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蓬莱学園の迷宮『第三話・北国からの留学生』

さん

N90蓬莱学園の冒険!の二次小説です。オリジナル設定の話ですがよろしくお願いします。なおこの話はフィクションであり、実在する人物・団体とは一切関係ありません。よろしくご了承ください。

2014-07-10 09:26:19 投稿 / 全16ページ    総閲覧数:787   閲覧ユーザー数:787

 

蓬莱学園の迷宮『第三話:北国からの留学生』

 

●海洋冒険部・深海探査艇『やまさち』

 

「現在の深度は?」

「四千五百です」

「よし、もう少しだな」

「だから! 言ってるじゃないですか! もう無理です! ダメです! 限界ですってば!」

「何を言うか! もう少しで海底なんだぞ! 海底にはメタンハイドレートにレアメタルがごろごろしててだな、お宝の山なんだぞ!」

「あんたのその口車に乗った俺がバカだった・・・こんなオンボロ潜水艇で潜るはめになるとは。とほほ」

「泣きごと言っとらんで姿勢を保たんか。えらく揺れるぞ!」

「だからさっきからいってるじゃないですか!このポンコツじゃもう限界なんですよ!」

「・・・いや。違うぞ。この揺れは」

「なんです?  窓からなにか見えますか?」

「・・・あれはなんだ?」

「へ?」

「ここからじゃ遠すぎて分からん! もうちょっとなんとかならんのか!」

「・・・じゃあ、無人潜航艇を使いますから、今回はそれで勘弁して下さい」

「・・・くそ。せっかくここまで来たというのに」

「うちの部だって深海潜航艇は何台もないんですよ。ここまで、しかもこんな料金でこれたことを感謝してくださいよ」

「ちっ。しょうがない。無人機を頼む」

「アイアイサー!  無人潜航艇『うみさち』切り離します」

「モニターはこれでいいのか?」

「そうです。そこからどうぞ」

「泥が渦巻いててよく見えんな」

「こんなところで変ですね? 泥の中に突っ込みます」

「いきなり画面が流れたぞ! どうなってる!?」

「海流ですよ。潜航艇が流されてます。でもおかしいな。こんなところにこんな流れはなかったはずなのに。あ、どうやら泥の層を通過しますよ。その先はすぐ海底のはずです」

「む!?」

「え? これは?」

「な、なんじゃこりゃ!!!!」

 

●謎の転校生

 

「いや、べつに謎じゃねーだろ!? ただの転校生じゃねーか?」

 

旧図書館の入口、軍艦図書館一階にある整頓隊資料室だ。例によって旧図書館整頓隊・第五十五分隊のメンバーが何人か集まっている。

 

先程大きな声をあげたのはアレクセイ・パブロフ。海洋冒険部の三年生で、五十五分隊のマップ員、つまり地図製作係である。

そうした役職のイメージに反し、アレクは身長2メートル近い巨漢で、体躯に見合った筋肉の持主。灰色の髪をクルーカットにし、トンがったあご髭を生やしたその容姿はどう見ても海兵隊員、いや海賊だった。

 

「でもでも! こんな時期に転校生なんて変じゃないですか! しかも二人ですよ! しかも北欧からですよ! そんな北の果てからわざわざ来るなんて変じゃないですか!」

 

アレクにそう言ったのは、彼とは対照的に150センチもなさそうな小柄な少女だ。

名前は朝倉真央(あさくらまお)。校内巡回班に所属する一年生で、分隊での役割は護衛員。身長のみならず体型も小学生にしか見えない彼女だが、実は柳生新陰流の使い手で、背中には黒塗りの鞘におさまった日本刀をしょっている。刀は母親からの入学祝いで、銘を『いするぎ』という。また外国人の祖母から譲り受けた亜麻色の髪が悩みの種で、なるべくめだたないようにベリーショートの髪型にしている。

 

「俺たちにしてみりゃ、日本のほうが東の果てなんだがな」

 

ため息まじりにアレクが言う。ウクライナ出身のロシア人である彼にとっては、北欧の方が断然近い。

 

「真央ちゃんのクラスの転校生って、どこの国からなの?」

 

アレクの隣には真央とはまた対照的な美女が座っていた。癖のある金髪を腰まで伸ばし、黄金比で削り出したようなスリーサイズの持主は、イタリア人のカーラ・コスタ。年齢不詳。二年生の保健委員で、分隊での役割は当然救護員。ボッティチェリの絵画から抜け出て来たかのような容姿はまさにヴィーナスである。男子生徒なら誰しもその手で看護してほしいと望むところだが、実は患者の悲鳴がなにより好きというサディストだ。趣味と仕事の区別をつけているのが救いだが、彼女のおかげで分隊の怪我人が少ないのは事実であった。

 

「国ですか? 北欧の、えーとスエーデンって言ってました」

「ふうん。私のクラスにも転校生が来てたわよ。やっぱり北国から」

「あんだって!?」

「えー!?」

「デンマークからって言ってたわ」

「ほらほら、やっぱり怪しいじゃないですか! 北国から一度に三人ですよ!」

 

勝ち誇る真央。

 

「けどスウェーデンとデンマークじゃ全然別の国じゃねーか」

 

真央は、負け惜しみですね、と鼻で笑う。

 

「そんなことは些細なことです。問題はこの中途半端な時期に、北国から転校生が大勢来ているということなのです! なにか事件の匂いがしませんか?」

「いや別に。俺たちゃ探偵じゃねーし」

 

アレクの反応は相変わらずそっけない。

 

「きっと向こうの学校から交換留学生とか、そういうオチだろ。だいたいこういうことは敬介が詳しいんだ。学園の事情はあいつに聞けばすぐ分かるさ」

「それは・・・そうですね」

 

真央は恨めしそうに天井を見あげる。

 

「高城先輩は、まだあそこですか?」

「入り浸りだぜ」

「一也もね」

 

二人もそう言って笑った。

 

高城敬介(たかしろけいすけ)、三年生。図書委員で真央たちの五十五分隊の隊長であり、発見した図書の評価や分類を行う整頓員を務める。

アレクほどではないが長身でやや細身の体型。短めの黒髪をした眼鏡男子で、イケメンと言えなくもない。ただ人付き合いが悪く無表情であるため、まるでロボットのように見えることもある。その外見と眼鏡で睨まれると誰しも急激に気温が下がる気がすることから『氷の高城』の異名を持ち、真央などは敬介の眼鏡から冷凍光線が出ると信じている。

 

彼らは前回、軍艦図書館五階で重要な発見を行った。それは軍艦図書館の設計図らしきものを含む貴重な文献で、その場所は『館長室(仮)』と呼ばれている。それ以来、敬介は館長室(仮)の文献調査にかかりきりで、最近は資料室に顔を出すことも稀だった。

 

そして五十五分隊の最後の一人が織田一也(おだかずや)、錬金術研の二年生で分隊では護衛員を務める。身長は170センチほどでカーラと同じぐらい。長めの黒髪をサラリと流し、敬介よりは優しげな雰囲気がある。以前発見した魔道書から創り出したホムンクルスを三体以上所持しており、それらは怪異が起こった際、分隊を護って大活躍をした。

一也には旧図書館は宝の山である。今も新しい知識を得るために、敬介と一緒に館長室(仮)の調査に熱中している。

 

「まあ俺は発見した本にゃそれほど興味はねーしな」アレクはニヤリとする「見つけるまでの過程が面白いのよ」

 

「私も怪我人が出ない調査だと用は無いしね」

 

フフッと笑うカーラに、真央とアレクは虫歯が痛むような顔になった。

 

「ま、まああれだ。真央ちゃんは上に行かなくていいのか? 結構凄い本があるかもしれないぜ」

 

アレクが気を取り直してそう言うと、真央も興味なさそうに首をふった。

 

「あたしも別にいいです。難しい本を見たってわかりませんし」

「あー、そういや真央ちゃんは旧図書館に妖精を探しに来たんだっけ? なんかそんなことを言ってたよな」

「ああ、はい、そうなんです。といっても絵本に出てくるような妖精かどうかは分からないのですけど」

「分からない?」

 

そう聞いて不思議そうにするアレクとカーラに、真央は母親のいいつけで旧図書館整頓隊に参加することになった経緯を説明した。旧図書館の囚われの妖精を救出する、それが真央に課せられたミッションなのだ。

 

「囚われの、妖精か・・・・・」

 

アレクは何事か考え込むように顎髭を撫でている。

 

「それ、敬介に言ったのか?」

「え? あ、はい。面接の時にきっぱりと」真央はちょっと照れ臭そうだ「絶対笑われると思いましたけど」

 

「・・・・」

 

沈黙するアレク。

 

「え? なにかまずかったですか? 高城先輩には言わない方が良かったですか?」

 

長く続く沈黙に真央はオロオロし始める。初めて気がついたが、のべつまもなく喋り続けるアレクが黙っていると、なにやらとても不安になる。

 

「俺が言ったて敬介には言うなよ?」

「よかった! もちろん言うなといわれれば絶対言いません!」

 

真央はぐっと口に力を入れると、アレクの次のセリフを待った。

 

「敬介には兄貴がいてな。だいぶ歳の離れた兄弟だったらしいが、その兄貴もここの生徒だったんだそうだ」

「へー。そうなんですか?」

「しかもその兄貴も整頓隊だったんだ」

「え? じゃあ高城先輩の整頓好きはお兄さんの影響ですか?」

「まあそうとも言えるが・・・実は兄貴は整頓中に行方不明になってだな」

「ええ!?」

「その最後の整頓の時に書き残していた文書の中に、こうあったんだそうだーーー『やったぞ! これで囚われの妖精を解放できる!』ーーーてな」

 

「えええええ!?」

 

真央の声に資料室にいた生徒達が一斉に振り向いた。

 

「ちょ、バカ! 声が大きい!」

「す、すいません・・・・でも、それってどういうことなんです?」

「そりゃこっちがききたいぜ。その頃敬介はまだ小学校に入ったかどうかって歳だったそうだがな」

 

