを言っていると思ったが、自分がそれを選ぼうとしていることを思い出した。

そうだ、もう甘えていられないと自分に言い聞かせていたではないか。

「うん。私、お兄ちゃんを信じる」

そして自分を信じよう。信じられる自分であるようにしよう。

 

別れ際、かすみは右手を高く挙げた。

「明日もよろしくお願いします!」

「ああ、また泣くんじゃないぞ!」

「もー、いつも泣いてばかりいませんよぉ」

「ははっ、その意気だ」

冬馬はかすみの掌に自分の掌を撃ちつけた。

 

その軽快な音は夕暮れの下町に響き渡っていった。

#7 引き継がれるもの

 

 

今年のコロシアムは荒れた。

今年も765プロのユナイトは順当に勝ちあがっていたが、メディアの話題をさらっていたのはアメリカから来た無所属の歌手だった。

 

彼女はジーパンと白シャツのみでステージに上がった。素足。そしてマイクは使わなかった。

ダンステクニックが要求される最近のトレンドの中にあって歌だけで観客を魅了していった。

 

如月千早である。

 

アメリカで新境地を獲得した彼女が日本に帰ってきたのである。

 

不測の事態に律子は頭を痛めた。彼女の素で歌うスタイルは技巧的なダンスを小手先っぽく感じさせる効果があった。

このまま千早とユナイトが激突すれば「本物の歌手」と「子供の遊戯」という構図の中で敗退するのが目に見えていた。

「いいえ、律子、正面から当たるわよ」

伊織は引かなかった。やよいも伊織に同調した。そうなるとさすがの律子も二人の言う事を聞くしかなかった。

 

――決勝戦

 

ユナイトは演目の前半をアカペラで通した。

千早のような音域は出なかったものの、四年のキャリアを持つ伊織とやよいの心を込めた歌声は決して千早には劣らなかった。

これまで妹のような慕われ方をしていた二人による本気の歌声に観客は魅せられた。

後半はアップテンポに一転し観客からの手拍子に乗って一気に舞台をまとめ上げた。

 

こうしてユナイトはアメリカの歌姫を退けたのであった。

 

 

勝負が終わると控え室はユナイトと千早の同窓会になった。

 

「この大会に出場することにしてよかった。貴方達の成長を確認できて嬉しいわ」

「なによ、優勝狙ってたくせに」

「ふふっ。でも最後のはまるでボヘミアン・ラプソディみたいで面白かったわ。あれに負けるなら納得よ」

こうして終わってみると、まるで全てが演出だったかのような、素晴らしい大会であった。

 

私が負けたのは、彼女達の和音の中から浮かび上がる、二人にしか生み出せない歌姫だったのだ。

後に千早はこう春香に話したという。

 

 

観客席から姉達を眺めていたかすみは厳しい顔をしていた。

冬馬のレッスンにより難易度の高い演目をこなせるようになっていたが歌では平凡だったからだ。

 

 なんとかしないと……。

 

力をつけてきたかすみだからこそ、姉の凄さを理解できるようになっていた。

かすみは焦りを感じ始めた。

来週、黒井社長の視察が予定されていたからだ。

「Sucer」

 

黒井はそう一言残してかすみの視察を後にした。冬馬は落胆していた。

「今日はもう帰れ」

冬馬の一言にかすみは傷ついた。

確かに黒井社長の満足ゆく結果ではなかった。

でも社長もプロデューサーも何が駄目なのか言ってくれないことにはかすみは納得ができなかった。

「あの……。ごめんなさい、プロデューサー」

「黙れ!」

冬馬はかすみを一喝した。冬馬はイラついていた。

「で、でも……」

「今すぐ消えないと殴るぞ!」

かすみは渋々帰宅することにした。

 

帰り際、元ジュピターの北斗とすれ違った。

「あっ、北斗さん、お疲れ様です」

「今日は早いんだな」

「それが……」

冬馬に辛く当たられ気弱になっていたかすみは溢れるように色々な悩み事を北斗に打ち明けた。

 

北斗はかすみをボイストレーニング専用の部屋に連れて行った。

 

「ちょっと歌ってみなよ」

北斗はピアノに向かった。

「北斗さん、ピアノ弾けるんですか?」

「はははっ。まいったな。『弾けるんですか』か」

幼少から母親にピアノを習っていた北斗の腕前はプロ級だった。

かすみは北斗に対して自分がどれだけ失礼な発言をしたのか理解して平謝りした。

 

かすみが歌い終えると北斗は頭を掻きながらかすみの欠点を挙げていった。

「……まいったな、冬馬の奴、何も教えてないんだな」

北斗は姿勢や呼吸法について簡単にレッスンした。

それだけでもかすみの歌は少しレベルが上がった。

冬馬の教えに盲目的に従っていたかすみにとってはショックだった。

 

「あいつは意識しなくても上手く歌えていたから、こういうトレーニング自体の意味が分からないんだろうな」

北斗は冬馬について弁明した。

「かすみちゃん。冬馬のレッスンとは別に俺のレッスンを受けた方がいい」

音量や音感に問題はなさそうなのでしっかり基礎を覚えれば伸びると北斗は踏んでいた。

 

数日後、北斗とかすみのレッスンの噂を聞きつけた冬馬が怒鳴り込んできた。

「余計なことすんじゃねーよ!」

振り返ると冬馬がいた。

「コラ、かすみ! 俺のレッスンじゃ不満だっていうのか!」

かすみはたじろいた。

「いやいや、冬馬、俺が勝手に連れてきたんだよ」

二人の口論は互いの批判から始まり舞台論にまで発展した。

 

「冬馬……、哀れだな」

「な、何だと!」

「見てられないんだよ」

もともと冬馬は北斗の人を見下すような態度が気に入らなかった。何度か衝突はしたが、我慢してきたつもりだった。

そんな北斗が自分を目の前して馬鹿にするような発言をしたとなると、冬馬はもう自制が効かなくなってしまった。

「俺のいったいどこが駄目だっていうんだ!

 かすみは俺がいればいいんだ!

 俺は一流のエンターテイナーなんだ!」

「お前本気で言っているのか?」

冬馬は両手で北斗の襟を掴んで迫った。

「何を根拠に俺の事をそこまで馬鹿にしやがるんだ!

