No.713556

鳳雛伝(序章①)

雛里が主人公で赤壁の話を同人誌で描いているのですが、それの序章というか、そんな感じのをやってみようと思って書いてみます。

2014-09-04 09:05:46 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:2905   閲覧ユーザー数:2513

襄陽。

 

漢水の東岸に司馬徽の開いた私塾、水鏡塾がある。

 

廃寺を改築しただけの今にもつぶれてしまいそうな汚い建物だったが、木々の葉も絶え間なく落ちる頃だと

言うのに道々の落ち葉はよく掃かれていて、農具や水桶に細かな手入れが施されている。

 

山々に囲まれたその小さな私塾は、小さなお堂と倉としかなく、私室を兼ねていたので、はなはだ狭く十人と入らなかったが塾生達は肩を寄せあって床に座っていた。

 

水鏡先生と親しまれていた司馬徽だったが、その講義はとても難しかった。

 

その為もあってその後には必ず討論の時間となった。あちこちで組が出来ては語り合い、あるいは論題を投

げ掛けあい、意見が出ると誰かが異を唱え議論は更に激しさを増していくのだった。

 

「士元、たまには付き合ってよ」

 

気の強そうな若い少女が、部屋の隅で小さくなっていた少女に声を掛けると、その士元と呼ばれた少女は

瞬間びくっと肩を震わせた。

 

「象棋の相手をして」

 

気の強そうな少女はそう言うと、机を挟んで士元の向かいに座った。講義の後には時にこうやって盤を囲む

こともあった。

 

士元はおろおろと狼狽えながらなかなか返事をしなかったが、それでも気にせずに机に盤を広げ「あなたか

らでいいわよ」と言うと、士元はおずおずと駒を動かした。

 

「公威、少しは手を抜いてあげなよ」

 

珍しい組み合わせの対局だったので、ひと目見ておこうと塾生達が集まってきて、士元はさらに小さくなっ

た。

 

気の強そうな少女は字を公威といい、名は孟建といった。塾生の中でも一際目立ち、中心のような存在だった。

 

対局は早くかたがついた。まわりの塾生が見つめる中、ほぼ互角に思われた戦いを見せていたが、最後はわ

りとあっさりと終わった。

 

「私の勝ち」

 

孟建は、駒が敵陣の王将をとらえ、士元は小さくうなずくのを見ると、「迂を以て直となし患を以て利とな

すにありよ」と、覚えたての孫子を述べて聞かせた。

 

 

 

 

 

人けのない裏の川原に腰を下ろし、司馬徽に借りた 六韜三略(りくとうさんりゃく)(そらん)じる少女がいる。

 

名を諸葛亮孔明という。

 

孔明は塾生の中ではわりと新しく入塾した方であった。

 

人を避けていた訳ではなかったし、塾生ともうまくやっているのだが、孟建たちと議論を交わしあうのを最

近避けるようになっていた。

 

孔明は、決して他の塾生に劣らぬまでも、勝ってもいなかった。

 

塾生のまとめ役である孟建や、姉のような存在で穏やかな徐庶、冷静で気骨のある石韜等は特に秀才であ

り、孔明もその辺りにいると言ってよかった。

 

ただ彼女らに、群雄が割拠するこの乱世を平定する力はないことを感じていた。

 

それはすなわち、自らに言えることでもあった。

 

日が山裾にかかるまで孔明は川原を動かなかった。やがて文字が暗くて読めなくなってしまうと今度は部屋

で灯をともして続けた。

 

 

やがて、孔明は塾生の中でもめきめきと頭角を現していった。

 

 

あるとき、水鏡先生が孟子の講義を終えるや否や、天下(てんが)の情勢に話を変え、塾生達に問い掛けた。

 

突然のことであったにも関わらず、孟建や徐庶や石韜等は各々の考えを冷静に述べた。

 

孟建が言った。「中原を制するは天下を制すると言います。中原の曹操は天の時を得ています。袁紹を滅ぼ

し冀州をとって道が開けた今、天下をおさめるのは曹操しかいないわ」

 

それを聞いて石韜が、「曹操は奸雄です。民心を集めることは難しいし、西涼の馬騰という後顧の憂い

を残している。その間も力を蓄えている孫権が漁夫の利をとるんじゃないかしら」

 

徐庶が二人の意見を聞いてから続けた。「二人のおっしゃる通り、漢室の命運は既に尽きているので、北に

曹操さん、南は孫権さんが平定すると思います。しかし両雄並び立たず。やがてどちらかがもう一方を滅ぼすと思います」

 

水鏡先生は「あらあら」と満足そうに聞いていたが、自身の考えは述べなかった。

 

 

 