小学生の敬介。真央にはまったく想像できなかったが、きっと今のままだろうと思った。ただ小さいだけ。

 

「旧図書館に囚われた妖精。それはいったいなんのことなのか。たぶん敬介こそ、それを一番知りたいだろう」

「それでずっと整頓隊にいるのね。真央ちゃんを入れたのもそれがあったからか」

 

カーラも初めて知る話に驚いた。敬介が旧図書館にこだわる理由は今まで聞いたことが無かった。

 

「その囚われの妖精を真央ちゃんの母ちゃんは知ってるということだ。まあ同じ物かはわかんねーけど、ヒントにはなるかもな」

「でもでも、あたしもそれ以上のことは聞いてませんよ! それを見つけてきなさいってだけで・・・」

 

真央は考え込んだ。今までの暮らしの中で、囚われの妖精についてなにかヒントがあっただろうか? だがいくら考えても思いつかない。

 

「お母様も具体的なことは何も知らないと思います。知ってればもう少し何か教えてくれてますよ」

「それにしても、お前のかーちゃんって何者なんだ?」

「何者っていわれても・・・」

「あー、分かってる。ただの美人のお母様ってんだろ?」

 

アレクはカーラをチラリと見、真央を見、その美人のお母様の顔を想像してみる。

 

「写真かなんかねーのか? 美人美人と言われちゃ気になってしょうがねーよ」

「写真なんて・・・子供じゃあるまいし、お母様の写真なんて持ち歩いてませんよ」

 

真央は照れくさそうに笑うが、見た目は十分子供だ。

 

「じゃあ、今度帰ったら写真撮ってきてくれよ。すげー興味あるぜ」

「お母様にき、きょうみって、そ、それは、それはとても、とてもき・・・き、き・・・・こ・・・・」

 

なぜか真央は急にガタガタと震えだした。顔色も真白になっている。

 

「な? どうした真央ちゃん?」

「何か精神的なショックかしら? 急いで保健室に連れて行かないと!」

 

カーラは真央の額に手を当て「熱はないようね」と確認すると、震える真央を抱きかかえるようにして立ち上がらせた。

 

「え? あ、おい待て!」

「さあ真央ちゃん、お姉さんが手当てしてあげますからね。もうちょっとの辛抱よ」

「こ、こ・・・・」

「じゃあアレク先輩、後はよろしくお願いしますね」

「いや、だから!」

 

うわごとを呟く真央を連れて、カーラは嬉々として資料室を出ていった。

二人を止めようと伸ばした手は虚しく空をきり、あとは真央の運命を神に祈るしかない。

 

「主よ、憐れみたまえ。アミン・・・・」

 

●館長室(仮)

 

「そちらの方はどうだ一也?」

 

書物の山の中から敬介が声をかける。ここは五十五分隊が前回発見し、豪華な調度と軍艦図書館建設当時の資料などが置かれていたことから、館長室(仮)と呼ばれている場所である。

 

「いろいろ面白い物がありますよ。第四種閲覧禁止指定クラスの本は山ほどあります。二種ぐらいのものも出てきそうですね」

 

こちらも休むことなく書物に目を通す一也。その手にはリストアップした書名が数多く記録されていた。久しぶりに研究意欲が刺激され、錬金術研としても生き生きとしている。これで彼の知識も格段に増えるだろう。ホムンクルス以上の成果を上げられるかもしれない。

 

現在この館長室(仮)は、敬介をリーダーとして多くの図書委員達が調査と整頓にあたっている。ここまでのルートも、以前下の階にあった大穴を補修し、そこから直通の階段が設けられていた。発見した部屋の重要性を考え、図書委員会から建設用にかなりの額の予算がおりたのである。そのおかげで今では安全に行き来することが出来るようになっていた。

 

「こちらには軍艦図書館建設時の資料が収まっているな。どうやら最初の基本設計は、辰野金吾(たつのきんご)の流れを組む組織がしたようだ」

「辰野金吾? 東京駅の?」

 

一也が顔を上げた。辰野金吾は日本の建設家の草分けであり、東京駅・丸の内駅舎、国技館、日本銀行などを手がけた人物である。

 

「そうだ。辰野金吾は1919年に亡くなっているので、彼自身が関わっているわけではない。コンクリート造りの軍艦図書館自体も辰野様式ではないが、彼の造ってきた物をかなり参考にしている」

「待ってください、辰野金吾というと、帝都の表玄関として東京駅にもいろいろ仕掛けをしていたんじゃ?」

「そのようだな。この前の魔犬を覚えているだろう?」

「もちろん」

「あの魔犬が出現した場所。その天井部分に戌の絵があしらってあった」

「戌? 十二支の、戌、ですか?

「そうだ。設計図にもある。あれを調べれば、またいろいろ分かるのではないかな?」

「わかりました。さっそく」

「もうひとつ」

 

急いで部屋を出ようとする一也を敬介が呼び止めた。

 

「錬金術研に聞きたいのだが、ミハイル・イェルマノフという名前に心当たりはないか?」

「ミハイル・イェルマノフ?」

一也は首を傾げる。

「いえ、聞いたことはないですね。ロシア人ですか? その人物がなにか?」

「そうか・・・設計段階の書簡で煩雑にその名前が出てくる。もしかしたらデザインを担当した人物かもしれない。オカルト系で名前の知れた人物ではなかったか」

「そうですね、僕はちょっと聞いたことがありませんが・・・部長に確認してみます」

「頼む。あるいは辰野金吾と何らかの関係があるのかもしれないが・・・もう少し調査が必要だな」

 

「よう、お疲れさん。どんな様子だ?」

 

そこへひょっこりとアレクが顔を出した。真央もカーラもいなくなり、暇を持て余している感じだ。

 

「まだ始まったばかりでなんともいえんが、実に興味深い」

「そりゃけっこう」

 

アレクの口調に敬介は手元の資料から顔を上げた。

 

「暇なら手伝え。人手はいくらでも欲しい。朝倉とカーラはどうした?」

「あー、真央ちゃんは当分使い物にならないと思うぜ。気分が悪そうだったのでカーラが連れてった」

「!」

 

さすがの敬介も戦慄が走った。カーラに保健室に連れていかれるとどういう目にあうのか・・・いや、それは思い出したくもなかった。

 

「バカめ。カーラの前で不調を訴えるなとあれほど言っておいたのに・・・」

「さすがにこれで身にしみるさ。今後は気をつけるだろうよ」

「それにしても朝倉が不調とはな。風邪でもひいたのか?」

「ほう」

 

珍しく人のことを気にする敬介に、アレクはニヤリとした。

 

「なんだ?」

「いや別に。風邪じゃねえ。まあいろいろあったんだが、もともとは謎の転校生のせい、かな」

「謎の、転校生?」

 

敬介の眼鏡がかすかに上がる。

 

「転校生ならうちのクラスにもきましたよ」

 

一也が言った。

 

「転校生というより留学生かな? ノルウェーとフィンランドから一人ずつ。かなりの美形でしたね」

 

「え? お前のクラスにも?」

 

アレクはさすがに驚いたようだ。

「こりゃ、真央ちゃんの言うように謎の転校生だったか? おい敬介、なんで北欧からこんなにいっぱい生徒が来てんだよ」

「なんだ、そのことか」

 

敬介は再び書類に目を戻す。

 

「あれはアスガルド財団からの留学生だ。29名受け入れている。ほとんどが北欧の出身者だな」

「留学生が29名? なるほど、やっぱそういうオチか」

「アスガルド財団、ですか?」

 

アレクはつまらなさそうに言ったが、逆に一也は顔を曇らせる。

 

「あそこはけっこうカルトな集団じゃなかったですか? オーディンを崇拝する」

「オーディン? 北欧神話の主神のか? そりゃまた、変わってるな」

 

北欧神話は北欧ヴァイキングの人々によって信じられていた神々で、オーディンはその主神だ。もちろん現代ではその信仰は衰退しており、古代宗教のひとつである。

 

「そういう噂もあるな。だが今回の留学生は別に極端な思想を持っているようではなかった。問題はないという判断だな」

「そうですか・・・」

 

一也がそう言った時、建物がガタガタと音をたてた。地震だ。

 

「またか?」

「最近多いですね」

 

震度でいえば2程度の軽い揺れだったが、なぜか最近地震が頻発している。さすがに震度4以上は稀だが、3程度なら日に数回おこることもある。

 

「阿松岳が噴火するって、みんな騒いでますよ」

 

一也は苦笑しているが、蓬莱学園のある宇津帆島はもともと火山島だ。阿松岳、伏里山、御槌岳の三つの活火山があり、いつ噴火があったとしてもおかしくはない。

 

「小笠原海溝のすぐ側だ。地震ぐらい当たり前だ」

 

敬介は一刀両断である。彼には揺れで資料が散乱したり、建物の強度が損なわれる方が問題だった。

 

「あれ、アレク先輩は?」

 

キョロキョロする一也。いつのまにかアレクの姿が消えていた。あの大きな姿がどこにもない。敬介は顔を上げると部屋の大きな机を指さした。

 

「ええ?」

 

なんとアレクは机の下に頭を抱え、身を縮めて隠れていた。

 

「終わったか? いやー、どうも地震てやつには慣れなくてさ」

「アレク先輩、今のは揺れてるうちには入りませんよ」

「何年ここに住んでるんだ」

 

ゴソゴソと這い出すアレクに一也は苦笑を、敬介は氷の眼差しを向ける。

 

「船の上で揺れるのには慣れてるんじゃないのか?」

「いやいや、船が揺れるのと地面が揺れるのじゃ全然違うだろ? 船の揺れはゆりかごだが、地面の揺れは地獄の一丁目だぜ」

 

アレクが熱弁していると、再びゴオンという音とともに、旧図書館全体が揺さぶられた。

 

「また、地震?」

「いや、違う。・・・爆発だ」

 

敬介は言うなり館長室(仮)を飛び出し、一也とアレクも彼に続いて駆け出した。

 