 言ってみろ! 言ってみろよ!」

北斗は冬馬の恫喝に動じず冬馬を見下ろしながらゆっくりと息を吐いた。

「言わせてもらうよ。

 お前、その娘を笑顔にすることができるか?」

「当然だ!」

冬馬は得意気にかすみの方を向いて賛同を仰いだ。

 

しかし、冬馬はかすみの顔を見た瞬間、身が凍る思いをした。

かすみの悲痛な表情。

泣きそうだった。

動揺を顕に冬馬はかすみの肩を掴んで優しく揺すった。

「なぁ、笑ってくれよ……。なぁ、かすみ」

かすみは冬馬の為に笑おうと思った。

でも北斗に冬馬を馬鹿にされた悔しさが混じって上手く笑うことができなかった。それがまたかすみを混乱させて、ついにポロポロと泣き出してしまった。

「な、何で泣くんだよ……」

冬馬は加減せずかすみの肩を前後に揺すった。

「笑えよ! 笑ってくれよ! ほら!」

やっとのことで、かすみは笑顔を作ることができた。

 

北斗はその一部始終を眺め終わった後、黙って部屋を出て行った。

どんな言葉よりも屈辱的だった。

 

「ご、ごめんなさい」

かすみはそう言うとジャージの袖で涙を拭った。

 

冬馬は膝を落として呆然としていた。

 

 何が一流のエンターテイナーだ。

 俺は、こんな幼い少女一人笑顔にすることができないのか。

 

冬馬は今まで信じてきた自分というものがガラガラと崩れてゆく感覚に襲われた。

かすみはどうすることもできず、黙って冬馬の前で立っているしかなかった。

「オーディションを受けるぞ」

突然の冬馬の申し出にかすみは驚いた。

社内手続きを無視した冬馬の独断だった。

 

 

かすみは心配になって冬馬に真意を尋ねようとしたが、やぶれかぶれになっていた冬馬は取り合わなかった。

「やる気がないのか?」

冬馬にそう凄まれると、かすみは黙って冬馬の言う事を聞くしかなかった。

 

――オーディション会場

 

新人向けのオーディションだったが、自信に溢れた少女達が所狭しと自分の出番を待っていた。

かすみは雰囲気に飲まれそうだったが、冬馬の袖につかまって心を落ち着かせた。

冬馬はそんなかすみを見て声を掛けてくれた。

「大丈夫。今のお前なら楽勝だよ」

それは冬馬の空約束ではなかった。

 

オーディションでかすみは圧倒的な実力を見せ付ける。

他の少女達はかすみとの実力差に自信を喪失していった。

気迫溢れるかすみのパフォーマンスは、新人とは思えないものだった。

 

だが、審査員の表情は曇っていた。

 

オーディションの結果が言い渡された。

冬馬は激昂した。

「ふざけんな! どう考えてもうちのかすみが一番だろうが!」

審査員は申し訳なさそうに冬馬に審査員の判断理由を説明した。

「それは認めるよ。さすが961プロダクションだ。凄い娘を育てたもんだ」

「だったら……」

「恐いんだよ」

「何?」

「今回必要なのは初々しい娘だったんだ。かすみちゃんは、その、何と言うか、新人離れしすぎているというか……」

「当然だ。だったら文句ないだろう!」

「賞金は渡す。だから大人しく引き取ってくれ」

冬馬は何がいけないのか分からず呆然としていた。

 

冬馬からの特訓を受け続けたかすみからは少女のあどけなさが取り除かれてしまっていた。

需要と供給が一致しなかったのである。

 

「君、もうオーディション荒らしは止めたまえ」

呆然とする冬馬に、審査員は無理矢理賞金の入った袋を渡して立ち去った。

 

冬馬は視線を感じて後ろを振り向くと、かすみが泣きそうな顔をしていた。

 

「駄目だったの?」

また彼女を傷つけてしまった。冬馬は激しく後悔した。

「ごめんなさい。私が下手糞だから。ごめんなさい」

かすみはポロポロと泣き始めた。

「そんなことないよ。お前が一番だよ。

 今日はよくできていたぞ。かすみ」

冬馬がかすみを褒めたのはこれが始めてだった。

「本当?」

「ああ、次は絶対に大丈夫だ」

 

冬馬は袖をかすみに掴まれたまま、駅まで歩いた。

「顔を上げろ」

かすみは冬馬の顔を見つめた。

「うん」

 

かすみが一番よく覚えている、プロデューサー冬馬からの訓示だった。

 

――765プロ事務所

 

「おめでとう」

律子がオーディションに合格した新人アイドルを迎えた。

「よくやったわね。お祝いに食事会開くからあとはゆっくり休んで頂戴ね」

だが765プロの新人の表情は暗かった。

「あの、律子さん……」

「ん?」

「私、辞めます」

「え、ええ?

 ちょ、ちょっといきなり何言い出すのよ!」

「私今まで世間知らずでした。アイドルを甘く考えてて……」

「何かあったのね。話してくれる?」

 

律子はその新人アイドルから961プロの新人アイドルについて話を聞かされた。

 

 さすが961プロね。きっと次世代の主力アイドル候補生なんだわ。

 まだまだ油断できないわね。

 

律子は新人アイドルの辞意を撤回させ、次の仕事に取り掛かった。

その後、961プロの新人アイドルについて調べるよう手をつくしたが、何の手懸りも得られなかった。

北斗は翔太から冬馬の独断オーディションの話を聞かされた。

 

 しかし、あそこまで馬鹿な奴とは思っていなかったぜ。

 あんな子供相手にどうしてあんなに夢中になっているんだ。

 

相も変わらず向こう見ずに突っ走る冬馬。

 

 あいつは何も変わらないな。

 

 ……でも、俺はどうだろう?

 

北斗は、実は空っぽになっていた自分に、ふと気が付いた。

順風満帆とまではゆかないが、そこそこの人生を謳歌していた。

しかし、北斗は自分に宿った冬馬への劣等感のような感情に、整理がついていなかった。

 

 あの時は、いろいろあったけど楽しかったな。

 ……でも、もう終わった話だ。

 

空白を、少女のイメージが埋めていった。

怒鳴られても、殴られても、泣きながら冬馬についてゆこうとする、かすみ。

 

 ……まいったな。

 うん。やっぱり、かわいそうな子をほっとくのは、俺の主義じゃないな。

 

北斗は再び冬馬とかすみのレッスン場を訪ねる事にした。

 

 

「冬馬」

冬馬は顔を上げた。北斗だった。

「なんだ北斗、笑いに来たのか?」

「そうじゃないよ」

 

かすみは久しぶりに現れた北斗に会釈した。

「馬鹿者! 誰が休んでいいと言った!」

「まぁ、いいじゃないか。

 元気だったかい? かすみちゃん」

「何しに来たんだ」

「冬馬。俺にも手伝わせてくれ」

「お前の協力なんていらないって前にも言っただろう」

「冬馬。俺が手伝わせて欲しいといっているんだ。お前を助けるつもりなんかないよ」

「うるせぇな。帰れ! 帰れって言ってんだよ!」

 

北斗は動じずにゆっくりと冬馬を諭した。

「お前がそこまで俺を気に入らないのは分かったよ。

 でも、アイドルが実力勝負だったら、プロデューサーも実力勝負だろ?