当然、その日の議論は白熱したものとなった。

 

しかし孟建らを中心に誰もが皆それぞれの意見を曲げなかったので、席を立とうとした孔明や普段話に加わ

らない士元にまで飛び火した。

 

「ねえ孔明はどう思うの?あなたの意見を聞かせてくれない?」

 

孟建が聞くと、困ったようにして孔明が愛想笑いをした。

 

「そうですねぇ、先程の元直ちゃんの言うように、今のままだと曹操さんと孫権さんのどちらかが覇業を成

すと思いますが…」

 

歯切れの悪い形だったのは、この時孔明には既にもうひとり候補がいたからであったが、自分でもまだ、考

えに自信を持てていなかったのと、言うと面倒なことになりそうだと思って憚られたからだ。

 

石韜が士元の肩を優しく叩き、「士元ちゃんはどう思う?」と尋ねた。

 

士元は「あわわあわわ」と狼狽した。

 

徐庶や孟建らも士元に注目し、孔明も士元の言葉を待った。

 

やがて、士元はうつむき顔を前髪で隠しながらゆっくりと応えた。

 

「あの…わ…わたし…は、乱れた世を正してくれて、みんなが幸せになる国を…作ってくれる方に、お仕え

したいです」

 

一瞬何の話かと思った孟建が思わず「はあ?何?」と聞き返すと、士元はいっそう狼狽えた。

 

徐庶がよしよしと撫でてやると、意外にも士元が続けた。

 

「あわわ……劉備さんにお仕えしたい…です…」

 

「可愛い!」

 

その言葉を聞いて、徐庶と石韜が士元の愛らしさにすりすりと頬擦りすたので、士元がまたもや「あわあ

わ」と恥ずかしがった。

 

「天下の動向を聞いたのに、あなたがどうしたいのかをきいたわけじゃないのよ?」と呆れたように孟建が

言う。

 

そんな中で孔明だけが、士元の言葉に驚いていた。

 

 

 

 

 

その日の夕食に、孔明は士元の隣に座った。

 

孟建や石韜と多くの塾生は近くの村から通っていたが、元直と士元と孔明と崔州平という孔明よりも新しく入ったまだ若い塾生は水鏡塾で住み込みであった。

 

孔明も相当な恥ずかしがりやで、なかなか話を切り出せず、そんな孔明の何か言いたそうで言えない空気を

感じながら、士元も落ち着かない様子だった。

 

いつもと席を交代してくれと頼まれた元直はにこにことそんな二人を見つめていた。

 

ようやく孔明が意を決して話しかけたのは、もう皆が先に食べ終わって各々食器を片付けはじめた時

だった。孔明はもう食べ終わるところだが、士元はまだ半分近く食べきれてない。

 

「ねぇ、士元ちゃんはどうして劉備さんにお仕えしたいと思ったの?」

 

実はこれが、挨拶以外では孔明と士元との最初の会話であった。

 

「あわわ…」と、士元は少し狼狽えてから、「劉備さんには、曹操さんや孫権さんにはない、民心を集める力があるから…」と言った。

 

孔明はまたも驚いた。

 

「曹操さんには天の時、孫権さんには地の利、劉備さんには人の和…」

 

「あ…」

 

独り言のように言った孔明の言葉に、士元が強く反応していた。

 

「はわわ!士元ちゃん、すごいよ!私達同じこと考えてたんだ!」

 

「ふえっ…?」

 

他の塾生が天下の情勢予見する中で、士元だけが劉備の名をあげた。それは一見突拍子もない話だ。何故な

ら劉備は曹操に追われて各地を転々とし、まともに治める国がない。曹操が本気になれば、すぐにでも押し

潰されるのは明白だ。

 

しかし士元はそんな地固めが出来ていない劉備に仕えると言う。

 

それは、暗に好きな主を決めたと言う話ではなく、劉備こそ曹操、孫権に並び立つ存在であると確信してい

るということばかりか、あるいは、自分が劉備に仕えることが出来れば、劉備を導き、天下の情勢を変えることが出来るのだという自信なのではないだろうか、と感じずにはいられなかった。

 

孔明は、思い切って自分が思っていることを士元に言ってみることにした。

 

「士元ちゃん、江東は孫権さんが占めてるよね。中原を曹操さんが統一したら、劉備さんが治めるべきは

何処だと思う?」

 

士元は孔明の言葉に更に驚いた様子で、やはり少し興奮気味に答えようとすると、突然孔明が手でそれを制

した。

 

「待って、せーので一緒に言おう?」

 

「うん、分かった」

 

孔明は一息ついてから、「せーの…」

 

 

 

『益州!』

 

 

 

(たぶん続く)


 
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