●破壊者

 

「何があった?」

 

敬介達が軍艦図書館一階ロビーに戻ると、そこは蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。カウンターの図書委員を問いつめたところ、旧図書館本館地下一階で爆発があり、地上部分にも被害が出ているらしい。

 

「今のところ怪我人は出ていないようですが、原因はまだ不明です」

「場所は?」

「本館地下一階のD3です」

 

それだけ聞くと、敬介は旧図書館奥に続くゲートに向かう。もちろんアレクと一也も続く。

 

「どっちだと思う? 怪異か、図書泥棒か?」

 

アレクが聞く。旧図書館で大規模な爆発事故となると、もっとも大きな原因はその二つだ。ただ

 

「本館地下一階のD3じゃ、γ(ガンマ)地区でもそんなに奥じゃありませんよ。そこまでの怪異はおこらないはずです」

「図書泥棒にしても、爆破という強引な手段に出るほど貴重な図書があるとも思えない」

「じゃあ地下から可燃性ガスでも漏れてるんじゃねーか? ここんとこ地震も多いし」

「それなら被害がこの程度では済まないはずだが。とにかく現場を見てみないと」

 

旧図書館奥へのゲートは閉鎖され、図書委員たちが警備についていた。

 

「誰か出てきた者はいるか?」

 

敬介の問いに彼らは首をふった。

 

「爆発以降、誰も出てきていません」

 

それに頷くと、敬介たちは臨時に編成された救護隊と共に、消火器などを手にして現場へと急いだ。爆発がおきたのは第一廊下の中ほどにある階段を降り、やや奥に進んだところだった。多くの閲覧室が並ぶところでさほど重要な場所ではない。その分人があまり行かない場所ではあった。

 

「かなりやられてますね」

 

一也が惨状に唖然とする。閲覧室のひとつが完全に崩壊していた。部屋の中心から球状に全ての物が吹き飛ばされ、壁や床にも亀裂が入っている。天井は一部がめくり上がり、一階部分が見えるほどの穴が空いていた。

 

「こりゃ、それなりに強力な爆弾だな。とは言っても火は出てないようだし、妙に中途半端だぜ」

 

アレクが顎髭を捻りながら辺りを見回す。彼の言うようにこれだけの爆発があったにも関わらず、燃えているものは一切無かった。煙が上がっている所もなく、持ってきた消火器は使う必要がなかった。近くに怪我人がいる様子もなく、救護隊は現場の調査のための活動を開始した。

 

「妙だな」

 

爆発の中心地付近に立ち、敬介は違和感を覚えた。爆発の威力が壁、床、天井に同じように及んでいたのだが、唯一東側だけが無事だった。その東側に立ってみると、そこから壊れた箇所が全て確認できる。この場所で何かが爆発したなら、なぜ爆風が東側には及んでいないのか?

敬介は無事な方に行ってみた。そこには壁に大きな割目があったが、それはかなり古い物で、今回の爆発で壊れたものではなさそうだ。割目はかろうじて人が通れるほどの大きさがあり、その向こうは別の廊下に続いている。廊下の先には地上への階段があるのも見えた。

 

「うひゃ。こりゃひでーや。ちょっと見てみろよ」

 

反対側を見に行っていたアレクが何か見つけたようだ。西側は旧図書館奥に続いており、その先は黒々とした闇が続いている。その闇の畔に奇妙な物がゴロゴロと転がっていた。

 

猫ほどもある鼠の死骸である。

 

「化け鼠か」

「かなりの数だな」

 

図書委員たちも眉をひそめた。化け鼠は旧図書館の地下では頻繁に出没する。怪異なのか変種の動物なのか判然としないが、通常の鼠と同じように殺鼠剤や忌避剤で対処が可能であり、物理的に排除が可能なので重要視はされていない。RPGの序盤に出てくるモンスターのような扱いである。

 

「雑魚だな」

 

アレクが化け鼠の死骸を確認しながら言う。爆発がこれらたくさんの化け鼠を殺傷したのは間違いない。

 

「まさか化け鼠に驚いて爆弾を投げたのか?」

「それはないでしょう。それじゃあ鶏に牛刀ってやつじゃないですか?」

 

一也が首を傾げる。あまりにチグハグだ。棒きれを振り回して追い払えるモノを相手に爆弾とは。

 

「まあ俺はこの前、軍艦図書館で化物相手に爆弾投げようとしたやつを知ってるけどな」

 

アレクが敬介を横目で見ながらニヤリと笑う。前回の整頓時、出現した魔犬に向かって敬介が爆発物を使おうとしたのを言っているのだ。

 

「奇遇だな。私もだ」

 

皮肉を氷眼鏡で跳ね返しながら、敬介はもう一度東側から西側に向かって視線を動かす。何かの動きを確認するかのようにゆっくりと。氷眼鏡は時間を超越し、過去の出来事までが見えているかのようだった。

 

「お。団体様のお着きだぜ」

 

現在に引き戻された視線の先に、ガヤガヤと大勢の生徒達がやってくるのが見えた。どうやら公安委員会が調査に来たようだ。

 

「珍しいですね、公安が絡んで来るなんて?」

「旧図書館でテロでもなかろうにな」

 

アレクが肩をすくめる。

 

「彼らが出張ってきたなら我々のやることはない。戻るぞ」

「そうだな。後はまかせっか」

 

敬介に促され、アレクと一也も現場を後にした。

 

「だいたいの目星はついたんだろ? どう見る?」

 

帰り道、アレクが敬介をつついた。

 

「お前と同じ結論だ。旧図書館に潜入し、化け鼠に驚いて爆弾を使い、そのまま逃げた」

「けど今時の図書泥棒なら化け鼠ぐらい知ってますよ。爆弾まで持ち込もうって連中なら特に」

「図書泥棒ならな。今回の犯人は完全な素人だ」

「一般生徒ですか? それで爆弾となるとまた話がこんがらがりますよ」

「だがよ一也、蓬莱学園ならあの程度の爆弾はすぐ手に入るぜ。銃よりは簡単だ。素人が興味本位で入り込んでビビって逃げた。ありえるだろ?」

「まあ・・・・」

 

今ひとつ納得しかねる様子だが、ありえなくはない。

 

「だが気になることがある」敬介が言った「火薬の匂いがしなかった」

「そういや、そうだな?」

「なぜ爆風が一方向を避けている?」

「それは分からん。壁でもあったのかね?」

「とにかく単純な図書泥棒ではなさそうですね。公安が来てたけど本当にテロってこともないでしょう?」

 

一也の話をアレクは一蹴する。

 

「あんなとこ爆破して誰が徳するってんだよ? 反旧図書館戦線とかか?」

「そんな組織あるんですか?」

「あるかそんなもん! 俺が今作ったんだよ!」

 

結論の出ない会話を続けながら、彼らはゲートをくぐり、一階ロビーへと戻る。そこは例によってロープが張られて立入り禁止になっていたが、ロープの向こうは野次馬で鈴なりだった。

かなりの数の生徒が何事かと詰めかけていたが、その一角にふと敬介の目が向けられた。人垣の向こう側が金色に輝いていたのだ。金色の髪に、蒼い瞳、そして抜けるような白い肌。同じような容姿の男女が十名ほどそこにいた。彼らは騒ぐでもなく並んでじっと中の様子を見つめている。無表情に。しかし敬介がこちらを見ているのに気づくと、リーダーらしき少年が何か囁き、それを合図にして彼らは静かに旧図書館を去っていった。

 

「なんだ、あいつら?」

 

怪訝そうにアレクが呟く。

 

「見覚えがありますね。中の一人はうちのクラスに来た留学生ですよ」

 

どうやら一也のクラスに来た転校生があの中に混ざっていたようだ。

 

「じゃあ、あいつらが真央ちゃんの言う謎の転校生か。旧図書館になんの用だ?」

「さあ。学園の名所見学というわけでもなさそうでしたが」

「敬介よ、なんとかいう財団、ほんとに大丈夫なんだろうな?」

 

だがアレクの問いに敬介は答えなかった。彼もまた留学生たちの去った方角をただじっと見つめていたのだ。無表情に。

 

●謎の転校生再び

 

翌日。真央は朝からボーッとして授業にまったく身が入らなかった。

それはいつものことではあったが、眠いというのでもなく、なんとなく身体がだるかった。

しかも昨日の記憶がない。整頓隊資料室でアレクたちと話していたことまでは覚えているのだが、それから先、何があったのかさっぱり分からない。気がつくと朝で、寮の自分の部屋にいた。

まあ覚えていないものはしょうがないので、そのまま授業に出て来たものの、机に頭を預け、やる気もおこらずダラダラと過ごしていた。

 

(今日はやけに疲れるな・・・あれ、そういえば子供の頃からこんなことがよくあったような・・・?)