 こう考えてくれ。俺とプロデュース勝負しよう。

 どっちがかすみのプロデューサーに相応しいか勝負しようじゃないか」

「かすみのことを一番分かっているのは俺だ」

「恐いのか?」

「何?」

「僕にかすみを取られるのが恐いんだろう? 冬馬」

北斗の挑発に冬馬はまんまと乗ってしまった。

ようやく冬馬は素直に北斗の提案を受け入れることにした。

「甘やかすんじゃねぇぞ」

「うーん、それは自身がない」

「……お前って奴は」

二人はニヤリと笑みを交わして、ふざけるように叩き合った。

 

女の子のかすみにとって、それは不思議な光景だった。

 

 

北斗のレッスンによりかすみのボーカル力は短期間で飛躍的に伸びた。

だが、踊りながらとなると途端に声が乱れたが、すかさず二人の指導の檄が飛んだ。

 

「呼吸するタイミングを考えろ」

「そうだ、歌への意識が途切れるから姿勢が崩れるんだ」

 

かすみの中で空間を掴む感覚と楽曲の世界が融合し始めた。

 

 ……気持ちいい。まだ踊りたい。まだ歌いたい。

 

ステージを使い切る流形のステップ、酔うように乱高下する曲、攻撃的な歌詞、961のDNAは着実にかすみに刻まれていった。

才能は、姉だけではなく妹にも与えられていたのである。

 

 

ジュピター時代、あまり仲がよくなかった二人であったが、こうしてかすみという媒体がいることによって素直に意見を交換することができした。

二人はお互いに直接話すことはなかったが、かすみを通してお互いの理念をぶつけた。

そしてかすみは二人の教えをどんどん吸収していった。

こうして冬馬と北斗による共同レッスンが数日続くこととなった。

 

 

「なんだよ、僕をハブってたの? かすみを見つけたのは僕なんだけどなぁ」

さらに数日後、二人のレッスンの噂を聞いた翔太がやって来た。

「なんだ翔太か。俺達がいれば大丈夫だから、お前はジュニアクラスのガキでも相手にしていろ」

冬馬は翔太を邪険に扱った。

「もう、これだから冬馬は」

また彼等による論戦が始まり、かすみは置いてきぼりにされた。

翔太は持論を展開した。

「いいかい、かすみは女の子なんだ。君達がやっているレッスンはまるで男性向けじゃないか。

 彼女の魅力を引き出すようなアピールをさせなきゃだめだよ」

「例えば?」

「ねぇ、かすみちゃん、笑ってみて」

かすみは笑顔を作ってみた。

「ね。冬馬。表情のトレーニングとかやってないでしょう」

 

 な、なによ。

 私の笑顔にケチをつけるのかしら。

 

かすみは訝しく思った。

 

「性的なアピールが足りない」

「え? えええ?」

「かすみは下半身が発達しているから、こう……」

翔太はヒップを上げる振り付けをしてみせた。

「そんな恥ずかしいポーズできません!

 翔太さんのエッチ!」

かすみは翔太から顔を背けた。冬馬と北斗の二人は笑っていた。

「翔太、かすみにセクシーアピールは無理だよ」

冬馬の発言にかすみはムッとした表情を隠さなかった。

「わ、私にだってできますよ」

かすみは思いつくまま色々なポーズをとってみたが、三人からは笑いしか取れなかった。

「むー! 真面目にレッスンしてくださいよー」

「ハハハ、そうしよう。でも、かすみはクールな路線の方がよさそうかな」

かすみは唇を尖らせて三人に抗議した。

 

こうしていつの間にか、かすみは元ジュピターの三人にトレーニングされる身となった。

 

ある日、翔太はかすみが一人でトレーニングルームに居るのを見つけた。

「何してんのかすみちゃん?」

かすみは台に上ってその身を空に放った。

「やっ、やめろ! 無茶だって!」

翔太はかすみに駆け寄って助けようとした。

 

 駄目だ、間に合わない!!!

 

しかし翔太が目にしたのは美しい弧を描いたかすみのバク宙だった。

かすみは両足で着地したが、すこしバランスを崩した。

翔太がかすみの肩を持って支えると、かすみは振り返り翔太に満面の笑みを見せた。

「見てましたか? できましたよ私! バク宙できました!」

翔太はかすみを怒鳴りつけるつもりであったが、あまりのあどけなさに拍子抜けしてしまった。

「あ……、ああ。すごいね、かすみちゃん」

翔太に認められたと思い、かすみは有頂天になった。

「翔太さん直伝です。えへへっ」

「は、ははは。たいした奴だよ」

翔太のバク宙を見たかすみが密かに練習していたのである。

 

 ……まさか女の子に自分の得意技を盗まれるなんて。

 

かすみの満足した顔を見て、末恐ろしい娘だと翔太は思った。

 

 

もともと黒井はジュピターの三人に相互の欠点を補うことを期待してトリオを結成させた。

しかし若かった三人はおのおのの考えを抱えたままグループ活動を続けた。

このコンセプトの未完成がジュピターの敗因であった。

 

不完全燃焼のまま解散した三人は、本心ではジュピターの復活を願っていたのかも知れない。

そして、年月が流れそれが叶わぬと分かりかけてきたその時に、かすみが三人の目の前に現れたのである。

 

その想いをかすみにぶつけた。そしてかすみはそれに応えた。

いや、それ以上の成長を見せた。

かすみを媒体として、三人は会話を重ねた。

 

 

かすみを交えて元ジュピターの三人はよくつるむようになった。

三人は冬馬のアパートで酒を飲み語り合った。

 

かすみは三人の喧々諤々の議論を聞いていた。

時々質問を振られると自分が思うことを正直に答えた。

 

そうして男達は酒を空けるまで自分の思いをぶつけ合った。

 

それが終わると、かすみはキュウリを塩もみして切った。

これは若さに任せてアルコールを詰め込んだ三人に大好評だった。

酒盛りが終わると、かすみが三人の面倒をみるのである。

 

 

かすみが帰っても男達の議論は続いた。

 

「え?

 あいつ、高槻やよいの妹なのかよ!

 ありえないだろ、そんなの!」

北斗は冬馬を問い詰めた。

「あいつの身の上など関係ねぇ。

 だが……」

冬馬はショットグラスを空けた。

「……かすみは姉と全然違う、あいつは激情の塊だ。

 火をつけたら爆発しそうなガスの塊のような奴だ」

冬馬は嬉しそうに語り続けた。

 

 まさに、ジュピターってワケだ。

 

翔太はそう思ったが、口に出すことはしなかった。

 

 ……そうか。だからか。

 『高槻やよい』という確かな道筋があるから、あいつは迷ったり諦めたりしないのか。

 

北斗は自分の教え子がか弱な少女ではないことを理解した。

 

 

国内屈指のアイドルグループ『ジュピター』に必要だったのは、彼等のアイドルだった。

 

 

――数ヵ月後

 

パチ、パチ、パチ……。

 

黒井は黙って大きく拍手をした。

そして背を向けてトレーニングルームからゆっくりとした足取りで去っていった。

かすみとジュピターの三人は呆然とその姿を見つめていた。

黒井社長が練習生に対して拍手を送るなど前代未聞の出来事だった。

 

「や、やった……」

翔太はかすみの背中を叩いた。

「すごいよ、かすみ!