 

それはそれで思い出せず、悶々としているところに「こんにちは、朝倉さん」と、突然話しかけられた。

 

「あ、オハヨー! って、ええ!?」

 

真央はいきなり飛び起きた。ボーとしていた彼女の横にいつの間にかやってきていたのは、金色の髪に蒼い瞳をした少女と少年、真央のクラスに転校してきたあの二人だったのだ。

 

「朝倉さんにちょっとお聞きしたいことがあるのですが、今いいですか?」

 

流暢な日本語で話しかけてきたのは少女の方だ。

 

「も、もっちろんいいですとも! えーっと、カッセルさん」

 

真央は名前を覚えていてホッとした。彼女の名前はイェシカ・カッセル。金髪を肩口で切り揃えた小柄な少女で、切れ長の目と長い睫毛が大人びた印象を与える。

少年の方はバート・ヨハンソン。クルクルとした巻毛と大きな丸い目を持ち、その口元に浮かべている楽しそうな微笑みも合わせて、元気一杯ないたずらっ子といった感じだ。

 

「私のことはどうかイェシカと呼んで下さい」

 

そう言って微笑む姿は年相応に可愛らしかった。

 

「じゃああたしのことも真央って呼んでね。で、聞きたいことって何? あー、でも日本の芸能人やファッションにはあんまり詳しくないかも」

 

エヘヘっと笑う真央だったが、彼女たちの聞きたいことは実に意外なことだった。

 

「いえ、そういうことではありません。私たちは蓬莱学園の旧図書館にとても興味があります」

「旧図書館にぃ?」

 

驚いた。どうやら旧図書館は外国でも有名なようだ。

 

「はい。旧図書館で探したい物があるのです。お聞きすると旧図書館には整頓隊というものがあり、真央さんがその隊員だと」

「うん、そうだよ。新米だけどね」

「整頓隊にはどうすれば入れるのでしょう? 私たちでもなれますか?」

「それは・・・どうだろ? 偉い人に面接して貰ってOKだったら、かな? でもでも、ほんとにやるの?」

 

真央は心配そうにイェシカの顔を覗き込んだ。

 

「整頓隊って3Kだよ? きついし、汚いし、臭いし!」

「臭い、のですか?」

「カビ臭いし埃っぽいし、ノドはガラガラになるし。それに時には変な、何か動物のような、腐ったような匂いもするし・・・」

 

日頃溜まっているものを吐き出すように喋り続ける真央。イェシカたちもダンダン不安そうな顔つきになる。

 

「もうね、年頃の女の子の行くとこじゃないの。特にイェシカちゃんみたいな可愛い子には似合わないよ」

 

いつのまにかちゃん付けになっていたが、イェシカはそれに気づいた様子もなく、バートと二三言葉をかわすと再び真央にお願いした。

 

「いろいろ教えてくださってありがとうございます。でも私たちはどうしても整頓隊に参加したいのです。その偉い人に紹介していただけませんか?」

「そっかー。きっとイェシカちゃんにもいろいろ事情があるんだね」

 

真央は自分の身の上のことを考え、イェシカにも同情したように頷いた。

 

「わかった。放課後、一緒に旧図書館に行こうよ。うちの隊長を紹介して上げる。隊長が面接官なんだ。でも気をつけてよ」

 

真央は声をひそめた。

 

「眼鏡を見ちゃダメだよ。すっごく寒くなるから。凍らされちゃうからね」

「眼鏡? 凍らせる?」

 

イェシカは目を丸くした。真央の日本語が理解出来なかったようだ。

 

「よくわかりませんが寒いのは大歓迎ですよ。ここは暑すぎますから」

 

イェシカはホッとしたようにそう笑ったのであった。

 

●新たな課題

 

「という訳で、入隊希望者を連れてきました!」

 

その日の授業が終わると、真央はさっそく二人を旧図書館に案内し、資料室へと連れてきた。

部屋にいた敬介らは突然のことで、なにが『という訳』なのかまったく分からなかったが、アレクや一也も昨日のことがあるので真央が連れてきた二人に驚いたようだった。

 

「昨日、旧図書館で会ったかな?」

 

敬介がイェシカとバートに尋ねた。

 

「昨日ですか? いえ、昨日は旧図書館について人にいろいろ聞いていましたので、こちらには伺っておりません」

「そうか」

 

敬介の記憶にもこの二人の顔はなかったが、聞かなければならない。

 

「昨日の放課後、ここで事故があった時に君の友人達が見学に来ていたようなので聞いてみた。その事は知っているかね?」

「友人が?」

 

驚いてイェシカとバートは顔を見合わせた。そして不安を隠せない顔を敬介達に向けてこう言った。

 

「友人というのは財団の他のメンバーのことと思いますが、私たちも皆が同じ意見、同じ目的というわけではありません。もし昨日、何か不愉快な思いをされたのでしたらお詫びいたします」

 

真摯な表情のイェシカ。嘘をついているとは思えなかった。

 

「つまり君たちは旧図書館になんらかの思惑がある、ということなのかな?」

「正確には旧図書館も、と言えます」

 

イェシカは敬介に理由を説明した。

 

「私たちの国で失われた物があります。それはとても大事なものなのです。それがどうやらここ、蓬莱学園にあるのではという噂を聞き、私たちはやってきました。そして私はそれが旧図書館にあるのではないかと思っています」

「まあそりゃ一番怪しいのはここだろうな」

 

アレクが頷く。

 

「ただ、見つけるのは難しいと思うぜ。なにしろここは建築面積だけでも大英博物館の三倍以上あるからな」

「二度の大戦の時、多くの物が戦地から、あるいは同盟国ドイツから送られてきたと聞いていますから、北欧から何かが運び込まれてもおかしくはありませんが」

 

一也もイェシカの顔をじっと見つめる。

 

「この中から特定の物を見つけ出すというのは難しい、というよりムリだと思うね」

「そのことですが」

 

イェシカがバートを紹介する。

 

「彼は、それがどこにあるのか大体の方向を検討つけることができます」

 

彼はニコニコと微笑みながら頷いた。

 

「僕、あまり日本語、得意じゃないです。でも、それがどこにあるか、分かる。地下です。あっちの方の地面の中に、ある、です」

 

バートが指さしたのは、旧図書館本館に近い、軍艦図書館の地下部分だった。それに敬介の眼鏡が反応した。

 

「なるほど。ESPの持ち主、と理解していいのかな?」

「そう思っていただいても結構です」

「そして音楽も好きと?」

 

敬介はバートが担いでいるギターケースに目をやり、バートが嬉しそうに頷いた。

 

「ところで君は何が得意なのかな? あいにくお客様を連れて探索ができるほど、我々も余裕があるわけじゃない」

 

敬介が眼鏡をバートからイェシカに向ける。

 

「私は・・・欧州の古い言語が分かります。ラテン語はもちろん、北欧やケルト系の古語はマスターしています」

「それは心強い。言語学のエキスパートは必要だと思っていた」

「おい敬介、いいのか?」

 

二人を受け入れる流れになっているのにアレクが驚く。昨日の事件についてもまだなにも分かっていないのだ。

 

「ついでといえばついでだ。彼が示した方向の整頓を提案しようと思っていたところだった」

 

敬介は図面の写しらしい物を皆の前に広げていく。

 

「館長室(仮)の資料をいろいろと調べたところ、次のことが分かった。軍艦図書館を建設中にあることが起こり、その事件をきっかけにして、今の巨大な図書館建設が始まった。その現場がここだ」

 

敬介が指さした先は、軍艦図書館の向って右側、その地下二階にあたる部屋だった。

 

「ここは現在、旧図書館本館部分が増築されているので、この図面通りではないだろうが、今回の目標はこの部屋の発見とする。君たちもそれでよければ同行してもらってもかまわない。何か手掛かりが掴めるかもしれないが、さっき一也もいったようにあまり期待してもらっても困る。何かを探すのにこれほど不適当な場所もないからな」

「ありがとうございます」

「よかったねイェシカちゃん!」

 

手を取りあう真央とイェシカ。バートも敬介たちに握手を求める。

こうして五十五分隊に新たなメンバーが加わった。二人の正式な登録を待ち、次の休日、早朝から整頓を行うことが決まったのである。

 

●幕間劇

 

「で? どうしろと?」

 

生徒会室である。生徒会長の神宮寺貴博(じんぐうじたかひろ)が陳情に来た生徒の話を聞いている。

 

「だから言っとるじゃないか! さらなる調査が必要だ!」

 

胴間声を張り上げているのは、あの潜航艇で潜っていた生徒だ。隣には潜航艇のパイロットも小さくなって座っている。

 

「宇津帆島の地下で何かが起きてるのは間違いない! 海底の地層に異変が生じているのをこの目で見た。最近の地震も無関係とは思えない!」

「実に興味深いお話ですね。分かりました田沢さん。で、その異変を見たのはどの辺りですか?」

「それはだな、宇津帆島の、この辺りの海底だ」

 

田沢は机の上にあったメモ用紙を手に取り、地図を書き込んだ。

 

「なるほど・・・君もそれを見たんだね、小野田君?」

「は、はい! 見ましたであります!」

 

パイロットは生徒会長を前にかなり緊張している。

 

「ふむふむ、では生徒会としても気をつけて調査をしてみましょう。報せていただきありがとうございます」

「いや調査は私がやる、予算をだな、少し回して貰えれば」

「後はこちらにお任せください。ではごきげんよう」

「ま、待て! まだ話は・・・」

 

田沢たちは警護の生徒たちに引きずられるようにして出ていった。それを見送った神宮寺は軽くタメイキをつく。そしておもむろに受話器を取り上げた。

 

「公安委員長を・・・・私だ。今出ていった二人・・・そうだ。彼らを拘束しておいてくれ。罪状は・・・まあそんなとこだな。よろしく頼むよ」

 

受話器を置くと、神宮寺は深く椅子に座り直した。両手を組み、いつもの微笑みを浮かべる。

 

「悪く思わないでくれたまえ。まだこの件を知られるわけにはいかないのだよ。一般生徒にも、十六人委員会にもね」

 

生徒会長は目の前に右手をかざすと、自分の手を楽しげに見つめるのであった。

 

●地下へ

 

待ちに待った日、旧図書館整頓隊・五十五分隊のメンバーは、早朝より資料室に集まっていた。もちろんイェシカとバートの二人も一緒だ。

 

「ではこれより出発する」

 

敬介が今回の注意点を皆に伝える。

 

「今回のもっとも異なる点は、目的地までの地図があるということだ。だがこれがどの程度信用できるかは分からない」

 

全員が敬介の話を熱心に聞いている。今回初めて参加するイェシカは心なしか緊張しているようだ。

 

「またほとんどが地下での探索となる。ライトだけが頼りとなるので、装備などの点検を怠るな。以上だ」

 

そして全員がヘッドライトを付け、装備の詰まったリュックを背負うと、資料室を出た。敬介の図面を見る限りでは、ゲートを抜けた先にある階段を地下二階まで降りるだけだ。もともとは展示室として造られたホールのような部屋が目的地となる。だが度重なる改装で地下はどうなっているか分からず、怪異の危険度は上階とは比べ物にならない。

 

「とりあえず地図の通りに階段を降りてみるか」

 

マップ員のアレクがバートと共に先頭を行く。バートは今回マップ員として登録されており、イェシカは整頓員だ。彼女は真央と共に最後尾を歩く。その前に敬介、そしてその前をカーラと一也が並び、地図を見ているのは例によってカーラである。

 

「俺は地図を見るのは苦手でね、かえって迷っちまう」

 

マップ員とはとても思えない事を言いながらアレクは笑う。

 

「カーラがちゃんと見ててくれるから問題ないですよ」

「そうそう。任せて下さい」

 

後から一也とカーラもクスクス笑う。

 

「いつもこんな感じなのですか?」

 

イェシカがちょっと驚いたように真央に囁く。

 

「うん、そうだよ。こんな感じ。最初はね」

 

真央も笑顔を向ける。ただ以前もこんな会話があったなと少しせつなくなった。

 

「だんだんいろんな事が起こるから、なるべく気分を盛り上げとかないとさ。けどあんまり盛り上がりすぎると」真央は前を行く敬介を指差して「怒られちゃうからね」ともう一度笑った。

「よし全員止まれ! いよいよ地下に潜るぞ!」

 

第一廊下から別の廊下に入り、しばらく行った所に目的の階段があった。通常の整頓活動では使われたことのない、寂しげな階段である。

 

「見ての通り階下は真っ暗だ。全員ライト点灯。油断するなよ」

 

敬介の指示通りに準備を終えると、先ほどの順番通りに階段を降りる。地下二階まで続いているはずの階段は、案の定地下一階で終わっていた。

 

「まあそう簡単じゃねえよな。どうする?」

 

目の前には左右に廊下が伸びている。右は10メートル程先で突き当たり、再び左右に伸びているようだ。左はすぐそこで右に曲がっている。

 

「目的地の方向から言えば右ね」

 

カーラが地図と見比べている。

 

「一番近い階段はどっちだ?」

「この地図だと右に行って左側に曲がり、その先を右に曲がれれば50メートルぐらい先にあります」

「わかった。まず階段を探す」

「了解です」

 

一行はとりあえず右の方に進む。

 

「埃っぽいですね。人の痕跡がありませんが、この辺りは整頓されてないのですか?」

 

一也が周りにライトを向けると、どこもうっすらと誇りが積もっている。

 

「この辺りからは何も発見されてない。どこも空っぽの部屋ばかりだった。初期の段階で大雑把な調査がされ、それっきりだ」

 

廊下の左右には部屋が並んでいるが。覗いて見ても敬介の言うようにどれも空っぽだった。

 

「その時の調査で地図とか作ってねえのか?」

「・・・図書委員会の記録では、この辺りは調査する価値なし、となっている。地図は作られていない」

 

敬介の言葉にアレクは驚いた。

 

「珍しいな。なんでもかんでも地図に載せてる整頓隊が放置とか」

「ああ。確かにそうだな」敬介は眼鏡をわずかに上げる「その怠慢のツケを我々が支払わされているというわけだ」

 

彼らは突き当たりまで進むと左右に伸びる廊下を見た。どちらもすぐさきにドアがある。右はかなり頑丈そうなドアだが、左は朽ち果てて半ば崩れ落ちている。

 

「左、行ってみっか」

 

壊れたドアからライトを差し込んでみる。朽ちた木材の匂いと舞い上がった埃が喉を刺激する。光に照らし出された部屋の中はやはり空っぽで、向こう側に抜けるドアも無さそうだ。

 

「反対側を見てみよう」

 

ここは諦めて反対側のドアに向うが、近寄ってみるとそれはドアでは無かった。ノブも把手もなく、ただの壁のようだった。

 

「変だな、ドアに見えたんだが?」

 

しっかりとした木のドアのような雰囲気ではあるが、枠にはめ込まれており動く所はない。前回のような隠し扉というわけでもなさそうだ。

試しにアレクが壁を叩いてみると、音は虚ろに響いた。向こう側に空間があるようだ。

 

「どうする? ぶっ壊してみるか?」

 

かなり頑丈そうな壁だが、アレクが本気を出せば壊せないことはない。

 

「まだそこまではいいだろう。向こうの道を行ってみよう」

 

探索は始まったばかりだ。ここで無駄な労力は使いたくない。敬介はいったん最初の階段まで戻り、左側の廊下を進むことにした。

廊下はすぐに右側に曲がり、その先がT字路になっていた。どうやら今通り過ぎてきた部屋の向こう側にも廊下があるようだ。

突き当たりまで進み、左右に伸びる廊下を確認する。どちらもライトが届く範囲外まで廊下が伸びているが、右側は左に向かって緩やかにカーブしており、先は見通せない。だが下への階段があるのは右側なので、彼らは右に曲がって進む。

廊下は右側は壁、左側に何もない部屋が相変わらず続いているが、廊下がカーブしているので前後の見通しは悪い。

その時、最後尾の真央が最初にそれに気づいた。背後でなにかがコソリと音を立てたのだ。

 

「せ、先輩! なにかいます。なにかいますよぅ!」

 

後ろから服を掴まれた敬介が、手にしたライトで背後の闇を切り裂く。その光の中を猫ぐらいの大きさの生き物が逃げていった。

 

「なんですか!?」

「気にするな。化け鼠だ」

「気になりますよぅ! なんですか化け鼠って? 妖怪ですか?」

「ただのでかい鼠だ。脅かせば逃げる。襲って来るようなことはない」

 

そう言いながら敬介はイェシカの様子を伺っていた。彼女も真央と同じように不安そうにしており、化け鼠を知っていそうな、あるいは見たことがあるような様子はなかった。

 

彼らは再び歩き始める。廊下は相変わらずゆるやかなカーブを描いている。歩いているうちに、先程の化け鼠の立てる足音が背後から聞こえてきた。コソコソ、コソコソと軽い足音が追って来る。すると今度は、カタカタっと横の教室からも足音が聞こえ始める。化け鼠の大群が、背後や横の教室からこちらの様子を伺いながら追ってきている。そんな感じだった。時にはからかうかのように、廊下側の壁にドンドンと体当たりをして来るものまでいる。教室の中は化け鼠で溢れているのではないかとさえ思えてくるほど騒がしい。廊下は相変わらずカーブしており見通しは悪く、もし横の教室や後ろから一斉に襲いかかられたらと思うと、真央は生きた心地がしなかった。

 

「朝倉!」

 

敬介の鋭い声に真央はハッとなった。彼女はいつのまにか立ち止まり、その場でボーッとしていたのだ。もちろん化け鼠の足音などしてはいない。夢でも見ていたようだ。横ではイェシカも驚いた様子で辺りをキョロキョロしていた。

 

「今のは、なんだったのでしょう?鼠の大群が居たと思ったのに・・・」

 

どうやら彼女も真央と同じ幻覚を見ていたようだ。

 

「旧図書館の気に呑まれちゃったんだよ」

 

真央が皆の元に急ぎながら囁いた。

 

「ここじゃよくあることなんっだって。なんかの電波のせいだって言ってたかな? 幻のせいで迷ってここから出られなくなっちゃうんだって」

「情報が、遮断されるのですか?」

「難しいことはよくわかんないけど、アレク先輩はそういう幻を見ないらしいから、ちゃんと先輩の後についていかないとダメなんだ」

 

皆に追いついた真央はアレクに軽く頭を叩かれた。

 

「気いつけろよ」

 

そう言ってから笑顔を向け、アレクは再び先頭に立つ。バートもイェシカを心配そうに見ている。

敬介は「油断するな」と小さく注意するにとどまり、怒られると思っていた真央はホッとした。

イェシカは今の出来事がちょっとショックだったようだ。難しい顔をしていたが、決心したように右手をすっと伸ばす。それにバートが慌てた素振りを見せたが、彼が何か言う前にイェシカの手を真央がギュっと掴んだ。

驚くイェシカに、真央は大丈夫だよと言うように笑顔を向け、手を強く握った。イェシカはちょっと困ったような顔をしたが、すぐに真央に笑顔を向けて頷いた。さらに彼女の右手が前を行く敬介の服の裾を掴んでいるのに気づき、思わずクスクスと笑ってしまった。

 

一行は再び歩きはじめたが、彼らが歩く廊下は実際にはすぐ真っ直ぐになり、カーラが地図で見ていた階段もそこにあった。ただ期待していたものはそこには無かった。

 

「なんで下への階段がねえんだ?」

 

上には階段が伸びているが、本来下への階段があるべき場所にライトの光で浮かび上がったのは木の壁だった。

 

「明らかに塞いだって感じだよな?」

「不自然ですね」

 

一也が木の壁を撫でる。

 

「さっきの通路を塞いでいた木の壁と同じ材質のようですね。それに新しすぎる」

「新しいですか? けっこう古びてますけど」

 

真央も木の壁をしげしげと眺める。うっすらと埃が積もっているし、黴臭い匂いがする。とても新しいという感じではない。

 

「旧図書館本館の工事が始まったのは何年だ?」

「えーっと、分かりません」

「・・・1925年だ。これはそこまでは古くない。せいぜい10年か、20年か、そんな感じだ。それにコンクリート造りの建物でここだけ木の壁というのも変だ」

「カッコ悪いですよね。ツギハギで」

「どうする? 今度はぶっ壊してみるか?」

 

アレクがコンコンと壁を叩きながら敬介を振り返った。

 

「・・・よし、やれ」

「OK! やりましょう!」

 

喜々としてアレクは自分の装備の中から必要な道具を取り出す。それはとても細長いノコギリのように見えた。

 

「こう、ドカーンッと体当たりで壊したりしないんですか?」

「俺はゴリラか! なーに、木の壁なんて要所を切断しちまえば簡単に壊せるのさ」

「なんだか泥棒さんみたいな雰囲気ですけど・・・」

「おっと、それ以上の質問はなしだぜ。よっしゃ、こんなもんだろう」

 