 黒井社長がお前を認めてくれたんだよ」

北斗もかすみの肩に手を掛け祝福した。

「俺達の時でさえ、あんな褒め方されなかったぜ」

「よくやったぞ、かすみ」

冬馬の言葉にかすみは思わず涙ぐんだ。

 

 

「社長、何一人笑いしているんですか?」

秘書に言われて黒井は我に帰った。

「愚か者!

 人の顔など診てないで自分の仕事をしろ!」

 

あいつら……、さんざん待たせやがって……。

黒井は一人東京の夜景を見下ろしながら、次のコロシアムについて考え始めていた。

#8 ステージを赤く染め

 

 

「あの土臭い娘……本当に嫌いだわ」

事務所の廊下で他の練習生とすれ違った時に耳にした言葉だった。

直感的にかすみはそれが自分のことだと分かった。

それからかすみは自分に対する陰口を何度も聞くようになる。

その声は次第に大きくなり、あからさまになっていった。

 

「何か言いたいことがあるんだったらはっきりいってよ!」

かすみは我慢の限界を迎え、ある練習生を捕まえて問い詰めた。

「はぁ? 別に貴方のこと言っていたわけじゃないわよ」

そんな調子で他の練習生達はかすみに取り合わなかった。

 

冬馬に相談しても、元ジュピターの面々は女社会の陰険さには無頓着なので、あまり助けにはならなかった。

家族にも学校の友人にも芸能事務所に通っていることを秘密にしていたかすみは誰にも相談できなかった。

 

練習生の間では嫉妬が渦巻いていた。

かつてのスターであるジュピターに敬愛されている事もそうだが、深い部分では貧困層出身のかすみより冷遇されている状況が耐えられなかっのだ。

 

あら捜しをしていた彼女達に、かすみが高槻やよいの妹であるという情報が拡散した。

ライバル事務所のスパイを潰すという格好の大義名分を得た彼女達は増長した。

 

 

ある日かすみが帰る間際、他の練習生に呼び止められた。

「ねぇ、かすみさん、もしよかったらダンス教えてもらえないかしら」

かすみは帰りの時間が気になったが教えを請われたのが嬉しくて彼女の後をついていった。

 

ビルの一番奥のレッスンルームだった。かすみが入るとドアが閉められた。

練習生達がぞろぞろと現れてきた。彼女達の薄気味悪い笑顔にかすみは異常を感じた。

「ちょ、ちょっと……何なの……?」

「さすがだわね。『高槻』かすみさん。765プロのやよいがお姉さんなら上手なのも納得だわ」

「誰から聞いたの? そ、そんなの……、お姉ちゃんは関係ないよ」

「あっさり認めたわねぇ。関係ないわけないでしょ! あんた、765プロのスパイなんでしょ」

かすみは突き飛ばされた。

「ち、違うよ! わ、私は……」

「そうよね。あんな下手糞な姉さんじゃ参考にならないものね。

 この間だって、どうせ水瀬財閥がワイロか何かで審査員を買収したんでしょ?」

姉達を侮辱されて激昂したかすみは彼女の襟を掴んだ。

「違うよ! 今の取り消して!」

「何よ。やっぱり765プロの肩を持つの?」

「お姉ちゃんはそんなインチキしないもん!

 私だって自分の力でがんばってきたんだもん!」

かすみは二人がかりで襟を掴んでいた練習生から引きはなされそのまま床に倒された。

「あんたみたいな貧乏人が必死こいてアイドルになったって見苦しいだけなのよ。

 それにね、その上姉の威光を借りて冬馬さんに付け入ろうなんてマネするのが気に入らないのよ」

そういった練習生を、かすみは睨みつけた。

「そんなんじゃないよ。お姉ちゃんは関係ないもん。それに私は自分の意志でやってきたんだもん」

「ふん。何よ自分だけで生きてきたみたいな口利いて。

 その服だって姉の稼ぎで買ったものでしょう?」

別の練習性が同調した。

「そうよ。あ、そうだ、そんなに自分の実力だって言いたいんなら、その服全部脱ぎなさいよ」

練習生達は冷笑をかすみに浴びせ、かすみの手足を押さえつけた。

「手伝ってあげるわ」

かすみは暴れたが、多勢に無勢で身包みを剥がされてしまった。

練習生達に手足を抑えられ何も隠すことができいまま彼女達の罵声を浴び続けた。

かすみは悔しさと恥ずかしさで紅潮していた。

「ねぇねぇ、知ってるのよ私達。どうせ冬馬さん達と寝ているんでしょ?」

かすみは主犯格の練習生に髪を鷲掴みにされた。

「ほらあ、かすみさん、ケツ振って踊ってみせてよお」

練習生達はかすみを反抗する気力がなくなるまで暴行を加えた。

 

物音が聞こえると練習生は一斉に散っていった。

レッスンルームには裸で泣き崩れるかすみ一人が取り残されていた。

 

「ど、どうしたんだ!」

ボロボロになったかすみを発見したのは冬馬だった。

冬馬は目のやり場に困りつつも自分のジャケットをかすみに被せた。

「まったく酷い事しやがる……」

 

かすみが腫れたままの顔で帰ることを拒否したので冬馬はかすみを美希に預けることにした。

「ひ、ひどいの!

 な、なんでこんなことに……」

かすみを見た美希は絶句した。

「美希、すみないが、男の俺がかすみを泊めるわけには行かない。

 お前しか思いつかなかったんだ。

 悪いが面倒を見てくれないか」

「うん、わかったの」

冬馬はかすみを美希に託して帰っていった。

美希はかすみにシャワーを浴びさせ傷の手当てをした。

美希はかすみを抱きかかえるようにしてベットで横になった。

 

美希はかすみの後ろ髪を丁寧に何度も撫でた。

かすみは、昔よく姉に同じような姿勢で髪を梳かして貰っていたことを思い出していた。

 

「ねぇ、かすみちゃん。

 冬馬君が専属プロデューサーを続けているということは、コロシアム出場候補なんだよね」

かすみは黙って頷いた。

「それでいいの?

 もし出場したら、お姉ちゃんと戦うことになるんだよ?

 美希はそんな辛い戦い、見たくないよ……」

かすみは首を振った。

「そうですよね……。

 お姉ちゃん、今まで私達の為に一生懸命働いてきたのに、それを裏切ることになるんですよね……。

 で、でも、でも、私……。私にとって今の居場所が何よりも大切なんです。

 それに……」

「それに?」

「見て欲しいんです。私を。

 ずっとお姉ちゃんのこと想ってきたのに、お姉ちゃん私のことなんかどうでもいいんです」

「そんなことないよ!