何箇所かに切り込みを入れるとアレクは道具をしまい、壁の前でちょっとした構えをとった。

 

「んじゃまあ、真央ちゃんの期待に応えようかな。でやああああああ!」

 

気合いとともにアレクの蹴りが壁に炸裂した。壁はアレクの計算通りに亀裂が入ると後ろに吹き飛び、

 

「うわああああ!」

 

その後ろにあった計算外の穴の中に落ちていった。

 

「先輩!」

「Se upp!」

 

勢い余って自分も穴に転げ落ちそうになるアレクを一也とバートが咄嗟に抑えた。二人がいなかったらアレクも間違いなく落ちていただろう。

 

「あ、あぶねー!!!」

 

さすがに汗を拭うアレクを尻目に、敬介が現れた穴をライトで照らしだす。

 

「なるほど。階段が壊れたので塞いであったのか」

 

見ると踊り場の半ばまでが崩れ落ちている。下を照らすとそうした瓦礫の上に木の壁の残骸も落ちていた。

 

「壊れてるんならそう書いとけよな! 危険とか触るなとか!」

「書いてあっても蹴っただろう? ふむ、踊り場までジャンプするより直接降りた方がいいな」

「当たり前だろ! あんなとこまで人間がジャンプできっかよ!」

「アレク先輩落ち着いて下さい、お薬出しましょうか?」

「わめいてないでハシゴを用意しろ」

「うぐぐ・・・ハシゴはそっちに入ってるだろ」

 

カーラの薬を飲むくらいならと気を落ち着かせるアレク。敬介は自分の装備からワイヤーでできたハシゴを取り出す。ワイヤーにステップのついたそれを残っている木の壁に固定し、下にたらす。

 

「これもどこかに忍び込む道具ですか?」

 

覗き込みながら真央が物騒なことを言う。

 

「忍者道具みたいですね」

「これはケービングで使う道具だ。旧図書館の地下は洞窟探検と変わらん。行くぞ」

 

まず最初に敬介が慣れた様子で降りていく。そして階下の安全を確かめた後、残りのメンバーに降りてくるように合図を送る。ワイヤーのハシゴは素人には扱いづらいが、距離が短いこともあって全員が無事に地下二階へと降りることができた。

 

●さらに地下へ

 

「湿気が凄いな」

 

地下二階は空気がひどく淀んでいた。かび臭く湿った空気が身体にまとわりつく。しかし気温は低くヒンヤリとしており、ハシゴを降りるときに出た汗が冷たく身体に張り付く。

 

「なにか音がします」

 

真央が耳をそばだてる。微かに何か唸るような音が聞こえてくる。音は建物に反響しているため正体はよく分からないが、水の流れる音のようにも思える。

 

「地下水がどこからか流れこんでいるのかもしれない。この湿気もそのせいだろう」

 

彼らは十分に注意しながら、崩れた階段から歩きだした。ここでは階段から真っ直ぐ廊下が続き、その先で十字路になっていた。

 

「地図によれば、右に30メートルほど行けば目的地ですね」

 

カーラが言うように十字路を右に曲がろうとすると、敬介は妙な違和感を覚えた。

 

「みょうにキレイじゃねぇか、ここ?」

 

アレクも気がついたようだが、十字路から先、目的地に向って廊下を補強した様子がある。壊れた所を補修したり、穴の上に簡易の橋が架けてあったり、明らかに建設当時の物ではない人の手が入っていた。

廊下をくまなくライトで探ってみると、そうした補修の上に大量の荷物を運んだような跡もある。手押しの台車が通ったような跡。何か大きなモノが廊下の角にぶつかってつけたような傷。人の足によってできたような廊下のたわみ。かなり煩雑に、しかも大量に、誰かがここを行き来したような感じだった。

 

「これもさっきのと同じ木材じゃありませんか? アレク先輩が壊したやつと」

 

一也が壁の補修跡を撫でながら言う。上の階で階段を塞いだのと同じ時期、10年から20年ほど前に、ここでなんらかの作業が行われていたのだろうか。

 

「どうなってんだここは? おい敬介?」

「公式な記録はない。が、どうやらかつての大規模整頓隊の跡のようだな」

 

敬介はもう一度辺りをライトで照らし、感慨深げにそう言った。

かつて、今のように五名一組の分隊規模での整頓が始まる前、旧図書館整頓隊とは大量の人員と物資を投入して行われるものだった。もちろんそんなことがいつも出来るわけはなく、整頓は数年に一度というのが当時の常識だった。

 

「上の部屋に何もないはずだ。かつての整頓で全て持ち出されていたのか」

「大規模って、どの程度ですか?」

 

一也はライトに浮かび上がる景色を見て考え込む。10人や20人でこれだけのことが出来るはずがない。

 

「その時々で様々だが、数十人から数百人。数千人に及ぶこともあったらしい」

「数千人って、ピラミッド造ろうってんじゃねーんだぞ」

 

アレクが辺りを見回しながら呟くのに、敬介は小さく笑った。

 

「そういう物を造ろうとした生徒会長もいたそうだがな」

 

最初の大規模整頓は蓬莱塾百周年事業として、鮫島鉄樹(さめじまてつき)生徒会長の元で行われた。この鮫島生徒会長は学園の王たらんとし、自らの巨大な墳墓を造ろうとしたという逸話が残っている。学園中が鮫島派と反鮫島派に別れて争った、学園史でも一二を争う暗黒時代であった。

 

「道が整備されているのは好都合だ。目的地に急ぐぞ」

 

彼らは補修された廊下を進む。進みながら辺りの様子を見ると、奥に行くにつれ人の手が残した跡が無数にあるのに気がつく。この真っ暗な廊下の中を、どれほどの人が何を思い、どんな事をしていたのか。真央はそれを想像する。きっと新たな発見に胸をワクワクさせながら、誰も行った事のない場所を目指し、奥へと奥へと突き進んでいったのに違いない。

そうして10メートル程進むと廊下は右へと曲がってすぐ左に戻る。そのまま進むと行き止まりになり、正面に大きなドアがあった。

 

「どうやらこの奥らしいな」

「また妙なトラップとかねえだろうな?」

 

以前、ドアを開けようとしたとたん怪異に襲われたことがあるので、アレクは慎重にあたりをライトで照らす。

 

「見たところそういうものはなさそうですね」

 

錬金術研の一也もドアの周りを調べ、妙な印や模様、物理的な仕掛けがないことを確認する。

 

「じゃあ、開けるぞ」

 

だが、アレクがドアに伸ばした手をバートが押し止めた。彼は厳しい顔でドアを見つめている。

 

「ここ、ダメです。開けないほうがいい」

「なんだ? どうして?」

「良くない感じがします。とにかくダメです」

「もう少し具体的に言ってくれないか?」

 

敬介もバートの顔を見る。彼の表情は真剣で、調査の妨害を企てているようではない。バートも自分の感じたことをどう言っていいか分からず、外国語、おそらく母国語でイェシカに話しかけた。

 

「彼はこの部屋の中にとても恐ろしいものがあると感じています。それは私たちの命に関わるようなことです」

 

イェシカもまた真剣な表情で通訳する。彼の言うことを重く受け止めている証拠だった。

 

「彼はとても勘がいいのです。私たちは彼の直感をいつも尊重します。それで何度も助けられました」

「ESP、といっていたが、透視能力や予知能力でもあるのか?」

「厳密にはそうではないのですが・・・彼にはいろいろなことを察知する力があるのです」

「ふむ」

 

敬介は考え込んだ。

 

「で、どうする? ここまで来てやめるか?」

 

アレクが全員の顔を見渡して、敬介を見た。一也、カーラ、真央もじっと敬介を見ている。

 

「君たちは旧図書館に何か探しに来たといっていたな」

 

敬介は顔を上げると、イェシカ達に尋ねた。

 

「はい」

「それはどこにある?」

「それは・・・・」

 

イェシカとバートはハッとして顔を見合わせる。そしてバートがゆっくりと指さしたのは、問題のドアの中だった。

 

「旧図書館での整頓は、常に危険と隣り合わせだ。戻って来ない者も多い」

 

敬介は言う。

 

「だからこそ我々はチームを組み、協力して生存率を上げようとする。そして目的を達成するために戦う」

 

今回のチームの目的は、このドアの奥にあるはずの部屋を発見することだ。

 

「君たちも我々のチームの一員だ。目的も同じだ。我々は協力することができる。そこでもう一度聞く。君の感じる危機は、それでもなお危険か? 一度も試すことができないほど危険な物か? 君たちの目的を諦めざるを得ないほどの物なのか?」

 

敬介の問いに、バートはじっと考え込んだ。そして自分からドアに近づくと、把手に手をかけた。

 

「準備して、言ってください。開けます」

 

バートが皆を振り返ってそう言うと、真央と一也がドアの前に進む。アレクと敬介が二人の女性を庇うように立ち、頷いた。

 

「よし。行こう」

「Ja!」

 

バートがドアを開ける。真央と一也は中の様子を窺うようにしてゆっくりと中に進む。二人のライトに空っぽの書架がいくつも照らし出される。部屋は書庫のようで、かなりの広さがありそうだった。二人に続いて敬介たちも中に入る。真ん中が通路のようになり、左右に書架が並んでいる。通路の奥の方の床に、なにか丸い物がいくつも散らばっていた。それに近づいてみようと進んだとき、書架の間から何かが現れた。

 

「下れ!」

 

敬介が小さく命じる。現れたのは、人の背丈ほどの白い影のようなものだった。それはユラユラと揺らめきながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 

「気をつけろ、そっちにもいるぞ!」

 

白い影は一つではなかった。奥の方の書架の間からも影が湧き出てきたのだ。その数は二つ、三つと次第に増え、最初の物を含めて七つもの白い影が真ん中の通路に現れた。

 

「な、なんですこれ? まさかユーレーとかいわないですよね?」

 

真央が泣きそうな声で一也に囁く。白い影から冷気のような物でも漂ってくるのか、それが近寄ってくると足元から痺れるような寒さに襲われる。

 