 やよい、言ってたよ。かすみちゃん、すごくいい子だって」

「私、ずっと我慢してたんです。甘えるの。

 楽しそうにしているお姉ちゃんの邪魔をしちゃいけないって」

「おかしいよ。大好きだったら甘えればいいじゃない……」

「だって私、お姉ちゃんを遠くから眺めているだけでも十分幸せだったから」

 

美希はそれ以上かすみを問い質すのを諦めた。それよりも別の思考が美希の頭を支配していた。

美希がプロデューサーと一夜を共にした時、彼も似たような言葉を口にしていた。

 

 『大切な人だから、抱くことはできない』

 

その時美希は馬鹿にされたと思い、泣きながら彼を罵り続けた。

そして彼は、全ての責任を負い、美希から去っていった。

 

 なんて救いのない世界なの……。

 

美希はしっかりとかすみを抱きしめ心の中でそう呟いた。

それは抱きしめて貰えない苦しみを思い出した美希が、昔の自分を抱きしめているようでもあった。

 

 

その後、冬馬の一喝により、いじめが表面化することはなくなった。

しかし、あくまでも表面化しなくなった、という話である。

それでもかすみは毅然とした態度で練習を続けた。

 

 

そのような事件があってから数週間後、961プロの幹部が集まり会議が開かれていた。

アイドルコロシアムに出場するアイドルの選考であった。

今年の選考会議はいつにもまして重要度が高く、会議室の空気は重かった。

一昨年と去年で、ライバル事務所の765プロが二連勝している。

三連覇を決められると、会社の収入や人材獲得に深刻な影響を及ぼしかねなかった。

765プロの高槻やよいを中心とするユニットの人気には、今だ陰りは見当たらなかった。

 

黒井はろくに意見を言わない幹部達を罵った後、仕方なく冬馬に問いかけてみた。

「どうなんだ、冬馬」

「そんなこと聞くまでもないだろう。961プロで一番実力があるアイドルが961プロの代表として出場する。それだけのことだ」

「だから、それは誰なんだと聞いている」

冬馬は呼吸を置いて黒井に言った。

「それは……、かすみだ」

冬馬の発言に会議室は騒然とした。

「馬鹿を言え!

 まだ無名の娘が961プロの代表だと?」

他の幹部が声を上げた。

確かに練習生であるかすみは無名アイドル以外の何者でもなかった。

「社長、確かにかすみ君には実力がありますよ。でも、あまりにも知名度が……」

「コロシアムは実力勝負の場だ。知名度は、むしろコロシアムで作られる」

幹部は冬馬に言った。

「いいのかね冬馬君。君だって苦労を重ねてコロシアムにやっと出場したじゃないか。

 961プロ代表の重さは分かっているだろうに……」

「もし、皆が不安に感じるのだったら……」

あのプライドの高い冬馬の発言とは信じがたい言葉が続いた。

「元ジュピターの三人がかすみのバックダンサーになってもいい」

この発言が決定打となり、かすみの出場が会議で決定した。

 

 

代表選出の知らせを聞いたかすみは両手を挙げて絶叫した。

「ありがとうございます! 先輩達のお陰です! 私がんばります!」

冬馬達に髪をもみくちゃにされながら、かすみは喜びを爆発させた。

「さっそく練習だ、かすみ!」

「はい!」

かすみは意気揚々とトレーニングルームに向かった。

練習を終え、かすみが更衣室に行くと、そこには怨念のオブジェができあがっていた。

かすみのロッカーにはマジックで罵りの言葉が詰め込むように書かれていた。

 

やよいに買って貰った紺色のワンピースはハサミで切り刻まれていた。

 

かすみは自分の中から湧き上がる漆黒の感情に飲み込まれるがままに任せた。

 

 ……あの娘達だ……

 

かすみは彼女達を探してビル中を走り回った。

 

「あ、あんた達、なんて事を!」

かすみはいじめの主犯格だった練習生を見つけて詰め寄った。

「さぁ? 何のことかしら?」

「とぼけないでよ! あなたでしょ。あのワンピース、姉に貰った大切なものなのに……」

「ああ、あのダサいワンピースね。ちょっとカッコよくしておいてあげたわ。あれ、ファッションよ。あはははっ」

「……ふっ、ふざけないでよ!」

かすみは近くにあったモップを両手で振り上げた。

「な、何よ?

 まさかコロシアム出場者が問題起こせるわけないよね?」

 

かすみはかろうじて自制していたが、胃袋の辺りから這い回り始めた感情に飲み込まれてゆき、そこから記憶が定かではなくなった。

 

 ――弟が生活苦の要因だと言われたこと

 ――姉が不在の間息苦しかった家庭の空気

 ――跪いて職を乞うていた姉

 

これまでの人生で蓄積された負のイメージが次々とかすみの脳裏を駆け抜けた。

 

(お願いします。お願いします。弟達を連れてゆかないでください。私が働きますから、お願いします。)

かすみの脳内でやよいが絶叫する。

 

「うっ、ううっ、うわあああ……」

肩から二の腕の辺りがまるで自分の体ではないように激しく震え始めた。

練習生は恐怖のあまり声が出なくなっていた。

かすみはゆっくりと深呼吸した。

 

姉の顔が浮かんできた。

しかしやよいは、かすみにそっぽを向けて、765プロの皆の輪の中に入っていった。

取り残されたかすみは、一人沼の中に沈んでいった。

 

 どうして?

 お姉ちゃん?

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

かすみはモップを振り落とした。鋭い悲鳴と共に鈍い音がした。

かすみは何度も何度もモップを振り下ろした。

 

床に広がる血糊の極彩色と鼻の奥を突く血の匂いで、かすみは我に帰った。

赤色一色だった世界がゆっくりと灰色のレッスン場に戻っていった。

 

かすみは目の前の光景を認識するのに時間を要した。

 

そこには血だらけになった冬馬が倒れていた。

頭部から血が止め処なく流れ続け床中が血で埋まっていった。

 

 えっ?

 

 えっ?

 

 えっ?

 

冬馬がとっさに練習生をかばったのである。

練習生はかすみから感じた恐怖と大量の血を目の前にして気を失っていた。

直ぐに冬馬は救急車で搬送された。

それには騒ぎを聞きつけた黒井が同乗した。

 

 

冬馬は救急車で応急手当を受けていた。

同乗した黒井は黙ってその様子を見ていた。

 

「かすみ、かすみだけは……」

「まったく、どうしようもない奴だ」

「かすみと他の練習生でトラブルが……」

「ちゃんと管理しないからだ」

「すみません」

「いいから、今はしゃべるな冬馬」

 

黒井はかつての愛弟子の手をしっかりと握り締めた。

「心配するな。かすみは予定通り出場させる」

「ほ、本当ですか!」

「ああ、後のことは俺がなんとかする。貴様は自分の治療に専念しろ」

「あ、ありがとうございます」

 

かつて、自分が黒井に厳しいレッスンを課されていた時は、黒井のことを憎むことしかできなかった。

でもこの時、冬馬は気づいた。

自分がかすみに対してレッスンをするようになり、指導する側の気持ちが分かるようになった。

黒井がどれだけ自分のことを大切に想っていてくれたのか、この時になって冬馬はやっと理解したのであった。

 

今度は自分が、かすみに対して自分の想いを伝える時だと冬馬は思った。

 

 

かすみが病院に駆けつけた。かすみは泣きながら冬馬の病棟を訪ねて歩き回った。

 

 ははっ、来やがったよ。

 

ベットの上で冬馬は微笑した。かすみのことだからきっと動転しているんだろう、と冬馬は思った。

「ご、ごめんなさい、お兄ちゃん」

冬馬は頭皮を切って血が大量に出ただけだから気にするなとかすみに説明した。

落ち着いたかすみは冬馬に改めて謝罪した。

 

「もういいから、早くレッスンに戻るんだ。俺も直ぐに退院できる」

「で、でも、私、お兄ちゃんが居ないと……」

「かすみ……。

 いつだったか、俺が泣きながらお前に踊ってくれと懇願したとき、お前は俺を受け入れてくれたよな。

 あの時にな、救われたんだよ。俺は。

 お前だっていろいろ辛かったよんだよな。だからお前の苦しみ、全部受け止めたぜ」

冬馬はかすみの頬にそっと手を添えた。

「一つ約束してくれないか?」

かすみは冬馬の手の上に重ねるように自分の手を乗せた。

「かすみ。俺をアイドルマスターにしてくれ」

かすみは冬馬の手を自分の頬に押し当てるようにして頷いた。

「うん、お兄ちゃん。私、きっと優勝するから」

冬馬はそれを聞くとやさしい表情を浮かべながら眼を閉じた。

 

姉が百万ものファンに向けて舞台に立とうとしていた頃、妹はただ一人の為に舞台に立つ事を誓った。

 

朦朧とする意識の中、冬馬はその唇に、かすみの柔らかな感触を感じた。

#9 散りゆく少女達

 

 

「……尊敬する人ですか?」

かすみは出演前のインタビューを受けていた。

「それは『高槻やよい』さんです」

かすみは躊躇することなく答えた。

 

インタビューアーはライバル事務所のアイドルを引き合いに出すかすみを不可思議に思った。

「では、かすみさんが高槻やよいさんを意識し始めたのはいつからですか?」

「生まれたときからです」

「はぁ……。いくらなんでも生まれたばかりの時は面識がないですよねえ……」

「ありますよ」

芸能界にはエキセントリックな人が多い。インタビューアーはこいつもかと思いつつかすみの履歴書に目を向けた。

 

 ん?

 本名『高槻かすみ』?

 

「もしかして……ご親戚だったり……?」

「姉です」

驚きのあまり言葉を失ったインタビューアーの目の前で、冬馬は軽くかすみを拳骨した。

「よけいな事をしゃべるな馬鹿!

 そこは普通……『プロデューサーです』だろ」

かすみはちょっと拗ねた表情を浮かべて首を振って拒否した

「だってお兄ちゃんはだし巻卵作れないでしょ?」

「何言ってんだよ。それぐらいできるさ!」

 

二人に置き去りにされたインタビューアーは、アイドルとプロデューサーの仲が思っていた以上に良好であることに驚いた。

 

 こういうアイドルって強いんだよな……。

 

その光景は、まるで一昔前の765プロのようだと思った。

 

思わぬ特ダネを拾ったインタビューアーであったが耐え切れずに回りの関係者にかすみの正体を触れ回った。

その噂は会場の一般人にも間もなく広がっていった。

会場は予期せぬ因縁の二人に話題が集中した。

この時に姉妹対決を実現させたいという思いが二人の審査を有利にしたのは否定できない事実でもあった。

 

 

かすみはセンセーショナルなデビューを飾った。

 

観客はかすみをやよいのような女の子なのだろうと想定していた。

その先入観を、かすみは本格的なボーカルで一蹴する。

さらに、歌が上手い娘だと思わせた矢先、難易度の高いステップを見せつけ、見せ場でのバク宙で観客の度胆を抜いた。

静と動を織り交ぜ飽きさせることなく演目を続け、最後は溢れんばかりの感情豊かな表情で観客の視線を束ね集めた。

かすみの初舞台は割れんばかりの拍手で迎えられた。

 

 ……やったよ、冬馬お兄ちゃん。

 どう? 驚いた? お姉ちゃん。

 

かすみは大歓声の快感に酔いしれていた。

 

 これが……、これが、お姉ちゃんが見ていた風景……。

 

961プロが積み重ねてきたサプライズ会見も効果的に作用した。

新人でありながら実力派を送り続けてきた961プロの秘蔵っ子として、かすみには多くの期待が寄せられた。

それが高槻やよいの妹であるならばなおさらであった。

 

かすみの想定外の実力に、他の事務所も驚いていた。

「うわうわー、めっちゃ上手いじゃんかすみちん!」

「ありゃ、相当練習してるっしょ」

亜美と真美が素直に感想を述べると伊織が怒鳴り散らした。

「黙っていなさいよあんたたち! 敵に感心している場合じゃないでしょ!」

『敵』という言葉にやよいの表情が曇った。

「やよい、しっかりして。気にしちゃ駄目」

 

伊織はやよいにそれ以上何も言ってやることができなかった。

伊織が今日ほど自分の不甲斐なさに怒りを感じたことはなかった。

 

やよい達も順調に勝ち続けたが、やよいにはいつもの覇気はなかった。

 

 

控え室で律子はユナイトの四人を見守っていた。

 

 こういう時だからこそ彼女達を信じるの。

 ユナイトは柔じゃないわ。

 

思えばここに来るまで長かった。

ジュピターに敗退した春香達の世代が辞めてゆき、美希がユナイトを脱退した後の混乱を四人と乗り切り、今日の日を向かえたのだ。

この頃になると、律子はステージの全てを四人に任せるようになっていた。彼女達もそれに応え続けてきたが、今回ばかりは助け舟が必要だと感じていた。

 

 かすみちゃん、一体どうして……。

 

四人は何かの儀式のように黙ったまま手を繋いでいた。

律子は彼女達の集中を乱さないよう一人控え室を後にした。

 

律子はその昔レッスンルームにやってきたあどけない頃のかすみを思い出していた。

 

 『ねぇ、律子……さん、かすみちゃんも765プロに入れちゃおうよ!』

 『馬鹿言ってんじゃないわよ。まだ子供なのよ』

 『美希がかすみちゃんの世話するから。いいでしょ?』

 『アンタ、かすみちゃんを捨て猫みたいに言うんじゃないわよ』

 『えーっ、かすみちゃんが可哀想なの』

 

「これは必然なの」

律子の前に、星井美希が立ちはだかっていた。

「アナタが私達を許せないのは分かるわ。さぞ面白い見世物でしょうね」

「そんな下らない話をしたいんじゃないの」

「ねぇ、美希、アンタもしかして知ってたの?」

「だったら?」

「どうして止めなかったの?