「レイスだ」

 

一也も歯を噛みしめて寒さに耐える。

 

「レイス? 精霊?」

 

イェシカが呟く。

 

「いや、死霊だ。幽霊よりたちが悪い。あれに触るな。触ったら、死ぬぞ」

「ひー!」

「たぶんここで死んだ者たちだ。僕らも触れて死ねばレイスになる」

「対処できるか?」

 

一也に敬介が訊くが、彼の表情は硬い。

 

「・・・朝倉、刀を抜け」

「え? はい!」

 

一也に言われ、真央は背中の刀をスラリと抜く。

 

「これ、斬れるんですか?」

「いや・・・ただ冷たい鉄を嫌う。刀を向ければ寄ってこない」

 

確かに真央が刀を構えたとたん、手前の白い影の動きが止まった。

 

「このまま突っ切れるか?」

「やつらの数が多すぎますよ。触れれば終わりなので、リスクが高すぎます」

「巡回班の人を呼んできましょうか?」

 

真央がゆっくりと身を引く。後からやってきた白い影たちが、最初の影のすぐ側に集まってきた。だがそれ以上は近寄ってこない。通路はゆらゆらと揺れる白い影たちに通せんぼをされているような格好だ。

 

「朝倉の言うように一端戻って救援を頼みましょう。キリスト教研か仏教研、オカルト研なら対処できるかも」

 

もっともな意見に敬介が頷きかけたとき、誰かがそれを遮った。

 

「待って下さい。僕に、一度、やらせて下さい」

 

意外な申し出はバートのものだった。

 

「僕も、仲間。協力します」

「それはありがたいが、どうする気だ?」

 

一也は眉をひそめる。

 

「実は神父だとかなら助かるが」

「神父ではない。でも、弔いをしてみます」

「え?」

 

バートは自分のバッグから、古びた横笛だった。彼は愛しそうにそれを撫でると、唇をあてた。

 

「♪」

 

一瞬、かん高い音が辺りに鳴り響いた。そしてそれに続くように柔らかなメロディーが流れはじめる。

それは最初、静かで、ゆったりとした曲だった。誰しもが懐かしさを感じるような、暖かな曲。それがテンポのよい軽やかで楽しげな曲へと変わる。

バートの吹く異国風の曲を聴きながら、真央はここが暗い図書館の地下であることを忘れた。目を閉じればどこまでも広がる大草原と、その上を吹き抜ける甘い風を見ることができた。森や、川や、滝。そうした自然が生き生きと思い描ける。

 

そして再び、曲は落ち着いたものに変わる。もの悲しい調子を帯びたそれは、あきらかに弔いの曲だった。

 

死者を悼み、慈しむ調べ。

 

それを聞いていると、今度は亡くなった家族や知人のことが思い出される。楽しかったあの日、あの頃のことが鮮明に思い出される。

 

知らず、皆の頬に涙が伝った。

 

真っ暗な、廃屋の中。バートの吹き鳴らす曲が、闇の中に静かに溶け込んでいく。

 

その曲の調べに合わせるかのように、白い影たちはひとつ、またひとつと闇の中に消えていった。真央は最後の影が消えたとき、そこに黒髪の少女の姿を見たような気がした。

 

「ブラボー!」

 

バートが笛を置いた時、拍手が沸きおこった。

 

「いや、スゲーわ。こんな曲初めて聞いたぜ」

「泣いちゃったわよ。祖父のこと思い出しちゃった」

「なんていう曲だい? スウェーデンの曲?」

「これ、僕が作った曲。です。今、創った」

 

バートはニコニコしながらとんでもないことを言った。今の曲は彼の即興曲だったらしい。

 

「彼は『詩の蜜酒』を飲んだ者と仲間内でも言われています」

 

イェシカが誇らしげに言う。

 

「彼は詩人です。彼の歌はもっと素晴らしい」

 

敬介もバートに手を差し出し、二人はかたく握手を交わした。

 

「まさにオルフェウスだな。よくやってくれた、感謝する」

「ありがとう」

 

バートも笑顔で応える。

 

「お化けさんたち、成仏できたのかな?」

 

真央はそれでも心配そうだったが、イェシカが頷いた。

 

「ええ、きっと」

「うん!」

 

そしてようやくこの部屋の探索を始めることができた。とはいうものの、数多く立ち並ぶどの書架にも本は無い。気になるのは奥の床に散らばっている丸い物だが、真央はそれを拾い上げて驚いた。

 

「先輩! これ応石じゃ!?」

 

丸い物、それは五百円玉ほどの大きさの透明な球で、中に文字が書かれている。見た目は完全に応石だった。しかし、

 

「これ、ガラスじゃない?」

「玩具か?」

 

皆が転がっている物を拾い上げて見てみるが、どれも普通の硝子玉だった。何か不思議な力がありそうな様子もない。

 

「偽物だな。なんでこんなものが」

 

見渡すと辺りに数十個はあるようだ。中に書かれている文字は様々だ。

 

「訳が分からんな?」

 

訳が分からないのはこの部屋も同じだった。ここには何もなく、他のドアもない。一番奥は金属製の壁だった。

 

「この真ん中にあるのは、なんだ?」

 

壁を眺めていたアレクが何かを見つけた。円形に、まるで時計の文字盤のように、丸い窪みが並んでいた。その数は八つ。

 

「ここにも何かありますよ。絵のような・・・」

 

真央が言うように並ぶ窪みの中心に何かが描かれていた。丁寧に埃を払い、そこに現れた絵を見て彼らはさらに困惑した。

 

「これ、馬ですか? ちがいますよね」

 

それは女性らしき人物が動物に乗っている絵だった。

 

「狼かしら? 白い狼?」

 

カーラやアレク、イェシカたちにはそれが何かは分からなかったが、一也や敬介には一目瞭然だった。黒い模様のある大きな白い犬と、着物姿の女性の絵。

 

「これ、八房と、伏姫ですよね?」

「そうだな。南総里見八犬伝か」

「ヤツフサ? なんだそりゃ?」

 

一也は日本の古典的伝奇小説を簡単に説明した。異類婚姻譚、そこから生まれる八人の英雄とその冒険などを。

 

「里見八犬伝といえば、仁義礼智忠信考悌。そしてここに八つの穴。嵌め込めってことでしょうか?」

 

一也が床に転がっている硝子玉を見る。確かに同じような大きさではある。

 

「つまりこの壁になんか仕掛けがあるってことか? 何がどうなるってんだ?」

「分からん。だがこの壁も新しい物だ。大規模整頓時かその前後に作られたものだろう」

「おおかた狂的科学部、いや古典からくり研かな、その辺りの作じゃないですか?」

「しかたない、まずは試してみよう。この硝子玉の中から仁義八行の玉を探せ」

 

言うは簡単だが、探す戦力になるのは敬介と一也ぐらい。真央も古典には興味なさそうであり、簡単な漢字でよかったというところだ。

 

「ありました!」

「こっちも!」

「これもそうか?」

「違う、それは関係ない」

「えー、良く似てんだけどな・・・」

 

結局かなりの時間を費やして、なんとか八つ揃えることができた。

試しに一番上に仁の玉を差し込み、そこから順番に時計回りで嵌め込んでみたが、なにも起こらなかった。

 

「・・・」

「金庫のように組み合わせがあるとしたら、簡単じゃありませんよ。何かヒントがないと」

「穴の奥にいれる文字が書いてませんか?」

「それじゃ正解すぎるだろ!」

 

イェシカはさっきからジッと真ん中の絵を眺めていたが、なにかをなぞるように指を走らせた。

 

「このお姫さまの視線・・・」

「え?」

「ここに描かれているお姫さまの視線と、この犬の視線。同じところを見ていませんか?」

 

それは方位でえば北西の方角だった。

 

「ナイス! ここが起点かもな」

「あとは順番か」

 

イェシカがまたある点を指さした。

 

「この犬の尻尾も、向きが不自然なような気がします」

 

絵の八房の尻尾は、くるりと時計反対周りに回っている。

 

「北西から反時計周りか。やってみよう」

 

言われた通りに一也が玉を穴に嵌めていく。最後の悌が嵌められた途端、ガタンという大きな音とともに真ん中の絵が切り替わった。

 

「正解! だが第二問があるようだぜ」

 

今度の絵も同じ犬と姫の絵だったが、犬は黒に白ブチ、姫の顔つきもなにやら不気味な感じで描かれていた。

 

「なんじゃこりゃ?」

「分からん。とりあえず視線は二人とも南東で、尻尾は時計回りか」

 

だがさっきと同じように南東から玉を入れ直してもなんの変化もなかった。

 

「どう、します?」

「この『なぞなぞ』を解かないとダメなんですよ!」

 

真央がジッと絵を見ながら言う。

 

「先輩、考えてください! 『白じゃなくて黒、お姫様じゃなくて女王様ってなーんだ』」

「わかんねーって!だいたい女王様ってなんだよ、女王様って!」

「えー、だって女王様って悪い魔法使いでお姫様をいじめたりするじゃないですか。そんな顔してますよ」

 

「それは、似て非なるもの、ということでしょうか?」

 

イェシカが言うと一也が驚いた。

 

「君は東洋の言い回しにも詳しいのか」

「今それを勉強中です」イェシカが微笑む。

「先ほどの鍵となった八つの文字と、似て非なるものが次の鍵となるのではないでしょうか?」

 

それを聞いて、一也はうんざりしたように散らばる無数のガラス玉を見渡した。

 

「この中からそういう物を探すのは大変だな」

 

アレクとカーラはあてにならない。真央もダメだろう。かく言う一也も漢字は苦手だ。

 

「頼みの綱は高城先輩だけですね」

「任せておけ」

 

敬介は嫌な顔ひとつせず、ガラス玉の中から適当な字を探し始める。

 

「私もお手伝いします」

「僕ももちろんやります」

「あたしだって漢字ぐらい分かります!」

 

イェシカ、一也、真央も慌ててガラス玉を拾い集める。その中でイェシカが意外に漢字に詳しい事が分かり、調査はスムーズに進んだ。真央は未確認と没になった字を分けることに専念し、これも意外に貢献した。

 

しばらくして敬介が選び出したのが次の八つだった。すなわち刃偽乱蜘諜侵拷滞である。

 

「他のは分かりますけど、乱と滞は苦しくないですか?」

 

真央はチョイスに疑わしげだ。

 

「この中には他に適当な字がない。低や停もない。霊も隷もない。これでダメなら全てを最初からやり直しだ」

「まあとにかくやってみましょう」

 

一也は敬介からガラス玉を預かると、南東から時計回りにはめ込んでいく。最後の滞をはめ込んだ時、ガタンと音がして、また中心の絵が変わり、壁の中心に隙間が開いた。

 

「正解、か?」

「そのようですが・・・」

 

最後に現れた絵に彼らはまたしても首を傾げた。それは狐の絵だった。しかも九つの尾を持つ、九尾の狐の絵だったのである。

 

「訳が分かりませんね。里見八犬伝のお話なら玉梓の怨霊という所が妥当でしょう」

「里見八犬伝、仁義八行、偽の八行、そして狐。この仕掛けを作ったものは何を伝えようとしているのか。なにかメッセージがあるはずだ」

「この絵にはどんな意味があるのですか?」

 

イェシカが尋ねる。

 

「日本の精霊ですか?」

「日本というより」

 

敬介が説明する。

 

「東洋の大妖怪だな。美女の姿となって時の権力者に取り憑き、国を滅ぼす」

「まさかこの中に九尾の狐が封じられてるとか言うんじゃないでしょうね」

 

一也がとんでもないことを言い出した。

 

「それは勘弁して欲しいですね」

「殺生石か・・・」

 

さすがの敬介も鼻白んだ。九尾の狐を封じた殺生石は、狐の祟で近づく者は皆死ぬという。

 

「バート、この中に何か嫌な予感はするか?」

 

敬介の問いに彼は首を振った。

 

「何も。僕は早く入ってみたい」

 

彼はニコニコしている。

 

「そうか」

 

敬介が頷くと、皆も心を決めたようだ。

 

「開けてみよう。全てはそれからだ」

 

敬介の言葉にアレクが進み出た。僅かにできた壁の隙間に手をかけると、両腕に力を込める。

 

「ぐっ!」

 

仕掛けは長い年月の間に錆び付いてでもいるのか、なかなか開こうとしない。敬介や一也、バートも手を貸し、全員が渾身の力を込める。

 

「動くぞ!もうちょっと」

 

じり、じりっと仕掛けが動き出し、ようやく人が通れるほどの隙間ができた。

 

隙間から滑り込むようにして入った彼らがそこに見たもの。

 

「なんじゃこりゃ!?」

 

それは、満天の星空だった。

 

●地下の星々

 

仕掛け扉から出た先は、体育館の二階のギャラリー、あるいは宮殿のバルコニーのような場所だった。教室程の空間の向こうに手摺があり、横には下に降りる階段がある。階段はかなりの長さが有り、ここからさらに二階分は伸びていた。

 

だが、誰もそんな物は見ていなかった。頭上に数多くの星が瞬いていたのだ。真っ暗な部屋の中は大きさがまったく分からないため、まるで本当の夜空を見上げているようだった。

 

「ここはいったい・・・」

「ねえ、下見て!」

 

ギャラリーの手すり越しにカーラが叫んだ。そこから見える床一面にも星々が瞬いていた。どうやら床には水が溜まっているようで、水面に天の星が映っているのだ。

 

「綺麗・・・」

 

上と下で瞬く星々。それは誰しも見蕩れてしまう幻想的な光景だった。しかしそこには見慣れた星座はなく、本物の夜空ではないことだけは分かった。

 

「あれ見ろ、星が!」

「星が動いてる!」

 

星々は彼らがやって来たのを知っているのか、それぞれが夜空の中心に向って集まり始めた。

 

「すげー!」

 

星々は真っ直ぐな光芒を引きながら、すでに集まっている星を目指して飛んでくる。そして全ての星が集まると満月ほどの大きさとなり、周囲を柔らかく照らしだしたのだ。

 

「なんじゃこりゃ!」

 

ようやくこの部屋の全貌が明らかになった。ここは差し渡し100メートルはありそうな巨大な空間だった。彼らがいるギャラリーから伸びる階段は二階分ほど降りたところで水没し、さらに一階分は伸びている。上空もほぼ地上近くまでぐらいの高さが有り、約五階分の吹き抜けの空間ということになる。床はほぼ全面が水没しており、まるで湖のようだ。水面の所々から背の高い書架が頭をのぞかせ、それが木道か橋のようになっている。

 

だが、やはりそんなことに誰も注意を払っていなかった。彼らの目を釘付けにしていたのは、満月のような光に煌々と照らし出され、彼らの目の前に忽然と姿を現した壁画だった。壁画は向かい側の壁面全てを埋め尽くほどの巨大なもので、そこには何処とも知れぬ風景の中、銀色に輝く輪を持つ太陽の絵が描かれていた。

 

「・・・」

 

それは息を呑む光景だった。壁画はあちこちが痛み、破損や崩落していたが、そこから地下水が溢れ出し、壁画の上をまるで滝のように流れ落ちていた。銀色に輝く太陽は不思議な魅力で彼らをひきつけ、真央や敬介たちは魅入られたように壁画を見つめていた。臨場感あふれる壁画の太陽から、実際に銀色の輝きがあふれ出ているかのようだ。それは流れ落ちる水の煌めきのみせる魔法だったかもしれない。

それにしても、銀色に輝く太陽、その上を複雑に流れ落ちる滝、それらをほのかに照らし出す不思議な月。だれが旧図書館の地下深くで、このような物を見ると想像できただろうか。

 

彼らが壁画を見つめていたのは永遠のようにも思えたが、実際には五分ぐらいのものだったろうか。しばらくすると星が集まってできた月は再び形を変え始めた。まるで彼らに壁画を見せるためだけに大きな灯りとなっていた星たちは、形が崩れ、再びバラバラとなると流星のように飛び去って行く。

 

四方八方に飛び散る星の幾つかが、真央たちの身体に飛び込んできた。驚いたことにそれはそのまま『麗』『輝』『妖』の三つの応石となったのである。

 

「あの星は応石だったのか」

 

敬介が右手を見ながら呟く。その手の中で輝いていた三つの応石も、ゆっくりと掌の中に溶け込んでいく。

 

そして全ての星々=応石たちが去った後、辺りは完全な闇に包まれた。漆黒の中にただ滝の流れる音だけが響く。彼らの持つライト程度の光量では、壁画の全容をうかがい知ることはできなかった。

 

「凄い!凄い凄い!!」

 

真央は興奮のあまりピョンピョン飛び跳ねていたが、大方の者は未だ呆然とその場に立ち尽くすのみだった。

 

「あれは、ほんとうにまだあそこにあるんでしょうか?」

 

一也が独り言のように呟く。

 

「あの絵も応石たちと同じように消えてしまったのでは・・・」

 

一也がそう思うのも無理もなかった。すでに壁画は闇の中であり、あまりに幻想的な、現実とは思えない光景だったため、ただの壁に戻っていたとしてもおかしくない気がした。

 

「分からん・・・が、ここは応石たちと何か関係があるようだ」

 

敬介はゆっくりと眼鏡を外すと、丁寧にレンズを拭う。

 

「軍艦図書館に起こった怪異、旧図書館全体にまつわる謎とも関連しているとしたら、あの壁画しかあるまい」

 

再び眼鏡をかけた敬介が、壁画のあるはずの方向を向く。

 

「あれが、今回我々が探していたモノなのは間違いない。あれこそが鍵だ」

「あ、そうだ! イェシカちゃんたちも今の応石貰えた?」

 

手すりから身を乗り出し、なんとかもう一度壁画が見えないかと子供のようにライトをかざしていた真央は、身を翻すと満面の笑みでイェシカの手を取って、いや手を振り回してそう言った。だがイェシカはそれに首を横に振った。

 

「いえ、私たちは何も」

「朝倉、彼らは行石を持っていない」

 

敬介がはしゃぎ過ぎの真央を諌める。

 

「行石がなければ応石は入手できない」

「あー、そうなんですね・・・イェシカちゃんも行石が手に入るようにするにはどうすればいいのかな? 前にあたしたちが貰ったところに行けば・・・」

「いえ、そうではありません」

 

思案顔の真央にイェシカが慌てていった。

 

「今の星々、オウセキ、ですか? それを入手するシステムは、たぶん私たちには適用されないでしょう」

「え?」

 

イェシカの断定的な言い方に、何か少し違和感があった。その口調に敬介たちも気がついたようで、驚いたように彼女の顔を見つめた。

 

「私たちは、蓬莱学園に、ある物を探しに来ました」

 

そんな彼らを前に、イェシカとバートはすっと右手を差し出した。すると驚いたことに、その手から何かが飛び出し、先ほどの星のように輝いたのだ。よく見るとそれは五百円玉ほどの透明な球体であった。

 

「応石?!」

「いや、違う」

 

イェシカたちの持つ応石にそっくりな球にも、金色に輝く文字のような物が浮かび上がっていた。だがそれはもちろん漢字ではない。イェシカの持つそれには、英語のFに似た記号が浮かんでいた。

 

「ルーンだ!」

 

一也がそれを見て呟く。

 

「ルーン文字じゃないか!」

 

ルーン、それは古代ヨーロッパで生まれた文字である。詩や、呪術などにも使われている。

 

「そうです。私はアッシュのイェシカ」

 

イェシカは微笑む。

 

「私たちは探しにきました。蓬莱学園に。私たちの、新たな世界樹(イグドラシル)を。そして見つけたようです」

 

その笑顔はまるで獲物を捕えた猛獣のように楽しげだった。

 

【第四話に続く】

 

 

 
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