 こんなことして何が楽しいの?」

「これはかすみちゃんがちゃんと自分で考えて決めたことなの。

 ねぇ、覚えてる?

 765プロがあの雑居ビルにあった頃」

「えぇ。あの頃は皆が売れないアイドルで、不安でたまらなかったわ」

「それでもね、かすみちゃんは美希に言ってくれてたの。

 お姉ちゃん達がとても輝いて見えていたって。

 近づくのも恐いくらいに」

「でも、今の立場じゃそんなこと……」

「たとえ961プロのアイドルだとしても、かすみちゃんの歩みを止めることは、私達の過去を否定することだと思ったの。

 ねぇ律子、どうして簡単に昔の事を忘れてしまおうとするの?」

「そんなことないわよ。でも、いつまでも過去に囚われてちゃ前に進めないわ」

「そう言って、去って行った人達も忘れるの?

 昔を否定する事が前に進む事じゃないと思うの。

 かすみちゃんはね、あの頃みたいに夢と不安で一杯だった私達なの」

「それでも私達は負けられないわ。

 私達には私達の五年間があったもの」

「勝ち負けなんて関係ないの。

 かすみちゃんが勇気を振り絞ってステージに立ってくれただけで十分なの。

 それだけでかすみちゃんは肯定してくれたの。この世界に挑んだ小さかった頃の私達を」

律子は黙って去ってゆく美希の背中を見送っていた。

 

コツコツと会場の廊下に響き渡る美希の足音は、決戦の時が近づくのを告げる秒針のようだった。

765プロダクション高槻やよい。961プロダクション高槻かすみ。

ついに二人は、決戦の時を迎えた。

 

 

出演前に三人の男がかすみの前に並んだ。

「ジュピターの三人に送り出してもらえるなんて光栄ですよ」

「それは違うだろ」

冬馬はかすみを軽くごついた。

「えへっ、ごめんなさい。もうジュピターはいないんでしたっけ」

「それも違う」

 

冬馬は自分の首からネックレスを取り、跪いてからかすみの首に掛けた。

「よく聞け」

冬馬はかすみと目線を合わせた。

「かすみ、お前がジュピターだ」

「……えっ?」

かすみは困惑した表情をしたが冬馬は話を続けた。

「あの頃の俺達はジュピターに全てを注ぎ込んできた。でも俺達はバラバラのままだった。

 今日までお前に俺達の全てを伝えた。だから分かったんだ。

 三人の理想を融合させたお前こそが本当のジュピターなんだ」

北斗がかすみの肩に手を乗せた。

「毎日成長する君を見ていて楽しかったよ」

翔太はかすみの頭を優しく撫でながら言葉をかけた。

「いままでよくがんばったねかすみちゃん。辛かっただろ?」

かすみは感情の高ぶりを押さえるようにネックレスの十字架を強く握り締めた。

冬馬はかすみの両肩を掴み彼女の体をぐるりとステージに向けた。

「行って来い。かすみ。

 ぶつけてくるんだ! 『高槻やよい』に、お前の全てを!」

「うん!」

かすみは雄々しくステージへと上がっていった。

 

 

――決勝

 

アイドルコロシアムは沸騰していた。

 

高揚に任せて攻撃的なパフォーマンスを繰り広げるかすみ。

伊織と共に流れるような舞台を繰り広げるやよい。

 

だがその流形には乱れが認められた。

本番中であるにもかかわらず、やよいはかすみのことが頭から離れなかった。

 

 かすみ……。凄く練習したんだね。

 お姉ちゃんが知らない間に、自分の道を見つけていたんだね……。

 

やよいは走馬灯のように765プロで過した日々を思い出していた。

 

 私は765プロの皆に甘えられたのに、かすみは誰にも甘えられなかったんだよね……。

 日本中を元気にするなんてでっかい事言って、一番近くに居たかすみのこと、忘れてた。

 

妹達の為に765プロダクションの門を叩いて五年、やよいの知らない間に妹達もまた、成長していた。

 

 お姉ちゃんが皆を支えるつもりでいた。

 

舞台は廻っていた。

 

 でも……、支えられていたのは、お姉ちゃんの方だった。

 

二人が手を取り合う一番の見せ場。

伊織はこの時のことをスローモーションで再生できるくらい鮮明に記憶している。

 

何百回と練習しただろう。伊織が手を伸ばすとそこにはいつもやよいの手があった。あるはずだった。

しかし、空を掴む伊織の手、そこには放心して立ち尽くすやよい、タイミングを崩す伊織、それに釣られてバランスを崩す亜美と真美。

あってはならない本番中のアクシデントだった。

 

ただ、やよいは直ぐに我に帰り、体制を持ち直すことはできたが全てが遅すぎた。

 

客が気持ちがひいてゆくのが分かった。亜美はもう早く終わって欲しと願った。それから曲が終わるまで真っ白だった。

最後に真美はやよいの隣に沿い立ち笑顔を作ることで精一杯だった。

 

舞台袖に姿が隠れる前、既にやよいは泣き崩れてしまっていた。

「ごめんなさい、みんな、本当にごめんなさい、わ、私、大失敗しちゃった……」

伊織は持てる力の限りやよいをしっかりと抱きしめて、静かに首を振った。

だが伊織に抱きかかえられたやよいは、やさしい笑顔を讃えていた。

 

舞台の失敗で泣いていたのではなかった。

成長した妹の姿に、姉は心撃たれてしまったのである。

 

「こんなんじゃプロ失格ね。私、もうアイドル辞める」

伊織はやよいが一時の弱音でそう言っているのではないと分かっていた。

 

妹や弟達の為にアイドルの道を歩み始めたやよい。

故に、やよいが示した未来に向けて妹が厳然と歩み始める時、アイドル『高槻やよい』は咽返るような幸福の中で崩れ去ったのである。

 

「あんたがアイドル辞めるんだったら、私も続ける理由なんてないわ」

 

二人で育んだ栄光はこの舞台で終りを迎えた。

ぴたりと合わせた二人の胸は労うように互いの鼓動を交換していた。

コロシアムのアンコールをかすみが飾ることになった。

 

出演前の舞台裏で、亜美と真美がかすみを待ち構えていた。

かすみは少し強張ってしまったが、その表情を見た亜美と真美はやれやれといった面持ちでかすみに歩み寄った。

「しけった面してんじゃないよー、かすみちん!」

「ほら、いっちょ派手にやっておいでよ!」

二人に玩具扱いされていた昔そのままに、かすみはステージに放り出された。

 

海。大歓声の海。かすみはその中に飛び込んだ。

曲の始めでかすみが両手で大きく手拍子すると、それに応えてステージは観客の手拍子に包まれた。

それは新しいトップアイドル高槻かすみの戴冠式の様相であった。

 

ふらふらと芸能界の隅に迷い込んだ小さな挑戦者は、社会からの疎外に立ち向かい、偉大な姉の胸を借り、恩師達の想いに応えたのである。

 

 

観客席では961プロのメンバーが王座奪還の歓喜を共有していた。

 

「あいつ、やりやがった!」

翔太が飛び跳ねるように立ち上がり冬馬の肩を叩いた。

「ブラボーだよ!」

北斗は頭上で手を大きく叩きかすみの優勝を祝福した。

 

そして冬馬は、男泣きに沈んでいた。

「さ、冬馬、かすみの所にいこう」

「お、おう」

翔太に促され冬馬は控え室に歩いていった。

 

 よくやったぞ、かすみ。

 お前は最高の弟子だ。

 

控え室に向かう冬馬の足取りは誇りに満ちていた。

ふと、冬馬の頭痛が再発してきた。その頭痛は突然大きな痛みとなり、冬馬の視界を歪めた。

 

 くっ、こんな時に……。

 ……じ、じきに治まるだろう。

 それより今は早くかすみに会ってやらないと!

 

廊下が斜めに捻じ曲がったかと思うと床が目の前に飛び込み、鈍い感触の後に強烈な眠気が意識を絡め取っていった。

 

 かすみ……。

 

そのまま床に崩れ落ちた冬馬が再び目を開けることはなかった。

Epilogue やよいとかすみ

――天ヶ瀬家の葬儀の日

 

冬馬の葬式がしめやかに執り行われた。

かすみは参列しなかったが、誰もそれを咎めはしなかった。

 

 

静寂に包まれた961プロの小さなレッスンルーム。

かすみは一人、放心していた。

物置だったその狭く薄暗い部屋には、冬馬と過した密度の高い日々の思い出が詰まっていた。

 

(……こんなところで何をしている。早くレッスンに戻るんだ、かすみ。)

 

 そうだったね。

 ごめんね、お兄ちゃん。

 

(駄目だ! 指の先まで神経を尖らせろ!)

 

 いけない。

 もっと集中しなきゃ。

 

(いいぞかすみ。よし、決めろ!)

 

 どう?

 今のは上手くできてた?

 

(よーし。よくやったぞ。)

 

かすみは振り返った。だが、そこには冬馬は居なかった。

少しずつ、かすみは冬馬の死を受け入れ始めた。

そして最愛の人をこの手で殺めてしまったことを思い出し、呻くように泣き崩れた。

 

「……お……お兄ちゃん……冬馬兄ちゃん

 ……う……うぅ……うわあああぁぁぁ……」

 彼女の絶叫が、うらぶれたビルに響き渡った。

 

 

涙枯れ果て床に伏せたかすみを抱き上げのは、姉のやよいだった。

 

「お、お姉ちゃん……?」

やよいは何も言わずしっかりとかすみを抱きしめた。

「お姉ちゃん……ごめんなさい、わ、私……」

二人は静かに向き合った。

この前までコロシアムで大観衆に包まれていたのが嘘のようだ。

 

 今だけは自分だけの姉でいて欲しい。

 今だけは自分だけの妹でいて欲しい。

 

それは五年間、やよいとかすみが心の底で渇望していた想いであった。

 

 

それからどれくらい時間が過ぎただろうか。

やよいはかすみを立ち上がらて力一杯背中をひっぱたいた。

バチンと音がした。

「い、痛いよ、お姉ちゃん」

やよいはとびきりの笑顔でかすみを見つめた。

「こら、かすみ! そんなんじゃアイドルは務まらないぞ!」

 

 今だから分る。

 辛いレッスンの日々を潜り抜けて咲き誇るこの笑顔の偉大さが。

 

 どうやら私はこの姉には一生かないそうになさそうだ。

 

かすみは大きく頷いて姉に応えた。

 

 そうだ、いつまでもこうしてはいられない。

 

かすみはシャワーを浴び急いで身支度をした。

更衣室で冬馬の香水の匂いがしたような気がした。

 

 私、もう行くね、お兄ちゃん。

 

かすみは姉から写しとったような微笑をレッスン場に投げた。

 

(ああ……。その笑顔、俺には教えることができなかったな。……大切にしろよ。)

 

冬馬がそう言ってくれたような気がした。

――数ヵ月後

 

いつもは物静かな住宅街に、重機のけたたましい音が響いていた。

長年高槻家が住み慣れていたおんぼろの一軒屋が取り壊されることになったのである。

拍子抜けするくらいにあっけなく、思い出が詰まった我が家が廃材の塊にされていった。

 

その風景を眺めながら、二人は今までのことを語り合った。

始めて姉のレッスンを見に行ってかすみが感じたこと。961プロでの出来事。そして、冬馬との絆。

 

「ねぇ、かすみ。お姉ちゃん、そんなに強い人間じゃないんだよ。

 ずっと765プロの皆の支えがないと、何もできなかったもの」

「分かるよ。私だって、961プロの先輩達に支えてもらってたの」

 

芸能ニュースを騒がせた姉妹対決も、今の二人にとっては些細な悪戯にすぎなかった。

 

「でもよりによって961プロに行くなんて酷い仕打ちだよ」

「うん、自分でも失敗しちゃったなって……」

「どうして続けたの?

 961プロって厳しいんでしょ?」

「絶対負けられないと思ってたの。

 だって私、『高槻やよい』の妹だもの」

 

やよいは腕組みをしてかすみを見下ろした。

「それが『高槻やよい』を引退させた人が言う台詞?」

「それは……、もう、許してよ」

かすみは憂鬱そうな表情を浮かべたが、やよいは意に介せず笑い飛ばした。

「ふふっ。許してあげる。

 だって、かすみは自慢の妹だもの。

 だからお姉ちゃんのことも許して」

「えっ? お姉ちゃんは何も悪くないよ」

「馬鹿ね」

 

やよいはかすみの肩に手を回した。かすみもやよいの腰に手を回した。

二人は寄り添いながら川辺を歩いていった。

 

 

川辺には無計画に植えられた桜が咲き乱れていた。

まるで吹雪のように、桜の花びらが思い思いの方向に散っていった。

 

「ねぇ、お姉ちゃん。どうして桜ってまだ枯れないうちに散ってしまうんだろうね」

「どうしてだろうね」

やよいは妹の質問に考え込んでしまった。

 

やよいは暫くしてかすみにこう言った。

「きっとね、神様が桜に散ってゆく姿が一番綺麗だって教えてあげたからじゃないかな?」

かすみは姉の言葉を聞きながら手を伸ばすと、掌に一枚の桜が舞い降りた。

「私達もこんな桜のようなものなのかもしれないね」

誰が見守るでもなく、その命を賭けて空を舞う桜に、かすみは自分の姿を重ねた。

 

 

「ねえ、お姉ちゃん」

「なあに、かすみ?」

 

乱れ散る無数の桜の花びらが、いつまでもいつまでも二人を包み込んでいた。

 


 
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